RUN!!!(3.5) (type[M]:Starting blocks)

 073


 その頃は、氷河という名前だった。

 両親は人類史の知識が多少あったため、娘が強い子になるよう『氷河』と名付けた。

 当初は力強い名だと思ったが、……母となった今は、反吐が出るほど嫌いらしい。

 氷河とは、流動性のある巨大な氷の塊のことだ。

 単に凍った河を氷河と呼ぶこともあれば、山などに積もった雪が低地に下ったものを言うこともある。どちらにせよ、氷河とは自然の流れに抗うことができず、ただ流されるだけのように感じる。

 少なくても、二番街紛争のときはそうだった。

 これまでの日常が一瞬にして砕け散り、食い止めようとしても背後には巨大な力が存在して、しかもそれは一つや二つじゃなくて――

 結局、彼女の手には負えない戦いだった


 だが、幼い頃の氷河はそんなこと考えもしなかった。

 幼い頃。そう、二番街紛争も起きていない頃の話。


「私、外に出たいの」


 まだ、年端もいかない子供だったとき。氷河はいつも両親にそう宣言していた。

「いつか、絶対に外に出てやるもん!」

 当時の二番街は巨大な壁に囲まれていて、要塞と呼ばれていた。

 要塞といっても中にいる人々は平穏な暮らしをしていた。

 地下都市は元々、地上にいた人々が移り住んだ場所であるため、各街にはそれぞれの役割がある。一番街は地下都市の水資源を管理する役割があり、二番街は食料を生産するための役割。(地下都市なのに巨大な自然を作ったのも、環境だけじゃなく住居者の精神を考えてのことだとか何とか)だが、皮肉なことに地下都市の人々は二番街を手にしようと、我先にと武器を取った。そう、彼らの中から共存とか協力という言葉は消えてしまったのだ。

 みんなのために、と花を植えても、人々は平然と踏みつぶす。

 それが、二番街で最初に起きた戦いだった。


「………」


 そんな過去も知らず、氷河はいつも巨大な壁を眺めていた。

 まるで、空を仰ぎ見るかのようだ。

 自分の存在を簡単にくつがえす巨大な存在――そんなものを勝手に敵視して、乗り越えてやると意気込む

「いつか、越えてやるんだから」

 氷河は、拳を壁に向けて睨みつけた。

 皮肉かな、その目標は予想外な形で達成してしまう。


 073 α


 二番街の中で、突如内乱が起きた。

 キッカケは、二~三件の火事からだ。

 犯人と疑われたのは数名いて、彼らは二つの種類に分けられる。

 一つは、二番街を勝ち取るための戦いで罪悪感を抱いた(と思われる)者。

 もう一つは、戦いのときに敵側に仲間や知人がいた者だ。

 最初は疑いだけだったのだが、罰する側が段々と熱を上げて止まらなくなり、死刑にしろとまで発言されて、処刑されそうな側もそんな言い分なんて聞けるかと憤り、最終的には規模は小さいが内乱となった。


 そして、それを狙い澄ましたかのように外から敵が現れた。

 敵は、一度目の戦いで負けた者達――二番街に住めなかった者達が主力だ。

(――いや、それだけじゃない。あろうことか彼らは楽園教の助けを借りて攻め込んできた。曰く、この楽園の中で最も健やかな土地を独占し、食料生産ラインを占領するなどありえない、ということらしい)

 実際は畑を耕すのも、家畜を飼うのも二番街だけじゃなく他でもできるが。いや、だからといって当時の二番街が褒められたわけじゃないが。……しかし、それにしても楽園教がしたことは許される事じゃない。

 楽園教が送り込んだ者のほとんどは下等団員。上の階級はほとんどおらず、教祖や六門委員会にいたっては遠くから眺めてただけだ。

 いや、これだけならまだよかった。

 協力といっても、楽園教が送り込んだのはやる気のない下等団員ばかりで、なっても弾丸かバリケード代わりぐらい。それだけなら、策を講じれば二番街の者達でも対処できたはずだった。


「何で、仲間同士で戦わなきゃいけないんですか!?」


 当時、一五歳になったばかりの氷河には理解できなかった。

 予想以上に、内乱による溝は大きかった。勢力は二つに分断され、処刑されそうだった側は敵に寝返った者もいたし、何より彼らは自分らを処刑しようとした者達を仲間と――いや、人間だとは思えなかった。

 結果、それにつけこんであらゆる勢力が入り込む。

(まるで、人類史をなぞったかのようだ。植民地を得るために――先住民を――ポーランド分割――いやいや、米ソ冷戦時代の代理戦争etc.(エトセトラ)……)

