第3話 真昼間の危険地帯
蜂蜜を1瓶、適当なナッツを手の平5杯、黒麦パンを5切れ。
リンゴンベリーを両手一杯分、ブラウンチーズを4分の一切れ。甘エビ7尾。
サ……
「サ?」
一文字だけ残されたそれを見て首を傾げる。他にも何か書かれていたのだろうとは予測できるが、この一文字だけではとてもじゃないがわからない。
……折角メモを書いたというのに、あのそそっかしい姉は確認もせずに破いたのか。
既に殆どの買い物を済ませたアムラは、片手の籠の中にメモを放り込む。あの「サ」に関しては理解しかねるため、無い物として考える。
「後は…甘エビか。えーと?海鮮を売ってる屋台は——っっ!?」
「赤毛虫じゃねェか!!」
背後からドンッ!と強い衝撃を受けて、心臓が飛び跳ねる。そして体も前に押し出される。上半身が前のめりになり、足がもつれる。サッと全身から血の気が引き、脳が次に来る衝撃を予測する。スローモーションの様に地面が間近に
「何やってんだヒョロ赤毛虫ィ」
「ぐぇぁッ!」
タートルネックを鷲掴みにされ、力強く後ろへ引かれる。
全く予測外なダメージ。ガクン、と首が抜けるような衝撃が来たかと思うと、キュッ‼︎と一瞬にして首を絞められ、変な声が絞り出される。そして、首元が楽になったと思ったら今度は尻と尾骨へ衝撃が走る。
ドサッ!
「—————げほっ、げほっ!っあ゛ぁああ………っ痛ェ……!」
クリティカルヒット!
尻に来た衝撃は数秒後に背骨を伝い、痛みとなって全身に響いてくる。何の受け身も取ることが出来なかったため、非常にダメージがデカい。
アムラは、そのまま横へバッタリと倒れ込んだ。
「おぅおぅ、潰れてねェーか毛虫ちゃん」
「……て、てめ………」
即刻ぶちのめしたい様なニヤニヤ顔と目が合う。何も考える必要は無い。何の証拠も必要無い。
犯人は此奴だ。
「情け無ェなァ!こりゃトーブン蛹にはなれねーな!蛹になる前に踏み潰されるんじゃねェーかァ!?」
「っいきなり何しやがる!殺す気か?!」
「おお、死ね死ね」
「ぶっ殺す」
「ア゛ァ?やんのかゴルァ」
人の行き交う昼下がりの市場のど真ん中で、物騒を極める言葉が飛び交う。
バーナード・マリュテガというこの少年、既に察する通りガラが悪い。
オラオラとツッパリオーラを醸し出すバーナード。その手には見覚えのある籠。
籠?
「あ、お前いつの間に」
「ハァン?……ああ、お前が情けねェからひったくってやったぜェ!」
買い物籠を指差してそう問えば、何故か勝ち誇ったように高らかに宣言するバードにため息をつく。
「はー……ったく、本当に…。マジで死ぬかと思ったぜ」
「おう、死ね死ね」
「もうその くだり はいらねーよ!」
「キヒヒ、つれねェなァ?」
「キモい」
ンだとゴルァアア!と再び騒ぎ出す馬鹿を無視して立ち上がり、服に付いた砂を払う。全く、面倒な奴に遭遇したもんだ。ため息しか出ない。
「はあ……で、リンゴンベリー潰れてねえか?」
「もゥ」
「モー?今度は牛か…って、おい馬鹿何勝手に食ってんだよ!!」
返事の代わりに変な鳴き声が聞こえたかと思いちらりと目をやれば、あろうことか籠の中のナッツをもっさもっさと貪っているではないか。
「ゴクン。まーいいじゃねェか細けェな。減るもんじゃねェだろ」
「食えば減るに決まってんだろ馬鹿!!……あーもう、俺は知らんぞ…」
こいつを相手にしていると、頭が痛くなってくる。
本日3度目のため息を吐き、バードを睨む。
「ってか、何でお前がこんな所に居るんだよ」
「あ?何処で何をしようが俺様の勝手だろーが」
……そりゃそーだが。
「はー……」
「ため息吐き過ぎるとあれだぜ?ハゲるぞ!」
「禿げねーよ‼︎大体、誰のせいだと思ってやがる!」
「何々ィ?蜂蜜とナッツとチーズと…」
「聞けよ!勝手に漁るんじゃねぇ!食おうとするな!!」
「チッ」
まだ食おうと言うのかこいつは。
