RUN!!!(8)

 102


 彼は、空を見つめていた。

 彼は下等団員、とくに名前はない。

 数字は『89967』。

 だが、それを呼ばれるのは整列したときだけで、あとは【お前】とか【てめぇ】で適当に済まされる存在だ。

 彼は、五等団員。

 元々は五番街ではなく、外の――七番街で暮らしてきた。

 そのときは大きめの族にいて、暮らしは極度に貧しくはなく、結構うまくやれていたと子供の頃の記憶ながらに思う。二番街の抗争から抜け出した者達で、親類筋で固まっていたのだ。リーダーは自分の伯父にあたる人で、その人には力量もあったし、何より親類だから団結力も相性も抜群で――だが、殺されてしまった。

 悪い奴は、いつでもどこにでもいる。

 彼の族は悪い奴に騙されて気がついたら、族は仲間割れ、敵より仲間で殺し合い、最終的にはボロボロになったところを敵の族に囲まれて死んでいった。

 彼は、父親の懸命な努力で守られ、生き残り――だが、正直そのときは今後どうすればいいか分からなかった。今までは自分を守ってくれる者がいたが、もういない。そりゃそうだ。子供だった彼に、こんな問題に解答を出せるはずもない。だから、キレイな宣伝文句で人々を勧誘していた楽園教に入団した。

 藁にも縋る思いだった。

「……あぁ」

 入団すると彼を待ち受けていたのは、監禁に近い修業であり、ひたすら睡眠時間を削って楽園教の教えを叩き込まれた。楽園教は地下都市全体を楽園とみなし、今ある地獄を否定する宗教であるからして~と、延々とクチでしゃべり続け、一字一句逃さず覚えてしまうほど、しゃべらされ、何度も喉がいかれそうになって、いかれた者は脱落して、唯一の食事時間、芋が食べられるのがうれしかったけど、そんなときも突然楽園教の教えを暗唱と言われ、しかし、それでも耐え続けた。

 耐え続けた彼は優秀な下等団員としてみなされ、仕事を山のように与えられた。ろくに仕事のやり方も分からず、便所掃除や、入り口の門番、貴族が学院に行くのを送り迎え、外での活動等々――を行ってきた。はじめてなのにやり方を失敗したら、殴られ、仕事が終わったと思ったら、同じ下等団員の先輩にプライベートな時間を削って呼び出され、寝る時間もまたほとんど与えられず、日に日に、飯を食べてるはずなのに、痩せ衰えて……気がついたら、彼は仰向けで地下都市の灰色の空を眺めていた。


「……きたないなぁ」


 汚い、空。

 コンクリートで塗り固められた地下都市の天上。空。

 彼は、腹から血を流して仰向けに倒れている。

 ドクッ……ドクッ……と、鼓動といっしょに血に濡れた腹が動いてるのが分かる。臓器がすぐそこにまで露出している証拠。その度に、彼はクチからの吐血が増えていき、クチから息をするのさえ、ままならなくなる。

「……あぁ」

 死ぬのかな。

 何のために生きて、何のために頭からっぽにしてまで耐えてきたのか分からない生活だったけど、飯にありつけるから、最低限の暮らしができるからって、色々なことをあきらめてきた。たまに外に派兵に行く度に、外で飢え死にしたり、族の抗争で死んだりする奴らを見て、あーなるくらいなら、と言い訳のように考えていたのに。

 彼は思う。

 この空は、何だと。

 こんな空を、こんな無様な格好で見るために俺は生まれてきたのかと。

「いやだっ……」

 死にたくない。

 激しく湧き上がる思い。

 彼は、それを薄れ行く意識の中で……思い浮かべ……た……あまりにも、遅い。


「くそっ、暴動が少しもおさまらんぞ! お前等、早く前に出ろ!!」


 ■第一ライン、2ブロック。


 下等団員十数名が突如反旗を翻し、暴動を起こす。

 だが暴動は失敗、能力者に囲まれ主犯格はあっという間に死に、さらに最後のとどめは下等団員に命令して任せ、下等団員vs下等団員という、慈悲も希望も何もない戦いを行わされることだった。

「ちきしょう、やっぱり下等ごときじゃ役に立たねぇ……」

 三等団員の男は石畳に転がった死体――のような男を蹴り飛ばし、ふてくされる。

 空を見て嘆いていた彼は、その数分後に死んだ。彼の名誉のために言うと、その三等団員の蹴りで死んだのではない。出血多量による死亡だ。

 ちなみに、彼が腹から血を流して死んだのは、三等団員が能力を使って下等団員を返り討ちにした際に――巻き添えを喰らったのだ。

「こら、使い捨てのくせに何をためらう!? さっさと行け!!」

 声がとどろく。


 103


 九鴉は部屋の外に出る。廊下――いや、館全体が白一色だ。

 横長にふきぬけの空間があり、二階から一階が見える。シャンデリアも、敷かれた絨毯も、白の景色を人間味に近づけるための小道具にすぎない。九鴉はくらくらするほどの純白に圧倒されつつ、辺りを見回した。護衛らしい者が、玄関に数名いるようだが、二階には見当たらない。

 九鴉は足音を立てずに、辺りを探索する。

「……っ」

 声が聞こえる。

 男と女が混じり合う音。

 九鴉はそれが聞こえる部屋のドアを一瞬にらみ、ドアの鍵穴から中をのぞいた。のぞくと、頭がはげかかっている男が若い女性をうしろから突いていた。

 女の頬は赤く晴れている。他にも、所々アザがある。

 下等団員。

 男は、上等団員。

 男はニヤニヤとい笑みを浮かべる。

 九鴉はドアノブをひねって中に入る。男と女が驚く。

「な、何だきさっ――」まと言う前に、九鴉は手投げナイフを投擲。左肩に刺さり、神経毒で男は女に倒れ込む。

「一応聞くけど、この男殺していいの?」

 九鴉はうしろ手にドアを閉めて、女に聞いた。

 女は、最初わけが分からないながらも、無意識にうんうんと首肯した。

「じゃあ、きみはここから逃げて。多分、すぐ大勢敵が来るから」

 と、九鴉は男に近づく。女は慌てながらも男のを抜いて、服を着て出て行こうとする。

「あ、あのっ」「いいから行って」

 お礼も聞かず、うしろも振り向かず、九鴉は女が出ていくのを音だけで確認。

 念のため警戒したが、女は本当に敵じゃなかったようだ。九鴉は男に近づき「今まで何をしたか知らないけど、死ね」と左肩に刺さった手投げナイフを抜き、腕を縦に切った。

「あぁっ!? あ、ああああっ――」

 男は神経毒に犯されながら、それを見ていた。

 ああ、もう助からないと。その傷を見て思った。血管から恐ろしいほどに血が流れる。

(他に誰かいないか)

 いたら、今度は捕まえて情報を探りたいが。

 しかし、能力者だったら油断はできない。欲をかかず、見つけたら即を徹底した方がよさそうだ。

 九鴉は死に行く男の前でナイフの確認をする。準備を整える必要がある。戦闘用ナイフは血で濡れてるが、損傷はない。肉を何遍も切ったが、まだ刃こぼれしてないようだ。その他の武器、投擲用や、暗殺用隠し武器、必殺用のも確認しておく。


 //

[おい、どうすんだ。主役変更させたいのに。こいつ、中々死なないぞ。よりによって何でこんな場所に来やがった]

[騎士団員に任せれば]

[あんな奴ら、かなうはずがないだろ]

[仕方ない、情報部の奴と出くわすように細工しよう]

[しかし、厄介だな。ここじゃ、九鴉が戦いやすいだろうし、何より休むことができる]

 //


 一瞬、声が聞こえたような気がした。

「――っ?」

 辺りを見回す。

 念のため、機械が設置されてないか。盗聴器のようなもの――いや、あるわけないが、一応捜す。やはりない。

(一体、何なんだろう)


 ――わたしは!


 また、声がした。

 これか、と九鴉は悟る。

 だがこれは彼の脳裏から聞こえてきた。

(この、声は……?)


 これは、時系列的には119204号が母を追い詰めた辺りの話である。


 104


 ■第三ライン、2ブロック。


 そして、時系列は現在にもどる。


 119204号は困惑していた。

(何これ……?)

 突如、乱入してきた白いローブの男達。

 リーダーらしい男は虎柄のバンダナを頭に巻き、CATと名乗った。格好だけは五番街の団員のように見えるが、下等団員は能力者なんてほとんどおらず、いたとしても程度が知れるはずだ。しかし、こいつらは――こいつらは、一体何なんだ。

 荒々しい戦い方も楽園教らしくないが、それ以上にこの強さは桁違いだ。

(――こんな奴ら、見たこともない)

 119204号は情報部とは会ったことがないため、仕方ない。

 騎士団だって、彼女の前に現れたのは中隊長クラスだ。その程度なら、機械族の科学技術の方が圧倒的に優秀だ。

(髪の毛の変な馬鹿もそうだったけど――ちっ、こいつらっ――)

「くっ――」119204号は動く。

 ローラー靴で、壁を駆ける。黄色い布を巻いた男達が追ってきた。「ギャハハハハッハッ――」と、男達は銃弾を撃った。彼らが撃つのは9x19mmパラベラム弾、発射しているのはUZIという人類史で使われていた銃器で、種類は短機関銃――「喰らえ、喰らえよぉっ!」「ウォォォォォォォォッン!」と、うるさい。パラベラムにはラテン語でSi Vis Pacem, Para Bellum(平和を望むならば戦いに備えよ)という意味があるが、彼らの場合は平和のためではなく、戦いのために戦いをしているようだ。「備えろ! 備えろぉ!」「約束のときは近いぞぉ!」「約束の日ぃ!」

(しかも、言ってることが宗教じみてる!!)

 影はもうごめんじゃいっ! というわけ分からない声も聞こえてきた。

 男達はワイヤー噴出装置で空中を自在に飛び上がり、立体的な攻撃を仕掛けてくる。ほとんどの攻撃は119204号には効かないのだが、ときおり目を光らせて能力を仕掛けようとするので注意が必要だった。119204号も負けじと銃弾を発射する。だが、そう簡単には当たらない。銃撃戦に慣れてるのか、的の外し方や、逃げ方などをうまくこなす。ただのテンション馬鹿達じゃない――いくらCREDLEでも捉えきれなかった。「くっ――」いや、そもそも119204号は敵の狙いを読めていなかった。

 男達は119204号の目前まで近づき、手を――取ろうとした。

 慌てて後退する。

(何だ――?)

 119204号は戦慄する。踊りのエスコートじゃあるまいし、男達は逃げられると舌打ちし、また近づいてくる。

(何を狙って――あっ)

 やっと、敵の狙いに気付いた。

 関節技を狙ってる?

 機械族のアノニマスじゃ防げない。直前まで害のないように近づき、そして密着した状態で関節技を仕掛ける。「ちっ――」舌打ち、舌打ちのオンパレード。119204号は逃げ回る。逃げ回りながら、銃弾を撃つ。男達も撃つ。両者共に使っているのが9x19mmパラベラム弾で、平和に備える銃弾が戦場の軍靴のように鳴り響く。

(まずい、このままじゃ――まずい)

 格闘技の経験なんて皆無の119204号は、捕まったら即終了である。

 近づけなければ――という方法も上手くいかない。敵はたった四人、たった四人でそれぞれ一人ずつが自分らと戦っていた。母も、AKも、あの髪の毛も、そして自分も迫られていた。それでいて、狭い範囲で戦っているから、ときおり協力し合い、連携を取って攻撃してもくる。

(まずい)

 だから、実質四対一で戦ってるようなものだった。あっちは効率良い、巧みなチームプレイだが、こっちは敵・敵・敵・敵と全てがスタンドアローン、というか本来はそいつらからも身を守らなければならない立場で――(ちぃっ)119204号はまた強く舌打ち。

 予想外の攻撃も多いがそれ自体は対処できないわけじゃない、機械族のアノニマスは伊達じゃないから――問題なのは、ずっと対処し続けることだ。機械は皮肉なことに、疲れまでは癒してくれない。逆に高度な機械を使えば使うほど神経がすり減り、使用者の疲労が重なっていく。

(くそっ――こ、こんなとこで)


「ジャケンノウ!」


 ◆


 時系列は、このまま続く。


 九鴉は、貴族の館の中で119204号の声を聞いていた。

「………」

 ツバサの能力により――九鴉は、遠くにいる119204号の戦いの様子をかすかにだが、のぞけていた。

 音声だけじゃない――映像も、少しだが、見えている。

「……あいつらは」

 一体何だろうと、突如119204号や痛みさえも襲った連中に意識を巡らせる。

 (格好だけなら楽園教の信者だが……)

 それにしては、あまりにも粗々し過ぎる。むしろ、あれに合うのは別の族だ――そう、九鴉が最も嫌悪する族。

「………」

 九鴉は、血に濡れたナイフを片手に思考していた。

 シャンデリアに吊された男の死体。

 先ほど左腕を裂かれた男だ――館に乗り込んで来た小隊数名は、まずその死体に驚いた。

 驚きながらも、それを無視して進もうとした。

 ――瞬間、死体の裾から爆弾が落ちた。


 破裂、衝撃――少量ではあるが、一階にいる者を全て吹き飛ばす威力があった。

「僕の意志で爆弾が落ちるようにした。死体は注意を引きつける罠として利用したんだ」

 猟奇趣味でやったわけじゃないと、言い訳のようにつぶやく。

 九鴉は、憤っていた。

(あの機械族、生意気な物言いのくせに弱いな)

 少なくても、近接戦闘じゃ九鴉の足下にも及ばない。

(……弱い癖に、つよい)

 だが同時に、彼女の立ち向かおうとする意志も目撃してしまった。

 九鴉は自身の胸に手を当てて考える。

(僕は、本当に戦っているのか?)

 拳を強くにぎりしめる。

 血に濡れたナイフを見て、自分が殺した人達を見て、改めて思う。

「本当の意味で、戦っているのか?」

 胸から出る一筋の光――それを、九鴉は強くにぎりしめるように決意する。


 105


 プログラム4は困惑していた。

[おい、九鴉の奴。中々死なないぞ]

 せっかく、途中から自分らが番組を乗っ取って美少女の119204号を主役にしようとしたのに、早く死なないと水の泡だ。

[あの爆発組をぶつけても死なないし、ついには余計なとこに逃げ込みやがって]

 しかし、とプログラム5は語ってくる。

[あまり、強引な殺し方をすると厄介だ。創作者の魂胆が見え見えで、ただでさえ番組の評価が割れているのに]

 そうだよね、とプログラム6も加わる。

[他の番組が美少女路線で行こうとしたら、型をやぶるのがこの番組だろって言われてるのにね。お前等が見ないから路線変えようとしてんだろって話だけど]そのまま、滔々と語りそうなのをプログラム5が割り込んで止める。

[それに、九鴉を殺すにしても簡単に殺すと厄介じゃないか。彼にはファンもいるし]

 プログラム4は吐き捨てるように言う。

[ふんっ、どうせメスだろ]

[女性蔑視だー]

 楽しそうに笑うプログラム6。不謹慎というか、馬鹿である。

[オスよりは単調じゃないから嫌ってはいないぞ。奴ら、美少女でも細かな注文つけてくるくせに、革新性がないとか言うだろ。けっ]

[お前の方が問題発言してるな]

 プログラム5は唖然とした。彼の周りは4といい、6といい、感情をぶちまけすぎである。

 話をもどす。

[どうやって九鴉を殺すかだ]プログラム4からしゃべった。

[これ以上やると、楽園教が本気で滅びかねないしな]と、プログラム5。

[というか、異常じゃない? 各地で爆発やら暴行事件が起きてるけどさ。たった七人が逃げてるだけなのに、何でこんな荒れてるの?]そして、プログラム6。

 プログラム4は考える。

[誰か、手引きしてるんじゃないか]

[誰かって誰よ]

[誰か糸を操ってるとしても、我々はこの地下都市を管理するプログラムだぞ?]

 どうやったって、我々の目に映るはず。

 それだけの技術と力が、プログラム達にはある。それを自負しており、またそれは少しの勘違いでもない。正確であり、事実だ。

 と、プログラム5は語った。

[それなんだよなぁ……]プログラム4は人間が考えが煮詰まったときに頭をかいてるような声を出す。[あぁー]

[我々の管理下におけなかった人物といえば、ノザキがいるが――]

 プログラム5は言う。

[でも、あれって大分前に死んだじゃん]

 と、プログラム6も言った。

[だよな……あれの後継者がいるわけでもないし……]

 プログラム4はどうしようか悩んでいた。

[もっと、脱走を軽く考えてたんだけどな。ここまで大規模になるとは思わなかった。これじゃ、ちゃんとオチがないと観客は納得しないぞ……]

[まだ大丈夫じゃない?]

 プログラム6は楽観視していた。

 いや、ここまでの計画を立ててきたのは彼らが封印した者達なのだが。

[観客はさ、ただかわいい子が出ててそれが葛藤する姿が見たいわけ。我々もそれを望んで1や2を隔離したわけでしょ]

[それなら]とプログラム5も語る。[余計なことは考えない方がいい。ツバサももうすぐ外に出るし。あとは勝手に奴らが戦ってもらえ。奴らの話は番外編であとで流せばいいだろ]

[そうかなぁ……]

 と、プログラム4は悩む。


[………]

 ひそかに、プログラム3はどうしようかと悩んでいた。


 106


 ■第一ライン、1ブロック。


 マダヤ騎士団は、順調に下等団員の宿舎を制圧していた。

 制圧――および、調査。

 この中に反乱分子がいないかどうかを、この騎士団の団長というか大隊長、マダヤは調査しようとしたのだが、その中から狙って出てきたように反抗的な態度を示す者がいた。あ、これは暴動だと。他でも同時多発的に起きているらしいとから――マダヤは、暴動だと判定し、報告した。そして、処理した。

「しかし、本当にこの中にアヤネ・ベルクの飼い犬がいるのか?」

 マダヤ大隊長。

 おかっぱ頭で、鼻の下に細いヒゲを生やした男。

 彼は、当たり前だがここに本当に反乱分子がいるとは思っていない。

 だが、それ以上に重要な者がいると疑っていた。

「可能性は高い。アヤネ・ベルクはどこに情報部員を飼ってるか分からないからな」

 だから、人の多いとこを積極的に狙えばいいと言われた。

 マダヤ大隊長は、宿舎――厳つい長方形の棟数件を眺められる近くの広場にいた。

 彼のそばには何人かの護衛と、そしてツナギを着た男&金髪の青年がいる。

 この二人は、ツナギとトラである。

 そう、フリード・ニコルソンが飼っている情報部員だ。

「……見つけたら、フリード様に」

「分かってる。主にはちゃんと言っておく」

 本来なら、騎士団はアヤネ・ベルクの管轄であり、忠誠も誓うべきである。

 だが悲しいかな、アヤネ・ベルクは楽園教では異端である。楽園教は絆こそが全てと豪語する連中が多い。ようするに、アヤネ・ベルクは騎士団は実力が劣っているとないがしろにして、肝心の彼らから信頼を獲得していなかったのだ。

 いや、マダヤ大隊長の悪さももちろん関係してはいる。

 おそらく、ダンネルだったらこの手の誘いがあっても、すぐに断っていただろう。

 だが、だからといってアヤネ・ベルクの怠慢がなかったわけじゃない。

 彼女は表向きは取り繕っていても、それが真摯でないことなど騎士団の者にはダンネルも含めてバレていたし、真面目なダンネル以外はそんな奴に尽くすものかと内心はそっぽ向かれていた。さらにいえば、アヤネは自身の能力すら明かそうとはしなかった。いや、能力の公開は重要なことだが、重要だからこそ信頼の証ともいえる。彼女は自身の部下――飼っている情報部員には言っているのに、騎士団には少しも言っていない。

