第8話 星の船と見知らぬ声

「こんばんは。少し久しぶりね」

 数日経った後の夢渡りでの、波乃香はのかの最初の言葉はそれだった。

「昼間あんまりにも眠いからね。ちょっと回数を減らすようにしたんだ」

「そうね。毎晩のように夢渡りをするのは私くらいみたい」

「そうなの?」

「普通は休日の前の日を利用して行うようね。昼間眠いのは辛いもの」

 波乃香の声が少しだけ自嘲気味に聞こえた。つかさは気になっていた別のことを尋ねる。

「そういえば、波乃香ちゃんって必ず聞くよね」

「何を?」

「えっと。確か『貴女はこの世界の少女?』って」

「その世界の少女じゃなきゃ心幹しんかんを扱えないの。世界によっては似たような女の子が沢山いたりするから、念の為に聞くことにしているの」

「それで、その少女のお願いが叶えば、仲良くなれて心幹を繋げてもらえるんだね」

大雑把おおざっぱに言えば、そう」

 ふむふむ、とつかさが頷く。

 夢の狭間の中を進み、

「今晩はここ」

 と、波乃香が呟いて立ち止まる。その扉は赤いステンドグラスがはめられた扉だった。様々な赤は、夕日のようにも花のようにも血のようにも見えた。


 扉を開けると、そこは黄昏の丘の上だった。丘の上には小さな教会があり、丘のふもとは薄い闇に覆われてよく見えない。教会の入口に黒い服を着た少女が立っているのが見えた。

