第3話 はじめての朝
次につかさが目を開けた時には、外は朝を迎えていた。鳥の囀りが聞こえる。
「波乃香ちゃん。朝だよ。起きて」
波乃香を揺すって起こそうとするが、寝息を立てたまま反応がない。つかさは仕方なく自分の準備を先にすることにした。
着替えを用意しシャワーを浴びる。寝起きの身体に熱い湯が心地よかった。
顔をしっかり洗って浴室から出る。着替えた後、洗面台で歯磨きをしてから、数種類のスキンケア用化粧剤を顔に添加し軽く化粧を施した。化粧をしたまま寝るのは考えた方がいいなと漫然と思う。
化粧を済ませ、部屋のカーテンを開け、灯りを付けながら今一度波乃香を起こしにかかる。
「いいかげん起きてー。今日は授業あるんでしょ」
シーツの中で身じろぎするだけの波乃香をしつこいくらいに揺すり体を起こす。
「ほーら、シャワー浴びて、着替えて食堂行くよーっ」
「つかさちゃんはー……?」
眠い目をこすりながら波乃香に尋ねられる。
「私はもうシャワーして着替えたあとですよーだ」
「うにゅぅ……」
波乃香は伸びをしながらのそのそとベッドから出る。つかさは波乃香に着替えの場所を尋ね、タオルと一緒に手渡して浴室に連れて行く。
「一人で入れるね?」
一応念を押しておくと、波乃香は曖昧に頷いた。波乃香を浴室へ入れて、彼女がシャワーを浴びている間にベッドメイクを済ませる。
本当に洗ったのか疑いたくなるほど早くに上がってきた波乃香は、ギリギリ下着は身に付けていたものの髪も濡れたまま出てきた。
「もーっ。ちゃんと拭かないと風邪ひくよ」
つかさは慌ててタオルで髪を拭く。女の子が薄着でうろうろするのは止めなさいと叱って、服を着せる。大人しく着させられている様子を見て不思議に思って聞く。
「今までどうしてたの……」
「着替えは……先生にやってもらってた……。そもそも……そんなに授業に出てない……」
「これからはちゃんと出るよ。あと、先生の手を当てにしないの」
「うぅぅ」
まだ眠気眼な波乃香に服を着付け、髪を梳かす。黒髪が手の内側を流れていくようにスルスル抜けていく。
「せっかくこんなに綺麗な髪なんだからちゃんとお手入れしないと」
つかさがそう言っても波乃香はあまり関心がないようだった。
始終面倒そうな波乃香を連れて食堂に行く。食堂には既に沢山の人が朝食を摂っていた。昨日までの学内の雰囲気と全く違うことにつかさは驚く。どことなく遠巻きに見られているような気配を感じたが今は波乃香に食べさせるのが先だと考え、適当に注文して席に着いた。
席に着くまでも、席に着いてからも、どこからかヒソヒソ声が聞こえ、二人の隣が空いていても誰も座ろうとしなかった。
朝食の後は、一旦波乃香と別れて、先生の部屋の前まで行く。部屋に着いたときに、ちょうど先生が部屋から出てくるところだった。
「おはようございます」
「やぁ、来たか」
先生は名簿と本を小脇に抱えていた。既に教室に向かう準備を終えて待っていてくれていたようだ。
つかさは先生のあとに続いて廊下を歩く。先生が話を振ってきた。
「昨晩はどうしていたかな?」
「夢渡り……を、していました」
「おぉさっそくか。手が早いことだ」
先生は嬉しそうに続ける。
「どうだった?」
「まだよく分かりません。途中で起きてしまったりして、波乃香には迷惑をかけたかもしれません」
「そう気にすることでもないさ。初めのうちはよくある」
「波乃香にも、そう言われました」
「ならなおのこと、気にする必要はないさ。ところでどうだ、‘自然’少女は」
つかさは昨日からのことを思い出す。起きている時の眠そうな波乃香、夢の狭間の静かでしっかりした感じの波乃香、それから彼女の夢の中の怯えた様子の波乃香――。
「起きている時と夢の中での雰囲気が全然違いました。あと、扉の中と外でも。……あの」
「なんだ?」
「‘自然’少女や‘非’少女というのは、一体なんなのですか?」
「夢渡りの少女に与えられる別称、かな。個人の特徴を表す名が与えられる」
「先生が付けてくださっているんですか?」
「上層部が何人かいて、話し合って決める。私も参加しているよ」
廊下でコソコソ話している生徒たちに、教室へ入るよう促しながら先生が続ける。
「中でも波乃香は、‘自然’少女は、学園内で最も‘完全’少女に近い存在だと言われている」