 一番街は様子を見ながら、楽園教の力を削りたいと考え、二番街を守ろうとする勢力に協力した。

 三番街――当時は、ノザキという男が中心となっていた族は、表向きはどこにも協力しないと宣言した。(これは嘘だったが)

 四番街はこの頃、代表となる族は存在せず、有象無象の集まりがのさばっていた。故に、四番街のが参加するといっても、攻め込む側、守る側、どちらにもいくつもの族がついたし、ときには自分らにとって邪魔な族を攻撃するためだけに、ややこしい暗躍をした者もいた。

(楽園教はさっきのとおりで)

(六番街は無関心)


 ◆


 当時のVR


 プログラム4は叫ぶ。

[よっし! これは史上稀に見る大イベントだぞ!]


 まぁ、一番得したのは彼らだったかもしれないが。


 073 β


 絶体絶命の中、それでも氷河は戦おうとした。

 大人は駄目だ、アテにならないと。彼女は子供達を集めて武装集団を結成。

 大人達から武器を奪い、二番街に攻め込む敵を倒そうとするが――返り討ちにあう。それどころか仲間を人質に取られ、その仲間の親は何も出来なくなり、状況は悪化。やがて、氷河の両親は殺され、仲間も誰一人いなくなると、今度は敵が「誰が二番街を取るか」で揉めて仲間割れをし出す。

「………」このときにはもう、氷河は奪われるだけ奪われて心が死んでいた。


 073 β α


 だが、そんな氷河に目をつけた奴らがいた。

 VRのプログラム達だ。


 彼らは氷河を主役にした物語を企画し、彼女の物語を撮ることにした。

 牢獄に閉じ込められていた氷河に人類史で使われていた拳銃を与える。

 それは人類史で使われていた超高性能の武器で、故にそれをキッカケに彼女はまた戦いの舞台に躍り出る。これは運命だ、自分は選ばれた存在だと錯覚し。彼女は幾多の困難もしりぞけ、戦いに勝っていった(になるように暗躍したらしい)。

 そして、氷河はまた仲間を集めた。

 今度は前みたいなことはしない。絶対に……と、慎重に仲間を集めた。裏切ったりしないか、どういう性格をしてるのか、なども考慮して。どうやって戦うか。自分らの弱点は、これだ。なら、どう補うか。以前とは段違いに綿密な計画を立てていく。

(もう、あんなことは……絶対にしない)

 ちなみに、この仲間の中には恋人となる男性もいたが――彼は殺された。(これはVRによる策略の一つ。人気の出た彼女に恋人ができるのはまずかった)

 それでも氷河は戦おうとする。三度にわたる二番街奪還作戦は失敗に終わったが、じゃあ、二番街紛争に関わった奴を全員殺そうと、復讐を企む。だが、これも失敗。四番街の族はいくらか排除することができたが、三番街の族は失敗してしまった。(これで人員がかなり削られる。予想以上に三番街にいた者達は強かった。特に、RABBITという奴は桁違いだったようだ)

 新たな仲間とやらも、ほとんどは自分より若い子供達だ。中には十歳にもいってない子供もいたが、死んだ。殺された。

 殺されてしまった。

「………」

 でも、氷河は止まらなかった。

 いや、逆だ。

 幼い仲間も殺されたから、余計に止まれなくなってしまっていた。

 運が良いのか悪いのか、VRでも彼女のその不屈っぷりは人気となり、彼女を応援する声は多く、支援もたくさん受けた。そのおかげか、彼女の勢いは留まることを知らず、挙げ句の果てには楽園教を乗っ取ろうとまで計画した。

 ここでまた、彼女の転換期がはじまる。一度目はまだ彼女の常識の範疇にあるものだったが、今度は違う。


[我々は、プログラムだ]


 常識の範疇にない者から、彼女は奪われた。

 この地下都市がどうやって生まれたのか、詳細な説明を受けた。さらに、機械の運転や設備などどうしているのか。――裏で、VRにいる者達が何をしていたか、全て知ってしまった。

 人類史でやるような例えをするなら。

 漫画やアニメの登場人物が、自分の人生は漫画やアニメだったと知ったときのような――いや、そんなことなどまず起こりえないのだが――皮肉にも、氷河は現実にそれを体験してしまった。

