番外編④ 模造遊戯 -imitation game- SS[74893orKNIFE]

 001


 昔は彼女も、あれこれ考えて生きてきた。

 明日はどうしよう。

 昨日はどうだった。

 今日はどうするか。

 がんばろう。

 がんばろう。

 それを、機械族になってから止めた。

「………」

 小柄な少女、だがその中身は傍目からは分からない。

 彼女を覆うのは緑色のロングコート。フードを深々とかぶり、顔はガスマスクで隠している。

「………」

 彼女は、はるか頭上を見上げる。

 目につくのは灰色の空――コンクリートの空と、それに届きそうなほど高い超高層ビル。

 冨塚ビル。

 七番街――通称、中心路と呼ばれるここのど真ん中近くに――円環状の内側にある、建物だ。

 昔はどういう目的があったのか不明だが、今では非常にカオスな建築物になっている。

 そもそも建物の所有というのは一言ではいえないものなのだが、ここでは複数の族が同時に入居している。一階から三階まではまだいい。ここまでは、誰もが利用できる公共な場所だ。ここで唯一移動できるエレベーターの前には、屈強そうな毛むくじゃらの大男がいて、何か支払えと要求するが。逆をいえば、何か支払いさえすれば公共な場として誰もが利用できる。

 だが、それはあくまで三階までの話だ。

 それ以上は、複数の族が毎日所有権を争って、獲ったり獲られたり、負けたり勝ったりしている。ようするに、めんどくさい場所だということ。

「………」

 彼女――74893号は、あろうことか冨塚ビルに向かっていた。

「………」

 一階から入ると、狭いフロアには毛むくじゃらの大男しかおらず、彼はエレベーターの前で鼻息荒く門番をしていた。

「ちっ、機械族か」

 入れよ、とエレベーターを開く。74893号は礼も挨拶もせずに入る。エレベーターのトビラは閉まり、コンクリートの空に近い座標に向かって行った。

 冨塚ビルは全部で三四七階ある高層ビル。

 その内、一階から三階はパブリックで、それ以上は毎日変動する――というわけじゃなく、実は唯一長く居続けている所があった。

 一六七から一九八階までを、族『アフター』が所有している。

「………」

 彼らは、自身の拠点を賭博場に変えて、運営していた。

 賭博は人類史でも隠れてこそこそ、国が認めて堂々と、いくらでも行われてきた。

 もやは、人類の屋台骨みたいなものである。ほとんどの人がギャンブラーで、ギャンブルをやったことがないなんて珍しいというレベルのものだったらしい。

「………」

 地下都市でも、賭博は行われる。

 ただし人類史でいうポーカーや麻雀、競馬やパチンコではない。

 ほとんどは能なし同士が戦う賭け試合だったり、もしくは美女や美男子が戦う賭け試合だったりする。

 ちなみに、賭博の他にも性風俗も担っていて、念のための衛生管理も行った上で大勢のお客様に満足いただけるように産地直送、新鮮な少年や少女、美女や美男子を取りそろえている。

「………」

 反吐が出る、と74893号は思う。

 地下都市は太陽光がないからビタミンDが決定的に不足しているのだろう。いや、もしかしたらそれ以上に何か大切なものを不足しているのかもしれない。

「………」

 というようなことはクチにしない。機械族がみんな無口だからそれは彼女らの中では当たり前なのだが――いや、それだけじゃない。

 考えることも、今はほとんどしなくなった。

 無駄だから。

 意味がないから。

「………」

 ああ、もしかしたら地下都市で人類がなくしたものって――いや、やっぱやめよう。

 74893号は考えない。


 002


 エレベーターが開かれる。

 現在、一七〇階。

 ここら辺を支配する族『アフター』のリーダーがいる階だ。

「ようこそ、おいでなさいました」

 わざわざ、リーダーの男が出迎えてくれた。

 笑顔が仏のようになごやかで、温かみのある男。

 三十代半ばぐらいで、背は小さく、小太り。

 とてもじゃないが、こんな賭博場をしきる者とは思えない人物だ。

「ささ、こちらです」

 74893号は、エレベーターから出て案内される。

 フロアは、各階で何階分かはふきぬけになっており、高層ビルにしては開放感のある空間となっていた。

 地下都市に夜はなく常にライトが照らす場所なはずなのに、この室内は夜を生みだしている。74893号はリーダーの男のうしろにいるが、薄暗くてしばし見失いそうになる。彼が歩む道はジグザグで、なるべく客がいない方、いない方へと歩いていた。その度に、人類史の遊園地のアトラクションよろしく賭博場の悪しき光景を眺めることになった。

「………」

 能なしが武器を持って殴り合う光景や、美女が絡み合う姿――やがて道は螺旋階段につながり、上へ、上へとのぼっていく。のぼっていくと、余計に悪しき光景が俯瞰して見えるようになった。

 血を流す奴隷、悲鳴を上げる子供、怨嗟を笑うように彼らに賭ける者達がいる。そして、何もかもなくしたら賭けられる者と同じようになる。何人も屈強そうな男やら女がいて、場を厳しく取り締まっていた。

「………」

 ときおり、機械族は機械の点検ついでにここに来て、ついでに情報をもらうことがある。

(機械族は一応中立派と言われているが、実際はやることはやっている)

 そうでないと、情報が集まらないのだ。

 いくら、人類史で栄えていた科学技術を使う機械族とはいえ、この広大な地下都市の全てを見通せるわけじゃない。

 だから、どうしても現地の人々から情報を入手しなければならない場面が出てくる。

 情報は貴重だ。どの族もその有用性は分かっている。もちろん、それは機械族も同じで。もちろん、情報を売る側もタダでやりたいわけじゃない。相手は機械族から最も有用性のあるものを選んで交渉する。その、機械族が持つもので有用性が最も高いものといえば――、それはもちろん、機械の技術および知識だった。

 だから、この賭博場のセキュリティや、その他諸々の設備は機械族が提供したもので、成り立っている。

 そして、機械族が度々点検に来て、そのついでに情報をもらったりしている。

【すいません、次は必ず――ま、待ってぐだざい! おねがいします!】

 若い男が、屈強そうな男に蹴られながら土下座していた。

(………)

 彼は情報屋か

 おそらく、そうだと74893号は判断した。

 彼女は何度も失敗して奈落に落ちた情報屋を見てきたから、何となくで分かる。

 情報屋は、成功するやつは成功するが、それはかなり確率の低い話だ。実際は、失敗する者の数の方が、圧倒的に多い。

 ある意味、ただ野垂れ死ぬ方がマシといえるかもしれないほど、情報屋は綱渡りの連続だ。そもそも、情報という存在が他の物品より扱いにくい代物だし、ただでさえそれなのに、入手するのはダイヤモンド以上に難しいときてる。これほど、割に合わない職業はないだろう。

 ……情報屋に失敗した者はどうなるか。

 死ぬか。

 もしくは、ここのようなでかい族に巻かれる。

 若い男は、ここの族で飼われている情報屋だろう。

 彼は個人の仕事が失敗して、ここに飼われたようだ。おそらく、与えるものがなにもなくなった客の利用法から、もしくは最低限のコネを利用しての街の探索など、用途は多岐に渡るだろう。そして、何か失敗するとあのように非人道的な扱いを受ける。

 若い男は胸ぐらをつかまれ、お前もあのリングに立つかと言われる。能なし同士のリング。若い男は必死にかぶりを振る。

「………」

 アホらし。

 アフターのアジトは常に薄暗く、そのくせカラフルなスポットライトがクルクルと回り、当たるとその一瞬だけは妙にまぶしい。

「――おいっ、てめぇ! まだいんのか!」

 眼下で、さっきの若い男とは違う、別の男が蹴られていた。彼も情報屋か何かか。

 何かに失敗して、必死にそれでも飼ってくれとせがんでいる。

「てめぇら、そのゴミをさっさとほっぽり出せ! ――すいません、こちらです」

 アフターのリーダーは表情を変えて怒号を放つ。そして、74893号が見てるのに気付くとコンマの速さで笑顔になる。

 74893号に向ける顔と、それ以外は別の人間のようだ。

「………」

 スポットライトがわずらわしい、耳も賭け試合の歓声やら悲鳴やらで、鼓膜が殴られてるかのようだ。

「今度、うちの賭博を遊んでみたらどうでしょ。うちには有望な商品が多くてですね」


 きょうみナイ


 と、一言だけ文字を浮かばせる。

 リーダーはずっと沈黙なのもあれなんで、話題かせぎのために発言したのだろう。それをちゃんと察してやりながら、無慈悲に拒絶した74893号。

「そ、そうですか」と、申し訳なく頭を下げる、リーダー。

 74893号は階段をのぼっていく。

 螺旋状の階段。

 そこから見える景色には、ほんとろくでもない。

 周りには観客が大勢いて、罵声を浴びせ、殺せ殺せと叫んでいる。

 どっちかが負けると、負けた商品を罵声し、賭けに負けたのは絶叫する。勝った奴も別の意味で絶叫する。

「ふふっ、うちはいつも盛況でしてね。あ、もちろん、取引する情報もたっぷり」

「………」

 どうでもいい。

(……ゴミクズだ)

 階段から見える景色には、賭け試合の他に性奴隷が奉仕する場所もあった。

 能なしか、もしくは怪我による負傷などで、これしか生きられなくなった者達の行き場。年端もいかない子供も、男女問わず存在し、売られる性奴隷は大分歳行った者から若いのまで幅広くいる。そして、買うのも幅広くいる。

「………」

 自分と同年代くらいの少女が、むっさいおっさん三人に囲まれていた。


 003


「それじゃ、今後ともご贔屓に――おい、ゴラ! 何、ちんたらやってんだ」

 アフターのリーダーは機械の点検やら、情報交換を終えると、最後に74893号に何かを手渡した。

「………」

 それは簡易的な麻薬だった。

 ハーブの一種やらを袋に詰めただけのもの。用法・要領を守ればしっかりとした麻薬になるが、74893号にとっては糞袋にしか見えないものだ。彼女はそれを、エレベーターの床に捨てた。帰りのエレベーターも、たった一人だった。

