第9話 亀の速度でも

 放課後。つかさは波乃香はのかを連れて図書館に来ていた。図書館で本を借りて一緒に勉強しようと誘ったからだ。

「難しいのはいやー」

 乗り気ではない波乃香に、参考書とは違う本を探す。

「とりあえず、こういうのからでいいんじゃないかな」

 つかさはそう言って数理パズルがまとめてある本を渡した。

「うーん……」

 しばらくぼんやりと見ているだけだったが、いくつか分かると一人夢中になって解いていた。

 ここ最近、波乃香と本を読んだり勉強したりするようになって気づいたことがある。

 波乃香は最初、字を読むこと自体面倒臭がっていたが、少し慣れてしまえば特に問題なく机に向かっていることができるようだった。

 暗記と複雑な計算は苦手なようだが、物覚えが悪いわけでも論理的に考えられないわけではなかった。そもそも、夢渡りの度に報告をしているのだから、書き物自体に抵抗はないだろう。ちゃんと見せてもらったことはないが、文章がめちゃくちゃこともおおよそない。

 今までぼんやりしていたのは、単純に睡眠が足りていなかったり、いい加減な生活を送っていたりしたからのようだ。

 ただ、面倒がるのは簡単に改善されるわけでもなく。

「疲れた」

「え、もう?」

 集中できれば気を散らすことはないのに、ふとした瞬間に集中力が切れてしまうとまた同じことをするのは難しいようだった。集中が保つ時間もまちまちだ。

「これ、できない」

 波乃香は今開いているページを指差し言う。

「とりあえず飛ばして、違うのをやったらいいんじゃない?」

「負けた気がする……」

 波乃香はブツブツ言いながら次のページをめくる。気が進まないのか、つかさのことが気になるらしい。

「ところで、つかさちゃんは何をしているの?」

 波乃香はつかさが書いていたノートを覗く。

 記号と数式、その横に直線と曲線のグラフが書かれていた。

「二次関数だよ」

「うぇ……」

 波乃香はちょっと参考書を見るだけで嫌そうな顔をした。

 不安そうにつかさに尋ねる。

「これ、私もやらなきゃダメなの……?」

「来週くらいから少しずつ始めようと思ってたんだけど」

 あっけらかんと言うつかさに波乃香が眉間に皺を寄せて聞く。

「冗談でしょう?」

「そんなに怖がらなくても、ちょっとずつやるから大丈夫だよ」

 つかさは笑って応えるが、波乃香はむくれて言った。

「どうしてテストもないのにやるのぉ……」

「テストがあるから勉強するってもんじゃないでしょ」

「むぅ」

 口を尖らせる波乃香に、つかさは少し心配になって聞く。

「ねぇ、波乃香ちゃんは勉強嫌い?」

「つかさちゃんと本を読んだり本の内容について話したりするのは好きだけど、勉強は苦手」

 波乃香は窓の外を眺めながら呟く。

「私、あんまり成績良くなかったから……。学園ここならテストもなくて楽ちんなのに」

 そうぼやいて机に突っ伏す。そして、普段は出さないような低い声でこう言った。

「テストなどというものがあるから、少女たちの悪夢が終わらないのだ……!」

「そんな大袈裟な」

 つかさは笑い飛ばそうとするが、波乃香は顔だけ起き上がって不機嫌そうな眼差しを向けて言う。

「つかさちゃんも一度、紙の束や筆記用具が襲いかかってくる世界に入ってみればいーの」

「本当にあったの?」

 つかさは少々オーバーに驚いて尋ねた。

「だいたいそんな感じのなら?」

 首をかしげながら言う波乃香を見て、結構いい加減だな、とつかさはぼんやり思った。

 つかさは優しく諭すように話す。

「確かにここではテストもないけど、それでも授業は私たちには簡単すぎるよ」

「きっと小さい子に合わせてあるのね」

 教室内の生徒たちは年齢もバラバラで、一番年下の少女は十歳に満たない子も混ざっている。

「それに全部の科目を先生一人でやるのは無理があるしね。だから、あとは自分たちでやらなきゃ」

「むうぅ……」

 波乃香がむくれる。

「大丈夫。私もそんなに頭がいいわけじゃないけど、できるところからちょっとずつやればいいんだよ。それこそテストがないんだから」

