3
「田端さん。あなたの方からわたくしに接触を図ってくるとは想定外でしたよ」
的井桜は、仮面を脱ぎ棄てた自称ボビイの本名を、田端博継だと言い当ててみせた。
素粒子観測所の上階層側から一同を見下ろす構図になっている田端だったが、何ら物怖じせず自分を品定めしてくる的井を前に、後に続ける台詞を失念してしまったらしい。眼鏡越しの表情を僅かに引きつらせている様子が、遠巻きにも伝わってきていた。
間もなくして田端は、場の空気を誤魔化そうと大げさに苦笑してみせた。小心者だった。社会システムといくつもの勢力を手玉に取った黒幕とは思えない動揺ぶりだ。
「いやあ、さすがに正体バレてるだろうなーくらいは覚悟していたけれど、真顔で国の偉い方に言われちゃうと、正直キツいですねえ……」
へらへらとした笑みをこびりつかせながら、浅黒い肌の少女の手を引いて、上階の連絡通路をこちらに向けて歩いてくる。ゆっくりと、なるだけ慎重に。
「わたくしは今回の一連の事件について不思議に思っていました。田端さん、確かにあなたは優秀なエンジニアです。フェアテレサット参画における、国際的な功績もある。ですが、あなたはあくまで航空宇宙工学分野における管理技術者として正当な評価を受けただけ。あなたにセキュリティ犯罪の才能があったなど、わたくしどもの情報には記載がない。――一体どこの国の差し金ですか?」
宇宙開発庁長官としての立場からの問いかけに、田端は表情を凍りつかせる。
「あ、ははは……いきなり工作員呼ばわりですか。いやあ、なんでしょう……とても遠い国、と言えばよいのかな」
「発言は慎重にお願いしたい。我が国の死刑制度はただ沈黙しているだけ。必要とあらば必要なタイミングで、必要な人間に対してそれを発効、即時適用されましょう」
「いやっ、冗談! 今のはナシでお願いしますっ!!」
みっともなく慌てふためく田端をよそに、何ら予兆なく、野太いモーター音を伴って、自律装甲車の砲身付きアームがジュノォらに突きつけられる。田端の立つ上階層を見上げていた的井は、一房こぼれ落ちた白髪を除け、横目にアーティクトらを一瞥する。刻まれた皺から覗く形相に、静かな威圧の色が込められた。
「邪魔するなよ、ソーサルども。貴様らには、我々が用意したテーブルにつく資格を与えた覚えはない」
露骨なまでに強靭な姿勢で、的井がアーティクトを威嚇した。
「あれに近づくことも許さん。我々は容赦しないぞ」
言い捨てると、的井はこちらになど眼中にないように、再び田端へと向き直した。
「…………糞っ、俺らをハメやがったな、てめえ」
ディータが怒鳴りつけた相手は的井ではなく田端の方だ。それに困惑し慌てた田端が、誤解だと全身をもって否定のジェスチャーを返す。自制のたがが外れかけたディータは舌打ちを返すが、それ以上の行動は許されない状況だと彼らも認識していた。彼らがもし武装していたとしても、暴徒制圧目的の大口径砲身を前に一歩も踏み出せないでいただろう。
「こいつらの制御はクローズドだ。上の彼がやらかしたらしいクラウド・ネットワーク乗っ取り騒動の影響は微塵にも受けん。無駄な足掻きは考えないことだ」
部外者の介入など意にも介さず、的井はアーティクトへの警告を続ける。
「へえ、そうかい。一体何の罪でしょっ引こうって? 拉致監禁罪とかぬかすなよ。聞いた話じゃ、このトバル少年はあんたらの守るべき国民じゃないそうだ。そうあんた自身が彼に突きつけたってね」
ジュノォはあくまで冷静な笑みを顔に、ひらひらと両手を広げて見せ、
「大体あんた、ただの政治家だ、警察の人間じゃないだろう。それにオレたちは丸腰だ。お互い、やり合う理由がない」
これは無意味な対峙だとアピールする。的井は答えない。自律機械たちも警戒態勢を維持し、駆動部をロックさせたままだ。アーティクトを相手にする気など最初からないというスタンスを、対話を介さない単純明快なる行動で主張している。
