(Ⅳ)

星の化身(アヴァタール)と寓居者達(ディアスポラ)

 私たちの世界は新たなる混迷の時代へと突入したようですと、ニュースキャスターたちが口々に叫んだ。

 戸原一佐は、テレビ配信のチャンネルに接続して三十分足らずでうんざりとさせられる羽目になった。スクリーン越しに反復し反芻されるお茶の間向けの話題はこの日、宇宙からやって来た正体不明な侵略者についての速報ニュースで埋め尽くされていたからだ。

 政治や社会情勢に対してそれほど知見のない一佐にとって、伝えられた多くは咀嚼するのも容易ではない情報ばかりだったが、それでもぼんやりとながら実感する。どうやら今この瞬間の日本国は、国際社会の非難を浴びているというのだ。

 EU/Rユーラシア諸国連合を始めとする西側諸国の広報官スポークスマンたちがそれぞれ発表した声明を要約すると、「日本、歴史的な外交失態」なる表現におおよそ集約された。日本は、世紀の発見とも言える地球外知的生命とのファーストコンタクトを隠蔽し、彼女らとの対話に失敗し、そればかりか星をまたいだ紛争の火種を自ら招き寄せるような横暴をしでかしたせいだ。長年続いた平和的国家の称号も宇宙人相手では名折れだ、何故世界の命運を天秤にかけるような情報を一国で独占し、国際社会の目からひた隠しにしたのかと、各国は糾弾の声をカメラを前にまくし立てていた。

 有識者たちからのコメントによれば、日本の問題行動が二〇三〇年採択・発効の第二世代宇宙憲章に反するとの見解や、国連安保理の緊急総会招集は確実だとか、更には国際司法裁判所ICJへの提訴の可能性について、無責任な口から次々に伝えられていた。それより程度の低い番組で取り上げられた陰謀論を前にしたときなど、あまりのむず痒さにチャンネルを切り替えることで思考を逸らせるしかなかった。ただ米国と中国だけが、人類史上例に見ないこの事態を前にしても、不気味な冷静さを保っていたのも印象的だった。

 もっとも、つい先日までアルバイト稼業で日々を食いつなぐ一八歳の若者でしかなかった一佐にとって、そんな大それたスケールの騒動になど構っていられなかった。そんなことよりも自分自身のことで頭がいっぱいなのだ。

 二つの苦悩が、己の眼前に立ちはだかっている。一つ目の苦悩が、まさにこれだ。


「――ほらぁ、みすぼらしい! だから三等分なんて無理だって言ったでしょう!」


 メラミン製の白い皿にはどう見ても不釣り合いな物体が、申し訳なさそうにちょこんと乗っかっている。長方形に切り出された褐色のブロック。栄養補助食品などと銘打たれたクッキー。おやつ代わりにと、一佐がウエストポーチに入れて持ち歩いていたものだ。


「これぽっちのクッキーじゃ、食いつなげてもせいぜいお昼までかな。あっ、今日のお昼までって意味だよ? 宇宙人ちゃんはどうかわかんないけど、わたしが飢える。おなかぺっこぺこのまま、翌日未明、遺体で発見されてしまいます!」


 淡く染め上げた髪を鮮やかになびかせると、舘丸小晴が自信たっぷりに宣言した。但し口では余裕たっぷりに釘を刺しながらも、わずか数グラムの焼き菓子相手に、右手にフォーク、左手にナイフと、食卓を前に手加減なしの臨戦態勢で挑んでいる。

 今このマンション、サクラガーデン三〇二号室では、いつの間にやら搬入されていた真新しいダイニングテーブルをまたいで、二人の娘がつばぜり合いの状態にあった。


「心配しなくてもいいよ。別に無人島で三人、サバイバルってわけじゃないでしょう? ここは街のど真ん中。だからこその提案です。さっきわたしが言ったように、外に出て食料調達しに行きましょう。クッキーだけじゃ駄目、破滅の序曲」


