Report.3

葉山 英里


昌平が新人をスカウトした翌日、私はコンビニの遅番に行く前に勤め先の事務所へ向かった。無論、私の後輩について聞くためである。

事務所はいつもと変わらず皆忙しそうに働いていた。私は迷わずに歩みを進めた。

「昌さん昌さん」

昌さんは昌平の事だ。呼びやすい名前を模索した結果だ。

「ん?英里ちゃんコンビニいいの?」

昌平はキョトンとした顔で聞いてきた。

「まだ時間に余裕ありますし。それより昨日の人、どんな人でした?」

「なんだ?気になるのか?」

昌平は嫌な笑みを浮かべた。

「そりゃあ後輩ですからね!」

私は下心を隠すかのように微笑んだ。

「ふーん、まあいいや。昨日の子は早速明日から仕事だよ。期待した後輩にはしばらく会えないねぇ」

「えー……。……あ、名前!名前なんて言うんですか?」

おっさんの表情から察するに、明らかに私の事を面倒に感じてきているようだ。

「泉 仁志くんって言うんだ」

「泉 仁志?」

何処かでそんな名前を聞いた。それも赤の他人ではない気がする

「ん?聞き憶えでも?」

「いや、気のせいですよ」

思い出せそうにないのでそこで切り上げた。



私は浮かぬ気分のままコンビニへ向かった。



***


泉 仁志


そこは大きなアパートだった。5階建てで外装はオシャレである。自分の住んでいるところはかなり古い二階建てのアパートなので少し羨ましかった。昼下がりの太陽が容赦なく照りつける。

ファイルに書かれている情報によると5階の一番奥に住んでいることがわかった。無職にしては金があるなと悔しく思う自分がいた。扉の前まで行き部屋の番号を再び確認する。他人の部屋だったらそれこそ犯罪である。それだけは避けたい。なんども見直し、ようやく安堵する。ヘッドホンをつけ、上部に付いたスイッチをONにした。

スイッチを入れても何も変わらなかった。試しに壁に触る。少しして何故壁を触ったのか不思議に思い、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。

おっさんからもらった鍵を扉に差し込む。当然ではあるが何の抵抗もなく入る。そして普通に鍵を開けた。ドアノブを捻り扉を少し開く。すると少しではあるが淀んだ空気が出てきているのがわかった。ドッキリでなかった事に少し落ち込む自分がいた。



思い切ってドアを開き切った。蒸し暑い空気が僕の体を満遍なく這い回る。今この瞬間は周りから見ればひとりでに扉が開いたように見えているはずだ。僕はすぐに部屋に入り扉の鍵を閉めた。

部屋は想像よりは綺麗であった。自殺未遂をしたと聞いて勝手に汚い部屋を想像していた。考えてみれば汚い部屋と思う根拠がない。先入観で考えてはいけないことをここで早くも学んだ。しかし、あくまで想像よりであり自分の部屋よりは汚いなと思い少し鼻を高くし、それから自分が惨めに思えた。

奥に進み部屋に出た。左手には大きな窓があり、奥にも窓があった。今は厚手のカーテンで閉められており薄暗い空間ではあるが、カーテンを開ければかなり開放的な空間になるであろう。よく見るとエアコンがついている。何故つけないのかと怒りが込み上げる。

肝心の監視対象がいない。出かけているのだろうか。もう一度部屋を見回す。よく見ると右手に置かれたベッドが妙に盛り上がっている。しばらく見つめていると布団が微かに、ゆっくりと上下に動いていた。おそらく寝ているのだろう。




僕はどうするべきかしばらく迷っていた。とりあえず冷房をつけたいが人の家であるため勝手につけるわけにはいかない。しばらく考えたが良い案が浮かばないため、とりあえず邪魔にならなさそうなところに座ることにした。

ファイルは一応持ってきたが昨日読み込んだ為今読んでも新しい情報は得られない、そう考えた僕は持ち物を再び確認する。水筒と幾つかの軽食、それと暇だった時のための少年誌と単行本が何冊かあった。準備をしていた自分に感謝しながら僕は週刊誌の1ページ目を開いた。




監視対象が起きたのは5時ごろだった。その頃には持ってきた物を全て読み終わってしまって暇を貪っていた。布団がもぞもぞと動いたかと思うと監視対象がゆっくりと出てきた。僕は正座に座り直して僕のことに気づくのを待つ。監視対象––河原遼太郎は僕を見ると跳び上がり頭を壁にぶつけて頭を抱えた。そして再び僕を見て金縛りにでもあったかのようにピシッと動きを止める。忙しいやつだなと思いながら遼太郎に話しかけた。

