第7話 作り話の安らぎ
少しだけ学園の生活に慣れてきた頃。その日は朝起きた時から猛烈な眠気に襲われて、つかさは普段なら絶対にしない居眠りをしてしまった。
休み時間、眉間を押さえていると
「どうしたのつかさちゃん。なんだか具合が悪いみたいだけど」
「なんか……すごく眠くて」
「昨日は何時に寝たの?」
「十時くらいだったかな……いつもそのくらいだよ」
「それって、夢渡りするため?」
「うん」
友音は、ああやっぱり、という顔をしてこう言った。
「それじゃあ多分眠いと思うよ」
「なんで?」
「だって、夢渡りをしているときは寝てることにならないもの」
しれっと言う友音につかさが尋ねる。
「どういうこと?」
「体は寝てるけど頭は寝てない……みたいな。夢渡りの夢は集中力がいるから寝たことにならないんだよ」
「聞いてない……」
「波乃香ちゃん、夢と眠りの話はした?」
波乃香は、もぞりと起き上がって呟く。
「……? したよ……」
「夢渡りをすると眠くなるって話も?」
「ん……。それはしてない…………」
「やっぱりぃ」
呆れる友音にさほど興味のなさそうな波乃香が船を漕ぎ始める。
「もぉ、いっつもぼんやりして」
「うにゅ……」
友音は寝ぼけた波乃香の肩をゆする。
「波乃香ちゃん一人で夢渡りをしているなら自分が眠たいだけだけど、今はつかさちゃんも一緒なんだよ?」
「んー」
「ごめんねー。話聞いてないみたい」
「大丈夫、あとでゆっくり話すから」
その日の放課後、教室から人がいなくなったのを見計らって波乃香を起こし話す。
「波乃香ちゃんが昼間そんなに眠そうなのって、夜は夢を見ててあんまり眠れてなかったからなんだね」
眠そうな波乃香が辛うじて頷いたのが見えた。
「ねぇ、夢渡りの回数少し減らそう? こんなのよくないよ」
「やだ」
「なんで?」
「つかさちゃんこそ……、どうしてそう思うの?」
「やっぱり、昼間こんなに眠いっていうのは良くないと思うんだよ」
「そう……?」
「そうだよ。ちゃんとお日様が出てる時に活動して、夜しっかり寝るようにした方がいいよ」
「どうして……?」
「その方が健康的だからだよ」
「私は……充分元気…………」
「そんなに眠そうなのに元気とは言いませんーっ!」
強めに揺すったが反応は今ひとつだった。続けてこう尋ねる。
「波乃香ちゃんは、そんなに夢渡りをするのが大事? 他にやりたいこととか、好きなものはないの?」
「綺麗なものと……可愛いものと……美味しいものは、好き」
「そーうーじゃーなーくーてー! 好みとか趣味とか! そういうのだよ」
「んー……? 必要ない」
きっぱりとした口調になって続けて言う。
「私の目標は、早く‘完全’少女になること。夢を渡るのに必要ないものは、必要ないよ」
「この社会生活不適合者め……」
「私、社会生活送ってない」
けろりとしている波乃香に、つかさは頭をひねって反論した。
「そんな、ちゃんと日常生活が送れない人に心を開いてくれる子はいなくなっちゃうよ!」
「ん?」
「だって、夢の中で全然知らない子に心を許してもらわなくちゃ
「ふーん……」
冷たい反応に、怒らせたかもしれないとつかさは心配になった。
「え、あ。波乃香、ちゃん……?」
「分かった」
波乃香が立ち上がってつかさに聞く。
「どうするの?」
「えと。とにかく夜寝るために昼間に活動して起きていよう。運動したり、勉強したり」
「運動……勉強……」
波乃香が途端に面倒そうだという顔色になる。
「難しく考えないでも大丈夫だよ。今日は天気もいいし、お喋りしながら散歩しよう」
つかさは波乃香の手を引いて外に連れ出す。
よく思い返してみると、夢渡りや波乃香の身の回りの世話をするので精一杯で、学園の中を見て回ることもしていなかったと気づく。
校舎は、昔の金持ちが立てた別荘を学園のオーナーが買い取って改築したものらしい。ただの学び舎よりも幾分装飾が華やかで尚且つ落ち着いたものであった。
よく手入れされた庭を横目に、渡り廊下を通り別棟の建物の中に入る。「図書館」という表札が見えた。扉を開けると、カウンターに亜麻色の髪を緩い三つ編みにした少女が本を読んでいた。少女は本から顔を上げて驚く。
「あら、ここに人が来るのは珍しいわね」
「開いてますか?」
「もちろん」
波乃香を連れて中に入る。
「波乃香ちゃんは何が読みたい?」
「本、読まない……」
「じゃあ、とりあえず何があるか見て回ろうか」
