第二章 親の心音子知らず


□サキ


 あれから、はや二週間が経った。

今日は十月二十二日木曜日。

 あれから、というのは千葉君とモジャさんのあの件のことで、その後の事の顛末というか、話のオチというか、つまりはどんな結末を迎えたかというと。

 まずは、モジャさんと高速さんがあの場を立ち去ったあと。わりとすぐにわたしの呼んだ警察の方たちがやってきた。

 その中にはどうしてかわたしのお父さん(福満悟ふくみつさとる四十五歳)の姿もあった。理由を尋ねたところ、わたしからの通報があったことを部下の方から聞き、何か大きな事件にでも巻き込まれたのではないかと慌て騒ぎ、職務を放棄してまで商い通りに大急ぎで駆けつけたのだという。

 警察なら職務放棄なんてしないでもらいたい。

 ただ、それがわたしのお父さんだ。

わたしが一人娘だからなのか、少々過保護なところがある。母も含めて。

 現場に着いた途端、わたしの体を隅々までどこか怪我をしていないかと、ベタベタ触りまくってきた(血が繋がっていなければセクハラで訴えている)。

 どうやらお父さんは最近頻発している未成年者の薬物使用事件についても担当しているようで、そのことでわたしも話を聞かれた。

 わたしは包み隠さずありのままを話した。

千葉君のことも然り、現場の状況、さっきまで怪しい輩がいたこと、そしてモジャさんに言われた経高の校長のこと、最後にはそのモジャさんのことも一応話してみた。

するとお父さんは。


「なんだ、あの陰険パーマ野郎も一枚噛んでやがったのか」


 と、悔しそうに口を尖らせながらぼやいていた。

 お父さんもモジャさんのこと知ってたんだ。お父さんとモジャさんがどういう関係なのかは今は気にしないでおこう。

 千葉君はあっさり自分が薬物を使用していたことを認め、そのままパトカーで経退警察署まで連行されていった。

 翌日、校長先生に任意同行を求め、警察署に連行。これまた校長先生も罪を認め、検査結果も陽性。本当に使っていたのかどうかは知らなかったが、もしそうならその罪を全て着せるためにモジャさんに依頼したのだという。

 これまたあっさり罪を認めたことをお父さんから聞き、なんだか案外あっさりとした結末だなと、正直そう思ってしまった。

 もちろん薬物使用が許されることではないし、決して軽く見ているわけではないのだけれど、こうもあっさりと自白されてしまうと、またモジャさんが裏でなにか暗躍していたのではないかと、疑ってしまう。

 それから経高は対応に追われ授業どころではなくなってしまった。

教師は全て、鳴り止まない電話の対応にてんてこまい。授業なんてできるはずもなく連休明けの週はほとんどが自習になってしまった。

 それもそうか。現職の校長に加え現役高校生まで。同じ学校から二人も犯罪者が出てしまっては、各生徒の親も心配せずにはいられまい。

 現に、直接学校に来てまで転校させるなんて言い出す親までいたくらいなんだもん。

 あの日から二週目以降は、ようやく学校も落ち着きを取り戻し通常授業へと戻りつつあった。

 今までは授業についていくのがやっとで、必死に勉強ばかりしていたから一週間が経つのもあっという間だったけれど、今回のそれはどこかいつもと違う感覚を覚えた。

 いろいろ考える時間が増えたせいで、自分の在り方、身の振り方、それに人の嘘というものに対して改めて考える時間が長かったようにも思える。

 モジャさんが言ったあの言葉。

『腐ってんなこの街は』

あの言葉が何故か頭から離れない。そう思いたくないはずなのに、わたしはこの街が大好きなはずなのに、それを否定できない自分がいる。

 それとも、モジャさんは何かこの街の全容みたいなものを既に知っているんだろうか。

 まあそんなこんなで十月二十二日。わたしのいつもの学校生活は、再び始まるみたいだ。

 最近また少し冷えてきたな。


「さきー、先行ってるよ。………なんちゃって」

「下らない駄洒落はいいから。わかった、いいよ」


 帰りのホームルームも終わり放課後。わたしは迷っていた。

 先に友達を帰しておいて迷うもくそもないが、たしかに、わたしにも調べて欲しいことがないこともない。

 経高は学校外での言動は全て自己責任として、校風も校則も厳しいとは言えず、商い通りやその他の街にいてもよっぽどじゃない限り、補導されるようなことはまずないのだろうが、果たしどうしたものか。

 こういうときって、まず自分でなんとかしようと努力する方が先なのかな。あまり人に頼りすぎるのも自分のためにもならないし。

 それに、何故か未だにモジャさんのところに行くのは少し気がひけた。

 慣れない考えるという行為をしているうちに昇降口に着き、上履きからローファーに履き替える。


「とりあえず行動あるのみ、かなぁ」


 そう思いバス停に向かいながら、学校指定の紺のスポーツバッグにおもむろに手を突っ込み中を漁る。

 いつもなら底の方に定期が沈んでるはずなんだけれど。


「……………あれ?」


 ない。


「うそ!どうして!?……どこでなくしたんだろう」


 これは困ったことになってしまった。

 毎日バス通学のため、毎月親が定期を購入して持たせてくれているのだけれど、その定期がどこを探しても見当たらない。

 バスに乗って行ったとしても一時間以上かかるここまでの道のりを、まさか徒歩で帰らなければいけないということになるのだろうか。

 落とすようなところもなかったし、そもそもバッグの中に最初からなかったということなのだろうか。家に置いてきたとか?