「なるほど、今回のあんた、非公式でのお散歩、ってことかい」
得心したように、ジュノォはそこまでで的井への追及を止める。
「何、あのひとぼくたちを連れ戻しにここまで来たんじゃないの?」
脇から一佐が口を挟む。が、反応が返ってくる前に手を掴まれ、思い切り背後へと引っこ抜かれてしまった。転倒しかけたところをすぐに支え直される。小晴だった。彼女が真剣な眼差しで真っ向から彼を捉え、危ないからやめよう、お願いだよ、と伝えてくる。傍らにミィヤがいて、感情の読めない視線を〈楔〉に向け送っていた。自分たちは事態の成り行きを、固唾を呑んで見守るしかないのだと、一佐もようやく冷静になった。
と、田端が人質に取っていた少女が、彼を強引に押しのけ突然前に飛び出した。そうして田端を引きずりながら通路の手すりに上体を乗り出し、階下に向け声を張り上げて叫ぶ。
「――――――逃げてジュノォ――――――!!」
凛と張った声が、帯びた残響の鋭さにも増して、吹き抜けの遠くまで響き渡った。慌てた田端は、背後から彼女を羽交い絞めにしようとして、
「あの、ちょっと待っ、落ち着いてって――――」「うるさい、ちょっ、こら――胸さわんな――」「うわあ、ごめんなさい今のもナシ――――!!」
縺れ合うようにして、両者が視界から消えた。体勢を崩して死角に入ったようだった。
「――――――クサい芝居はよせ、リンチェ!」
ジュノォには珍しい大声だった。いつもの演出がかった言い回し抜きで、人質のはずの彼女とは眼を合わせようともせずに。それに驚かされたのか、リンチェと呼ばれた少女が連絡通路の片隅からひょっこりと顔を覗かせる。よくよく眺めてみれば、彼女の表情には悲壮さなどなく、ただ呆気にとられたような眼をしていた。
「手錠を取れ。跡が残る」
再び吐き捨てるように言うと、ジュノォは自律機械たちの前に二人対峙するディータとスクワッドを退かせ、
「承知した。あんたらの用件が済むまで、こちらはここで大人しくしていることにしよう」
背後で傍観を決め込んでいたミィヤに視線で促す。彼女も最初から役者の頭数に含まれていると言わんばかりに。
◆
「さあて、どこから話せばよいものやら……」
手錠の解かれた手首をさする仕草を見せながら、田端が壁面に設置された連絡通路の階段を、一段、また一段と下りてくる。
「よし、止むをえまい。無用な誤解が生まれないよう、核心から話してしまおうかな」
リンチェと呼ばれた外国人の少女は、彼の後ろあたりの段で突然降りる足を止め、そのまま気まぐれに腰かけてしまった。同様に外された手錠。頬杖をついて、階段を下りてゆく田端の背中をただ眺めているだけだ。大人である田端との人質関係などまるでなかったかのような、呆気からんとした態度だった。
「――では、あらためまして皆さん。的井さんの仰ったとおりで、僕の名前は田端と言います。ハッカーってのは真っ赤な嘘で、この洋上自治区で働いている、しがないサラリーマンです。ちなみにですが、笑えることに職場はここトリスタンとは一切関係ない」
田端はわざわざ自己紹介から始めた。身振り手振りを交えながら階段を下りる仕草が、TV番組の司会者気取りにも見え、この場においてどこか滑稽だと一佐は感じた。
アーティクトも、的井らも、この素粒子観測所に集合した一同面々は、この田端という謎の男の口から飛び出すであろう疑問への解を前に、各々の立場で静観している。
「そして的井さんのご指摘、実は図星でした。今の僕は文字通りの、外国の工作員です。スカウトされちゃいました」
田端が、ようやく的井らが対峙する地平に近しい段まで降り立った。ただ、まだ完全に警戒を解くつもりはないらしく、最後の段まで降りてくる直前で足を止める。
