第5話 疑惑と白い花

 昼休み、つかさは鞄の中を探って異変に気が付いた。

「あっれ……」

 ごそごそと探していると、ほまれが話しかけてくる。

「貴方、何しているの?」

「その……生徒証がなくて」

「はあ? 昼食どうするのよ」

 学園内では日々の食事や品物の注文をする場合、生徒証を身分証明に用いて行っている。生徒証がないと食堂での食事もできない。

「ああ、それは大丈夫。お弁当持ってきてあるから」

「弁当……?」

 誉がいぶかしげに呟く。続けてこう尋ねた。

「どこで食べるつもり」

「えっと……裏庭のベンチで」

波乃香はのかと?」

 つかさが頷くのを見て誉が振り返る。

友音ともね

 昼食に向かおうと立ち上がった友音に呼び掛けた。

「私達も今日は裏庭に行くわよ」

「ええっ? お昼は?」

「購買で適当な物を買えばいいでしょ。ほら、波乃香も起きなさい。行くわよ」

 友音は仕方ないなぁ、という感じに肩をすくめる。誉に揺すり起こされた波乃香はそのまま誉に手をひかれてやってきた。

 四人が連れ立って教室を出る間もヒソヒソ声が聞こえてきた。


 誉と友音が弁当を買ってから裏庭に向かう。人通りの少ない渡り廊下を抜け校舎裏の少し開けたところに小さなベンチとテーブルがあった。

 ベンチに腰掛けながら誉が呟く。

「最近昼休みになったらいなくなると思ったらこんな所にいたのね」

「ごめん……」

 つかさがぼそりと呟く。

「なんで貴方が謝るのよ」

「それは誉ちゃんが威圧的だからだよ~」

「お黙りなさい」

 友音の指摘にピシャリと返し、重ねてつかさに尋ねた。

「他に物が無くなったことは?」

「えっと、ペンとか、ノートとか教科書とか帽子とか……?」

「結構あるじゃないの。無くした物はどうしているのよ。新しく用意するの?」

「ううん。夕方とか次の日に机や鞄の中から出てくる」

「貴方それ……」

 誉がため息を打つ。友音が声をひそめて言う。

「ねぇつかさちゃん。あんまり言いたくないんだけど、それ盗られてるんじゃないの?」

「えぇ……そんなまさか。後から出てくるし……」

「多分、貴方が困っているのを見て楽しんでいるのね」

 言いよどむつかさに誉が腕組をして言い返した。

「そんなわけ……」

「あるでしょうねぇ」

 友音も同意する。

「そんな……」

 うなだれるつかさを見て、誉が苛立たしげに提案した。

「貴方もうちょっと堂々としたら? そんな風になよっとしているから舐められているのよ」

「そんなこと言われても」

 渋るような発言に誉が詰め寄る。

「だから! その雰囲気が良くないの。こういう嫌がらせは目立たなくなるか強気に出るかどっちかしかない。貴方が目立たなくなるのは不可能なんだから、負けん気出さないといけないのよ」