 でも確かに入れたと思うんだけどなぁ。

 と、こんなところでつべこべあれこれ悩んでいても始まらない。ないものはないのだ。諦めて歩いて帰るしかないか。

 不幸中の幸いは、月がもうすぐ終わりそうなことくらいか。

 商い通りはなるべくなら通りたくはないのだけれど。

 校門の脇に立つ体育教師の雲堂うんどう先生に慣れた感じで挨拶を済ませ経高を後にする。

 しばらくは殺風景な国道が真っ直ぐ続くばかりだ。

 商い通りへはたぶんもう少しかかるのかも。

 それまでの間に、もう少しいろいろ考えてみるか。疲れそうだけれど。

 一番に気になったのは、モジャさんがあれ以上千葉君に何を聞こうとしていたのか。

 千葉君が常用していた覚醒剤。それをどうやって入手したのか、そのことについては少しだけお父さんから話を聞くことができた。

 メールで暗証番号が送信されてきて、ベンチ下のトランクに当然のように覚醒剤が入っているなんて、話だけ聞いた段階では正直信じられなかった。

しかし実際に千葉君が手にしている以上は信じざるを得ない。

 それでも誰でも入れる公園で、誰でも座るであろうベンチの下にある。それはつまり、いつでもどこでも、誰の足下にも犯罪の種が落ちているということで、改めて認識させられると恐怖に支配されてしまいそうになる。

 おそらく更に聞く必要のあることというのは、それが誰の仕業なのかってことなのかもしれない。

 そんなこと、ごく普通の高校生であるわたしからしてみれば、全く想像もできないことで、その範疇を優に越えている。

 もしかすると、モジャさんの過去にも何らかの因果関係が存在しているのかも。

 かもばっかりだな。

 他に気になることと言えば、霧子さんの言っていた協会という探偵を監視していると思われる組織、なのかな?とにかくなぜそんなことをしなければならないのか、その協会というのは一体どういうものなのか。

 当然これもわたしにはわかるわけはないのだけれど、頭の端で少しだけ気になっていたりもする。

 と、そこまで考えた時点でようやく商い通りのアーチ状の看板が見えてきた。

ちょうど日が落ちていく時間帯に入ったからなのか、看板に装飾されたLEDが目に痛いほど、色とりどりの光を放っていた。

 少しだけ小腹が空いたので、学校側の入り口を入ってすぐ左手にある白密屋で、ミニ餡パンを買ってかじりながら商い通りを歩いていく。

 繁華街ほどの賑わいこそないが、実はわたしはこの時間帯のこの場所が一番好きだったりもする。もちろん店の人達もみんな顔見知りだ。

 頬についた粒餡を指先ですくい口に運んでいると、後ろから唐突に女の人の声が聞こえてくる。


「また餡パン?栄養偏っちゃうわよ」


 綺麗なブロンドヘアをなびかせ、うさぎのように飛び跳ねながらその人はやってきた。


「あ、霧子さん。奇遇ですねぇ」

「っふふ、そうね。まあわたしの仕事場はすぐそこだから奇遇ってほどでもないけど」

「ああ、そういえば言ってましたもんね」


 モジャさんの仕事場からは真逆にあると言っていたから、そうか、この辺になるのか。

 それにしてもやっぱりいつ見ても綺麗な人だなあ。自己嫌悪でやりきれなくなりそう。

 そういえばモジャさんの口ぶりからすると、霧子さんは頻繁にモジャさんのところに行っているみたいだけれど、それほど親しい関係なのだろうか。

 わたしの中からモジャさんに対する興味が消えないうちに、二人きりになっている今のうちに、モジャさんについて色々聞き出せるチャンスかも。

 幸い、商い通りはまだまだ長い。


「霧子さんって、モジャさんとはどういう関係なんです?」

「あら、なに?気になるの?」

「ええ、まあ。それなりに」


 霧子さんは人指し指を指揮者のように優雅に揺らしながら、桃色のグロスがあしらわれた唇を動かす。


「そうねぇ。この街のこの通りで探偵をやり始めてからは真ちゃんといることが多いかしら」

「同業者だから、ですか?」

「それもあるんだけど、あの子すごくわかりやすかったのよ。歩いてる背中を見ただけで普通の人じゃないってすぐにわかったわ。それで、ほら。あたしって鍵開けるの得意じゃない?」

「うん、あの、それは初耳です」

「まあとにかく、それからは暇になると真ちゃんのとこに行ってるかなぁ。一人にしておくと何するかわからないってのもあるのかもね」


 そんなことを言いながら、霧子さんのブラウンの瞳は沈んでいく日を真っ直ぐに反射させていた。

 聞くべきか聞かないべきか。今わたしは選択に迫られている。

 この流れならもしかしたら教えてくれるかもしれない。迷う余地はなかった。


「霧子さんは、モジャさんについてどこまで知ってるんですか?例えば、モジャさんの過去とか」


 そう言い放った瞬間、その場の温度が少しばかり下がったような錯覚を覚えた。

 隣にいる霧子さんに視線を動かす。表情というものは一切そこには存在していなかった。


「これからも、もしあなたが真ちゃんと仲良くしたいと思っているのなら、それは聞かない方がいいわ。そんなこと知らなくても、今の真ちゃんが一番可愛いんだから、それでいいじゃない」

「は、………はあ」


 何か触れてはいけない核心に迫ってしまったのか。はたまたパンドラの箱にでも手をかけてしまったのか。しばらく霧子さんがこちらを気遣う様子は全くなかった。

 何があったのか。何を知っているのか。何故霧子さんがそれを知っているのか。

 そんなに衝撃的な過去を持っているのならば、自分からべらべら話すということはまずないと思うんだけれど、霧子さんがそれを知っていることをモジャさんも知っている風だった。

