Report.13 監視対象候補に関する資料
泉 仁志
僕が見えていた。どういう事なのだろうか。あの時、周囲の人間は僕の事を認識していなかった。つまりヘッドホンは正常に作動していたのだ。それにも関わらず、僕を認識出来る。彼は特別だったのだろうか。
よくよく考えれば、初めての休暇の時に英里が僕を迎えに来てくれたが、彼女はヘッドホンをしていないのに普通に僕と会話を交わしていた。
考えれば考えるほど混乱していく。日光を避けるように布団に潜り込んだ僕は悶々と考え込んでいた。そんな時、ヘッドホンからノイズが流れてきた。
「……とし……。……仁志くん。……れぇ?電波悪いのかな」
ノイズにかき消されながらも、徐々に昌平の声が鮮明になっていく。
「仁志くん、聞こえるか?」
「あ、はい」
この際おっさんに聞いてみよう。そう思った矢先だった。
「昨日さ、オールバックのでかいやつに会っただろ?」
背筋に悪寒が走る。
「お前の聞きたい事はわかってるつもりだ。それについて説明しようと思うんだが……」
昌平はそこまで言うと深くため息をついた。
「……何かあったんですか?」
「いやぁ……それがさぁ……」
昌平は小声で呟いた。
「説明すんの、面倒くさくてさ」
…………。
「まあ簡単に言えば、昨日お前があった奴は敵じゃ無いって事さ」
「このご時世に敵なんてそうそういないが、俺らの組織は色々やらかしてて、やたら恨み買ってたりするからな」
ははっと昌平は軽く笑った。
「敵じゃ無いならなんなんですか?」
鼻で笑ったのを微かに聞き取った。
「なんだろうな」
おっさんのせいで疑問がさらに深まったように感じる。さらに悶々と考えていると、掛け布団を強引に剥がされてしまった。僕に日光が照りつけ、僕はそれを嫌がる様に体を縮める。
「お前は吸血鬼か。……いくぞ」
遼太郎はいつも以上に緊張した面持ちであった。僕は目を擦りながら立ち上がり、大きく伸びをする。
「あー、本番だったね」
遼太郎は不自然に頷いた。緊張して体がうまく動いていないようだった。僕はこっそりと遼太郎の背後に忍び寄り、思いっ切り背中を叩いた。
「……って!何すんだよ」
苦痛と戸惑いの入り混じったような複雑な表情で抗議してくる遼太郎に、思わず笑いが溢れてしまった。
「力抜けよ。いつもみたいにやれば良いんだよ」
遼太郎は背中をさすりながら笑った。
「いつも見てない癖に」
「おはようございまーす」
その声に、僕は即座に反応してしまった。遼太郎はその声の主を知ると、満面に嫌な笑みを浮かべた。
「仁志くん、朝ご飯です」
そう言って英里はレジ袋を差し出した。
「今日はいつものおじさんじゃ無いんですか?」
「今日は用事があるそうなので代わりに私が。それにどっかの誰かさんが何かやるみたいですし」
英里は遼太郎を睨んだ。
「なんで睨むのさ」
へらへらと話しかける。英里は得意げな笑みを浮かべた。
「千穂さん」
動作停止の命令が下った。
***
加藤 道弘
第13回監視対象候補
第1候補
本資料は最重要機密事項である
よって一切の漏洩を禁ずる
マナーの良い人、悪い人。疲れ気味の人やスマホに熱中している人。電車には多種多様な人間が乗る。それもまた面白い。何より俺は子供からの憧れだった電車の車掌になれたことが、間もなく30歳となる今でも誇りであった。毎日電車に関われることが幸せであった。そしてそれが崩壊する日は、俺の30歳の誕生日とともに訪れた。
最後尾の車両でドアの開閉やアナウンスを担当している時だった。日はやや傾き、車内を容赦なく照りつけていた。
突如、タタンタタンというリズムが崩れ、大きな衝撃が車内を襲った。その後も激しい振動が続く。俺はそれに耐えるのに精一杯だった。
一瞬だけ見えた、窓1つ挟んだ空間は、まさしく地獄と化していた。
飛び交う手荷物。
耳を突くような悲鳴。
みるみる傾いていく電車。
再び衝撃が訪れる。
人々が埃のように飛んでいく。