 近付き話しかける。少女は喪服を着て黒い手袋をはめ、黒いベールを被っていた。

「貴女が、この世界の少女?」

「はい」

 そう言う喪服もふくの少女の声は、澄み渡るような声だった。

「貴女の願いを叶えに来たわ」

「私の……願い……?」

 少女は微かに首をかしげる。少女の顔は黒いベールに覆われ、よく見えなかった。

少女は少し考えて、上空を指差しこう言った。

「あそこに行きたいの」

 つかさと波乃香は空を見る。空のずっと上の方を、丸い底の船のようなものが浮かびゆっくりと進んでいた。

 つかさが少女に尋ねる。

「あれは何?」

「星の船。私のとても大切な人が乗っているはずなの」

「貴女は乗れなかったの?」

「私は……乗る資格がないの」

 少女は悲しげに頭を降る。

「そう……」

 つかさは、横に立っている波乃香を見る。波乃香は俯いて少し考えるような顔をしていた。つかさは続けて少女に尋ねた。

「あそこまで行ければ良いの?」

 少女は少し困ったような顔をしたあと、頷く。

「つかさ、何を言い出すの」

 波乃香が慌てて制止する。それにつかさは明るく返す。

「大丈夫。私ならあそこまで連れていけると思う」

 つかさは少女に近づく。

「ちょっと失礼」

 一応断りを入れて少女を横抱きする。そして大きく翼を広げ、少女を抱えたまま空へ羽ばたいた。

「つかさ!」

 地上に残された波乃香が叫ぶ声が聞こえた気がした。

 あっという間に地面から離れ上空を飛んでいく。黄昏だった空はいつの間にか日が落ち、星が瞬き始めた。

 雲を抜け、星の船と呼ばれた飛行物が目の前に現れる。近くで見る船は、木造であちこち隙間や裂け目だらけだった。

 どこから乗ればいいだろう、もっと上のほうだろうか。つかさはそう考えながら船に触れようと手を伸ばす。

 その瞬間、船の底の裂け目が瞼のように開き大小様々な目玉が現れる。そして目玉が一斉につかさ達を見た。

 目玉に睨まれた途端に意識が飛んで、つかさは少女を抱え真っ逆さまに落ちていく。

 雲を抜け、上がってきたときの倍の速さで地面に激突する。激しい音を立て、土埃が舞い上がる。地面にぶつかる直前に翼が二人の体を覆い衝撃を吸収した。

 翼は消えてしまったが、二人は殆ど無傷で済んだ。

 必死に後を追ってきた波乃香が駆け寄ってきた。

「何してるの!」

 波乃香が声を荒げる。

「あはは……失敗失敗」

 つかさは笑って返す。

「だから止めようとしたのに」

 波乃香はつかさと少女を助け起こしてから、空に浮かぶ船を見て言う。

「あれに乗るのは不可能よ」

 きっぱりと言い切る波乃香につかさが尋ねる。

「どうして?」

「その子も言ったでしょう? 乗る資格がないのよ」

「どういう意味?」

 波乃香は二人の服に付いた土埃を払い立たせたあと、少女に向き直り静かな声で聞く。

「貴女の大切な人、お亡くなりになられたのね」

 波乃香の言葉に驚くつかさとは裏腹に、少女は冷静に返事をする。

「はい」

 波乃香は再び船を見る。

「で、彼はあの船に乗っているのね」

 つかさも星の船を見る。ゆっくりとだが、確実に船は地上を離れ、より高い空へ向かって行っている。

 喪服の少女は波乃香の問いに少し考えて応える。

「そう……なるわね。『彼』はあの船に乗って、星のところに行くのよ」

 波乃香が少女に尋ねる。

「貴女も、星のところに行きたい?」

「行きたいわ。でも、行かないわ」

 少女の声には、はっきりとした意志が感じられた。

 つかさは不思議に思って聞く。

「それで、本当にいいの?」

「思い出が、瞼の裏にあるから」

 少女はそう言ってベールを外し、伏せた瞼をゆっくり開いた。右目は蒼玉のような青い瞳、そして左目は紅玉のような義眼だった。赤い瞳が淡く光る。

 波乃香が尋ねた。

「これが、貴女の心幹?」

「はい」

「私の心幹と繋げてくれるかしら」

「はい」

 波乃香が少女の顔の前に手をかざし、二人が盟約を唱えた。


 夜の丘を降りて扉をくぐり、夢の狭間まで戻って、波乃香が言った。

「今回ばかりは本当にひやっとしたわ」

「ごめん。夢渡りって、結構難しいね」

 波乃香はため息をついて言う。

「案外つかさって人の話を聞かないわよね」

「返す言葉もありません」

 つかさが平謝りする。

「でも……それがあなたの美点なのかもしれないわね」

 意味深に言う波乃香に、つかさは曖昧に笑って聞く。

「それは、褒めてないよね?」

「そんなこともないけれど」

 波乃香の口調から、彼女の心情を読み取ることはできなかった。

 そして、目が覚めた。


 目を開ける直前。夢の狭間の暗闇から抜ける途中。


 ――ここはどこ

 ――誰もいないの

 ――消えていく


 声が聞こえた気がした。どこかさみしげな、さまよっているような、声。


 ――……私、を

 ――私を……見つけて


「誰……?」

 つかさは眠い目をこすりながら体を起こす。

 朝の薄暗い室内に、つかさと波乃香の二人以外、誰もいなかった。


 その日の昼休み。つかさは食堂で波乃香とほまれ友音ともねの三人と昼食をとっていた。

「まぁ、とりあえず鬱陶しさが軽減されて良かったわ」

「あはは……」

「もぉ誉ちゃん、そんな言い方しないの」

 毒を吐く誉を制して友音がつかさに聞く。

「学園には慣れた?」

「なんとかやってるよ」

 つかさはおどけて肩をすくめる。

「それならよかったわぁ」

 友音は胸をなでおろす。誉は、斜め向かいに座ってぼんやりしている波乃香に言った。

「こっちは相変わらずみたいだけどね」

「ぬー……?」

 半ば寝ぼけながら食べる波乃香が曖昧な返事をする。

 つかさが、波乃香の口元が汚れているのに気づいて言う。

「ほーら波乃香ちゃん。口にソースがついてるよ」

「むぐ……」

 つかさに口元を拭われ、それにおとなしく従う波乃香。

「ありがと……」

 波乃香は感謝の言葉を呟いてまた食べ出した。

「ホントに甲斐甲斐しく世話するわね」

 様子を見ていた誉が口を挟む。

「ほっとけなくてね」

 つかさが困ったように笑う。

「確かに仲良くしろみたいなことを言った覚えはあるけれど、そこまでくっついて世話しろと言ったつもりはないわ」

「え? そんなにくっついてるかな」

「端から見たらね」

 誉が呆れ気味に言う。

「人に説教する前に、誉ちゃんもちゃんとしようねぇ」

 皮肉じみた口調で友音が言う。怪訝そうな顔をして誉が返す。

「何の話?」

「ブロッコリー、残してるぅ」

 友音が誉の前に置かれた皿の上を指差す。

「私、森を食べる趣味はないの」

 誉は悪びれず言い放つ。

「森……?」

 不思議な表現だ、とつかさは思った。友音が食い下がる。

「もったいないよぉ」

「なら貴女が食べればいいじゃない」

「そういう問題?」

 友音は口を尖らせる。誉は手に持ったフォークでブロッコリーを突き刺し、尖らせた口の近くに持っていく。

「ほら」

 目の前に突き出されてしまった友音は、ますます口を尖らせつつも結局口を開けることにした。

「あーん」

 わざとらしくそう言って開ける友音の口に誉がブロッコリーを放り込む。

 そのあと、友音の皿の上に目を向け言う。

「そもそも、貴女だって残しているじゃない。それは何?」

「だって鶏の脂身苦手なんだもん」

「食べなさいよ」

「むぅ」

 友音は再び口を尖らせる。箸で肉をつまみ、誉の口元まで持っていって言う。

「おあいこ」

 誉はすぐさま無言で肉を口に入れた。

 その様子をずっと見ていたつかさがぼやく。

「あの……、二人の方も大概だと思うよ?」

「何の話?」

 誉がつかさを睨む。つかさは不満に思ったが黙っておくことにした。

 不満そうなつかさの頭を波乃香が撫でる。

 しばらくお互い大した話もせず食べ進めていたが、およそ全員食べ終えたところで、友音が話題を振ってきた。

「ところでー。昨晩も出たらしいわね」

「何が?」

 つかさの疑問に誉が応える。

「幽霊でしょ」

「幽霊?」

「最近寮で出るって専らの噂よ。誰もはっきりと見たわけではないらしいけれど」

 興味なさそうに言う誉。友音は声を潜め芝居がかった口調で続ける。

「なんでもぉ、水色のセーラー服を着た、髪の長ーい女の子が、ふわーっと鏡の中を横切るんだってぇー」

 波乃香が首をかしげて呟く。

「鏡の……中……?」

 波乃香の言葉に誉が質問をする。

「よくある怪談では、幽霊は鏡に映らないのではないの?」

 誉の指摘に友音が首を傾ける。

「言われてみれば確かに」

「見間違いってこともあるだろうし、そのうち分かるでしょう?」

 誉がそう締めくくってその話は終わりになった。

 つかさは、今朝聞いた気がする声のことを言い出そうかと考えたが、実際に姿を見たわけではないな、と思い起こし黙っておくことにした。

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