 故に、利己的な考え方が生んだ、皮肉な結果といえようか。

「それじゃ、あとは頼みましたよ」

 と言って、ツナギとトラは姿を消した。

 目を逸らしたら、あっという間に消えていた。

 ――もしかしたら、能力を使ったのかもしれないが、マダヤは深くは考えないようにする。余計な詮索は命取り。猫を殺す所じゃ済まない。

「……ふぅ」

 しかし、好奇心は可能性である。好奇心を全て殺すことは将来の展望を見捨てたことに等しいのではないか。マダヤはありとあらゆる免罪符を思い浮かべると、「それじゃ、俺も出るか」と彼は護衛を二人だけ連れて宿舎の中に入っていった。

 そこから先は、彼のゲスな本性が見られる。

 ひそかに高価な機械のパーツや服飾、長期保存の利く食料など、――なるべく小さなものを見つけては自分のものにしていく。護衛二人にも口止めとして渡し、さらに彼らはキレイな女性を見つけると尋問と称して個室に移動した。

「ほう、中々の――下等団員にしては上出来じゃないか」

 マダヤが見つけたのは、白い陶器のような肌をした黒髪の女性だった。

 長い黒髪はカラスの濡れ羽色のようで、肌は白い陶器のようになめらかでありながら、一度ふれたら戻って来られない引力があった。目尻はやや垂れていて、端正でお淑やかな顔立ち。左の目元には泣きぼくろがあり、唇は紅を塗っていないのにアリアリと真っ赤でそれがまた妖艶さを醸し出す。

 彼女は白い襦袢を着ていた。下等団員にしては珍しい、これも昔の人類史の民族衣装だ。パーカーやジーンズなど大量生産されたものばかりが目立つ地下都市のファッションにしてはかなり珍しい部類だろう。

「……へへへっ」

 マダヤの意地汚い声。

 女性は震える。彼女は床に尻もちをつく。足を左に寝かせ、襦袢から白いふくらはぎが見える。襦袢の白にも負けないほどの純白は生々しく、見上げる彼女の表情は悲しみと恐怖で瞳をうるませていた。

 マダヤは股間が熱を帯びていくのが分かる。

「へへへっ」


 ――騎士団同士は無線で連絡を取り合う。

 わざわざ大隊長がお楽しみに行ってしまったが、一応はマダヤが待機していた場所で通信兵が書き留めをしたり、交信したりしていた。内緒話はできないので、オブラートに包んだ言い方でマダヤ大隊長はお楽しみに行きましたと報告。それに対する批判は何もでず、代わりに第二ラインでの状況が伝えられる。


<これから第二ライン、2ブロックの暴動を鎮圧する。くりかえす、これから――>


 107


 ■第二ライン、2ブロック。


 第二ラインは三つの道の中で、唯一奇襲が成功した場所である。

 監督官である上等団員を抹殺し、彼らはその他の能力者の戦いにも勝利する。

 反旗を翻した下等団員が存外優秀だったのもあるが、それ以外にも勝利の要因はある。

 思っていた以上に、第二ラインにいた上等団員が弱かったのだ。

「おい、こいつら楽勝だぞ!」

「掲げろ! 掲げろ!」

「オレ達の勝利だあぁっ!!」

 下等団員の声が――老若男女関係なく、高らかに支給された安っぽいナイフを掲げ、叫ぶ。その声はこだまし、コンクリートの空にまで届きそうなほど増大した。この叫びは怒りであり、エネルギー。お前等は我々を支配していたつもりかもしれないが、我々は誰からも支配されないという意志。

 何より、決意。

「このまま行くぞぉぉっ!」「おおおおおおおおおおおおおっ――!!」

 両側に並ぶのは白亜の建物。

 そちらに逃げた上等団員も捕まえては、首を切って殺していった。

 能力者も数名いたが、それだけだ。彼らは危険な戦闘を下等団員に任すだけ任して、自分達は離れて高みの見物をしていたのだ。

 皮肉にも、奇襲されて殺されたのはダンネルが騎士団に所属する中隊の一つだった。

 ダンネルは下等団員を偏見の目で見てはいるが、騎士としての誇りは大切にし、仕事に忠実、アヤネ・ベルクとは違い部下に対しても献身な愛情を注ぐ――上司にするなら最高の人物ではあるのだが、いくら上が立派でも馬鹿は馬鹿、クズはクズ、いやそういった人間性は状況や、時期によって変わるかもしれないが、いや、どうしようもない輩は出てくるものだ。働きアリが全員働くわけじゃない。中にはサボる奴がいるのと同じ理屈で、いくらダンネル騎士団とはいえ、殺された中隊はとてつもなく仕事に不真面目で、態度も悪く、さらにいえば弱い奴らであった。

「うらああああああああああああっ!!」

 下等団員達は、切断した首を掲げ大きく叫んだ。

 顔は血にまみれ、狂喜に湧き、テンションはフルマックスで狂気の坂を登り終えて崖に真っ逆さまの状態だ。


 ――第二ライン、2ブロック。2ブロック。

   第二ライン、2ブロック。2ブロック。

   暴動発生、レギネス中隊全滅――至急、応援駆けつけたし。


 スピーカーから、死刑宣告が流れているのに彼らはそれも聞こえず――いや聞こえていたとしても耳をふさいで、感極まっていた。


 ――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!


 108


 VR。


「やばくね、すごくね暴動?」「思ったより狂気ね」「狂ってる……」「あいつら、首ちょんぱしてるよ」「殺されてたって文句言えないだろ!」「悪いのはあいつらだ!」「殺してよかった奴らなんだ!」「何言ってんのあんたら」「じゃあ、下等団員はどうすればよかったっていうんだ!?」「あのまま奴隷でい続けろってのかよ!?」「名前がないってのが、どれほど辛いか分からないのかよ!?」


 ◆


 ■第二ライン、2ブロック。


 一つの感情に統率された怒りは灰色の空にまで届きそうなほど舞い上がる。

「……ぁ」

 だが、中には乗り切れない者もいた。

 彼も下等団員。

 しかも一番下の五等団員だ。

 それでも、彼はこの群衆に乗り切れないでいた。

(俺、ここにいるから飯食うことができるんだよな)

 そう、ただでさえ毎日がサバイバルな地下都市。飯に毎日ありつけるのは相当ありがたいことなのである。

(それだけじゃない、貴族にだって悪くない奴はいる)

 一を見て、全てを語ることなかれ。

 そう、一人がクズだからってそれ以外が全部クズというわけじゃない。

 中には良心的な人間だっているのだ。

(……それに、俺は個人的には楽園教の教えが好きだ)

 楽園教には、『五ヶ条』と呼ばれる中心的な教えがある。他の族でいうなら、掟のようなものだ。


 1,あなたが楽園だと思えば、どこでも楽園である。

 2,誰でも善人だと思えば、誰もが善人である。

 3、いつでも幸福だと思えば、いつでも幸福である。

 4,どのような生き方も幸せだと思えば、どのような生き方も幸せである。

 5、幸福はここにある。善人はそばにいる。どのようになっても幸せであり、やはりここは楽園なのである。


(……楽園だと思わなきゃ、やってられないじゃないかっ――)

 偽善だといって、何もかも切り捨てるのかよ、と。

 彼は心の中で泣いた。 


 109


 九鴉。

 彼は貴族の館で戦いを繰り広げていた。

「くっ――」彼は一階で死体を横の外壁からワイヤーを張って吊し、無数の肉の壁を形成していた。それに隠れながら死体が持っていた拳銃を手に、発砲している。

(ダメだ……あっちは、短機関銃か)

 短機関銃。拳銃と使う弾の種類は大体同じだが、しかし、連射性能は桁違いだ。

 一発一発をちまちま撃つしかない拳銃とは違い、あちらは何発も連射してくる。死体の壁は横から雨が降り注いだかのように衝撃を受け、銃痕が残る。死体は震え、血飛沫が飛ぶ。

「この猟奇野郎め! 人を何だと思ってやがるんだ!!」

 敵から怒号が響く。入り口から一斉射撃しておいて、何を言うんだ――いや、相手の言いたいことも分かる。自分らの仲間の死体を、銃弾避けにされたらたまったもんじゃないだろう。気持ちは分かる。だが、そうでもしないと生き残れないじゃないか。

「………」いや、やはり言い訳か。


 ――窓ガラスっ。


 正門から奥の階段まで攻撃されていたのに九鴉は引きつけられ、窓ガラスから敵は侵入してきた。

 入ったのは二階の窓ガラス。大量に割れた音が重なり、そして次に散らばった窓ガラスを――踏む音は聞こえない。

(罠、成功)

 九鴉はあらかじめてワイヤーを張っておいた。

 敵が勢いよく窓から侵入したときのために、鋭い切れ味のワイヤーを張っておいたのだ。

 足がガラスを踏みならすのではなく、切断された胴体などがドタッと崩れ落ちる音が聞こえる。

「きさまああああああああああっ!!」

 仲間を殺されて、絶叫する声。

(貴族の館なのにじゃんじゃん撃ってくるな……傭兵でも雇ってるのか。なるほど、だから射撃に関しても連携が取れている)

 集団で交互に撃っているのだろう。射撃に少しのスキもないほど、こちらは撃たれている。これじゃ迂闊に移動することもできない。死体の壁の間には常に弾丸が飛び交っている。

(だが、敵はこれ以上の攻撃はできない。銃弾は全て肉の壁が吸収する)

 これが機械族の使っていたアサルトライフルだったら話は違う。いくら人体なら銃弾も貫通しない――という話も、7.62mm x 39弾になると平気で貫通し、壁どころか障子にもならなくなる。

 だが、都合が良いことにアサルトライフルは一般には出回っていなかった。武器の販売や流出に関しては機械族が一括して管理してるため、彼女らが独占して使っているのだ。だから、九鴉は銃弾の心配は――しなくて、よかったのだが。

「――っ!?」

 爆発した。


 ◆


 マダヤ騎士団から派遣された中隊――本来は正規の者ではない傭兵上がりの者達が、貴族の館に乗り込んだ。

「………」

 爆発は、能力者による攻撃だ。ただし、そう何度も使えるものじゃなく、一度使うと数十分は使用不可になる。


 ――その間に仕留めたい、と彼らは考えていた。


 まず先陣として一人が、短機関銃を構えながら進行する。クチには布を巻き、両目はフェイスガードで守る。粉塵の中、突撃しなくちゃいけない場面のためだろうか。彼らは視界が開けない中、徐々に徐々に進む。前の仲間がギリギリ見える距離まで進み、先陣はハンドサインでミリ単位のような精密な進行をする。

「……くそがっ」

 九鴉が壁に使っていた死体が、爆発によりワイヤーが切れて散らばっていた。

 無残にも殺された下等団員や、自分らのような身寄りのない傭兵上がりの者まで、首を裂かれ、死んでも壁として扱われて、命を侮辱されていた。

 思わず、舌打ちをする。

 当たり前だ。人として正常な行為。先陣は死体を避けながら移動する。館の正面玄関のフロアは二階までふきぬけになっており、奥には二階に上がる階段が左右に広がっていて九鴉に足を切られ首を裂かれて殺された。

「っ!?」

 声を上げるヒマもなく、彼は倒れ――る前に支えられ、手をつかまれ偽のハンドサインを送らされる。

(や、やめろっ――)

 もちろんだが、九鴉だ。

 彼は衣装を楽園教の信者の制服に着替えていた。白いローブ姿の彼は、爆発に乗じて吊してた死体を床にばらまき、自分もその一体であるかのようにふるまって倒れて――機会をうかがっていた。

「く、くっ……」

 先陣の男は何か言おうとしている。分かるよ、と九鴉は思う。

(クズだろ?)分かるよ。自分でもそう思うから。

 完全に事切れた先陣の男の死体を床にそっと置き、粉塵に紛れて移動、うしろ向きで移動した。どうした、と先陣の男のうしろにいた者達は思う。そう、九鴉は粉塵に紛れて先陣の男だと偽ったのだ。相手が動揺するスキも与えず、九鴉のナイフが振るわれる。

 一人、二人――と死んでいく。三人目は流石に気付いた。もうこの頃には粉塵は大分晴れていて、ナイフで仲間を殺した九鴉が見えていた。

「――き、きさまっ」

 彼は、短機関銃を九鴉に向ける。

「よくも、仲間を!」

 九鴉は刺して殺した死体を突き飛ばす。その死体はその短機関銃を向けた男に当たった。


 110


 VR。


「やっぱ強くね?」「おい、男より女見せろよ」「いや、アクションだろ。アクション」「九鴉、あれだけの人数も倒しちゃったよ」「ほら、そのまま突撃してリーダーも殺した」「うわー、おっかねー」「つえええええええー」


 111


 ……貴族の館の玄関前。

 外。

 石畳は血で濡れた。辺りには九鴉が殺した死体の数々。

「……お、おっ……おおっ……」

 彼が殺した中隊のリーダーは、三十代ぐらいだろうか。女性で、髪を短く剃って体つきも男に負けないように鍛えていた。彼女は、仲間を殺した怨敵を憎むよりも、仲間の死を悼んだ。

「……き、きさっ……」

 そして、最後に怨敵を睨め付けた。

 それで、事切れた。

「………」

 九鴉は、暗い絶望の表情で貴族の館にもどっていく。

 ナイフがリーダーの女性に深く刺さり、もう抜き出せなくなっていた。

 使い物にならなそうだ。

(くそっ……)

 何やってるんだ、僕は。誰にへの叫びだろうか。


 ――ジャケンノウ!


「………」

 脳裏に、またわけが分からぬ映像が浮かんできた。

 それが何か気付くのに、九鴉は多大な時間を使う。光景はくるくると変わる。回転してるかのよう――いや、しているのか。超高速で何が動いていた。それが、眼前の男――三十代半ばぐらいの男に、追われていた。白いローブを着て、頭には虎柄のバンダナを巻いていた。

「……こいつは」九鴉には見覚えがあったようだ。

 服装から判断したのではない。

 ――ジャケンノウ!

 声や動き、そして何より顔だ。こいつは、見たことがある。

 さっき、貴族の館で戦う前は分からなかったことだが。

 この映像は――誰の視界なのか。

(誰の視界か――いや、そんなことすぐに分かるか)

 視界には、他の機械族やダイチの姿があった。


 そう、119204号の視界である。

 彼女が、戦いながら見ている映像が九鴉の頭の中に入り込んできていた。

「……戦い方が雑だ」

 九鴉は近接戦闘に関して自信を持ってるからこそ、本音をつぶやいた。

 あまりにも稚拙だと。

「……っ」

 なのに、おかしい。

 何だ、何だ――これは一体何なんだ。

「負けてるのは僕の方じゃないか」

 殺しても。

 殺しても。

 負け続けてるのは自分の方じゃないか。

 自分は、生き残っただけだ。

 相手を殺して、自分の信念まで殺して、生き長らえただけだ。

 九鴉は深く後悔する。九鴉が――彼がツバサを助けたのは、こんなことのためじゃなかったはずだ。

「くそっ」

 九鴉は壁を殴る。

 珍しいことだが、彼は手が故障するかもと考えもせず、怒りに身を任せていた。


 112


「――うわっ!」119204号は、窓ガラスを突き破り、建物の中を転がる。

「がはっ」と、本棚に背中をぶつける。衝撃でガラスの破片がふり落ち、慌てて亀のポーズでガード。いや、アノニマスが起動して亀のポーズ関係なしに防いでくれたが。

「妙な、能力を持ってんのう。しかも、それ。お前等全員で持ってるんか?」

 話し方が妙な男。

 虎柄のバンダナを頭に巻いた男が、窓から飛びこんできた。

 彼は鉄バットを持っている。

 着ているのは楽園教の信者の制服、白いローブ

 戦ってる最中は分からなかったが、どうやらそれなりに年取ってるようだ。

 あごには無精ひげが生えていて、声も枯れてるように低い。叫ぶときだけ甲高くなってただけか。

「機械族、よー分からんのう。お前等、戦わない族じゃなかったんのか? ん? まーいいけどな。わしは戦えればそれでいいジャケンノウ」

 と、男は近づいてくる。


 なぜ、おそッテきタ?


 119204号は、ふるふると震えながら立ち上がる。

 突然現れた襲撃者。

 どこの族かも分からぬ――得たいの知れない男。

「あぁ、何じゃ。それがどう関係ある? ただ、わしとお前さんが戦うだけじゃろ?」

 男はあごをかき、不愉快そうに応じる。

 何を言ってるんだこの馬鹿と、119204号は舌打ちした。


 ――フザケルナ。りゆうモナクおそウやつガアルカ。


「戦うのに何で理由がいる?」

 突然、動く。

 男が駆ける。いや、肉迫。

 弾丸のように跳び。いつのまにか、119204号のすぐそばまで迫っていた。

 咄嗟に射撃――する前に、男はバットを振りかざす。「ジャケンノウ!」慌てて避ける119204号だが、辺りに炎が吹きあれ、家具は燃え、アノニマスで防御しても幾分かの衝撃が走った。

(強い――)

 アノニマスでも防ぎきれない、余波のようなものを喰らっただけなのにこの威力。

 119204号の身はまた転がる。慌てて体勢を整える。すぐさま男が肉迫した「――っ!?」飛び膝蹴りを――喰らいそうになるが、男は急にバックステップしてバットを構える。

「ほー、あぶねーあぶねー」

 119204号は疑問符を浮かべる。

 何故、今攻撃しなかったと。彼女は反応が遅れてしまう。

 CATはバットを真っ直ぐに構える。119204号に向けて、真っ直ぐに。左手は芯の先にやり、右手は柄を強く握りしめる。剣術ではなく、棒術のような構えだ。先端に重心がいくため、その方が理に適っているのだろう。

(――あっ)今頃、119204号は気付いた。

 自分にはアノニマスがあるのだ。

 あの、空中戦での戦いで気付いたのか。敵には自分らの攻撃を防ぐ何かがあると。

 そして、その何かは銃弾も軽々と弾き飛ばす、やばいものだと。

 だから、敵は攻撃しなかったのだ。

 体勢的にバットより足を使う方が早かった場面だが――彼はそれを止めて、慌てて距離を取ったのだ。銃弾も弾く相手。それなら、ひざ蹴りなんてしようものならどうなるか分かったもんじゃない。

(そうなると、敵の能力もある程度分かるな……)

 119204号は推測する。

 おそらく、CATの能力はバットを振ることで炎を起こすのだ。

 バットなしで起こせるなら、今この瞬間も使ってるはずだ。

 そう、彼は思っていたより優秀な能力者ではなかった。バットが触れなきゃただの木偶の坊みたいな男だ。しかし、男はその悪条件を改善するよりも長所を極端に伸ばし、アノニマスさえ焼いてしまいそうな炎を獲得した。さらにいえば近接戦闘も得意なようで、空中戦にしてもワイヤー噴出装置を九鴉なみに使いこなしており、能力の欠点をそれ以外の全てで補ったからこその芸当である。

(こういうのが一番厄介だな。能力が強い奴は油断してくれるから助かるが)

 おそらく、こいつはそれがないだろう。油断するなんて考えもつかないんじゃないか。いつも全力疾走で、突っ切る男だ。少しの油断もスキもない。

「――ちぃっ」

 またしても舌打ち。

 子分達は銃火器を使用していたが、この男に関してはそれさえもない。ただでさえ扱いづらい能力なのに、我も忘れて銃弾も恐れず突撃してくるクレイジーな猪突猛進ぶり。

(なめるなっ――こっちには銃が)

 二丁拳銃が、と。

 119204号は失策をしてしまう。

 彼女は普通の戦いの物差しで考えてしまった。普通の戦いならば鉄バットの相手より拳銃の方が有利だと思うだろう。だが、敵は機械族とアヤネ・ベルクの飼う情報部員の戦いに割り込むような、そして両者を圧倒するような規格外の益荒男だ。そんな相手に、二丁拳銃ごときで挑んだのが間違いだった。

