第2話 鳥籠とランプ
「この学園に集められる少女たちは、普通とは少し変わった夢を見ることができるの。夢の狭間にある扉から他の少女たちの夢の中に入れる。それを私たちは『夢渡り』と呼んでいるのよ」
「ほかの少女たちの夢って……この学園に住んでいる?」
「ううん。一度も会ったことない少女の夢もあるわ。それぞれの扉から別の夢に通じている。沢山の扉があるここが『夢の狭間』というわけ」
波乃香の言葉を頭の中で反芻しながら、つかさは尋ねる。
「それで、先生の言っていた『目的』っていうのは何?」
「ほかの少女たちの夢の中に入って、少女に会って、
「しんかん?」
また分からない単語が出てきた、つかさは思った。
「とにかく……まずはここ」
波乃香はそう言ってある扉の前で止まる。鋼鉄の柵で出来た扉のようだ。扉の向こうもまた暗闇で中を覗くことはできそうにない。
「この扉は?」
「私の世界への扉」
「波乃香ちゃんの夢の中、ってこと?」
「そう」
「ここは違うの?」
つかさは両手を広げて尋ねる。
「ここは、つかさと私が共通で見ている夢の狭間。『夢渡り』ができる少女たちは、パートナーの片方が夢に入った時に隣で眠ると同じ夢を見ることができるの。この扉から先は、私の夢の中」
なるほどそれで部屋のベッドが一つなのか、とつかさは一人納得する。だからといって
波乃香は扉を開けながら続けて言う。
「ここから私の世界に入って、私に会って心幹を繋いできて。私はここで待ってる」
「えっ、どういうこと? 波乃香ちゃんも来るんじゃないの?」
「自分の夢の中には入れないの。大丈夫、この中にも私はいるから」
そしてそのまま半ば押し込めるようにつかさを中に入れた。
扉の向こうの世界も真っ暗であった。元来た扉に戻ろうとしたが、鉄格子は暗闇の中に溶けていった。
ぼんやりしていても仕方ないので波乃香を探すことにする。
「波乃香ちゃーん……どこー…………」
つかさ独りの声が響くが何の反応もない。暗闇のずっと向こうに、レモン色の光の柱のようなものがいくつも見えるが、その光はつかさのところに届かないようだった。
手探りでソロソロと進むうちに足がもつれて転んでしまう。手をついて起き上がろうとして不思議なことに気がついた。
自分の手ははっきりと見える。起き上がって手足や後ろを見てみると、自分の体だけははっきり見えるようだった。
(なんで? 真っ暗なら自分の体も見えないはずなのに)
そういえばさっきの場所も、暗闇の中なのにも関わらず、波乃香や扉はちゃんと見えていた。
少し考えて、納得する。
これが、夢の中だからだ。想像できるものから形作られているのだろう。
それならば、と、つかさは手元にランプを「想像」する。初めはモヤモヤとしたものだったが、しばらく集中力を向けると、最後にはしっかりしたランプの形になった。真っ暗な中では心強い灯りだ。
つかさはランプを手に、足元に気をつけながら歩む。平らで硬い地面が続いているようで、闇の中では不幸中の幸いだった。
ふと足場がなくなっている場所があり、ハッと歩みを止める。崖の先をよく見てみると、大きな丸い穴になっているようだ。落ちないように気をつけながら穴の下を覗き込む。
巨大で真っ赤な目玉が穴の底に浮いていた。瞼のようなものが目玉の殆どを覆い、薄目を開けている程度であったが、もし瞼が開いてこちらを見たら……と考えて、背中に氷水を流し込まれたような寒気に襲われる。
一歩二歩……と後ずさると不意に誰かにぶつかってしまった。ぶつかってしまった者は小さく悲鳴を上げて倒れる。
慌てて振り返りランプを向けると、寝巻き姿の波乃香が倒れていた。
「波乃香ちゃん!?」
「ヒッ」
