『――――やあ。あのあとどうなったものかと気にかけていたが、地球での目覚めはお気に召したかな?』


 その声が誰からのものかよりもまず、想定しなかった位置から通話相手の音声が飛び出てきたことに一佐は驚かされた。元より咄嗟の出来事に強い性分ではないので、


「……!? あ…………あの、ええっと………………」


 隙だらけな上にみっともなく狼狽えるさまを相手に見せつけることから、この通話は幕開ける羽目になった。

 こちらが耳元から携帯端末を離してしまったことなどまるで気に留めていないかのように、通話相手は悠長な口調で喋り続ける。


『おやおや、出たのは〈彼女〉かと思っていたが、お前、戸原少年の方だな?』


 女性の声だ。やや硬い口調だが、反して子供の喉から発せられるものに似た、高めの周波数を含む独特の声質。一佐の耳にも覚えがある。


『まあ考えてみれば当たり前か、僕はお前のアカウントにコールしたのだからな。見た目は元気そうだとの報告を受けているが、お前、何の備えもなく宇宙まで行ったのに、よく何ともなかったな?』


 どことなく無邪気で、嬉しそうな色を帯びた口調。こちらの生活を監視したり、胸の内まで見透かされているようで、何が何だかわからず気味が悪くなった一佐は、携帯端末を放り投げてしまっていた。それがリビングのもこもこしたラグマットに着地すると、


『……おい、どうした戸原? あのエキセントリックな宇宙人もそこにいるのだろう?』


 それでも端末は問答無用で喋り続ける。一佐の携帯端末は、旧来の電話という個人対個人の双方向通信ルールを無視して、部屋全体に向け発話していた。外部スピーカーが通話相手の音声を勝手に撒き散らしているのだ。この時代の多くの携帯端末が本来備える、主に遠隔会議などの用途に使われる機能だった。ただ、一佐の端末はアーチルデットたちに無断で改造されてしまっていた経緯から、今の彼としてはそれが理解不能のオーパーツにすら感じられた。


「ねえ戸原君。このひと、たしかあの時の……」


 怪訝そうな表情で覗き込んでいた小晴が、傍らから一佐に耳打ちする。

 不法入国者扱いされたアーチルデットの身柄を確保すべく、このマンションを襲撃した対地球外来訪者接触特務機関・3rd、通称〈外交官達〉。小晴の指摘したとおり、声の主は、彼らを率いていたあの女、嵯渡詩乃のものだ。


『ん、舘丸小晴もそこに一緒なのか。そっちも元気にやってるか?』


 端末のマイクから部屋中の物音が拾われているらしく、小晴は詩乃の唐突な反応に警戒して、ミィヤの背中に隠れてしまった。

 ミィヤを目線で促すも、彼女はかぶりを振って返す。詩乃の言うくだんの宇宙人の姿など、実際はここにない。その片割れであるミィヤも、固唾を呑んでこの場の静観を決め込んだまま。果たして詩乃に何と答えるのが立場上適切なのか、一佐には見当もつかない。


「あの、要件。…………要件は、何ですか?」


 一佐にも相手の意図が全く読めていないわけではない。迂闊な対応をすれば、こちらの境遇をより困難なものに陥れかねないのだ。瞬間瞬間の言葉の重さが自身の肩にずっしりとのしかかる心境。でも実際は何も分かっていない自分に、頭の中が真っ白になる。

 それを知ってか知らずか、詩乃は端的に宣言した。


『簡潔に伝えようか戸原。この回線はホットラインだ』


「……………………ホット……ライン、ですか」


 オウム返しに理解した素振りを見せつつ、意図が飲み込めていないのに一佐は内心焦る。


『ヒミツのやり取りをする直通電話のことだよ。僕ら日本国政府側代表と、お前ら何たら連盟の、大事な交渉のためのものだ。通信事業者ので、お前個人の通信回線をお国に譲ってもらえることになったのでね』


「……お前ら連盟、って。ぼくや小晴さんも星間連盟側の扱いになってるんですか?」


「まあ、状況としてはそうなっているのを否定しようがあるまい?」


「敵、なんですか……」


 敵、と表現した。言ってからドキリとさせられる。ただ適切な主語が見つけられなかった。一佐の言う敵とは、彼ら〈外交官達〉にとってなのか、国家にとってのなのか、それとも国民にとってなのか。あるいはより広義に、地球人類にとっての〈敵〉。