「いえ、ですからダーリンさん、先ほどもお伝えしたとおり、今この状況で外に出るのは無謀です、自殺行為です。我々はここを動くべきではありません。この建物の周辺にどんな罠が張り巡らされているか、把握してから次の作戦に移行するべきかと」


 桜の花弁と色彩とを髪に吹きつけて飾ったような、どうにも非現実的で鮮烈な出で立ちをした少女が、反して抑揚の欠けた声色で小晴の提案に反論した。


「ししょーが戻るまでは、ここでじっと待機するべきです。あとダーリンさんの言う宇宙人ちゃんの正式名称はミィヤです、何卒お見知りおきを」


 彼女、ミィヤは、一連の騒動の元凶であり彼女自身の主人でもある宇宙人娘・アーチルデットとの交信手段を断たれ、地上側に一人取り残されてしまっていた。彼女たちの乗ってきた宇宙船〈姫君〉は原因不明の故障に見舞われたらしく、現在も連絡が途絶えたまま、地球の周回軌道上を漂っているものと思われた。

 国内では、局地的に敷かれた非常警戒態勢をもとに、地域住民の避難指示が発令された。一帯は突貫で建造が開始された仮装バリケードで覆われ始めており、周辺に配備された警察や治安維持隊の検問により人の出入りは著しく制限されていた。お陰で今やこのサクラガーデン界隈は、さながらゴーストタウンの様相である

 ミィヤが言うには、これは籠城戦だ。彼女ら星間連盟は、月に光学兵器を打ち込んで地表を削り取ったあの瞬間、人類にとっての脅威となった。それは世界にとって、日本にとって、更には彼女らが降り立ったこの場所、サクラガーデンの地域住民にとっての脅威だ。

 日本国政府は、星間連盟の使者である彼女らを社会から隔絶することで兵糧攻めにするつもりなのか、でなければこの廃マンションに縛りつけることで何らかの膠着状態を演出する魂胆なのだとミィヤは推測した。そして、そのどちらにしても、


「でもでも、ここで何もせず待つのもおんなじくらい無謀でしょう! この部屋の冷蔵庫、空っぽなんだよ? わたし、やだよ。お腹減った。ミィヤちゃんだって! あなたの構造がどうなってるのかわたしにゃよくわかんないけど、きっとお腹減ってるはず!」


「…………いえ、み、ミィヤは平気……ですから」


 言いながら、ミィヤの目は虚ろでぐるぐるしている。まるで南国鳥のごとき極彩色をその表層に纏う彼女の表情からは生気らしきものが削げ落ち、どことなくしなびているようにさえ見える。大粒のアクアマリンを彷彿させる虹彩を装飾する花模様が、何故だか噛み合いのおかしくなった歯車の様子を思わせた。

 ミィヤという不思議な存在が、地球人類にとって想像もつかない特殊な生命体なのか、それとも肉体を持たない種族と伝えられたアーチルデットを宿すために創造された一種の機械なのか、当の小晴にとっては知るよしもなかったけれども、どちらにしろ彼女は、


「ほうら、見なさい!」


 今、小晴の目の前で腹を再度盛大に鳴らしてみせ、内に宿す確固たる意志との齟齬に、自身の頬を赤らめさせることしかできなかった。


「それでね、さっき地図を調べた感じだと、徒歩圏内にちょうどコンビニがあるの。日が明るいうちにわたしたちだけで行きましょう――戸原、その……今あんなだものね……」


 なるだけ非難の色を避けるようにして、心配げな表情で横目に彼の様子をうかがった。


            ◆


 二つ目の苦悩は、一佐自身の内面に穿たれた禍根の芽に近しいものだったために、より深刻で、思考をどんよりと曇らせることになった。アーチルデットとのファーストコンタクトを経て体験した、人知を越えた数々の現象と、目くるめく逃避行。その渦中にいた彼は、アーチルデットによって逆説的にアイデンティティの根底を覆されたのだ。