トリスタンの瓦解した粒子測定器越しに、彼はミィヤを見て微笑み、そしてこう言った。
「僕は世界で唯一、あの〈クラーク軌道の
彼の口からそんな宣言が飛び出したのに、この場にいた誰もが、何らかの形で驚かされることになった。
「クラウド・ネットワーク網や衛星管制システムの掌握に使ったプログラムも、実はアーチルデット艦長から提供されたものなんです。ここに皆さんを集めるため〈彼女〉が全部お膳立てした。僕はそのお手伝いをさせられ――じゃなかった、させてもらったって事情がありました」
一佐は隣にいるミィヤの顔色を窺う。急き立てられるような、焦燥のような、見たことのない表情をしていた。危なっかしいな、という声が衝動的に脳裏を駆け巡った。
そうしてこちらに突きつけられた自律装甲車の砲身も全く意識から抜け落ちてしまったかのように、ミィヤは列から一歩前に飛び出していた。
「――――あのっ、ししょーは! あの方はいま、どこにおられるのですかっ!?」
視野狭小に陥ったミィヤが田端を問い詰める。そこまでの渇望の対象だったのか、後先考えない、痛ましい表情を衆目に曝け出した。
設定条件から逸脱したミィヤの行動に、自律装甲車のアームが威嚇を開始する。光学走査の赤色レーザー光が一帯を放射状にほとばしり、ミィヤの全身の起伏を数値化して捉え、照準して、ヒステリックな警告音を発した。
咄嗟に飛びかかっていた。勘にも似た、衝動的なもの。一佐よりもスクワッドの手が一寸早く、突き飛ばされ転倒したミィヤの足元を弾丸がかすめた。撃ち込まれた分厚い床板が陥没し、歪んだそれが持ち上がり、捩じ切られたボルトナットが寸分遅れで弾け飛ぶ。
開放された排莢口から放物線の軌跡をなぞって、スピンする真鍮色が怪物の足元を転がる。嗅ぎ慣れない薬品の、煤状に燃え尽きた跡。不快な臭気。実弾だ、と誰かが呟くのを、麻痺しかけの鼓膜が辛うじて拾う。モーター動力で回転したままの連装型砲身が、ゆっくりと遠心力を失ってゆく。かちゃり。ストッパーの噛み合う音。駆動輪付きの四脚をバラバラに蠢かせ、反動で後退した姿勢と傾斜角を微調整させる。倒れ込んだ一佐は床に伏せたまま、自分の荒い息とともにそれらの狂想曲をただ聞かされていた。
「――――ごめん、〈彼女〉の行方は誰にも言えない約束なんだ。君にもだ、ミィヤさん」
目の前で繰り広げられた僅か数秒限りの惨劇に、絞り出すような声で、田端はそれでも与えられた役割を果たそうと、努めて冷酷な言葉で伝える。
茫然とした目つきでミィヤがへたり込んでいた。彼女の前に割って入っていた一佐を引き戻そうとする小晴が、ミィヤに泣きそうな顔を向けて返した。
「いいかな的井さん? 今回のは〈彼女〉との交渉なんだ。提示された条件を伝える」
田端も的井へと向き合った。これは両者間の問題だと、暗に訴えている。
「〈彼女〉の要求は、トリスタンに出現したそれを引き渡してほしい、というものだ」
それが〈楔〉の巨大結晶を指していると視線で明示して、田端は更に言葉を繋ぐ。
「その見返りに、彼女が鞍久間総理との会談を了承する。トリスタンに起こった異常は彼女によって除去され、日本の国際社会との軋轢も、両者の会談を経て円満に解消される。手を取り合ってみんな平和だ。いかがですか的井さん。異議は?」
的井はゆっくりと目を閉じ、思案する素振りをしばらく見せた後、穏やかな、しかし事務的な口調で答えを返した。
「――――我々は、正体不明のこの巨大結晶体を〈ラージストリング〉と名づけた」
そこで的井が、何を思ったのか田端当人ではなく、今まで意識から抜け落ちていたかのように無視を決め込んでいたミィヤに向け、初めて語りかけた。
「〈来訪者〉の少女よ、お前の主はこれを探すのに大変熱心だったようだな。なるほど、やはりお前たちはこれ目当てでこの星に来たということか」
「あなたが……それを生成させたのですか」
