備考その2 監視対象一家

その日も朝から右耳が悲鳴をあげていた。おっさんはいつでも容赦なかった。おっさんにこんな事をする意味を聞いてみると、おっさんは露骨に話をはぐらかしてきた。

「監視対象はどんな感じだ」

「とても良い方ですよ。とても自殺しようとしてる人には見えません。正直僕がただのストーカーに思えます」

「ほぅ。その様子だと仲良くなったみたいだな」

感心感心と小声で呟いたのが聞こえた。何が感心なのだろうか。何にせよ感心してるならゆっくり寝させてほしい。

「ま、とにかくその調子で頑張れよ」

これ以上聞いても何も答えてくれなさそうなので軽く返事をして会話を終わらせた。




ふと、昨日のレポートを朝に書いたことを思い出し、僕は書き直すことにした。




〜レポート〜

監視2日目

この日も自殺の兆候を見ることは出来ず。遼太郎は人として出来上がっており、話していて楽しい人物である。これから先は監視対象としてではなく、普通の人間として接しようと思う。

監視終了まで後28日




一昨日のレポートよりは短くなったがそもそも書く必要がないものなので気に留めなかった。




9時頃に突然目覚ましが鳴った。僕は思わずビクッと反応した。彼が目覚ましをかけるとは思ってもいなかった。彼はニート……。無職なのだから無理して早く起きる必要はないはずだが。彼はいつも芋虫が這うように起きていたが、今日は漫画の様にバッと飛び起きた。目覚ましを止め軽く伸びをしてからおはようございますと僕に挨拶してきた。彼の変わり様に僕は呆気にとられてしまった。

「仁志さんと話してたら久々に家族に会いたくなってきました。ちょうどお金も戴いた事ですし」

笑顔で僕に言った。彼の笑顔はとても無邪気なものでなんだか愛おしく思えた。




突然の発言だったため僕は何も用意してない。仮に前日に言われても帰れないため準備もできないのだが。とりあえず僕はおっさんに連絡をした。おっさんは、ほぅ……と言って何やら考え、少し間を空けて行ってこいと言った。

「今から出張費としてお前にいくらか金を送るから、受け取っておいてくれ。主に食事代と交通費だ」

そんなものが出るとは思ってなかった。にしてもどうやって受け取るのだろう。遼太郎を見ると銀行へ行く準備を終えたところのようだった。


遼太郎は意外と預金していた。弟の仕送りだろうかと思ったが、働いていた時の貯蓄だそうだ。働いていたのは3ヶ月のはずなのにどうしてそんなにもらえるのだろう。急に彼が僕と違う世界の住人に見えた。




部屋に戻り、遼太郎が親に電話をかけている時だった。扉が開き、いつもご飯を持ってくるおじさん入ってきた。遼太郎はもはや慣れたという目をこちらに向けていた。罪悪感が込み上げてくる。おじさんは手に持っている厚みのある封筒を渡してきた。

「今回の出張の資金です。期間は未定と聞きましたので30日間程度の食事代は余裕を持って払えるはずです。かなり余るとは思いますが無駄遣いすると給料から天引きなのでお気をつけください。余りは返してくださいね」

何か買って食えと言われても僕は他人から見えていないのだから遼太郎に買ってもらわないと何も出来ないのを知ってて言っているのだろうか。遼太郎がいい人で本当に良かった。

「それでは、行ってらっしゃい。」

そう言い残しておじさんは帰っていった。遼太郎も連絡を終えたようだった。




遼太郎の実家は岐阜だそうだ。不意に「どこそこ?」と思ってしまった。それが表情に出てしまったのか、遼太郎が少し笑みを浮かべ

「どこかわかりますか?」

と聞いてきた。

えーと、あれだ、一番印象の薄いあれだ。

「えーと、四国?」

遼太郎は吹き出した。

「なんで四国なんですか!あそこ4つしか県ないでしょ!」

笑いながら突っ込んできた。よく考えればその通りである。本格的にどこかわからなくなった。

「中部地方ですよ。愛知の上です」

岐阜はよく忘れられますと微笑みながら言った。答えを知ってもピンと来なかった。知らないのは僕だけじゃないはずだ。




遼太郎は昼の新幹線を予約した。僕の分がないと困るので僕の分も予約するように頼んでおいた。無論その分のお金は渡しておいた。




新幹線に乗るのはいつ以来だろう。子供のように胸が踊った。僕の前には唐揚げ弁当と自販機で買った好物のカフェオレが置かれていた。胸を躍らせたのは新幹線ではなく弁当に対してかもしれない。




買ったのは遼太郎だが。




ヘッドホンのスイッチがしっかり切り替えられていることを確認して僕はひとまずカフェオレを口に含んだ。柔らかい甘みとコーヒーの香りが口一杯に広がる。ああ、一口目のカフェオレは最高だ……。もちろん、それ以降も最高だ。