「その‘完全’少女とは、どのようなものなのですか?」
「全ての少女の世界と繋がることによりなれるとされている存在だ。夢渡りの少女は皆なりたいと思っている」
「全てって……一体何人くらいなんでしょうか」
「それはまだ分かっていない」
「なんと言いますか……随分と気の遠くなりそうな話ですね……」
「まぁな。だが、できることなら……、‘完全’になりたい。それは君もだろう?」
「それは……」
つかさは少し考えて呟くように続けた。
「確かに、そうですね」
教室の前に着くと、
「私が呼んだら入ってこい」
と先生が言ってつかさを廊下に待たせ先に入っていく。教壇に立ち二言三言話したあと、転入生の紹介としてつかさを呼んだ。つかさは教室のドアを開け教壇まで進む。教室内は、色も形も様々な服装の少女たちが席について、つかさを見ていた。つかさは緊張しながら軽く自己紹介をする。先生に空いている席に座るように言われ、窓際で波乃香の後ろの席に座った。先生が転入生の話を出してからつかさが席に着くまでもずっとヒソヒソ声が聞こえた。
「こらー、なんだか今日はうるさいな。静かにしろ、授業始めるぞ」
先生の声にようやく静かになった教室で、つかさにとって初めての学園での授業が始まった。
最初の授業が終わってすぐに、つかさの席に寄ってくる人がいた。
「ちょっと、新入生さん」
「はい」
つかさが顔を上げると、強気そうな顔をした一人の少女が立っていた。燃えるように真っ赤な髪を揺らし、トランプ柄のワンピースに身を包んでいるその少女は、腰に手を当てすごく不機嫌そうにつかさに尋ねる。
「貴方、男なのでしょう?」
「そうです」
ああこの人も知っているのか、とあまり興味なくつかさが答える。詰め寄るように少女が尋ねてきた。
「なのにそんな格好をしているの?」
「先生から、学園ではこれを着るように言われましたので」
つかさが肩をすくめると、少女は眉をひそめて聞いてくる。
「貴方いくつよ」
「え? じゅう……」
「そういう意味じゃなくて! 恥ずかしくないのかって聞いているのよ!」
「そうも言ってられませんので」
制服代わりなら着なくてはいけないのではないのだろうか、とつかさは思っていた。
「~~! ふんっ!」
その少女はつかさの言い分が気に入らないような風にうなって離れていった。
キッと踵を返し二三歩歩いたところでつまずき派手に転ぶ。転んだ拍子にスカートが大きくめくれて下着が丸見えになった。
慌てて立ち上がり光の速さでスカートを直すと、振り返ってつかさを睨みつけ去っていった。
「なんかごめんね~」
先程の少女が立ち去ってすぐに別の少女が声をかけてきた。栗色の髪を柔らかく巻いて優しげな眼差しのその少女は、先程の少女とは真逆の雰囲気をまとっている。
「いえ。あなたは?」
「私は
「それは。これからよろしくお願いします」
「敬語じゃなくていいよ。あと、つかさちゃんって呼んでいい? 私は友音でいいから」
つかさが頷くのを見て、友音はホッとしたような笑顔になる。
「良かったぁ。あのね、誉ちゃんって普段はあんな風じゃないのよ。多分新しい人に慣れてないだけだと思うから、嫌いにならないでね」
「大丈夫、気にしないで」
「本当? 学園に慣れるまで大変かもしれないけど、部屋も隣だし席も近いから、何かあったらいつでも相談してね」
つかさはその日一日、波乃香の後ろで授業を受けていたが、波乃香は一日中机に伏せているか船を漕いでいた。
教室の中にはほかにもそんな様子の生徒が何人もいて、それでも先生は特に注意せずに授業を進めていた。
複数の科目を先生が一人で教えていたが、内容はどれも随分と簡単なもので「とりあえず授業のようなものをしている」という雰囲気だった。
授業自体は夕方前に終わり、各々部屋に戻っていく。
つかさはよろめく波乃香を連れて部屋に戻った。
「うっかりしてた」
部屋に入って横になった波乃香だが、寝入ろうとする前にそう切り出した。むくり、と起き上がり机の本棚からノートのような冊子を二つ取り出す。
「夢渡りをしたら……そのことを日誌に書いておかないといけないの」
波乃香は、冊子の一つをつかさに渡して自分の冊子を机に置いて座りペンを取る。
「日誌?」
「報告と夢日記を兼ねた物で……夢の中で起きたことやしたことを記録しておくの」
「報告って、先生に?」