「わ、私は……」


 073 β β


 それ以降、氷河は人間という存在に疑問を抱き、嫌悪するようになる。

 ……いや、正確には嫌悪というより失望か。

「私は、全て自分で選んだ道だと思っていた」

 未知の武器を手に入れたのも奇跡のような偶然で――運命で――誰かが仕組んだものとは思っていなかった。

 その後の活動も、全部彼女が選んで決めたことだと疑わなかった。戦いも、彼女だからこそ勝てたのだと。


 これまでの人生は、全部自分が選び、勝ち取ってきた、道なのだと。


 だが、全然違っていた。

 裏でプログラム達が暗躍し、氷河を勝てるように細工していただけだ。

 自由意志だと思っていたものは全て誘導による誘導で、何一つ選べたものはなかった。何一つ得たものはなかった。至極大事に誇っていた戦績も、実際は奪われるだけの人生だった。自分のせいで死んだ仲間も、自分を信じてくれた仲間も何一つ報いてやれなくて、結局、最後まで彼女は敗北者だった。


 人間――いや、ニンゲンは、何て無力なんだ。


 こんなゴミみたいな存在。どれだけ現実を懸命に生きて、戦っても、実際はそんなの意味はない。ニンゲンという矮小な存在は、プログラム達によっておもちゃにされるだけだ。無意味で、無価値で、馬鹿で、愚かで――

 氷河は絶望した。

 昔は外に出ることを望んだ。壁を見て、自分は絶対に負けないぞと意気込んでいた。――笑える。壁の外に出て何になる。どちらにせよ、自分が巨大な存在に屈服するだけと分かっただけだ。

 それ以降、彼女は計画していた『楽園教乗っ取り作戦』をやめる。一番街に攻め込もうとしていたのも全て投げ捨てた。

 だが、それでも彼女は大人しくできなかった。

「………」

 街を歩くと、目につくのは幼い子供。

 無力な子供達。

「……あぁ」それを見た氷河は耐えきれなくなった。全て、自分かもしくは自分の仲間だった者と重ね合わせてしまったのだ。


 後日、彼女はVRの者達と取引をする。

「貴様らの言うことは全て従う」

 だが、と条件をつける。

「力をよこせ」

 少なくても、あいつらを守るくらいの力を――

(ニヤッと、VR達はほくそ笑んだ)


 そして、氷河は名前を捨てた。

 いつしか、彼女は仲間内から『母』を連想させる呼称で慕われるようになる。


 073 γ


 それ以後、氷河――いや、母は機械族の長として部下達を束ねる。

 部下となる者は全て女性。

 しかも、能力者じゃない子供達ばかりだ。

(他にも幼少の少年や、手足を失った者、中には病気にかかったものまで仲間にした)


「罪滅ぼしのつもりかい?」


 一度、VRからの使者に言われたことがある。(このときは溝鼠じゃない)

 何故、彼女等のような者を集めているのか、と。

 そう、他では絶対に集めないような者ばかりだ。地下都市では能力者がいるため、女性でも男性に負けない者は数多くいる。……だがそれは、逆をいえば能力者でならの話だ。能力者じゃない女性が辿る道は――母が集めたのはその中でも最も底辺の子供達。少女達だ――他にも、誰も見向きもしない――弱者ばかり。

「弱者じゃないからだよ」

 と、母は返した。

「散々、痛めつけられてきたから――彼女等はボロボロでも生き長らえる術を学んだ。生き残ろうとする意志、力――何より、考える頭。これがなきゃ、みんなやっていけなかったはずだ」

「弱者ではない……ですか。あなたがしてることも慈善事業ではなく、むしろ効率重視。使えるから選んだと?」

「当たり前だろう」母は言う。「優しさなんて言葉に、何度騙されたと思っているんだ?」


 073 γ α


 母は機械族に掟を設けた。

 ・一 馬鹿に関わるな

 ・二 機械を勝手に売るな、許可を取れ

 ・三 馬鹿になるな、常に賢くあれ

 ・四 欲を捨てろ、ニンゲン性を捨てろ


 最初は機械族を四つの班に分けて、部下達の主体性とやらを尊重して、自らは必要最低限の助言をするだけにしようとしたが――次第に、クチを挟むようになり、現在は厳しく掟を徹底した。

 とくに、ニンゲン――他の族や街にいる者達との接触をさけさせた。

 部下達からの不満も多く、混乱も招いたが、母の厳しい躾により自粛。

 部下達は、徹底した指導により段々と主体性を失い、人間性も――まるで、機械のように淡々と仕事するようになっていった。

「ニンゲンのようになるな」

 それを人間が言うのだから滑稽だ。

 VRのプログラムが言うのなら分かる。だが、これを言うのは紛うことなき人間だ。

「……ニンゲンになんて、なるな」

 だが、彼女は力強く部下達に言った。

 その言葉には、彼女が今までどれほど奪われてきたか。泣いてきたかをありありと伝えるものがあった。


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