慌てて声を上げれば、バーナードは不満そうに舌打ちをした。
「はあー……ったく、今俺は忙しいんだよ。お前を相手にしている暇はねぇ」
「ほーん、だったら俺が相手をしてやるぜェ?!」
「死ね」
暇を持て余しているらしい腐れ縁に一言言ってやれば、決まり事のように怒り出す。買い物籠を片手に向かってくるそいつを見て、俺はその場から走り出した。
周りの奴らが驚きの声を上げ、市場のおっさんの怒声が響く。
1日の半分が過ぎているというのに、市場は更に騒がしくなる。
飛び交う怒声と驚きの声
走り抜ける少年2人
光る笑顔は溢れんばかり
(Get lost!(失せろ) )
(No way!(嫌なこった) )
*
「この後何か予定あんの?」
買い物を済ませた帰り道。ホットドッグを齧りながら、唐突に質問される。
2人揃って店のおっさんに絞られた後、甘エビを購入。余った金で、腹を空かせて買い物籠を漁るバードにホットドッグを買い与えたのだ。
「何だよいきなり……」
「別に理由なんてねェよ」
「……。特に無い。今日はアシュリーにも手伝う事はこれくらいだと言われてるからな。招春祭の準備も、今の所はいいって言ってるし」
「………へェ」
「興味無さそうだな!何故聞いたんだよ…」
「理由はねェっつっただろーが」
本当に興味が無いと言うように、片手に持った買い物籠をゆらゆらと前後にゆらしながら、モクモクとホットドッグにかぶりつく。
「んー……そういやァそろそろ、あのジジィに止め刺さねーといけねェなァ……」
「お前もか」
昨日同じような事を言っていたエフルールを思い出す。こいつら、もしかしてテレパシーでも出来るんじゃねーか?
最後の一欠片を口に放り込み咀嚼するバーナードの横顔を見る。しかし、明らかに何も考えてなさそうにぼけっとした顔をしている。
ホットドッグを完食し、満足
「おかわり」
「まだ食う気か!?自分で買えよ!」
・・・は、して無さそうだ。まあ空腹は満たされたらしい。くあーっと大きな欠伸を一つして、ガシガシと頭を掻く。
「うーんん。どーすっかなァ。家中のドロップの位置を全部変えてやるかァ?」
「相変わらず陰湿だなお前…」
ドロップとは、クリスタル・ドロップのこと。自然界のエネルギーを凝縮してできたと言われている不思議な結晶で、よく使われるのはイグニース・アクア・トニトルス・アニマ・コンゲラート。他にもあるが、メインはこの5種類。
そんなドロップを人間はあれこれ加工して、生活の中に取り入れている。加工せずそのまま使えば、家の中を直ぐに冷凍庫状態にだってする事が可能になる。(……俺の家みたいに。)
まあそんな感じで、ドロップは生活する中で欠かせない物となっている。
さて、先ほどバードが言っていた、ドロップの位置を変えるとは何を意味するのか。簡単な話だ。火を使おうとコンロのスイッチを入れれば冷気が溢れ、冷蔵庫を開ければ火を巻き上げる。電気を付けようとすれば水が噴き出し、水を出そうと蛇口を捻れば電気が走る。
……ひでぇ。本当に長老消されるぞ。
「後は……そーだなァ………」
両手を頭の後ろで組んで空を仰ぐバーナード。奴は一体何を考えているのか。きっと誰にもわからないだろう。そして…
「……ん?今何か考えてた気がしたんだが?」
「…俺に聞くなよ」
きっと、本人もわかっていない。
「おや、まあまあ。バードとアムラじゃないかい?」
しばらく無言で歩いていると、前から歩いてきた老婆が話しかけてきた。
フルダ婆さんと言って、バードの家の近所に住んでいる。
「どーも」
「…………」
無言のバード。面倒臭そうにそっぽを向いている。
「2人揃って、お買い物かい?」
「2人揃ってじゃなくて、途中で割り込んで来やがったんだよ」
「ほっほっほ、仲が良いねえ。バードも、荷物を持ってあげて。優しい子だねえ」
「っせーなぁア!別に優しくねェ!情けない毛虫からパクっただけだ!!