「………」

 あの族は大勢の快楽快感をサービスする族で、故に顧客として名高い者も大勢いる。あのリーダーのように腹黒い、他の族の者や、中には五番街のお偉いお貴族様までいる始末だ。故に、あの族は襲われない。奪われない。機械族と同じように、多くに提供するものがあるから、存続し続けている。彼らを襲えば、大勢の顧客が黙っていないのだ。

「………」

 誰もいないエレベーターで、74893号は壁を蹴りつけた。


 004


 一階に下りると、一人の少年が上りのエレベーターに乗り込んだ。


「殺してやる」


 明確な殺意をもった一言。

「………」

 74893号は咄嗟に振り向くが、上りはもう行ってしまっていた。

「まだ、何か用か?」用がないなら、さっさと帰れと言いたいかのように、エレベーターの門番は言う。

 74893号はかぶりも振らず無視して、建物から出て行った。


 005


 地下都市の暮らしなんてのは、ほとんどが貧しい・苦しい・死にそうの三セットである。

 幸福な暮らし、人類史でいう普通の暮らしをしてるなんてのは少数派であり、だから74893号の人生も他の奴と大して変わらない。そう、地下都市では普通と分類されるものだ。

 生まれは不明。

 気がついたら生きていた。

 で、転々と族や人を渡り歩いた。彼女の意志だったり、じゃなかったりして。

 最初の族は情報屋。だから、情報屋の苦しみはある程度は分かる。

 そして、その下劣さも。

 弱者がキレイだなんて、純粋だなんて、持ってる者の幻想だ。

 強者にも心がキレイで、純粋な者がいるように、弱者にもクズはいる。

 74893号を育てた情報屋もそのクズだ。

 彼は自分の力のなさを自覚しており、そのためそれをカバーするためにはと子供達を使った。

 情報を得るには危険地帯に赴くことも多く、命がいくらあっても足りない。

 だから、子供達を使ったのだ。74893号もその一人だった。

 ……だがある日、彼女は自発的に逃げ出した。それ以降、その族がどうなったかは分からない。

 というか、何で逃げ出したのかも分からない。

 当時、彼女は五歳ぐらいで。その年頃の子が、このままじゃ明日も危ないなんて考えるだろうか。

 ともかく、彼女は虫の勘とでもいうようなタイミングで族を抜け出すことに成功した。

 二番目にいた場所は、彼女を将来の花嫁にしようとした気持ち悪い男。

「えへへ、キレイな顔だねぇ」

 そいつは、馬鹿だから二日後に死んだ。

 彼は能力者で強い方だったらしいが、精神がイッちゃってたんで族の仲間に裏切られ殺されたようだ。

 74893号はその死をあらかじめ読んでおくことができず、しばらく食料無しの生活を続けていたが――三番目は拾われた。

「ボク達はきみの味方だよ」

 そういって、恰幅の良い、人相もいい穏やかそうな男は言った。

 白いヒゲを生やした男で、しわが多く、地下都市には珍しく高齢の男だった。

 74893号の他にも子供達が大勢いて、それで族を結成して場所を転々としながらも、小規模の族ながらも暮らしていた。

 彼らは優しさを武器に,結束力を高めていた。

「だから、敵にはみんな一丸となって戦おう」

 優しさは武器になる。

 優しさは商品になる。

 優しさにはメリットがある。

 優しさというものが人の心を満たし、いやしてくれるのなら。

 それにはメリットがあり、商品になりうる。

 価値あるものは大抵利用される。どんなことにも。

 おもちゃだった製品が過去の人類史では軍事利用されていたし、だったら優しさだってその例に含まれる。

 男達は優しさを利用して、子供達を誑し込み、奴隷にしていった。

 皮肉にも、彼らは温かい言葉を投げれば投げるほど、勝手に利用されてくれた。

 そして、死んでいった。


 おじさんのためなら死ねるよ。おじさんを守るためだもん。だって、ぼくら家族でしょ。家族だもんね。家族は守らなくちゃ。


 気持ち悪い、と74893号は思った。

 だが、生きて行くにはここは都合が良い。少なくても、今日の食料に困ることは少ない。

 族の人数は多いが、その分、人海戦術で情報を集めたり、敵族の襲撃をしたりと効率が良かった。

 だが、二年後ぐらいにはまた74893号は族を抜け出した。

 キッカケは単純。

 おじさんと呼ばれる男が、自分と同年齢の少女とやっていたからだ。


 ――愛してるわ、おじさん。――ぼくもだよ、何々。


 それを見た直後、74893号は抜け出した。

(気持ち悪い……)

 喰われる、と危機感が走った。

 自分も、あのような立場になるのでは、と。

 思わずゾッとしてしまった。

 感じた瞬間に、彼女は一人抜け出していた。

 それ以降は、数分先もどうなるか分からない――獲物で、ゴミクズで、貧しい存在となった。

 それでも、しばらくは雑草を集めて喰って暮らしていたが。


 なかなか、みどころノアルこどもダナ。


 だが、ある日を境に74893号の暮らしは変わった。

 大柄な、機械族と出会った。


 006


 機械族の拠点は、意外なとこにある。

 多分、ほとんどの者は知らないだろう。というか、彼女らも必死に隠しているので、知られていたら困る。彼女らの拠点は以外と人目につきやすいとこにあって、中心路――表通りの円環の中にあった。

 林立する高層ビル群に、ぽつんとある二階建てぐらいの廃墟。

 コンクリートでできた――トビラも、窓も、何もない、見た目は廃墟は廃墟でも、犬の便所にしか見えない外観の建物である。

 灰色のコンクリートはくすみ、下の方にはコケのようなものも生えている。

 ここが、人類史の科学技術を最も知っている族の――拠点だった。


 ――ローラー靴で走る。


 跳躍時や着地した瞬間の姿勢制御さえCREDLEが操作してくれて、運動神経がよくない74893号でさえ、超高速で走るローラー靴を自在に動かせる。

 彼女は透明化したままアジト前に着き、ネット接続して、パスワード入力画面のウィンドウが表示された。


 “Who has seen the wind?”


 英文とともに、十個ぐらいのブロックが縦に積み重ねられた映像が表示された。

 拡張領域で表示――他の人には見えない、機械族だけが帰還時に見える映像。

 このブロック群は、ECOタワーと呼ばれる。(ブロックには機械族の掟がこと細かく刻まれている)

 74893号は入力する。“Neither I nor you;”

 最後に、もう一つパスワードを入力しなければならない。

 それは、猿が適当に打ったのでは到底たどりつけないものだ。

 “I Lock My Door upon Myself.”

 すると、74893号の視界には拡張領域で矢印が表示された。

 ECOタワーのブロックはクルクル回る。(とくに意味はない)

 進もうとすると、<wait>と表示される。少し待ち、建物の中に入る。入る場所は、矢印が指示する。


 007


 二階の左から七番目の窓から入れと言われ、その通りに。

 窓の形は奇妙なもので、炎をデフォルメしたかのような形。

 ともかく、74893号は中に入る。

 入ると途端空間は真っ白な何もない場所に変わる。入って来た窓もいつしか消えていた。

 これは頭に電波を送って量子信号によるプログラムされた幻影+アノニマスの応用もあるのだが、ともかくこれが機械族にそれぞれ割り振りされた個室だ。

 真っ白な空間に透明のカプセルが現れる。

 人一人が眠るにはふさわしい、棺桶のようなカプセル。

 ――中には、透明のゼリー状の液体が入っている。

 74893号はコートを脱いで、ガスマスクを外し、中に来ていた服も肌着以外は脱いでいく。残ったのは簡素な肌着だけ(濡れても大丈夫な素材)。

「………」

 素顔は、かわいらしい少女だった。

 髪は銀髪、目尻は垂れ気味で起きてるのに眠たそうに見える。

 コートを着ていても小柄だったが、脱ぐと腕や足の細さが余計にありありとしていて、より小さく見える。

 74893号はカプセルの中に入り、液体に浸かる。酸素が含まれているそれは、体液の洗浄まで行い、もちろんだが中の液体は交換もされる。

 74893号は、足をつける。そして、液体の中に浸かっていく。

 カプセルが閉じると、カプセルは牛乳の中に沈むように床に消えていった。


 008


 機械族は基本、仕事するときは外に出て活動。

 それ以外はアジトで寝るように暮らすことがほとんどだ。

 族と称されはするが、彼女らの暮らしに人間的要素はほとんどない。

 仲間内での連絡や交流もない。

 だって、一個の歯車。

 人間であるより、そちらを優先する彼女らであるから、帰ったら寝るだけのようにカプセルに入る。

 カプセルの中にも脳に信号を送り、仮想世界を見させ、睡眠学習をさせたりもできて不都合はない。


 ――74893号は、仮想世界の中で目蓋を開く。


 青い空、高台から見下ろす満面の花畑。

 黄色い花が眩しいほど咲いていた。

 風がふけば、その風にゆられて花びらが舞う。

 とてもキレイな光景。現実の地下都市がゴミクズでしかないと確信させる映像。

(なのに、どうしてだろう)


 殺してやる。


 あの言葉が耳から離れなかった。


 ◆


 翌日、74893号は緊急の連絡が入り、あの族『アフター』のアジトに向かう。

「……まさか」

 思わず、声をもらしてしまう。

 エレベーターの番人は怯えた表情で床でふるえていた。

 顔パスさえもないエレベーターに乗り、拠点へ。

 ――散乱する人の死体。血、肉。

「………」

 あの自分にはぺこぺこした族のリーダーの首が、トイレの中で見つかった。便器の中に今か今かと流されるのを待つかのように。

 その他にも、屈強そうなニンゲンの死体も見受けられた。

「……ないな」

 そして、それ以外の――賭けの対象だった選手達や性の対象、それらの姿は一切なかった。死体も、見つけられない。

 噂では、このアジトを襲撃したのは三番街の族だという。


 V。


 それが、この族の名前だ。


 010


 Vのことについては知っていた。

 かつては、74893号も三番街にいたからだ。

「………」

 三番街。

 街の至る所に高木がそびえて、高層ビルのように平然としている。まるで、自分の方が街の主役であるとゆずらぬように。

 三番街は高いビルや、荘厳あふれる建築物も多いが、どれもこれもツタが生え、自然色に染まってるのがほとんど。コケが生えてない建物が見つけられないほど、緑であふれかえっており、それを利用した産業も今は起きている。

