1st show 流儀


 最初の部活動の予定が三日後に決まった。

 今日が火曜日だから、金曜日の啓発時間ということになる。

 この学校には週2回、啓発時間という普通の授業ではない時間がカリキュラムに組み込まれている。正確には自己啓発活動時間という名で、「幅広い技と才を磨く」とやらの名目だったと覚えている。この学校の理事長は意識高い系――いや、系は言い過ぎか。進歩的と言っておこう。

 その啓発時間は月曜と金曜の昼休みの前の一時間に指定されている。

 「ご機嫌うるわしくないわね、アッキー」

 野太いくせにで優雅を装うその声に視線をやると、そこにはむさ苦しいゴリラモドキ……のような男子生徒がひとり。

 他人に懐を探られるのは好きじゃないので調子に合わせて流してやろう。

 「軽々しく話しかけないでくださる?ゴリモ」

 「モってなんだ?!」

 ゴリに関しては異論はないらしく、目の上に付けている毛虫が楽しそうに踊っている。いや、眉毛なのかあれは。

 「モはモラトリアムのモだ。猶予、一時停止などの意味を持っている」

 「なんだそりゃ」

 とっさに思い浮かんだだけで特に意味は無い。

 「それは錦織くんが進化を成し遂げる事が出来ず、人類以前の領域で抜け出せていないと言う秋風くんなりの洒落であろう」

 いつから話を聞いていたのか左の席からフォローが入って来た。

 声がした方向を見ると、その席の主人であろ小嵐賢治は何やら予習復習に熱心な様子だった。しばらく見ていてもこっちを見向きもしない。

 感心することだが、本当に熱心ならこっちの話は聞こえないはずでは?

 とかの野暮ったい詮索はせず、勉学に励む小嵐をそっとしてあげた。

 「ツッコミづれぇな。もっとわかりやすいのにしてくれ」

 視線を戻すと、うす汚いゴリラが抗議してきた。

 ちょっと、阻止線とか張れないのかここは。

 仕方ない、疲れたふりをして追い払おう。

 「ツッコミ待ちじゃないんだよ」

 わかりやすかったとしても、こいつに上手いツッコミが出来るとは思えないが。

 「なんだ、やっぱりご機嫌斜めだな。あれか?部活始めたのと関係あるのか?」

 「なんでお前がそれを知ってる」

 机にうつ伏せになろうとしたとき核心に疲れて自然と起き上がってしまった。

 こんなゴリモがなぜそのような事を知っているのだ。

 何しろ俺はペラペラと自分の情報を漏らしにまわる趣味はない。他に漏れる懸念があるところもない。ならいったいどこで情報が漏れたというのだ。

 まさかこれは個人情報漏洩の危機なのか?

 仕方ない、どこでそんな情報を仕入れたのか問い詰める必要がある。 

 「うさちゃんが教えてくれたぜ」

 確かにそんな大穴が身近にいたな……

 気を付けなきゃ。

 「……あまり気が進まないんだよ」

 「やらなきゃいいじゃないか」

 なんでそんな事で悩んでいるのかと理解に苦しむと言うように、ニシゴリは肩をすくめる。

 たしかにその通りだが、間違ったことは言ってないのがさらに気に入らない。

 「なんて君は愚かしいんだ。秋風くんがそう簡単に事を決められるというなら悩むこともなかろう」

 またしてもさっきと同じ所で思わぬフォローが入ったので左の席をみたが、小嵐はやはり教材から目を離していなかった。

 ふむ、フォローされたのはいいが、なんかありがたみはないんだよな。

 まあ、放っておこう。

 そう思ってまた視線を戻したのだが、今回はニシゴリが小嵐に声をかけた。

 「おまえも話にまざりたいんならこっちに来いよ。なに教科書いじってんだ」

 俺の視線にも反応しないその態度からニシゴリの言葉も無視するかと思いきや、小嵐はまるで待ちわびたようなタイミングでこちらを振り向いた。

 「弄るとはなんだ。僕は学問の徒だ、学び事に勤しんで何がわるい」

 「盗み聞きしながら出来るもんかよ」

 「盗み聞きとは人聞きの悪い!讒言ざんげんだ!」

 ニシゴリの言葉に興奮した小嵐が席から立ち上がって、そう叫んだのでそのままニシゴリに駆け寄るのかと思ったら、しばらくニシゴリの視線を受けた後、またすぐ教科書に視線を戻した。

