012 言い訳

 将はさっそく行動した。A組とB組に行って、呼びかけを行った。うまく伝えられた自信はなかったし、正直かなりつっかえながら喋ってしまった気がする――だが、彼はちゃんと全うした。将は基本面倒くさがりなだけで、仕事はきちんとこなす少年であった。

 ただ、彼が自分の教室に戻る時には、とうに五限が始まってしまっていた。


「獣道遅刻な~」

 ガラリ、と将が慌ててドアを開けた瞬間に声が飛んでくる。だが、教室のどこにも先生の姿はない。小脇がすかさず茶化してきたのだ。


「なんだ、まだ来てないのか……」

 ほっとして将はドアを後ろ手に閉めた。なぜか教壇に立っている小脇は手の平でバンバンと机を叩く。


「いやいや、出張だから自習にするって先生言うてたやん!」

「なぜに関西弁」

 関西弁かも微妙だったが、将は思わず突っ込んでしまった。自習のことはすっかり忘れていた……のろのろと自分の席に戻ると、机の上には課題のプリントが置かれていた。


「獣道の所為で話が逸れたけんど、」

 小脇の声に将は顔を上げた。……そういえば、なぜ彼は前に出ているんだろう? クラスメイトも皆、教壇の小脇に注目していて、自習をしている様子はない。


「今のうちにとっとと体育祭の係を決めちゃいたい。半分くらいは埋まったけど――おい男子、女子ばっかに仕事をやらせていいのかよ?」

 なるほど小脇は、先生のいない、かつ生徒が全員いるこの時間を利用して、面倒な係決めを終わらせるつもりらしい。女子のほうが率先しているのは、朝の小脇の呼びかけが効果てきめんだったからに違いないと将は思った。


 のろのろと何人かの生徒が手を挙げた。小脇は一人ひとり名指ししては(まだクラス全員の名前どころか顔も覚えていない将は舌を巻いた)、紙に名前を書き込んでいった。その手際の良さは流石としか言いようがない。あっという間に決まりそうだな、と将は欠伸を噛み殺した。

 彼は待っていた。自分のクラスメイトにも、鶴岡先輩の伝言を伝えなければならなかったからだ。そうでなければ、おとなしく自習をするか居眠りするところだった。


「おーし! こんなもんかな。みんなの時間を使って悪かったな」

「小脇、ちょっと」

 プリントの全ての空白が埋まり、満足そうに息をついた小脇に、将は挙手をして呼んだ。クラスの注目が一気に集まる。今日だけで将は何度もこの感覚を味わっていたが、慣れることはなかった。小さな溜め息と同時に彼は立ち上がる。


「デザイン科の鶴岡先輩から、伝言を頼まれたんだ」

 ざわざわと小さな囁きの波が起きた。将はまったく知らなかったのだが、これまでのクラスでも鶴岡先輩の名前が出ると同じような反応が起こっていた。どうやら彼女は名の知れた先輩らしい。

 将は皆に、パネル係の助っ人が必要だということ、部活や係のない生徒にできるだけ協力してほしいということを伝えた。三度目ということもあってか、一番うまくできたように思った。


「と、いうわけで」

 話を終えてしまうと、急に手持無沙汰になって将は口ごもる。それを遮るように小脇が後を継いだ。


「オッケ。じゃあパネルやりたいって奴は――あー、明日までにこの紙に書いといて」

 そうして彼は余った自習のプリントを無造作に黒板に貼りつけた。


「穂希さん、あのさ」

 係決めも終わり、クラスが少し騒がしくなる。さっそくプリントに取り掛かる生徒も現れた。将はそろそろと座り、周囲のがやがやに掻き消されるほど小さな声で彼女を呼んだ。突然名前を呼ばれた穂希の小さな肩が、びくりと跳ねる。