 より正確に言うならば、CATがひとっ飛びで移動できる距離で撃ってはならなかったのだ。

「――っ!」

 ようやく気付く。やってしまったと。

 この距離で、その選択はなかったと絶句してしまう。

 そう、あまりにも近すぎる距離。

 CATの脚力なら一秒も掛からぬ距離で、119204号は撃ってしまったのだ。銃はただでさえ、撃つのにタイムラグがあり、さらには撃った瞬間硬直してしまう。さらにいえば、彼女は致命傷を与えにくいゴム製の銃弾であり、さらにさらにいえば、CATは銃弾を防いでいた。

「ジャケンノウ!」よりによって、バットで弾いていた。

 彼はバットを水平に持ち、顔を隠すようにして向かってくる。

 それが銃弾を防ぐ盾となり、同時にそのまま押し付ければ壁となる。勢いよく向かうとアノニマスによって防がれるが、そのまま左右に動かして殴打を行い、そのまま体を回転させて、バットを振りかぶる。「――まずいっ」炎が、119204号を襲った。


 113


 119204号の身は壁を突き破り、外に放り出される。


「え、あっ――機械族!」

 何て呼べばいいか分からず、思わず機械族と呼んでしまうダイチ。

 彼は石畳の道の上で、はるか頭上に投げ出された少女を見てしまった。


 アノニマスは光の欠片となって飛び散る。

 いくらアノニマスでも完全に防ぎきれなかった、それほどの衝撃であり――威力。

 もはやそれは放火ではなく、爆発だ。

 後方にあった壁ごと燃やし尽くし、119204号の身は空中に吹き飛ばされた。――そして、そのまま落ちようとする。

「トドメじゃ!」

 さらにタチの悪いことに、相手は馬鹿だった。

 CATはあろうことか、落ち行く119204号を追って空中に跳び出し、バットを振り下ろそうとしていた。

 いや、そんなことしなくても彼の能力なら建物からバットを振れば済む話だ。

 おそらく、テンション高まってわけ分からぬことになっているのだろう。このエネルギーこそがCATの本質であり、強みであるため、一長一短の宝刀といえた。

「ジャケンノウ!」

 119204号に迫るCAT。

 バットが、彼女に振り下ろされようとしている。


 ――あっ。


 スローモーションで迫ってくる――あまりにも遅く――ああ、と。――119204号は何となく悟る。


 死ぬんだ。


 もう、自分は死ぬんだと。

 悟ってしまっていた。


(……これは避けられない)


 直接喰らってしまう。

 バットの衝撃自体はアノニマスが防いでくれるだろう。

 だが、この爆発のような炎までは防いでくれない。狙撃の弾丸さえ防ぐアノニマスだが、CATの炎はあまりにも異常すぎた。ナノサイズの機械がことごとく燃やされ、散っていった。そして、今は自分自身がやられようとしている。

「……やだっ」

 死にたくない。

 死にたくないよぉ――と、119204号は刹那の瞬間思った。


 ――分かったよ。


 114


「ぬおっ!?」

 CATは驚く。

 バットは拳銃によってさばかれ、方向がずらさせる。

 ――音っ。

 炎が、莫大な炎が、119204号のわきに流れてほとばしり、寸前で喰らわずに済んだ。

「――おっ、おめぇ」

 眼前にCATがいた。119204号は彼の腹を蹴り、離れる。そして、そのまま流れるように反対側の建物の壁に着地してローラー靴で移動する。「わわわわわわっ!?」119204号は予想外のことに困惑する。ローラー靴に慣れていたはずの彼女がどういうわけか。初体験のようにバランスを崩し、転倒しそうになる――が、慌てて体勢を立て直し、真上に突き進んで跳躍する。

「何をした!?」

 誰に言ってるのか。

 119204号は、甲高く叫んだ。



「――何が、起きてるんだ?」

 119204号でさえ何が起きてるのか分からない状況、眼下にいるダイチは余計何が起きてるのか分からなかった。


 ◆


(何、何をしたの! こら、勝手にわたしをあやつるな!)

 119204号は、頭の中で誰かを怒鳴りつける。


 ――僕だって、望んでやったわけじゃない。


 危うく、119204号の身が落ちそうになる。

「あわわわわわっ――」

 このままじゃ、四階建ての建物分の衝撃が、119204号の身が。


 ――大丈夫。もう慣れた。


 と、119204号はローラー靴で建物の壁を疾走、華麗な動作でこれまで119204号がやっていたよりも機敏に、スムーズに動いていく。


 ――意外と簡単だね。さて、次はどうしようか。


「知るか、馬鹿!」

 119204号は怒鳴った。

「何てあんたがここにいんの!」

 周りが、ぽかんとクチを空けそうな言葉だった。

 一体、119204号は何を言っているのか。


 115


 貴族の館。

 九鴉は、床にすわりながらつぶやく。

「……僕だって知らないよ……あと、馬鹿じゃない」

 不満そうにつぶやく。


 116


 119204号は、九鴉にあやつられながら壁を伝って疾走する。

「待て、ジャケンノウ!」

(もう、何であんたなんかに! あ、撃って。撃ってよ!)

 はるか遠くで、九鴉がイラッとしていそうだ。

 言われた通り、九鴉は119204号の身をあやつり、銃弾を撃った。

 予想外に119204号の持っていた拳銃は反動がなく、手軽に撃てた。弾丸はかなり正確に狙ったところに命中。だが、それは大したダメージを与えられず、ゴム製だし、CATは決死の覚悟だしと全く止められない。

(何であんななんかが――何で、こんなことに――)


 ――多分、あの子の能力じゃないかな。さっきから、きみの声が頭に響いてうるさかったんだ。


 119204号は壁をターンして華麗に回る。

 CATがバットを振り回し、辺りに炎の波を起こすが九鴉は巧に動いて、全てを避けきった。


 ――完全に狙ってやれるほどじゃないけど、きみの感覚が僕に伝わり、妙なほど体をあやつれるようだ。


 そのことに119204号は戦慄する。他人に自分の身体をいいようにされるだけで嫌なのに、よりによってこの男かと――それも、九鴉にありありと伝わったようだ。


 ――嫌ならあとでどうにでもすればいい。それよりも今は生き残ることだろ?


「……ちっ」

 119204号は舌打ち。

 本気で嫌なようだ。だが、妥協することにした。事実、彼のおかげで助かったのは間違いないからだ。

「条件がある」

 119204号は空中を跳んだ。

 そのまま、空中を跳躍しているCATと接触、肉弾戦闘を繰り広げる。

「ぬっ!?」

 CATは目を見開く。急に目の前の機械族が体術のようなのを使ってきた。

 拳銃を射撃に使うのではなく、体術の武器として卓絶した動きを魅せる。拳銃を回して銃身をつかみ、グリップを鈍器のように振り回した。CATのバットは振り下ろす途中で止められ、炎が起こらない。その間に拳銃で殴り、足で蹴り、ダメージを与える。

「殺すな!」

 そして、CATはそのまま落ち――ない。ワイヤー噴出させて、また空中に上っていった。

(条件がある……いいか、絶対殺すな)


 ――何で? 殺さないとまた襲ってくるだろ。それに、そんな余裕は。


「嫌なの!」

 119204号は、声を張り上げて叫んでいた。

 空中。

 その身を支える足場もなく、手でしがみつく場所もない。

 そんな中、彼女は己の信念を告白した。

「こんな――こんな地下都市の理屈に、従いたくない」


 ◆


 貴族の館。

 九鴉は言った。

「……分かったよ」

 その条件に、従うと。

 彼自身も、人を殺さない戦い方を選んだ。


 117


 CATは、突然の事態に驚きながらも。なおも、その勢いを失わない。

「……ぶっ殺しちゃるけん……」

 目は血走り、口角はつり上がる。

 獣。

 獣のようであった。

 奥歯が軋みを上げて、血管は脈動し、全身から湯気のようなものが湧き上がる。あまりのエネルギー、暴走するマグマのような意志。

 人らしい表情をやめて、119204号をブッ殺そうと。

「ぬっ!?」

 だが、空中に放り出されたような119204号の背後から、黒い影が迫っていた。


 ◆


「もう一つ条件がある」


 ――多いな……一体、何だよ。


「撃つのはわたしに任せろ」

 背後から、痛みが迫ってきていた。


「きさまああああああああああああああああっ!!」


 CATの炎を喰らい、全身に強い火傷を負ったはずの彼女は満身創痍になるどころか血気盛んに絶叫し、119204号とCATの戦いに現れた。

 119204号は、振り向くことなく二丁拳銃を背後に向ける。わきの下に、腕を交差させて。

 銃声。

 立て続けに起こる連続射撃。

 悲鳴。

 痛みはダメージによる損傷で満足に能力を使うこともできず、ゴム弾の連続射撃をまともに喰らう。

「――あっ」そして、彼女はそのまま落ちていく。「あああああああっ――ぁ……」


 ――やるじゃん。


「当たり前だ」


 マガジン排出、そのまま袖から新たなマガジンが出され装填される。

 空中で放り投げ、両手でスライド。

 銃口をCATに向けた。

「場違いは引っ込んでろ」

 119204号は、これまでの全てを吐き出すようにつぶやいた。

「FUCK!」

 

 118


 ■第二ライン、1ブロック。


 ツバサはDORAGONにおんぶされながら、朦朧とした意識で巨大な門を見つめた。

「着いたぞ……」

 ゴール地点。

 長い、長い戦いだったが、ツバサの元に集まった者達の戦いはこれで終わりを迎えようとしていた。

 先ほど、第二ラインの2ブロックで暴動があったが、この1ブロックでも下等団員らしい者達が血気盛んに叫び声を上げていた。それは正門の門番をしていた者もいっしょだったようで、いっしょに猛り狂い、上等団員らしい者と戦闘していた。

「……戦いは……だっ、めっ……」

「何が駄目なものか」

 DORAGONは、息も絶え絶えの少女の言葉を否定する。

「戦わなくてどうする。抗わなくてどうする。命は強者に踏みつぶされるためにあるんじゃない。弱者が弱者のままで死ぬためでもない。何ものでもない――自由な命として生きるためにあるんだ」

「……え?」

 DORAGONのその言葉は、とても重みのある言葉だった。

 何気なく誰かが使ったファッションのような言葉ではない。自分の心の奥底にあるものからフックで引き上げて――形作ったような言葉だった。

「戦いは熾烈を増していくな」


 ――暴動をやめてください。

   下等団員の皆様に告げます。

   暴動をやめてください。


「はっ、公式の放送でも下等団員って呼ぶんだな」

 奴らは、その名こそが侮蔑してると気付かないのだろうか。

「……ど、DORAGON……さん……」

 ツバサの能力は、他人と自分の心がシンクロしてしまう能力。

 いや、DORAGONが推測するにもっと大規模な能力――そう、ツバサのことを思っただけで、彼女と心がシンクロしてしまう能力ではないか。と、DORAGONは推測していた。

 だから、今DORAGONが思ったことも分かったはずだ。

「……あなたは」

「そうだ」

 DORAGONはつぶやく。

「まだ、戦いは終わっていない」

 ゴール地点である正門入り口を前にして、彼は言った。


 119


 ■第二ライン、4ブロック。


「腹減ったダナァ……」

 見るも無惨な中央広場。

 ここには大帝国ローマにあったとされる闘技場の外壁があって荘厳な雰囲気を出していたのだが、今はそれは跡形もない。石畳は剥がれ、というか地面が抉られ、血肉が辺りに散らばり、かろうじて何かがあったことと、誰かがいたことだけは分かる。

 そして、おそらくはそれをたった一人でやったであろう人物も。

「飯はちゃんと持ってきて正解だったダナァ。楽園教名物の野菜ダンゴ……ま、味は微妙だが。長期保存のきく缶に入って、いつでも食べられるのはお得だな。いや、串がないからダンゴって名前には偽りがあると思うダガ」

 白い肌の大男。

 オレンジ色の布きれを一枚、腰に巻いただけの男。

 彼曰く、その布きれの中に隠して置いたらしいが、どうやってやったのだろうか。もしかしたら、あそこは異空間にでもつながってるのかもしれない。誰も確かめたことがないというか、確かめたくないので不明。

「――ぱくぱくっ、……ん?」

 彼は陸王丸。

 六番街出身者だと思われ、その絶大な力でたった一人でこの第二ラインをほとんど圧倒し、囮役として重要な意味をはたしていた。

「……また来ただか。もういいってェノニ」

 彼は、能力だけで見るなら最強と言っていいかもしれない。

 もはや一個人の能力というより、それは人類史で使われていた兵器に等しい破壊力を持つ。いや、兵器といっても過去のは戦闘機や戦車など、応用力に関してはそれほど高くはないものばかりだったが、これは違う。陸王丸はやろうと思えば人命救助だってできるし、やたらと幅広いことのできる――意志を持った兵器だ。

 それに対し、たかが人間如きが戦うなど。

「……た、たた、たたたっ……たた、たたたたかえ」

 その男は、折れた剣をにぎって全身をプルプル奮わせながらやって来た。

 ダンネルだ。

 名誉ある楽園教の騎士団全ての顔とまで言われ、内外からもその実力はと評価されているらしい――人物である。

 今の彼は歳以上に老化していて、眼球は涙で赤く腫れ、剣の構えは構えというよりもロープに必死でしがみつくような握り方で、全身が震え、挙げ句の果てには――

「お、オメェ……」陸王丸は唖然とする。「も、漏らしてんのか……一体、何歳なんだ」

 もらしていた。

 うしろからも前からも、でっぷん、だっぷんと、漏らしていた。

 思わぬことに陸王丸は呆れてしまう。ただでさえ弱いのに何故こうまで惨めな姿を披露する。こいつにも守りたい尊厳はあっただろうに、と。

「ながまの!」

 ダンネルは声を震わせず、はっきりと力強く言う。

「……なが、ながまの、……ために」

 怖くないわけじゃない。

 恐怖――圧倒的なまでの陸王丸の力に、大自然に畏怖した過去の人類のように圧倒されていた。

 屈辱――そして、その大自然のような存在に圧倒された彼は――何もかも奪われた。尊厳も、ダンネルの人間性も、彼が本当に長年かけて守ってきた彼の騎士団さえも。

 全部、全部目の前であっさりと奪っていきやがった。

 彼は今すぐこの場から逃げ出したい。いくら陸王丸でも、全速力で背中を向けて走るおもらし男など襲おうとは思わないだろう――だが、それだけはしない。ダンネルは、もう失われてしまったものを――いくら、彼がこれから何度戦っても、例え勝ったとしても取りもどせないとしても、彼は選んだ。

 これを、選んだ。

「た、戦えぇぇっ!」

 自分と戦えと。

 一寸も勝機が見当たらないのに、彼は、無謀にも陸王丸の前に降臨したのだ。


「――馬鹿でネェカ?」


 これが人類史で流行った創作物なら、感動話として映画化されたかもしれない。

 だが、今ここにあるのはただの現実。

 現実に、そんなものは通用しない。

 一人の男の葛藤など、通用するはずがない。

 陸王丸の目は意気込むどころか、呆れてダンネルを見ようともしない。明後日の方向を見て、めんどくさそうに頭をかく。拳は力強くにぎられるどころか、退屈しのぎのように指の関節を鳴らされる。

「たたがええええぇっ!!」

 ダンネルは叫んだ。

 ツバが飛び散り、足は限界までプルプル。

「………」

 陸王丸は一ミリも興味が湧かない。

 弱い者に興味などないと、彼は背中を向けて立ち去ろうとした。

 その背中は怯えた者の逃走ではなく、かといって戦いを終えたあとの益荒男の解放感もない。ただただ、ここには何もなかったという呆れだった。

「たたがええええええええええええっ!」

 ダンネルは必死に叫んだ。


 ◆


「アハハハッ、おじちゃん無視されてるー」

「……シカト」

「そだね。みっともないったらありゃしない」


 第二ライン、4ブロック。中央広場にいる、ダンネルと陸王丸。

 この二人を見ていた者が三人ほどいた。

 先ほどまでは五狼という少年もいたのだが、彼の姿はもう近辺にはない。

 だが、その代わりに二人の戦いを最初から最後までほぼ全部見続けていたのがこの三人だ。


「でも、根性すわってるね」

「……臆病者よりかはマシ」

「そうだね。アタイもそう感じるよ」

 一人はジャージの袖から手を出さないで、ブラブラと伸ばして垂らす少年。

 髪はトゲトゲで、無駄に逆立っている。

 彼の名は、S。

「がんばれー、弱いおじちゃん!」

 子供はもう一人いる。

 Sとは兄妹で、顔立ちは少し似てる。目つきが常に少し睨んだ状態のようなとことかがそっくり――いや、顔は整ってる方である。しかし、無言でいるだけで不機嫌そうに見えた。服は白いロングワンピースを着ていて、フリルのつもりか、綿を所々にくっつけていた。

 この少女――彼女は、名前はI。

「……強いのは死んじゃえー」

 そして、この二人の子供に挟まれてるのは大柄な女性。

 肩が広く、腕や胸板、太もも、ふくらはぎ、目立つ肉は全て筋肉質である。

 彼女は黒のタンクトップを着ていて、下は迷彩のズボン。手には布を持っていたが、今はまだとポケットにしまった。

「……さてと」


 120


 ■五番街、正門入り口前。


 DORAGONは、近くにあった建物の中に入る。元は、何らかの施設だったようだ。一階は広めのフロアになっていた。DORAGONは近くの椅子にツバサを下ろした。

「もうすぐ私の仲間が来る。そいつにあとは任せてある」

 だから、あとはがんばりなとDORAGONは言った。

 その仲間が来るまでは支えてやるという意味も込めている。

「……あ、あなたは……」

 ツバサは震えるクチを必死に抑える。唇を歯で噛んでDORAGONの意志を受けとめていた。

 受けとめた上で、反論しようとしていた。

「あなたは……」


 121


 ■第三ライン、2ブロック。


 痛みは――体の各所をゴム弾で撃たれた。

 いくらゴムとはいえ、火薬を詰め込んで放った弾丸だ。その威力は凄まじく、当たり所によっては普通の弾丸の方が慈悲的に見える。

 左腕や右足は骨折、他の部位もひびが入り、強い打撲を受けて赤く腫れ、顔面だけは髪で防いだが――あとは気が動転していたとこを連続射撃されたのでガードが間に合わなかった。

 ――痛みの体は、地面に引っ張られるように落ちていく。


 ……落ちた。


 髪の毛をクッションのようにしたものの、仰向けになって白亜の建物の隙間から――コンクリートの空を眺めるのは、何て屈辱的だろうか。

 119204号が見下ろすのを見るのは、さらに何て恥辱だろう。

「……ふざ、けるなっ……」

 他の者達も痛みを見ていた。

 散々暴れていた少女が倒れたことに、敗北したことに。

 だが、一人だけは痛みを見ずに119204号の方を見ていた。

 機械族の母だ。

 彼女だけは娘の心配でもするかのように、119204号やAKを見ていた。怪我はないか、どうやって倒したのかよりも先に、彼女らの体の心配をしていた。

「ふざけるなっ」

 それが、痛みにとってはたまらなく苛ついた。

 怒りは原動力。

 骨折した左腕さえも力がみなぎり、腕は動かなくても肌が――中にある血液が――力を増して破裂しそうになる。痛みの全身からあふれんばかりのエネルギーが髪の毛に伝わる。

「殺してやる」

 皮肉にもそれは、九鴉がよく使う言葉だった。

 本当に我慢の限界に達したとき、彼が使う言葉だ。

「殺してやるっ……」

 黒い髪の毛は血のように石畳に広がり――そして、天上に飛び上がった。

 それは翼の生えた鳥のようで、だがその軌跡はずっと残り、黒い髪の毛がピンと張られる。高木のようにそびえ立ち、それはいくつも、いくつも、現れて、石畳と天上の間にいる者達――機械族やCAT達を、貫こうとしていた。