 以前は違う族により占領されていて、昔でいう植民地のような扱いだった。

「……ちっ」

 それを覆したのが、Vという族だ。

 74893号は母からの命令で、その調査を任された。

 彼女は三番街の街並を超高速で進んで行く。――ローラー靴は壁も天井も関係なく駆け回り、ひた走る。その高速はあっという間で、とても人間ではたどり着けない速度で七番街から三番街へ――その奥地、九鴉が訓練している場所へと、向かって行った。

(殺してやる、か)

 彼女は、あの一瞬の記憶を頼りにVがやったにせよ、あの人物は誰だったのかと探った。そして、彼女の執念はすぐに実る。あの族の襲撃、先陣を切った者だと分かったからだ。

(……九鴉)


 喧噪から離れ、鬱蒼と生い茂る森の中。

 高木が天上のライトをさえぎり、樹冠は薄暗く静寂な楽園を形成する。

 かすかに小動物が暮らし、その鳴き声がこだまする。

 この中で、九鴉という少年は訓練をしていた。

(……かすかな音でさえ、聴き取られそうだ)

 そのため、74893号は遠視機能および赤外線機能を使って、九鴉を観察した。

 彼は周りを木の葉が地面を覆っている中、自分の一帯は木の葉をどけて訓練していた。

(透明化した状態で、アノニマスで音も吸収できるが。あの感覚、非科学的だがまずそうだ。もしかしたら、気付かれるかもしれない。そんな危うさがある――あるんだが)

 九鴉は,踊っていた。

 木の葉のない一帯で何をするかと思えば、片足でくるくる回ったり、バク転したり、木を蹴ってのぼっていったり。

(……ふ、ふざけてるのか?)

 子供の児戯に見えた。

 いや、子供がやるにしては身体能力が高すぎるが。

 それ以降、74893号は九鴉の訓練を監視していくようになった。

(あの、「殺してやる」はこいつが言ったはずなんだが……)

 74893号はあの言葉をしっかり覚えていた。

 だから、九鴉に妙なイメージを持っていた。

 もっと邪悪で、陰険で、凶悪そうな人物だと思っていた。


「こらこら、あんまり騒ぐなって」


 だが、彼を監視してるととてもそうには見えない。

 別の場所。

 彼が子供達とたわむれるときは、とてもじゃないが噂の人物とは思えなかった。

 残忍で、凶悪。

 非道にして、残虐。

 噂では、九鴉は子供の生き血を吸い、指をコレクションしてるとまで言われているが――とても、そういうふうには見えない。(いや、これが演技だったら本当にサイコパスだが)

 74893号は、九鴉が年端もいかない子供達とたわむれ、訓練を指導してる姿も目撃した。

 訓練時は厳しい教官(それでも母よりかは厳しくないが)に徹しているのだろうが、74893号から見たら甘いにもほどがある。訓練が終わると、もっと甘くなり、子供達がじゃれて服を引っ張ったり、髪をつかんできても、怒るどころか笑っていたりする。

(……こいつ、馬鹿なんじゃないのか?)

 と、疑いもした。

 九鴉は訓練は森だけじゃなく、定期的に場所を変えてやった。

 森でやる日もあれば、人気のない廃墟でやっていたりと人がいないのならどこでもやった。

 大抵はストレッチを十分にやったあとのマラソン、筋肉トレーニングの繰り返し。

 もしくは、踊りのようなものをやった。

(あれには、何の意味があるんだ?)

 いや、やってることは高等だ。

 九鴉は細い柵の上で踊ったりもするが――いや、そうじゃなくても、踊りというのは意外と肉体を使う者には重要である。そもそも、武術というものが人類がまだ神というものを自然ど同一視させて、儀式を行っていた時代から、それに捧げるものとして踊りが行われていた。この踊りから発展した武術は数知れず――と説明すればご立派だが、それ以外にも踊りは、楽しくかつスムーズに体の動かすことのできるものだ。

 そう、固くぎこちない動きなんかよりも自然でやわらかい動きの方が、体はよく動く。

 それをするのに踊りは最適で、人類史でも踊りをやっていた者は格闘技をやる際も困ることはないという文献がある。

(……分からん、奴だ)

 74893号は、他にも九鴉の妙な一面を目撃する。

「……ごめんよ」

 九鴉は、子供の死体を地面に埋めていた。大量の花々を添えて。

 少しでも華やかにしようと、九鴉の周りにいる子供達はすすり泣きながらそれを見ていた。

 九鴉は、一言だけ述べるとすぐに土をかけて、子供の死体を完全に埋めた。

(……何なんだ)

 九鴉の部下の一人が死んだらしい。

 ささいな事故だったようだ。

 三番街で泥棒してる奴を捕まえようと追いかけた。だが、運悪く転んで頭を打ってしまった。

 それで、死んでしまったんだとか。

(これが、本当にVなのか?)

 そして、あのときの少年なんだろうか。

 Vといえば、敵の死体を磔にしたり、死体をそこら辺にバラバラにしてばらまく輩じゃないのか。それが、こんなことをするのか?


「………」


 子供の葬式には、九鴉の他にも四鹿の姿も見受けられた。(他の面々は仕事。だが、あとあと彼らもほとんどが墓をお参りに来た)

 74893号の目には、とても噂通りの族に見えない光景。

「………」

 74893号は、完全に言葉を失ってしまった。


 011


 74893号は、今日もまた九鴉の観察ということで出かける。


<――おい>と、声が聞こえた。


 ローラーを止めて、低層の建物の屋上で止まった。いくら透明化していても、アノニマスを持つ者同士なら感覚で分かる。母が降りてきた。

<また、Vのとこに行くのか?>と、聞く必要のないことを聞いてきた。

 74893号の脳裏に疑問符が落ちてくる。

 いや、命令したのはあなたでしょ、と。

 とりあえず、74893号はうなづく。

<……そ、そうか。気をつけてな>このとき、74893号にとっては世界が一変しそうなほど意外なことだった。

(は、母が何か心配してる――!?)

 何故、と疑問符が大量生産され混乱してしまう。

 74893号は文字を表示させるのも忘れて、ただコクコクとう首肯した。

 そして、逃げるようにローラー靴を動かして外に出ていった。


「………」


 それを、大柄な機械族――母は、無言で見つめる。


 012


 九鴉は、今日は戦いに赴いていたらしい。

 各街にはまだ人類が人類らしいことをしていた名残で監視カメラが随所にある。その随所にある監視カメラを、機械族は利用していた。

 彼女らはしたたかだ。例えば、各族が使用する携帯電話だとかの通信機器は、アンテナを彼女らが担当している。(もちろん、ばっちり盗聴して、録音し、データを全て整理整頓して確認している)言うなれば、機械族は地下都市最大の情報屋ともいえる。

 だから、やろうと思えば彼女らは楽園教さえ転覆できるのだが――それはある事情でしない。その事情を74893号やその他は知らないが、知ろうとも思わない。(いや、いくら最大の情報屋といっても、機械を通じた手段だけだし。完全ではないって理由もある)

 ともかく、74893号には関係のないことだ。

 彼女らは機械だから。

 機械として育てられたから。

 自発的に知ろうだなんて、まずありえない。

「………」

 九鴉は、三番街を駆け巡る。

 彼が低所や高所などチグハグな建物群を疾走するのに使うのは、ワイヤーである。

 どこの誰から入手したのか、おそらく九鴉のお手製ではあるまい。それにしてはやたらと性能の良いワイヤー噴出装置だった。ワイヤーの先は頑丈な切っ先になってるようで、ぴたりと壁などにくっつき、九鴉を引き上げる。強力な小型モーターも付いてるらしい。ますます、作った者が尋常じゃないと感じる。

(まさか、機械族が……まさかな)

 渡す意味がないし、そもそもニンゲンとの交流は禁止されている。

 やるとしたら、何か目的がなくてはならない。

 情報を入手するためだとか、何とか。

「……すごいな」

 思わず、声に出してしまっていた。

 九鴉はワイヤーで鳥のように跳躍し、進んで行く。あるときは、大勢の人がいる中を疾走。通り過ぎた人々は何が通ったのか。そこそこ背の高い、顔も美顔なのに、気付いてないかもしれない。それほど、九鴉の走る速度は速く、障害物競走のように人を飛びこえて、あるときは荷馬車の下をくぐりぬけて、疾走っ、追跡対象を捕獲する。


 数少ない飲み物を提供し、人々の憩いの場――三番街で、兼情報交換の場となっているショップに九鴉は乗り込んだ。ここは、元からVご用達の店で、怪しい情報屋や人物が来たら連絡するルールになっている。

 九鴉はここで暴れた。暴れたといっても彼らのルールに従ってだ。三人ほどの能力者が相手。一人をテクテクと笑みを浮かべて近づき、飲み物をぶつける。「あ、すいません……」とあやまってふくフリをした瞬間、首を裂く。強い痛みを受けてる間、能力者は能力どころじゃなくなる。その間、九鴉はもう一人の関節を折って、捕獲。もう一人はすぐさま能力で逃げた。肉体強化らしい。肉体強化なら、と九鴉も追いかける。敵は脚力に自信があったようだが、それでも大勢の人々が通る道は困惑したようで、その間に九鴉は間を縫って肉迫、関節技を決めた。

(九鴉、体術の達人とは聞いていたが、これほどか)

 体術の達人といっても、彼にとっての強みは殴る蹴るじゃない。というか、殴る蹴るなら圧倒的に能力者の方が上だ。いくら九鴉が努力しても、能なしのような彼にはコンクリートを素手で破壊することはできない。能力者ならそれは容易い。だが、九鴉にはできない。

 だから、九鴉はそれ以外で強くなった。

 例えば、移動術。

 彼なりのシステムがあって動いてるらしいが、常人には魔術のように見える。

 実際は人類史で流行っていたパルクールなどの技術を無意識に使っている。壁を蹴って進む方法や、素手で壁を登るなど、他にも跳び箱のように飛びこえたり、腕で柵を越えたり、着地した瞬間転がったり――などなど。

