「――――――――。――――ちょっと待った、オーケー、やっと確認できた」


 隊列の二番手を歩くディータが、ラップトップ型端末のモニターをこちら側に向けて寄越した。心許ない光源のさなか、低圧ナトリウム灯のオレンジ光を鈍く弾き返す蒸着ガラス越しに、彼らにとって何らかの意味がある文字列の羅列を映し出している。

 返事代わりに、ジュノォは薄手の防護服に包まれた彼の二の腕を軽く叩いた。先に進めと促されたらしく、ディータは踵を返す。そして、


「報酬が振り込まれたのさ」


 求めてもいないのに、傍らの一佐へと耳打ちした。

 トリスタンの地下部はぼんやりとほの暗く、そしてどこまでも果てなく伸びている。搬入口から下った先は、メンテナンス目的で設計図に組み込まれた、加速器のチューブ外周を覆う円筒状の地下トンネルだった。依頼主の代理人・ボビイから指定された南東側に進むと、平坦だった床も間もなくして複雑に入り組み始め、地下トンネルは車も進入できない構造に変わった。代わりに搬送用レールカーの線路が足下を這いずり始めたが、肝心のレールカーは電源が入らず、徒歩での移動となった。


「まだ迷路じゃないだけありがたいと思え、小僧。どこまでも真っすぐなんだぜ?」


「………………調べたら十キロ以上あるって書いてあったんだけど」


 疲労が拭えないのに不平を込めて、一佐は誰にともなく呟いていた。鋼鉄製の床板を、ブーツの踵が小気味よく鳴らす。床のすぐ下はちょっとした空洞になっているようだ。一定区間ごとに設置された非常口誘導灯のLED照明に照らされて、床板の金網越しに、毛細血管を彷彿させる配線がその一部を覗かせている。遠巻きに流水の音が耳に入ってくるのは、浸み出てくる海水が側溝を流れ排水されているからだろうか。懐中電灯をかざし先頭を行く大男――確かスクワッドと呼ばれていた彼は、あの夜もこんな口数の少なさだったのを思い出した。そういえばディータの皮肉めいた声色は相変わらずだ。


「厳密には、二つある加速器モジュールの中間地点に粒子測定器及びダンピングリングと呼ばれる設備があるはずですから、その半分の距離で辿り着ける計算です」


 最後尾のミィヤが、専門用語を交えて補足してくれた。

 ミィヤは言葉を一旦区切り、先を行くジュノォの背を見据えて立ち止まる。


「――ただ、今回あなた方が関わる取引、疑問には思いませんでしたか?」


「ああ、確かにそのとおりだ。オレたちはそもそも何の理由で、わざわざこんなふざけた場所まで呼び出されたんだろうな?


 取引場所としちゃ、かなり無理がある」

 一佐も疑問に思っていた点だ。


「加速器実験施設だなんて、そもそも何の目的で、と首を傾げたくなる場所だ」


「政府側に追われ監視を受けているぼくたちを、依頼主と秘密裏に引き合わせるため?」


「確かに、埠頭区画の倉庫あたりと比べれば人目にはつきにくい。たとえ追っ手が差し向けられたとしても、この狭さだ。ヘリや装甲車の支援を受けるのは不可能だろう」


 もし松永のような政府側の連中がアーチルデットを標的として想定していれば、その程度の戦力を投入して不思議でないというのも理解できる。


「だが、そうだとしてもここは些か大げさだ。意図がわからない。オレには理に適っているようにはとても思えないな」


「今回のあなた方のクライアントが、ミィヤに対して見せたいモノがこの先にある。そう考えた方が自然ですね。それが彼らの本来の目的だと推測できます」


 なるほど、と短く鼻で笑って返す。直前のボビイの振る舞いからして、来てのお楽しみなどというという雰囲気には思えない。むしろ焦りを感じ、対面を急かされているようにすら見えたからだ。ジュノォは、利害関係が一致しないものには興味がないとでも言いたげな素振りで、そのまま先行するスクワッドらの元へと再び歩き出してしまった。


「――ときにアーティクト、星間連盟の臨時代表者として一つ提案が。あなたがたは既に報酬を受け取りました。ここから先は同行頂く義理はないものと思われますが?」


 あれからボビイとの交信は沈黙したままで、呼びかけにも一切応じていない。エイリアスから実体が消失してしまったかのようだ。ただ、ジュノォらの要求も満たされたはずだった。彼らがこの先同行して、三人を直接依頼主の元へ届ける必要性はないように思えた。


「今回のはカネだけじゃないんだ。個人的な問題があってね、まだ帰れない」


 背中越しに返ってきた、曖昧で腑に落ちない返答。


「あのボビイとかいうおっさん、素人くさい割にやることは派手だ。ふざけてるね、ちゃっかり首輪までハメていった」


「要するに初めっから信用されてねえんだよ、俺らは」


 ジュノォの意味深な台詞の意味を、ディータが端的に表して返した。


「――――――――灯りが見える」


 先頭のスクワッドだ。彼の大柄な図体に殆ど遮られてしまっているが、間もなくして行く先に、目映いばかりに青白い人工光が確認できた。強烈に差し込むそれによって、トンネルのアーチ形状がシルエットとして切り出されているようにも見えた。