小晴に抱えられるようにして、ミィヤが立ち上がる。
「いや、違うな。
「誰なのですか、その彼らとは。このトリスタンを使い、地球上に存在し得ないはずの〈楔〉をどうやって作り出したと?」
既に表面上の礼儀を装うことなどかなぐり捨て、的井は失笑するように言った。
「わたしも詳しくは知らんよ。これに関わった連中なら、もう死んだ」
眼前の構造物に突き刺さる結晶の大剣。これを巡って、人命が損なわれた。鼓動が不自然に揺らぎ、思考が凍ったように、末節から順繰りで硬直を始める感覚。怖い、と感じる。
「――――あれは殺人事件だった。トリスタン計画は、環境的にも人員的にも頓挫する結果となった。それが、三ヶ月前にこの計画が狂った理由の全てだ」
田端がハッと息を飲んだ。主要研究チームの露出がなくなったという事態の曖昧な変化が、的井の伝えた言葉に動機付けされ彼に衝撃を与えたのだ。
「わかりました。それで、これの〈宿主〉は……どうなりました?」
次にミィヤの口から発せられたのは、この場にいる誰もが日常的な実感を持ち得ない、そんな特異な問いかけだった。
「…………宿主、だと?」
頭髪と同様の白い肌に穿たれた眼を、怪訝そうに窄めて返す。
「この〈ラージストリング〉は、ただの複製品、出来損ないだ」
そうして、ずっと腕組みを決め込んでいた的井が、緩やかに姿勢を崩した。SPらの前に出て、素粒子観測所が地底で形成するドームの天蓋まで、ヒールの鳴りを高く届かせる。
「これにはオリジナルがあった。これに携わっていた狂人どもが、砕けて失われたオリジナルの粒子をその加速器に仕込んで、何らかの役割を与えた。そんなものを持ち込んだのが何者なのかも、高エネルギー反応を与えて何を得ようと考えたのかも、今となっては死んだ連中しか知り得ないことだがな。いずれにしろ、その結果がこんなガラクタだ」
残された黒水晶ともつかぬ異物など、自分にとってさも無価値なものだと。莫大な資金をつぎ込んで建造された施設の、本来備えるべき機能と刺し違えてまで何者かが欲しがった結果ではないと、政界の脇役に人生を費やしてきたかの女性は訴えていた。
一頻り喋り終えると、それ以上語る言葉をなくし、的井は一旦沈黙した。
「わたしが把握している全ては話してやったぞ。ずっと知りたかったのだろう? さあ、来訪者の少女、今度はお前の番だ。お前たちが知り得る全てを、こちらにも提供してもらおう。宿主、などと言ったな。それは、何だ?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
田端が唐突に慌てふためき、あまりに一方的な的井の会話に割って入ろうとする。
「さっき僕は〈彼女〉からの要求をきちんと提示したはずじゃないですか。本題を拗らせないでくださいよ! 的井さんには先に〈彼女〉からの取引に答える義務がある!」
的井が田端を再び視界に捉え、視認した。
喩えるなら、引き金と撃鉄が理屈を歯車に噛み合うという、一連のプロセス。そんな精密に噛み合わされた機構が、魂なき音を経て駆動し、シンプル且つ明快な物理現象を発動させる。回転数を急上昇させるモーター。わずか一秒あまり。複雑な周波のユニゾンを奏でて、自律装甲車の砲塔が右転回する。
金属製の階段が吹き飛んだ。鋼板が鉄屑となってひしゃげ、乱雑に分かれた手すりのパイプ片が地面で跳ねて神経質な悲鳴を上げる。田端の足元の段がなくなっていた。
一佐の目には、自律機械がおかしな動作を見せた。的井の眼球に連動するかのごとく、頭頂部のセンサー塔が可動し、階段の上で腰を抜かした田端の顔を走査した。
かかる荷重の均衡が狂った階段が壁面で軋み音を立てていた。徐々に崩れ落ちる末路、すすり泣くようにそれを宣告する。四段跳びで駆け下りてきたリンチェが田端の腕を絡め取り、力任せに彼を上階まで引き上げる頃には、更なる掃射が階段の機能を一段ずつ削りつつ、アーム先の砲身が彼女らを追い仰角を上昇させてゆく。
