RUN!!! (type[S]:Starting blocks)

 彼女の名は、スミレ。


「昔は、当たり前のように咲いてたらしいよ。地下都市じゃ、花なんてほとんどないけどね」


 スミレは兄といっしょに暮らしていた。

 暮らしてたといっても、地下都市で兄妹がいられる場所はない。

 何故なら、二人は能力者じゃないから。

 何もないから。

 弱いから。


「いや、能力者じゃなくても生きる術はある。かなり難しく、綱渡りのような生活だけど、方法がゼロってわけじゃないんだよ」


 数だけでいうなら、地下都市にいる能力者は少数派だ。それよりも能力者じゃない人間の方がはるかに多い。

 だが、能力者じゃない人間は狩られる側だ。

 数なんて関係ない。いくら能なしがいようと、力がない者は狩られる。

 いや、死ぬだけならまだいい。奴隷として捕らえられ、人間の尊厳が跡形もなく壊されるよりかは大分マシだ。

 そう、殺されるだけならまだマシな方なのだ。

 スミレは何度も見てきた。死が救いだと思えるような行為があると――

 精液便器のように扱われた者や、慰め者になった者達、臓器や血液などパーツの集合体として見られず売買された者、食料――

 人間であったことを嘲られるような所業。それと比べたら。

 道端にある小石を蹴ったように、不意に何かを落としたかのように、その程度の認識で殺されてもマシなのだ。まだ、全然マシな方なのだ。


「見ちゃ……だめだ」


 それを、たくさん見てきた。

 それから逃れるために、兄から方法を学んだ。

 生きるために、学んだのだ。

 持たない者が生き残るには、持つ者よりも努力しなければならない。

 兄が教えてくれた方法とは、常に住処を移り変えることだ。


「人類史でいう、遊牧民のような生活さ」


 といっても、人類史のような遊牧民とは内容が違う。

 家畜が食べる牧草のためではない――だが、闇雲にさまようのでもない。

 各地で聞き耳を立ててどこが危ないか、どこの族が殺気立ってるかを探り、死の危険から逃れるのだ。

 逃れるといっても基本は七番街だけで、逃げられる範囲は限られるが……それでも、うまくいっていた。安全な場所から安全な場所へと、まさしく綱渡りのような暮らしだったが。


「仲間との協力もあるしね」


 どうにかなった。

 このような暮らしをするのは、彼らだけじゃなかった。

 他にも何名か、上手く立ち回って暮らしていたのだ。中には各地で手に入れた物品を売って商売する者までいるから、人間のたくましさとは恐れ入る。(兄妹の場合は情報だったが)

「僕の名前のヒマワリはね、太陽のような花だったんだって」

「……太陽?」

 スミレは首をかしげる。

「太陽。地下都市じゃ見られないけど、地上には太陽ってのがあるらしいんだ。すごく明るいものらしいよ」

「あのライトみたいに?」スミレは地下都市の天上を指さす。そこには無数のライトが灯っている。

「あんなものじゃ比べられないよ」

 スミレは目を見開いて驚いた。

 あのライトしか知らない人間にとって、それは未知の領域だった。

「……父さんや母さんは、たまたま人類史のことを知っていたから僕に教えてくれた。だから、スミレにはスミレという名前を。僕にはヒマワリって名前をくれた」兄は言った。「いつも、明るい笑顔を絶やさないでって意味なんだと思う。だからね、僕は決めたんだ。死んでしまった父さんや母さんの思いを裏切らないようにしようって」

