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自らを〈外交官達〉などと名乗った灰色スーツの連中は、一佐と小晴をそれぞれ別の車両の後部座席へと押し込めると、例のマンションがある方角へと走らせた。
勿論、一佐は彼らにマンションの場所について案内などしていないし、そもそも場所を教えろ吐けなどと尋問されもしなかった。にもかかわらず彼らは、目的がそこにあるのを最初から知っていたかのごとく、寂れた住宅街の路地を縫っていく。
この界隈は、時代の流れとともに変わりゆく都市と郊外地の関係のしわ寄せで、人口密度が極度に減少してしまった、都市部に遍在を始めた一種の過疎地なのだと、生前の祖父が自嘲気味に語っていた。そんな記録を、一佐のメモが今も残している。車窓に流れゆく景色を眺めると、売地売家の立て看板が存外に多い実状にあらためて気づかされるのだ。
一佐にはこの国の些細な社会事情に対する知見などないし、教育を通じて得たいくつかの基礎教養も、揮発性記憶から抜け落ちてしまっていた。けれどもこの界隈がこうなった理由を、ここに移り住んだ彼自身、何となしに理解していた。ここが本来は祖父のような独立した高齢世代ばかりが集められた特区のなれの果てで、彼らが徐々に社会から去ったあとの地域再興を成し遂げるには、この国に根を下ろす人間の絶対数があまりに少なかった。だからここの都市機能は緩やかに衰退し、こうして頓挫したのだと。お陰で一佐のような若者がこうして住居を手にすることができたのは、実に皮肉めいてはいるけれども。
そうして、いとも呆気なく辿り着いた廃マンションの裏手、四方を取り囲むようにした小高い塀の影に、自称〈外交官達〉は車を一旦停車させると、
「――なあ、話してもいいか戸原一佐。聞くまでもないが、この場所に見覚えはあるな?」
鉄の規則に呪縛されていたかのようにつぐみ続けた口をようやく開くのだった。
一佐を後席に押し込めた方のセダンには、運転手役の若い男が一人。今の時代においては別段珍しくもないが、こちらはどこの血を継いでいるのか、ほのかに異国情緒を感じさせる顔立ちをしている。そして一佐の左隣には、最初に嵯渡詩乃と名乗った、あの風変わりな女が乗り合わせていた。
濡れ烏などと形容できそうな、丁寧に切り揃えられた長く艶やかな黒髪に、タイトなレディーススーツを着こなす詩乃は、鼻筋からまなじりに至る造型の鋭さも相まって、傍目には二十代半ばあたりのキャリア職といった風体だ。けれども、リップグロスを薄くなぞった唇から発せられるごく事務的な言葉は、不似合いなまでにあどけない少女の声色と滲み出る地の性質のような何かのお陰で、彼女のような種の人間に本来付きまとうはずの厳めしさごと削ぎ落としていた。性差を混乱させる言葉づかいも未知の感覚だ。
「よし、いいか少年、これから僕は二つだけ質問をする。僕らは五分以内に次の行動に移らなければならない。お前はこちらの質問に、簡潔かつ手短に答える。そこで任務完了だ」
まるで上官にでもなったかのような物言いをすると、詩乃はクローム色のミラーシェード状の装置で眼をすっぽりと覆い、一佐をくまなく観察し始める。右手には音叉形状のオカルトチックな物体が握られており、そいつで一佐を
「……あの、ぼくらは何の理由で捕まえられたんですか? あなたたち何者? 市民に胸を張って自分の所属を説明できますか? 一体何の権限でぼくたちを――ぁいてッ!?」
厭味混じりの質問攻めを最後まで言い切る前に、詩乃は一佐の首筋から絆創膏を引っぺがした。随分と非対話的で乱暴なやり口。そのまま後席シートに膝を突いて無遠慮に近づくと、詩乃が消えかけの傷口をまじまじと観察してくる。さも不思議そうな表情を見せ、それも彼女には不釣り合いな反応だと一佐には感じられた。更にはにおいまで嗅がれてしまう。垂れ下がる黒髪がこちらの頬や肩をくすぐってくる。癪なので、一佐もにおい返してやる。彼女は小晴と違い、香水のにおいがしない新事実を発見する。
「いいか、お前はいま質問できる立場にない。端的に言えば、我々〈外交官達〉は国家の犬だ。そしてこれは国家正義に準じた、正当な作戦行動とでも捉えてくれたまえ」
真顔でぴしゃりと言い放つと、たった一呼吸の動作で、黒いプラスティック樹脂製の簡易手錠を一佐の両腕に課してのけた。
また忌まわしきコレだ、参ってしまう。それに詩乃と名乗る女は、自らを国家の犬だと恥ずかしげもなく宣言した。おそらく警察に近しい何らかの組織に属している人物なのだろうかと、相手の言う〈外交官達〉とやらの実像をイメージしてみる。自分のような一般人がこんな状況に巻き込まれる諸悪の根源が何なのかくらい、いくら一佐でも推測できるが、とはいえ今の状況でその名称に外交を冠する意味が、今一つ釈然としない。