やがて窓が赤く彩られ、その景色は見えなくなった。
俺の体に凄まじい衝撃が走り、やや遅れて俺の意識は何処かへ旅立った。
目をさますと、普段見ている光景が全くもって違う景色へと変貌を遂げていた。普段足の着いているはずの地面が、今は壁となって自身の隣に立ちはだかっている。俺は状況の整理のつかぬまま、現在天井と化している扉を目指した。
電車の側面を地にして立った俺からは、全ての感情が消え失せていた。
常に線路と接していなければならない車輪は線路から大きく外れている。そもそも電車自体が全て横倒しとなり、大地を大きく抉っていた。
不意に、声が耳に届いた。
泣き声。悲鳴。助けを求める声。助け合う声。
俺は思わず耳を塞いだ。全ての声が、俺の耳に取り付くようだった。
しばらくして、俺は使命感に駆られて救助に向かう事にした。側面を歩き、一番近い扉の手動開閉用の取手に指をかける。
様々な声が漏れてくるのを聞き取り、やや戸惑いつつその扉を開けた。
「助けだ!助けが来たぞ!」
乗客から歓喜が巻き起こる。そんな歓声とは裏腹に、俺はどんどん心が沈んでいった。
まず目に入ったのは、操縦室との境となっている壁に力無く凭れ掛かった女性の姿だった。首元には、ボールペンだろうか、何か細長いものが深々と突き刺さっている。恐らく窓を赤く彩ったのは彼女だろう。他にも目を向ける。俺の記憶は、そこから客観的な記憶に変わっていった。
我に帰った時、未だに横転した電車の外に出ている人数は、乗車していた人数より少なかった。その人たちは皆生きる事に疲れたかのように蹲っており、救助をしているものはごく僅かだった。そして1つ、明らかな異変があった。
「おい!あれマジかよ」
「やべえな。明日にはニュースにされるな」
ヘラヘラと取り囲む野次馬。空を舞う多数のヘリコプター。それらが生む騒音は、聞き取らねばならない声を掻き消していた。
助けて——
痛い。痛いよ——
微かではあったが確かに聞き取った。俺は助けるべく喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
大丈夫!絶対助ける——
頑張れ!頑張るんだ——
その声もまた、ヘリコプターや野次馬に掻き消されていく。
俺は掻き消されていく声を頼りに瓦礫を押しのけていく。
騒音に負けじと耳を限界まで研ぎ澄ませる。
だが、確かに聞こえていたその声はついに聞こえなくなった。
俺は探し続けた。沢山の声の主を。声が辿れない今、俺の元に残された手掛かりは何1つない。それでも俺が諦めるわけにはいかない。
聞き取れない。
聞こえない。
届かない。
届けられない。
頼む。頼むから。
どうか。どうか——
気がつくと、涙がポロポロと溢れ出していた。視界が原型を留めぬほど歪む。涙を拭い、瓦礫を掘るようにして退ける。だが、視界はすぐに歪んでいく。すでに俺の爪は剝がれ落ち、ひどい出血を患っていた。
俺は瓦礫の山に拳を叩きつけた。
クソ野郎おおぉぉぉぉ————
その声も例外なく掻き消されていった。
「あなた!大丈夫ですか!」
勇ましい声が俺を呼んでいる事に気付いた。いつの間にか救助隊が届いていた様で、各車両にたくさんの人間が群がっていた。
「爪が……」
俺に声をかけた男は、俺の爪を見て状況を察した様だった。
「ご協力感謝いたします。ここからは我々にお任せください」
「……嫌だ」
「大丈夫です。我々に」
「今も助けを求めてる人がいるんだ!俺が……俺が助けないと」
俺には鉄道会社に勤めているという責任感があったのかもしれない。すると男が俺の肩を強引に掴んで、無理矢理視線を自分に向けさせた。
「あなたの心境はお察しします。ですが現状ではあなたは足手纏いです。厳しいことを言う様ですが、それが現実です」
俺は膝から崩れ落ちた。
ふらつく足取りで脱線した車両から離れていく。俺は救急車の隊員らしき人間が小走りで近づいてくるのを視界の端で捉えた。