 霧子さんがより一層、わからなくなったような気がした。この瞬間に。

 すると、わたしがもう一度その顔を窺う頃には、もうすっかり普段の様子に戻っていた。


「それじゃあね、咲希ちゃん。あたしの職場はこっちだから」

「あ、は、はい!それじゃあ、また今度」


 たどたどしさが明らかに露見してしまっている。やっぱり嘘なんかつけないわたし。


「大丈夫よ。あたしは普通の探偵さんだから。こないだも言ったけど、何か困ってるなら特別に無料で話を聞いたげるわ。いつでもいらっしゃい」

「わかりました。困ったら頼りに行きます」

「ふむ、よろしい」


 そして、モダンで雰囲気のある、この辺じゃあ明らかに浮いてしまっている素敵な建物の中にブロンドヘアの女性は消えていった。


「あたしはって、普通じゃない人もいるのかな………」


 不安がまた一つ、増えたような気がした。


 商い通りを抜けて通りをひたすら歩いていく。家に着く頃にはもうすっかり日が暮れていた。

 それにしても今日は絶対に歩きすぎだ。普段体育の授業でもこんなに運動はしないのに、こりゃ明日は絶対に筋肉痛だな。

 スカートのポケットから自宅の鍵を取り出し、鍵を開けノブに手をかける。


「ただいま」

「おかえり、咲希。どうしたの?遅かったわね」


 廊下を抜けてリビングに入ると、お母さんが夕食の準備をしてくれていた。

 自慢じゃないのだけれど、わたしのお母さんは物凄く料理が上手いし、美味い。

ブログにでもあげ続けたらレシピ本なんか出せるんじゃないだろうかというレベルまでおそらく到達している。

 元々料理上手なおばあちゃんから全て教わったのだという。おそるべし、おばあちゃん。そして、わたしへのプレッシャーが強すぎて時々潰されてしまいそうになる。


「ごめん、わたしも手伝うよ」


 だからこうやって、できるときはお母さんを手伝うようにしている。

 人に教わるより目で見て盗め。それがおばあちゃんの教育方針らしい。

 今日のメニューは、八幡巻きのようだ。また手の込んだものを。

 そういえば。


「そういえば、今日もお母さんどこか行ってたの?」

「うん、ちょっとねえ………」


 いつもこれだ。

どこに行ったのかは決して教えてはくれないが、最近毎日必ずどこかに出掛けている。

 聞いたとしてもいつもこうやってお茶を濁される。濁りきっている。

 とうしてだろう。どこに行っているのだろう。

 ここで一つの結論が導き出されるのは言うまでもない。まさか。もしかして。ひょっとすると。

 もはやそれで決まりだ。

 お父さんがいながら。

わたしという可愛い娘がいながら。

お母さんは、きっと、不倫をしている。

 よもやこんな日がやってこようとは。一抹どころか、二抹三抹の不安が今わたしの中で蠢いている。

これ以上わたしを悩ませないで欲しい。ほんとに頭が爆発しそう。

 そうだ。もう迷っている暇なんてない。霧子さんには悪いが、明日モジャさんのところに行こう。

 またしても土曜日になってしまうが、いよいよやむを得まい。

 大好きなお母さんに正気に戻ってもらわなきゃ。


「なにやってるの?もうできたよ。いつまでもそんなところにいないで、早く食べようよ」

「あ、うん。ごめんごめん」


 まあたしかに、お父さんが忙しいせいもあってか、ご飯を食べるときは決まってお母さんとわたしの二人きりだ。

 でもそれはしょうがないことだし、わたしはお母さんがいるから寂しくはないのだけれど。

それにお父さんも週一くらいで帰ってきているから、それで夫婦関係が冷えきるなんてことはないはずだし。


「うん、今日も美味しくできた」

「そうだね………」


 いまいち味がよくわからなかったけれど、早々に食べ終わり食器を片すと、お風呂に入り、明日に備えて今日はもう寝てしまおうと自室に向かう。

 ふと机の上に置いてあるものに目がいく。


「なんだ。やっぱり忘れていってたんだ、定期………」


■シンタ


「また勝手に入ったのか」


 十月二十二日木曜日、夕刻。

今日は犬探しに一日の全てを費やした。もちろん仕事は仕事として一生懸命取り組むつもりで臨んだ。大きい小さいは考えないようにして、依頼人の声には真摯に耳を傾けるつもりでいるが、それでもやはりなかなか身が入らない時間が続いたせいか手間取ってしまった。

 結局は自宅の螺旋階段の下にうずくまって寝ているのを発見。灯台もと暗しとはこのことだ。

 無事飼い主のところまで届けに行き、俺も自分の小屋にハウスしたわけだが、どうやら今日もうちには侵入者がいるらしい。

 十月の始め頃にあった覚醒剤の件については、その後どのように事が解決したのかは聞いていないし、過ぎたことは知りたいとも思わないのだが、いつ何が起きようともこいつのこの癖だけは、いよいよなおらないみたいだ。