「っ――」119204号はローラー靴を使用し、避けていく。

 空中に留まっては避けきれない。そのため、白亜の建物を足場代わりにして、ぴょんぴょん跳ねたり、壁を地面のように走って、幾多の機動を描いて避けていった。

 他の者達も、AKは卓絶したローラー靴の技術で避けていき、母も二人の部下を見守りながら避ける。

「祭りじゃ祭りじゃ!」「大暴れじゃ!」「ひゃっほー!! 約束の日じゃぁ!」

 何故か、CATの子分らしい者達は大騒ぎだ。


「殺してやるっ」


 だが、眼下に横たわる痛みには憎々しいものでしかなかった。

 誰かといること。

 誰かがそばにいること。

 それが当たり前で、だからそれが嫌で離れようとする者もいて――それが忌々しくて忌々しくて、痛みの力は最大限に発揮される。怒りはガソリンに、憎しみは矛となり、怨敵どもを蹴散らそうと髪の毛は無数に伸びた。

 クモの巣を越えてアラベスクのように広がる痛みの髪の毛――それは怨敵を殺す檻であり、槍であり、一種の赤い糸でもある。

「馬鹿な……」

 ダイチは大慌てで逃げる。

 周りにいた人々――第二ラインの道であやつられていた人々も何人か巻き込まれた。彼らは髪の毛にふれると食虫植物のように素早い動作で縛り上げられ、骨を砕かれ、血肉さえも圧縮され、全身を髪の毛で覆われるとバスケットボールぐらいの大きさになって、最終的には飲み込まれる。全ての栄養は髪の毛にいき、血肉となっていく。

 昔の人類史でいうなら、怪獣映画のようだと言われるだろう。

「何だよこれ、何だよこれ!」

 ダイチは息を切らして走る。

 うしろからは痛みの髪の毛が迫ってくる。


 122


 九鴉は、貴族の館で一連の光景を眺めていた。

「………」

 母親を想う気持ちは、彼にも十分分かった。

 そもそも、彼が――いや、Vの面々が復讐を誓ったのはそれが動機だったのだ。

 だからこそ、痛みの想いは他人事じゃなかった。

 あの恨みは自分のものでもあった。

「……でもさ」

 やっぱり、彼が見た光景は最悪だ。

 九鴉の脳裏に、白亜の建物まで縛り上げて崩壊され、その瓦礫で多くの人々が巻き込まれるのが見えた。

 これは嫉妬だ。

 自分には生まれたときからなかったのに、だから生まれたときから持っていた者への怒り、憎しみ――嫉妬。

 でもそれは、それは、こんなものなんだ。

 こんなにも醜くて、残酷で、愚かなものなんだ。

「やっぱり、それはダメだよ」

 その嫉妬により大勢の人が死んでいる。

 あの中には誰かの母親がいるかもしれない。また新たな自分を生みだしてるのかもしれない。

「だから、きみは認められない」

 皮肉なことだと、自分でも分かっている九鴉。

 自分は、仲間がいたから気が狂うことはなかった。

 だが、彼女は?

 九鴉は痛みの名前さえも知らないが――アヤネ・ベルクとの関係を知ったら、もっと絶望するだろう。

 あんな人物にしか縋れなかった彼女に、誰かを嫉妬するなという方が無茶である。

 人は、誰かがいないと寂しいのだ。

 狂うのだ。

「それでも、きみを認められない」


 123


 ■第三ライン、2ブロック


 AKは、泣き叫びながら能力を暴走させる痛みを見て――先ほどまで抱いていた怒りや鬱憤が霧消しかけていた。

(あいつは……)

 何故だろうか。

 痛みが叫んでいるのが、分かる。

 どうして叫んでいるのかが分かる。

 痛いほど、苦しいほど、彼女の嫉妬が分かってしまっていた。

(あぁ……)

 ローラー靴を巧に動かし、迫り来る髪の毛を避けていく。

 髪の毛は槍であり、鞭であり、縄になる。それらは多種多様な攻撃方法を持ち、だが全てを避けきって、AKライフルを撃って貫いていく。もちろん、それで現状がどうにかなるわけじゃない。弾丸は痛みに届かず、枝葉のような髪の毛が分断されていくだけだ。

(やめてくれっ)

 だが、AKがライフルを撃ったのは痛みを倒すためじゃない。

 銃声で、頭の中に走る言葉を掻き消したかったのだ。

「やめてくれっ!」

 あまりにも、共感してしまうが故の苦しみ。もう、やめてくれと。


 ◆


 119204号は、ローラー靴を動かしながら眺めていた。

「………」

 痛みを見て苦しむAK。

 そして、そんなAKを見て心配そうにする機械族の母。

 皮肉なことに、そんな母を見て余計に絶叫するこの髪の毛の主――痛み。

「協力しろ――」

 119204号は、自然と頭の中でつながっている相手に共闘を申し込んだ。


 ――さっきからしてることだろ。


 九鴉はそれを茶化したりも、断ったりもしない。

 119204号も、それに感謝したり皮肉ったりはしない。するヒマがない。

「あいつは、倒さなくちゃいけない」


 ――そうだね。


 でなきゃ、あの少女の帰るべき場所がない。

 痛みの絶叫。

 その叫びはどこに届くのか。

 ただ、誰かの悲しみにしか届かないのであれば。

「止めるしかない」

 ガスマスク越しに、決意を込めた表情を浮かべる119204号。


 ――しかし、どうやって倒す?


 現在の痛みは、最悪の怪物だ。

 とてもじゃないが、人類史で使われた兵器でも無理じゃなかろうか。

 自在に髪の毛を伸ばし、複数の攻撃パターンで動く。

 しかも、髪の毛を攻撃しても意味がない。

 髪の毛をあやつる本体――痛みを倒さないとダメだ。

 だが、彼女を攻撃しても髪の毛によって防がれてしまう。

 瞬時に、弾力性のある、髪の毛によって。

「……しまった」

 唯一、彼女がガードできない攻撃を持つ者がいた。CATだ。だが、その男は今子分らしい者達に助けられながら、攻撃を避けていた。大分、119204号の攻撃で痛手を被ったようだ。

(やりすぎたか、くそぉ……)

 他に、他に方法はないかと考える。


 ――そもそも、あの本体を攻撃できる範囲まで行けるかどうかもある。


 本体を攻撃できる手段があっても、射程圏内に行けなきゃ意味がない。

 逆に、痛みの射程距離は限りなく無限に近い――少なくても、ここから数十キロは痛みの距離だろう。逃げようがないし、攻撃のしようがない。超遠距離なんて狙おうとしたら、たちまち髪の毛の獲物となる。


 ――一瞬でも、一瞬でもスキができたらいいんだ。

   それさえあれば、いくらでも手段がある。


 九鴉なら貫こうとする髪の毛を避けて、逆にそれを踏み台にすることも可能であろう。

 だが、攻撃する手段がない。

 この拳銃じゃ火力不足だ。


 ――そう、例えば。

   あの髪の毛の盾が、一瞬でも邪魔できれば。


 盾を作るのを邪魔さえできれば――どんな、わずかな瞬間でもいい。

 それなら、この二丁拳銃の攻撃さえ奴に届く。

(だが、どうすれば――ん?)

 119204号は、アノニマスでその声に気付いた。


 ――あいつ。


 このとき、119204号と九鴉は共に同じ感情を抱いた。

 そして、にやりと笑みを浮かべた。

 やるじゃないか、と。

 その声は建物の屋上へと向かっていた。

 119204号は跳躍する。

 もちろん、向かうのはこの髪の毛の本体である――痛みだ。


 124


 ああ……と、痛みの意識は朦朧としていた。

 敵を殺そうとする意志は、思考だけは冴えている。

 だが、人間らしい意識――頭の中は、少しずつだが何かが抜けていくような気がした。

 穴の空いた水槽のように流れ落ちていく。

 ああ……そうかと。

 これは、生命の源なんだと。

 それが、抜け落ちているのだ。

 痛みの能力は多量のタンパク質や、カロリーを消費する。故に、このような大規模な能力の使用は自殺行為でしかない。もう、あと数十分もすれば彼女は力尽きて朽ち果てることも間違いない。

 だが、それでも痛みは止まれなかった。

「殺してやる」

 逃げる機械族、支えながら逃げるCAT達も含めて、全員に嫌悪し憎悪し、嫉妬した。

 お前等は、誰かがいるじゃないか。

 それなのに何だ。

「何だ、何だこれは!?」

 誰もいないじゃないか。そばには、誰もいないじゃないかと。

 自分は――何でこんな――。

「……誰かが挑んでくる」

 だからこそ、怒りは増大し、エネルギーの感情だけは無限大に放出されているのだが。

 そんな中――119204号が大きく跳躍してこちらに迫ろうとしていた。

(馬鹿が)

 痛みにとってはのろいスピードで来る119204号。

 彼女は髪の毛の槍を119204号に放つ。難なく避けられて踏み台にされ、それがまた次の槍も避けられて、踏み台にされていく。徐々に徐々に、痛みの本体へと近づいて行く。

「来るな――来るなっ!」

 それは悲鳴だったのか。それとも嘆きだったのか。

 いや、そんなの関係ないと119204号は二丁拳銃を構える。

「そんなの効かねーよ!」

 痛みが、髪の毛で防ごうとしたときだ。


 ――眼前に、赤い消化器が飛んできた。


「――は?」

 痛みは気付かなかった。すぐそばの建物の屋上から投げられたのを。

 そこまで誰かが一生懸命走って、消化器をぶん投げたことも。

 ダイチだ。

 痛みにはアノニマスのような広範囲に渡るレーダーはない。ただ、ひたすら髪の毛を攻撃に使うだけだ。目につく者を全てひき裂き、締め上げ、殺していくだけだった。

 自分に襲ってくる攻撃に関しても、目につきやすかった119204号しか見ていなかった。

 違うのだ。119204号がわざと大きな跳躍したのも――そんなスキだらけの行動に出たのも、避ける自信があったのもあるが何より、彼女自身が囮の役目を担っていたのだ。

 その間に、ダイチは消化器をぶん投げた。

「終わりだ」

 119204号は告げる。

 消化器を撃ち抜き、爆発が起きた。耳を聾する音が一瞬にして炸裂する。

 それは白い煙まで辺りに散らす。音と煙により、耳と目がいかれそうになる痛み。よりによって間近でやられた。彼女は、そのわずかな瞬間、髪の毛で守ることも忘れてしまう。

「FUCK」

 それが、痛みの終わりだった。

 119204号は、二丁拳銃の連続射撃を行う。ピアノの鍵盤のように鳴らされる銃声。

 拍手のように消えていく薬莢。マズルフラッシュ。

 そして、ただ打ち負かされるだけの痛み。


 ――ちがう、こ、こんなのを――


 彼女が再び落ちてゆくときに見たのは、灰色のコンクリートの空だった。


 ――こんな空を見るために戦ってきたんじゃ――


 アヤネ様。

 彼女の唇は、悔しそうに歪められた。


 125


「……ジャケンノウ」

 今頃、気付いたようだ。

 あれ、わしって場違いか?

 いや、気付くのがあまりにも遅すぎたのだが。違うのか。気付いたとしても、あのときのテンションのCAT達なら迷うことなく乗り込んできたか。

「大将」「大将ぉ」「大将っ」

 三人の子達がCATを見ながら、不安そうにつぶやく。

 白亜の建物の屋上。

 辺りを覆うように広がっていた髪の毛は石畳に落ちていって、死体のように辺りに散らばった。こんなに大量の髪の毛が落ちるなんて、異様な光景ではある。

「………」

 その石畳の中に、一人の少女が横たわっていた。

 最後に落ちたときも、余力がまだあったのか。クッションにしてダメージは防いだようだ。

 しかし、もう戦える力は残ってないようだ。

 彼女は懸命に能力を使おうとしてるが限界だ。

 頬はこけて、喉はかすれて、手足はろくに動かせないでいた。

「……ア……ネ……」

 もう、縋る人の名前すら呼べない。

「去るぞ」


 ◆


(何だったんだあいつら……)

 機械族の母は、いぶかしげに去ってゆくCAT達を見届けた。

 いや、こんなもの見届けるつもりはなかったが。

 むかつくので、彼らの後ろ背中に一発撃ち込んでやりたいが――正直、それでまた戦闘になるとこっちがもたない。好戦的な母にしては珍しく戦わなかった。

「……甘いな」

 母はガスマスク越しに、ガスマスクを外した少女を見る。

 119204号。

 彼女はあろうことかガスマスクを外した。

 白亜の建物の屋上から、眼下にいる少女――黒い髪の毛の少女に対して、何かを言っている。

「………」

 何を言ってるのか聞こえたのか聞こえてないのか、その少女――痛みは、苛々しげに舌打ちをした。

「……あ、違うか」

 再び119204号に目をやると、彼女はクチを痛そうに手でさわっていた。

 多分、噛んだのだろう。

 あいつ、肝心な場面で噛んで何かを言うどころじゃなかったらしい。


 126


(茶番……じゃねぇか)

 AKも、119204号を見ていた。

 ガスマスクを外したのはいいが、あの馬鹿、噛みやがった。

 痛みは、最後の力を振り絞って立ち上がる。

 路地裏を、とぼとぼと去って行った。

 誰も、彼女のあとを追う者はいない。あまりにもやられすぎていて、話にもならない。

(何だったんだよ。それでいいのか、お前の言いたいことは――むかつくことは、そんなもんじゃないだろ)

 痛みに感情移入してしまったAK。

 119204号を見る。彼女は近寄ってきたダイチと何かをしゃべっている。

 新しい仲間を得た彼女。

 むかつく。

 母に期待もされていた。それなのに機械族をぬけた。むかついた。何がむかついたって。あいつは、痛みに優しさを見せる余裕もあったのだ。

「……ファック」

 彼女のそのファックは、とても弱々しいものだった。

 AKの元に、機械族の母が近づいてくる。

(……行くか)

 だが、AKはそんなのおかまいなしにローラー靴を動かし、この場から離れた。


 ◆


「待てぇっ!」

 機械族の母は叫んだ。

 アノニマスで文字を浮かべる余裕もない。

(去って行くのか。くそっ、私の元から――)

 追いかけても、もう追いつけないだろう。AKのうしろ姿はどんどん離れていく。

 対して、母の体はろくに動かせない。度重なったダメージと、疲労が、ただでさえ年を食った彼女には厳しかった。

(……ならば)

 母は、119204号を探す。

 いや、彼女はすぐ近くにいた。

 母はローラー靴で移動し、119204号に拳銃を向けた。

 威力が半端ではない拳銃――S&W M500。当たったら、頭でも体でも、大きな風穴が空く。

「……どうした」

 だが、119204号は反応しない。

「……おいっ」

 何も反応を示さない。

 逃げようとしない、攻撃しようともしない、そばにいるダイチに助けを求めようともしない。ダイチもダイチで、119204号を助けようともしない。

 ただ、一心に母を見つめていた。


「――ん」


 119204号の――いや、スミレのその表情は、とても澄んでいた。

 何も感情を浮かべていないはずなのに、微笑んでるようにさえ見えた。

 元から端正な顔立ちだったが、余計にキレイに見えた。

 自分より年下の小娘に……娘に、嫉妬してしまう。

 あまりにもその表情は、すっきりしすぎだ。

 そして、自分が撃たないのを確信していた。

「……待てよ」

 119204号は再びガスマスクをつける。

 そして、ダイチをアノニマスで担ぎ上げ、ローラー靴を起動。

「待てよ!」

 最後に、母をしっかりと見すえると119204号は母の元から立ち去る。

 母は言い訳をするように発砲する。

 もちろん、M500の弾は一発も当たらなかった。

 119204号は、五番街の正門入り口へと向かって行った。

「……っ」

 母は、静かにガスマスクを外す。

「……くそっ」

 最後は、ただ去りゆく娘の背中を見届けるだけだった。


 127


「サイコオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」「うるせーな」「機械族さいこーーーーーーーーーー!!」「おい、溺愛がうるさいぞ」「サイコアアアアアアアアアアアッ! スミレちゅわあああああああああああああんっ!」「きめーよ!」「やりすぎだろ!」「888888888888888888888」「くそっ、誰か止めろ!」「感動したあああああああああああああっ」


 128


[ひょうがあああああああああああああっ!!]

[………]

[……うわぁ……]

 周りがドン引きする中、絶叫するプログラム4。


 129


 ■七番街、表通り。五番街間近。


「どけどけ! オレ達はファイアーボールだ!!」

 一台のトラックが表通りをひた走る。

 今じゃ珍しいトラック。地下都市じゃただでさえ車が珍しいのに、さらにいえばトラック。さらにいえば、トラックの中でも珍しいチェコ製のトラックだった。

「突き進めぇ!!」

 表通り。

 円環の形をした道路は普段からたくさんの人々が往来し、自由気ままに活動しているが、そんなのおかまいなしと轢いていく。

 TATRA製のトラック。4×4のタイヤは人を轢き、踏みつける度に気持ち悪い機動をする。ある者は虫のようだといい、ある者はブラシのようだともいう。特殊なフレームをしたこの変態トラックは、フロントは本来真四角だが、パチンコで使われていたピンを大量にブッ刺して意味不明な形になっている。見た目、ブツブツ肌にも見える。

「火の玉じゃ、火の玉じゃぁあああああああっ!!」

 トラックに乗っているのは若い男。

 彼は布を頭に巻いていた。

「五番街に突撃じゃあぁっ!」


 ◆


 ■五番街、正門入り口


「……馬鹿か」

 DORAGONは建物の窓から正門入り口前の広場を見ていた。

 上等団員が下等団員に暴行していた。

「な、何をやって」

「疑心暗鬼になってるんだろ。よくあることだ。情報が錯綜し、場が混乱するとな。少しでも敵の可能性があるものはあーなるんだよ」

 と、DORAGONは上等団員に駆逐される下等団員を見ながら言った。

 下等団員は耐えられるかと逃げ出す者や、逆に暴れ出す者がいた。

 どうやら、門番の役目をしていた下等団員は裏切る気まんまんだったようで、上等団員に立ち向かっては――死んでいった。


『ダンネル騎士団、中隊長! 黄金のイリス!!』


 一人、三等団員の男が高らかに叫び、下等団員を抹殺していく。

「……ひどい」

「そうだな。ひどいな。数が多ければ負ける。能力が強かったら負ける。世の中、こんなもんだよ。どんなに立ち上がる意志があろうとも、数が多い方が、力が強い方が勝つんだ」

 DORAGONは神妙そうな顔をして言った。

「あなたは……」

 ツバサはDORAGONを見てつぶやく。

「本当に、そう思ってるんですか?」

「すまない、嘘だ」

 DORAGONはあっけらかんとしていた。

 意味のない嘘だったが、しかし、今までで一番の笑顔を見せるこの瞬間は何か意味があったのか。彼は笑っていた。

「本当は戦う術があると思ってるよ。数なんて関係ない。力なんて関係ないって」

「……あなたは」

 ツバサは疲労で息も荒いが、DORAGONを見すえていた。

 この男は、まだ戦うつもりだ。

 ここでツバサを残し、自分はまた五番街を引き返して――牙として戦うつもりなんだ。

「どうして、そんな。あなたは、一体」

「抗うためさ」

 彼は言った。

「支配されて生きるなんて、そんなの死んだも同然だろ?」


 130


 TV。


「彼らは楽園教のおかげで暮らしているのに、何故こうも恩を仇で返すようなことをするのでしょうかね」


「だから、元々外の街で暮らしてきた者はこんなもんなんだよ」


 五番街。

 楽園教ではテレビが放送されている。

 だが、それは人類史で流されていたテレビ番組とは雲底の差がある。基本は楽園教の思想を中心に回っていて、それ以外は敵か話にならないゴミクズとしか描かれない。

 ある意味では、楽園教とは何かを分かりやすく語る媒体とも言える。


 緊急特番として放送されている、楽園教で大人気のニュース番組『楽園ってすばらしいね!』。

 白い長机の座席に二人の男女がすわっている。

 女性の方は若く、彼女は三等団員。司会に近いことをしてるようだ。

 対して、男性の方は二等団員。だからか、ときおり女性を見下すような発言も多い。

「そんなことも分からないのかい。彼らは元から腐ってるんだよ。それを我々が修正してやろうってのに奴らはそれを分かっちゃいない。せっかくの仕事を疲れた、休みたいと言ったりね。まったく、最近の若者と来たらこれだから困るよ」