「それではひとつめの質問だ。――――お前は周囲の人間に危害を加えるか?」
のっけからふざけた問いかけだった。まるで一佐が国家から指名手配されるほどの危険人物で、周囲の他人にいつ危害を加えないとも限らないとでも言いたげだ。
「え、そんな……。ぼくが危害? 加える? って、全然意味がわから……」
あまりのことに、呂律がうまく回らない。動悸。皮膚の表面が不快にざわつき始める。
「この質問は、お前が何らかの理由で自由意志を奪われているか、あるいはヒトとしての理性を見失っていないかどうかの確認のためのものだが、どうやら聞くまでもないな」
いつの間にか運転手役の男が振り返り、警棒らしきものをこちらに突きつけていた。一佐に対して、である。それは使用者の意志次第では数十万ボルト級の電圧くらい流されて不思議ではない、あからさまに標的を制圧するための得物に見えた。
「では、ふたつめの質問だ。お前の接触した『奴』は、我々人類に危害を加える存在か?」
「奴、って……??」
我々人類という主観者。状況としての危害。我々と相対する存在、『奴』。
チル子。アーチルデット何某。対する〈外交官達〉。詩乃らが携わる外交活動の指し示す意味が何なのか、一佐はぼんやりと悟る。あの宇宙人娘のような地球外の存在に関わる種の人間たち、それが彼女ら〈外交官達〉なのだろう。宇宙人についても言わずもがな、そんな馬鹿げた組織が実在するだなんて。数奇な運命を前に、思考がどんよりと眩む。
「おいお前、ここから奴に何か埋め込まれたか?」
白い手袋を外すと、詩乃が丁寧な手つきで一佐の傷口に触れる。
「……痛むか?」
「いえ、これは単に……噛みつかれた、といいますか」
「噛んだ、だと? 奴の外見的な特徴は? 武器は持っているのか? お前と接触してから、奴が喰ったり、殺したりした場面を見たか?」
「ええと、質問って二つだけの約束じゃなかったんですか? それに喰うなんて言ったら、彼女さっきファミレスで――」
「ああ、ごめんドジった。……は、ファミレス!? いま『彼女』って?」
彼女らがアーチルデットのことを一体どんな怪物として想定していたのかは知るよしもないが、一佐の返した言葉に、明らかな困惑の表情を詩乃が浮かべている。
「はい、彼女、です。彼女、話を――」
この街で一体何の事件が起きて、誰と誰がどう結びついて今の状況に至ったのか、一佐には見当もつかない。ただ言えるのは、自分が度重なる不運に巻き込まれただけという事実。それともう一つ、彼から確信を持って伝えられることがあった。
「彼女はぼくらとちゃんと話をすることができます」
一佐の伝えたごく端的で強い言葉に、詩乃は何かを察したのか驚きの表情を返した。
だが、両者のたどたどしいやり取りは、急遽割り込んできたノイズまみれの音声に遮られてしまうことになる。
「――悪いが時間だ嵯渡。ニュートン隊、標的エリアに突入開始する。準備しろ」
そう言いながら運転手役は、突きつけていた警棒を助手席足元へと放り投げた。
◆
マンション裏に停車したままだった宅急便の配送トラック。住宅街を行き来するごく自然なものとして景観に溶け込んでいたかに見えたそれに、唐突なる変化が訪れる。
荷台のコンテナ部分が、ルーフ部をヒンジに、側面に跳ね上げて開放され――内部から転がり落ちてきた物体が、アスファルトの路面に弾んで対向する塀に跳ね返った。
ボール状の物体が六つ。
ニュートン・アービィ。近年に至って各所で導入が進められつつある暴動鎮圧用ロボットの、対テロリスト・市街地作戦行動向け装備に換装された機体だ。
六機のニュートンは、外殻を構成する人工筋アクチュエーターの段差的収縮を回転運動に変換することで転がり、摩擦抵抗を味方に路面を蹴りながら速度を増幅させ、グリップを維持しつつ軸を傾けて門を潜り抜けると、次々にマンション敷地内へと突入してゆく。
六機はエントランス手前で左右に散開、マンション外壁を次の行動地点と定め、外殻のフィンを展開し、球体から甲虫形体へと外形を移行させる。そのまま機体先端部のワイヤーフックを上階ベランダに向けて射出し、固定確認動作のため四肢を数秒身震いさせると、ウィンチのモーターと多関節マニピュレーターがコンクリート壁面を穿つ音だけ現場に残して、状況を捉え続けたカメラの視界から次々に外れた。
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