べつにそれならそれで構わない。そう思うようになったのも、俺が慣れたせいなのか。人間の慣れというものは恐ろしい。


「さっき咲希ちゃんに会ったわよ」


 もう何度見た光景か、カーテンの奥から霧子が姿を現す。毎回すぐにバレているのに、わざわざ隠れる必要があるのか。無駄なことを無駄だと思っていないその性格が羨ましい。


「なぜ俺に言う」

「やっぱり真ちゃんに興味があるみたいだし、それにほら、あたしって人の顔色窺うの得意じゃない?何か悩み事がありそうな顔してたから、相談にでものってあげたら?」

「お前の情報など知らんしいらん。それに、そこまで言うんならお前が相談にでもなんでものってやればいいだろう」

「何言ってんのよ。せっかく久しぶりに真ちゃんと仲良くなれそうな子が現れたっていうのに」

「余計なお世話だ」


 作業机に腰をおろし、今日の仕事をファイルにまとめる。依頼人からも、当日現金で報酬を受け取ったし、今日は早めに片付きそうだ。

 霧子が大人しく帰ってくれればの話だが。


「今日も探してたの?」


 唐突に、呆れたような、しかしそれでいて、心配そうな眼差しで霧子が俺に問う。


「今日は違う。仕事が長引いたからな」

「ふーん」

「なんだよ」

「ほどほどにしなさいよ。もう十五年も昔のことなんでしょ?とっくにこの街から出ていってるわよ」

「それでも探すんだよ。今の俺にはそれしかやることがないんだ」

「そう」


 幼い頃の記憶といえば、それぐらいしか本当に覚えていない。思い出そうにも、その過去が邪魔して頭を覆い尽くしてしまう。

 忌々しい、悪夢のような、地獄のようなあの過去が。

その過去の清算が終わるまでは俺にとり憑いた鬼が祓われることはないだろう。殺したいほど憎んでいた奴に対しての思いも、今は錆びてしまったのか何も感じなくなってきている。

 それでも探しているのは、さっきも言ったとおり、それしかやることがないからなんだろう。他に何をやっていいかわからないのだ。前に進めないまま、足踏みするたびに靴底だけが擦り減る感覚を幾度となく味わい続けている。

 俺は空っぽだ。


「仕様がない。行くしかないわね」

「急にどこに話を飛ばしたんだ」

「ん?咲希ちゃんのお家」

「………………は?」


 とっくに調べはついている、とそう言いながら親指と人指し指を立てピストルのような構えをとる霧子に対しては、怪訝な感情しかわき上がってこなかった。

 一体何の為に。


「だ、か、ら。今の咲希ちゃんが抱えている問題を解決してあげれば、仲良くなれるチャンスじゃないの。善は急げよ真ちゃん」

「勘弁してくれ………」


□サキ


 十月二十三日金曜日。


「で、どうして二人がここにいるんです?」

「俺は嫌だと言ったんだ」


 だったら来なければ良かったのに。大方隣にいる霧子さんに無理矢理連れて来られたとか、そんなところかな。

 彼、つまりモジャさんは二週間前と全く同じ服装なのに比べ、一方の霧子さんは普段着というか、この前のは仕事用の装いだったんだなと思わせるほど、今日はカジュアルなパンツスタイルで訪れていた。


「あの、今から学校なんですけど」

「休め。こうなったら霧子はしつこいからな。さっさと終わらせる」

「ん、すいません。もう一度お願いします」

「今日は、学校を、休め」

「…………………大丈夫ですか?わたしのかかりつけの病院紹介しましょうか?」

「俺は病気じゃない」

「あぁ、生まれつきなのか」

「お前なあ………」


 そんな不毛なやりとりを繰り返していると、突然口を大きく開けながら笑いだす霧子さん。そこまでおかしいことを言っているつもりはないのにな。

 というか、そもそも本当にどうして二人がわたしの家に?

いやいや!気にするのはそこじゃないじゃん。うちに来た理由とか以前に、この二人どうしてうちの住所知ってるの?これが探偵なのか、恐るべし。聞くのも恐ろしいから気付かなかったふりをしとこう。


「あっはは!もうなんか定番化しつつあるわね、あなたたち」

「勝手に定番にしないでくださいよぉ。それで、今日は何のご用で?わたし、ほんとに学校休むんです?」

「咲希ちゃんさあ」


 すると霧子さんは含み笑いをその整った顔に浮かべ、もったいぶるようにというか、多分もったいぶり方を知らないのか、体をくねくねさせながらおかしな動きをしだした。道で見かけたら通報するレベルだこれ。これは、わたしから何か言葉をかけた方がいいんだろうか。

と、思っていた矢先。


「何か、悩みが、あるんでしょう?話してごらーん?」

「ーーーな!?霧子さんがどうしてそれを?」

「ほら、あたしって人の顔色窺うの得意じゃない?」

「霧子さんのその得意シリーズは何なんですか…………」


 それまで黙って(わりと面倒くさそうな顔をしながら)話を聞いていたモジャさんがいつの間にかわたしの視界から消えていたことに今さらながら気付いた。一体どこに行ってしまったんだろうと後ろを振り返ってみると、インターホンを押す気配すら見せずいきなり戸に手をかけ開けようとしているモジャさん。人には不法侵入がどうとか言ってたくせに自分は平気でやろうとするなんて。


「ちょいちょいちょい!何してるんですか?」

「茶、出せ。茶」

「………おっさんみたいですよ」

「お茶でもお出しなさい。お嬢さん」

「キモ」

「チビ」


 このモジャモジャ頭、一番嫌なカタカナで返しやがって。おっといけない、短身イジりされるとつい口が悪くなってしまう。

 そんなわたしたちを見かねてか、空気を切り替えようと霧子さんは二回手を叩きながら楽しそうにこう言ってくる。


「はいはい、積もる話はあとで。真ちゃんもいきなり女の子の家に入ろうとしない。とりあえず話を聞かないといけないから場所変えようか。まあ、どっちみちこの家に帰っては来るんだけど」



□サキ


 本当に学校を休んでしまった。今学期はまだ休みなしでせっかくの皆勤賞だったのに。

聞けばどうやらうちに来る前に、霧子さんが既に欠席の連絡を保護者を名乗り入れていたようで、用意周到とはまさにこのことだろうか。

 そしてそんなわたしたちは一体どこまでやってきたのかと言うと。

それこそさすがにいきなりうちに押し掛けて母親を驚かせてしまうわけにもいかないということで、住宅街を抜け、途中に見える神社を通りすぎると商い通りが見えてくる。その商い通りにあるファミレスに、三人仲良く腰を下ろしていた。