 二等団員の男。

 チョビヒゲを生やし、小太りの彼は不満たらたらに言った。

「確かに。外と比べると楽園教の仕事はラクですよね」

「そーそー。他の街と比べたら楽園だよ。だから楽園教なのに。それをいちいち文句言ってさ」

「彼らは、我々には不満があると。この暴動には正当性があるということを言っていますね」

「ちょっと、オブラートに包まないでいいよ。奴らは『ブッ殺す!』とか『死んでしまえ!』って言ったんでしょ? 言葉遣いからしておかしいと思うけどね。そんな野蛮な言葉で言われてもねぇ。もう、いいよいいよ、そっちがブッ殺すならこっちだってブッ殺してやるよ」

「彼らは下等団員は一生五等や四等のままだと言っていますが」

「勘違いしてもらっちゃ困るよ。中には三等団員にまで上がった者もいるんだよ? それを、やれ環境のせいだ。人のせいだにしてね、ひどいと思わないかい? 何かあると、すぐ誰かのせい、何々が悪いと、悪者を作り上げるんだ。醜いねぇ」

 ちなみに、出世したという人物は実在する。

 すぐに自殺したが。

「まったく、図々しいにもほどがあるよね」

「そうですね。楽園教の教えは、ここが楽園であることを伝えること。この地下都市全体が本来ならすばらしいとこのはずという教えからきている。それでも、わざわざ五番街に来たのは何か理由があってのことなのでしょう。それなのに、彼らは自分で選んだことのはずなのに、暴動を起こした」

「自己責任が足りないよね。自分で選んだくせに」

 二人はさっきから真顔で言っている。

「一生下等団員のままだ。奴らは絶対に下等団員を出世させないという声が多いようなんですね」

「だから、ないよ。我々はそんなに冷酷じゃない。本当に優秀な者はちゃんと出世させるさ」

 ようするに、きみらが全然優秀じゃないと言っている。

「現に我々はちゃんと仕事してるから認められてるじゃないかね。我々は生まれ持っての場所にあぐらをかいてるわけじゃないよ。ちゃんと仕事してるんだ。全く、それを分かっちゃいない」

「そうですね。彼らは上等団員の苦しみを分かっていない」

「彼らのように単調作業をやってればいいわけじゃないからね。もっと、我々は頭を使った仕事をしてるんだ」

「全くですね」

「早く、こんな暴動なくなればいいのにね」

「――と、臨時ニュースです。また新たな暴動のようです」

 今度は。


 第一ライン、3ブロック。

 第二ライン、5ブロック。

 第三ライン、4ブロック。


 だ、そうである。

「……全く、奴らは恥というものを知らないのか。下等団員め」

 テレビのスタジオに空間液晶が表示され、そこから新たな暴動が映し出されていた。

 声を張り上げる下等団員達が荒々しく、暴れている。

 三等団員らしき者が暴行されている姿も。

「全く、ゲスな」

「その通りですね。――あ、正門入り口でも暴動が起こってるようです。一体、この事件はいつまで続くのでしょうか。そもそも、これらの暴動は二人の子供がキッカケなのですが」

「名誉ある上等団員なのに悲しいよ」

 二等団員の辛口コメンテーターは、空間液晶に映っている暴動を見て舌打ちして言った。

「全く、こんな奴ら死んでしまえばいいのに」


 131


 ■第三ライン、4ブロック。


 アカリは、気がついたら能力から解放されていた。

「……スーちゃん?」

 彼女は、恋人の名前を呼んだ。

「スーちゃん……」

 能力から解放され、途方にくれる群衆。

 自由になったことで逆にこれまで受けてきた傷で叫び出す者が続出していた。

 運が悪いことにこの辺りでは暴動が起きていて、巻き込まれる者も大勢いた。

「スーちゃん?」


 ――下等団員を殺せぇ!

   ――奴らを許すなぁっ!

     ――蹴散らせぇっ!!

       ――ああああああああああっ!


 耳がつんざくような阿鼻叫喚。権柄尽くしてあぐらをかいていた上等団員は慌てた。

 大勢のの声が聞こえる。こだまする。それはノイズで、血が至る所に飛び散り、そんな中、ふらふらとここまで来た道をもどろうとするアカリ。

「……スーちゃん」「おい、貴様!」

 だが、そんな彼女の手を上等団員の男がつかんだ。


 //

 「おい、番外編なんてしらねーよ」「誰だよアカリって」「ほら、番外編①に出てた奴だろ」「そんな奴の名前なんて覚えてねーよ」「ススムといたろ」「誰だよススムって」

 //


「貴様、こら。何してる、早く列にもどらんか!」

 早く来た道をもどりたいアカリを無視し、無理矢理中隊に組み込もうとする上等団員。

 そもそも彼女はこの中隊に所属していないのだが――おそらく、元から下等団員の顔など覚えてないのだろう。

「いやぁっ! 離して!」

「何、貴様も反逆者か!? いいから、行けぇっ!」

「スーちゃん!」

 彼女はただ叫び狂うだけだ。連れてかれる。


 ◆


 その一部始終を建物の屋上から眺めていた少年がいた。

「ちょっとー、もうそろそろ始まるかもしれないよ?」

 準備なさいと、少年のそばにいるポニーテールの少女が言う。

 彼女は黒いスウェットの上下、一応動きやすい格好らしい。

「……うん、大丈夫だよ」

 そして少年は、灰色のスウェットの上下を着ていた。

 白いニット帽を被り、何故か右目を黒髪で隠している。

 背丈はそれなりにある方だが、手足が細いせいか優男に見える。

「もう、しっかりしてよ、オウ――」

「ボクの名前はZEROゼロだよ」

 少年は、少女が呼ぼうとした名を拒絶した。

 少女は頬をふくらまし、不満げだ。

「せっかくもらった名でしょ! 何でそんな」

「だって、0じゃない」

 少年は荒れ狂う暴動を眺めながら言った。

「数が多いのは嫌なんだ。1も、2も、3も嫌だ……0。0がいいんだよボクは」

 少年は、アカリの方をまだ見続けている。

「………」


 アカリが殺された。


 皮肉なことに、殺したのは彼女を先ほど引っ張って連れてきた上等団員だ。

 彼はあろうことか、アカリを盾にして逃げたのだ。

 アカリは暴徒の攻撃を受けて死亡する。

「……っ」

 ZEROは笑っていた。

「殺してやるっ」


 132


「ただじゃ、死なせんぞぉ」

 と、口角をつり上げるタマ騎士団の大隊長、タマ。

 名前は猫みたいでかわいらしいと思えるかもしれないが、見た目は小太りの男である。彼は、仕事が一段落すると現場から少し離れて、白亜の建物の中に入り、裸になっていた。


 ■第一ライン、2ブロック。


 実は、最初に起きた暴動から――あまり時間をおかないで起きたものだ。

 これは第二ラインとは違い、奇襲に失敗していた。

 あっという間に戦いが終わろうとしていた。

 敵はあろうことかタマ大隊長を襲い、失敗。見た目で騙されてしまった。この男は案外強い。その体躯からは想像もできないほどの速さで敵を攪乱し、短い手足からは予想も付かない打撃を敵に与える。五つある騎士団の大隊の中でも、一・二を争う――あのダンネルさえ認めるほどの、実力者だ。

「――ふぅっ、おしっ、おしっ、おしっ」

 だからなのか。豪傑は性欲が強いのか。

 彼は激しく腰を振る。薄明かりの室内。白い廊下のど真ん中で誰もいないのをいいことに、行っていた。美麗な顔の子を脱がし、おしりを突き出させて貫いている。

「いいぞぉ、いいぞぉー。ふへへっ、わしらに反抗するからこうなるのだ。いいか? もうこれからは上等団員に逆らっちゃダメだぞぉ。いいなぁ?」

 タマ大隊長は、嫌らしく笑いながらいう。

 常人が耳に入れたら、鼓膜が腐りそうなほどのゲスな声。言葉。

 貫かれている子は目尻に涙を浮かべ、悲鳴に近いあえぎ声を出す。胸の部分の服ははぎ取られてる。あらわになった小さな胸。ほぼ真っ平ら。

「ほらほら、長い三つ編みをハンドルにしちゃうぞぉ」

「やめて、やめてよぉっ――」

 ちなみに、外では何が行われてるか。

 籠城を行っていた下等団員はすぐに鎮圧した。本来なら新たに起きた暴動をすぐに鎮圧しに行かなきゃならないのだが、休憩と称してタマ大隊長は愉しみにふけているのである。

「いいなぁ、楽しいなぁー」


 窓ガラスの向こうの隊員達はずっと待機である。大隊長としてあるまじき行為で、隊員達も今か今かと待ちわびてるのだが――窓ガラスが割れた。


「な、何だぁ!?」

 タマは衝撃で廊下を転がってしまう。おけつ丸出しで、でんぐり返しをしてしまった。

「……ば、爆発だと?」

 窓ガラスの周辺は少し焼け焦げていた。

 ガラスの破片は粉々に近いほど砕かれており、とてもじゃないがハンマーでやってもこうはならない。よほど威力の高い爆発――爆弾じゃなきゃこんなことは不可能だ。

「で、でも……何で?」

 誰が、やってるのだ?

 タマ大隊長はケツを天井に向けながら、首をかしげる。


 133


 ■第一ライン、2ブロック。


「ヒャッホーーーーーーイ!!」「ヒイイイイイイイイイッ!!」

 爆風が吹きあれる。

 タマ騎士団の団員達はのほほんと待機してた所をいきなり爆破され、ある者は粉々に吹っ飛び、ある者は衝撃で石畳を転がり骨折した。爆発は音楽のようにテンポよく鳴りひびく。

 ――その中を、お面を被った子供達が疾走していた。


「トリックアトリート!」

  「トリックアトリート!」

   「トリックトリック! キャハハハッハッ――」


 複数の子供達が、一輪車などに乗って拳銃を発砲し、敵を撃ち倒していく。

 団員達は応戦しようとするが、まるで子供達を守るかのように爆風が団員達を襲い、死んでいった。

「大将!」「大将!!」「大将!!!」

 白亜の建物も崩れていく。

 瓦礫が飛び散り、タマ大隊長もただでは事態に――


 ――ぎゃあああああああああああっ――


 悲鳴がとどろいた。

 それは、タマ騎士団の団員の一人が発したものだった。

 彼は、ある男によって手足を吹き飛ばされ、身動きが取れなくされてしまった。痛みでのたうち回り、涙を流す。

「………」

 彼の前に現れたのは、黒のナイロンアノラックを着た男だった。

「………」

 下はグレーのスウェットにスニーカー。

 格好だけなら普通の男である。中肉中背、とくに目立った特徴は――いや、大いにあった。

 彼は、顔面に白い刺青を施していた。

「……っ」

 黒い肌に白い刺青を入れている。

 顔面に入れたのはまるで骸骨のような刺青で、元からやせこけているのもあってか、こけた頬や、くぼんだ双眸、極端に低い鼻などが作用して、骸骨そのもののような顔となっていた。

 彼は、右手に手榴弾を持っている。


 ――撃てぇっ!

   ――何してる、殺せぇ!

     ――くそっ、よくもやりやがったな!


 刺青の男に向かって、タマ騎士団の団員達は取り囲んで応戦しようとしていた。

「……ふっ」

 呆れてものもいえない。

 集団でやれば、勝てるとでも思ってるのか?

「………」

 刺青の男は手榴弾のピンをぬいて、空中に投げた。


 ――なっ!?


 よりにもよって、自分の目の前で――投げて――危ないっ――手榴弾は、爆発した。


 ――ぎゃああああああああああああああっ!!


 何故だろうか。

 悲鳴が聞こえたのは刺青の男ではなく、むしろ彼を取り囲んでいた団員達であった。

 彼らはそれぞれ足や腕を破壊され、行動不能になった者が多かった。

「大将!」

 背後で、騎士団に襲われそうだった子供は――モーター付きの車いすから落ちて、石畳に這いつくばっている。刺青の男は彼を抱き上げると、服の汚れを叩いて落とし、車いすに再び乗せた。


 ――ひるむな、殺せぇっ!


 わずらわしい声があった。


 ――こいつら、楽勝だろ!?

   こんな奴ら。


「……?」

 刺青の男はくぼんだ双眸を、ありありと見開かせる。

 こんな奴ら?

 誰のことを言ってるんだと。

 彼はアノラックのポケットからまた手榴弾を取り出した。


 134


 ■第二ライン、5ブロック


「何で、ボクらがこんなことするんだよ」

「……あ、あんまり、文句言っちゃダメ。生きてるだけでも儲けもの」

「私は不満を言いたくなるがな。……奴ら、何だかんだ言って卑劣なことしてくれる」


 楽園教の放送局。

 スピーカーから、サイレンやアナウンス、たまにラジオから番組も流すことのある場所だ。外観は白亜の建物群と同じく白い二階建ての建物で、中は狭い部屋ばかりが並んでいる。

 そこに、あきらかに場違いな数名の少年少女が乱入した。

 狭い部屋や廊下にはここで働いていた者達の死体が並ぶ。

「あり、ボク。何か壊しちゃいけないの壊したかな」

「おいおい、頼むぜ」

 彼らが侵入したのは、単純な理由だ。

 流したい曲があったのだ。

「へっ、これってあれだろ。昔でいう、国家みたいなもんだろ」

「今じゃ街歌か? ま、確かに悪くない曲だが」

「……そ、そうかなl」

「ほら、いいからさっさと曲流せ」

 放送室のブースに機械をいじくると、彼らはある曲を流した。

 曲名はもちろん、彼らに馴染みのあるあの曲だ。


「――これしかないよな。戦う前には――いくぜ、『牙』!!」


 五番街の全てのスピーカーから、この曲が流れる。


 135


 ■第二ライン、2ブロック。


 あまり乗り気じゃなかった少年は、狂気の雄叫びを上げる集団の中から――それを見た。

「……あ、あれは」

 白亜の建物にはさまれた道を、軍靴を鳴らして近づいてくる者達。


 ――大勢の上等団員。


 ヤスキ騎士団が到着した。

 彼らは着いた途端に肉体強化系の能力者に先陣を切らせ特攻――下等団員が見るも無惨にやられていく。「かかれっ!」ヤスキ騎士団は能力者の質だけならダンネルやタマ騎士団にも劣る。しかし、これまで数多く戦い、その経験はダンネルにも負けぬほどの卓越された騎士団だった。

「撃てぇっ!」

 先陣がわきにそれると、即座に遠距離系の能力者が攻撃を放った。

 爆風が広がり、人々が頭上に吹っ飛んで行く。

(素人だな。あまりにも経験不足)

 そして、何より下等団員らの実力不足。

 ただでさえ能力が劣っているのに彼らはそれを補う技術もなければ知識も経験もない。下等団員らはなすがまま切り倒され、吹き飛ばされ、散っていった。交渉して平和的に収めようなんて気は毛頭ない。彼らは一人残らず反逆者を殲滅する気だ。

 だが、そのときだった。


 ――抗え。


「ん?

 騒音を斬り裂くような、一筋の声。

 それはスピーカーから音量マックスで流れた。

 まるで、彗星のように辺りにふり落ちて、オーロラのように浸透した。

「よっしゃあああああああああああああああああああっ!!」突然、甲高い声が鳴り響く。

 それに続いてヤスキ騎士団の団員達が殴り飛ばされ、関節技でへし折られたのか骨が折れる音がこだました。

「何事だ!?」

 誰も答えない。それどころじゃない。突如、下等団員の中から勢いよく駆ける者が現れた。「よっしゃよっしゃよっしゃあああああああああっ!!」その人物は機敏な動きで次から次へとヤスキ騎士団の団員を蹴散らす。彼以外にも数名の者達が拳を振るい、圧倒的多数派だった敵を弱い者イジメしていた。

「……な、何が」


 ――戦え、負けるな。

    戦え、屈するな。

     戦え、怯えるな。

      戦え、うろたえるな。

       戦え。

        戦うんだ。


「何が起きてるんだ?」

 このとき、ヤスキ大隊長は全く理解できていなかった。

 目の前の群衆はあっさりと自分らが勝つかと思いきや、突然ぽっと出た下等団員一人か二人――いや、三人によって、押されていた。

「何者だ、あいつは……」

 それに答えるかのように、暴れる男はフードを外し――黄色い布を頭に巻いた。

「我は八番隊大将っ――」そして、白いローブを脱ぎ捨てた。現れたのは黒いジャージ姿。何故か腹には虎柄の腰巻き。身長は高く、細身に見えながらも筋肉がしっかりとしているのか少しのブレもない姿勢を取っている。「……SNAKE!!」

 SNAKEと名乗った男に、ヤスキ騎士団の団員達が襲いかかった。彼らは全て殴られ、関節技をかけられ――死んでいった。

「祭りのはじまりだ……!!」


 136


 ■五番街、正門入り口前


「――ついに来たか」

 DORAGONは、感慨深そうに言った。

 彼が見つめる先は、暴動が過熱化していた。


 「殺せぇっ!」

 「殺せっ殺せ!」

 「ブッ殺せっ!」


 人々の声が反響する。

 主に殺せという殺せが、死ねという死ねが、どうしようもなくあふれ出る。

「……あなたは」

 ツバサは、眉をしかめて苦しそうな声で言葉を吐き捨てた。

「そんな、あなたは……何で、そんな」

 それは、ほとんど泣いてるようなものだった。


「楽園教と戦争するんですか」


「そうだよ」


 ツバサの嘆きのような問いに、平然と即答するDORAGON。

 周囲は騒然として、怒号や爆音、何かが割れる音、千切れる音、砕ける音が――こだまする。

「……大勢の人が死にます」

「このままでもたくさん死ぬ」

「あなたは……一体何を言って」

「このまま死んだように生きて。それが、良いと思うってるのか? 平然と、お前は見て見ぬフリか。あの言葉は嘘だったのか。処刑台で言った、本当の空が見たい。こんなのはダメなんだと言ったお前の言葉は」

「そのためじゃない!」

 ツバサは、力を振り絞って叫んだ。

「それは……争うために言ったんじゃ」

「どこが違う」

 DORAGONは言う。

「お前の正しさを証明するには、あの処刑台で言ったあの宣言を真実だと実証するには、お前が、お前の力で、お前の行動で、現実にしなきゃいけないんじゃないのか。アタシは正しい、アタシは真実を言った――間違ってるのは、お前等だと」

「そ、それは――」

 ツバサは言いよどんでしまう。

 間違ってるという表現に彼女は違和感を覚えた。自分はそういうつもりで言ったんじゃない。というか、それを肯定したら自分は矛盾してしまうじゃないか。

 争いを否定するのに。

 どうして、そのために争わなきゃいけない。

 全然――全然、否定できてないじゃないか。

 だから、ツバサはDORAGONに反論しようとしたのだが。

「間違ってるだろ?」

 ツバサは圧倒される。

 DORAGONの一言。それは、鉛のように重く、刃物のように鋭かった。

 間違っている。

 そう、あのとき――確かに抱いていた感情。

 楽園教の教祖、シオン・アカツキの言ってることは間違ってると。

 はっきりと、感じていたのだ。

「争いをなくすなんて不可能だ。何かをなくすってことはさ。何かを消すってこと。どんなものも、誰かにとって大切なものになるかもしれないのが世の中だ。……じゃあさ、そうなるとどうしても矛盾してしまうよな」