『お前は、それを見極めるための仲介者役を買って出てくれるのだろう?』


 やんわりと否定する詩乃に少しだけ安堵させられ、一佐はただ、はい、とだけ頷く。


『――で、お前らとの交渉役に、適任者として僕が抜擢された。安心しろ、松永の奴はこの件から降ろされたぞ。昨夜の騒動での、失態の責任を取らされる羽目になったからな』


 聞いて、一寸言葉が淀む。松永という名前。自分に銃口を突きつけ、アーチルデット目がけて躊躇なくそれを発砲して見せたあの男の顔が浮かんでくる。いつの間にか手元に戻ってきた、晴れ渡る記憶という名の書架。彼女の頭蓋が弾ける瞬間。ふと映像が蘇るように、まざまざとあれら場面が取り出されてくる。


『まあ、そういう経緯だ。いずれにせよ、部外者どもに聞き耳立てられるのも面倒だ、対話が必要になった際は、以後この回線でやり取りする決まりになった』


 先に見せた実力行使などでなく、対等な立場で対話をする方針に変わったと暗に訴える。

 詩乃の声で語りかけ続ける携帯端末を取り囲むように、三人はいつの間にかリビングのソファに腰かけていた。


『さて、ここからが本題だ。聞こえてるか宇宙人……名前はチル子と言ったか?』


 名指しで語りかけてきたのに対しミィヤは、


「………………ええ、き、聞こえてるわ」


 声のトーンをわざとらしく低め、なるだけ〈彼女〉のものに似せて応じた。当人不在を悟られぬよう演じきるつもりらしい。それが何故だか初々しく聞こえて、緊迫の駆け引きが行われる場面にもかかわらず、一佐の胸に張り詰めた緊張を幾分和らがせてくれた。


『悪いがそのマンションの周囲を完全に封鎖させてもらった。一方のお前らは、地球の周回軌道上から地上目がけていつでも大砲をブッ放せるよう、威嚇態勢のままだ。僕らは互いに銃口を向け合っている状態ということだ』


 不敵な詩乃の口振りに負けじと、ミィヤも意気を奮い立たせる。


「状況に誤解があるわね。お聞きなさい。サクラガーデンは本日明朝付で、星間連盟の臨時在外公館としての機能を持ちました。当在外公館の管轄権は星間連盟側にあり、ここへの攻撃は我々への敵対行為と見なします。そして我々は地球人に対し危害を加える意思はありません。現状その必然性がないからです――あなたがたが余程の間抜けでなければ」


 ミィヤは傍目には〈彼女〉らしく、雄弁に語ってみせた。くだんの〈彼女〉、アーチルデットが実は当の日本にいないという事実も、今や〈姫君〉が抑止力として機能できそうにないという危機的状況も、当然相手側には伏せる方針であることを一佐たちにも示した。


『……ほう。国際社会から国家として認識されてもいない、突如現れた正体不明の集団が、二名の市民を人質に取り、民間の建物を占拠した挙げ句、そこを勝手に総領事館だと自称。この国の政府が認めるとでも?』


「あら、やけに他人事じゃない。どちらにしろ認めともらわないと、あなたの言う『本題』も聞いてあげられないわ」


『……参考までに聞いておくが、何者かが先走って軍事行動に出た場合、どうなる?』


「敵方にプランを話すような真似をしろと?」


『これはオフレコだよ、オフレコとしておこう。どのみち議事録なんてないからな。で、万が一、どこかしらの勢力から攻撃を受けたとしたら、お前はその二人を盾にするのか? 報復として、衛星軌道上からのレーザー攻撃の可能性は?』


「はあ、随分と文明レベルが低いこと」


 アーチルデットがそうするように、深々と溜息をついて返す。皮肉めいた声色も添えて。


「私なら、そうね……レーザーなんかよりも、まず衛星軌道上の人工衛星を根こそぎ掌握することから始めるわ。それも一日あればかたがつく。この時点で地球人類の社会は、軍事面でも産業面でも麻痺するわ。チェック・メイトね。次に、覇権国家群に独占されているインターネット網を解放して民間ネット網エイリアスにバイパス接続、統合。最後に星間連盟独自のソーシャル・ネットワーキング・サービスを立ち上げて、地球人の意識改革フェーズへと移行します。その先に広がる未来は、さて天国か地獄か。……いかがかしら?」