まあわたしも友達とよく来るわけだから、三人分のドリンクバーのタダ券を店員さんに手渡し、窓際奥の席で例の件を話す機会を窺っていた。


「やだ、ここお酒安いのね。初めて来たから知らなかったわ」

「さっさと解決するぞ。ほら、話せ」

「ほんと愛想ないんですね。女の子に対する礼儀がなってません」

「だから、お前は女の子供だろ」

「お前じゃなくて福満咲希です」


 と、改めてわたしが自分の名を口にしたところで、モジャさんは顎に手を当てて突然思案顔を正面に座っているわたしに見せ始めた。

 というか、正直こんなところでこんな風にしているところをお父さんに見られでもしたら絶対カミナリくらっちゃいそう。大丈夫かな。誰も何も言ってこないよね。怪しい大人二人と一緒にいること以外は何もやましいことはないわけだし。


「お前、…………親父は警察官だって言ったよな?」

「え?はい。刑事課長ですけど」

「まあ、それ本当なの?凄いじゃない」

「いえいえ、それほどでも」


 なんて言いながら照れ笑いを始めるわたし。


「普段なかなか家に帰らないし、あんなのただの親バカですよ」

「福満って、……………そうか」

「どうかしたんですか?」

「俺の一番苦手な警察官だ。あの親父そんなに偉かったのか」

「え?顔見知りだったんですか?」

「言っただろ。この街の警察とは反りが合わないって。あの親父のことだよ」

「ああ。そういえばうちのお父さんもモジャさんのこと知ってる風な口ぶりでした。何かすごく嫌そうな顔しながら悪口言ってましたよ」

「だろうな。俺も苦手なタイプだからな」


 もうすっかりモジャさんという二人称に関しては何も言って来なくなったみたい。自分でもそこそこ気に入っているのか、はたまたあっさり諦めるタイプなのか。この人の場合後者だな。

 しかし、うちのお父さんはやっぱりこの街じゃ相当顔が広いんだなと思い知らされる。それもそうか。ノンキャリアであの地位まで登り詰め、尚且つこの街の治安をおおよそ一人で落ち着かせた縦役者だもの。たまにうちに遊びに来る同僚の人たちなんかはお父さんのことを手放しでどんどん褒め称えるけれど、家族からの認識って多分そんなもんなんだと思う。わたし自身お父さんがそんな人だなんて未だに信じられないところがあるし。お母さんが言うには昔(わたしが生まれる前)はかなり苦労していたらしいけれど。

 わたしにとっては、単なる親バカでしかない。まあ嫌いじゃないし、寧ろ好きではあるんだけれど。一緒にいて楽しいし、お父さん面白いし。でもわりと柔弱なところがあるからそれだけが玉に瑕かな。そしてこれを学校の友達に話すと大概引かれる。


「さてと、そろそろ咲希ちゃんの悩みがどんなものなのか、お姉さんに話してみ?」

「なんでお前が楽しそうなんだ」


 そうは言ったものの、事の仔細全てを話していいものか。今のところは単なるわたしの憶測に過ぎないし。つい前日、一人で頑張るんだと心に決めたばかりなのに。わたしには芯がないというかなんというか。

 しかし、こればかりは仕様がないのかな。ここでいつまでもこうして手をこまねいている場合じゃないだろうし。そもそも話さないとわたし学校休んだ意味ないし。休まされたんだけれど。


「わたしに味方してくれる探偵さんが二人もいるんですもんね。思い切って話してみます!」

「なぜ俺を入れる?」

「もう、ほら。真ちゃんは黙る。水を差さないの」


 そんな風に話を切り出そうとしていたところに、霧子さんの注文したレモンサワーが店員さんの手によってテーブルに運ばれてくる。一応ドリンクバーはフリードリンクのみが対象なんだけれど、初めて来たって言ってたし、まあ知らないのか。その分のお金は後できっちり請求するとして、いよいよ本題に入ろうとオレンジジュースで喉を潤す。


「実は、お母さんのことで気になることがありまして」

「と、言うと?」

「わたしが学校に行っている間、多分時間的には夕方くらいだと思うんですけど、ふらっとどこかに出掛けてるみたいなんですよ」

「買い物にでも行ってるんだろ?」

「うちは毎週わたしが学校が休みの日に一緒に買い物に行って、買いだめするのが習慣なんです。それはないと思います」

「ほお。それは、穏やかじゃないわね?」

「なぜそうなる」

「これは、だから、不倫ですよ!」

「極端だなおい………」


 呆れたようにそう言うと、モジャさんはお冷やをぐいっと飲みほし退屈そうに外の景色を眺めています。もう少し真面目に話を聞いてくれると思ってたのに。しかもどうやらさっきからお冷やしか飲んでいないみたいだし。わたしのタダ券返して欲しい。ただでさえ懐が寂しいっていうのに。


「そう思う根拠はあるのか?」

「基本うちでは二人きりで。お父さんは週の終わりにしか帰って来ないし。平日はわたしも学校でうちにいないし、それで寂しくて魔が差したのかなって………」

「じゃあお前は、自分の母親は簡単に家族を裏切って不倫するような人間だと思ってるのか?」

「ちが!違います!うちのお母さんはそんな人間じゃありません!そんな言い方やめてください」

「だったら信じればいいだろ」

「それ、は………」


 ほとんど自分で自分を陥れてしまっているような感覚だった。目の前にいる、探偵以前に、人としてのモジャさんの言葉に少し自分が情けなくなった。気持ちが地の底まで落ちていく。

