第1話 出会い

「大丈夫だ、よく似合っているぞ」

 黒塗りの高級車の中で、向かい合わせに座った人に向かって黒ロリータの少女は呟く。

「ありがとうございます。それなら良かったです」

 そう答えたその人物――名を「つかさ」という――は、夕闇色のミリタリー風ワンピースで身を包み、緊張気味に膝の上に乗せた帽子を握っていた。肩にかかるくらいの長さの白銀の髪が特徴の中性的な顔立ちをしている。

「そう固くなるな。まぁ無理な相談かもしれないが……」

 少女は少し困ったような顔をしながら微笑んだ。

「自己紹介がまだだったな。私は、これから君が行くことになる学園で教師をしている。生徒に名は明かしていないが、『先生』と呼んでくれればいい。冠するは‘偽’少女――。学園内唯一の偽物の少女だ」

 胸に手を当てそう言う彼女の最後の一言には憂いと自虐が含まれていた。不思議な自己紹介だが、これから行く「学園」での決まりの一つらしい。

 車はスルスルと人気のない田舎道を進んでいく。帽子を握ったまま不安そうな顔で窓の外を見るつかさに先生は優しく話しかける。

「学園は街から外れた丘の上にある。外出には許可がいるが、殆どの物が学内で揃う。不自由はさせない」

 話しているうちに車が大きなゲートをくぐって生垣の中へ入る。

 レンガで敷石のされた道を行き、正面の大きな建物の前で止まった。

 運転手がドアを開け先生が先に降りる。つかさが後から帽子を被りながら降りた。先生はヒールの音を鳴らし、持ち手の丸い杖を突きながら懐中時計を取り出して時間を確認する。

「まず彼女に会ってこい。この時間なら植物園にいるだろう。植物園はあっちのガラス張りの建物だ」

 先生はそう言って右の方を指差す。

「さっき教えたように名乗って、私の部屋まで連れてきてくれ。眠っているようなら、起してくれて構わない。私は先に戻っている」


 指差された方へ少し歩くと、言われたとおりガラス張りの建物があった。これが植物園だろう。見慣れない巨大な植物が沢山育てられているようだ。

 ガラス戸を開け中に入る。鍵はかかっていなかった。建物の中は人気がない。

道なりに進むと、奥にベンチがあり、そこに少女が一人座っていた。声をかけようと近付く。少女は眠っているようだった。

 ライムグリーンを基調としたワンピースのスカートはパニエを重ねふんわりと広がっている。各所に散りばめられた桃色のフリルが、少女自体を花で埋もれさせているように見せる。少女の頭が微かに揺れる度に、癖のない長い黒髪がさらりと肩に流れていく。

「貴女が……『はのか』さん、ですか?」

 そっと声をかけると、少女の瞼がゆっくりと開く。大きな琥珀色の瞳がつかさを映す。そのまましばらく見つめ合って、それから頷くのを見て、つかさは帽子を外して胸に当て、右足を後方内側に引き膝を折って、名乗った。

「初めまして。今日から貴女のお世話係になりました。つかさ、と言います。先ほど‘非’少女の名を頂きました。至らない点もあるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 つかさの言葉を聞き、少女の長いまつげに縁どられた瞼が悩ましげに揺れる。やがて桜色の唇が薄く開き、鈴の鳴るような声で言葉を紡ぎ出した。

「座ったままで失礼します……。私は、波乃香はのか……ここでは‘自然’少女と……呼ばれています……」

 胸元に手を当て名乗った波乃香はまたジッとつかさを見る。

「同じ歳の……男の子が来るって……聞いたのだけど……」

「はい。そうです」

「でも……『少女』……なのね……?」

「自覚はあまりありませんが、そう伺っています」

「じゃあ……別にいい……」

 波乃香はそう呟いて、ベンチの左側に寄り、つかさを右側に座るように促す。

「……そういう格好だと……女の人にしか……見えないわね…………」

「ありがとうございます」

 つかさは波乃香の隣に座りながら微笑んで礼を言う。波乃香は、つかさの肩の辺りで揺れる白銀の髪を掴む。

「綺麗な……髪……。宵の……三日月の、色……」

「ありがとうございます。この髪を、そのように褒めてくれたのは、貴女が初めてです」

「波乃香って……呼んでくれていい……。あと、そんな丁寧な話し方じゃなくていい……」

「分かった。……波乃香、ちゃん?」

「うん……っ」

 波乃香は嬉しそうに微笑んで頷いた。花がほころぶような笑顔に、つかさも嬉しくなった。

「そうだ。波乃香ちゃんと会ったら、先生の部屋に来てって言われてたんだった。行こうか。立てる?」

 つかさは先に立って波乃香に手を差し伸べる。波乃香はフリルをまとった袖から白魚のような手を出して、出された手を握った。


 二人は植物園を出て、先生が入っていった建物に入る。

「先生の部屋の場所が分からないや。波乃香ちゃんは知ってる?」

「こっち」

 波乃香が広い廊下をふわふわ進むのを付いて行く。廊下のつきあたりの扉の前で止まった。ノックをする。どうぞ、という返事が聞こえたので中に入った。先生がデスクに向かって書き物をしていた。