 これは一番穏便なやり方を選んだプランですけどね、とミィヤは一佐にだけ聞こえるように付け足した。


『へえ、面白いね。ローテクな国ほど受けるダメージは少ないが、どのみち社会体制と民衆とが分断され、地域的な混乱は避けられない、と。電子内戦的構造の再現と普遍化か』


 率直な感嘆の声に、ミィヤはふふんとしたり顔をして、主人よりも立派な胸を張って見せる。そんな振る舞いを目に、あの宇宙人娘のブレイン役の方も主人に似て案外と純朴なのだなと、一佐は感心した。


『――――ところでお前、昨日となんか印象違わないか。地球の食いもんで腹でも壊したのか?』


「えっ……ち、ちがいますわっ! これは私の身体的な問題に関する個人的な事情ですっ」


 思わずソファから立ち上がり腕まで振り上げていた。ミィヤは淡々と主人を演じてきたものの、怒った〈彼女〉の姿を振る舞おうとして、素の自分と混ざってしまったようだ。


「たしかにおなかぺこぺこで野垂れ死にそうなのは、ええ、否定できない事実ですけども! あなたとお話しするくらい、ぜんぜん、ぜんぜん問題ありませんからっ!!」


 それが何の誤魔化しにもなっていなくて、慌てた一佐が背後からミィヤの口に蓋をする。咄嗟のことで、躊躇が足らなかった。彼女の唇は柔らかく頬も暖かだったが、真っ白な歯は甘噛みでも固かった。万象粒子、〈天使型パーティカ〉が人型に寄り集まって形作られているというミィヤの身体はどこまでもヒトらしく、一佐の立つ科学の地平から眺めるとひたすら不思議の塊だ。

 ミィヤが繰り出した、釈明の体をなさない釈明の途中あたりから詩乃もクスクスと笑い始め、気づけば一佐たちの焦りも呆れへと変わっていた。滑稽な宇宙人娘の振る舞いに、この場に立ち会った誰しもが気勢を削がれていた。


『…………ふむ。ま、いいだろう。僕の役割は、その本題を伝えるためのものだからな』


 端末のスピーカー越しに聞こえる、鈍い物音。詩乃が腰かけている椅子か何かが軋んだのだろうかと、対話相手の姿をイメージする。深刻な話なのか、それとも勿体ぶっているだけなのか。三〇二号室の空調が溜息のように唸り、鮮やかな色に染め上げられたミィヤの髪を、自分たちと平等にふわりと撫でつけてゆく。

 しばしの沈黙の後、詩乃は何ごともなかったかのように口を開いた。


『――本題というのはな、要するに我が国が守るべき国民たる戸原一佐及び舘丸小晴、両名の返還要求だ。まあ、この要求に大した意味などない。どうせ二人は無事解放されたところで、そのあと政府の老人どもに弄くり回されるのが目に見えてるからな。ほとぼりが冷めるまでしばらくそこにいてもらった方が、こちらとしてもややこしくない』


「あら、随分とぶっちゃけるのね。それはあなたの個人的な意見?」


『どうかな、一番うまく世の中が回るアイディアが勝手に口から出ているだけだよ』


 そんな言い回しも、どこか他人事めいている。送話口越しの詩乃は、政府側の代表役を務めているようでいて、胸中にどこか別の思惑を潜めているようにさえ聞こえた。


「なるほど。安心なさい、我々はこの二人を、地球におけるガイド役として正式に迎え入れました。だから身の安全も健康も保証します。当然、彼らの自由と、意思の尊重もね」


『そう願いたいね。今は政府と西側諸国どもが、お前らの……ほら、地球周回軌道上にある母艦の居場所を我先に見つけ出そうと躍起になってる最中だ。こんな国際情勢下で、互いのパワーバランスが崩れれば、さらにめんどくさいことになること請け合いだろう?』


「自らあえて膠着状態を望んでいると?」


『さあね、選択するのはあくまでお前らだ。僕個人にそんな大それた力なんてないからね』


 主人を演じ続けた中、唐突に選択肢を眼前に突きつけられ、しかしそれを決める権限を直接的に持たないミィヤはそこで口を閉ざさざるを得なくなる。


「こちらに要求を突きつけるのなら、交換条件は何なのですか?」


 ふとした疑問に、一佐は思わず横から口を挟んでいた。言ってから随分と自分は横柄な物言いをしたなと後悔した。よくよく考えてみればおかしな話だけれども。


『すまん、言い忘れてた。見返りは、そのマンションの譲渡と、バリケード内周辺地域の安全確保。あと当面の食糧や光熱費問題など、物資インフラ供給だよ』


 食糧の言葉に、一同は露骨な歓喜の色を隠せなかった。小晴など、勢い余って起立体勢だ。一佐にしろ、昨日口にできたのはファミレスでの朝食くらいで、松永らから与えられた食事は碌なものではなかったからだ。