 他にも移動の際にはワイヤーやら道具を使った技術が満載で、というか壁を登るなんてのはパルクールよりもロッククライミングの技術だが――語るとキリがない。

 その他に、気配を消して忍び寄る技術だったり、むしろ攻撃よりもこのような移動の方が割合、神経を使うことが多い。

 攻撃に関しても、殴る蹴るより、彼が使うのはナイフによる暗殺か。もしくは、関節技を使ったサブミッション(しかも九鴉の場合は打撃以上に即効性の高いものであり、ナイフなど武器も使う)。

 あるケースを抜粋すると、九鴉はナイフ一本をちらつかせて最近悪い噂のある族に乗り込んだ。彼らにどう対抗するかと思えば、ナイフを使った関節技である。ナイフといえば、切る・突くと相場を決めるものが多いが、実際はそれ以上に用途が多い。とくに九鴉の場合は、先天的に知識を与えられてるため、不器用ながらもある程度は体系化して使っている。

 ナイフの刀身を関節にあてて、決める。切る・指すの延長で関節技をかけることもできるが、それ以上に手加減――というより脅しの一巻として拘束していった。敵は、その職人作業的なナイフ技術に恐れを成した。それはそうだ。ナイフを使って、切る・突くではなく、異次元から来たように関節技を決めていったら、もう無理だと思っても無理はない。

「……化け物か、あいつは」

 74893号は九鴉がある者達に選ばれたのを知らなかったので、余計に化け物に見えていた。

 九鴉の訓練風景にナイフ格闘のものがあった。鏡に*のようなマークをペンで描き、それに沿ってナイフを走らせる――なんてのがあったが。それの意味が実戦でようやく分かった。

 九鴉はリズミカルに動脈を急所を切断する。あまりにもなめらかで、やられた者も切られて血を噴き出したあとに全てを悟った。縦、横、ななめ、ななめと――その他、道具や武具をその場で生成する技術にも長けていて――。


 013


(二重人格か……?)

 そうでもないと、おかしい。74893号は考えた。

 九鴉は、子供達と接するときは豹変する。豹変というと、普通はおっかないものに変わると思うが、九鴉の場合はおだやかで大人しい姿が豹変だ。

 子供達がじゃれてからかってきても、にこやかに笑い、談笑する。

 訓練指導のときは厳しくはなるものの、彼自身に対する訓練と比べたら、甘すぎる。

(ビルからビルへ跳べと言わないし,格闘技に関してもそこまで積極的には見えない。最低限の殴る・蹴るの他に、拘束させるワザや、逃げ方は教えているが……。ナイフは教えないんだな)

 実際、ナイフは九鴉レベルまで達しないと役に立つとはいえない。

 九鴉が異常なだけであって、地下都市は基本・能力者の都市だ。

 ゆえに下手に過信させないためにも――あと、殺しの技術を教えたくないので、ナイフは教えていない。

(しかし、あれだけ戦いに精通した奴のくせに武器は手製なんだな)

 それも、精通してると取るかだが。74893号の場合は、それは情けないと感じた。

 九鴉は当時、武器を自分で作っていた。一度、仲間が他人からもらったやつで痛い目をみたからだ。

 いや、だからといって、彼が作る武器はどれもこれも即席のものばかりで、大抵おそまつな出来だ。

 一回、作ったばかりのナイフが全然切れなかったりなんてこともあった。その場合は手の延長線上として使った。ようするに鈍器であり、関節技を極める腕である。

(下手くそだし……ま、素人なら仕方ないけど。あと、武器も一回使ったらすぐ捨てるし)

 これは理由がある。

 能力者の中には、呪いのようにものに能力をかける者もいたため。

 念のために毎回捨てていたのだ。

 まるで、昔の能楽のようである。

(銃器をあまり使わないのもそのためかな。……ま、銃器をまともに使って能力者を殺せるわけじゃないし)

 銃器だと隠密性が低いし、能力者の中には銃器を出すと過敏に反応して、逆に能力が向上する者もいるので、余計に銃器の使用は減っていった。

(あと……ナイフをしまうにしても、もっと方法があるだろ)

 即席だからか。

 大抵はベルトに巻いたり、足に隠して巻いたりと、巻き巻きしすぎである。

 すぐ捨てるにしても専用の鞘を用意すればいいのに、サイズもデタラメになることが多いのと、鞘を作るのも手間がかかるのでやらないらしい。(革なんてのはとくに、動物の少ない地下都市では中々やりにくい。いや、素材があっても難しい代物だが)

(……下手くそ)

 一度、九鴉は手製で鞘を作ろうとしたが失敗した。

 木を削ってできないかなとやってみたのだが、できはしたが、鞘に入れたら中々ぬけなくなったので、抜けるように削ると逆さにしたらすぐぽろりと落ちたので、これは怖いと捨ててしまった。


 ◆


「………」

 一度、母は74893号を追って遠視で彼女を観察したことがある。

 正直、複雑な気持ちなのだろう。

 74893号は、熱心に九鴉を見つめていた。


 014


 オイ。


 74893号は、ある日、覚悟を決めて九鴉に声をかけた。

(正確には文字をかけた)

 三番街。

 子供達がいる中、74893号は降り立った。

 雑草が生い茂り、コケや錆びも激しい児童公園で、74893号は突如現れた。

「―――」即座に九鴉に警戒される。

(あ、あれ?)

 74893号は予想していたのと大分違って困惑する。

 いや、そりゃそうだろ。

 子供達がいるときなら、彼も穏和だしと油断しすぎというか、夢見すぎていた。

 母からの承諾は得ていて、九鴉は使えると散々長時間のプレゼンテーションした末、承諾してもらえた。九鴉のために道具を作ってやろうとしたのだ。

「何故?」

 だが九鴉は、冷徹な目を向ける。恐怖とは別のショックを74893号は受ける。

(ば、馬鹿か私は――ま、まずい。まずいぞ。ど、どうすれば、どどどっ)

 普段は冷静で淡泊で、それこそ機械のようだった74893号はとても人間らしい反応をしていた。

 いや、外見はポケットに両手をつっこんでたたずんでいただけだが、頭の中では大パニックだ。三番街に四番街が乗り込んできた図を想像すると、彼女の脳裏はイメージしやすいだろうか。


 おまえハりようできル。


 と、74893号は空間に文字を表示させた。

「……は?」

 九鴉は本気でいぶかしむ。

 何言ってんだ、こいつと。

 得体の知れない相手は誰もが警戒するもので、元から九鴉は機械族に良い印象はなかったが、74893号の反応はそれを増加させていた。

 だから、74893号はそれを誤魔化すためにありとあらゆる言葉を用いて九鴉を説得した。お前等『V』には機械族は前々から目をつけていた。あの五人の中で、お前が一番話しやすいと思い、接触した。我々はお前に恩を売りたい、というか接点を持ちたい。何故なら我々は~と軽く機械族の中立派の仕方を説明し、さらに九鴉にものを渡すことで機械族のメリットを散々説明し、試しにお前の望むものを一つ作ってやろうと提案した。

「じゃあ、鞘。ナイフの鞘がほしい」

 と、九鴉は即座にこちらの望む解答を提示した。

 よっしゃあああああああああああっ――という心の声をおさえて、74893号はさらに聞く。


 ナイフハ?


 九鴉はナイフをベルトから抜き取り、それを投擲。

 74893号はそれをキャッチする。

(危ないな……)

 柄を相手に来るように投げはしたが、普通ナイフを投げ渡しするだろうか。

 いや、このときの九鴉は仲間以外にはこんな対応であった。何も74893号だけじゃないのだが、彼女には割とこたえたようだ。

「それの鞘を作ってくれ。要望は、戦闘にもすぐ出し入れできるもの。重たいのはやめてくれよ? ちゃんと携帯できて。で、壊れたら嫌だな。頑丈なの」

 と、率直に中々難しいことを言ってくれる九鴉。

 だが、自分ならできると74893号はコクコクとうなづいた。

 そして、彼女は透明化になりローラーですぐさま立ち去る。

「――消えた?」

 九鴉はこのとき驚いたが、74893号はそれにも気付かない。彼女なりに、ハイテンションなのだろう。


 ◆


 その後、アジトにもどる前に74893号は製品の設計案をまとめ、素材の制作・入手にいそしんだ。素材はナイロンがいいだろうか。ナイロンを作るには――からはじまり、これまで何かを作ることは、あるにはあったんだが、大抵は元から設計図があったものがほとんどで、創作意欲の湧かないものばかりだった。(それ以外は修理や点検ばかり)そのため、ちゃんとした創作ははじめてで、それが快感をもたらしだ。

「――他にも材料が――いや、ナイフって使うときにこの位置の方が――」


 015


 数日後、また九鴉が児童公園にいたときに74893号が話しかけた。


 オイ。


 と、だ。

「………」

 何故、こんなタイミングで。

 というか、もしかして監視してるのか?