「イッサ、コハルと逃げなさい――――」
――――その声が届くより早く、ミィヤが駆けた。逃げ惑う田端らを追従する自律装甲車を尻目に、ただ一点――〈ラージストリング〉と呼ばれた巨大結晶を目指して疾走する。
ディータの舌打ちに先んじて、ジュノォが動く。茫然としていた小晴を力任せに抱えると、ジュノォは壁際を天井まで伸びる、鉄骨製の太い支柱の裏側目がけて飛び込んだ。六機のニュートンがジュノォらの動きを察知し、鉄床でバウンドして、乱数計算と個体間同期を経て散り散りに転がり出す。
「――――――糞っ!!」
ディータとスクワッドがそれぞれ隠し持っていた拳銃を手に散開する。スピンし、モーター音を撒き散らしながら、ニュートンが彼らを包囲しようと円を描き接近してゆく。
田端を標的にした自律装甲車が、左アームだけ器用に傾げ、横をすり抜けてゆくミィヤを狙おうとした。
「ミィヤ、右――――――!」
一佐は咄嗟に声を張り上げていた。射撃音に仰天してへたりこんだままだった自分を遅れて思い出す。自律装甲車のアームは可動角の限界に至り、砲口が標的を完全には捉えられず、そこで軋み音を上げ静止する。
的井は、上階付近まで逃げ延びた田端ら二人を諦めたのか、代わりに〈ラージストリング〉を目指すミィヤを目線で追った。
砲塔を制御するプログラムが別プランを提示するのに遅延はなく、アルゴリズムが新たに組み換えられる。自律装甲車は田端の追従を解除し、脚の遅れなど意に介さずに、両生類めいたフォルムの砲塔を逆さまに転回、右砲身から鈍い装填音と射出音とを轟かせた。
ミィヤには当たらず、その足元に、三〇センチメートル大の金属筒が跳ねた。バウンドした次の瞬間にそれは輪切り状に結合が解れ、無数の車輪となって床を転がり――――
ぼん、と低い爆発音が空間一帯をつんざく。透明の爆発。圧縮ガスに巻き起こされた無数の破裂。荒れ狂う風圧が、ミィヤの身体を軽々と宙に薙ぎ払う。
遠巻きに浴びた爆風に抗い、一佐は彼女に駆け寄ろうと走った。そして、あらんばかりの声でミィヤと叫んだ直後、舞った彼女の全身が叩き付けられ、硬質な床を窪ませた。
◆
「おそらくはあの女自身が、隊の中継サーバー役だ。そこから狙えるだろう、頭を撃て」
階段を上り上階から援護役に回ったディータに、コンソールブースに立て籠もったスクワッドが新たな指示を伝える。
「あの婆さん撃つって――――バカかおまえ、アイツ政治家だぞ! こんなとこで暗殺の罪被らされるなんて、俺ぁ真っ平ゴメンだぜ!?」
「自律機械部隊を手足のように操る老政治家がお前の目には真っ当に映るんなら、この国はとっくにイカレた怪獣ランドだろうよ」
ジュノォはそこで通信を一方的に切り、足元に転がる鉄パイプを手に取ると、潜り込んでいた床下のメンテナンス口に小晴を残して単身駆け出していた。
「ああっ! 知らねえぞ、もお――――」
観念したディータが身を乗り出し、最下層で背を見せる的井の頭部目がけ二発発射した。
二名のSPが的井を覆い隠し、厳めしい背中が代わりに弾丸を受ける。意外な程に手応えはない。仕留め損なったと認識した直後、唐突に飛び込んできたジュノォの振り上げた鉄パイプが、それを受け止めようと組まれた男の両腕に叩き込まれる。硬質な素材に阻まれ、柔らかい金属が折れ曲がる感触。それをグローブ越しに実感させられた瞬間、彼らが身体の何割かを機械化することで肉体的限界の克服を試みた、自分と同じ
地を蹴り、数歩跳びすさる。豹眼で挙動を拡張視し、神経を電子的に研ぎ澄ますまでもなく、追撃のタイミングは何故か逸される。SPはジュノォに反撃しようとしなかった。あくまで的井の護衛に徹するよう命令されているようだ。