「ああ、会えたのか。じゃあこれ、君の分の部屋の鍵だ。荷物は全部運び込んでもらってある。授業は明日からだから、今日は一日ゆっくりしてもらって構わないぞ」

 先生は引き出しからアンティークな鍵を取り出してつかさに渡す。

「明日の朝はまずここに来てくれ。教室まで案内するから」

「ありがとうございます。失礼しました」

 先生はまだ仕事が残っているようだったので、そのまま二人は部屋を後にした。


 波乃香に連れられて部屋に入る。つかさが部屋の中を見渡している一瞬に、波乃香はまっすぐベッドに向かいそのまま倒れ込んでしまった。

「それじゃあ……おやすみなさい……」

「えっ、ちょっと」

 一言ぼやいたのを最後にそのまま寝息を立て始める波乃香。

「ねー、そのまま寝ると服が皺になるよー」

 揺すってみても全く起きる気配がない。仕方ないので、そっとしておくことにした。

 つかさはもう一度部屋を見渡す。元々二人部屋なのだそうだが、今までは波乃香一人で使っていたらしい。存外、部屋の中は殺風景で、備え付けの家具以外の私物が殆どなかった。飾り気のない大きなベッドが一つ窓側に置かれている。

(まさか、同じベッドで寝ろって言うんじゃ……)

 ある時急に現れた先生が、「悪夢について教えてやる。そのかわり同じ歳の女の子と同室で、その子の身の回りの世話をしろ」と言ったときは驚いたが、ベッドまで一緒だとは思わなかった。この学園の倫理観はどうなっているのだ、とつかさは悩む。波乃香は気にする様子もなく眠っているが。

 気にしていてもしょうがない、と考えたつかさは窓を開け、部屋に風を通す。隅に溜まった埃を軽く掃除したあと、届けられていたトランクの中身を出し、箪笥やクローゼットに仕舞う。今着ている服装は制服の代わりだと先生から渡されたものだが、洗い替えは既にクローゼットの中に入っていた。

 二つあるうち空いている方のデスクを軽く拭き私物を置く。テーブルを拭き、置かれた花瓶の水を入れ替えた。

 そうしているうちに日は傾き部屋の中が暗くなってきたので灯りを付ける。その頃には荷解きも終わっていたので、つかさはもらった学園の資料を読むことにした。デスクに資料を広げ椅子に座る。チラリとベッドの方を見たが、波乃香はずっと起きる気配がない。

 資料に視線を戻す。貰ったのは二種類、一般向けの学園のパンフレットと生徒向けの学園生活についてなどが書かれたもの。パンフレットには、学園の外観の写真とともに「少女たちの絆と安寧の学び舎」という文字が躍っていて、学園の概要や連絡先が記されていた。生徒向けの資料には、校内案内図や授業日程、寮則や校則は生徒手帳に書いてあるからそちらを参照することなどが記されていた。

 資料を眺めていると、ドアをノックされる。

「はーい」

 返事をしてドアを開けると、バスケットとジュースの瓶を持った先生が立っていた。

「やぁ、差し入れを持ってきたぞ」

 先生はそう言ってバスケットにかけられた布巾を外す。中にはサンドイッチとコップが三つ入っていた。

「わーっ! ありがとうございます。美味しそう……」

「別に私が作ったわけではないがな。荷解きは済んだのか?」

「ええ、だいたいは」

「真面目だな。ところで波乃香は?」

 つかさはベッドの方を指し言う。

「部屋に着いた途端あそこに」

「世話の焼ける……」

 先生はテーブルの上にバスケットと瓶を置き、ベッドへ向かう。

「おい、波乃香起きろ。夕食を持ってきたぞ」

 先生が声をかけ揺すっても、波乃香は寝息を立てたまま微動だにしない。振り向いてつかさに尋ねる。

「つかさ。こいつは寝る前に何かしていたか?」

「いえ……ただおやすみと言ってそのままパタンと」

「じゃあ叩き起しても大丈夫だな。おいーっ波乃香! もう夜だぞ!」

「……夜……」

 かなり大きな動作でゆさゆさと揺すると、波乃香はうっすらと目を開けて呟いた。

「ああそうだ。軽食を持ってきた。少しは食べろ」

「んー……」

 波乃香は伸びをして起き上がりふらふらと二人のところへ歩いてきた。つかさは波乃香を座らせ先に食べさせる。

「いただきます……」

 波乃香が小さく口を開けて食べ始めた。次に先生に座ってもらおうとしたが、私はこっちでいい、とサンドイッチを掴んでデスクの椅子に腰掛けてしまう。つかさも波乃香の向かい側に座り食べることにした。