 余計に九鴉の警戒を強めているのだが。場合によっては、機密情報を見られてないかと。殺す可能性まで考えているのだが、74893号はそれに気付かずベストを投げ渡した。

「え、ベスト? え、鞘は。――あ、これか」

 肩に付けてあった。

 74893号はくわしく説明した。

「どこでも鞘の取り外しが――あ、ホントだ。くっつく、子供達が遊ぶのでこういうのあるけど。へー、すごいな」

 昔から軍隊では、手がふさがらないようにを心がけていた。

 そのためにありとあらゆる方法を考えた。74893号が提案したベストも、過去に人類史で使われたものの一つだ。(彼女はデータでたまたまそれがあったので採用。もちろんオリジナルの案もいくつか組み込んだ)

 鞘や関連するポーチなど、自在にどこでも取り外しができ、また弾薬入りのマガジンを入れる箇所やら、細かな収納部分まで付いてある。(プラスアルファで防弾仕様にもした)

「わー、すごい。僕、鞘だけって言ったのに。いや、すごいよ。ははっ、着てみても軽いや」

 と、九鴉は上機嫌だ。

 少しは警戒した方がいいのだが、これが彼らしい反応と言える。別に74893号の純粋な気持ちに気付いたわけじゃないが、すごいものはすごいと素直に反応したのである。

(………)

 ポケットに両手を入れてたたずんでいるだけに見えるが、頭の中はもちろん違う。

「すごいね、これ。素材はなにでできてるの?」

「ナイロン」

「――え?」

 慌ててかぶりを振る。


 ナイロン。


 文字を表示させた。

「そ、そう。そうなんだ」

 気のせいかな、今声が聞こえた気がした。機械族ってしゃべらない奴ばっかりなのに。

 とは思うものの、鞘にナイフを出し入れして、これはホントに使いやすいと上機嫌になってその考えはすぐに消えた。

「いやぁ、ほんとにすごいよ」と九鴉は笑みを浮かべると、74893号に近づいて来た。「ありがとう」

 握手を求めてきた。

(………)

 74893号は、両手にポケットを入れてたたずんでいるだけに見える。

 もちろん、違う。

 今、彼女の頭の中は大噴火やら津波やら大地震が起きていた。

「……ん?」

 握手は失礼だったかなと、首をかしげる九鴉。

 差し出した手をもどそうとした瞬間――がしっと、両手でつかまれた。

「あ、うん。――いや、ありがとね。えーと」


 74893号。


 と、これはそのまま表示した。

 九鴉は困惑する。

「なな、よん、はち……きゅう、さん? 呼びにくいな。ヤクザでいい?」

 いいわけあるか。

 よりによって、何故そこを取るとブチギレそうだったのを抑える


 ハチキューデイイダロ。


 文字を表示。

 さりげに九という数字を表示させたのが、彼女らしい。

「それもどうかなぁ。何か似人間味がないよ」

 そして、それに気付かない九鴉も九鴉らしい。

(大きなお世話だ!)と、案の定74893号はぷんすかだ。

 そもそも、機械族はそれを基本思想としている。

 人間であるな、機械であれ。

 それこそが存在理由であり、目的だ。人間味なんてものは雑念にすぎない。

「もしかして、それ以外に名前ってないの?」

 ちなみに、まだ握手は続いたままだ。


 ひつようナイ。


「いや、あるでしょ。そんな、数字でなんて……あ、そうだ」

 九鴉は閃いたというように言う。

「ナイフとかどう?」

 あまりにも安直すぎるのだが……というか、九鴉は74893号が女の子というのに気付いてないから、こんな無骨な名前を提案したのだが。


 わカッタ。ソレデイイ。


 だが、74893号は嫌がらなかった。

 九鴉も九鴉で一言くらいあると思ったから意外だった。

「え、あ、うん――それじゃ、これからよろしくね。ナイフ」

 それ以降、74893号は九鴉と交流を持つ。


 ◆


[どうする?]

[困ったな]

[九鴉は主役にする予定なんだぞ。ヒロインだって、違うのを予定済みだ。何だあの脇役は]

[名前もないくせに]

[いや、名前もらってたな]

[余計にタチが悪い]

[どうするか]

[消すか?]

[必要以上に消すのはまずい。氷河だっていつまで大人しいか分からないぞ]

[仕方ないな……]


 016


 森。

 三番街は奥へ行くほど緑の濃度が高くなる。樹冠は目を覆うほどで、常に真昼のような地下都市において唯一真っ暗な夜を呈していく。

 小鳥がさえずり、生命の息吹にかわいいと感じるかと思えば。実は狼や猪、熊など危険な生物もわんさかいて、かわいいどころじゃない話でもある。

(……ここはきつい)

 74893号にとって、害獣よりもきついのは移動だ。

 肝心のローラー靴はこの森じゃ使えない。オフロード仕様じゃないってのもあるが、使ったら土をえぐる音や、足跡で多大な痕跡を残す。下手したら、音だけで九鴉に気付かれるし、足跡は他の者に機械族の機密情報がバレる危険性がある。機械族はなるべくは自分らが持ってる武器や道具の性能を披露したくはない。

 なので、74893号は自力で森を進んでいる。森の中は険しく、山道のように登りもある。

 普段が機械に頼り切ってるため、とてもじゃないが九鴉の速度には追いつけない。(だから、皮肉にもアノニマスで遠くから観察するのは利にかなっていた)透明化しているとはいっても、枝葉を踏みしめる音や、かすかにできる足跡で見る人が見たら気付く。というか、74893号は登りで疲労困憊なので、疲れていてそれどころじゃなかった。

(九鴉は森に行くことが多いな。何回かアノニマスの限界領域まで離れられて見失ったことがあるが――何の目的で)

 特訓にしては頻度が多い。定期的に場所を変えている九鴉。最近は74893号を信用しているとはいえ、訓練風景をのぞかれてる可能性を考慮していたりもするので、余計に用心してるはずだ。

(……くっ、失敗したな)

 そのときだ。


「――あっ」


 左側が急な崖になっている登りを、行こうとしたときだ。

 74893号は慣れない登りで、木の根っこに足を取られてしまう。

 そして、運悪くそのまま――「あああああああああああああっ――」落下してしまった。


//[check]

[かわいそうだが、仕方ないな]

[ここで死ねばラクになれるんだが]

//[check]


 ◆


 74893号は、夢を見ていた。

 薄暗い夢だ。

 森の中にいるからか、それとも彼女の人生が最初からこうだったのか。

 彼女にとって死体とは恐怖の対象だった。

 生きていた人間が動かなくなり、非生物になることの恐怖。人間が、人間じゃなくなる恐怖。

 そして、もう一つ。

 自分も、あのような死体になるのだと。

 自分も、という恐怖だ。

 最初の族は、ばったばった死体ができていた。

 二番目もそうだ。

 三番目も大して変わらない。

 四番目の機械族でようやく――仲間の死体は見ることはなくなった。

 その代わりに、機械族以外の死体は大量に見てきた。

(あの……賭け試合、死体がゴミ箱に入れられていたな)

 死体は意外と加工でき、リサイクル可能だ。

 人類史でも使われたことだが、皮や骨はあらゆる用途に使える。皮なんて使い所が多すぎるし、骨は組み立てるのに便利だ。地下都市は今日生きられるかも分からない世界、ゆえに死体を丁重に扱うなんて概念はほとんどない。

 だが、九鴉は違っていた。

 死体を、弔っていた。

 仲間の死体に花束を。

 憐れな死体には、せめて冥土に行く前の手向けになるようにそいつを殺した奴をぶち殺す。

 彼は、優しいゆえに残酷だ。

 とても優しい。

 それこそ、出会ってから怪しいにもほどがある74893号を結果を見て信頼するほどに。

 本当は命を奪いたくないと思ってるほどに、九鴉は優しい。

 優しいからこそ、彼は人を殺す。

 死ぬべきじゃない人間を嘲笑し殺されたら誰よりも激怒して復讐する――だから彼は、優しくなんかならなくてよかったのだ。そのおかげで、彼は戦って戦って戦いに明け暮れていた。

(……九鴉)

 そんな奴、地下都市で見たのははじめてだった。


 017


「……っ」

 74893号は、目蓋を開ける。

 彼女がいたのは、薄暗い洞窟の中。

 衣服やガスマスクは脱がされ、横に置かれている。木の枝で磔のようにされ、たき火で乾かされていた。現在、74893号は布のようなのが敷かれているが、その下は肌着。

「……あ」そして、74893号は見る。たき火でついでに肉らしいのを焼いてる人物を。ホッケーマスクを被り、体は大きく、フード付きの服を着ていた。上半身から下半身、全部緑と茶色の迷彩模様で、さらに各所に木の葉やら森の中にある自然のゴミが大量にくっつけられている。「……う、うわぁぁぁぁっ!?」

 74893号は、思わず声を上げてしまう。

 ホッケーマスクは気付いた。彼女を見た。

「あ、あぁぁぁっ……」

 辺りを探るが、銃器はない。あ、あった。と、乾かされてる服の隣りにちょこんと置かれていた。ようするに、74893号の近くにはない。敵のそばに置いてある。

「気付いたのか」

「あ、あぁっ……」

 服を脱がしたのも奴か。この男、一体何をするつもりで。

「……あ?」と、ホッケーマスクはいぶかしむ。

 数秒後、「あぁ」と勝手に納得したようだ。

「悪いな、あたしは女だよ」

 と、ホッケーマスクは仮面を外し、素顔をあらわにした。

 多少ドロで汚れているが精悍でキレイな顔立ち、そして喉から出る声は高かった。

「あ、胸見せた方が早い?」「……いい」

 何言ってるんだこの女。

 74893号は真顔で戦慄する。

 いや、それ以前にホッケーマスクでも驚いたが。

 しかし、相手が女性だと分かると非があるのはこちらだと気づき、姿勢を整えて頭を下げた。

「あり……あ、ありがとう、ございます」

 機械族になってはじめてのお礼。これまで、機械族以外とは積極的に交流はもたなかった。

「いいって。あんたがいたのは、森の公共とされるエリアだからな。基本、落ちてる奴は助ける」

 それ以外だったら殺してる、とでも言うような口ぶり。

 そこら辺は相手もプロだからと、74893号は納得した。

 74893号はここら辺でようやく相手の正体に気付いた。おそらくは、狩猟や木の伐採などで生活する族の者だろう。

 聞いたことがある。三番街の森深くには、そこで暮らす族がいると――。

「サズカ――いや、カスカ?」

「サズカだ。間違えるな、カスカはこんな仮面どころじゃない。というか、助けたりしない。お前を犯して殺してバラすような奴らだぞ」と、サズカの者は言った。

 サズカ族。

 族には色々な種類があるが、彼女らは生きるために戦いの少ない森に隠れる小規模の族だ。

 主な生活は森に住む動物を狩ったり、木の伐採などによるもの。

 戦いが少ないとはいったが、完全に戦いがないわけじゃなく、彼女らのようにここに住もうとしたのは他にもいて、そのためその族――ようするにカスカ族などとケンカすることは多い。

「失礼しました。――私は、74893号といいます」

「……言いにくくないか、それ? 何て呼べばいいんだよ」と、サズカ族の女性は頭をかいた。「あたしは、サヤだよ。サズカ族の一員で、狩猟を担当している。たまに、森を移動する者の護衛や案内もやっている。あと、たまに人命救助も」