早速、唐揚げの一つを一口で頬張った。唐揚げが大きくてしばらく噛むことにすら苦戦したが、しばらくしてようやく噛めるようになってきた。しかし口を大きく開きすぎたため、顎が痛んでほとんど味わうことが出来なかった。頬張ったことを後悔しながらその後のを弁当をちまちま食べた。




遼太郎はおにぎりを買って食べていたが窓の外ばかりをぼんやり眺めていた。

「どうかしましたか?」

出来れば遼太郎とは普通に友人になりたいものだ。3日しか一緒に過ごしていないが、僕はそれくらい関わりたいと思っていた。親しみやすいのも彼の特徴かもしれない。

「いえ、家族のこと考えてただけです」

遼太郎の顔は悲しみで今にも泣き出しそうだった。

「二人には迷惑かけたから……。すこし怖いけど、しっかり謝って働くって誓うつもりなんです」

「実は上京してから会ってないどころか連絡も取ってなかったんですよ」

「心配、かけてたよね」

何度か間を空けながら僕に話してくれた。遼太郎は悲しげに流れていく風景を眺めていた。




そういえば僕も家族に連絡を取っていない。取ったほうがいいかと思ったが父親の怒った顔が頭をよぎった。連絡しないことにした。




新幹線を降りて名古屋鉄道に乗り換えた。中に入ると座ることが出来ないことに気付いた。新幹線は指定席だったので誰かが僕の座ってるところに座ろうとはしない。だが今は自由席で、僕が座ってることに気づかずに座られたらひとたまりもない。長い時間ずっと立ち続けることになった。遼太郎は心配そうな目でこちらを見ていた。その目はありがたいけど向けられると心が痛むので正直やめてもらいたい。色々な意味でとても辛い時間になった。




そこは都会とは程遠い世界だった。完全に田舎というわけではないが高い建物がないため見通しが良い。日がかなり傾いているため、建物がオレンジ色に色づいていた。なんだか清々しい気分になった。遼太郎はふぅ、と一息ついた。

「ああ……懐かしいな。数年見ないだけで結構変わってるけど、面影はあるな……」

独り言だったのか。よくわからないことには触れないほうが良いだろう。無視しておいた。




僕は黙って彼の後についていった。遼太郎は時々立ち止まりキョロキョロしていた。道を思い出しているのだろうか。その背中はなんだか頼りなかった。




15分ほど歩くと真新しい家の前に着いた。今日は雲が多く、太陽が隠れたり出てきたりを繰り返していた。遼太郎はインターホンを押した。家の中でドタバタと音が聞こえて間もなく老けた女性が出てきた。かと思えば遼太郎の元へ駆け寄り泣きついた。何も言わずに只々泣いていた。少し遅れて弟と思われる男性が出てきた。その人は遼太郎の顔を見るなり少し顔を歪めて、2人を家に入るように促した。自分もお邪魔しなければ……。空気が重いのでできればいたくないが……。





家に入った後も母親は泣いていた。弟も扉を閉めるなりおいおい泣き始めた。




大人の男性の涙はなんだか珍しいものを感じた。失礼な話である。

遼太郎も堪えていたものを解き放つように突然泣き崩れた。3人揃って泣いていた。僕は抽象的ではあるが事情を知っているため少しもらい泣きしそうになった。



それから10分近く3人は泣いていた。さすがに僕も冷静さを取り戻し、何をしているんだろうという目を向けていた。少しすると3人も冷静さを取り戻したようで玄関からリビングへ移動した。



それから家族はたくさんのことを喋っていた。弟が愛知の工場に勤めていること、母親がカラオケ教室に通いだしたことなどとどうでもいいことから始まり、遼太郎が出てってからの生活や遼太郎本人の生活などのヘビーな話もした。遼太郎の家族はみんな遼太郎が出て行ったことについてそれ以上言及しなかった。そして遼太郎が切り出した。

「母さん、俺、これから働いて母さんを楽にさせる。だから待っててくれ」

母親は泣きながら相槌を打ってい た。感動ものの家族ドラマでも見た気分だ。母親は涙を拭き取り、手を一度叩いて場の空気を和ませてから口を開いた。

「さて、お腹すいたでしょ。今日は手料理を振舞ってあげる。どうせコンビニで買ってたんでしょ〜」

「う、なんでわかるんだよ〜」

遼太郎が少し嬉しそうに言った

「にいちゃん昔からカップ麺好きだったからね〜」

弟も嬉しそうだった。よかったなぁとしみじみと思った。




………ん?手料理?

ご飯どうしよう。遼太郎はこれからご飯で席外せないし……。すると遼太郎は僕の浮かない表情に気付いたのだろう、遼太郎は母親に話しかけた。

「母さん、信じてもらえないだろうけど、ちょっと話があるんだ」

「どうしたの?」

母親が台所から返事をした

「俺、実は何回か自殺しようとしたんだ。あ、でも今はする気ないから安心してね」

え?気にしなくていいの?それじゃあ僕の監視してる意味は?