「こんにちは、遼太郎さん。私は泉仁志と言います。突然ではありますが、少々お聞きください。遼太郎さんは今まで何度か自殺をしようとしている経歴があります。よって今日から国によってあなたを監視させていただきます。監視期間は1ヶ月、30日監視させていただきます」

昨日読むのを後回しにした決まり文句だ。恐らく幾つか間違えてると思う。それでも気にしていられなかった。目の前にいるのは鬱気味の自殺志願者だ。自分の考えてるような事ばかりをするとは限らない。

遼太郎は頭を抱えたまま僕を見て目を丸くしていた。それもそうである。僕だって目が覚めてみると突然知らない人がいてこんな事言われたらこういう反応してしまうだろう。にしても案外遼太郎は普通なのかもしれない。相手が予想以上に跳ね上がったこともあるが遼太郎を見ていると少し緊張が和らぐ気がした。

遼太郎は未だに状況を理解出来てないようで動き出す兆候は見られない。沈黙が訪れた。僕は遼太郎の事を見た。何しろファイルには文面のデータのみしか書かれておらず、顔や体型などの特徴は一切書かれていない。どこまでも不親切なファイルである。

遼太郎の顔はなかなかであるが無精髭やボサボサな髪のせいか妙に不清潔に感じる。身だしなみに気を使えばいい男になると思うのに、残念だ。……なにに同情してるのだろう。

そんな事を考えていると遼太郎が話しかけてきた。

「もう1回、言ってもらえませんか?」

こんな事を突然言われても、把握出来る人の方が少ないだろう。そう思いながらもう一度丁寧に説明した。聞いている間は相変わらず唖然としていたが一通り聴き終えて遼太郎は依然呆気にとられていた。さらに時間が経過してようやく状況が飲み込めてきたのか、遼太郎が金魚のように口をパクパクしている。何か聞きたいのだろうが、体が付いて行ってないのだろう。おそらく彼はもうしばらくはこの状態だろう。僕はさっき伝え損ねた事を今伝える事にした。

「現在私の姿を認識出来るのはあなただけです。他の方には私の姿も見えず、私が触っても認識されません」

一人称を「私」と言うのは初めてで、かなりの違和感があった。

遼太郎は今の言葉で余計混乱したらしく、これは夢だ、これは夢だ、と呟きながらもう一度布団に潜り込んだ。僕は強烈な罪悪感に襲われた。次の時は少しずつ話していこうと心に決めた。

とはいえ彼は今の今までずっと寝ていた。そうそう寝れるとは思えない。数分すると案の定もぞもぞと動き出した。布団からゆっくりと顔を覗かせる。僕の存在をもう一度確認して夢でない事をもう一度認識する。堪忍したようにのっそりと布団から這い出て僕と同じように正座してしばらく迷った後、彼は口を開いた。

「あの……、どうして僕のことを知ってるんですか?」

僕がおっさんと初めて喋った時のことがふと頭をよぎった。今の僕の心境は中々悪くはない。勝手に入って突然監視すると言いだしたことに関しては罪悪感があるが、彼の質問を聞いた時に、優越感とでも言えば良いのだろうか、えも言えぬ感情が僕の中で渦巻いていた。おっさんのあのムカつくにやけ顔の理由も少しはわかった気がする。その時以外のにやけ顔の理由は全くもってわからないが。

おっと、遼太郎の質問に答えるのを忘れるとこだった。

「遼太郎さんは過去に自殺未遂でICU、集中治療室に運ばれた事がありますね。自殺の原因が断たれておらず、これからも繰り返される可能性があると判断いたしました。貴方が再び自殺をしようとした場合、それを止めるために監視をしております。よくわからなければあなたの自殺未遂が原因で国が役人を送ってきたとでも思っていただければ大丈夫です」

自分で言っておいて何が大丈夫なのだろうと思った。おっさんの言葉を借りたのだが中々便利な言い回しではある。しかしよく考えれば訳のわからない言い回しでもある。その言い回しに気付かなかった結果が今の自分なのだと気付いて考えるのをやめた。

遼太郎は相槌を打ちながら静かに聞いていた。反応を見れば普通の人に見える。ファイルに書かれている内容は、今までのことで素晴らしく不親切だと気付いていた。今では自殺の経緯も信用していない。僕は彼が何故自殺に走ってしまうのか興味が湧いた。