 まあ、ニシゴリはゴリだけに威圧感あるからな。

 しかし、実際のニシゴリという男は俺に匹敵するほど運動嫌いで、図体だけでかいオタクだ。

 そしてバカである。

 「ざんげんってなんだ?」

 ほら、本人はこのザマだ。

 頭を掻きながら頭をかしげるその姿はまさに類人的に見事だったけど、それはともかく。

 「とにかく、小嵐の言う通り部活を抜け出すことはできんのだ」

 これ以上の余計に探られたくないのでそれだけ言っておいた。

 すろとニシゴリは納得したようで、

 「そうかい」

 だけ言って話は途切れた。

 単純な奴でよかった。

 「ふっ」

 ようやく静になってよかったと安心したとき、鼻を鳴らすような音ががしてなんの音かと思えば、左の席で小嵐が密かに得意気な顔をしていた。

 何なんだいったい。

 小嵐の行動を訝しんでいると、ニシゴリがいきなり何か閃いたように拳で手を叩く。

 「あ、うさちゃんが一緒にやるからか?」

 こいつ何で今日こんなに冴えてるんだ。何か拾い食いでもしたのか。

 「!くっ」

 そしてなんでおまえはそこで悔しそうにしてんだよ小嵐。勉強しろや。

 「そうだったら、うさちゃんも一緒に抜けたらいいじゃないか」

 まだ何も言ってないのになにひとりで先走ってんだ。

 「何を言う。宇佐ひじりさんは優しい方だ。なんの理由もなく部に迷惑を掛けるはずがない」

 ニシゴリの憶測は適当にあしらって終わらせようとしたが、急に小嵐が入って来て反論を持ち出した。

 しかも今度は本格的に話に参加するようで、教科書を丁寧に閉じ、前髪をそっと整えて、そのまま席を立ち眼鏡を中指で押し上げる。気のせいか眼鏡が光ったような。

 何を始めるつもりだ。

 「そうか?方向性を変えて部の方が退出させるのは?」 

 「反語!この学校の部活は自主退部ではないとするなら教師側の手に渡るしかなくなる。そのような事態は二人にとって本望ではないはずだ!」

 とうとう本人抜きに話し始めた。

 しかし俺はともかく、なぜ宇佐の本望が何なのかわかってるんだ。何様?

 「担任とか結構仲いいじゃねえか。頼んでみたら」

 「大前先生は公私の分別を明確にされる方だ。何をバカな」

 「じゃあ部事態をなくすとか」

 「話にもならない!」

 どこかで見た法定映画のように華麗な手さばきで異義と反論を繰り返すニシゴリと小嵐。

 考えることをやめてその様を見つめていたら、いつの間にか教室の視線がこっちに集まって来ていた。

 コントとして見れないことはないが、やめさせるとしよう。

 「なに討論始めてんだ。前提として間違ってるよ。宇佐は別に関係ないから」

 関係なくはないが、こいつらの前で認めたくない。

 これは極めて繊細な私的問題なのだ。

 「だって付き合ってんだろ?」

 繊細さは犬にでも食わせたようなニシゴリがなんの遠慮無く無粋な質問をして来た。

 「付き合ってねえよ」

 以前にも言ったような気がするがな。

 「はあ?じゃあお前と宇佐はなんだよ」

 「……あえて言うと、友人かな」

 カテゴリー分けをするならこのカテゴリーで合ってるはずだ。

 「あれが友人とな。じゃあ俺はなんだ?」

 ニシゴリは俺の答えが腑に落ちなかったのか、渋い顔をしてそう質問してきた。

 「利害関係に決まってんだろ」

 「どんな利害関係だ!」

 「足りないお前を横に置くことによる俺のイメージ上昇だ」

 「害しかないんじゃ!」

 「利害関係で合ってるだろうが」

 俺の記憶では前も同じような会話をした事があるのだが、ニシゴリの反応がキレギレしているところを見ると完全に覚えてないようだ。ここで推測できることは、こいつは人の話を聞かないということだ。

 「……っ!」

 言葉にならない嗚咽のようなものを感じて左を見ると、何故か小嵐の目が少し潤んでいた。

 本当何なんなのお前!

 「それでも……それでも僕は!」

 そのまま席を蹴立てて教室を出て行った小嵐の叫びに合わせ授業ベルが鳴る。俺とニシゴリはしばらく呆然としたが、とりあえずそのまま場は解散となった。

 次の授業に合わせて教材を探しながら俺はさっきの討論でひとつ気になった言葉を思い出した。

 「部をなくす、ね……」

 時は過ぎて金曜日。

 4限目の始まりと共に、俺のクラスを訪れてきた東雲に連行され、俺は廊下を歩いていた。

 乗り気になったわけではないが、理由はなんであれ一応うなずいてしまったし、担任の大前先生からも一回やってみてから考えてみろと勧められたので、とりあえず付き合ってはいる。

 宇佐のことも放っとくわけにはいかないしな。

 同じく部に入られた宇佐は先に行っているようで、俺は不本意ながら東雲とふたりで歩いていた。

 「いまさら言うのも何だが、ラジオ番組って何をどうするつもりだ?」

 今までは関わりたくない気持ちで考えないで過ごしたが、今こうやってそのラジオ番組とやらをするために行く途中ならさすがに聞いておかないとダメだろう。無茶なことに巻き込まれるようなら事前に手を引くべきだ。

 「そんなん、ようくんが心配することないよー」

 軽々しく返事を、東雲は舞い上がっている事を世間に知らせるように軽快に歩きながら答えた。

 「言葉ではなんとでも言えるわ」

 俺が不服の声を上げると東雲はグルッと身を回してこちらを向いた。

 なぜか上半身を若干屈め、足を交差してから俺に答える東雲。

 なんだそのあざとい格好。

 「もう、心配性だなー。よし、ここはあたしがどれだけ頑張ったか教えよう」

 そう言った東雲は器用に後ろ向きで歩きながらことの詳細を語りだした。

 「あたしが初めてラジオ番組を聞いたのはなんと小学生の――」

 「なんでそこまで遡る。要点だけ言え要点だけ」

 まったく余計なやり取りをやらせる。

 こいつがこんなに浮ついてると、なんだか面白くない。

 「そう?ならまあ、かくしてあたしは三週間まえこの学校に転入してきたわけ」

 こいつめ、わざとだな。

 いや、話が短いのはいいことだ。このさい理由や動機はほっといてもいい。

 「ひとつ質問だが、どうやってこの学校に入ったんだ?編入試験だって簡単ではないはずだ」

 重要なのはこれ。

 俺が覚えている東雲亜子は相当の勉強嫌いで、とてもじゃないが、この学校に編入できる実力なんて持ちあわせていなかったが。

 「普通に試験受けて来たけど?」

 東雲は、まったく不思議なことなどないのにお前は何を頭の悪い事を言ってるんだ、との心の声が丸出しになった顔で答えた。

 その嫌みな顔は見るだけで血圧が30くらいはあがってしまうシロモノだったが、今のところ俺に東雲の言葉を否定できるものはなにもないので、黙るしかなかった。

 ムカつく上に納得いかない。

 「……続けてくれ」

 「ここに来て最初にしたのは部活のこと調べたことね。一番目ぼしいのは放送部だったけど、あたしが求めるようなものじゃなかったんだよねーつまらん校内放送だけやろようだし。だから新しく作ることにしたの。そしたら部員が必要だというから、放送部に行ったわけ」