つかさの声に波乃香が飛び上がる。体を縮こまらせ、怯えているようだ。
「あ、えっと。怖がらないで。何もしないから」
「誰……?」
「え……?」
波乃香の言葉に少しショックを受けたつかさだが、きっと顔が見えていないのだろうと思い、ランプを顔の高さまで上げて言った。
「ほら、私。つかさだよ」
「あ……」
つかさだと気づいた波乃香は少々バツの悪そうな顔をする。
「ごめんなさい。目が明るさに慣れてなくて」
つかさは波乃香を助け起こしながら尋ねた。
「ここはいつもこんなに真っ暗なの?」
波乃香が頷く。つかさは遠くの光の柱を指差し聞いた。
「あの光の柱みたいなのは?」
「龍脈。他の世界……今まで繋げてきた世界から来るエネルギーの道筋があんな風に見えているの」
「あの光は、ここや波乃香ちゃんを照らしてくれないの?」
「力は貰える。でも、照らしてくれはしない」
「そっか……」
次に、足元に浮かぶ赤い目について尋ねる。
「あの目玉は何?」
「この世界ができたときからある。ずっと私のことを見ているの……」
「何か悪いことや怖いことしてくる?」
「ううん。悪いのは、多分、私……」
「何か悪いことをした覚えはあるの?」
波乃香は俯いて首を振る。
「じゃあ、自分が悪いなんて思うのはとりあえずやめとこう?」
波乃香は不安そうにつかさを見上げ、小さく頷いた。
「そうだ。外の波乃香ちゃんに、しんかん……? を繋げてきてって言われたんだけど、何のことか分かる?」
「心幹……これのこと」
そう言って波乃香は服の内側に仕舞っていたネックレスを取り出す。金のチェーンの先に小指の爪くらいの大きさの琥珀が付いていた。
「綺麗だね。これはどういうものなの?」
「私の……大事なところ。譲れない気持ちとか、私が私であるために必要な思いが形になったもの。他の世界の、他の少女の物も、色や形は違うけれど、だいたい宝石みたいな見た目になってる」
琥珀越しに憂い気味な波乃香の瞳がつかさを見る。
「夢渡りの少女たちは皆、ほかの世界の心幹を探して、自分の心幹と繋げることを目的にしている。沢山繋げられると自分の世界の龍脈が増えて、より力を得られるようになるから」
「力を得て、どうするの?」
「‘完全’少女になる」
「‘完全’……?」
「何者にも侵されない、絶対の少女」
「波乃香ちゃんも、‘完全’少女になりたい?」
「勿論」
はっきりとした口調で言い切り波乃香が頷いた。
「私は、その手伝いをすればいいんだね」
「そうしてくれると、すごく嬉しい。ほかの子達は皆パートナーを組んでるけど、やっぱりライバル同士だから」
「私のことは気にしなくていいよ。……じゃあ、繋げよう。私はどうすればいい?」
つかさの提案に、波乃香は申し訳ない雰囲気でこう言う。
「一つだけ、お願いを聞いてくれない?」
「なあに?」
波乃香がランプを指差す。
「その灯りを私に頂戴」
「いいよ。私がこの世界を出るときに渡してあげる」
「ありがとう。じゃあ、手のひらを乗せて。今から私の言うことを繰り返して」
「分かった」
つかさは琥珀を乗せた波乃香の手のひらに自分の手を重ねる。
「『私は、この世界を受け入れる』」
「『私は、この世界を受け入れる』」
次に波乃香がつかさを見据える。
「『私は、この少女を受け入れる』」
「『私は、この少女を受け入れる』」
つかさは言葉を繰り返しながら見つめ返す。
「『そうして私たちは』」
「『そうして私たちは』」
手の中の琥珀が輝き、光が指の間からこぼれてくる。
「『また一つ、‘完全’に近づく』」
「『また一つ、‘完全’に近づく』」
短く高い音が鳴って、琥珀からの光が収まった。
「これでいいよ」
「そっか、ありがとう」
「扉まで案内する」