 それが、唯一のつながりだから、と。

 死んでしまった、両親との唯一のつながり。

 生き長らえるための生活。それだけの暮らし。

 目的なんて何もない、満たすべき欲もない。ただ逃走を繰り返して、飯を食い、生き延びて、争いがあっても避けて、生き延びてそれを延々――でも、辛くはなかった。

 兄はいつも笑いかけ、自分に優しくしてくれた。

 怖くて、泣きそうなときも、いつもいっしょにいてくれた。

 だから、スミレは大丈夫だったのだ。

 兄がいてくれたから。

 一人じゃなかったから。

 それが例え、ほんのささやかな幸福だったとしても、スミレにとってはかけがえのない生きる理由だった。

 だが兄は死んだ。


「……おにい、ちゃん?」


 あまりにもあっけない。

 兄は抗争の巻き添えを喰らって死んだ。

 どこかの誰かが放った攻撃がビルを破壊し、鉄柱が兄の方へと飛び、それが側頭部に刺さって、死んだ。

 鉄柱は壁に突き刺さっている。兄は、それにダンゴのようにぶら下がっている。血はポタポタと垂れ落ち、体も重みで落ちそうだ――

「……っ」

 スミレは、それを無言で眺めていた。

 ……しばらくして、彼女はようやく兄が死んだことに気が付いた。

 そして、どうすればいいんだと途方に暮れ――

 もう一度兄を見て「……っ」ああ、もう二度と笑いかけてくれないのだと悟った。

 このとき、まだ十歳だった。


 生きなきゃいけない。

 わたしは、兄の分も生きなきゃいけない。


 スミレは兄が死んでも生き長らえた。

 死にたくなかった。自分が死ぬことで兄の死を無駄にしたくなかった。

 あんなことで、死ぬ人生。

 兄が、そんな人生を送っただなんて認めたくなかった。

 だから、自分が少しでも長く生き長らえることで、兄が生きていた意味を証明したかった。

「………」

 だが、生き長らえるだけの暮らしは楽しくない。兄がいたから今まで平気だったが、その兄ももういない。

 いつも死人のような目をしていた。兄以外の人と話したこともないから、どうしても会話しなきゃいけないときは不安で苦しくて、懸命にやっても失敗することがほとんどで、一人でいるときは胸をかきむしるような孤独感に襲われることも少なくなかった。

 だが、だからって地下都市は彼女に甘い顔はしない。

「お嬢ちゃん、偉いねぇ。一人で暮らしてるの?」

 スミレは逃げた。

 彼女は、幼い頃から兄に地下都市の事情を聞かされていたため、知っていた。

 スミレに声を掛けてきた男。

 笑顔だったあいつは、子供狩りをしてる族の者だ。


 ――あのガキ、逃げやがった。

                       ――馬鹿が、追いかけろ。

          ――逃がすなよ。ガキはいくらいても足りないんだからよ。


 仲間らしい声も聞こえた。

 半円状の天井が広がるドームの建物、その中をスミレは走る。

 所々穴が空いていて、元は人が住まう巨大な居住施設だったのが、今じゃただの廃墟だ。

「はっ――はっ……」

 子供の足では大したスピードも出ず、うしろからは刻一刻と男達が近づいて来る。

 スミレは狭い廊下を見つけてそこに逃げ込み、小部屋に入って隠れた。中は汚く散らかっていて、隠れるにはもってこいだ。

 カタカタカタッ――

 安心したからか、恐怖が遅れてやって来た。必死に抑えようとするが、全身の震えは止まらない。

「どーこ、かな? おーい、何もしないから出ておいで」

 スミレの顔は恐怖で引きつる。震えは逆に治まり、その分、心臓が異常に高鳴り、思わず胸を押さえつけた。押さえつけたらまた、手の震えが来た。

 男は、ちょっと苛ついてるようだ。何もしないから、って言っておきながら声を張り上げている。出てきた瞬間に殴られそうだ。いや、それよりもひどいことを――

「おにい、ちゃん……」

 無意識に助けを求めていた。いつも笑顔だった兄を。

 いつも、自分を守ってくれた兄を。


 ――お嬢ちゃん、偉いねぇ。一人で暮らしてるの?


 違う!