 「そこに行ってどうする」

 放送部にダメ出ししといてどの面でいくんだ。

 というか、こいつが求める番組ってなんだ。

 「掛け持ちできるっていうから、どうせ放送室借りることになるだろうから放送部員を誘いに行ったのよ」

 なんて安直な考えだ。

 「最初に行った時は全員に断れたなー」

 「当然だ」

 「だから放送部長を丸め込もうと一週間くらいに付きまとって部長と友達になった」

 「どうやって?!」

 ご都合主義というか、一週間で友達がどうとか言われてもデタラメにしか聞こえない。

 しかし東雲は肩をすくめて当然のことのように話を続けた。

 「秀美ってけっこう話のわかるやつでさーあ、秀美って部長の名前ね」

 でも考えてみたら、我々生徒が築ける人間関係なんてたかが知れてるし、こいつは人に当たるときにまったく遠慮がないから、関係の進展が早くてもおかしくはない気はする。

 「で、部長の丸め込んだのでそのまま放送部員全員に掛け持ちさせたのね。結局彼らの助けも必要なことだし。まあ、それをうまくするためにあたしも部長の贔屓で放送部の副部長になったんだよ。肩書だけだし、別に反対もされなかったしよかったじゃん?」

 なんだそりゃ。事業拡大前の天下り人事か。

 妙なところで現実的だな。

 部員が何もいえないところが特に。

 「それから部長と話してみた結果、ラジオ番組は昼休みに40分放送。曜日は昼休みにの前の時間、つまり啓発時間を使える月曜日と金曜日。放送のための準備やら実務やらは経験のある部長と放送部員が担当。あたしの役目はようくんを連れこんで和気あいあい楽しく喋ることになったのだ!」

 「……」

 意気揚々な東雲の高笑いに呆れて言葉も出ない。

 聞く限りではなにも問題はない、あまりにも都合のいい話。しかしそれだからにわかには信じれず、むしろ問題だらけにしか思えないのだが、これといった問題点を突きつける事ができないのがものすごく悔しい。

 本当か?本当にこの女の言う通りになってしまってるのか?

 放送部はそれでいいのか?

 「おっと、もう着いたね。あたしたちの活躍の場所に!」

 頭を上げると名札には放送室と書いてあった。

 「……先日の部室はなんだったんだ?」

 「あれはやるっていうから貰っただけさ」

 「お、やってるね、ひでっち!」

 放送室のドアを勢い良く開けて入る東雲と俺に、その中にいる全員の視線が集まった。

 俺はこのように注目されるのは本当に好きじゃないが、東雲はまったく意に介さなずそれぞれの人に挨拶を交わした。中にいた人は宇佐を含めて4人。それぞれ機材をいじってるか、その横で何かを確認してるか、引き出しをいじっていて、何をしてるか正確にはわからないが、暇そうには見えない。

 「あ、秋風君」

 俺を見つけた宇佐がとことこと寄ってきた。

 「なにやってたんだ?」

 挨拶代わりの何気ない質問だったのだが、宇佐は恥ずかしそうに下を向いてただ座っていただけだと答えた。確かにここで宇佐ができることはそうそうないように見える。しかしこう恥ずかしそうにしてる宇佐を見ると悪いことをしてしまった気分になる。もう本当に小動物のように気難しい子だ。

 俺は宇佐に悪かったといいながら周辺に目をやった。

 中はその名前だけあって、放送のためのブースや放送機材、テープとか本とか、その他もろもろが置いているので広い部室にも関わらず少ない人数でも騒々しく感じた。

 そんな騒然とした空気のなか、東雲は人の注目を集めてしゃべり出した。

 「紹介しよう!この男が今日から始まるラジオ番組をこれから導く主役、秋風陽くんです!」

 本人の了解を一切得てない勝手な紹介。

 ここで俺から何か言えることがあるはずもなく、そのまま沈黙すると気まずい空気が流れる。

 素晴らしいほどまでの静寂。

 ここまで来るとむしろこの気まずさを極めたいと思ったが、機材をいじっていた眼鏡の女が無言でぱちぱちと拍手し、残りの連中もそれにつれ、まばらな拍手を送ってきた。

 なぜか屈辱的とまである。

 「で、こっちが放送部長の桂木秀美ちゃんで、そのほかが部員ABCね」

 続いて東雲が眼鏡の女を指して紹介すると、ペコリと頭を下げる桂木さんと部員ABC。

 そんな待遇でいいのかお前ら。

 「それじゃ紹介も済んだことだし、さっそく、昼飯にしようじゃないか!」

 さっきから偉く勝手に場を仕切っている東雲が癪に障るが、どうやらこの場で主体性のある人間は俺しかないらしく、宇佐、桂木さん、その他ABCは黙々と彼女の言う通りに隅っこにある机をもってきたり椅子をもってきたりしながら従っている。