「うぅ」

 つかさは頭を抱える。埒があかないという様子の誉はずっと船を漕いでいる波乃香に話を振った。

「ところで波乃香、ちゃんと聞いているかしら?」

「うん……?」

 寝ぼけ眼の波乃香に、諭すような口調で友音が言う。

「ねぇ波乃香ちゃん。つかさちゃんが目立っちゃうのは波乃香ちゃんにも原因があるのよ」

「そうなの……?」

「貴女、こいつのパートナーなのでしょ。守ってあげなさい」

 誉の言葉に波乃香は重そうな瞼を開き、つかさをじっと見る。射抜くような真っ直ぐな眼差しに、つかさはバツが悪くなって組んだ手を膝に乗せ視線を落とす。

 波乃香はそのまましばらくつかさを見たあと、誉に向き直り頷く。

「分かった」

「しょうがないから私達も可能なだけ一緒にいるわ。波乃香だけじゃ心配だし」

「ありがとう……」

 感謝の言葉を述べる波乃香に誉が厳しい口調で返す。

「それはこの事態が収まってから言いなさい」

 誉はそれ以上その話題には触れず、世間話や学園内の噂話、つかさ達の弁当の話などを振ってきた。

 昼食が終わり教室に戻る途中、つかさは波乃香にそっと言う。

「なんか、ごめん……」

「なんで……?」

 波乃香が不思議そうに聞き返す。

「その……できるだけ、迷惑かけないようにするから」

 つかさの言葉に波乃香はさらに首をかしげた。

 教室に戻り、席に着いてからもずっと、ヒソヒソとした声が聞こえていた。


「ねぇ、こっちの扉には入らないの?」

 ある晩、夢の狭間で入る世界を探しているとき、つかさがある扉の前に立って、通り過ぎようとしていた波乃香に尋ねた。

「どれのこと?」

 つかさは目の前の扉を指差す。波乃香はさほど興味なさそうに聞く。

「ところでそれ、開く?」

 そう言われたつかさはノブに手をかけひねる。鍵がかかっていた。

「開かない……」

「そうでしょうね」

「分かってたの?」

「何となくだけどね」

「前にも来たことがあるの?」

「いいえ。でも、開く扉はこちらのことを呼んでいるから、何となく分かる」

 開かなかった扉から去りながら話す。

「逆に言えば呼んでない扉は開かないこともあるでしょうね。そういう扉は、無理に開けない方がいいわ」

「そういうもの?」

「さぁ、ほかの少女がどうしているかは知らないけれど……。でも、無理に開けることは良くないと思う、お互いに」

 そう語る波乃香の口調は複雑そうだった。

 やがて見つけた扉の前で止まる。その扉は白い花で埋め尽くされるような造りだった。木目のあるノブを回して中に入る。


 扉の向こうは西洋風の綺麗な庭園だった。礼服を着た人が沢山集まり談笑している。

「華やか」

「人いっぱい……」

 近くに白い建物がある。チャペルのようだ。

「ここは……教会?」

 二人して首をかしげた。

 つかさは近くにいた人に声をかける。

「こんにちは。これから何が行われるんですか?」

「ああ、結婚式だよ。もうすぐ新郎新婦が出てくる頃さ。あんた達も見てくと良い」

「わぁっ……! ありがとうございます」

 答えてくれた人はにこやかに案内してくれた。

「楽しみだね、波乃香ちゃん」

「うん……」

 祝い事だと聞いて単純にわくわくしているつかさに対し、波乃香は退屈そうに頷く。心配そうにつかさに聞いた。

「目的、忘れてない?」

「この世界の少女を探さなきゃいけないんだっけ。でもこの沢山いる人の中探すのは……」

「そもそも、ここにいるのは大人ばかりだわ」

 波乃香に指摘されてつかさは周りを見る。

「ホントだ。じゃあ、教会の中とか、或いは庭の外とかにいるのかな」

「外、出られそう?」

「さっき来た扉がこの庭の入り口みたいなんだよね。裏口とかあるのかな」

「あるかもしれないけれど、この世界はあの教会と庭だけだと思う」

 なんで分かるんだろう、と思ったつかさが首をかしげると、なんとなくだけど、と波乃香が小声で付け足す。

 しばらく待っていたが、一向に始まる気配がしない。

「なかなか出てこないね」

「……様子がおかしい」

 波乃香は真剣な面持ちで建物に向かう。

「ちょっと、どこ行くの?」

「中に入る」