            ◆


 終点などないものにも思えていたメンテナンス・トンネルによって導かれた彼らの前に全貌を現したのは、驚愕すべき光景だった。既に開け放たれていたトンネル部との分厚い隔壁部には、立ち入り禁止を表す黄色のシールが張り巡らされていた。警察関連組織が現場検証のためこの場所に立ち入ったというよりは、関係者に注意を促すための応急処置に思える乱暴さだ。

 シールを掻き分け、三角コーンやバリケードポールを蹴っ飛ばした先は、更なる異質な光景が開けた。

 地上部の格納庫にも似た、工業的観点から設計された無骨な空間。壁面や床を寄生生物のように這いずり回る管や鋼板、用途の説明できない無数の装置。増改築の合成獣めいて、金属と機械の立体群が見せる幾何学造型が、歪な輪郭像を織り成して視界に飛び込んでくる。この場所はトンネル部よりも大きく開けており、長辺で百メートルほどはありそうだ。

 ここはおそらく粒子測定器と関連機材を収めるための、観測室に相当する場所だろうと一佐は捉えた。丁度空間の中央に、壁面側から突き出た矩形の装置が鎮座している。北と南のトンネル双方からそれぞれ伸びるチューブ状の超伝導加速器――クライオ・モジュールがそこに接続され、人為的に引き起こされた神鳴る法則を電子の眼で観測する仕組みだ。


「おい……こいつは――――――――」


 高い天井から照射される蛍光灯がこの施設一帯の金属質な外装に反射し、気づくのが遅れてしまった。ここがたとえ未知なる機械で組み上げられた迷宮だとしても、そこに自然なものとして佇むはずなどない、明朗なまでの異物が存在した。

 床や壁面に〈黒〉が飛び散っていた。小さなもの、大きなもの、まるで溶け出したようなもの。自然界に寄生する粘菌コロニーのように、辺り一帯を確認すればそれは無数にある。アーク放電の人工光を受け、黒い反射光を、複雑な多面体の平面毎に打ち返している。

 それは、結晶――とでも説明できそうだった。黒水晶にも似た光を宿す、人間大の巨大結晶。そう形容する以外に言葉にしようがない物体が、中央にそびえる粒子測定器の外装を食い破って、内に孕む臓腑からおぞましくも突き出させていた。


「――――イッサ。これは〈楔〉です」


 ミィヤが巨大結晶を一目して、明示的な言葉に変えた。


「クサビ…………!? ミィヤ、これ、知っているの?」


「ええ。〈楔〉とは、簡単に説明すると、とても特別な鉱物です。少なくとも地球の自然界に存在する物質マテリアルではありません。ししょーの〈姫君〉を始め、星間連盟しか持ち得ない技術にはこれと同様のものが組み込まれています」


 高さにして十メートル近くはある測定器を前に、近づくのが危険なものに思えて、一行はその場に立ち止まっている。眼前にそびえ立つグロテスクな機械そのものが、彼女の言う〈楔〉に寄生されているようにさえ見えた。


「イッサはもうご存じとは思いますが、ししょー――アーチルデット艦長は、人類の異常進化を未然に阻止するため、この地球に派遣されました。この星に来て、異常進化の引き金になる高エネルギー反応の因子、その幾つか挙がった候補のうちの一つが、『トリスタン』というキーワード。そこに行き当たった時、もしやと思っていましたが……」


『――なるほど、よくはわからないけど、君たちはここに相応しいお客さんと言えそうだ』


 館内放送用のスピーカーが、不快なハウリング混じりの声を頭上から叩きつけた。

 ジュノォらは最初から警戒を解かなかったが、対処が遅すぎた。館内放送から漏れ出るヒスノイズを打ち消して、大きな物体が機械的に稼働する音が唐突に辺りを満たし始めた。

 対向側の壁が一筋の亀裂から割れて、徐々に口を開けて行く様。それの向こう側にある格納庫とを隔てていたハッチが開け放たれたのだ。アーティクトの面々が円をなし、そう仕向けた元凶の姿を探して辺りを見回す。観測施設の片隅一角に、ガラスで覆われたコンソールブースが確認できる。遠巻きには、そこに人の姿は見受けられない。