 すごくいやなところだ。

 俺だけは、という気持ちで東雲の言葉に反抗してみるが、

 「なんでいきなり昼飯になるんだ」

 「だって昼休み中は番組だよ?今のうちに食べとかなきゃ」

 こんな時に限って一理のあることをいう東雲にぐうの音を出すしかなかった。

 それからしばらくして、俺達は部室の中央に机ふたつをつなげてつくった仮の食卓を囲んで座った。

 それぞれ持って来た昼飯を机の上に並べると、東雲が意外そうに聞いてきた。

 「おや、ようくんは弁当?誰が作ってくれたのかな?」

 質問は俺にしたくせに、その視線はなぜか宇佐を見ている。宇佐はその視線に気づくこと無く、これまた小動物のようにパンをかじっていた。

 東雲が何を邪推しているのか見当はつくが、身勝手な憶測に過ぎない。

 「自分で作ったものだ」

 「本当に?マメだねー」

 基本的に我家の家事は当番制なので常に俺が弁当を作ってるわけではないがな。しかし妹が作るときは大体サンドイッチになる。

 あっけない事実に興を削がれたのか、東雲はそれだけで納得し、大人しく自分の昼飯に戻ってはこう言い出した。

 「さあ、食べながら会議をしよ」

 どこのブラック企業だ。

 だがまたしても不満を覚えるのは俺だけのようで、他の人員は東雲の言葉に素直に頷き、少数の意見など力を持つことなく食事兼会議が始まる。

 「もうすぐ初めての放送だけど、ひでっち、問題はない?」

 自分じゃ何も手伝ってないくせに偉そうな東雲の質問に桂木さんはこくりとうなずいて親指を立ててみせる。何も問題がないなんて、事がうまく行き過ぎて面白くはなかったが、専門家である放送部長が技術的な問題がないというなら素人の俺がどうこう言えることもない。

 しかしこの人、さっきからなんでジェスチャーだけで話してるんだ。

 「そうか。なら問題ないね。他にはー、別にないか」

 「……」

 「あるだろもっと!」

 誰も東雲の言葉を否定せずに首肯する雰囲気だったので思わず突っ込んでしまった。

 するとそこにいる視線が全部俺に集まって、無言で次の言葉を急かしてくる。

 この不毛な会議に詮索はしないつもりだったが、おかしなところを指摘したことで強制的に発言権が渡って来てしまう。沈黙している人はただ見てるだけ。

 会議のいやなところだ。

 「たとえば?」

 「……ラジオ番組って具体的にどんな内容でいくつもりだ?」

 仕方なく自分の意見を口にする。

 「そりゃラジオで聞けるような内容だよ」

 「そんな雲を掴むような言葉でなにができる。具体的なことを言え」

 「そこはようくんが頑張るとこだね」

 まさかここに来てなにも考えなしかよ。

 投げっぱなしにも程があるだろうと切れ出す直前に、東雲が言葉を続ける。

 「でもまあ、素材は持って来たよ。あたしがラジオ番組を始めるとクラスに宣伝して、色んなメールや手紙を集めてきたのさ」

 そう言った東雲は自分のカバンを漁って十数枚の手紙を取り出し、机の上に置いた。

 何も遊んでいたわけではないというのか。

 俺がこれと言った反論を出せずにいると、得意気な顔をする東雲。

 腹に据えかねるやつだ。

 「まだ決まったフォームはないんだ。これから掴んでいくの。話したいことを話して、時々音楽を流してもいいし。でもラジオ番組は聴取者とのやりとりがキモだし、それを重点に面白いやつを作ればいいのさ」

 自分に向けられた、いくつかの不安や疑問がこもった視線をそのまま受け止め、それらを払拭させるべくと、スラスラと自分の中にいる思いを語る東雲。その顔は俺が知るどの顔よりも輝いてるように見えた。

 「あとはそれぞれがうまくやればいいんだから」

 そして話が終わった頃には、部屋の中にはその東雲の得意気な笑顔と、俺たちの沈黙、そして気持ち悪い熱が残っていた。

 ……こいつ絶対自分の中では「キマった!」とか叫んでんだろう。この場にいる全員が自分の話に感動でもしたと思うに違いない。

 だが俺の目に映る情景はまったく異なる。

 それをたとえるなら、普段イチャモンばかりつける上司が、会議の途中「ひらめいた!」と自分の中のアイデアをいきなり語り出すが、聞いてる分にはふざけてるとしか思えないアイデアで困っていると、上司は得意気になって調子に乗り、「お前らも少しは仕事をしろよ」とふざけているところに、上司のアイデアの不足なところを突っ込むと、「そこはきみたちが臨機応変にやっていくところだろ?」と言ってる場面。

 果てしなくそんな感じがしてならない。

 俺にはその上司が、自分はやること全部やったのになんでお前らは無能なんだって顔をして図々しく去っていくところまで容易に想像が出来た。

 結局、最終的にはこっちにぶん投げるということだろうが。

 「できるわけねえだろ!脳みそがあるなら少しは考えてみたらどうだ?こっちは放送などまったく縁がない素人だ。台本があっても出来るか疑わしいのに、方向性もくそもないのに何ができる!」

 「む、プロでもないし素人だから適当でいいじゃん。あたし達を紹介して、雑談して、喋ることがないなら音楽ながして。ほら出来上がり」

 「お前……」

 頭が痛い。隠喩的表現ではなく本当に痛い。

 言い返さなかったのは言葉がなかったからではない。あの誇らしげな顔をみるとわかってしまうのだ。今のこいつはまったく意味不明な信念とかいうふざけだ名前の意地、いや我執が脳を蝕んで、人の言葉など耳にも届かない。そんなやつを相手するためには相手と同じくらいの強情――