「部活とか入ってる?」

「入ってない、けど」

「そうか。……いや、俺的には穂希さんにやってもらいたいなって思って。パネル係」

 穂希はゆっくりと振り返った。いつもとは違い、首だけ将の方を向いている。そのせいで将には彼女の表情が見づらかった。


「あー、確か中学ん時! 絵の出品とかしてたな!」

 席に戻る途中の小脇が聞きつけてやって来た。同じ中学であった彼も大きく頷いている。それに少し励まされて、将は続けた。


「俺は絵心がないし……できたら、穂希さんみたいに絵のセンスがある人に手伝ってほしい。もちろん、先輩は誰でもいいから来てほしいって言ってたけど、それでもお前みたいな人がどうしても必要そうだった。だから――」

「ちょっと待ってよ!」

 穂希は普段よりも幾分か高い声を上げた。


「じ、自分にはできないよ。悪いけど、ムリ」

 彼女の言葉に、将は膨らんでいた期待が風船のように一気に萎んでいくのを感じた。


「なんで無理なんだ? だって――」

「私、もう係も入ってるし、そんなに暇じゃないっていうか」

 将には穂希の言い分はどこか言い訳じみている気がした。だが、何か理由があるのだろう。それなら強制もするまい――そう思った将とは異なり、小脇は彼女に訊ねていた。


「係? 穂希さんって何係だっけ」

「……ほ、保健係」

「俺が代わったんだ」

 小さな声で言う穂希の後を、ぼそぼそと将が付け足した。


「保健係い? うわ、マジだ」

 丁度手にもっていた紙をかじりつくように凝視して、小脇は声を荒げる。穂希は前を向いて俯いていた。


「おい獣道、セコいぞ! 保健係は男女各一名なんだから、これじゃあ提出できないじゃん」

「え、そうなのか?」

「知らんのかい! まあいい、今気づいてよかった……とにかくもう一度決め直してもらわないと」

 じろり、と将を見据えてから、小脇は彼の机の上に紙を置いた。そうして目の高さを合わせるようにして穂希を見つめる。


「俺も獣道と同意見で、穂希さんにパネルのほうをやってもらいたいって思った。中学のころから、絵の評判は聞いてたから――でも、どうしても係をやりたいっていうなら、末永さんに代わってもらうしかないな」

 穂希は黙っている。こちらを振り返ろうともしない。将はなんだか面倒なことになる予感しかなかった。


「ちょっと訊いてみるわ」

 痺れを切らしたのか、小脇は一番後ろの席、末永の方に大股で歩いていった。クラスはちらちらと小脇を見ていたが、すぐに興味を失ってお喋りや自習に戻った。

 末永は机の上に突っ伏して居眠りをしていた。小脇に揺さぶられて渋々目を開ける。

 しばらくして、小脇が末永を連れてやってきた。その表情からは、どんな感情も読み取れない。将には裁判の判決を待つような居心地の悪さだった。


「あたしは、代わるつもりはないよ」

 将と穂希の前に着くや否や、彼女はそう言った。小脇は苦い顔を浮かべた。


「末永――!」

 将はいつの間にか叫んでいた。

 今ここで末永が保健係を譲れば、全てが丸くおさまるはずだったのだ。それを、彼女はしなかった。


「違う」

 何が違うのか――まさか俺の心の声に対して言ったわけではあるまい――将は末永の目を見てどきりとした。彼女は垂れ目ながらも、強い視線で穂希の背中を見つめている。


「あたしは知ってる。穂希は、パネル係をやりたくないだけ」

 将も穂希の方を向いた。彼女の背中はいつもよりも小さく見えた。将とおしゃべりをしていた時とは打って変わって、今の穂希は弱々しい。

 視線が集まり始め、周りの囁き声が大きくなってきた。小脇もこの流れはまずいと思ったらしい。


「分かった――じゃあ悪いけど、保健係はなしってことで……いいか?」

 穂希はうなだれている。


 そのまま、時間が過ぎていった。

 六限の時間になった。クラスは何ごともなかったかのように授業を受けている。五限が終わった途端、穂希が教室を飛び出して行ったにも関わらずである。放課後になっても、彼女は戻ってこなかった。


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