「……ちがう」

「違わない」

「ちがいます」

「違わない」

「ちがう!」

 ツバサは、寝ていた体を起こして立ち上がろうと――できず、倒れてしまう。

「………」

 DORAGONは、もう今度は助けようとしない。

「……何で、何でなの……そんな、誰かが死んで、そして」

「じゃあ、お前はこのままでいいのか?」

 よくないと言ったお前が。

 こんな空じゃダメだと言ったお前が、何でそんなことを言う。

 DORAGONは、本当はそう言いたかったのかもしれない。

 だが、次にツバサが行った言葉がDORAGONを沈黙させてしまう。


「だって、生きられるじゃないですか」


 その言葉に、DORAGONは唖然としてしまった。

「……は?」

「生きられるじゃないですか」

 この地下都市で。

 明日はどうなるか分からない危険な場所で。

 生きることができる。

 少なくても、明日か明後日、急に死ぬことはない。

「生きられるだけで……十分、しあわせじゃないですか……」

 それなのに、何で。

 どうして。

 何故、と。

 ツバサは言ったのだ。


「生きてるだけじゃ、幸せになれない」


 DORAGONは悔しそうにつぶやく。

 今度は、ツバサの方が唖然としてしまった。

 何を言ってるのだろう。

 いや、これは驚きでなったのではないかもしれない。

 ツバサが硬直してしまったのは、そういう理由からではないのかもしれない。

「何を言ってるんですか?」

 ツバサは言った。

「生きていること以外に、何が大切だと言うんですか?」

 それを、お前が言うのか。

 DORAGONは、もう何も言えそうになかった。

 彼は直立して仏頂面を気取ってはいるが、もう我慢の限界になりそうだ。この娘は、一体何を言っているのだ。違う街の出身という問題じゃない、もしかしたら異次元の存在じゃないのか。

 『バードスター』というヒーローコミックを描いた父親を持つ娘が、どうして。

 どうしてだ。

 DORAGONは思う。

「……争いを無くしたいんだよな?」

「そうです。……できるなら、この暴動も止めたいです」

「そのためにお前は、処刑されるときも反抗したんだろ?」

「……そうです、ね」

 だったら。

 だったら何故、あんなことを言った。

「生きる以外に、大切なものがないなんて……何で言えるんだ」

「……はい?」

 何を疑問視してるんだと。

 二人は、はじめから見解が大きく違っていた。

 いや、正確に言うならスタート地点が違うのだ。

 おそらく、そこから違う。

 陸上競技でいうならトラックが違うのではない。走るラインが違うのではない。

 走り始める――場所が違うのだ。

 ツバサはスタート地点からゴールまでの距離、その真ん中からスタートし。

 DORAGONはゴールからスタートするような。

 それほど違う。

「お前のそれは、夢と言うんじゃないのか!?」

 あのとき、あの場所で――命がけで反論したのは、夢の――理想のためだったんじゃないのか。

「争いを止めること。人が大勢死ぬのを――止めること。それは、お前の願いなんだろ?」

「………」

「……なぁ、違うのか? 私が間違っているのか? 教えてくれ。意味が分からないんだ……お前は、あのとき、己の信念のために。行動したんだろ」

「え、えぇ」

「夢のため――いや違う。この言葉じゃない。――そうだ。理想のために、お前は立ち上がって」

「理想?」

 ツバサはキョトンと、首をかしげてしまう。

「何のことを言ってるんですか?」

 全く、理解できていなかった。


 137


 アヤネ・ベルクは自身の住まい――ヴェルサイユ宮殿を模した建物から、苛々して自室を歩き回っていた。

 豪奢な装飾品ばかりが並ぶ部屋。鏡、自分に与えられた表彰状、自分に届けられた贈り物、それらが透明な棚や額縁によって飾られている。

「ちょっと、あなた何をしてるの!?」

 彼女は、広い自室で円を描いてくるくる回りながら能力を使い、連絡を取っていた。

 相手はあの子だ。

「痛み! あなたね、一体何をやって――はぁ? ちょっと、がんばりなさいよ。ちょ、負けたですって!? もう一度戦えばいいでしょ? 何を逃げようとしてるの? もう一度戦いなさい!」

 彼女は、痛みがどれほど全力で戦ったのか知らず、知ろうともせず……叫んでいた。

「もう、愚図ね! しっかりなさい! そんな、どうせ、怯えて戦うつもりがないんでしょ。嘘つきなさい。一度戦ったとか、がんばったとか、そんな言葉はいらないの! 結果よ、結果! がんばったっていう過程なんて私はどうでもいいのよ! 一番嫌いなのよ、そういうなれ合いみたいな。この楽園教らしいどうでもいい言い訳は!」

 楽園教とは、言ってしまえばシンプルな教えから来ている。

 この際、ここは楽園だとか、幸福だとか、それらを一切まとめて置いておこう。

 わきに置いておこう。

 ようは、楽園教の教えはこうなのだ。


「今がよければ、あとはどうでもいいなんて――あるはずないでしょ!!」


 生きてることが大切。

 命が大切。

 今が大切。

 だから、それを守るために明日も明後日も生きられる安全な楽園教(ここ)を作り、今に至る。

 楽園教とは、狭い檻の中に閉じこもり、夢とか理想とか外部に抜け出そうとする一切の思想を排除して生きて行くための――洗脳を施す教団でしかない。

「あのね、命が大切だなんて思ってるんじゃないでしょうね。ふざけないで、生きてるだけじゃ満足できるわけがないでしょ! 大事なのは、そういうことじゃないの。そんなことじゃ――ああもう、生きてるって言えないのよ! 分からないの!? もっと高く、もっと遠くへ、そうやってドンドン理想を上げることが、ステップアップすることこそが、本当に生きるってことなのよ。ねぇ、分かってるの!?」

 アヤネ・ベルクは普段から鬱憤がたまっているのか。

 吐き出すように痛みに吐き出していた。

「そのためにはあなたの力が必要だってのに……全く、いつまで甘えてのよ、小娘が」

 生きるためには。

 安全を取ればいい。

 生きるためには。

 危険なことをしちゃいけない。

 それは、全て傲慢につながり。下等団員という、身代わりを使う免罪符となってきた。

 皮肉なことだ。

 あの処刑台で大勢の人々を魅了し、震撼させたツバサも実はその楽園教の教えに忠実だった。

 ただ純粋だったのだ。

 だから、外の世界――たまたま見てしまった、楽園教以外で死ぬ人を見て、疑問を抱いたのだ。

 生きることが大切なのに、どうしてあの人達は死んでしまうの?

 死んでしまうことをするの?

 だから彼女は、拡声器を使って訴えたのだ。

 そんなのは間違ってると。

「私はね、そういうのが大嫌いなのよ」

 そして、もう一つ皮肉なこと。

 それは、この権謀術数に浸りすぎたアヤネ・ベルクこそが、楽園教の異端児であり、風穴を空けそうな唯一の人物だと言えることだ。

「何かを目指すとすぐにあきらめて。それが当たり前だよ、それが規則なんだよ。それがルール、正しい、間違い、胸くそ悪い言葉を使って徹底的に雁字搦めにして、行く道をふさぐ。そういうのがホントにホント大嫌いなの。分かる!? ねぇ、ホントに分かってる!? 何とか言いなさいよ、はぁっ!? 何泣いてんの、馬鹿ね。泣きやなさい、ふざけないで! このお馬鹿!!」

 アヤネ・ベルクは立ち止まり、文字通り地団駄を踏んでストレスを解消しようとする。

「あのね……ったく、そう。分かってるじゃない。ちゃんとしっかりなさいよ。ほら、もう一度、その機械族と――いえ、他の方がいいかしら。その、突如乱入した奴らも気になるわねぇ。……んぅ、困ったわ。倒すべき相手が多すぎる。もしかしたら、奴らは誰かの情報部員かもしれないし。いえ、きっとそうよ」

 アヤネ・ベルクはあれほど機械族ともっかい戦え。戦えないなら死ねと言っていたのに、言説をひっくり返した。

「いいわ。それじゃ、そのキャーキャーうるさい男達ってのをやっつけてきなさい」

 よりによって、機械族より難しそうなことを言ってのけたアヤネ・ベルク。

「しっかりなさいよ? もう、怒りとは連絡がつかないし。あなたしかいないのよ。ね? ほら、私だってすごいあなたに期待してるのよ。え、こわかった? 馬鹿ね。これは、愛情が大きいから言ってるの。でなきゃ、こんなに怒るはずないでしょ?」

 ライターを取り出し、煙草に火を点けながら言うアヤネ・ベルク。

「そう――もちろん愛してるわ。うんうん、愛してるわよ。すごく愛してる」

 紫煙を吐き出し、灰皿の上に灰を捨てるアヤネ・ベルク。

「愛してる愛してる。そう、それじゃしっかりやりなさい。まずは奴らを探し出し、そしてしばらく観察し、スキをついて殺しなさい。いい? 絶対よ。失敗したらだめよ。したら、お仕置きだからね。もう一生愛さないわ。この意味分かるわよね? ……いいわよね? そう、やっぱりあなたは良い子ね。私、だからあなたが好きよ。愛してる。ほんと愛してるわぁ。それじゃ、戦いに行きなさい。絶対勝ちなさい。死んだらだめ。絶対に敵を殺して。まだ頼みたいこといっぱりあるんだからね」

 それじゃ、と言って痛みとの連絡を切ったアヤネ・ベルク。

「……すぅー……はぁぁぁっ……」

 紫煙を肺に入れて、吐き出すアヤネ・ベルク。

「……ほんとに大丈夫かしら」

 保険として、他の子達にも頼もうかしらと。

 アヤネ・ベルクは言った。


 ◆


 ■第三ライン、2ブロック。


「……ア、アヤネ様。そ、それでね……あ、あれ?」

 痛み。

 彼女は大きめの道がまっすぐ伸びた道から外れて、建物と建物の間を通る路地裏を――歩いていた。

 全身はズタボロで、着ていた白いローブも所々破れている。いや、七番街にいた頃はこれよりももっとひどかった。あのときと比べたら、全然マシじゃないかと痛みはかぶりを振った。

「ほんと、アヤネ様ったらしょうがないんだからら。い、痛みがいなきゃ、何もできないのね。こ、困った人ね。ほんと、い、痛み、疲れてるのに。痛いのに――も、ものすごく痛いのに。もう……ア、アヤネ様ったらアヤネ様ったら……アヤネ……様……」

 左肘はひびが入り、右肩は打撲。119204号が撃った弾丸のほとんどは防げたものの、それでも髪の毛越しに伝わる衝撃はあった。あれだけ撃たれれば当然だ。しかも最後は、ほとんどロクにガードできずに全弾を喰らってしまっていた。

 正直、歩くのもしんどい。

 火傷だって全身に受けている。

 どちらのふくらはぎも、太ももも、腫れて、ヒビが入って、すごく痛い。痛みは壁に手をつきながら歩いて――いやそれは、もはや壁に這って進んでるようにすら、見える。

「アヤネ……様……痛い、痛いよぉ。アヤネ……アヤネ様っ……っ、うぇっ」

 うぇぇぇぇぇんっ――と、年相応の声を上げて、泣きだした。

 痛み。

 別に何のことはない。

 強力な能力を持っていて、目的のためには手段も相手も選ばない人物ではあるが、何のことはない。

 この子は、ただの子供なのだ。

「っ……痛い、痛いの。ア、アヤネ……すっ」

 銃声。

「……あ?」

 痛みの体は、ふら――ふらっ――と、ふらつく。壁に沿って進むこともできずに、足が砂となって崩れるように転んで、立ち上がることもできずに……誰もいない、前方を見つめていた。

 いや、違う。今、目の前に一人の男が降り立った。

「がちょーん」

 彼は右手に拳銃を持っていた。

 特殊な形状をしていた。地下都市でよく見かけるものではなく、銃身の先端回りが妙に細長い。構造はここらで使われるベレッタやグロックなどと同じようにダブルアクションで、弾も9x19mmパラベラム弾を使用している。

「――ん? あ、あれ。弾が出ない、おいおい、故障か。ワルサーちゅわぁぁん、ぼくちんはまだきみを使いたいんだから、もうちょいがんばってちょ」

 ワルサーP38。

 人類史では有名な拳銃だったらしく、出た当時はダブルアクションにより画期的とされていたようだ。

 もちろん途中からは骨董品のようだったろうが、中にはこれがかっこいい、美的と言って最新の拳銃なんか無視して使い続ける者もいたらしい。この男も、その一人みたいなものだ。

 彼は長袍という、人類史でいう中国という国の民族衣装を着ていた。(正確には清王朝の服)。それは青いロングワンピースのような形をしており、刺繍はなく無地、下にヒモで結ってある短衣というズボンのようなのも履いている。

 そして、肩には楽園教の団員であることを示す白いローブ――ではなく、白いコートを着ていた。それは白いローブを切って、真ん中で分けたかのようなデザインだ。背中には赤く『13』と書かれていた。

「……ん?」

 彼の名は、ウルフロン。

 歳は大いに取っており、楽園教の教祖ことシオン・アカツキとそう変わらない歳である。

 白髪が多く、左右に分けられた短髪。

 シワが目立つが、生き生きとした笑顔を浮かべて老人さはほとんどない。彼は丸めがねをかけていて、それが余計に彼を怪しく見せさせる。

「もしかして、死んじゃった? ま、そりゃそうか」

 ウルフロンは痛みに近づいた。

 痛みは頭のてっぺんから、股まで――弾丸で貫かれていた。

 目に光は灯っておらず、すでに意識もないだろう。

「あー、少し情報聞きたかったけど。しょうがないか。ぼくちん、弱いしね。迂闊に能力者とやり合ったら、すぐ負けちゃうし。ねー」

 と、そばには少女がついている。

 彼女は白いローブを素直に着ていた。少なくても、ウルフロンみたいにコートを肩でかけるだけってことはしない。彼女の髪は銀で、髪型はボブカット。常に無表情で、顔が整っているから余計に人形のようにと感じてしまう。

「金魚ちゃんは無口だねー。まったく、おじちゃんは寂しいぞっての。……さて、どうしたもんかな。あまりにもあっさり、情報部員を殺しちゃった」

 でもいいか。と、ウルフロンは言った。

「これで、シオンの頼まれ事が一つ達成していく……」

 彼は、しばらく見る方向を変えて、痛みを見つめていた。

「………」

 そして、周りを確認。

「ふむ」と、彼はズボンのひもをほどき、下半身を露出しようと。


「うわああああああああああっ――!!」


 炎が、きらめいた。

 ウルフロンは慌てて後退し、ヒモを結んでズボンをはき直す。

 片手。

 これらの動作を全て、片手で行っていた。意外と器用だ。

 空洞の長袍の左袖――ゆらゆらと揺れる。

「……誰だい、きみ?」

 ウルフロンは笑みを浮かべながらたずねた。

 炎を放ったのは、突如真上から下りてきた男だった。

「それはわしのセリフじゃけんのう……」

 虎柄のバンダナを頭に巻いた男。

 CAT。

「質問に質問で返すかい。先に名乗ったらどうかな。礼儀に反するよ?」

「貴様は礼儀以前の問題じゃい……」

 CATは、この世のものとは思えないという目つきで――ウルフロンを睨んだ。

「貴様、この子に何をしようとした!?」

 炎は、路地裏に倒れている痛みを傷つけないようにそれていた。

「え、分からない? 死体ってね、案外気持ちが良くてね」

「……あぁ」CATはしばし考えたあと、ぽんと手を叩いた。「なるほどそういうことか」


 こいつ、ゴミクズだ。

 真性のクズだ。

 それが分かった。


 CATは、手に持っていた鉄バットを垂直に構え、ウルフロンを倒そうと意気込む。

「おやおや、いきなりの登場でそれかい。荒っぽいね。きみもいい歳だろ。おじちゃんに優しく、ここは見逃してくれないかい」

「黙れ」しゃべるなと、低い声のCAT。「こんな女の子の死体をどうにかしようって輩は――ブチ殺す方が世のためじゃ」

「はっ、きみは。さっきまで戦っていたくせに」

 見ていたのか。

 ウルフロンは失笑しながら言う。

「あれはあれ。これはこれ。……戦いだから仕方なかったんじゃ。誰であれ、子供でも大人でも、命を賭けた戦いは奪い合いしなきゃならん。それが、戦いというものだ」

 理解できない。

 という顔で、ウルフロンは聞いていた。

 あほくさっ、とあくびまで出しやがった。

「ねぇ、おじちゃん。あまり戦いたくないな。ここは楽園教だよ。平和的にいこうよ」

「死ね」

 そんなの知るかとCATはバットを振ろうと――する前に、ウルフロンが発砲した。

 ジャムった素振りを見せておいて、フェイクだったようだ。あのときに、近くに誰かいるのを知っていたのか。いや、知らないでやっていたとしたら、ある意味危ない人だ。ジャムだと思っていたCATは案の定驚き、かわすので動きがにぶってしまう。

「今だ!」

 と、その隙をついてワイヤー噴出装置で飛び上がり、消えていった。

 銀髪の少女――金魚と呼ばれた子は、ウルフロンの足にしがみつき、ついていった。

「追うぞ!」

 屋上にいた子達が、すでに追っていた。

「こんなもの……脱ぎ捨てちゃるけん」

 白いローブを脱いで、現れたのは黒いジャージ。

「……やはり、わしにはこれじゃ」

 と、彼は腕に黄色い布を巻いた。

「一番隊大将、まいる!」


 138


 DORAGONは言った。

「もう、手遅れだ」


 轟く。


 突如、建物がゆれる。外を見ると、正門入り口の大きな門ごと吹き飛ばして現れたトラックがあったようだ。フロントにパチンコで使うようなピンを刺しまくったトラック。

「……な、何ですか……あれ」

「だから言ったろ。戦うと」


 ――戦え。

   負けるな。

   戦え。

   負けるな。

   戦え。


   お前の名を、知らしめろ。


「……私達は、弱者だった」

 懐かしそうにつぶやくDORAGON。

「最初はたった三人でな。そして、五人になり、八人、十三となって今に至るが――戦術は昔から変わらない。少数精鋭によるゲリラ戦闘および奇襲作戦だ。敵もまさか、内側から襲われるとは思わんだろ?」


 ――お前に問う。

   それでいいのか。

   お前に問う。

   これでいいのか。

   悪いなら正せ。

   許せないなら抗え。

   何もかも認めるな。

   何もかも見捨てるな。

   お前が本当に欲するモノ。

   求めたいモノ。

   そのために、命を示せ。


「私達はな、常に戦う相手から裏切り者を見つけるんだよ。そう、今回のように暴動が起きたのもそうだ。裏切り者――正確には、敵の中でくすぶってる者。不満を抱いている者。反乱分子を――使って、裏切らせるのさ」

 それは、人類史で使われた方法に似ている。

 原住民を駆逐するために、敵対する部族を使って争わせたり。

 反乱分子である国家を転覆させるために反体制勢力を作らせたり――。

「そうすれば、いくら私達の数が小さくても。少なくても。勝てるのさ」

「……で、でも」

 それでも圧倒的な差がある。

 楽園教は各街に信者がいて、多くの協定が結ばれている。

 それこそ、楽園教を襲ったら一か百の族じゃ足りないくらいの敵が襲いかかってくる。

「ああ、それならもう済んだよ」

 DORAGONは言った。

「その内、八〇%はこちら側に回った」

「……は?」 

 何を言ってるのだろうと、ツバサは思った。

 ここで、彼女の能力が効果を成す。

「………」

 DORAGONの頭の中を読む。

 紛う事なき、真実だった。


 ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ――

   ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ

 ――ウオオオオオオオオオオォォォォンッ


 スピーカーからじゃない。

 生身の声が、すぐ近くでこだましていた。

 大勢の族のように感じる。

「ああ、ちなみにこれな。録音だよ。うちらも厳しくてな、数はそりゃVと比べたら多いけど、楽園教と比べたら米粒みたいなものさ。だから、このように細工を施してもらってな」