 いやちょっと待て。

 なんでここで俺が熱くなる必要があるのだ。

 俺は付き合わされているだけだ。まあ、成り行きなら最低限のことはやらなくもない、そのくらいのつもりだったが、こいつは自分で適当にやればいいって言ってるじゃないか。

 ならばむしろ好都合。

 なにも出来上がってはないが、それを望むならここら辺でだまっておこう。

 それを望んだのは東雲本人である。

 「心配するなって!こんなの初めてだし、最初はその新鮮な感じだけでみんなも納得してくれるはずさ!」

 納得できるか。

 納得は出来ないが、これでいい。俺が熱を出す必要はない。

 「適当でいいんだな?」

 「おう!」

 どうなっても俺には関係のないこと。むしろ滅茶苦茶になったらむしろ本望だ。

 東雲は俺が自分に説得されと思ってにやけている。あれは気に入らないがここは我慢だ。

 「あの、わたしはなにをすれば…?」

 俺と東雲の話に一段落がつくと、宇佐が恐る恐ると手を上げて、今になって自分の役目を聞いてきた。

 そういえば宇佐がいたな。

 彼女もまたこの部に部員として来ているのだし、当然といえば当然の疑問だけど、ただ見ているだけいいものをなんで自ら面倒事に頭を突っ込むのか。

 「ひじりんも一緒に番組でしゃべるんだよ」

 東雲はニコリと笑って彼女に役割を与える。

 「ええ?!」

 その答えは十分に予想できたはずなのに、宇佐は驚いたように声を上げた。

 「どうしたの?」

 なぜ驚くのかと聞く東雲に、宇佐は慌てて下を向きながら赤くなった。

 「その、は、はずかしいのですが……」

 考えてみれば確かに宇佐には重荷だ。

 基本内気なひとにいきなりラジオ番組とかいわれても無理な話。

 まあ、俺は別にひと目を気にする質でもないので気にしていないが。

 「別に無理してやる必要はないよ」

 不安がる宇佐にそう言ってなだめると、宇佐は縋るような視線で俺を見上げて来た。

 お前が無理することはない。内気なのが悪いわけなじゃないし、嫌なことを無理強いする権利はこの場の誰にもない。どうしても嫌なことをやるとしたら、お金がかかった場合だけにしたほうがいい。

 だからここでお手上げしてもいいんだ。そしてあわよくばここで自分の無力さを痛感して、自ら退部するのも――

 「いえ!や、やります。がんばります!」

 そうできたら良かったんだが、この場で引くのもまた、宇佐の性格なら無理な話だった。

 この子は気が弱いくせに変な所で意地を張る。

 「へえ」

 自分が言い出したことなのに、東雲は意外そうな目で宇佐を見る。

 まあ、昨日今日知り合ったばかりではここで強く出た宇佐に驚いてもおかしくはないだろ。むしろそこまで把握していたなら俺が驚く。

 「よ、よろしくお願いします……」

 小さく頭を下げる宇佐。

 俺にしてはあまりおすすめ出来ないのだが、本人もやる気になってることだし、ここはせめて労いの言葉を送ってやることにした。

 「そんなに心配するな。この学校でお前の声を放送で聞いて分かる奴は多分数えるほどしかいないぞ?」

 「あ、はい……」

 せっかく励ましてやってるのに宇佐は歯切れの悪い返事を帰して下を向いた。気難しい小動物だな。

 「なにそれ。励ましてるの?最悪じゃん」

 「なんでだ。事実だろ」

 外野の避難に反論を返すと東雲はやれやれと首を横に振ってため息をついた。

 それから時計を確認した東雲は残っていた自分のパンを一気に食べると一回手を叩いて視線を集めた。

 「もうすぐ始まりだね。放送準備も問題なし、番組内容も問題なし!それじゃしまってこー!」

 しまるなよ。

 昼飯の後片付けをしたら昼休みの時間まで十分を切っていた。

 放送部の連中はブースと機材の最終チェックをするようで、さっきから手でサインを送ったりしている。しかしこの放送部、寡黙すぎるきがする。声のチェックとかはどうしているんだろ?その以前に、お前ら放送部なのに喋らんのか。

 それからしばらく、東雲と宇佐、それと俺は放送部員のチェックが終わったブースに入って待機することになった。

 放送室に入る時も思っとことだが、ここは高校の放送室にしては質が良すぎるのではないかと思わせるようなレベルの高い施設だった。他の高校の放送室を行ったことはないが、ブースの前に設置された機材もやたら大きいし、複雑そうに見えて、ブースにはってある防音の壁はやたらと高そうな感じなうえ、マイクは普通に見られるやつではなく、なんか逆さに吊るされている。こんなの使ってるのか。

 こんなにも絵に描いたようば本格さ見せつけられと、さすがの俺も少し興奮するのは否定出来ない。

 少しだけだが。

 「あたしたちが知るべきことは放送のはじまりと、マイクの使い方だけね。他の技術的なものは全部放送部がやってくれるから」

 そのためなのか、ブースの中に部長の桂木さんが一緒に待機している。

 「話すときはこのボタンね。それと――」

 放送部に入って遊んだだけではないらしく、寡黙なら放送部員の代わりに東雲がマイクの使い方などをレクチャーした。その説明は少しいい加減な点があったが、わかりやすくはある。

 「あれ?ひでっち、これ前言った時と違うよ?」

 それに、自分でもわからない時には桂木さんに助けを求める姿勢は悪くない。こうやって見ると、まったくダメ人間ってわけでもないんだが。

 ちなみに助けに来た桂木さんはプロらしい動きであっという間に問題を解決して自分の席に戻った。今更だが、さすがプロというべきか。専門家はすごいと感じる。

 戻る時ちらっと桂木さん見た時、視線が合った桂木さんは俺に親指を立ててみせた。

 なんだそりゃ。

 ちょっと頼もしいじゃないか。

 レクチャーも終わり、俺達三人は時間が来るのを待つ。

 「さあ、いよいよだね。あれが点灯すると本番だよ」

 東雲が指したところにはランプがひとつ。オンエアーとか書いていて、それらしい気分にさせる。

 横を見ると宇佐が小さく震えていた。

 緊張しているのだろう。

 その姿が不憫に思えて、俺は宇佐の緊張をほぐすために励ましの言葉を伝えた。

 「緊張するのはお前が事を大きく考えすぎてるからだ。いまからやるのは別に大したことない部活なんだよ。たかが高校の部活で心配するほどの事態がなにがある?顔も見えない相手に勝手に喋るだけだ。実のところ聞かれるかどうかも怪しいがな」