波乃香に連れられて暗闇を進む。しばらく歩いて鉄格子の扉の前に着いた。扉を明ける前にランプを手渡す。
「はい、これ」
「ありがとう。……ねぇ」
「何?」
波乃香は少しもじもじして、上目遣いで呟く。
「また……来てくれる?」
頬を染める波乃香につかさは微笑んで返す。
「波乃香ちゃんが望むなら、いつでも」
扉を通り、元の場所まで戻ってきた。扉の脇で波乃香が退屈そうに座っている。戻ってきたつかさに気づいて立ち上がり声をかけてきた。
「おかえりなさーい。無事済んだみたいね」
「一応ね」
つかさは首をすくめる。
「もうちょっと自信持ってもいいのよ。なかなかできることじゃないから」
「そう、なのかな。波乃香ちゃんの役に立てる?」
「ええ、きっと。さて、次はあなたの世界ね」
「私の? 私にもあるの?」
「当然。どこにあるの?」
「分からない」
「そんなことはないはずよ。よく感覚を研ぎ澄ませて。あなたは、どこにいる?」
「私、は……」
耳を澄ますように神経を集中させる。今までは感じなかった、どこからか引き寄せられるような感覚を覚える。
「あっち」
その感覚を頼りに進んでいくと、モノクロで真四角の扉を見つけた。
「ここね。じゃあ、ちょっと行ってくるわね。あなたはここで少し待ってて」
「あ……そっか。自分の世界には入れないんだっけ」
この暗闇の中で独り待つということを思って、つかさは少し不安になる。
「そんな顔しなくてもすぐ戻ってくるわ」
波乃香は微笑んで扉を開け入っていた。
つかさはふと目を覚ます。記憶が前後不覚になっていて意識が朦朧としていた。
少しの間ぼんやりして、さっきまで夢渡りをしていたということを思い出す。
「波乃香ちゃん?」
隣で横たわる波乃香に声をかける。だが全く反応がない。窓の外はまだ暗く、目覚めるには早い時間だということが分かる。自分だけ先に起きてしまったことに気づいた。
自分だけ起きてしまったことに急に焦りが出てくる。眠る波乃香は微動だにせず、よく見ないと呼吸すらしていないように見えた。少し幼い雰囲気の整った横顔は、さながら人形のようだ。
つかさは再び横になり目を閉じる。あの夢の中に戻れるよう念じながら。
「波乃香ちゃん!」
再び夢の中に入ることができた。つかさの世界の扉の前に立っている波乃香を見つけて声をかける。
「大丈夫? 私途中で起きちゃったみたいで」
「あー、やっぱり? 途中で追い出されちゃったから」
「危なくなかったっ?」
「別に、繋ぐのは早々に終わってお話してただけだから」
つかさは安堵の吐息を吐く。
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ。夢渡りに慣れてないうちは、狭間にいると起きちゃうこと、結構あるから」
「本当?」
「うん。本人が起きちゃうと世界にもいられなくなるから、扉の外まで出されちゃうんだけど」
「そう……」
波乃香の様子を見て安心したつかさだが、別の不安が脳裏をよぎる。
「そうだ。私、波乃香ちゃんに変なこと言ってなかった? ひどいこと言ったり、意地悪したりしなかった?」
波乃香は首を振る。
「何も。……つかさは、本当に素直でいい子なのね」
そう言って、波乃香は意味深に瞼を伏せた。
「……? それは、どういう意味?」
「そのままの意味よ。大丈夫、慣れないことをして少し疲れただけだから。今夜はこのくらいにしておきましょう」
つかさは波乃香に手を掴まれた。もう片方の手を瞼に乗せられ視界を塞がれる。そのまま意識が闇の中に溶けていくのを感じた。
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