 ジュースを注いで波乃香と先生に渡しながら、疑問に思っていたことを尋ねる。

「先生、ちょっとお尋ねしたいことが」

「なんだ?」

「ここには私たちしかいないのですか?」

「ん? この学園にという意味か? いや、沢山の生徒が生活しているぞ」

「あまりにも人の気配がないものですから」

 ここに来てから誰ともすれ違っていないし、隣部屋にも人が住んでいるはずなのに物音一つしない。

「ああ、今日は休日だからな。だいたいこういう日は皆部屋から出てこない」

「皆? なぜです?」

「少女本来の目的のためだ」

「目的……」

 つかさがぼやいて首をかしげる様子を見て、先生が訝しげに波乃香に尋ねる。

「……? おい波乃香。お前まさか、つかさに何の説明もしていないのか?」

「んー……」

「とぼけるんじゃない。夢渡りの話はしたのか?」

 問い詰める先生に波乃香は面倒そうに応える。

「夢の話は……夢の中でする……」

「おいおい……本当にそんなんで大丈夫なのか?」

「だぁいじょーぶ……」

「全くいつもいつも……」

 先生がため息をついているのも気にせず、既にサンドイッチを二つ三つ食べ終えた波乃香は手を合わせてお辞儀をする。

「ごちそうさまでした」

 そしてその場でまた船を漕ぎ始める波乃香を見て、先生は額に手を当てながらつかさに言う。

「あー……。つかさ、波乃香はこんな感じだが、よろしく頼む」

「ええ。元々そのために呼ばれたのですから」

 つかさは胸に手を当て微笑んだ。


 バスケットの中も瓶の中も綺麗に無くなって、先生が引き取り部屋を去る前に、二人に言う。

「何かあったら言えよー。私は部屋に戻るからなー」

 つかさはテーブルを拭きながら波乃香に聞いた。

「波乃香ちゃん。さっき先生が言ってた『夢』って、何の話?」

「ここにいる皆は、夢を見るの……。そのために、ここにいる」

 ベッドに腰掛けた波乃香はどこか遠くを見るような眼差しで呟く。

「夢って、夜眠って見るあの夢?」

「ちょっと違うけど、だいたい、そう」

 台拭きをキッチンで洗ってかけておいて、ベッドに腰掛ける波乃香の目線に合わせて屈み話す。

「とりあえず、夢を見るなら、歯磨きして、お風呂に入って、寝巻きに着替えないと」

 つかさの言葉にやや不満そうな顔をして波乃香が言った。

「服はこのままの方が、いい。お風呂は朝シャワーを浴びれば充分」

「ならせめて歯磨きはしよう」

 波乃香はますます面倒そうな様子を見せる。

「もう! 虫歯になって困るのは波乃香ちゃんだよ」

 つかさは波乃香を洗面台まで引っ張っていて歯磨きをさせることになった。

 半ば強制的な歯磨きを済ませたあと、波乃香はつかさと一緒にベッド脇の姿見の前に立つ。

「じゃあ、始めるよ」

「ちょっと待って、何を?」

「夢渡り」

 波乃香はつかさの袖をつまんで言う。

「今から私が眠ったら、ベッドに運んで。一緒に寝て」

「分かった」

 つかさが頷くと、波乃香は姿見に向き直り、映る自分の姿を見た。

 次の瞬間、波乃香は釣り糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

「波乃香ちゃんっ?」

 つかさが慌てて抱きとめたおかげで頭をぶつけずに済んだ。

 波乃香の顔を覗く。今の一瞬で眠ってしまったようだった。つかさは波乃香を抱き上げベッドに寝かせ、自分はその隣に入り眠ることにした。


 つかさが目を開けると、いつの間にか真っ暗な空間に立っていた。足元は浮いているように不安定で、周りには様々な形の扉が点在している。

 それは、つかさが最近見るようになった「悪夢」に似た光景だった。

「ここは……」

「今晩は」

 つかさは声のした方に向く。波乃香が暗闇の中にぼんやり浮かび上がるように立っていた。

「貴女は……波乃香ちゃん?」

「そうよ」

 そう応える波乃香の声はさきほどまでとは随分違うようにつかさには聞こえた。

「起きている時の私とは、少し違うかも」

 つかさの思考が読めるように波乃香が言う。そしてゆったりとした動作で両手を広げ、こう続けた。

「ようこそ、夢の狭間へ。つかさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る