黙っていたバードは声を荒げる。今までの沈黙は何だったのか、急に騒がしくなる。耳元でいきなり声を張り上げられたため、アムラは耳鳴りに襲われた。
「っっっ………」
目眩がする。こいつ、本当にロクなことしやがらねぇ…。
「ちゃーんとお昼は食べたかい?」
「うるっせェんだよババア!食ったっつってんだろーが!」
「そーかい、そーかい。ちゃんと食べないといけないよ?」
「わかってらァうるせーなァア!」
「バードは元気だねぇ。大きな声で、よぉく聞こえるからいいよ」
「ああもう黙れっつってんだろーがァアアア!」
「あ、そうそう……」
恐るべし婆さん。荒れ狂うバードをモノともせずに、平然と会話を続けている。
……実はバーナード、何故か街の老人に絶大な人気を誇る。
「な…なんだよ………」
若干腰が引けているバーナードに、白い目を向けるアムラ。
「エッグタルトを作ろうと思っていたんだけどねぇ……卵を買ってくるのを忘れちゃってね。バード、ちょっと買って来てくれないかい?数は、そうねぇ………46個くらいかしらねえ…?」
「あ゛ァ!?」
唐突な、お使いの依頼だった。
「頼めるかしらねえ?」
「ふっざけんなよババア!冗談じゃねェ!!俺様がそんなモン———」
「チッッッッキショオオオ!!あンンのババアアアアァア!!!」
再び訪れた市場。両腕に大量の卵を抱え、バーナードが叫ぶ。
「エッグタルト作る癖に、何卵忘れてんだァアアア!!エッグ忘れてんじゃねェよクソがぁァアアア!!!何を作る気だテメェエエェエエ!!!」
「…そりゃ最もだ」
隣で怒り狂う卵の番人の主張(?)を全面肯定し、アムラはため息を吐く。今日は本当にため息の多い日である。
「ハッハッハ!悪ガキ2人はまたお使いかー?」
身を乗り出して笑いながら茶化す果物屋のおっさんに、バードはキツい視線を投げつける。
「ハゲ散らかせやゴルァア!今度来た時テメェの店のオレンジの皮全部剥くぞゴルァアアア!!」
「このっ、人が気にしている事を大声で叫ぶんじゃねえ!」
「オレンジはいいのか!?」
妙なやり取りが始まり、ついつい口を挟んでしまうアムラ。
「いいわけないだろう!こいつはなぁ、この俺が直々に「いっそオレンジに染めちまえハゲェエエエ!!」 やめろぉお!!」
バードと果物屋の親父を中心に、どっと笑いが巻き起こる。そしてそれを皮切りに、次々とバードに声が掛けられる。
「おーいバード!一体誰の手伝いだい?」
「ンだよォもー!フルダのババアだチキショー!」
「あら、丁度いい。ちょっとこのパンをフルダさんに届けて頂戴な。沢山焼いたのよ!」
「両手一杯卵抱えてんのが見えねェのかオバタリアンンン!!」
「失礼ね!アンタみたいな若造には、大人の魅力が理解できないのよ!ほら、持った持った!男だったらレディに優しく!」
「ぬおっ!?」
卵を抱える手に無理矢理パンの袋を引っ掛けられる。
「ぅおい、ゴルァア!テメェ何しやがんだァア゛!何がレディだサタンの間違いじゃねェのか、ド畜生がァアアア!!」
「あ、バード!ついでにこっちも頼むよー!あの人、足が悪いからさー!」
「バード、フルダさんの所へ行ったついでに聞いてきて欲しいことがあるんだけどー」
「ほらほら、アムリーン!あんたも手伝いなさーい!」
「!!?」
「バード!!」
「アアァアアアうるっせェエエエエエエ!!」
「ん?………ん!?2人とも、随分大荷物だね?おーい、フルダさーん!フールーダーさーん!!」
「はいはい、どうしました?あら…まあまあ!」
魔の大道路を抜けた頃、俺とバードは全身をフルに使用して荷物を持っていた。…正確には、ありとあらゆる方法で荷物を持たされた。
両手を使う事ができず無抵抗なのを良い事に、首に掛けられたり腰に縛り付けられたり、挙げ句の果てには頭の上に織物を括り付けられる始末。
そのインパクトたるや、庭仕事をしていた近所の青年が手を止めて二度見する程である。
「重い…!!おいばーさん、これ何処に置「ババアアアアァア!届けモンだゴルァアアアア!!さっさと持ってけクソォオオ!!!」 」
一杯に荷物を持つアムラたちを見て、フルダは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、ええ。ありがとうねぇ。重かったでしょう。ほらほら、お上がりなさいな。あまーいミルクティーでも淹れましょうねえ」
「 「 何 で も い い か ら 早 く し て く れ ! ! ! 」 」
もはや悲鳴にも近い叫び声は、フルダ夫人の家の近所にまで響き渡る。
陽が傾き始めた。
夕陽が街に降り注ぎ、しっとりと茜色に染まってゆく。
柔らかい紅茶の香りが、微かに香る夕暮れ時。
暴言、無礼、非常識
合間に見える暖かさ
感じるからこそ愛おしい
(本当に2人とも優しいねえ)
(違ェっつってんだろぉがァアア!)
( (すっかり忘れてたが、早く帰らねぇと甘エビが傷む……。) )
(アムラン遅いな〜)
end
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