と、開放した床板からメンテナンス口に落として脱出不能に追い込んだはずのニュートンが二機、まんまと離脱できたのか、再びジュノォへと接近する。暴動鎮圧目的で設計されたニュートンは、単機の殺傷能力自体は決して高くない。だが、自律装甲車が我が物顔で闊歩する危機的状況だ。手負いになればこちらが不利だと、彼の胸にも焦りが募った。
「おーい! これを――――――――」
館内放送とともに、別の機械が鳴動する。逃げ切ったはずの田端の声だ。
重たい鎖の鳴りが近づいてくる。上階のコンソールブースへと逃げ延びた田端が、上層階をまたいで設置された資材用クレーンを稼働させたらしい。
下まで吊されたクレーンのフックが、ジュノォを目指すニュートンらを押し退けて向かってくる。的井を仕留め損ねたジュノォはフックに飛び乗り、止むなく一時撤退した。
◆
アーティクトを退けた直後。屈強な盾の役を、実体をもって果たした従順なる〈外殻交換者〉ら。彼ら二人を後ろに控えさせ、的井桜は本来の標的へと対峙する。
「勝手にそれに触れるなと釘を刺したつもりだったが?」
的井の意志を体現せしめる二挺の連装砲身が、気味の悪い回転音を威嚇意図で数度鳴らし、うずくまるミィヤを照準した。外すことも困難な距離だ。
「そらに浮かぶお前たちの母艦も、そしてお前の主も沈黙している事実も、とうに把握している。お前の望む意志に従い、お前という存在が抗うことは、もはや叶わないのだよ」
また、短くミィヤが呻き声を上げた。身体機能に異常を来したのか、床に打ちつけられた衝撃の大きさからか、上体を起こすことすらできず、身体を小刻みに震わせている。
「聞きたまえ、〈来訪者〉の少女。間もなくしてお前たちの母艦は、この世界の一方的な武力をもって撃沈される。かの〈アンナ=エルベ基金〉がお前たちを反世界的作為だと認定した。これが意味することも、お前たちは既に理解しているはずだ。もはや我が国の力をもってしても、下される結末は覆せん」
自律装甲車の血肉通わぬ脚部に指先を滑らせて、一歩ずつ彼女に迫り、這いつくばる者に選択を強いるべく、老いた女がぎろと見下ろす。
「この惑星では、シナリオから逸脱した者は、我々とともに表舞台を歩く資格を失うのだ。いいか、これは最後通牒だ。お前の主を捨て、我が国に下れ。そしてこの〈ラージストリング〉が孕む、あらゆる知恵をここに明かせ」
「……これはお前たちなどが……触れてはならない……超越者達のドア……だ――――」
内なる意志を絞り出すかのように、ミィヤが呻いた。
的井の眼の虹彩が電子を経由した
「――――――――――――――――――駄目だッッ!!!!」
頑強な鉄の塊が歪に組み合い、酷い音を立てた。自律装甲車の連装砲身に不自然なタイミングで留め金が噛み、乱暴なまでの力で急制動された回転運動に、オレンジの火花を散らせる。砲身を抱えるアーム部マニピュレーターが標的を再照準しようと駆動部を軋ませる。が、左右あべこべな軸に反る動作が割り込み、射撃動作の姿勢に至らない。
「…………そんな……なんて……真似を………………」
ミィヤとの間に、一佐が立ちはだかっている。必死で彼女の前に飛び込んでいた。額に浮かぶ玉のような汗。肩で大きく息をし、両手を必死に広げて。
自律装甲車がわずかに後退し、再び射撃体勢へ移行しようと姿勢制御を始め――すぐに一佐が手を上げて、ミィヤに当てられた照準に割り込み妨害した。
「にげ……なさい……イッサ」
上体を起こしたミィヤが、虚ろげな瞳を開いて懇願する。
一佐には、不思議と強い確信があった。
「――――やっぱり! さっきも、なにかヘンだなって気づいたんだ」
乱れきった呂律、呼吸。そればかりは覆い隠せない。沸騰するかの鼓動に、立っているのすらやっとだ。
