備考その8

「それでは、お休みなさい」

僕らが就寝の準備を終えた頃を見計らって、彼女は軽く挨拶をして部屋を後にした。

「んじゃ、僕らも寝るか」

僕は遼太郎の返事を待たずに布団に潜り込んだ。パチッと音がして部屋の明かりが消える。

しばらく沈黙が続いた。チッチッチッと微かな音が一定のリズムを刻む。微かな音のそれは静寂の訪れた部屋の中で、不気味なほどに響いていた。

「……起きてるか?」

突如、不気味な静寂は遼太郎の声をきっかけに終わりを告げた。

「……ん?」

無意識に音に気を向けていたため、反応に遅れた。

「前言ってた男の話だけどさ」

男?BLか……?んな訳ないか。この頃遼太郎の口から出てくる言葉が全て腐ってしまって困る。男と言えば、遼太郎に妬みやらの籠った目を向けていた脇役の男だろうか。

「……なんだろう。俺さ、ああいう人にどう対処すればいいかわからないんだ」

「今までに何度も嫌がらせみたいなことはされて来たんだ。他の人にどう映るかはわからないけど、俺からしたら嫌なことを」

「どうすればいいんだ。直接言っても取り合ってくれないし。耐えるしかないのかな」

「こんな事言ったらわがままみたいだけど、俺だってわからない事なんか沢山あるんだ」

「欠点だってある。ただそれが目立たないだけなんだ」

「俺は極力周りに気遣うようにはしてるつもりなんだ。好き嫌い関係なく接してるようにしてるんだ」

「なのに……なんで……」

カチッカチッカチッと音が一際大きく響く。





「……僕は」

僕は。お前じゃないから。遼太郎じゃないから。遼太郎に背を向けたまま僕は続けた。

「僕はお前じゃないから、お前の苦労はわからない。でも……。でも、誰だって何かしら苦労してると思うんだ」

僕には苦労があまりなかった。だがそれは後で支払うことになるのだろう。僕なりに覚悟はしている。

「僕はお前を理解出来ない。極力努力するけど、完璧には出来ない」

ここでべったり助けてはいけない。ここで助ければ、僕が離れた時にまた元に戻ってしまう。ここで克服させねばならない。考えたわけではないが、なんとなくそう感じた。上体を起こして遼太郎の方を見つめる。

「僕や英里が出来る限りサポートする。だから自分で乗り越えろ」





「……俺は……」

強い違和感を感じる。

「……俺はそうやって今までで超えられなかったんだ。無理だ」

いつもと随分雰囲気が違う。これが鬱の入った遼太郎なのだろうか。

「お前は今までで頑張った。よく1人で頑張ったと思う。耐えてきたと思う。だから次はお前1人で超えるんじゃない。お前には僕たちがいる」

カチッカチッと部屋に音が響き渡る。

「……そうだな。また頑張ってみる」

その声からは妙な雰囲気は感じ取れなかった。僕は胸を撫で下ろして、再び布団を被った。今まで鬱病の影も見えなかったのはやはり理由があったようだ。恐らく遼太郎は鬱病を押さえつけていたのかもしれない。無理矢理自分の感情を押し殺して日常通りに過ごす。遼太郎は本当に頑張ったと思う。






「……でもさ仁志」

僅かに声が震えていることに気付いた。遼太郎の方を見ると肩が細かく震えていた。まさかとは思うが泣いているのだろうか。

「お前随分と臭いセリフ吐いたな」

遼太郎は溜めていたものを一気に吐き出すように笑い出した。励ます為に声をかけてやったのに、遼太郎は遼太郎のようだ。

「お前、まさかわざとか」

上体を再び起こして遼太郎に尋ねた。顔が熱くなっていることには気付いている。

「相談は本気だったし、最後までお前の言葉をしっかりと受け止めてたよ。でも後でよくよく考えてみたらさ……」

遼太郎は再度、ゲラゲラと笑い始めた。

「へーへー。よかったですね」

僕はまた布団を被った。遼太郎はしばらく笑った後、僕に声をかけた。

「前も言った気がするが、ありがとな」

チッチッと微かな音が部屋に響いていた。

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