「理由はわかりましたが……その……プライバシーやら人権などは……」

まあ誰だって思い浮かぶだろう。僕は昨日頑張って覚えたセリフを口にした。

「現在特別監視委員設置措置条例と言うものが公布されました。その第1条により期間を限って監視をすることが可能になりました」

完璧のはずだ。条例の名前を3回連続で言えと言われたら出来る気がしない。

彼を見ると全く理解できていないようで首を少し傾げて微動だにしなかった。目の焦点が僕に向いていない。難しい内容の授業を理解することを諦めたというような顔だ。そこで初めて、覚えるのに費やした時間は無駄だったという事に気が付いた。彼はまたしばらく止まりそうだったので僕から話しかけた。

「ほかに質問はございますか?」

しばらく人とまともに喋っていなかったせいで敬語がうまく使えてるか心配になる。彼は僕が問いかけてから少し間をおいてビクッと体を震わせて迷いながら口を開いた。

「……あっ。えーと……。今は少し思いつかないです……」

僕は茶色い封筒を取り出し、彼に差し出した。

「こちらは監視対象になるにあたって自立する為の資金として給付致します。では、何か気にかかることがございましたら気軽にお聞きください。また、私は存在しないものと思っていただいて結構です」

彼はあっ、はいと蚊の鳴くような声で返事をして封筒を受け取った。




存在しないものと思ってもいいと言われても、無理なものは無理である。もし監視人が僕ではなく女性だったら落ち着かなくてしょうがないだろう。それよりはいいかもしれないが、やはり遼太郎は僕のことが気になるようだった。僕はそんな遼太郎を見て見ぬ振りをしたまま監視のレポートを書いていた。レポートは書かなくてもいいと発見言われたが、特にやることもないため暇つぶし程度で書いていた。遼太郎は僕のことはもちろん、僕の書いているレポートも気になっているようだった。

僕は人とまともに話すのは久しぶりでうまく話せるかすら心配である。おっさんの時は勝手に向こうが喋っていることが多かったので助かったが。ともかく僕は話しをしてみたいと言う本心はあるものの、僕の理性はどうせ喋れないんだからやめようと僕に呼びかける。人一人に話しかけるのに馬鹿みたいに自分自身に語りかけていた。

「あの……、何書いてるんですか?」

遼太郎も心境は同じだったのか、勇気を出したように僕に話しかけてきた。

「レポートです。あなたの行動や生活パターンなどの解明のためです。あなたの周囲の人間関係は一通り調べさせていただきましたが生活パターンばかりはどうにもならないので」

ファイルには大まかな目標として今言った事が書かれていた。目標のはずなのにとても小さい字で書いてあった。どうやら建前程度の話しらしい。

「……その……僕みたいな人……多いんですか?」

僕はレポートを書く手を止めた。

昨日暇な時間を使って自殺に関することをネットで調べていた。自殺数の統計もその中にあったのだが、ここ5年前あたりから自殺者数がじわじわ増え始めていた。そして昨年、一昨年と比べて1.5倍程までに増えていた。不況とやらが会社を追い詰め、それが社員への圧力にもなっているのだろう。自殺数と共に就職して1年以内に辞める社員の数も増えていた。そもそも就職してない自分には関係ないのだが。

「そうですね……。この頃は確実に増えてきています」

説明が面倒だったので詳しいことは言わないでおこう。

「そうですか……。いいことではありませんがどこか、安心しました」

自分だけが自殺衝動に駆られると思っていたのだろう。人は自分だけでないとわかると安心感を得ることができるようだ。

再び気まずい空気が流れる。僕はレポートを書く手を動かし始めた。遼太郎はベッドの上であぐらをかいてしばらく何かを考えてたようだったがすぐに眉をひそめて頭をかきむしり倒れるようにベッドに横になった。わかりやすい奴だ。

「ちょっとご飯買ってきますね」

遼太郎はムクッと起き上がりキビキビと部屋を片付け始めた。どうやら財布を探しているようだった。こんなにキビキビしている人が自殺を試みたとは到底思えなかった。おっと、僕は監視に来てるんだった。