「えっ? 入れる?」

 波乃香は止まらず建物に近付く。正面の大きなドアは締め切られていたが、脇の小さな扉から、白いワンピースを着て花びらの入ったバスケットを持った少女が出てきた。

 波乃香が少女に話しかける。

「貴女は、この世界の少女?」

「ええ」

「私は波乃香、こっちはつかさっていうの。貴女の願いを叶えにきたわ」

 波乃香の言葉に少女は少し考えたあと、静かな声でこう言った。

「花嫁がいなくなったわ」

「ええっ!?」

「しっ!」

 驚いて大声を出すつかさを波乃香が口元を押さえる。つかさは二人に謝り手を外してもらう。声を潜めて少女に尋ねた。

「えっと、それってすごくまずいんじゃないの?」

「だから、探してほしいの」

「おっけー。花嫁さんはどんな人?」

 つかさがそう言うと、少女は花嫁やドレスの特徴を教えてくれた。

「もうドレスを着付けた後だし、そんなに遠くには行ってないと思うのだけど……」

「分かったわ」

 頷く波乃香に、つかさが尋ねる。

「手分けする?」

「その方がいいでしょうね」

「じゃあ私は建物の周りと庭を見てくるから、貴女と波乃香ちゃんは中に入っていって。グルッと回って何にもなかったら私も中に入るね」

 波乃香と少女が頷く。少女が言う。

「参列者には悟られないように気をつけて」

「あと……」

 波乃香が低い声で付け加えてきた。つかさの耳元に口を寄せて忠告する。

「私達が『外』の人間だというのも知られないように。念のため」

「分かった。じゃ、またあとで」

 つかさは一旦二人と別れてチャペルの裏側へ行く。裏の方も綺麗に整えられていた。裏口はあったが鍵がかかっている上に最近使われた様子はない。

 念のため、開かないかどうか手をかけてみる。朽ちかけた薄橙ペールオレンジの戸を壊さぬよう、そっとノブに触れた。

 どう見ても金属製にしか見えないドアノブが、人肌のような奇妙な温かさと柔らかさを持っていて、思わず飛び上がって手を引っ込める。

 戸をよく見ると、ふわふわと動いているように感じて、気味が悪くなる。つかさは注視しながらゆっくりと後ずさった。

「きみっ」

 急に声をかけられて、また飛び上がる。

 慌てて振り返ると、声をかけてきたのは、庭園で待っていた参加者の一人だった。

「どうしたんだい? 迷子?」

「あ、いえ……。綺麗な建物とお庭だなって思って、始まるまで散歩をしていたんです」

 つかさは、にっこり笑って取り繕う。その人は頷いて、続けて言った。

「そうかそうか。聞いた話だけど、この場所に決めたのは花嫁さんの方らしいんだ。綺麗な所だってえらく気に入ってたみたいだよ」

「ええ、とても素敵な所だと思います」

「直に始まると思うから、そろそろ戻るんだよー」

 その人はほかの人たちのところまで戻るのを見送ったあと、こっそりチャペルの中に入って波乃香に話しかける。

「波乃香ちゃん、見つかった?」

 波乃香が首を横に振る。波乃香がつかさに尋ねた。

「そっちは?」

「外を一通り見て回ったけど、見つからなかった。逃げたような跡もなかったから、建物の中にいると思うんだけど」

 首をひねるつかさと波乃香を見て、少女が素っ気なく言う。

「きっと見つからないわ」

「ええっ? そんなこと言わないでよ」

「だって……。こんな直前にいなくなるなんて、本当は結婚なんてしたくないのよ」

「そうとも限らないよ。単に迷子になってるだけかもしれないし……。落ち着いて探そう?」

 少女の言葉に驚いてつかさが励ます。波乃香がふと横を見て、階段下の空間を指差す。

「ねぇ。あれ、何?」

 指差した先には白い布のようなものが見えた。

 三人で近づく。ウェディングドレスを着た女性が震えながらうずくまっていた。

「いた」

 波乃香の呟きに花嫁は一際びくりとしたあと更に震え始める。つかさが肩を叩き話しかけた。

「こんにちは。貴女が花嫁さんですか?」

 花嫁は恐る恐るつかさを見る。

「はい……。あの、貴女達は一体……」

「綺麗な所だなあって眺めていたら、今日は結婚式だから見ていってと誘われて来ました。皆さんがお待ちです。戻りましょう?」