 とつかさは言って、波乃香の頭を撫でた。

 波乃香は不満そうにしていたが、つかさの手は退けずに解きかけの魔方陣とにらめっこしていた。


 その晩の夢渡りで、今晩開く扉を探しながら波乃香がこう切り出した。

「潜ってから出会えるまでの時間が短くなった気がするわ。だいぶ慣れた?」

「そうかも」

 つかさは深く考えずに相槌を打ったが、ふと思い当たって聞いてみる。

「今まで気づいてなかったけど、波乃香ちゃんが眠ってから、私がここに来るまで結構待たせちゃってた?」

「どうしても時間差が出ちゃうのはしょうがないわよ」

 首をすくめる波乃香。つかさは両手を合わせて謝る。

「うわぁ、なんかごめん」

「別にいいの。大した問題じゃないから。変な気を使わせてごめんなさい」

 波乃香が頭を下げる。つかさは慌てて話題を変える。

「いやいやいいって。それよりさ、前回の日誌を書いたときに気づいたことで、聞きたかったことがあるんだ。起きてる時の波乃香ちゃんに聞いても覚えてないって言われちゃって」

 波乃香が下げていた頭を上げて聞く。

「何かしら」

心幹しんかんを繋ぐのって、心幹に触ってなきゃできないの?」

「できるだけ近い方がいいけれど、直接触っていなければできないってわけでもないわ。気持ちの問題だから」

 つかさが一回前の夢渡りのことを思い出しながら言う。

「前、心幹が義眼だった子がいたでしょ? いくら義眼でも目に直接触ることはできないよねって思って。今までは直接触ってることが多かったと思うんだけどさ」

「持ち主の少女本人が直接触っている必要はあるわ。多分、なのだけど……」

「気持ちの問題?」

「そうね……」

 波乃香が顎に手を当てて考え込む。

「波乃香ちゃんでも分からないことがあるんだね」

 つかさの言葉に、波乃香が不思議そうに聞き返す。

「全知全能だと思っていたの?」

「いやいや、学園で一番夢渡りが得意なのは波乃香ちゃんだって聞くから」

「一番だからといって夢のことを全部分かっているわけじゃないわ。人の心なんて、分からないことの方が多いのだから。それに、何人か集まれば必ず一位と最下位が出るのだから、順位で能力を判断するのも禁物よ」

「分かった」

 つかさが頷くと、波乃香は素っ気なく扉を探しに出て行く。つかさはその後について行った。

 波乃香がオレンジ色の扉の前で止まる。波乃香が一瞬首をひねったが、あまり気にせず扉を開けた。


 オレンジ色の扉を抜けると、夜の中華街だった。ぶら下げられたオレンジ色の灯りが道を照らしている。出店が立ち並び、陽気な祭囃子が聞こえていた。

「灯りが綺麗だね」

「提灯……かしら」

 出店の出ている通りを歩く。様々な食べ物、射的、輪投げなどの店があった。とある店の前でミニスカートのチャイナドレスを着た少女が客寄せをしていた。目の前を通った二人も声をかけられる。

「ハローッ! 亀すくいはいかが?」

 チャイナドレスの少女は、少々変わった語調だった。

「こんばんは」

「コンバンワー。お客さん、ここは初めて?」

「ええ。貴女は、この世界の少女?」

 波乃香の質問に少女が頷く。

「そうヨー」

「私は波乃香」

「私はつかさと言います」

「波乃香サンとつかさサン、ネー」

 二人がそれぞれ名乗ると、少女は名前を確認するようにそれぞれ向き直りながら挨拶をする。

「貴女の願いを叶えにきたわ」

 波乃香の言葉を聞いて、少女は目を輝かせて言った。

「それホントー? じゃあお願いしたいことアルノー」

「なあに?」

「亀サン逃げちゃった。特別な亀。全部で八」

 少女は指を八本立てる。波乃香が首をかしげて聞く。

「特別な亀?」

「こーらに小さな星描いてある。一つから九個。五だけなし」

 少女が指を折り数えながら言う。今度はつかさが尋ねた。

「亀の大きさは?」

「コレくらい?」

 少女が両手で輪を作る。

「じゃあ探してくるね」

「お願いネー」

 引き受けると、大きなタライを渡され表に出される。二人は、他の屋台の店番や道行く人に話を聞きながら、一つ一つ集めていく。ある亀は通行人が拾っていて、ある亀は屋台の裏に隠れていたりした。