つかさは波乃香と本棚の間を歩く。波乃香がおもむろに言う。
「つかさちゃんは?」
「え?」
「つかさちゃんは……何が読みたいの……?」
「えーっと……」
「私、つかさちゃんのこと何も知らない」
「そうだな……」
つかさは目の前の本棚を眺めて、一つの本を取り出す。
「これなんかがいいかな」
表紙を波乃香に見せた。
「植物図鑑……?」
「波乃香ちゃんに初めて会ったとき、植物園にいたでしょ? あそこには色んな木や花が植えられてた。知らないものも沢山あったから、この中に載ってないかなって」
「ふーん……」
「波乃香ちゃんって、あそこによくいるの?」
「いつでもあったかくて、よく眠れる。あと、夜になったら誰かが来て起こしてくれる」
「あはは……」
マイペースな返答だ、とつかさは思った。
つかさは手に取った植物図鑑と隣にあった星座図鑑を借りることにした。本を読みたがらなかった波乃香には、三つ編みの少女に協力してもらって色合いが綺麗な絵本を見繕ってもらう。
図書館を出て、図鑑を見ながら植物園で草花を眺めて過ごすことにした。
玄関ホールの近く。途中の廊下で、何枚か油絵が飾られている横を通り過ぎる。
つかさがふと気が付くと、波乃香が立ち止まって絵をじっと見つめていた。
波乃香の近くに戻って絵を見上げる。
縦幅は、よく見かけるキャンバスと同じくらいだが、横がとても長い。廊下の壁をずっと伝うように続いている。
「すごく大きな絵だね」
いま立っているところは、絵の左端だった。目の前に、白いブラウスを着て紺色のスカートを履いた少女が描かれている。左を向いて祈るように胸の前で手を組み俯いていた。
波乃香が呟く。
「ずっと部屋にこもって絵を描いている子がいるの……。ちょっとずつ描いて、足していっているみたい……」
そう言われてよく見てみると、縦にうっすら切れ目があるのをつかさは見つけた。継ぎ足していっているのだろうか。ずいぶんな大作である。
つかさは再び絵の中の少女を見る。俯かれた顔の表情はよく分からない。
少女の下の方に、こんな文が書かれていた。
――少女はやがて完全になり、少女たちの心をいやし続けるだろう。
――少女はその為に、この世に生まれたのだから。
「完全……少女…………」
この少女も、夢渡りができるのだろうか。と、つかさは考えた。
波乃香はそっと絵に近づいて言う。
「この絵……、好き……」
波乃香は羨望の眼差しで絵の中の少女を見ている。
「この子……羽があるのね……」
波乃香の言葉を聞いてつかさはもう一度絵をよく見てみた。
少女の背中に、半透明な小さな羽が一対。キラキラと光っていた。
植物園の中。
どことなくよろよろ歩く波乃香に声をかける。
「眠い? 疲れてない?」
「大丈夫……」
中を進んで、波乃香と初めて会ったベンチまで来る。
少し休憩した方がいいだろうと座るように示すが、波乃香は首を振った。
「座ったら寝ちゃう……」
「分かった」
転ばないようにしっかり手を取って植物園の中を歩く。
波乃香と繋いでいる手とは反対の手で抱えるように二人分の本を持っている。その様子を見た波乃香がつかさに尋ねた。
「本、重たくない?」
「大丈夫」
つかさは笑顔を浮かべて返した。
植物園内の通路は思いの外、入り組んでいて、来た道を覚えていないと迷子になりそうだった。波乃香に出会ったときはよく迷わなかったな、と思う。
手入れされた植物を眺めて思い出したことがあった。
「そういえば、花たちを世話しているのは誰なんだろう」
「学園内の掃除とかをするメイドさんがいる……」
「ああ、食堂でご飯作ってくれるのもメイドさんだよね」
「同じ格好をした人が何人かいるみたい……。あんまり私達の前に出てくることはないけれど……」
学内の整備をしていて、尚且つ複数人いるなら見かけてもよさそうだが、つかさが会ったことがあるのは食堂にいるメイドだけだった。
「確かに殆ど見かけないかも」
「特別隠れ忍んでいるわけではないらしいけれど……」
ぼちぼち歩いているうちに日が陰ってきた。少し早いだろうかと思いつつも、早めに休んだ方がいいだろうと食堂で夕食を摂って部屋に戻る。
湯船が張り終わるまでの時間に、つかさは尋ねた。
「波乃香ちゃん、パジャマは持ってる?」
「これ」
波乃香は箪笥から寝巻きを取り出す。普段、昼間の服のまま寝るから、もしかしたら持っていないかもしれないと心配していたのは取り越し苦労だったようだ。
