お婆さんの写真

 両手でカバンの取っ手を持って、ひいこら若子さんの後ろを歩いていく。

 私達が出会ったのは新興住宅地だったが、今いるのは昔からある村の中だ。もう十五分くらい歩いているので腕がだるくって仕方がない。

 ようやく若子さんが立ち止まったのは古い民家の前。庭が広いな。私はマンション住まいなので少しうらやましい。


「すみません、『宝蔵寺記憶写真館』の者ですが」


 インターホンに向かって若子さんが声を出す。カバンを下ろした私がハンカチで汗を拭いていると、こっちを向いた若子さんがにやっと笑いかけてきた。


「体力ないね、帰宅部?」

「美術部」


 筆より重いものは持たないのだ。

 中から出てきたのは腰の曲がったかなり年のいったお婆さんだ。家の中で休めると期待したが、二人はそのまま庭へ回った。私もカバンを持って付いていく。

 庭に入ったお婆さんは立木の前で立ち止まった。随分と背が高くて枝が広がっているが、もう夏近いのに葉が一つも生えていない。これはもう枯れてしまっているようだ。そんな枯れ木をお婆さんと若子さんは見上げていた。


「なるほど、立派だったんでしょうね」


 若子さんが感じ入ったように言う。まぁ、確かに生きていたら立派な木だったんだろう。でも、もう枯れてしまっている。


「春が近付くときれいに咲いてね。その後できた実を、子供達で取って食べたもんだよ」

「へぇ、子供が取ってよかったんですか?」

「よくないよ。見つかってしょっちゅう怒られたもんだ」

「今となってはいい思い出ですね」


 などとお婆さんと昔話に花を咲かせている。置いてけぼりの私は暇で仕方がない。

 平日の昼間にこんなところで油を売っていていいのだろうか? 学校へは風邪で休むと私から電話をしておいた。前にも忙しい親の代わりに私から学校へ休む連絡を入れたことがあるので、それでサボりはバレないはずだ。でももしバレたら? バレて学校からお母さんの方へ連絡が行ってしまったら? お母さんは驚くだろうな。でも仕事は抜け出せない。私が三十九度の熱を出した時でも仕事が優先なのだ。まぁいいや。そう、今日は何でもいいやって気分。親を困らせてやろうなんて子供じみた考えはしていない。ただ、どうでもいいやって気分。

 若子さんが私の存在を思い出したようにこっちを向いた。


「じゃあ、カバン貸して」


 私からカバンを受け取った若子さんは、中から片手で持てる平べったい物体を取り出した。上側は茶色い革みたいな質感で、側面は銀色をしているし金属のようだ。

 若子さんがどこかを操作すると、その物体の上側がぱかりとへし折れて跳ね上がった。さらに中央にあるパーツがせり上がる。よく見ると前側に大きな穴が現われた。レンズ? 変な形をしているがこれはカメラじゃないだろうか? 何かで見たことがあるが、すぐにプリントされた写真が出てくる奴だ。

 カメラの中央のせり上がった部分を若子さんが覗き込んでいる。どうやら枯れ木を撮るつもりのようだが、あんなもの撮ってどうするつもりだ?

 カメラからパシャリと音がした。見ていると、レンズの下からプリントされた写真らしきものが出てきた。その紙を引っ張り出す若子さん。

 しばらく待ってから彼女が紙を見たので私も隣から覗き込んでみたら、写っていたのはやっぱりあの枯れ木だ。


「よし、いいかんじ」


 若子さんはそのただの枯れ木が写っただけの写真を、縁側に腰掛けているお婆さんのところまで持っていった。私も後に続く。


「はい、手に取って見てください」


 若子さんがお婆さんに写真を手渡す。こんな写真を渡されて、お婆さんも戸惑ったような顔をして若子さんを見上げる。


「よく見ていてください。昔のことを思い出しながら」


 若子さんはあくまで真面目な顔。小さくうなずいたお婆さんが写真に視線を戻すと、すうっと写っているものが変わった。

 いいや、変わっていない。写っているのは相変わらず向こうにある木だ。だけど、この写真に写っている木には葉が生い茂っていた。その木によじ登っている子供の姿もある。

 驚いて現実の木を見てみると相変わらず枯れたままだ。


「おやまぁ」


 お婆さんも声を上げた。


「何これ?」


 若子さんに聞くと、彼女は口元に人差し指を当て、そっとお婆さんの方へ視線をやる。

 私もお婆さんを見ると、彼女の目から大粒の涙が溢れ出ていた。


「どうです? 記憶の通りですか?」


 優しく若子さんが問いかける。


「うんうん、こうやってね、近次君が勝手に木に登って桃を取るんだよ。それを父さんが怒鳴りつけるんだ。見てみな、驚いた顔をしてるだろ? 父さんに見つかったんだよ」

「はは、悪ガキっぽいですね」

「そうそう、悪ガキでね。スカートめくりやらで、私も随分泣かされたもんだ」

「ああ、私の近所にもいましたよ、そういうガキ」

「この子ももう三年前に死んじゃったよ」


 二人は穏やかに話し続けた。マンション暮らしで悪ガキの思い出もない私まで、不思議と懐かしい気分になってくる。


「じゃあ、この写真、大事にしてくださいね」

「うんうん、ありがとう、ありがとう」


 お婆さんは若子さんの手を取って、涙も拭かず何度もお礼を言った。




 その後、客間でひと休憩し、若子さんと私はお婆さんの家を出た。


「驚いたでしょ?」


 若子さんが私の持つカバンを指さす。

 そこにはさっきのカメラがしまわれてある。


「このカメラはね、人の記憶を呼び起こすんだ」

「人の……記憶?」

「このカメラで撮った写真を手に取ると、写ってるものに対する印象深い記憶が写し出されるんだ。さっきの場合はあの人が子供の頃、あの木が元気だった時の記憶だね」

「喜んでたね、あのお婆さん」

「うん、あの枯れ木は切り倒すことになっててね。思い出だけは取り残しておきたかったんだって」

「いいことしたんだ?」

「そうさ。だからこの仕事はやめられない」


 若子さんが私の頭を鷲づかみにすると左右に揺らしてきた。

 やめろ。

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