「先生、と学園の……偉い人?」
波乃香は首をかしげながら応える。それから真剣な口調でこう続けた。
「ちゃんと夢渡りをやってますよ、っていうのと……夢に取り込まれないために」
「取り込まれる……?」
波乃香の言っている意味が分からなくて首をかしげる。
「夢渡りは他人の夢に入っていく行為……。夢は、その少女の願いや気持ちやそういうものがたくさんあるところ。自分を保てないと……、心幹を繋いでもらう前にその世界の住人になっちゃう」
「それって……どうなるの?」
「自分が誰かとか、どうしてその世界にいるのかを忘れてしまう」
「夢……から覚めなくなる、ってこと?」
「最悪そうなるかもしれない。今までずっと目覚めなかったって話は聞いたことがないけれど。一番悪いのでは、何日も目を覚まさない子がいて何人かで探しに行ったことがあったくらいかな」
「結構……怖い話だね」
「だから、他の少女の世界に夢渡りをするのは心幹を繋げた者同士バディを組んで、夢の中のことを記録するのが原則になってる。安全のために……」
「なんだか、夢渡りって、すごく危ないことしてるような気がしてきたよ」
「そうでもないよ……? どちらかと言えば世界に馴染めなくて追い出されたり……目を覚ましちゃったりすることの方がずっと多いから……。やっぱりそれも、考えてることが細切りになってぼんやりしてきてバラバラになっちゃうのが原因だから、夢で起こったことをできるだけ覚えておけるようになることが大事」
「なるほどねぇ……」
つかさも座ってノートを広げる。
「本当は起きてからすぐ書かないと……忘れちゃうから」
「もうちょっと早く起こさなきゃいけないか」
つかさはそうぼやきながらノートの一ページ目を開き、昨日の日付を書き込む。
「覚えてる……?」
「うーん。えーっと」
見た光景、波乃香の言ったこと、自分のしたこと、真っ暗でも手足が見えたこと、などなど。順番に思い出しながら記していく。
その様子を見ていた波乃香が言った。
「スラスラ……書くね……」
「そう?」
「多くの人は夢の中でのことはあまり思い出せないものなの。私でもまだ覚えてる方なんだって」
「へぇ」
「夢の中の私は、私とは勝手に動くような感じで……」
「言われてみれば、夢の中の波乃香ちゃんは起きてる時と少し様子が違ったような」
「へぇ……。じゃあ、それも書いておいてちょうだい」
「分かった」
日誌を書き終えたら夕方になっていた。少し早いが夕食が摂れる時間だったので食堂に向かう。時間帯のせいか、あまり混んでおらず手早く済ませることができた。
部屋に戻り、波乃香は昨日と同じようにつかさを連れて姿見の前に立つ。
つかさは昨日から気になっていたことを聞く。
「そういえば、なんで姿見の前に立つの?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
つかさが頷くと波乃香は応える。
「夢渡りをする方法。瞳の中に光る粒を目で追いかけること」
「あぁ、これ……」
つかさは鏡に映る自分の顔を見る。学園に来る前に悪夢を見たときも、鏡で自分の目の中に動く光の点を覗き込んだからだったような気がした。
「ストップ」
つかさが鏡の中の自分の瞳を眺める前に波乃香の手がつかさの瞼を覆う。
「見つめ合うと眠っちゃう」
「ごめんごめん」
つかさが謝ると波乃香の手が離れる。波乃香は、やや真剣な口調で続けた。
「あと、ほかの子の瞳の中の光を追うのもダメ」
「それも、夢の中に入っちゃうの?」
「その上、その子の世界にしか入れない」
「じゃあ、少女同士は目を見て話せないの?」
「光を追わなきゃ大丈夫だけど、慣れないと難しい。人は、キラキラしているものを見たくなるから」
「あー……」
そういえば、初めて悪夢を見たときも鏡に映る瞳を見てからあっという間だったなぁ、とつかさは思い返す。
つかさが曖昧に頷いたのを見て、波乃香が鏡を見る。今度は倒れるのが分かっていたので、ギリギリにならずに波乃香を抱えることができた。
それにしても、毎回毎回片方が気絶するのをもう片方がベッドまで運ぶのだろうか、と疑問に思いながらも波乃香を寝かせ自分も隣に入って眠る。
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