 ありがとうございます、と再度74893号は頭を下げた。

 いいよいいよ、とサヤは手で制する。

「あとででもいいから、情報か機械でもくれない? それがお礼でいいよ」

「………」

 現金だな。

 いや、お礼をしなきゃいけないのは間違いないし。

 それに、地下都市ではこれぐらいでも甘い方だ。もっと図々しくなきゃ、ここは生きていけない。

「あんた、機械族でしょ? あたしは森の外はあんま行かないから噂でしか知らなかったけど。何か、すんごい機械いっぱい持ってるっていう」

「……無断譲渡は禁止されてる。機密情報も多いし、それにだな、その」

「ああ、分かってるよ」みなまで言うなと、サヤは制した。

 機械族の一人が、若い少女だったということ。

 これは、他のどんな情報よりも影響力のあるものだろう。中には、それを知って舌なめずりする者がいるかもしれない。

「言わないよ。実を言うと、サズカ族も似たようなもんだからな」と、交換するかのように重要なことを言った。

「いいのか、それ? 言って」

「そうでもないと信用出来ないだろ。大体分かるが、うちははぐれ者の女性ばかりの族だからな」

 見ると、右の太ももには銃のホルスター。

 おそらく、腰のうしろにはサバイバルナイフ。

 そして、壁にたてかけてあるのはライフルか。スコープまでついてる。狙撃専用ではないが、狙撃も可能。これもまた、迷彩の塗装がされている。(また、スコープはかすかな光が反射しないように布が巻かれている。必要時以外はつけてるのだろう)

「丁度良い、肉が焼けた。ほら、友好の証。あたしとあんたは秘密を共有しあった。サズカ族の他の奴らにも、機械族のことは言わないし。お前も言わないでくれ」

「それはかまわないが……」

 ん、と渡されそうな肉は拒否する。

「すまない、肉は食わない」

「マジか。こんなにうまいものを」と、サヤはガツガツ食う。

 普段はカプセルやゼリーなどを取る74893号にしては、ハードルが高すぎる食材だった。目にするのも嫌だ。

「礼は、ささいだが情報交換で」と、74893号は三番街のことならこいつらも知りたいだろうと教えた。サヤは案の定、うれしそうに聞き耳を立てた。

 彼女ら、サズカ族は四番街に占領されてる間も存在していた。

 森はただでさえ危険だし、それなら森に精通してる者達に任せようとほうっておかれたのだ。

 だから、三番街にいる者には彼らを四番街同様敵視する者もいて、Vは中立的だが実際はどう思ってるか分からない。何せ、サズカ族は三番街が占領されたときも、己の保身を優先した。敵と戦うことなく、条件好きで交流した。敵も彼女らを襲うメリットはないと襲わなかった。(いや、女性だと分かっていたらそれもどうなっていたか分からないが)

「ちなみに、お前帰りどうする? あたしはこれから仕事あるし。知り合いに頼みたいとこなんだけど」

 案内だろうか。74893号はそう思って断ろうとしたが、ズキッと足が痛んだ。

 どうやら、崖から落ちたときだろう。右足を打ってしまったらしい。

「……しかし」

「袋やるからガスマスクとかは隠せ。それなら大丈夫だろ?」

 しばし、考え込むが。

 こくっ、とうなづく74893号。

 森一帯には数々の族が存在するし、中には族間の掟を無視して人を襲う盗賊までいる。護衛の意味でも必要だろう。

「ほら、元気出せよ。肉、肉を食え」

「だから、いらないって」

 何気にしつこい。


 そして、サヤが言った知り合いとやらはすぐに来た。

 無線で暗号通信をしたのだ。一応、土地の随所に族のナワバリは決まっていて、無線も勝手に聞くなと無茶な掟があるのだが、実際は聞こえるときは聞こえるし。念のためだ。だが、いくらナワバリを決めていても争うときは争うので警戒もしなきゃいけない。

「あぁ、来たか。早いな、それじゃあとは頼むわ」

 と、サヤはホッケーマスクをつけた状態で去って行った。

(知り合いには、顔は見せないのか)

 それぐらい、女性であることは重要機密だったんだな。

 いや、正確には能力者ではない女性だということか。

 能力者だったら性別も年齢も関係ないが、能力者じゃない者は大分関係がある。

「はじめまして、僕は九鴉」

 現れた知り合いとやらは、九鴉だった。

「………」

 74893号は、目を点にする。

「あぁ、怯えないで。さっきのあいつの知り合いだから。ホッケーマスクの知り合いなんて、怖いだろうけど。僕はあいつよりかは温厚だから」と、見当違いのことを心配する九鴉。

 いつも通りの――顔だ。女顔、目は丸く、鼻筋は整っていて、キレイ。それでいて、体は大きい方でシルエットがバランス良いから細く見える。彼は今日は緑色のツナギを着ていた。かすかにだが、上半身にはベストらしいふくらみが見える。中に着ているのか。

「……ごめん、僕のこと怖い?」

 と、九鴉は心配そうにたずねる。一向に返答がない心配したのだろうと、74893号は慌ててかぶりを振る。

「こ、こここここっ――光栄です」

「そ、そう」光栄ですって。逆に九鴉は引いてしまった。「それなら、よかった」

 まさか、素顔で会うことになるとは。

 74893号は、湯気が出そうなほど混乱してしまった。

 逆に九鴉は、74893号の素顔に気がついていない。そりゃそうだ、ガスマスクの本当の顔がこんなだと誰が想像つこう。

「えーと、きみの名前は?」

 九鴉は、手を差し伸べながらたずねた。

 74893号は文字を表示しそうになったがやめて「ナイ――」と言いかけた。

「ん?」「……っ」

 ナイフは、駄目だ。

 九鴉にバレちゃうと、彼女はうつむいて言い直した。

「ヤ、ヤク……」

「え?」

「……ヤ、ヤク……ヤクが……名前」

 よりによって、九鴉にはヤクザに見えた呼び名であった。

 気のせいかな、この前も聞いたことのある流れだと九鴉は感じたが、気のせいと思い直した。

「よろしく、ヤク」

「………」

 74893号は、九鴉を憂いを帯びた瞳で見上げたあと、手を取った。


「――よいしょと」

 そして、両手で持ち上げられて左肩に乗せられた。


 げしげしっ。

「あれ、おかしかった?」

 当たり前だろ。

 74893号は声にしようにも、普段喉を使うことがないから上手く発せられず、無言の打撃を加えた。

 九鴉にとってはじゃれてる程度の打撃だが、74893号は本気だった。何故、こんな体勢を。

「ごめんごめん」

 とても、女の子を運ぶ体勢では全然ない。

 これは九鴉が昔から三鹿や四鹿といっしょに暮らしていたから、ってのもある。

(単純に九鴉が天然気味なのもあるが)

 彼はあの双子といっしょにいたせいで、女性の免疫がつきすぎて、相手を女性と思わないばかりか、ほとんど男性と同じ扱いをする。(人を殴らないというのも、九鴉にとっては理由がなきゃ男も女も攻撃しない)これは九鴉だけじゃなく、二狗や、五狼も同じである。また、昔から九鴉たちに恋い焦がれた女性には双子が目を光らせていたので、恋に関してもにぶい。薬をくらって混乱したラクダよりもにぶいと思われる。

「じゃあ、これは?」と、九鴉は平然と74893号をお姫様だっこで持つ。

 おしりをさわらず、だが乗せるように左手だけで支えた。

 右手は万が一というか、森では両手をふさぐのは怖いので空けてある。

「それじゃ、行こうか」

「………」

 ちなみに、74893号が顔を真っ赤にしてるのも九鴉は気がついていない。


 ◆


 //

[しぶといし、運が強いのか]

[結果的に彼女が望むような形だな]

[消すのはかわいそうか]

[いやしかし、邪魔だろ。地下都市のなんか気にするなよ]

[まぁな、だが消すなら自然に消さないとな]

[何かハプニングがあればいいんだな。次は成功させよう]

 //


 018


 九鴉は、森の中を軽快に進んで行く。

(……自分とは大違いだ)

 森も歩き慣れてるのだろう、一瞬のとまどいもなく、地形の微妙な差異も即座に見抜いて、なるべくラクなルートを通る。

 この公共地となる地域には罠はないが、例え罠をしかけられても現在の九鴉なら抜けられるだろう。

「――っ」

 九鴉は一瞬立ち止まった。

 彼は、何かを感じ取ったのか。

 辺りを見回し、耳をすますその表情は、凍てつくほど美しかった。

(こわいっ――」

 殺気というものが、異常なほど研ぎ澄まされている。

 あまりにも洗練されすぎていて、対象が誰であってもかまわない。全ての対象に応用でき、エネルギーとして糧になるものであった。それは、人間味を消した仮面ともいえた。

(自分と同じだ)

 なのに、どこかが決定的に違う。

 彼は人間であろうとしてるのに、ある一点では人間であることをやめている。

 二つの世界は天国と地獄以上に異なるのに、何故――何故、この男は平気なのだろうか。

「あ、あなたは……」

 と、気付いたら74893号は声を出していた。

 本来なら九鴉はシッと止めるとこだったが、気のせいかと歩み始めようとした瞬間だったので、ふと顔を向けた。

 もう、あの冷たい表情はない。

「あなたは、何故そんな顔ができるの?」

 あまりにも大事な主語をのぞいた文である。

 そんな顔とは、何を指しているのか。

 何が聞きたいのか。

 はっきりしない。

「……生きるためさ」

 だが、何となくだが分かったらしい。

 九鴉はあきらめたかのように言った。

「生きるためには、捨てなきゃいけないものもあった」


 ◆


 男達三人は戦慄が走った。

(この距離で気付くか?)

(双眼鏡で見ていたんだぞ!?)