「良かった。じゃあ、お先にどうぞ」
「一緒に入る……?」
「はいはい、お先にどうぞ。二人で入るには狭いでしょ」
「ぷぅ……」
素っ気ないつかさの返事に波乃香は頬を膨らませてバスルームに入っていく。
波乃香もパジャマは自分で着られるらしい。ちゃんと着てバスルームから出てきた。
つかさは、波乃香にしっかり髪を拭くように言ってから風呂に入る。
バスルームで化粧を落とし、シャツとスウェットパンツを着て出てきたつかさを見て、波乃香が呟く。
「ドナタサマデスカ……」
「いやいや私私。つかさだよ」
「ほぉ……。そういう姿だと男の人に見えなくもないね」
「『見えなくもない』なんだ……」
煮え切らない言い方だ。
「つかさちゃんはつかさちゃんだし」
「それもそうだね」
つかさは自分の髪を拭き、波乃香の髪についた水分を丁寧に拭う。
髪を乾かし終えて、先に波乃香がベッドに入る。つかさが灯りを消してからベッドに入ろうとすると、波乃香が心配そうな声で言った。
「暗いと眠れない」
「大丈夫。小さいのは付けておくから」
言葉通り、ベッドの脇に置いたスタンドは付けたまま灯りを消した。ベッドに潜りながら波乃香に言う。
「私もね、暗いのは苦手なんだ」
「つかさちゃんにも苦手なものってあるのね」
「そんなのいっぱいあるよ」
意外そうに言う波乃香の顔を見て、つかさは笑って返す。
波乃香は首をかしげたあと言った。
「そう……? ねぇ。なにかお話して?」
「えー。急に言われても」
「そうじゃなきゃ眠れない」
「うーん……」
「つかさちゃんの話をして?」
「私のこと?」
波乃香が微笑んで頷く。
「それはもっと困るなぁ……」
「そうなの?」
つかさは悩んでこう提案した。
「創作でもいい?」
波乃香は嬉しそうに頷いた。
つかさは考えながらポツポツと呟く。
どこかの楽園に、長い銀色の髪の、美しい少年がいました。
「その少年は、つかさちゃん?」
波乃香が口を挟む。
「さぁ、どうだろうね?」
つかさはそうとぼけて続きを話し出した。
その少年は、美しい女神の一人息子で、それはそれは大切にされていました。
周りの神や天使たちも、少年のことを毎日のように褒め称えます。
「美しいですね。愛らしいですね」
そう言われる度、少年はその整った顔を綻ばせ、ありがとう、と言っていました。けれども、少年はあまり嬉しくありませんでした。
そしてこう思っていました。
美しいってなんだろう。愛って、なんだろう、……と。
少年は愛を知りませんでした。美しい女神である彼の母親は、彼に愛を教えることはありませんでした。神々や天使たちも、当たり前のように愛を知っていて、少年に教えることはありませんでした。困った少年は、野原に出て、野バラに尋ねました。
美しいとはなんですか、と。それは私が満開になったときに言う言葉です、と野バラが応えます。そして貴方のお顔も、と。
次に、梢に止まる鳥に尋ねました。鳥は、私の歌声がもっとも高くさえずるときに言う言葉です、と応えます。そして貴方のお声も、と。
それから、空に浮かぶ雲に尋ねました。雲は、空が抜けるように青いときに言う言葉です、と応えます。そして貴方の御心も、と。
最後に、夜になり出てきた月に尋ねました。月は、高貴な光を纏ったものに言う言葉です、と応えます。そして貴方の御髪も、と。
少年はそれぞれにお礼を言って、夜の野原を歩きながら考えました。
少年は、美しいということが何か分かれば、愛が分かると考えていました。だって皆美しいものを愛しているようでしたから。でも少年は美しいということと愛するということを一緒にすることはできませんでした。少年は自分が美しいことは理解できても、それと愛は違うような気がしました。
「波乃香ちゃん? ……寝ちゃった?」
横から規則正しい寝息が聞こえてきた。支離滅裂で退屈だったかもしれない、と思ったが、寝るためにする話ならこれでいいのかな、とも考えた。
つかさは隣で眠る少女に微笑み、物語を締めることにする。
少年はずっとずっと歩き続け、あるとき、少女に出会いました。
少女は美しく少年に微笑みました。少女は、愛そのものでした。
つかさはそこまで語り終えて口を
「おやすみ、波乃香ちゃん」
一言呟いて、目を閉じた。
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