 「そ、そうでしょうか」

 俺なりに気を使って言葉を伝えたつもりだが、効果はイマイチのようだ。

 いまだガチガチに緊張している宇佐をどうしたものかと思っていると、意外と東雲からフォローが入る。 

 「ひじりんはこっちから話をふるからそれに答えるだけでいいよ。大事なのはようくんのボケだから!」

 「ボケるか」

 フォローだけでは終わらず、余計な一言をあえて付け加えるその曲がった根性には嫌気がさすが、どうやら東雲の言葉は効果があったようで、宇佐ははいと答えてすこし落ち着いたように見える。

 やることを具体的に指示してやったおかげだろうか。

 東雲にしては宇佐の特性をよく見ぬいたものだが、最初からこんな穴だらけの騒ぎにしたのは東雲なので自分の尻を拭っただけなので評価はしない。

 その以前に宇佐がこんなことに付き合わなきゃいいことでもあるが。

 「もうすぐだね」

 時計を見るとあと三分。

 誰も静にしようとは言ってないが、自ずと場は沈黙が支配していた。

 プロとかならまだ余裕を持って雑談したりするのだろうか。

 だとしても特に話すこと無く、手を余している俺は机の上に揃えて置かれている手紙の束を確認することにした。

 軽く目を通すと、その中身は大体女の子が書いたと思われるくだらない雑談ばかりという事がわかった。何枚か男子が書いたのもあるが、内容にしては大差はなく――……

 ふと、俺はニシゴリと小嵐の会話で、部をなくすという言葉に引っかかったのを思い出す。

 もちろん俺はいまから始まるこの番組をわざと下手をしたり、空気を読まないで台無しにするつもりはない。そんな事をしたって東雲が諦めたりはしないだろうし。

 何よりそんな方法は、俺自身としてあまり気に入らないのだ。

 俺には俺の流儀がある。

 一応自分で承諾した事に悪足掻きをして無様を晒すのは好みではない。

 物事を進める時には必ずスマートで滑らかな方法がある。そして俺は手紙の中で、もっとも俺に似合う方法を見つけたのだ。

 東雲のやつは、この手紙の内容を確認してないのだろうか。

 不用意だな。

 これなら容易くこのバカ騒ぎをなかったことにできるだろう。

 「よし、やってやろう」

 時計はもう昼休みの時刻を示していた。

 ーON AIRー

 チャイムが終わってからもしばらく校内スピーカーは落ちる気配がなく、その事に気づいた何人かの生徒が何事かと頭をあげた時、軽快な音楽と共に可愛らしい声が流れて来た。

 『はい!皆さんこんにちはー、そしてはじめまして!こちらは私立センザキ高校ラジオ番組部、部長の東雲亜子と!』

 『……ニシゴリだ』

 『え?あ、その、宇佐ひじりです……』

 普段とは違う昼休みの始まりに生徒たちの反応はそれぞれだった。

 いきなり始まった放送に興味を持つ生徒もいれば、怪訝な顔をする生徒、まったく関心がなく昼飯に集中する生徒、あげくは放送をうるさく思う生徒など、生徒は各自多様な反応を見せている。ただひとつ確かなことは、多くの生徒がこの放送に注目しているということだった。

 『この放送は今の三人が送りするラジオ番組です!いきなりの放送に驚いてるひともいると思うけど、実は掲示板にも載せたしいきなりの話ではないのよねこれが。だからみんな!固まってないでお昼ご飯食べながら気楽に聞いてね!きゃは☆』

 『あざとくて吐き気がする』

 『ひどーい!』

 何人かの生徒は放送に聞き入ったようだった。昼飯を食べる手を止めて微かに笑った人もいれば、男の言葉に同調して顔をしかめる人、聞かないふりをしながらも表情が微妙に変わる人もいる。

 『さて皆さん、いまラジオ番組とは言ってましたが、実はいまだどんな形式でいくのか、どんな内容にするのか、ましてはこの番組の名前さえも決めてないんです!』

 『ははっ』

 『う、あう、うう』

 『だからこの初放送で!これからの事、その全てを話し合いながら決めようと思います!』

 放送に興味が無い生徒を除いて、いま放たれた女の発言に対する生徒の反応はひとことで言うと、よくわからないということだった。中にはひとりでに「なにそれー」などと口に出す生徒もいる。