(……奇襲は用心しないといけないな。あいつ、何者だ。ただの若造には見えないが)

 彼らは迷彩服を着て、雑草が生い茂る中から隠れてのぞいていた。

 彼らは三人。

 能力者が一名で、あと二名は能なし。

 対して、彼らがのぞいてる男や少女は未知数。

(女も気をつけろ。能力者だったらタチが悪い)

(まずは男から狙うか)

(足でも負傷してるのか。はっ、イチャイチャしやがって。ともかく、男だな)

 ニヤリと笑う男。

 彼は少女を見て笑っていた。その笑い方は、あまりにも気持ち悪かった。

(あの先には罠がある)

(罠を合図に走るか)

(いや、お前はまず能力を使え。それが本当の開演だ)


 019


 九鴉は道を歩いていく。

 何もないように見えるけもの道。

 彼はなるべく人と会いたくないし、サズカ族から教わったルートを辿って進んで行った。

 だが、嫌な予感がした。

(気のせいかな?)

 と、彼が歩いているとだ。


 ――矢がっ。


 ピアノ線で張られた罠が起動。九鴉は引っかかってしまった。

 太ももに矢が飛ぶ。「うっ――」と、右手で太ももを押さえて、九鴉は倒れてしまった。

「九鴉っ!?」

 少女の声がひびいた。

「九鴉、どうしたの、九鴉!?」

 彼女も地面に倒れたのに、痛みより先に九鴉の名を呼んでいた。

 いけすかねぇぜ、とひがむような声が聞こえてきそうだ。

 二人を嘲笑うように、 大量の矢が飛んできた。


 ◆


 彼らは盗賊だった。

 この森一帯で暗躍するたった三人の族。

 ある人物によって雇われ、男を殺してほしいと言われていた。

 女はついでだ。

 彼らは盗むだけじゃなく、暗殺もする。

 仲間の一人は女は捕獲できないかと狙っているが、それよりもまずは見敵必殺。罠にかかったあと、三人の内一人の能力、サイコキネシスで矢を十本以上は飛ばし、さらに周囲にある小石や枝などもついでで飛ばした。

(あとの二人は銃器だ)

 だが。

「――なっ!?」

 二人の姿は、一瞬で消えていた。

 十本以上の矢は、小石や枝は、無意味に誰もいない空間に放たれる。

(ど、どこに消えて――あっ)

 仲間の一人に、矢が刺さってしまう。


 ◆


 あのときの九鴉は、感覚が鋭敏な状態でそのため罠にはとっくに気付いていた。

 目を凝らしてどういうタイプかも見抜いていて、彼はあえて罠にかかったのだ。

(罠に使う矢なら、毒は塗ってるよね?)

 ワイヤーを噴出させて、樹冠の枝葉に浮いている九鴉。

 彼は太い枝に74893号を乗っけると、自分は静かに降りていった。

「――しっー」

 と、74893号に忠告して。


(――九鴉っ)


 無事だったことに胸をなで下ろす、74893号。

 そんな彼女の心を知らず、九鴉は即座に戦いの場に降りていく。


 020


 九鴉達を襲った盗賊達は目をうたがった。

 それほど、九鴉が行ったことは驚異的だ。一瞬にして攻守が逆転し、奇襲が逆襲に変わる。だが、盗賊らは驚くほど簡単に行動を変えた。踵を返して一目散に逃走。まだ仲間が一人減っただけで、二人で応戦すればいいのにと思うかもしれないが、それほど彼らは冷静で有能だということでもある。

 機械族は一般的には争いをしない族と見られがちだが未知数だし、九鴉についてだって分からないことが多い。二人の簡単な略歴は依頼主によって知らされていて、奇襲ならと考えたが――奇襲じゃないなら割に合わない。仲間を一人やられて、これ以上失ってたまるかと血相を変えている。

 だが皮肉かな。

 九鴉の方が早い。

 この辺りの地理も地形も盗賊達のほうが詳しく、調べ尽くしているはずだ。地面の細かな段差や、つまづきやすいとこ、どこに足を置けばいいか、効率が良いか、全てにおいて計算されているはず。だから、本来ならこんなことはありえない。九鴉は何度もこの土地に来ているとはいえ、ここに暮らしてる彼らと比べたら数えるほどしかない。だから、九鴉が追いつける可能性なんて――ないはずだった。

 九鴉は並ぶ。

 敵は動転し、慌てて拳で語り合う。拳は交わされ、ナイフで切られ、ナイフの刀身で機動を変えられ、関節を曲げられる。二人とも、腕が逆の方向にねじ曲げられた。

「ぎゃああああああああっ――」「あああああああっ!」二人の悲鳴。

 転がる。

 土煙。

 単純な話、九鴉の方が体の使い方がうまかった。

 この土地の走り方は彼らの方が詳しいだろう。だが、人間の走り方で最も速いのは何か。それを知ってるのは、断然九鴉の方だった。

 盗賊の一人が能力を使う。

 彼女の能力はサイコキネシス。周囲にある石や枝葉を浮かし、投擲。弾丸のように飛んでいく。

(空中に逃げるだろ?)

 わざと、真上は狙わなかった。そして、跳んだ瞬間を狙おうともう一人の盗賊が拳銃を用意した。


「跳ばないよ?」


 だが、九鴉は読んでいた。

 飛んでくる攻撃を――全て走りながら受ける。「っ――」小石でさえナイフのように痛く、顔や急所はガードしているが、それでも血やアザができる。枝は杭のように刺さり、中々やっかいな能力だ――そう想いながらも突進し、女にナイフを突きつけた。

 女はそれを手ではらう。

 切られてもいいから、と乱暴な手。

 致命傷を受けないために肉を切らせる。そして、相手の骨を断とうと女は――「あ」死んだ。


「――あっ!?」


 もう一人の盗賊――男は、驚愕した。

 九鴉は右足を蹴り上げると靴底から隠し矢を吹き出し、女の首に矢を当てた。

 まんなかを見事に命中させ、首をつらぬいた。

(暗器っ!)

 暗器。

 暗殺武器の略称。

 地下都市でたまにいる。九鴉も体術に頼るだけじゃなく、自家製の暗器を作成し戦闘に用いることがある。これもその内の一つで、靴底を強く押すとパカッと開き、吹き矢に使うものが蹴り出せる。矢にはもちろん毒が塗ってあって、即効性の猛毒。数秒後にあの世に行ける代物。

「このっ」

 敵は冷静さを欠いていて、拳銃を撃とうとした。

 この距離なら拳銃の利点はほとんどなく、まだ拳の方が有効的だ。だが、このとき盗賊は怒りで頭が回らず、つい武器に頼ってしまう心の弱さが露呈してしまった。

 いくら近距離とはいえ、避けきれるかあやしい。だから九鴉は女の死体を盾にし、銃弾を防いだ。

「――っ」盗賊は忌々しげに怒声を浴びせた。「きさまぁっ!」

 怒るのはこっちの方だ。

 九鴉は女を盾にして、ナイフを奮う。

 男は太もも、腕、と各所を切りつけられ、血管が出血して――女を押すといっしょに倒れてしまい、そこでトドメをさした。首筋を切った。

「………」

 九鴉は冷静に死体を観察。

 まず殺すのに使った暗器の矢を回収した。(能力者の中にはこれだけで分かる者がいるし、その他にも武器に精通した者に探られたくないため)傷口も深くえぐって分からなくし、二人の衣服を探って何か持ってないかを――相手もしっかりしていて、手がかりは一切なかった。

 九鴉は、二人の死体を崖の上から捨てた。基本彼は死体を扱うときは礼節を伴うが、それはできる状況のときだけだ。今回のように、誰かに知られる可能性、そして死体を丁重に扱えない遠出ではそんな気は回せない。


 ◆


「……っ」


 一連の光景を74893号は見ていた。

 彼女は袋の中からガスマスクを取りだし、かぶって遠視機能で見ていた。

 九鴉はあっさりと敵を殺した。敵には能力者もいて、かつ多数だ。自分はたった一人なのに、しかも土地勘はあっちの方が優れてたのに、敵を逃がすどころか全滅させてしまった。

 74893号は気付いていない。九鴉の能力が、戦闘でほとんど効果を発揮しないと。彼が、無能力者に近いと。むしろ、肉体強化としてかなり高位な能力者と勘違いしていた。それでいて技術まであるんだからすさまじいと――逆だ。技術しかないのだ、彼は。

「……お待たせ」

 九鴉は木を登ってきた。

 74893号はすでにガスマスクを袋にもどしている。

 あの殺気立った戦いから、一変してにこやかな笑顔を見せる。

 ――いや、違う。

 74893号はかすかにだが、九鴉の表情に何かを感じる。

 彼女は九鴉が差し出した手を取り、それを敏感に感じ取ってしまった。

(……仕方ないか)

 おそらく、九鴉はあの盗賊の依頼主に気付いているのだろう。

 ならば、74893号は自分を疑っても仕方ないと思った。

 そして、それをクチにはしなかった。

 したら、余計に疑いが濃くなる。無実の罪を広げるわけにはいかない。

 それに、九鴉になら疑われてもいい気がした。

「……っ」

 歪んだ願いだと思う。

 だが、素顔をさらせない。

 この素顔が――あのガスマスクの素顔だと知られることはない。

 それならば、疑われてもいいから記憶に残りたかった。

 この人の、一部になりたかった。


 021


 何でそういう感情になったのか。

 74893号は分からない。

「……っ」

 森から脱出まであと数キロってとこで、九鴉は74893号を背中にしょった。

 こっちの方が走りやすく、危機対応よりすばやく移動した方がいいと判断したからだ。

 事実、九鴉の足はこんな道でも速く、みるみると景色が変わっていく。

「………」

 74893号は、九鴉の背中に顔をくっつける。

 九鴉はしゃべらない。

 それよりも早く、この森から抜け出したいし。そんなヒマはないと彼は急いでいる。

 見ず知らずの他人。しかも、疑いのある人間相手にだ。

「くろうさんは――」気がつけば、74893号は九鴉に話しかけていた。不用意だ。ただでさえ自分を疑っている相手なのに、わざわざ走ってる途中に話しかけなくてもいいはず。だが、74893号は聞きたい衝動を我慢できなかった。

「ん?」

 九鴉は走りながらだが、途切れることなく聞き返した。

 74893号は、間をおいてからしゃべる。

「何で、誰かを助けようとするんですか?