 ただ冷静に考えてみて、その見返りが妥当な交換条件かどうか判断がつかない。一佐らの解放を両勢力が現時点で望まないとあれば、交換自体がそもそも成立しないのだから。


『ああそうそう、もう一つすごいのがあるぞ。これは僕が小耳に挟んだ話だが、我が国の首脳、鞍久間くらくま総理が、近々お前との対話の機会を求めてくるらしい』


 内閣総理大臣、トビアス・鞍久間。一佐の浅い知識で知る限りでは、今の時代別段珍しくもなくなった白人系日本人の政治家として出世、電子内戦の混乱期に現与党・サクラクラウン党を率いて国政を巧みに舵取りし、その後首相の地位にまで上り詰めた人物だ。


『我が国の平和的対話により人質問題も円満解決され、星を跨いでのお近づきのしるしに各国報道陣の前で握手、というシナリオもできあがっている。内閣は国際社会に向け公式な会談の場でも演出して、日本の立場をどうにかしたいらしい。総理は、眼は碧いが中身はガチガチの愛国者だ。まあ体面政治に利用されるだけだろう、返答は保留してなるだけ時間稼ぎしておけ……と助言しておく』


 二度目に訪れた沈黙は、短いが不気味なものだった。


「…………。これはどういうつもりでしょう、サワタリ・シノ?」


 ミィヤが強く釘を刺した。アーチルデットを演じるのも忘れている。

 それは、電話の向こうの詩乃が、政府の思惑と真逆の言葉ばかり伝えようとしているのに対しての追求かと思った。だが残る二人も、すぐに唐突な事態の変化を知ることになる。

 携帯端末越しに伝わる向こう側、ちっぽけなスピーカーを通して、詩乃のいる場所がにわかに騒がしくなり始めるのが、こちらでもはっきりと聞き取れるようになったのだ。


『――――すまないが、〈外交官達〉の役割はここまでだ。あとはうまくやれよ――――』


 こぼれ落ちる吐息のような余韻を余して、その声は消え入る。そうして詩乃の不逞な物言いには不似合いな、回線に入り混じる男たちの怒号。送話口は次第に波立つようなノイズを含み出して、与えられた席から彼女が去ったことを暗に訴える。

 あるいは、連れ去られたのか。


『――――――――――。――――。――聞こえますか、星間連盟の代表者の方々?』


 女性の声。詩乃とは正反対の、したたかで、重ねられた年齢と相応の威圧とを感じさせる。彼らが初めて耳にするものだ。


『わたくしどもの人間が客人に失礼をしましたことを、ここにお詫び申し上げますわ。そして、こちらの情報もたいへん錯綜しており、いくつか訂正させていただかなければと』


 女は、絵に描いたような文句を淡々と読み上げる。


「……何者ですか、あなた? サワタリをどうしましたか?」


『先ほどの人物らは、わたくしども政府としましてもあまり真っ当な存在として扱えないため、正式に退席させることになりました』


 詩乃を排除したと、見知らぬ女がのたまった。ホットラインを挟んだ交渉相手が、回線が通じたその日のうちに挿げ変えられてしまったというのだ。


『ご挨拶が遅れました、初めまして。わたくし、的井と申す者です。航空宇宙開発関連のお役目に携わる、真っ当な政府側の人間です。報道にも何度か名が出ておりますから、その程度には信頼に足る相手と理解していただけましたら幸いです』


「マトイ……あなた、宇宙開発庁長官のマトイ・サクラですか!? あなたのような立場の人間が関わるべき案件ではないと思われますが、どうしてその場所に――――」


『ええ、流石に宇宙人は管轄外かと。わたくしの役目は、人工衛星を積んだロケットを打ち上げることですから。でも宇宙人であるあなたがたは、不思議なことにわたくしのことを随分とお調べになられたようで。その観点から、こちらからもアプローチをする必然性が生まれました。そこで、ご面倒ながら再度対話のテーブルについていただけましたらと』


 的井の台詞に、今度はミィヤの方が至近距離から怪訝に満ちた視線を浴びる格好となった。ミィヤ自身に覚えはあれど、当の一佐も小晴も、的井桜なる政治家の存在が自分たちに関わってくる可能性など、この機に至るまで露知らずだったのだから。