 記憶を得た。それは、失われた過去の情報を取り戻したなどという奇跡めいた結末ではなかった。不自然に抜け落ちてゆかないだけの、ごく健常な記憶能力の回復、ただそれだけ。日々を平凡に生活するために獲得した彼のスケジューリング癖は、昨日を境に、習慣としての意味を変えた。今やその行為は、ただの手癖でしかなくなってしまった。

 そして同時に過去も失った。今まで繋ぎ止めてきた記憶は、昨日を境に虚構となった。

 一佐の根底が覆されたのは、アーチルデットに突きつけられた一つの告白が引き金となった。

 戸原一佐は幼少期に、ある事故に巻き込まれていた。

 遺伝子改変技術トランスジェニックから偶発された、突然変異型ウィルスによるパンデミック。現在より十年あまり過去に起こったその大規模健康被害事故は、旧首都・東京を中心として、潜在的感染者も含めると一千万人あまりになる被害者を生み出す結果となった史上最大の産業災害として、今日まで認知されてきた。

 感染規模は日本海を渡って大陸部にまで及んだが、感染者の発症が概ね一八歳以下の日本人に限定された。そのため感染源については、人種優越思想に染まった一部先鋭ソーサルのような原理主義組織による遺伝子テロ等、諸説あった。当時の世界は未だ電子内戦のただ中にあったからだ。東南アジア諸国を筆頭とする急進的開発途上国、あるいは多人種化と貧困格差問題を抱える一部先進国において、旧インターネット網を介して蜂起される民衆らの暴動、そのおびただしい連鎖から形成される疑似内戦的状況。多くの国々がそのような内政問題に疲弊し、混迷する時代の終焉を求めさまよい続けていた。

 だが最終的にそのテロ説は否定される。人工皮膚などを専門に開発していた医用生体工学関連企業と取引のあった、旧都内の病院を中心とする医療施設が感染源として特定され、間もなくしてこの問題も決着がつく結果となった。

 一連の騒動が過ぎ去った後、幼い一佐の身体に爪痕を残したのは、望まぬ障碍だった。ステージ4の一佐は、最重篤発症者ではなかったものの、軽度の気道閉塞性障害と断片的な健忘症状に心身を蝕まれる運命下に置かれることになった。

 薬とメモが、九歳だった一佐の生活様式に新たに加わった。ただ感染症に冒されたのは自分一人ではないのも理解していた。周囲を振り返ってみれば、自分のはそれほど深刻な症状とは思えなかったので、後天的な持病と割り切って、呑気に生きる選択をした。難しいことは、周りの家族たちが代わってフォローしてくれた。そうして今まで生きてきた。

 これが一佐の知る全てだ。


『悪いけどイッサの薬を調べさせてもらったわ』


 ――――それが、覆された。


『処方された主成分が仕様通りのモノじゃなかった。代わりに混入されていたのは、プログラマブル型の分子ロボット群――――』


 国からの救済措置を受けて支給されていたはずの薬が、説明通りの成分ではなかったと、彼女が一佐の記憶を否定した。


『キミの抱える喘息症状や記憶障害は、命令を受けたそれらが神経系に作用して誘発させた、擬態的なものでしかない』


 それが事実だとするならば、薬などではなく、全ての災厄の根源たる毒とさえ呼べるかもしれなかった。症状すら捏造されたものだとしたら、史上最悪の産業災害とは虚構だったのだろうか。一千万人あまりの自分たちの十年間とは、果たして何だったのだろうか。


『キミの体内で何年も蠢いてた分子ロボットどもを、今朝キミにかじりついて侵入したあたしが偶然ブチ壊した。その結果、キミは機能回復に向かっている。ロジックとして不服かしら?』


 不服かどうかの問題ではないと頭を抱えた。部外者であるアーチルデットが話したこと全てが真実かどうかなんて判断できなかった。あるいは彼女が嘘や仮定の話を伝えただけで、他の誰かに別の真実を突きつけられれば、それも信じてしまいそうだった。