「それで、何回か自殺しようとしたら、国から役人みたいな人が監視するって言ってきたんだよ」

母親と弟は黙って聞いていた。にしても自殺の事を打ち明けるには言い方が軽すぎる気もするが。

「そんで、その人は今もこの場にいるんだ。何故だか知らないけどその人は僕以外には認識できないようにしてるみたいなんだ。そんでさ……、その人の分も……飯……作ってくれないかな?」

母親はにっこり笑って、いいわよと返事をした。遼太郎の家族が優しいから遼太郎本人も紳士的で優しくなったのかもしれない。

「ありがと母さん!姿が見えるようになったら絶対紹介するね!よかったな仁志!」

いつの間にか呼び捨てにされてる。だが悪い気は全くしない。

「うん、ありがとな」

「監視期間とやらが終わっても友達でいような」

いつから友達認定されたのだろうか。しかし、ここで「え?いつから友達なの?」なんて言えるわけもなく

「お、おう!」

と答えた。いつから青春ドラマみたいな展開になったのだろうか。ただ遼太郎の友達は嫌ではない。むしろ大歓迎だ。でもほら、弟さんが凄い痛い目で見てるよ。遼太郎はいいのだろうか。遼太郎に考えが伝わったようで、

「今は信じてなくても、いつかは信じることになるからね」

なるほど、正論である。弟さんがびっくり姿を想像して僕は、いいねと答えた。




いつぶりの手料理であろうか。コンビニ弁当が不味いわけではないが、やはり手料理と言うのは体に染み渡るというか馴染むというか、とにかく美味しいものである。暇が出来たら自分で作ってみようと思ったが、生まれてこの方、料理などしたことがない。出来るか心配である。始めてもいないのに心配が湧き出てきた。




とても美味しかった。遼太郎にそう告げると遼太郎は母親に同じ言葉を伝えた。母親と弟がハッとして僕の器を見て目を見張った。そりゃ母親と弟からしたら、気付いたら中身が消えたようなものだ。無理はない。

「母さん、布団ももう一つ引いていい?」

弟は本気とは思っていなかったようで呆気にとられて微動だにしなかった。母親は割とすんなり受け入れた。

「わかったわ、二つ敷いとくけどあんたの部屋狭いからどうかと思うけど」

ふふふと笑いながらリビングから出て行った。いかにも嬉しそうな感じだった。弟の方は未だ呆気にとられていた。その様子はなんだか遼太郎と初めて出会った時のような感じだった。




布団の中で今日あったことを少し整理していた。遼太郎は考え方が大人だ。僕には到底できそうにない事をやってのけてくれた。周りから見えていない僕に話しかけることは普通ならしない。遼太郎が普通じゃないとも言えるが、それ以上に彼は優しいのだろう。僕も話しかけられた時は不覚にも嬉しいと思ってしまった。




僕は起きてるかもわからない遼太郎に気持ちを伝えたくなった。別に今じゃなくても良かったが明日には忘れてそうだ。いや、確実に忘れてる。かなり自信がある。心の中でくだらない見栄張ってたらまた忘れそうだ。

「ありがとな……。嬉しかったよ……」

遼太郎はもぞもぞ動いていた。寝相のようだ。ああ、良かった、聞かれてなかった。うわぁ、恥ずかしい。

あれ、この展開何処かで見たぞ。確か……。あぁ、そうだそうだ、漫画の知識を広めるために読んだBL本に展開が似てる。




……ん?




いやいや僕はノンケだし。これはあれだ、漢の友情ってやつだ。

ああ、めんどくさい、寝よう。

眠りに着く直前に、本当に僅かではあったが、その言葉は確実に僕の耳に入った。


「……こっちこそ、ありがとな」




翌日、視線に気づいて起きると、遼太郎は僕の枕元に座って僕をじっと見ていた。無精髭を生やした少々みすぼらしい男が、目を覚ましてみたら僕の顔を覗き込んでいたその光景は、僕から見ると立派なホラーだった。

ちょうど遼太郎も起きたところのようだった。時計を見ると8時だった。サラリーマンには敵わないにせよかなり早起きになっている。いい傾向だが遼太郎にはもう少し寝ててもらわないと僕の体が追いつかない。そんな僕の心境に気付くはずもなく遼太郎はこれから何をするつもりか教えてくれた。

「僕、もう帰ろうかと思う。ほら、母さんや祐介にも楽させたいし」

「祐介?誰それ?」

「あれ?言ってなかった?弟だよ」

言ってない。とはいえ、知ったところでこれから関わることもなさそうなのですぐ忘れそうだが。

「親さんの元にもう少し居てあげなくていいの?しばらく会ってなかったんなら話したいこともたくさんあるんじゃ?」

「昨日たっぷり話したし、今まで仕送りしてもらった分を返さないと」

どこまでも生真面目な奴である。




遼太郎は朝食を食べた後、母親に、すぐに帰って仕事を探すことを伝えた。母親は何も言わずに寂しそうな笑顔で頷いただけだった。

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