「どういうことだい」

 何故、そんなことを聞くのかと。

 まるで、人助けなんて当たり前のことであるかのように彼は言った。

「だって、今回みたいに戦いに巻き込まれて」

「自分のためだよ」

 74893号の言葉をさえぎるように、九鴉は言った。

「そうすることで罪悪感を紛らわせたいんだよ。いっぱい人を殺してるくせにね。誰かを助けることで、それを誤魔化そうとするんだ。醜いだろ。だから、自分に殺された人々もしょうがないと。自分を正当化するつもりなんだよ」

「嘘です」

 だが、74893号は返した。

 九鴉の言っていることは嘘である。九鴉は嘘つきであると。

 ――だったら、何であなたは戦うときにあんな必死に表情を殺すのか。

 己の感情を殺すのか。

 嫌なんじゃないか。

 人を殺すなんて、傷つけるなんて、本当は嫌なんじゃないのか。

「……嘘です」

 だが、74893号は言えなかった。

 肝心なことは言えなかった。

 何故、どうして、自分は嘘だと思ったのか。判断したのか。

 戦った場面を見てることがバレたら、めんどうさ。どうやってバレた。何で見ようとした。と、追求されることは多い。

「嘘じゃないよ。僕がやってるのは人助けでも何でもない」ただの、自己救済だと。

 でも、現に74893号は助けられている。

 足を痛め、動けなくなった自分を。

「自分を、責めなくたって」

「僕が後悔しないで誰が後悔するんだよ」

 だが、74893号が九鴉を助けようとするのを九鴉は拒んだ。

 一種の壁だった。

 九鴉の心の壁。ここから先は、74893号には入れないと。踏み入れることはないという物言いだった。

「……っ」

 74893号は、悔しそうに九鴉の服をにぎる。



 ちなみに、後日分かったことだが九鴉達を襲わせたのはサズカ族のサヤだ。

 九鴉は近くの診療所に74893号を届けると、部下に監視および追跡の指示をした。74893号はそれを承知していて、怪しい動きはせず、七番街にいる情報屋のフリをした。

 そして、それから敵が誰なのかが具体的に分かった。

(情報屋のヤクは、三番街の奥にまで行って情報を探りに来た馬鹿者という結論になった)

 サズカ族のサヤが何故九鴉を襲わせたのか。命を狙ったのか。

 彼女の意志か、それとも族の意志か。細かいとこは最後まで分からなかった。

 九鴉は事件のことを二狗達に報告すると二狗達は憤怒し、サズカ族の抹殺をはかるが、九鴉が止めて、どうにか彼が交渉する役割になる。だが、サズカ族は最後まで事件の関与を認めなかった。

 だが、四番街の者と内通していたことが、伝達役の確保で発覚し、またアジトを調べると大量の武器が隠されていることが分かり、Vを襲撃しようとしてたことが判明した。これでも九鴉は二狗を止めた。自分が、決着をつけると――彼はサズカ族の拠点に向かうと、サヤを含めた今回の事件の関係者を皆殺しにした。命令をさせ、盗賊に襲わせたサヤ。そして、彼女に命令を与えた長やその場にいた者達を調べ上げて――それ以外の者は関係ないと、残ったサズカ族はVに所属させることが決定する。(それに抗おうとした者がいて、これは殺された)

 74893号も、この事件を軽視できる立場じゃなかった。

 今回のことはすぐに母に知られ、母は九鴉が生かしたサズカ族の生き残りの抹殺をはかる。罪を、全て四番街におっかぶせて、彼女らはひそかに忍び込んで暗殺した。

 サヤが何故、あのようなことをさせたのか。

 最後まで分からなかった。

 どういう心境だったのか。

 肉を74893号に薦めたのも、毒を盛っていたんじゃないか。

 自分を助けたのは、九鴉を殺すためであり、さらにいえば足手まといになってくれたらと思ったのか。機械族のことも、本当は隠さないで族に流したんじゃないのか。

 最後まで、分からなかった。


 //

[死ななかったな]

[どうするんだ。ヒロインは決まってるんだろ]

[でも殺すには惜しいな。良いキャラじゃないか]

[じゃあ、どうすんだよ]

[サブヒロイン候補としてはどうだ。可能性はいくつか残した方がいいと思うぞ]

[まぁいいけどな。しかし、今回の出会いは急すぎないか。それに、下手したら機械族の実体もバレてしまう]

[それはまずいな。出会うにしても、違う出会い方にならないか……]

[一つ、方法があるな]

[そうだな……殺さないで、リセットするやり方が]

 //


 022


 74893号は、カプセルから起き上がる。

「………」

 わきあがる感情はなく、心は空虚。

 瞳は伽藍堂で、ガラスのよう。

「……?」

 彼女は疑問符を浮かべる。

 何故、どうして。

 心にある空白をうまく説明できないものの、何でこうなったのかと彼女は考える。

「………」

 考えても分からず、彼女は仕方ないと、洗浄されたコートとガスマスクを着用、外に出る。



 透明化してローラー靴を走らせ、中心路にあるビル群を足場にしていく。

 突き抜ける風、風は彼女の身に当たることはなく、服やガスマスクによってふせがれる。

 彼女は三番街へ向かっていた。

 約束された時間より大分余裕がある。

 途中、花を見つけた。

 路傍に咲いた、一輪の花――といっても、たんぽぽだが、とてもキレイに思えた。

 74893号は走って行く。

 それをつけていったら、かわいいと言ってくれるか。

 一瞬だけ頭をよぎり――そして、消えていく。

(誰に?)

 何で?

 と、頭の中に疑問符が走る。


 023


 74893号は、錆びた遊具ばかりが並ぶ児童公園――三番街のここに、辿り着いた。

「………」

 待ち人はいない。

 時間を気にする人物にも見えないし、三十分前じゃなく五分前でよかったのかもしれない。いや、十分後に来ても十分だっただろう。だが、彼女はそれよりも早く来てしまった。手に持っているのは、待ち人に頼まれた物資だ。物資といっても、丈夫なロープだとか、フックだとかなんだが。

「………」

 待ち人には重要なものだ。

 彼なら思う存分使いこなすだろう。

 ……彼?

(誰?)

 誰のことを言ってるのだろうか。


 ……三十分後。


 待ち人は来なかった。

 やはり、時間を守るやつじゃなかった。

 いや、そもそも時間を気にする人物かどうかも怪しい。

 結局、待ち人は約束の時間から十分後に現れた。


 おそイ


 ジャングルジムのてっぺんで、体育座りをしてすねる74893号。

「え? あ、ごめんごめん。十分遅れたね。いや、時間が分からなくて」

 彼は腕時計も何も持ってないようだ。

 何か――渡そうと――74893号は、鎖に引っ張られるような感覚に陥る。

(……何だ……何……これ?)

「あ、それが頼んだもの?」

 こくこく、とうなづく。

 文字は表示しない。

 言葉が、出ない。

 声も、出したいのに。


 //

[彼女には九鴉を好きになった気持ちを封じてもらおうかね]

[封じたというか、消したに近くないかこれ]

[いや封じただよ。人の記憶は消せないからね。実際はコンピュータより優秀な作りをしている。ただ、全部を拾い出せない。思い出せないだけなんだ。だから今回もそれだ]

[我々の意志で半永久的にしてるがね]

 //


「へぇ、相変わらずよくできてるね。試しに使ってみてもいい?」

 九鴉は聞いた。

 74893号はこくこくとうなづいた。

 九鴉は彼女が普段より言葉も行動も大人しいのに気付いていない。

 九鴉は試しに近くの三階建てのビルから、鉄柵にフックをかけてロープで下りてみる。予想以上に丈夫で、耐久実験もしたいと聞いてきた。一応は九鴉を三十人吊しても余裕と74893号は文字を浮かばせた。いや、その場合はフックをかけた鉄柵がもつか分からないが。


 //

[流石に殺すのはかわいそうだからね。それなら、記憶の方がいいでしょ。記憶を消しても死にはしない]

 //


「やっぱり、命は大事だからね。念入りに試してみるけど、でもこれ予想以上に良さそうだよ」

 九鴉は笑って答えてくれた。

 74893号は、何故か納得できないでいた。


 いのちヨリ、だいじナものハなイノカ?


「それを守るのも、命がなきゃできないよ」

 ごもっともな返答を九鴉はした。

(――ちがう)

 だが、違っていた。

(もとめていたのは、そうじゃない。そうじゃないのっ)

 だが、九鴉にその言葉は聞こえていない。

 サイレント。

 クチにすらしない言葉は意志にすらならない。

 沈黙である。

「どうしたの、ナイフ?」

 彼は、そんなのおかまいなしに大事にしてるとこから入ってくる。

 心の中に、土足で入ってくる。

 九鴉は74893号に近づき、ジャングルジムをひょいと登って、彼女に目線を合わせる。

「……ん?」

 74893号の異変に気づきはした。

 だが、それが何なのか具体的には分からなかったようだ。


 なんデモナイ。


「そう――」それなら、いいけど。

 九鴉はジャングルジムから下りた。

(何でもない――)

 じゃあね、また頼むよと九鴉は手をふって去っていく。

 背中を向ける。

(何もない――)

 思わず、右手で九鴉の背中をつかまえようと――つかまえられず、嗚咽。

「――っ」

 声は聞こえない。


 //

[でも、あの子。今後また登場させる?]

[それでツバサの出番が削れるのもな。機械族で他に注目してる子もいるし。いや、機械族は絡ませないようにするけどね。出すとしても敵かな。ま、いいんじゃない。かわいい子だし、残しておけば]

[テキトーだな]

[九鴉を好きにならなければそれでいいよ]

[ま、恋愛なんて蚊に刺された程度と思うだろうよ]

 //


 74893号はうずくまり、頭をジャングルジムのに押し付ける。

 何度も手でたたく。

 人の痛みなんて、分かるはずがない。計るのは勝手な自己基準であり、そんなものが全て統一できるはずがない。だから、74893号の痛みも分からない人には分からないし、分かる人には分かる。それだけだ。

「……っ」

 少なくても、74893号にとっては死にたいほどの苦しみだった。

 命が大事なんて、誰が言った。

 命が全てと誰が言った。

 命以外のものを激しく求める者も、どこかにいるのである。


 (了)

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