 無事、一から四、六から九個の星印が付いた亀をタライに入れ、亀すくいの屋台に戻る。

「見つけてきたよー」

「アリガトー! じゃあ、こっち」

 二人は少女に連れられ奥に通される。

 少女が店番をするために立っているすぐ横に水槽が置いてあった。水槽のすぐ下は布地の箱になっていて、その上に水の張った四角いガラスの器が乗っている感じだった。ガラスは格子のように九つに区切られ、三×三の真ん中には、五つの星印が描かれた甲羅を持つ亀が泳いでいる。ほかの区切りの中には何もいない。

 チャイナドレスの少女が二人の方を向き説明をし始めた。

「特別な亀、特別な池に入れる。星の数で重さ違う。気分良くイー感じに一つずつ住む」

「池っていうより箱だよね。この箱は何?」

 つかさが尋ねる。

「特別な箱。中に大事な物入ってるネ」

「心幹?」

「いぇー」

 波乃香の問いに、少女が両手を前に突き出し親指を上げ応える。

 少女が説明を続ける。

「亀サンいないと開け閉めできない。亀サン機嫌悪いとどっか行く」

「星の数に合わせて亀を一匹ずつ入れるんだね」

「機嫌良くネー」

「機嫌良く……?」

 波乃香が首をかしげる。

「ヨロシクー」

 波乃香の疑問には答えず、少女は客引きをしに表に出て行ってしまった。

「意味が分からないわ……」

「うーん……?」

 二人して頭をひねる。

 ぷかぷか浮かんでいる五つ星の亀を眺めて、つかさは今日のことを思い出した。

「あー……。いやまさか」

「分かったの?」

「多分そうじゃないかなって心当たりが」

「教えて」

「ああこれは」

 思い出したことをそのまま波乃香に伝えようとしたつかさだが、少し思いとどまり、波乃香に笑いかけて言う。

「波乃香ちゃんも心当たりあるはずだよ。よく思い出してごらん」

「えー……。分かってるならつかさがやってよ」

「やってもいいけど……。中にあるのが本当に心幹なら、波乃香ちゃんがやった方がいいんじゃない?」

 つかさが少女を呼んで聞いた。

「ねぇ、心幹は開けた方と繋ぐの?」

「トウゼン」

 少女が胸を張って応える。

 つかさはついでにと思って、細かいルールを尋ねる。

「ちなみに、置くところ間違えちゃったらどうなる?」

「亀サン逃げる。また捕まえるといい」

「やり直しはできるんだね」

「捕まえるの大変ネー」

「そうだね。ありがと」

 少女はまた表に出ていく。困り顔の波乃香につかさが言う。

「ほら、やってごらん」

「むぅ……」

「私、店の手伝いしてるから」

 波乃香にそう言い残して表に出る。

 波乃香は一人で悩みながら地面にマス目や数字を書きながらブツブツ言っていた。その間、つかさは表に出て客引きの手伝いをしたり、代わりに店番をしたりしていた。

 十数分後、波乃香が自慢げにつかさと少女を呼び寄せる。

「できた」

 波乃香が指差す水槽には、九以外の亀がマス目に一匹ずつ泳いでいる。波乃香が九つ星の亀をタライから掬い、五つ星亀の上のますに入れる。

 すると、カチャリと音がして、水槽がゆっくりとスライドし、箱が開く。

「オー! よくできました」

「頑張った」

 拍手を送る少女に波乃香は胸を張る。

 箱の中に入っていたのは、綺麗な緑色の光を放つ、亀の形をしたガラス細工だった。

「盟約詠唱よろしく」

 少女は箱からガラスの亀を取り出し手に乗せる。波乃香がその上に自分の手を乗せ詠唱を済ませる。

 少女と別れ、夜の中華街を抜けて扉へ向かいながら、つかさは波乃香に言った。

「ね? 勉強も役に立つでしょ」

「たまにはね」

 少々納得がいかないような雰囲気の波乃香につかさは微笑みかける。

 扉まで戻ってきた。扉を抜けて夢の狭間へ戻る。

 そして、目が覚めた。

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