毎日同じことを繰り返すだけの日常に、少しだけ見え隠れした変化。これに乗じてわたしはただ、刺激が欲しかっただけなのかもしれない。

安易に考えをまとめて、その答えが不倫だなんて、警察官の娘としてそもそも恥ずべき思考だった。我田引水極まれり。

 そんなわたしの気持ちを、人の顔色を窺うのが得意らしい霧子さんは汲んでくれたのか。


「はいはい、そこまで。まったく、真ちゃんにはデリカシーってもんがないのかしらねえ。ごめんね咲希ちゃん、この子も悪気があるわけじゃないのよ」

「なんだよ、俺が悪いのか」

「うん、悪い。言い方が悪い」

「………いえ、わたしが浅はかでした。お母さんに会わせる顔がありません」


 端から見れば明らかに肩を落として、落胆しているであろうわたしの様子に気遣いをくれる霧子さんが、今は女神のように見えてしまう。

 さて、とは言ったものの、自分の愚かさを認識したところで、その真偽はやはり確かめずにはいられないのが現状で、こうして学校まで休んでしまったからには、目の前の探偵さんに無理を承知で、無礼を承知で、頼んでみるしかないのかな。

 しかし、わたしがそうするまでもないようで、突然その人は口を開いた。多少言い過ぎたところがあると、悔いたことから出た言葉なのか。


「わかったよ」

「え?」

「調べてやるって言ってんだ。ここまで来といて今さら手ぶらじゃ帰れんからな」

「…………本当、ですか?」

「嫌なのか?」

「いえ、とても有難いです!気になっていたのは事実だし、モヤモヤしたままなのも嫌だったので………」

「とりあえず音だけは聞いてやる」

「………有難うございます!」

「ほらね、この子ほんとはいい子なのよ」


■シンタ


 また、戻ってきた。結局あのあと悩みだなんだは関係なく、その他二人は話に花を咲かせ時刻は一時を回っていた。

 完全に夏も終わりを迎えて、近頃はだいぶ過ごしやすくなってきた。こんな日は敢えて外に出ず自宅でゆっくり過ごすのも悪くない。そもそも今日は一日休もうと思っていたんだ。それを霧子に無理矢理こんなところまで連れ出されるなんて。不毛だ。

 だが一度引き受けたからには、一応探偵である俺にも責任が発生しているわけだから、ないがしろにするわけにはいかない。面倒は嫌いだが、あんな顔をされてしまっては引き受けないわけにもいかんだろう。べつにそんなつもりで言ったわけではないのだが、人というのは難しい。ひいては最近の若者というものも然りだ。


「えっと、何て言って紹介すればいいんでしょう」

「家庭訪問ってことにしとけ」

「急にですか?大体は事前に言っておくものですけど」

「臨時家庭訪問ってことにしとけ」

「ほんと臨時すぎますね」

「そういうことにしとけ」

「真ちゃん、真面目にやって」


 至って真面目だ。大真面目だ。

これも穏やかな休日を取り戻すためなんだ。最速解決を目指そう。

とりあえずは、ようやくそれで納得した様子のチビは戸を開け俺たちを招き入れてくれるようだ。と、思っていたのだが。


「じゃあ、あとはよろしくね真ちゃん」

「は?よろしくねって、お前は?」

「先生二人はさすがにおかしいわよ。それに、あたしこれから仕事あるから」

「なんて勝手な。借りはでかいからな」

「ごめん聞こえない。じゃあねぇ。咲希ちゃんもまたね」

「はーい、さよならー」


 さよならって。そんな簡単に別れの挨拶をしていいのか。霧子は帰るんだぞ。それはつまり俺と二人になってしまうということをこのチビは果たしてわかっているんだろうか。というか、なぜこんなことを自分から言わなければならないんだ。


「ほら、何してるんです。早く行きますよ」


 おのれ、人の気も知らず。ただの杞憂じゃないか。

まあいい。文句ばかり言っていても仕方がない。最初からさっさと終わらせるつもりだったんだ。適当に話を聞いてこんなところ早くおさらばしよう。

 普段あまりこの辺には来ないから、このプレハブのような家が借家なのか一軒家なのか俺に判断することはできないが、開けられた戸から中に入ると、なるほど、三人で暮らすには十分すぎるほどの広さを有していた。

僅かな上がり框に腰をかがめ靴を脱ぐ。チビの方はそそくさと慣れた様子で上がっていき母親のいるリビングの方へと早足で駆けていった。どうやら臨時でやることになってしまった家庭訪問についての説明をしているのだろう。

 それにしても、今日に限ってどうして俺はブーツなんて履いてきてしまったのだろう。慣れないことはするものじゃない。なかなか紐がほどけず思わぬ苦戦を強いられてしまっている。こんなことならサンダルにでもしておけば良かった。

 と、後悔していたところでようやく靴が脱げ立ち上がろうとしたが、そこでふと気になるものが目に止まる。

それは、随分と使い古されたスニーカーだった。この前あのチビがうちに来たときに履いていたのとは違うものだから、どうやらこれはあのチビのものではなさそうだ。しかし、色は褪せ、土で汚れ、踵も擦りきれてしまっている。たしかこれは、アンバランスとかいうメーカーのスニーカーだったと記憶している。歩いても疲れないとか、歩きやすいとか、そんな風な売り文句だった。

 ん?……………土?