「……あなたは」

 ツバサは、聞いた。

「何のために、戦ってるのですか?」

 九鴉にも聞いたセリフだった。

 九鴉はこの問いに答えられなかったが、DORAGONは即座に答えた。

「自分が守りたいもののために、だ」

 そのために戦うと。

 彼は、言った。

「……自分が、守りたいもののため?」

「今回はきみと」

 DORAGONは指で数えながら言う。

「ここにいる人々の意志だ」

 意志。

 抗いたい。

 自由になりたい。

 そういう意志だ。

「い、意志って――そんな、何で」

「意志は戦う理由にならないかい。どうしてだ。形がないからか。形があるものがそんなに立派かよ」

 DORAGONは苦笑しながら滔々と語る。

「意志こそすばらしい」

 形あるものは奪われる。

「油断したら、何もかも奪われる。だからダメだ。それより、もっと――もっと、ここにあるものじゃなきゃダメなんだ」

 と、DORAGONは己の左胸を差して言った。

 それは、心のことを言っているのか。

「そう。ここにあるものなら奪えない。絶対に奪えない。知識や知恵、思想や理想、何もかも奪えない。ここにあるものだけは、絶対的に――自由だ」

 だからかもしれない。

 楽園教は、洗脳に近い形で教えを押し付け、DORAGONがいう奪えないものを奪っていこうとする。

 もしかしたら、こうなることは必然だったのかもしれない。


 ――怯えるな。

   甘えるな。

   言い訳を考えるな。

   負けることばかり考えるな。

   許されたいと願いなんてするな。

   お前は進め。

   進め。

   進むんだ。

   ひたすら、前へ。

   ひたすら、前へ。

   戦え。

   突き進め。

   戦え。

   突き進め。


「……あなた達は、一体いつからここと戦おうだなんて……」

 分からない。分かりたくない。

 もしかしたら、ずっと前からだったのかもしれない。

 もはやこれは、絶対に交わることのない平行線だ。

 思想が、相まみえることはないだろう。絶対に。

 だから、戦うしかない。

 ツバサの事件に関わったのは意外だったが、こうなることは必然だった。

「……じゃあ、どうしてアタシを助けたの?」

「キレイだったからだ」

 またしても即答。

「きみが見せた空が――泣きたくなるくらい、キレイだった」

 九鴉も、119204号も、『イナズマ』も、そしておそらくは――いや、陸王丸は違うかもしれないが。

 基本的に、あの処刑場で集まったメンバーは全員が全員、そこだけは同じだったのだ。

 それぞれ、生まれ育った環境も。

 族も。

 能力も、

 思想も。

 考え方も。

 感じ方も。

 ほとんどが違っていた。

 だが、ほとんどが違っていただけだ。たった一つ――たった一つでも、あそこにいたメンバーに共通していたものがあった。

 あの青空だ。

「DORAGONさん……DORAGONさんは……」

「………」

 彼は、ツバサが何を言おうとしてるのか察している。

 分かった上で、何も言いたくなかった。

 止める気もなかった。

「その、キレイなもののために、誰かから何かを奪う気なんですか?」

「………」

 何も分からないくせに。

 知らないくせに。

 さっきだって、何だかんだで思想は楽園教一色で。

 それなのに、この子は自分が見たくもない核心をついてくる。

「容赦ないな」

 苦笑してしまった。

 余裕があるからじゃない。

 余裕がないからこそ、笑った。

 笑うしかなかった。


 139


 ■貴族エリア、東区。


 フリード・ニコルソンの住まいでは、大騒ぎとなっていた。

「な、何なんだこれは!?」

 小太りの男が何か言っているが、それはどうでもいい。

 一同がリビングで見ているテレビには、過激化する暴動が映っていた。

 ほとんど者はここでようやく、恐怖の欠片にふれていた。やっとのことで、彼らは自分達がもしかしたら殺されるかもしれないと、危惧しはじめたのだ。正直な話、これまでは完全になめてかかっていた。

 所詮は、下等団員。どうせ、すぐに終わると。

 侮りまくっていたのだ。

「……っ」

 フリード・ニコルソンも、周りに合わせて不安そうな表情を浮かべる。

 右手でクチをかざし、眉間はしわ寄せ。

(フフフッ……)

 だが、本当は違う。

 笑っていた。

(これで、免罪符が生まれた)

 これで、あの女を殺せると。心底うれしそうに、笑いがこみ上げるのを堪えていた。


 140


 ■第三ライン、1ブロック。


 下等団員達が住まう宿舎。

 ここで、一時間ほど前はどうだったかというと。

「ほら、壁について、腕を回せ!」

 昔の警察官よろしく、両手を頭のうしろに回し、体は壁などに向いてひざをつけさせられる下等団員達。

 ここの中には子供や妻や夫らしい姿も見受けられる。家族連れでここに来る者も結構いるようで、運悪いことに、他の暴動で出払ったところを、捕まってしまったようだ。

「おかあちゃん、これ、いつ終わるの?「しっ」

 暴行。

 何かあるとすぐ騎士団――マダヤ騎士団の者は暴力を振るった。子供が殴られ、母親も殴られた。とくに理由がないときでも殴り、何か睨んでるような気がするって理由でも殴った。あ、こいつ、情報部員だなって思っただけでも殴り、蹴っ飛ばした。


「――どうだ、いいだろぉ。そーれ、ほーれ、はっはっはっはっ!」


 そして、この騎士団の大隊長を務めるマダヤ。

 彼は、護衛二人を連れて宿舎の中に入り、個室に入って特別尋問を行っていた。名前だけだ。やってることは強姦である。護衛の二人も別々の部屋であえぎ声を出させていた。



 ――さて、現在の話をしよう。


「うわああああああああああああああああああああっ!!」


 マダヤ大隊長は逃げていた。

 おかっぱ頭は乱れ、鼻の下の細いヒゲは意志を持ったかのように震える。

「ひいいいいいいいっ、た、助けてっ!!」

 彼は全裸。

 細身で、最近運動してないだろう、たるんだ体を宿舎中に披露していた。

 宿舎の中にいた人はほとんど外に出て尋問されてるかと思いきや、まだ中に残っていた者も多く、ときおりドアを開けてはマダヤ大隊長を見てクスクス笑っていた。

(何だ、何なんだ一体、さっきまでは普通だったのに。さっきまでは何事もなかったのに!?)

「何故、逃げるのです?」

 おかしいじゃないですか、と。

 マダヤのうしろから、ひたひたひた、と追ってくる姿があった。

 長い黒髪の女性。先ほど襲われていた女性だ。

 彼女も裸だ。

 ふくらんだ乳房に、熟したニオイを醸し出す柔らかそうな腰周り、肌――おしり。太もも、ふくらはぎ。もっちりとしてそうで、それでいて無駄な肉はほとんどない。柔らかそうに見えるが、それは体質のせいだろう。実際は脂肪分はほとんどないらしい。

 長い黒髪はあまり揺れない。

 彼女はそれほど早く動いていない。

 何せ歩きだ。歩いて追っているのだ。

 いや、それにしては多少早いが、早歩きだが、それでも彼女が本気を出していないことは確かだ。

「どうしたのですか。あなたはワタシを犯したではありませんか。それでは、約束が違います。暗黙の約束です。ワタシはあなたに犯されたのですから、あなたはワタシに殺されるぐらいのことはしないと」

 ひたひたひたひた、と彼女は追っていく。

 おかしい。

 マダヤは全速力で走っているのに、はぁっ、はぁっ、と息を切らして走っているのに、全然引き離せない。糸でつながってるかのように、歩いてるだけで彼女は追ってきている。追いつけそうである。彼女の声から逃れられない。

 いやホントのことをいうと、マダヤが焦りすぎて転んだり、転びそうになっていたりして、それでいくら走っても走っても引き離せないのだが。

「約束違反です。殺しますよ。殺した上でさらに殺します。骨を折って、いえまずは皮ですか。爪が先ですかね。爪を剥いで、いや折りますか。折って、抜いて、皮を剥いで、ここが難しいですね。ワタシの腕でできるかどうか不安ですが、がんばります。応援してください。待ってください、殺せないじゃないですか。何故逃げるのですか」

 裸の女性は、雪のような白い肌をしている。

 吸い込まれそうなほどの引力を――持っている。

 もしかしたら、だからなのか。だから、逃げられないのかとマダヤは恐怖につつまれる。

「はぁっ……ハァッ……あっぁぁっ……アアアッ!!」

 ひたひたひたひたひたひたひたと歩く女から逃げられない。

 彼女は股間からポタポタと白い液を垂らしている。歩く度に乳房は揺れて、おしりもぷるんと動く。宿舎で隠れていた人々は我慢できずにドアを開けて、盗み見してしまう。中にはこの最中に一人で済まそうとする者がいた。

「助けてくれっ!」

 無茶な話だ。お前は誰を助けたというのだ。

 女性は追っていく。

「お待ちなさい。約束違反です。ワタシはあなたを殺さなければ」

 階段を下りる。

 階段を下りる。

 階段を下りる。

 外へ出る。

「た、たすけてぇっ!!」

 全裸でマダヤ団長が現れたことに騎士団の者、唖然とする。

「お待ちなさい、まだ逃げるのですか。お待ちなさい、約束が違います」

 ちなみに、約束なんてしていない。

 騎士団の者は、裸の女性まで現れたことにさらに驚いた。

 いや、それだけじゃない。「うっ」と、股間を隠してしまいたくなるほど、魅力的な女性だった。

 彼女は裸足。

 足の裏は固い石畳を平然と歩いて行く。

 ひたひたひたひたと歩いて行く。

「お待ちなさい」

「お、お前等! いいから撃てっ! 撃っちまえ!」

 愚かだ。

 どうなるかは、先ほど見たはずなのに。

 彼は、あの部屋で拳銃を撃ったはずなのに。

 全ての弾を。

「撃てぇっ!」

 騎士団一同が、銃器を構える。短機関銃、弾は拳銃といっしょだが、連射性能が違う。一斉に銃声とマズルフラッシュ、薬莢が残像のようにあとで石畳を鳴らし――「お待ちなさいって」女性は、全然効いていなかった。

「……な、何なんだ」

 女性の顔は端正ではある。

 左目の下に泣きぼくろ。

 白い肌。

 吸い込まれそう。 

 唇は紅を塗っていないのに赤々としていて、両目は眉毛が濃いのだが、丸目であり鹿のようにかわいらしかった。

 騎士団は横一列になって隊列を組み、射撃した。

 ひたひたひたひたひたひたと、女性は正面から近づいて行く。

「来るなあああああああっ!」

「まだ、ワタシは命をもらっていません」

 弾倉を外し、再装填。撃った。

 効いていない。

 カチンッ、カチンッ、という金属音のようなものだけが響く。

 女性は騎士団達の前に立った。

 バコッ、と近くにいた者の頭を殴り、凹ませる。

 本当に、凹ませた。

 頭蓋骨は泥をボールで押したかのように凹んで、死んだ。中の脳はぐしゃぐしゃに潰れ、ほぼ即死だろう。

 周りは震撼。そんなのおかまいなしと、進むのに邪魔な壁は殴って強行突破。荒々しいものではなく、握手を振り払うようにゆっくりとした、落ち着きのある動きだった。それだけで、マダヤ騎士団は騒然となり、滅ぶ寸前となっていた。

「たすけてえええええええええっ!!」

 マダヤ大隊長は大絶叫を上げて、自分一人だけ逃走する。

「おやおや、仲間を見捨ててとは随分と行儀正しいですね。ワタシも見習わなくてはなりません。一つ、ご指導願えますか? あとから、新たな部下達も来ますから」


 マダヤ騎士団の一人が、思わず宿舎の方を見てしまった。

「あ?」

 宿舎の一階の窓から、入り口から、続々と人が出てきていた。


「姐さーん! 布忘れてますよー!」

 下等団員らしい中年男性が、黄色い布を振り回す。

「あとで受け取ります」

 ひたひたひたと、裸の女性は殴打に忙しい。

 えっせ、ほいせと、屈強な騎士団員達を凹ませ、窪ませ、パンチの嵐をお見舞いしていた。

 ごつっ、ごつっ、ととても人が出せる音じゃないのが反響する。

「我が名は、FLOGフロッグ。あとで名前を調べたらショックでしたが、今では大好きな名前です」

 彼女――FLOGは言う。

「さあ、そろそろ本気で追いかけますよ」

 後方で、新たな部下達の一人が言う。


「そろそろ、服着てくださーい!」


 そんなの知らぬ存ぜぬと、FLOGは駆け出した。

 ここから、マダヤの真の恐怖がはじまる。


 141


 ■第一ライン、2ブロック。


「……あぁっ……」

 タマ大隊長は、体のあちこちを斬り裂かれ、今にも死にそうである。

 出血多量。

 これでもまだ生き長らえてるのは、相手が楽しみのために猶予を与えたから。

「へー-、まだ生きてるんですね。意外です。あはっ、ボクさ、あまり斬るの慣れてないからさ、ごめんね。あと五万回ぐらい斬れば慣れると思うんだけど」

 だから、あまりうまく斬れなくてごめんね。

 無駄に痛いでしょ?

 と、彼は笑みを浮かべながら言った。

 裸のタマ大隊長。

 裸の少年。

 犯されていたのは女性ではなく、男性――少年だった。

「ボクの名前はFOX。知ってた? 知らないよね。ボクね、牙の五番隊大将なんだ」

 四番街の族『牙』には、十三の部隊がいる。

 元々は十三の地区に分かれていた街だったために、十三の地区から代表者を選出しなければならなかったのだが――今じゃもう、誰彼かまわず、強い奴が大将――それぞれの部隊の長として選ばれる。

 この選出は大将が推薦して新たな大将を選ぶか、もしくは大将が死んだことにより急遽次の大将を選ぶか。

 もしくは、大将と命がけの決闘をして決めるか。

「ボクね、これでも強いんだよ? 強すぎて、前の大将ブッ殺しちゃった」

 てへっ、と笑う少年。

 体は細く、小さい。

 身長は少女と見間違うほど。

 顔立ちもまつげが長く、すらりとした鼻梁のため、なおさらだ。

 白い肌は筋肉は見つけにくいが、実は引き締まっており、腕力も相当なものがある。

 彼の両手には二本のナイフ。

 おしりからは白い液が垂れているがふこうともしない。ケラケラと、死に行く男を笑う。さっきまで、自分を支配していた男を笑う。

「ボクね、こうやって愉しんでた奴を嘲笑うのが大好きなんだ。何か、そういう奴をいじめると楽しいじゃない。まさか、自分はやられる側だとはって本気で疑ってないからさ」

 と、ケラケラ。


「……あっ」


 タマ大隊長は、意識が薄らいでいく。

 せ、せめてもと、少しの慈悲をくれ、と――彼は手を伸ばすが。

 その手を、ナイフで斬りつけられた。

「さわんなよ」

 FOXは無表情で言った。


 ――争い、戦え。

   生き急いで、戦え。

   負けるな、戦え。

   暴れろ、戦え。

   戦え。

   戦え。


 142


「――あああああっ!!」

 ツバサは絶叫する。


 ■五番街、正門入り口前。


 床に倒れてのたうち回り、頭をかかえて叫ぶ。

「お、おいっ」

 流石にDORAGONも冷や汗を垂らして、駈け寄るが。

「――が――ぅっ――」

 痛みは治まることはない。

「――こ――こえ――」

「は?」

 DORAGONは首をかしげるが、すぐにその言葉の意味を知る。

「能力、か」

 ツバサの能力。

 DORAGONの推察通り、彼女を意識しただけで彼女と意識がつながってしまう能力。

 それは、ただでさえツバサの負担が大きい能力であった。何せ、能力の発動条件が簡単すぎるのだ。

「――あっ、うぅ」

 あまりにも簡単。

 つながろうと思わなくても、下手すれば街角にツバサのポスターがあっただけで彼女と意識がつながってしまう能力。それ故に絶大ではある。一度意識がつながれば、彼女は相手の記憶さえも垣間見ることができるし、大勢の仲間と一斉に連絡を取り合い、戦略を用いた戦い方も可能ではある――だが、その分、負担は計り知れない。

 よりによって能力者に目覚めた瞬間というのが、彼女に注目が浴びせられた場面。

 処刑台の上で起きたので、余計にだ。

 だから、これまでツバサは大いに体力を削られていたのだが。

「い、いたいっ――」

 今回の暴動により、さらに負担は増大した。

「いたいよぉ――」

「ツバサ!」


 ――意識は、闇に呑まれていく。


 スピーカーからの歌が混ざっていく。



 ――戦え、負けるな。

   戦え、従うな。

   戦え、うろたえるな。

   戦え、怯えるな。

   戦え。

   戦え!

   戦えっ!

   お前の名を知らしめろ!