「あなたもですか?」
「……」
隊員は複雑な顔で俺の身体を調べていく。
「爪と打撲が何箇所かですね。あの状況でこの程度なのは奇跡かも知れません」
俺からしたら望んだ奇跡などではない。
「処置をするのでこちらへ」
帰路に着く頃には日が傾き始めていた。未だに野次馬やメディアのヘリコプターは現場付近に留まっている。俺は無心のまま家に向かっていた、その時だった。
「来た!来たぞ!」
1人の男性が叫ぶ。それがきっかけであっと言う間に俺はメディアに囲まれてしまった。
「何故脱線したかご存知ですか?」
「ご心境を!」
「あなたも乗客ですか?」
様々な質問が大量に飛んでくる。
「あなた、鉄道会社の……」
1人の記者の言葉を合図に、視線が変わるのを感じた。
「今回は鉄道会社の不備なのですか?」
「遺族への謝罪は!」
「どうしてこんな事になったんですか!」
俺は耐えられなかった。
「お……」
記者達が俺の言葉を聞き取るために一気に黙り込む。俺はここぞとばかりに叫んだ。憎むべき人間達に。
「お前らは!恥ずかしくないのか!」
「お前らの職業はよくわかるが優先すべきものがあるだろ!」
「現場に来た時点でお前らは何をしていたんだ!」
「人手が足りないとわかっていながら撮影する事に必死になって」
「その間にも身銭を投げる人や命を失う人が居るっていうのに……」
再び、涙が止めどなく溢れ出す。
「それだけなら別にいい!だけどお前らは!」
「お前らは……。お前らのせいで!」
「救える人を……。俺は……」
再び崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
辺りは静まり返っていた。その静寂は長くは続かなかった。
「お、お前に言われたくねえよ」
記者の1人が呟いた。
「お前ら鉄道会社が悪いんだろ」
「そうだ。なんで俺らがそんなこと言われなきゃならないんだよ」
「お前ら鉄道会社はそんな風に他人の責任にするのか!」
妄想は突き進んでいく。何故そうなるのか俺には理解出来なかった。そいつらが人間に思えなかった。
周囲のクズ共に強烈な殺意を覚えた。
その刹那、俺は何かに持ち上げられ、そのまま担がれた。
「お、おい!お前誰だ」
記者達が引き気味に尋ねる。俺を担いでいる男はとても大柄な男だった。
その男は周囲の記者達を無言で睨む。それだけでクズ共は面白い様に後退りをしていった。大男は悠々と、クズ共を押しのける様に歩き出した。そしてゴミ溜めを抜けたかと思うと、男は俺を担いだまま走り出した。
「あ!待て!」
クズ共はやや遅れて追いかける。だが、男はグングンと記者達を突き放していった。
しばらく走ったところで、男は俺をゆっくりと下ろした。
「あ、ありがとうございます……」
男は30代後半だろうか、オールバックの大柄の男だった。ふと、男の手が視界に入った。不気味な傷跡だらけのそれは土ボコリで薄茶色に汚れていた。
「あなたも……」
男の視線は俺の後ろに向いていた。そちらに目を向けると、40代前半ほどのおっさんが2人こちらに向かってきていた。
「よぉ、あんた大丈夫かい」
茶髪の胡散臭いおっさんが話しかけてきた。
「あ、あぁ。何とか」
「呉々も無理はなさらないでくださいね。それとメディアに反抗すると好きな様に加工されるので要注意です」
誠実そうなオジさんが優しく注意を促した。その手には血が混じり黒みがかった土ボコリがついていた。茶髪のおっさんは手をポッケに突っ込んでいるため見ることは出来ないが恐らくは……。
そのおっさんが口を開いた。
「俺達これから一杯飲みに行くんだ。お前も来るか?」
「……」
「まあ来るって言った方がおかしいよな」
茶髪のおっさんは内ポケットから名刺を取り出した。
「負けるなよ」
沈みゆく太陽に背を向け、おっさん4人は歩き出した。
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