「私の仕事はあなたの監視です。あなたが外出する場合は私もついていきます。私自身の交通費はご心配なく」

遼太郎は始め、怪訝そうな顔で僕を見ていたが交通費のことを伝えると安堵した表情を浮かべてわかりましたと呟き部屋を片付け始めた。本当にわかりやすい奴だ。



僕と遼太郎はアパートの近くのコンビニに来ていた。名目は遼太郎の監視だが、僕としてはヘッドホンの効果が本当かどうか確かめるのが本命だ。遼太郎が一足先にコンビニに入る。それに気づいて慌てて僕も駆け込んだ。自動ドアが閉まるギリギリで入ることができた。……あれ?なんで僕に反応しなかったんだ?ヘッドホンは自動ドアすら検知できなくなるのか。そう考えると冷や汗が出てきた。何故こんな余計な機能をつけたのだろうか。よくよく考えると、もしヘッドホンをつけたまま反応すると、何もいないのに自動ドアが開閉してしまうのである。不気味だ。

心地よい涼しさを久しく感じながら遼太郎を眺める。遼太郎は雑誌コーナーで立ち読みしていた。よく見るとそれは僕がよく読んでいた少年誌だった。ここのコンビニでは包装されていないようだ。夕ご飯の交代の時に読もうと心に決めた。

彼の夕飯はチキン南蛮弁当だった。家に帰るとすかさずクーラーをつけ、早速弁当のふたを開けた。部屋全体に独特の香ばしい匂いが広がり、僕の食欲を刺激した。今は6時半。僕の交代がご飯を持ってくるのは7時だったはず。早くして欲しいものだ。

彼はチキン南蛮を美味しそうに頬張った。遼太郎の顔も何処と無く幸せな感じがするが、気のせいだろう。僕は30分、遼太郎が美味しそうに食べるのを見守っていた。

拷問のような30分はとても長く感じる。子供の頃にゲームや漫画に熱中するとすぐに時間は経つくせに勉強や授業などの嫌なことは永遠に感じるほど長く感じるような、あの感覚だ。

7時を少しすぎたところで交代が来た。あのにやにやおっさんとはまた違った、見るからに優しそうなオジサマという感じのオジサンだった。どこかで見かけた気がする。それも一回でなく、何度も出会っている気がする。しかしはっきりと思い出すことが出来ず、気のせいという事にして取り敢えず夕飯を食べることにした。その優しそうなオジサンはチキン南蛮弁当と緑茶を持っていた。おじさんは僕の気持ちをわかってくれているのかと感激した。我ながら都合のいい奴である。

僕は部屋を出てビニールの袋中に入っている弁当を覗き込んだ。見ているだけで涎が溢れてくる。

さて、食べるか……。



……。


…………。


…………どこで食べるんだ?




結局、暗い公園の街頭だけを頼りに弁当を食べた。食べ終わった直後に、街頭に集まっていた虫の一匹であろう、蛾が弁当に残っていたタルタルソースに突っ込んでいった。羽が重くなり飛べなくなっているようだった。

僕は合掌したまましばらく動けなかった。

弁当は20分程度で食べ終わったので先ほどのコンビニに来ていた。無論、少年誌目的である。久々に読むと面白い。やはり胸踊るとこがある。ただ、2ヶ月読まなかっただけで新作漫画が2、3作出てきていた。どれもこれも面白いが、好きになれなかった。自分でも原因はわかっている。




単なる嫉妬だ。




8時の少し前にアパートの一室に戻ってきた。扉を開けるとヒンヤリとした空気が僕を歓迎した。しかし、奥には交代の優しそうなオジサンと落ち着きのない遼太郎がいた。どう見ても僕の時より気まずい。交代のオジサンが僕に気付き立ち上がる。すれ違いざまに軽く肩を叩き、頑張れよという感じの顔をしてオジサンは出て行った。遼太郎は少し肩の力を抜いて短いため息をついた。

「僕は人と喋るのが苦手なんです。さっきのオジサンとかものすごい居心地悪かったです。あなたと喋るときは緊張が和らぐんです」

どう考えても僕の知ったことではない。そんなこというわけにもいかないので、ありがとうございますと言っておいた。

「あの、名前は」

「泉 仁志と言います」

自己紹介はした気がするが……。まあ1度で覚えられるとは思っていない。

遼太郎は少し微笑んでよろしくお願いしますと言った。色々言いたいこともあったが、お願いしますとだけ言っておいた。


〜レポート〜

監視1日目

1日目では自殺の兆候は見られず、通常の生活を送っていた。テキパキと行動するその姿は何ら問題があるとは思えない。

今日は遼太郎の生活の把握に尽力したため、明日から積極的にコミュニケーションをするようにしよう。

監視終了まで後29日。


少しカッコつけ過ぎたか。

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