 その歌声に比例して、人々の声は膨れあがり、歓声は、狂乱は、過熱さを増していく。

 人々の声は怨嗟となり、人々の走りは進撃となる。

 雄叫びは大砲、絶叫は祝福、高らかに弱者の反撃がはじまる。今日こそは強者が踏みにじられ、圧倒的マジョリティが靴を慣らし、鉄槌を下すと。

「――やめ――やめてっ――」

 それは巨大な嵐だった。

 破壊の衝動は方向となって手当たり次第に破壊するが、その方向は目に見えない。目に見えないから、見た目は建物が斬り裂かれ、砕かれ、燃やされ、爆破され、を他人事のように眺めるしかない。何もできない。この光景に、もはや何もできない。

 暴動は――、一個の生命体となる。

 そうなるともう、五番街ごときじゃ対処出来ない。いくら強大といっても一個の宗教では――楽園教ごときが、人類をこれまで脅かしてきたものの正体に、立ち向かえるはずがない。

「――ぁ――っ――」


 ■第三ライン、5ブロック。


 映像が見えてくる。それぞれで起きる暴動。破壊、殺戮、怒り。憤激。怒号、激情、激昂。

「やめてっ!」

 第三ライン、2ブロックで起きた暴動を止めるために、急遽応援が駆けつける。

 彼らは本来なら、ヤスキ騎士団の一員であり、中隊の一つなのだが、極秘でダンネルと陸王丸の戦いを監視していたために、ここからの出陣となった。

 いや、実は監視していたのは他にも数組あったのだが。それはまた別の話。

 彼らは、ディディ中隊。中隊長であるディディはまだ年若い青年であり、両親が富んだ人脈を持っていたためにあっという間に出世。『ほら行くぞ、さっさとついてこい!』と、年上の部下達を連れて、車で移動した。本来なら、楽園教のお偉方は車で移動することが多いのだが、今回は緊急時だし、騎士団の者はすぐに駆けつけないといけない――小回りが利くのを選び、車に乗らないことが多かった。だが、この青年は違う。いや、若いからなめられるのを見越して、権力の提示のために必要だったのかもしれないが。

『――なんだ、あれは』

 だが、それは突如終わりを告げる。

『こら、馬鹿。止めろ! 止めろってば!』

 自分よりも大分年上の部下――ディディはまだ二十三歳で、相手は三十代後半だ。彼が運転していたのだが、彼の座席を蹴りつけて命令した。

『………』渋々、その部下は車を停止させる。内心、激しい怒りを感じながら。

 そして、ディディは道のど真ん中で立ち往生してる人物を見かけた。

『あ、あれは――しまった。行け! 進め! あれは敵だぞ!』

 一目で分かる。

 黄色いツナギを着た金髪の女性。まだ年若く、彫りが深いから実年齢より上に見えるが、実際は二十二くらいの歳である。彼女は、ツナギに同化して分かりにくいが、左腕に黄色い布を巻いていた。


「やめてっ――」


 ツバサは遠くの光景を見ながら言う。

 金髪の女性はベルトを腰に巻き、それに刀を差していた。刀を抜いた。それは、居合い斬りのような格好で素早く――そこには誰もいないはずなのに何故か振るっていた。

『――ぶしゅっ』

 車の中にいた、ディディの首をはねた。


「――あ――あぁあぁ――」


 それが、彼女の能力。

『我が名は十一番大将――』金髪の女性は、血に濡れていない刀を鞘に収める。『――FISHフィッシュ


 ■第三ライン、5ブロック。


 ニット帽を被った少年が――能力を駆使していた。

『―――』

『もう、名乗らなきゃダメでしょ!』傍らにいる少女が、代わりに名乗りを上げる。『この方は、十三番隊大将! OWLオウル!』

 一斉に――上等団員達の胴体が、消失して死んでいく。


「――や――だっ――」


 大勢の命が、簡単に失われていく。

 ツバサの願いは間違っちゃいない。

 視野が狭くはあるが、間違ってはいない。

 人は死んだら悲しい。

 こんなの、こんなのは――当たり前のことだ。


 ■第二ライン、2ブロック。


「よっしゃああああああああっ!!」

 黒いジャージを着て、頭に黄色い布を巻き、腹に腹巻きの男――SNAKEはどんどん上等団員を倒していく。敵が密集していたから余計にやりやすかったのかもしれない。軽々とSNAKEは敵の間を縫っていって、関節技を決めて、敵は倒れた仲間に倒されてしまい、ドミノのように崩れて、その間にSNAKEが打撃技で敵をなぎ倒していく。しかもどういう能力なのか、鞭のようにジャブがしなり、蹴りが鎌のように振るわれた。



「あぁ――」


 ■第一ライン、1ブロック。下等団員宿舎。


 裸の女性が――血だらけで、マダヤ騎士団を殴打していた。

 これは、文字通りの光景である。文字に書いてある通りを連想すればい。裸の女性が、銃火器や剣を持った屈強な団員達を弱い者イジメをして、素手でボコボコにして、殺していたのだ。


「――ア、アタシは――」


 ――僕は、こんなの認めない。



 そこで、ツバサの意識が一瞬はっと覚める。


「……お前は」

 DORAGONも、それをツバサのそばで、だが脳裏で目撃していた。

 一人の少年の声が――力強く発せられる。

『僕は、こんなの認めない』

 認めたく、ないんだと。


 143


 ■第三ライン、3ブロック。


 貴族の館から抜け出した九鴉は、建物の屋上から暴動の光景を見渡していた。

「こんなの――認めないぞ」

『お前が認めるなんて関係ない』

 誰かの声が、脳裏に聞こえる。

 DORAGONだ。

『お前に承諾を求めちゃいない』

 九鴉の体が熱を帯びていく。

 それは、怒りだった。

 皮肉にも、怒りの噴火によって起こったこの暴動に対して、彼はまた新たな怒りで対抗しようとしていた。

「こんなの、僕が求めた空じゃない!」

 空は――灰色の空は、また一段とコンクリートの無機質な空である。

 こんなものが、――煙が、天上にのぼっていく。こんなものが――こんなことが、あってたまるか。こんなのを、認めてたまるか。

「僕は殺し殺されにうんざりしていたから、彼女を助けに行ったんだ」

 タクティカルベストのケースから、必殺の武器を取り出す。

 小さな、鎌のようなナイフ。人類史ではカランビットと呼ばれていたものである。


『命を賭けてくるなら、いいさ』


 DORAGONは、九鴉を侮ったりしない。

 身長でいうなら頭一つ分くらいは年齢に差があるが、そんなのは何の意味ももたない。戦いにおいては、状況や場所によって異なるだろうが、どんな場面においても生きるか死ぬか、それだけで決まる。

「………」

 九鴉は、己が取り出したカランビットを見る。

 鎌のように曲がった刃。ゆえに、殺傷能力は高く、切れ味は異常に鋭い。

 人を殺すことを目的としたナイフ。

(いいのか?)

 九鴉はしばし、逡巡したあとナイフを使うかどうかを考えるが――それは、ひとまずおいて。

 だが、これは認められないと。

「――戦うさ」

 一旦カランビットをしまい、そして彼は暴動が起きてる場所に向かった。ここから近いのは、第二ラインの2ブロックだ。あそこなら、建物の屋上を飛びこえていけば、ラインを越えて行けるし、何より一番近い。


 ――俺達は弱者じゃない

   俺達が真の強者だ

   あぐらをかいて、高台に座っていたお前等が

   本当の弱者だ

 ――殺せ、殺せ

   殺戮、殺せ

   殺せ、殺戮、殺せ


 ――考えるな、考えるんじゃない

   今、すべきことを示せ


 144


 ■第三ライン、1ブロック


 119204号は、一部始終を聴いていた。

「……きみは、どうするんだい?」

 ダイチは119204号に聞く。

 いや、口調は真面目だが今彼はアノニマスで背中をつままれて運ばれている。

 そのため、傍目は非常に滑稽なことになっている。

 二人は建物の屋上で一旦立ち止まっていた。

「………」

 119204号は、正直迷っている。

 彼女もこんな暴動は嫌だ。

 耳に入ってくるのは兄が死んだときのように何も関係ない人まで巻き込んでいそうな戦い――暴力の嵐である。

 だが、じゃあ彼らの怒りが共感できないかというと、そうではない。

「………」

 fuck。

 思いっきり、共感できていた。

 人を人と思わない所業。彼女がこれまで見てきた上等団員は、ツバサやダイチをのぞいたら、全員が全員そういう目をしていた。

 教祖も。

 ダンネルも。

 もちろん、彼女が機械の点検に行ったことある貴族の館――ツルギ家のあの馬鹿も。

「………」

 だから、彼女は一歩を踏み出せないでいた。

「なあ、頼みがあるんだけど」

「………」

 無視。

 ダイチはそれでも聞いてもらおうと、声を上げる。

「オレの意見で悪いけどさ。……助けてあげてくれないかな。上等団員のことを」

「………」

 119204号は、うつむいていた顔を上げる。

 一瞬、声を出そうとしたが――やめた。


 ソレハ、かとうだんいんをたおセト?


 下等団員を倒して、上等団員を救えといことだろうか。

「……ちがう」

 だが、ダイチは否定した。

「すごく無責任で最悪なことを言ってると思うかもしれない。だけど聞いてほしい。オレは……下等団員も傷つけないでほしい」


 むじゅんシテル。


 そんなの、できるはずがないだろ。

 多少のケンカならまだしも、ここまで激情に包まれた暴動はもう同じ暴力でしか止められない。

「暴力で彼らを止めてくれ」

 殺さないで、と。

 119204号は、銃口をダイチに向ける。

 それは――お前は、私をなめてるのかと。

 そんなことを、平然と言えるような間柄のつもりかと。

 あのとき、仲間になる云々なことを言ったが、それは奴隷になるってわけじゃないという、119204号は意志を込めていた。

「ちがうんだ……ちがう、上等団員は……確かに、これまで下等団員――いや、四等や五等団員に、ひどいことしてたけど、でも」

 ダイチは言う。

「上等団員にだって……良い人はいるんだ……」

 いや、悪い人は死んでいいってわけじゃないけど……と最後につぶやいてもいた。

 彼は、悔しそうにうつむき、両手を握りしめる。

 何もできない悔しさ。

 それこそ、九鴉や119204号のような強さがあれば、力があれば、違っていただろうに。

 彼は能なしで、だからって九鴉みたいに体術で戦えず、権力もない。

 ただの、子供だ。

「………」

 不思議と、119204号は拳銃を収めた。

 何故だろうか。

 逆に、何もないダイチだからこそ、その言葉は重くひびいた。

 何もなかった彼だからこそ、119204号に頼み事をするなんて――怖かったに違いない。冗談とはいえ撃たれたこともあるし――あまりにも、力の差がありすぎる。機械を使ってるとはいえだ。

「………」



 数十分前。


「……ありがとう」


 ――……。


 応答はなかった。

 九鴉と協力して、痛みや、CATを倒したあと。

 119204号は母から逃走しながら、九鴉にお礼を言ったのだ。

「……あ?」

 応答はなかった。

 どうやら、そのときはもう、九鴉と脳内でのやりとりは切れてしまっていたようだ。

「――っ」

 理不尽ではあるが、何だかそれが九鴉に馬鹿にされたようで、119204号の怒りは九鴉に向けられたが。



 現在は違う。


「………」

 九鴉に同情していた。

 せっかく、新たな道を見つけたのに。

 人を殺さない道が見つかりそうだったのに。

 あの、あの戦いは――そうだったんじゃないのか。

「行こう」

「え、えぇっ!?」

 突然声を発せられ、とまどうダイチ。119204号はそんなの知らぬと、ローラー靴を動かして移動する。


 145


 ■第二ライン、4ブロック。

  中央広場。


 陸王丸は、灰色の空を見つめていた。

 彼は、仰向けに倒れて見つめていたのだ。

「……アァッ?」

 彼自身、驚愕していた。

 まさか、倒されるとは。

 まさか、自分が倒されるとは。

「………」

 突如、現れた乱入者に。


「弱いねぇ」


 ガタイが良い女性。

 陸王丸よりは頭一つ分は小さいが、しかし、肩幅はそこら辺の男よりも広く、筋肉も隆起が激しく、それぞれの部位が鉄でできてるかのようだ。

 彼女は黒のタンクトップに、下は迷彩のズボン。

 右腕に、黄色い布を巻いていた。

「三番隊大将、LIONライオン

 髪はドレッドに編まれた黒の長髪。

 彼女は石畳に倒れた陸王丸を、圧倒的高さから見下すように一瞥していた。

「……きさまっ……」

 陸王丸が、立ち上がろうとする。

 1か0という、ある意味地下都市で一番割り切りのいい六番街の戦士が、あろうことか立ち上がろうとした。この結果を、認められなかった。

「こ、この程度でオラをっ……」

「いや、この程度だよ」

 LIONは拳を横に降り――陸王丸の意識をもぎとる。

「――っ」陸王丸は意識が「――」

 物理的に破壊されたかのように、消えてしまう。

 彼は、石畳に再び倒れた。

 これでも首は折れてないのだから流石だ。実はパンチ――いや、フックの前にジャブを放っていたのだが、それでも死んではいない。

「だが、それだけだ」

 技術もない相手じゃ、このLIONは倒せない。彼女は肉体強化系の能力者。

 だが、能力者としては二流程度で……だからこそ、それを補うように技術を高めていった。

 そして今は、大将となるほどの実力を持つ。


「おとうちゃあああああああんっ!!」

「パパアァアアアッ!!」


 子達の声が聞こえる。

 少年――Sと、少女――Iが、LIONの元に駈け寄ってきた。

「……っ」

 彼女は素直に受け入れていいのか。というか、父じゃないだろ父じゃ。いやそもそも、お前等は本当にわたしの子供ってわけじゃねーよ。など、言いたいことは山ほどあるのだが、子達の笑顔を見ると何も言えなくなる。


「待てぇっ!!」


 その幸福を、無粋な声が邪魔をする。

 睨め付けるように、相手を見るLION。

 宿敵を軽々と打ち破った相手に――ダンネルは、もらしながらも、懸命に戦おうとしていた。

 彼は、未だに折れた剣をにぎって立ちつくしている。

 ぶるぶると、腰は震えてる。

「た、ただがえっ……」

 涙は何度流したか、ほとんど枯れて、流したあとしか残っていない。

 歯はガチガチガチと震えている。

「わだじど、だだがえっ」

 彼は恐怖していた。戦慄していた。戦いたくなかった。こわかった。だけど、戦わなきゃ彼は死んでしまうのだ。一番大切なものを、ここに永久に置き去りにしてしまうのだ。だから彼は、どんなに辛くても戦うことを選んだ。

「………」

 LIONは、それを嘲笑ったりはしない。

 子二人もそれを見ると駈け寄るのを停止し、一部始終を見届けることにした。

 LIONは静かに構える。

 両足を揃え、つま先立ち。それでいて、ひざはどちらにも動けるように中腰姿勢で体重を受けとめる。

 両手は、両側に広げて腰の位置ぐらいに構えていた。

「来な」

 ただ一言。

 ダンネルは、陸王丸とは違う強さを目の当たりにした。ある意味でそれは、陸王丸よりも厳しかった。こちらの全存在をかけた決意を受けとめるからこそ、これで敗れたら何もかもが終わってしまう。はなから相手にする気などないとなめきっていた陸王丸は、好きになれる要素がどこにもなかったが、ある意味ではそれはラクな相手であった。そんなの、ただの殺し合いだ。

 だが、これは違う。

 決闘だ。

 互いの尊厳と尊厳を賭けた、人間にしかできない。

 いや、人間を越えた者にしか許されない。神聖な儀式。

「……っ」

 ダンネルは泣きそうであった。ここで、こんな相手に出会うなんて。

 彼は、死ぬ寸前に天使に召されるような気分になるのを――かぶりを振って払った。

 何を考えている。

 そんなんで、勝てるとでも思ってるのか。

 ダンネルは勝つ気でいた。

 いや、そうでないと意味がない。

 でなきゃ、何のために戦うというのか。

 ダンネルは、声を高らかに剣を振りかぶって突撃した。


 ――ここから起きることは予定調和のようなものだ。


 ダンネルの顔はまるでLIONの拳に吸い込まれるかのようだった。

 そのくらい自然にLIONの拳が迫り、彼は顔を殴られて、二回転ほどしてもんどり打って――倒された。

「良しっ」

 誰に言ったのか。

 LIONは、一言だけつぶやいた。

「おとうちゃん!」

「流石だよ、パパ!」

 子達が彼女の元に駈け寄ってくる。

「……ほら、騒いでないで行くぞ」

 LIONの行く先は決まっている。

「このまま突き進むぞ……奥まで」

 目指すは、教祖がいる大神殿。

 そんなの理由は一つだ。この戦いを本当の意味で終わらせるためだ。


 146


「………」

 AKは、路地裏で死んでる痛みを見つけた。


 ■第三ライン、2ブロック。路地裏。


 痛みは、頭の先から撃ち抜かれて死んでいた。

 伸ばした手は誰にやろうとしていたのか――あまりにも空しい。

「実はさ、どうやって死んだのか見ていたよ」

 アノニマスで、それくらいは分かる。

「……お前はさ、あんなのに殺されたんじゃないよ」

 死体を犯そうとする奴なんかに。

 違うんだ。

 あんな奴に殺されたんじゃないんだ。

「………」

 痛みの顔は、苦しみと悲しみで壮絶なものになっていた。

 AKは、そんな彼女の顔を抹消するかのようにAKライフルで顔を破壊。

 銃声――マズルフラッシュ、排莢。

「アタシが殺したんだ。あいつじゃない、アタシだ」

 このAKが、あんたを殺したんだよ。

 だからどうって話でもないが――しかし、AKにとっては、重要なことだったらしい。

「……騒がしいな」


 ――戦え。

   お前の名を示せ。

   戦え。

   お前の誇りを示せ。

   戦え。

   お前の嘆きを壊せ。

   戦え。

   お前が弱者じゃないことを知らしめろ。


「……さよなら」


 147


 歌がこだまする。


 ――戦え。


 各地で戦えが散在し、暴徒はさらに暴れ、そこに四番街の族『牙』も加わって、どんちゃん騒ぎじゃ収拾がつかなくなっていた。


「ちゅうううううううううううううううううううううう!」


 カラスの姿で飛翔し、全体を俯瞰していた溝鼠は歓喜していた。

 これが。

 これこそが――自分の望んでいた者だと。

「ちゅうううううううううっ!」


 ――お前がここにいることを。

   お前が何者であるかということを。

   お前がこれまで味わってきたもの全てを。

   何もかもここにぶちまけろ。


 曲は鳴り響く。

 ギターは高鳴り、ドラムはドスドス重く、ベースは足場のように支える。


 ――2+2=5トゥートゥーファイブ

   2+2=5

   仕掛けられた首輪

   定められたお前の人生


   2+2=5

   2+2=5

   本当にそれでいいのか

   本当にこれでいいのか

   あとで死にたくなる

   あとで死にたくなる

   後悔

   後悔

   何で、あのとき動かなかったのかと

   あのとき、戦わなかったのかと


   2+2=5

   2+2=5

   戦え


「……いい歌だ」


 ――お前の価値はそんなもんじゃないだろ

   お前の顔はそんなことじゃ笑わないだろ

   無理するな

   嫌なことを無理するな

   吐き出せ

   ブッ壊せ

   ぶっ潰せ

   本当のお前を見せてやれ

   お前の本当を見せてやれ

   ミセツケロ

   たたき壊せ

   フミツブセ

   破壊しろ

   それがお前の名だ


「それがお前の名だ!」


 一体、誰が言ったのだろうか。

 いつのまにか、それはただの歌ではなくなっていた。

 歌というよりもレール。道。ともかく、この暴動の中にいる者達を動かす源そのものと――化していた。


「お前の価値はそんなもんじゃないだろ」

 それは立ち上がるときに使われた。

「お前の顔は! ――そんなことじゃ笑わないだろ!」

 それは、拳を振り上げるために使われた。

「無理するな」

 仲間にいい。

「嫌なことを無理するな」

 自分に言った。

「吐き出せ」

 壊して。

「ブッ壊せ」

 潰した。

「ぶっ潰せ」

 もう、これはただの暴動ではなかった。革命だ。

 何かを変えるための革命なのだ。下等団員達は自分らが何に縛られていたのかを、いつのまにか鎖を忘れていく。解き放たれていく。一つ一つ、鎖が外れていき、重りがとれて、おかげでかさぶたが剥がれるかのようで、痛くて、苦しくても、でもうれしく、泣けてきて、「本当のお前を見せてやれ!」叫んだ。

「お前の本当を見せてやれ!」

 何人言ったか、分からない。

 分かるのは一人や二人じゃない、三人や四人でもない。十人や二十人でもないし、三十や四十、百や二百でもないのだ。

 千を超える歓声が、万に匹敵する絶叫が、五番街を震撼していた。

 弱者とか強者とか、そういう壁さえどうでもいい。

 戦い。

 それが、彼らを解放させた。

 彼らを縛る全てから。

「ミセツケロ」

 ドンッ、ドンッ。

 踏みならす。

「たたき壊せ」

 靴を踏みならす。

 ドンッ、ドンッ。

「フミツブセ」

 爆破が太鼓のように鳴り、絶妙なエッセンスを加える。

 破壊しろと。

「破壊しろ」

 この暴動そのものが叫んでいた。


 ■五番街、正門入り口前。


「それが、お前の名だ」


 DORAGONはつぶやいた。


 148


「待って!」

 建物に取り残され、椅子から転げ落ち、床に這いつくばるツバサ。

 彼女を無視して、そそくさと外に出ていくDORAGON。

「やめてっ――もう、戦いなんてやめてよ!」

「やめないよ」

 曲はリピートされる。


 ――抗え。


 やることはいつだって決まっていた。

 この曲も、何年使ってるつもりだ。

「聞こえるだろ、RABBIT」


  ――戦え、負けるな。

    戦え、屈するな。

    戦え、怯えるな。

    戦え、うろたえるな。

    戦え。

    戦え。


 //

 [何かやばくないか、このままじゃ取り返しの付かないことになりそうだぞ]

 [一体何故、こんなことに]

 [何で思い通りにならないんだ]

 //


「思い通りになってたまるか」

 DORAGONは、まるでここにいない誰かを呪うようにつぶやいた。

 おそらく、その誰かは大いに驚いただろう。

「………」

 外に出たDORAGON。

 空を見上げる。灰色の空。

「……ブッ壊してやる……」

 プログラム達を、完全に認識してるようにつぶやいた。


 149


「……戦いは、もうはじまってるか」

 RABBITも、五番街の正門入り口に向かっていた。

「決着をつけようよ、DORAGON」

 最後の決着を。

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