「もじゃ、あ、せ、先生!どうぞ上がってください」


 ああ、そうだった。面倒だな。


「………お邪魔します」


□サキ


 モジャさんがうちのリビングに座り呑気にお茶を飲んでいる。なんだか見慣れない、というか普段絶対にない光景だから、まるでうちじゃないみたい。一応先生ということになっているから粗相のないようにしておかないと。

最初は驚いていたお母さんも、臨時ならば仕方がないとあっさり納得してくれた。


「すいません、わざわざお越しいただいて。散らかってて申し訳ないです。咲希の母親の加菜恵と言います」

「いえ、お構い無く。突然押しかけたこちらが悪いので」


 もうすでに担任の名前や顔に関しては、お母さんに知られてしまっているので、モジャさんのことは生徒指導の先生だという風に紹介しておいた。モジャさんも、さすがは探偵と言うべきなのか、すでに完全に先生になりきっている。少し老け顔だったことも幸いし、今のところは何も怪しまれてはいないようだ。

 ゆっくり様子を見ながら、モジャさんが音を聞ける機会を窺う。生徒指導だと言ったからには、もちろん進路の話をしないといけないわけだけれども、物凄く嫌な気分だ。まだ会って間もない人間に、自分の成績を一から十まで聞かれてしまうのは。

 世間話なんかも交えながらしばらくは進路の話が続いた。どれくらい時間が経っただろうか。それこそ本当に時間を忘れてしまうくらいに話し込んでしまったような気がする。意外だ、モジャさんがこんなに真剣に人の話を聞ける人だったなんて。


「そうなんですか。まあ、うちは基本娘に任せていますから。私たち親がしつこく催促することはないです」


 たしかに。言われてみればそうだったかもしれない。


「それにしても、随分と変わった先生ね」


 やんわりとした笑みを浮かべながらお母さんはそう言った。やばいな。そろそろ疑われ始めてるのかな?しかしそれだけを見ると、さして懐疑的な素振りをしている様子もない。

バレてしまわないうちにさっさとこの人をうちから追い出そう。


「う、うん。学校のみんなもよくそう言っててさ。………もうこんな時間になっちゃったね。先生ももう大丈夫ですよね?」

「ん?あぁ、そうだな」

「そうなの?もう少しいろいろお尋ねしたいこともあったんだけど」

「また来年もあるからさ。それにほら、そろそろお母さん出掛ける時間じゃないの?」

「あらやだ。もうこんな時間?それじゃすいません先生。今後ともうちの娘をよろしくお願いしますね」

「はい。お手数かけました」


 今がそのときだと判断したわたしは、早速お母さんに仕掛けてみることにした。


「毎日毎日どこ行ってるの?買い物?」

「いやいや、違うわよ。最近運動不足だから、ちょっと散歩してるだけよ」

「そう、なんだ」


 モジャさんに精一杯タイミングを合わせ、なんならアイコンタクトなんかもしながらいよいよ聞いてはみたのだけれど、最もらしい理由だし、当のモジャさんはそそくさと帰り支度をしているところだった。本当にやる気あるのかなあの人。確かに面倒を持ち込んだのはわたしだけれども、もう少しちゃんとやってくれないと、わたしなんか気もそぞろで仕方がないっていうのに。

 一切の迷いなく玄関までの道程を早足で歩いていくと、ガサガサしながら靴を履き始めるモジャさん。なかなか時間がかかってて、その間の空気が何よりも気まずく感じたけれど、ようやくそれを終えるとモジャさんはこっちに向き直る。


「それではまた」

「ええ、またいつでもいらしてくださいね」


 なんて予定調和なやりとりを一瞬で終えると、去っていくモジャさんに対しお母さんは深々と頭を下げている。まったく、そんなに深く頭を下げるような人じゃないっていうのに。礼儀だけはしっかりしてるんだよね、お母さんって。さすがは警察官の妻と言ったところか。

 立て付けの悪い戸が、悲鳴を上げるように軋む音を家の中に響かせながら閉まっていく。そして完全にモジャさんの姿が見えなくなったところで、わたしもここからの脱出を試みる。


「……………あ!」

「ん?どうしたの咲希?」

「ごめん、学校に忘れ物しちゃった。取り行ってくるね」

「今から?」

「うん、あれないと宿題できないんだ。急がないと、行ってきます!」

「あ、うん。い、行ってらっしゃい」



□サキ


「どうでした?」


 開口一番、わたしはそう言った。

さっきとはまるで違い、すっかり普段の感じに戻っていたモジャさんは、そのモジャモジャ頭をかきむしりながら面倒くさそうに口を開く。


「繋がったよ」

「ってことは、……………どういうことですか?」

「少しは自分で考える癖つけろ。お前の問いの答えに対してあの母親の音を聞いてみたが、半々だな」

「半々?」

「半分嘘で、半分本当」

「じゃあ、まだ全部はわからないってことじゃないんですか?」


 わかりやすく、露骨に、明らかにわざとらしく大きな溜め息をついたモジャさんは突然家の前から、商い通りに向けて歩き出す。帰るつもりなのか、それともどこかに向かっているのか。それも今からちゃんと話してくれるのかな?相当嫌そうな顔をしているけれど。


「普段からちゃんと周りに気を配ってればお前でも気付ける」

「わたしでも?というか、どこに行こうとしてるんです?」

「来ればわかる」

「はあ………」


 そう言ってしばらく歩くと、モジャさんが足を止めたのは経退神社でした。

それにしたってどうして神社なんかに?これからわたしたちの推理が当たりますようにとか、神様にお祈りするつもりなのかな?だとしたら正直モジャさんにはがっかりだな。

 まあうちから徒歩圏内だということで、たまに立ち寄っておみくじ買ったりなんかもしたりはするんだけれど、特に神社に寄るような用事は今のところないはず。

 事の真相を聞く前にわたしなんかそっちのけでモジャさんは、境内の周りに立ち並ぶ大きな木々の後ろに身を隠してしまいました。とりあえずわたしもそれに倣います。


「お参りでもするんですか?」

「俺じゃない。すぐにわかるから、黙ってここで待ってろ」


 とは言ったものの、なかなかその時は訪れませんでした。もうどれくらいこうしているでしょうか。お母さんとの偽りの家庭訪問に結構な時間を費やしてしまったため、そろそろいい時間のはず。制服のポケットにしまってあったスマホで時刻を確認すると、既に三時を回っているところでした。