ミィヤが撃たれかけたあの時、一線を越えていたはずの一佐には、何故か何も起きなかった。ただ一佐自身、その理屈を明確には理解していなかった。自律装甲車の作戦行動における、排除対象ではない、善良な一般市民を巻き添えにしないための安全装置なのか。それとも一佐自体が、的井桜の意志で標的から除外されていたということを意味するのか。
そのどちらでも構わない。痛い思いをしなくて幸運だった。一佐は安堵する。
「大丈夫だよミィヤ。こいつ、ぼくを狙えないんだ。命令で撃てないようになってる――」
――――――――耳たぶがチリチリと痛み、後ろ髪が強く風に揺らいだ。
あまりのことに追従できなかった。自律装甲車のアームが奇怪な動作を取ったと認識した直後、自分の肩越しにミィヤを撃っていた。
薬莢が一つ、床を跳ねる。ぐしゃり――と、やや遅れて、撥ね飛ばされた片腕が遠くで湿った音を立てた。
ミィヤの左肩が抉れて無くなっていた。
千切れた洋服に、体液の代わりに透明な流体が染み、肉とは似て非なる淡い桜色の断面を覗かせている。そこから徐々に白い泡が滲み出て、傷口を覆い始めた。
目に光と表情の抜け落ちたミィヤを前に、一佐の喉は何の役割もなさず、身体が勝手にその場でくずおれた。四肢が、どく、と動脈を震わせた。
「――――対話はこれで最後だ。従え、少女よ」
的井は崩れ落ちた一佐を押し退けて、茫然としたミィヤの眼を見定める。傍らに控えるSPに自分の拳銃を手渡すと、彼が代わりにその銃口を一佐へと突きつけた。
「――――――――そういうの、ゆるさないよ?」
ミィヤの喉が突如として不可解な声を紡ぎ、硬く目を閉じ、耳を塞いだ。
〈ラージストリング〉が――――――
――――――黒の色彩を楔に穿つそれが、金切り声を上げた。
ミィヤの、宙に広げた手の平が熱を点し、指先から順に、青く、そして白い炎が燃え踊る。火の粉は服を焼き溶かし、肌を目映くきらめかせて、最後に胸元で散る。強く見開かれた両目は、爛々とした血の色を含み、皮膚が透き通るほどに内に孕む光量を増してゆく。
やがて光の輪郭像へとその姿を変貌させた〈彼女〉の全身から、人のシンボルを模した輝く文様が鱗状に剥がれ、幾千に、微塵となって飛び立った。
彼らの眼前に今、ミィヤの存在が、その主体と主観とが喪失した。この場所に偶然にも立ち会った誰もが、言葉を忘れ立ち尽くしていた。
それは、いつしか一佐も見た光景に似ていた。
光る螺旋が一佐の周囲に舞い降りる。おびただしい数の、光輪と翼とを帯びたヒトガタたちの群集。万象粒子の群体。〈
奔流となって寄り集まり、それらが別の、新たなる存在、主観の再形成を開始した。描き換えられる〈彼女〉の輪郭像。組み替えられる意識。数多ある天使型の群集が一つの個へと新たに結ばれてゆく、どこか幻想めいた光景。
もう一人の〈彼女〉の形を得たものが膝折り、冷たい大地に降り立つ。剥き出しの白い肌を赤黒色のヴェールが覆い、遅れて生え揃った尾が、床板の上で数度脈打って跳ねる。巻き毛は青に伸び
〈彼女〉が一佐を視る。赤く沸騰した瞳の虹彩が複雑な表情を描いて遷移し、最後にはあの
ゆっくりと、そして深く、呼吸の動作を繰り返している。己が生を確かめるように。
「チル……子?」
躊躇いがちに、その名前をもう一度口にする。
アーチルデットが再び顕現した。一佐の目の前で初めて、ミィヤからその表層を変えて見せたのだ。まるで理解できないと、的井らは彼女の降臨をただ茫然と眺めていた。
「――――やあ、ごきげんよう、地球人類の諸君。あたしはアーチルデット=エムエニルエートス・ルシオン。お前たちにとっての理不尽な救済、あるいは破滅だ」
アーチルデットは緩慢な動作で立ち上がると、尾を滑らかにしならせて、不敵な笑みをこびり付かせた瞳で的井桜を真っ向から射止めた。
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