『あなたがたが情緒に訴えて協力関係を取りつけられた国民二名の解放に関しては、こちらからは特にお願いすることはありません。もうその必要はなくなりましたので、ご自由にどうぞとお伝えします』


 表層にだけ丁寧さを貼りつけたような語り口の的井が、やけに冷たい響きを伴った言葉を一佐らに突きつけた。


「…………何を仰りたいのでしょうか?」


 率直な疑問を返す。今更そんなことを伝える意図がミィヤにもわからなかったからだ。


「――――待ってよ! わたしたち必要なくなったって、それどういう意味ですか!?」


 当事者の片割れである小晴も、的井の物言いに違和感を覚え、語気を強める。


『あなたたち二人にはとても申し訳ないと思っています。けれども、我が国を取り巻く事態はもはや、人道の問題に留まれない領域にまで広がっているの』


 一佐には本当に意味がわからなくなった。


「何だよそれ……人道がどうとかって。それじゃ、父さんや母さんは!? ぼくの家族は何て言っているの? 皆、そっちにいるんでしょ?」


 詩乃が飄々とした態度で敷こうとしたレール。しかし、それとは正反対に、的井はそれ諸共互いの接点を切り離してしまえとでも言わんばかりの態度だ。


「そうよ、さすがにもう伝わってるんでしょ、わたしたちがここにいるって。うちのおっさんだって、黙ってるはずないじゃん!」


 的井の潜めるような溜息が、それへのかすかな応答を意味した。

 途端、逆上の衝動を握りつぶすように、小晴が両手でテーブルを叩きつける。


「もしかして、あんた……わたしたちの家族を人質に取ったとかじゃないでしょうね!!」


 珍しく凄味の滲む声色を見せて、床に転がったままの端末に、かすれる声を投げつける。


『見当外れもいいところね、元より我々はそんな真似はしないわ。でも残念ながら、我々が何をしようと、しまいと、結果は似たものになるかもしれない』


 どくり、と心臓が弾んだ。耳を塞ぎたくなる恐ろしい言葉を、この的井という女が発しようとしている予兆のように。


『戸原一佐と舘丸小晴。先に一つだけ、とても大切なことを伝えておきます。もう家族のことは諦めなさい。これは脅しなどではないわ、あなたたちの目の前にぶら下がる、純然たる事実よ。その意味を知るタイミングも追々訪れるでしょう。あなたたち二人はもう逸脱してしまったの――ずっと収まっているべきだったフレームの外に』


 再度、どくり、と苦しげに心臓が弾んだ。

 あるべき枠組みから逸脱した、と的井は表現してみせた。誰が? 突如この世界に現れた宇宙人たちに向けた言葉ではない、自分たちに対して言っているのだ。

 思い当たる節がないわけではなかった。社会が一佐ら子供たちを、聖痕を帯びた者などという箱庭に押し込めてこの国は歩んできた。そんな歴史は、実はただの空想でしかなかったのではないかと、今まで想像もしなかった別の可能性世界を脳裏に描いてみる。アーチルデットが自分の中から勝手に引きずり出して、突きつけてきた嘘。

 いや、違うのか。かぶりを振り、汗の滲む両手で頭を抱える。思考が追いつかず、揺り戻された記憶と裏腹に、鼓動が瞬間、生まれついての役割を忘れそうになる。

 言うだけ言うと、的井の声に宿った私的感情らしきものは再び深く沈み、後は淡々と事務的な言葉だけが並べられた。


『さて、最初の伝達事項です。皆さんの当面の生活を援助しましょう。サクラガーデンの玄関口から一つ交差点を超えたところに、コンビニエンス・ストアがあります。無人で利用可能なよう、至急手配しておきましょう』


 生鮮食品や不足した商品の補充は毎日十五時に配送トラックを出入りさせるので、接触したくなければその時間帯はコンビニに近づくのを避けるといい、と的井は付け加える。


『それで、予告通り総理との会談には応じてもらいたいところね。それがお互いのが歩み寄るにあたっての、第一のフェーズとなるでしょう。数日の猶予をもうけますから、よりよいお返事がいただけるのを心待ちにしております。それでは星間連盟の皆さん方、当面のそこでの生活に慣れますように』


 御機嫌よう。そう言い残して、急遽一佐の頭上から垂らされたか細いホットラインは、そのままぷつりと途絶えてしまった。

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