 聞いてる生徒の中で一部は、この時点で聞くことをやめてもとの昼休みに戻った。

 『最初に決めるのはーそう、一番大事な名前!この放送の名前を決めましょ!何がいいかな?ひじりん、何かアイデアある?』

 『え!あ、その、それが』

 『うんうん、落ち着こう?さあ、息を吸って、息を吐いてー。ひーひーふーだよ?』

 『ひー、ひー、ふー』

 『言っておくが俺は突っ込まんぞ』

 『もう、こんな定番ネタ本気でしないってー!さあひじりん、アイデアをどうぞ!』

 『え、えと、その、番組のなまえ、ですよね……センザキラジオとか…?』

 『ぶー!残念です!』

 『お前がn――チッ』

 『はいツッコミありがとうー。その勢いで意見をどうぞ!ステキなやつで!』

 『その判断基準はなんだよ』

 『ラジオ番組らしい、それにてセンスのある名前がほしい!』

 何人かは今のやりとりを聞いて笑う生徒もいたが、殆どとの生徒は無表情のまま。放送する者たちの思惑はどうであれ、放送はあまりいい反応を引き出してはいなかった。

 『ラジオ番組らしいってなんだ。センザキショーとでも付けたいのか?』

 『うむむ~惜しい!もっとセンスを入れて!』

 『はあ……じゃあ今日が金曜日で、今が昼休みだから、フライデーランチ・ショーでいいんじゃね』

 『お、なんかいい感じ!それにしよう!』

 『あ、あの!こ、この放送、月曜日もやるのでは……』

 『そうだったな』

 『ふむ……でもマンデーは語呂が悪いしフライデーでいいよ。名前なんて飾りだしね』

 ここで改めて教室の中を覗くと、放送が始まるときの普段とは違うことに対する異様な空気はすでに消え去って、学校は日常のそれを取り戻していた。慣性とでもいうべきか、日常を取り戻す速度は早すぎて、イレギュラーはイレギュラーの意味を失っている。

 放送する者たちがこの風景をみてどう思うだろう。

 しかしスピーカーにカメラなどあるはずもなく、放送は続いた。

 『名前も決めたし、次はこの放送の行く末を語り合おう!が、その前に!このノリちょっと疲れるんであたしも素でいくね』

 『疲れるんならやるなよ』

 『だって最初は盛り上げたいじゃん?』

 ラジオ番組部を名乗ってはじまったこの放送は、その特徴である注目度において、いまや完全に力を失っていた。

 何が原因なのか。

 喋る者たちの器量?それかも知れない。マイクを前にしてこれだけスラスラと喋れるのは高校生にしては大したものだろうが、それだけでは足りない。

 それとも番組の内容?一理はある。目的性もなく、ただの喋るだけのことは、いま隣で行われている雑談と変わらない。雑談だけでもひとの注目を集める放送もあるが、それは雑談するひとが持つ力だ。この放送をしているのはそこらへんの高校生でしかない。

 他も理由は多いだろう。声が気に入らないかもしれないし、古いネタが気に入らないかも知れない。人が多い分、理由もたくさんあるだろう。

 ただ、この放送に生徒たちの気を引ける確実ものがなかったことだけは確かであった。

 『あ、そうだ。行く末を語る前に、実はこのフライデーランチ・ショーをはじめることを知って手紙を送ってくれた方々がいるの。それらを先に読み上げるとしよー。さあひじりん、手紙からひとつ選んで読み上げて』

 『あ、はい!わかりました。ええと、これにしますね。こほん、

 《やっほー☆、あっこちゃん元気?》』

 『やっほー!あたしは元気ですーあはは。あ、続き読んで』

 『は、はい。では……

 《今度なんかラジオやるんだって?あっこって本当にオモシロイよね!よくわかんないけどガンバ!それとこのまえのカラオケは楽しかったよ!またいこ!》

 …という内容でした』

 『あはは、完全にあたし宛の手紙だったね。とりあえずありがと!それじゃ次はあたしが読むね。どれどれ、これにしよ。

 《こんにちは、同じクラスの――》

 おっと、実名は防ぐよ。はいこんにちはー!……こういう時は一緒に挨拶するんだよ』

 『す、すみません!こ、こんにちは』

 『……ちは』

 『よしよし。

 《このたびは部活でラジオ番組を始めるそうですね。頑張ってください》

 応援ありがとー!

 《その件でラジオ番組に送るような手紙がほしいとのことでしたが、私はラジオ番組を聞かないのでよくわかりません。そのかわり最近起きた少し困ったことを書きたいと思います。これでいいのかはわかりませんが、愚痴だと思って聞いて下さい》

 もちろん大丈夫だよ。むしろガンガン送ってねー。

 《実はこの前、知り合いから私の話し方が少し変わってると言われました。どこが、って聞いてもただそんな感じがするだけって言うし、軽い感じの話だったのでその時は深く考えませんでした。でもある時ふと気になり始めて、今では何かを話す前に自分の話し方はなにか問題があるんだろうかと、心配してしまうんです。私はどうしたらいいんでしょう?》

 うーうん。これはさっそく悩み相談の手紙が来たね。この問題は――あ、そうだ。これからの放送に悩み相談コーナーを作るのもいいかもしれない。どう思う?』

 『ならまず相談してやれよ』

 『あ、そうか。うん、知り合いの言葉が気になって仕方がないという悩みだったね。これは……気にしないほうがいいよ』

 『身も蓋も無さすぎるだろ』

 『じゃあ他にいい方法でも?』

 『気にしないのが一番いいだろ』

 『ほら!』

 『だがどうしても気になるなら、その知り合いとやらにとことん問い詰めるべきだろ。何がおかしいのかわかるまで話し合って、そのわかった結果を自分で判断して直すか受け入れるか決めればいい』