 ハッチの奥から、影が這いずり出た。それも一つきりではない。地鳴りのように、鉄の地面に重たい振動を伝える巨塊の軍勢。


「……ニュートン。仲介衛星の息の根止めたんじゃなかったのかよ、ホラ吹き野郎っ!」


 対峙するそれらを前に、ディータが毒づいた。視認できるだけでも六機のニュートン・アービィ。球状の機体を持つ、鋼鉄の転がる虫食い林檎たち。

 それだけではない。ニュートンの後に続くように鳴り響く、低μの鉄床で甲高い悲鳴を上げるゴムの音を誰もが捉えた。

 それは一佐の目には、戦車の一種に見えた。駆動部はキャタピラーではなく、代わりに無数の大径タイヤがはめ込まれている。駆動部は獣を模したような四本脚に関節で分かたれており、一脚六輪で鋼鉄の床を踏みしめ、鈍重そうな頭部をもたげ立ち上がった。


「自律装甲車だ」


 カーキ色塗装の施されたうすらでかい鉄の塊を、スクワッドはそう呼んだ。太く、筋肉で膨れ上がった腕を差し出し、ジュノォたちを静止する。自律走行車の、砲塔に相当する胴体の部分が軋み音を上げて方向を変え、脚が遅れて追従し、頭頂部に乗っかるセンサーの複眼がこちらを捉えたのを見た。左右から生やしたアームの先端部はマニピュレーターではなく、代わりに多連装の黒い砲身が顔を覗かせている。そこに装填されているのが法規制に従った硬質ゴム弾であっても、眼球くらいは破裂させられそうな、軽傷では済まない威力を発揮できるだろう。

 自律機械で構成された鎮圧隊が彼らの前に立ちはだかっていた。ディータの唇がわななく。表情をしかめたまま、ジュノォは相手側のアプローチを待っているように見えた。


「この装備……政府側の人間だな。にしては見つかるのが早過ぎる」


 スクワッドが淡々と状況から推測する。


「最初から自分たちがここに来るのを想定して自律機械を搬入したか、あるいは……」


 足音を聞いて、口を止めた。開け放たれたハッチの奥、自律走行車の背後から、人影が現れたのだ。この場所には不似合いな、女性のヒールが打ちつけられる音が混じっている。

 鋼鉄の部隊を引き連れるには場違い感の否めない、スーツに身を固めた集団。初老の女性だ。傍らに控える大柄のあからさまな男たちは、彼女のシークレットサービスSPに見える。


「――――直接お目にかかるのは初めてね、皆さん」


 聞き覚えのある口調に、一佐はすぐにこの女性が政府側の交渉役、的井桜だと悟った。


「的井さん……ですよね。あなた、どうしてここへ……」


 相手の品定めに沈黙するジュノォらの脇から顔を出して、一佐も対峙の列に加わる。


『――――さてはて、トリスタン計画の中で行われていた加速器実験だが、三ヶ月程前から完全にストップがかかっていたらしいね。メインの研究チームが一切表に出てこなくなっていた。資金繰りの悪化の問題や、機材の故障の噂も立っていたようだ』


 もうひとりの声が、再び天井のスピーカーから浴びせられる。それは明らかに的井らからの発言ではない。この場での、第三者の存在。一同が発信源となる何者かの姿を追う。


「…………あんたがボビイ、って名乗ってたやつか?」


 ジュノォが一点を見据え、吐き捨てるような声を上げた。

 新たな足音が緩やかな歩調を伴って、頭上より届けられる。吹き抜け構造をとる素粒子観測所の、壁面に設えられた通路――その手すり越しに、人の姿が露わになった。

 そちらは背の高い男と、それにまだ若い少女の組み合わせだ。男の方は伸びきった髪に無精髭、くたびれたスーツという身なりで、手首には何故か手錠をはめている。手錠が繋がれる先は、傍らの少女だ。一方の少女は、黒髪に浅黒い肌を露出させており、あまり馴染みのないファッションを身に纏っている。下からは遠巻き過ぎて表情ははっきりと窺えないが、彼女は怯えているのか、スーツ男の背に隠れるようにしていた。


「ごめんごめん、的井さんは僕が呼んだんだ。皆さんとの会談の場を設けなきゃって思い至っちゃって、ね?」


 自称ボビイらしきスーツ男が、悪びれもなくそう宣言する。軽く手を引いて、彼の後ろの少女が脚をもつれさせてしまった。彼女はスーツ男の腕にしがみつき、眼下のジュノォらを臨む。そうして何か叫ぼうとして、すぐに言葉に詰まらせた。

 あの娘は人質だとすぐさま察した。外見からして少女もソーサルの一人、ジュノォらアーティクトの身内なのだろう。だとすれば、彼らがここまで同行したのにも合点が行く。


「さて、星間連盟代表代行の皆さん、そして日本国政府代表代行の皆さん、ついでにアーティクトの皆さん。話し合いを始めちゃいましょう!」


 スーツ男が、ショーの開演を演出するかのごとく、わざとらしく手を広げる。


「なるほど、あなたが田端博継。オービタルエイジェントの元社員ね。我々もちょうどあなたの行方を探していたところです。好都合だわ」


 的井が大柄なSPたちの脇から一歩歩み出て、スーツ男を冷笑的な眼差しで見据えた。

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