 確証のある事実は一つだけだ。昨日朝の彼女との接触で、メモ帳はただの備忘録になり、喘息の予防吸入薬は毒薬と化した。彼の目の前で起こった、ありのままの事実。

 それでもこの事実にはそれなりの重さがあった。十年あまり歩んできた歳月、何ら疑問を持たなかった日常の矛盾が浮き彫りにされて、一佐は胸の奥からやり場のない感情が溢れ出てくるのを抑えきれなかった。鼓動が内側から皮膚をノックし、胸一杯呼吸するための自信すら戸惑わせ、目くるめく宇宙旅行から帰還してふと冷静に立ち返ってみれば、ソファに埋まったままひたすら茫然とするしかなかった。事実が真実につながるのだとするなら、アーチルデットの言葉は残酷なものだ。自分も含めた一千万人あまりのパンデミック感染者たちは、詐欺者らによって仕組まれた似非感染者へと、存在の意味を酷く変えることになるのだから。


「はぁ…………何なんだよ、この状況……………………」


 額を拭う。こんな心境なのに、陸の孤島みたいな場所に追い込まれてしまっては、自分は一体何をどうすればハッピーエンドに至ることができるのか皆目見当もつかない。

 携帯端末から実家にコールしても、家族は誰も受話器を取らなかった。征次ら友人たちもだ。沈黙というのなら、ネットワーク回線も同様だった。エイリアスにも繋がらない。空腹感に耐えかねたところで、このままでは宅配ピザの注文画面にすら辿り着けないのだ。

 そもそも一佐の携帯端末が、あるいはこのサクラガーデンを中心としたインフラ網自体が、政府の目論見によって制御されているという推察は自然だ。電力や水道、放送は生きているものの、必要があって自分らが生かされていると解釈しても差し支えないだろう。それに家族や友人たち皆も、重要参考人として政府側に保護されたとしても別段不思議ではない。何せ一佐は現在、日本国政府と一触即発の膠着状態にある星間連盟とは、例外的な協調関係にあるのだ。

 一佐はそこで、唐突に思い立った言葉を口に出す。


「――――ねえミィヤ、小晴さん。もしも、の話だよ? もしもこのままおとなしく外にいる人たちのもとに無条件降伏したとしたら、ぼくたちどうなっちゃうんだろう?」


 カウチソファから立ち上がり、身支度を整えている最中の彼女らを呼び止めた。


「ごはんくらい食べさせてもらえるのでは? ほら、人道的処遇といいますか」


 ミィヤは表情を変えなかったが、一方の小晴はびっくりしたように瞳を丸くして、


「あのね、戸原君……それは確かに食べさせてもらえるだろうけれど、わたしたち捕まっちゃうよね? 根掘り葉掘り尋問されたり、貴重なサンプルとして解剖されちゃうよ」


「ええと、じゃ、ぼくたちが政府の人たちに捕まるとして、それは何の罪で?」


 互いに議論の目線がズレているのを自覚しつつ、小晴は悩ましげに腕を組んでみせる。

 小晴は何故か、アーチルデットが部屋に残していったメイド服を着ていた。宇宙旅行の代償に服を分子レベルで分解させられてしまった経緯から致し方ないとはいえ、ミィヤの方が地球人類社会に溶け込むため違和感のない女性の服装なのに、かたや地球人である彼女が何故そのチョイスなのか甚だ謎だ。胸の部分が強調されたデザインで腕組みの仕草という露骨さもさるものながら、今の状況下ではそんな構図がシュールすぎて、一佐も返す視線に困ってしまう。


「そうだね、差し当たって言えば、国家……反逆罪?」


 血の臭いがしそうな、凄まじい響きを持つ言葉が小晴の軽やかな舌から飛び出した。そしてそれを掻き消すかのようなタイミングで割り込んだ着信音が、けたたましく三人の耳を打った。

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