 つかさができるだけ優しい声でにこやかに言う。しかし花嫁は

「む、むりよ!」

 ヒステリックな口調で叫んでうずくまりながらブツブツ言い出す。

「私、花嫁って柄じゃないし、注目されるのとかホント心臓が止まりそうで。あの人も本当は私よりもっと素敵な人が」

「落ち着いて……」

 つかさがなだめていると、後ろにいた波乃香が一歩進み出て花嫁に諭す。

「誰の人生にでもこういう場面はあるし、ここに集まった全員が貴女達を祝福するために来たのよ。あと、自信がないのは新郎に和らげてもらいなさい」

「でも」

「新郎はどこ?」

 波乃香の問いに、少女が黙って白いタキシードを着た男性を連れてきた。花婿は心底心配していたようで、花嫁の姿を見るとすぐさま駆け寄ってくる。

「良かった! 怪我はない?」

「あの、私……」

「どうしたの?」

 花婿が優しく微笑みかける。花嫁はうつむきがちに言う。

「ごめんなさい、その、急に不安になってしまって」

「何が不安?」

「その……。本当に私と結婚してもいいの? 生活とか、色々変わって、大変なんじゃないかとか私にできるのかしらとか……」

「ごめんね、式の準備の殆どを君にやらせてしまった。大変だったでしょう?」

「いいの、それは……私の方が時間あったし。でも、本当にこれでよかったのかしら」

「君は、僕と結婚できて幸せじゃない?」

 不安そうな花婿に花嫁は勢いよく頭を降る。

「そんな! すごく幸せよ。でも……だからこそ不安なの。いつかこの幸せを失うような、大事なことを見落としているような気がして」

「大丈夫。忘れ物だってなかったし、遅刻もしてない。式の途中にトラブルがあったらその時に考えよう。その後のことも……僕達の時間はまだまだこれから沢山あるんだ。独りで悩まないで、一緒に考えよう」

「一緒に?」

「そうだ。その誓いを、今から立てに行くんだ。そうだろう?」

「そうね。そうだったわね」

 花嫁は笑顔になって返事した。

「立てる?」

「ええ……ありがとう」

 花嫁は花婿の手を取って立つ。二人はつかさと波乃香にお礼を言って式の準備に向かった。

 花婿は、最後に花嫁にこう言った。

「そうだ。これは今言っておかなきゃ。……そのドレス、よく似合ってる。今日の君は、世界で一番綺麗だよ」

 控え室に下がった新郎新婦を見送ってつかさと波乃香は庭園に戻る。ほどなくして何事もなかったかのように式が始まった。先程の少女がバスケットから花びらを撒きながら歩いてくる。新郎新婦が歩く道を彩っていた。

 つつがなく式が終わり他の参加者が去っていく中、先に言葉を発したのは波乃香だった。

「良い式だったわね」

「そうだね。そうだ、さっきの子は?」

「今出てきた」

 出てきた少女に近寄って話しかける。

「お疲れ様」

「最後まで見ててくれてありがとう」

「どういたしまして。私達、心幹を探しているの」

「ああ、ならこれのことね」

 少女は持っていたバスケットの底を探る。だいぶ花びらの減ったバスケットの底から、真っ白な光を放つボーリング大の真珠を取り出した。

「繋げてもらえるかしら」

「いいわよ」

 少女はあっさり言う。波乃香と少女が盟約を唱え、心幹を繋げる。少女に挨拶をしてその世界から去った。


 夢の狭間まで着いて、つかさが波乃香に聞く。

「波乃香ちゃんは、結婚式とかドレスとか、憧れる方?」

「別段そうでもないわ。つかさは? ドレスが着たい?」

「さすがにドレスが着たいわけではないかなぁ。結婚はめでたいことではあるんだろうけれど、自分がそうなるっていうのは正直想像できないって感じかな。……どうして、結婚するんだろうね?」

 つかさの漠然とした疑問に、波乃香はなんでもないように一言呟く。

「愛故に」

「愛ねぇ……」

 愛と言われるとぼんやりとしていてよく分からないな、とつかさは思った。

「分からなくても、つかさはちゃんと知ってるよ」

「え?」

 波乃香はつかさの方を向き、声に出さず、「あ」と「い」の形に口を開いた。

 そして、目が覚めた。

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