 一体いつまでこうしていればいいのやら。モジャさんは相変わらず何も言ってくれないし。そもそも、これはわたしの悩みを解決するということで始まったはず。解決どころか、こんなところでまた貴重な時間を使ってしまって。

いつになったらわたしの中のモヤモヤは解消されるんだろう。

 と、思っていた矢先。神社の階段をゆっくりと上ってきた人物を見て、わたしは目を疑いました。


「ーーーー!え、お母さん!?」

「バカ、声がでかい」

「モジャさん、知ってたんですか?」

「知ってたんじゃなくて、ちゃんと考えてやったんだよ」

「どうしてお母さんがここに?そもそも、どうしてここに来るってわかったんですか!?」


 質問疑問が溢れて止まらない。

確かに、ちょうどお母さんが外に出掛けている時間帯ではあるけれど。


「靴だよ」

「………靴?」

「ここまで歩いてくれば、そりゃ確かにいい運動になるだろうからな。あのスニーカー、ウォーキング用の結構しっかりしたやつだったし。あれ、お前の母親のなんだろ?」

「あぁ、アンバランスの。はい、そうです」

「あの靴、そこそこ年季が入っていたし、だいぶ土で汚れてた。仮に、お前と買い物に行くときにもあれを履いていたとしても、あそこまでボロボロにはならないし、なによりあの家から商い通りまでの道は全てアスファルトだ。なのに、あの靴は土汚れの方がはっきりと目立っていた。汚れ自体まだ新しかったしな」

「……………あ、それで、神社。でも、どうしてわざわざ?」


 あれだと言わんばかりに、モジャさんは顎でお母さんの方を見るよう催促してくる。品はあまりよくないが今はそんなこと言ってる場合じゃない。

するとお母さんはお賽銭を入れ、その上からぶらさがっている鈴を鳴らし始めた。加えて、両手を合わせるお母さんの手にはなにやら変わった形の御守りが握られていた。


「おまもり?」

「あれは、百年御守ひゃくねんごしゅだ。この辺だけに伝わる風習で、百日ももか参りって言ってな。赤ん坊のやつとは全く別で、あの百年御守を手に持って、百日欠かさずお参りに来ると、その家族は百年安泰に暮らせると伝えられてる」

「じゃあ、お母さんは毎日こんなところまでわざわざお参りに来てるってことなんですか!?」

「家族のためだ。それがお前の母親の、気持ちなんだろ」

「お母さん……………」


 目頭が熱くなった。

いつものんびりしてて、少し頼りないところがあって、でもめちゃくちゃ料理が美味しくて。そんなお母さんがわたしたちのために、ここまでしてくれているだなんて、全く知らなかった。あんなバカみたいなことを考えていた自分が恥ずかしいし、情けないし、忸怩たる思いでやりきれなくなってくる。

 まさか。そうか。あのお母さんが。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。


「お母さん!」


 肩をビクつかせながら驚くお母さんを気にも止めず、わたしは真っ直ぐお母さんのいるところまで走っていく。

 目を丸くさせながら戸惑うお母さんの手にはしっかりとそれが握られていた。


「咲希?どうしてここに?」

「こっちの台詞だよもう。隠さずに言ってくれても良かったじゃん」

「えー、だって恥ずかしいじゃない」

「あらぬ疑いまでかけちゃったよわたし。わざわざここまでしなくてもいいのに」

「いや、ほら。悟さん仕事柄危険がつきものじゃない?警察官の妻として、私ができることってこれくらいしかないから。それに、たった百日通うだけで百年も神様が守ってくださるのよ?そうなったらもううちの家族は息災コース間違いなしじゃない?………あなたたちには、元気でいて欲しいのよ」

「お母さん……………」


 言い表せないほどの、いろんな感情がわたしの中に溢れてきていた。初めて、ではないけれど、こんなにもはっきりとそう思ったのは今日がやっぱり初めてだった。この家に産まれて、わたしの親が今目の前にいるお母さんと、毎日昼夜関係なく働いてくれているお父さんで良かったと、心の底から思った。モヤモヤしていた気持ちもすっかり晴れてしまい、尽きない愛情だけがそこには残っていた。

 最後まできっちりと付き合ってくれたモジャさんにちゃんとお礼言わなきゃ。今回のは本当に感謝しているし。

 そう思ってさっきまで彼が隠れていた大きな木の方へ行ってみると。


「あれ?………いない」


 そこには既にモジャさんの姿はなかった。わたしの依頼が完遂したと見るやいなや、どうやらさっさと自宅に帰ってしまったらしい。お礼を言うために、もう一度あの家に行かなくちゃ。そう言えば報酬とかちゃんと払った方がいいよね。さすがにタダってわけにはいかないだろうし。まあ、高校生に払える額なんてたかが知れているけれど。

 彼が立ち去ったあとのその場所には、葉に遮られその隙間から差し込む西陽が暖かくわたしを照らしてくれていた。

 そんなわたしの心に、あの人に対する信頼が僅かでも芽生え始めているのは紛れもない事実だった。


■シンタ


 ようやく一仕事終え、帰宅することができる。やることはやったんだ。黙って帰っても問題ないだろう。別に未成年のガキから報酬を受けとるつもりもない。元来お金というものにはあまり頓着しない性格だからな。

 西陽の入る商い通りは、やはり夕方時なだけあって、買い物する主婦の姿が目立った。面倒な一日ではあったが、それでも家に帰ってしまえば今日も何事もなく、いつもと変わらない一日だったなときっと思うのだろう。


「そろそろ冷えてきてもいいんだけどな」


 だが、まさかこの日からたったの四日後に彼女に再会するなんて。ましてやその一ヶ月後には、二人並んで座り、静かに、ただただ機械的に、まさかこの俺から彼女に対して自首をすすめているだなんて、このときの俺にはまだ知る由もなかった。



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