 『おお、なんかいいこと言うね』

 『でもまあ、無理だろ。知り合いがそんなの付き合ってあげると限らないし、何よりそこまでやる神経を持ってるなら気にしない方が楽だ』

 『振り出しに戻ってるしー!あはは、まあ、でもいい話だったよ。手紙をくれた人も参考にしたらいいと思うよ。それじゃ次はよ――、あ、なんだっけ?』

 『ニシゴリと呼べ』

 長らく続く放送に、生徒たちの反応はそう変わらないように見えた。

 ただひとつのクラスだけは、放送に耳を傾けて盛り上がっていた。

 そしてそのクラスの中のひとりの女子生徒が’、ただひとり真面目な顔で今までの内容を傾聴していた。

 『俺のも悩み相談だ。……これは結構切実な悩みをひとつの文章に含蓄させた手紙だよ』

 続く放送から流れる男の声がいままでのやる気なさとは違う音色を浴びていた。

 『それは気になるなー。どういう内容?』

 『内容は――

 《セックス!セックスがしたい!》

 だそうだ』

 『ひゃひっ!?』

 唯一盛り上がっていたクラスの片隅から、男子生徒たちの笑い声が溢れだす。

 勘のいい少数の女子生徒は、そのなかに今の話の主人公があると気づいた。

 『おっと、それはずいぶん行き詰まった悩みだね。うん、生き詰まってる。では次の――』

 『いや。次に行く前に、俺はこの悩みを真摯な姿勢で相談してやりたい。どんな悩みも軽く流してはいけないだろう。ここは思う存分に話し合おうじゃないか』

 『へえ、よ――ニシゴリくんがそこまで言うとは』

 『俺は基本、誠実だからな』

 『そう。じゃあ、あたしもどこまでも付き合ってやるよ』

 『はう!あ、あの……!』

 『何を慌てている。たかが性の悩みだ。万人の悩みといってもいいくらいありふれたものだよ。問題は公論化することで様々な意見が集まりようやく解決の糸を掴む。それを恥ずかしいという理由だけで包み隠そうとするからどんどん悪化するんだよ』

 『ふええ……』

 『さて、セックスをしたいという、つまり持て余す性欲を性交渉で解決したいという悩みだったが、これが悩みになる根本的な理由は、やりたいが出来ない。という現実にあるとみていいだろう』

 学校全体で、いままでとは違う空気が流れた。

 ざわざわする生徒たちが、自然に放送に集中する。

 気にしていなくても聞こえる部分があるし、自分の耳を疑うようなことを聞いてしまえば、その対象に注目してしまう。そしてそんな友人に気づいた生徒もまた、放送に集中するようになっていった。

 『この現実の原因は供給と需要の問題という話がある。一般的な日本社会で、男はセックスを求める需要側で、女はそれを提供する供給の側に立っている。男は快楽を求め、女は与える。しかし需要の方が供給を遥かに上回るため、殆どの男はセックスに困窮しているとの事。頷ける話ではあるが、ひとつ疑問を抱かざるを得ない。本当に女は供給側だけに立って入るのか?』

 『どういうこと?』

 『なんで男だけがセックスを求めるように見えるのかという話だ。もちろん学問的理由は聞いたことがある。男は自分の種を確実に撒くために積極的に、女は生存性の高い子孫を持つために消極的になったということだが、俺が知りたいのはそんな進化学の話以前に、なんで女はセックスを求めないのか。遺伝子がどうこう言っても、自分の考えがないわけじゃないだろ?』

 『そんなの、ひとによるんじゃない?聞いてどうするの』

 『はううう……』

 『需要過剰なら供給を増やす。一方的な需要と供給の関係じゃなく、互いが互いの需要と供給になるならこのセックスのインプレは解消されるのでは?との話だ。わかるか?わからんでもいい。要は女の考えだ。ぶっちゃけ、男は女の体だけあればセックスができるし、やりたいと思う。しかしお前は、つまり女はどのような男とセックスをしたくなるのか、その条件はなんだ?』

 『ひうっ?!』

 『あたし?そうね。まあ、やりたくなるという点ではやっぱり肉体的なことは気になるね。でもそこは趣向が結構分かれるし、なによりそれだけじゃやりたいまではいかないんだよね。あえていうと雰囲気とか?』

 『ひゃいっ!?』

 『宇佐、さっきからうるさいぞ。雰囲気だと?そんな曖昧言葉で納得できるか!もっと真面目にやれよ』

 『お、おう』

 『具体的な答えができないのなら質問を詳細にしてやる。女だって性的快感はあるのだろ?』

 『まあ、そりゃ』

 『男根を入れたらどんな感じだ?快楽ではないのか?』

 『一律にそうとは言えないね』

 『そこを詳しくだ。どの部分がどんな感じになるのか。外陰部と内側の感覚を別々に説明たのむ。これは男の場合と比べて共通的な認識を引き出せるためだ。あ、ちなみに男のメカニズムは単純だ。しこるといい。それは例えるなら性器という蛇口を力任せにひねて、つまり詰まった欲望を一気に噴出させるようなもの。おかずは潤滑油といえるだろう』

 『あ、秋風くん』

 『宇佐は少しだまってくれ。さっきも言ったように包み隠しては何も解決しない。なんで性を汚いものにしようとするんだ。性は人間の根源的のようなものだ。この世がどれだけ性行為に満ちているのかわからないか?学校で男子生徒を30人見たとしよう。その30人は昨日をオナニーしたか、もしくは今日オナニーをする人達だ』

 『でもそれ男だけじゃん?』

 『ほう、ならもっとわかりやすく世界に満ちているセックスを暴いてやろう。お前は17歳だろ?だったらいまから17年の前に、そこにはセックスがあったのだよ。わからないか?今この場では少なくとも6回のセックスが確定している。街に出てそこにあふれるセックスを数えてみろ。何十年のものあれば、たったの数年のものもある。妊婦――』

 学校の雰囲気は確かに変わっていた。

 全校に流れるあられもない会話に、いまや放送が届く範囲にある人の殆どとが放送に集中していて、その内容を確実に耳に届けている。

 そしてそれは各クラスだけの事ではなく、職員室も同じであった。

 『うん?なんだ?お、先生。どうしまし――』

 その言葉を最後に、その日の放送は終わった。

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