 あんなのは違う。兄じゃない。兄は……あんな、歪んだ笑顔はしなかった。

 死にたくない。あんな奴に捕まりたくない。

 ――ふと、思い浮かんだのは兄の笑顔。

 ……スミレは考えた。

 辺りを見回す。いくつもの空き缶や、バット、空のバック数個、空きビン、あと空のロッカー。一目、空のロッカーにしか隠れられないように見えるが……。

「よし」

 スミレは決めた。


「どーこーかなっと」

 男が部屋に入ってきた。

 彼は薄暗く雑然とした部屋に眉をひそめるも、慎重に部屋を見回し、子供がいないかを探る。

(……くそっ、ここに来てるはずなんだがな。他に隠れる部屋はないし)

 男は心の中で愚痴を垂れる。

(しかし、ひどく散らかってるな。足場もほとんどねーぜ)

 ロッカーがあったので開けてみたが、誰もいない。棚の裏側や、ゴミが積み重なってるのをどかしても、子供はいない。

「――ちっ、いてーな」途中、バックを蹴ってしまった。足場が狭いため、他にも割れたビンの欠片を踏みそうになる。

 男は苛々して舌打ちをした。


(くそっ、あまり長居してると他の族に見つかるかもしれん。ここは、良くも悪くもみんなのナワバリだからな)


 大きな建物は、自然と人が集まる。それが廃墟だとしてもだ。

 そのため、たまたま今回は彼が子供を見つけたが、もしかしたら誰か第三者が介入してくるかもしれない。

(時間の余裕はねーか)

 男はあきらめて部屋を出た。彼だって、不用意な戦いは避けたい。子供を狙うのだって、弱くて、需要があるからやってるだけだ。

 トビラが閉まると、部屋に静寂がおとずれる。

「……ふぅ」

 バックのジッパーを開けて、スミレが出てきた。

 バック自体は普通の大きさだが、意外と人の体は折り畳んでしまえば、このバックでもすんなり入ってしまう。それがスミレのような小さな子供なら、なおさらだ。

(念のため、他の空のバックにも空き缶を詰めて、中身入りバックが変じゃないようにはしたけど大丈夫だったかな)

 蹴られたときは、心臓が破裂しそうだったがそれも大丈夫だった。

 手には割れたビンの欠片。

「………」こんなもの持っていても、使えるわけないだろうに。

 自分は何をしようとしていたのだ。呆れて、ビンの欠片を投げ捨てた。


 ナゼ、すテル?


 空間に、文字が表示される。

「――っ!?」スミレは驚きで声を上げそうになるも、慌ててクチを手で塞いだ。


 ホウ、こえヲだサナイヨウニシタ、カ。

 わるクナイナ。


 そして、スミレの近くに突如、小さいクモのようなものが現れる。


 コレハ、たんさがたポッド。

 がいハあたエナイ。

 しんぱいスルナ。


 六本足で、体の中央に目玉のような超小型カメラやマイクが付いている。

「……あ、あなたは……え、何?」

「何故、奴を殺さなかった?」

 今度は音声で聞こえた。質問を質問で返される。

「え、いや――だ、だって。そんな」

「馬鹿は殺さないと同じことを繰り返すぞ」

 そんなこと言われても、とスミレは伏し目がちに答える。


             <check>◆</check>

地下都市は、人にもよるが『馬鹿』という言葉に差別的なニュアンスを感じる。

それほど、知識があるかないか。賢いか賢くないかは重要なのだ。

             </check>◆<check>


 部屋の外から悲鳴が聞こえてきた。

「ほらな」

 クモは言う。

「外をのぞいてごらん」

 スミレはこのとき、断ることもできたはずだ。

 だが、何故か引き寄せられるようにその選択肢を取った。

 スミレは部屋を出て、廊下を走る。大きな空間に出ると瓦礫の裏に隠れて、男達をのぞいた。

 男達は、数人がかりで少年を暴行していた。

「このガキ、能力者だった。くそっ、能力者だからって調子に乗りやがって」

 どうやら、この廃墟はスミレ以外にも子供がいたらしい。スミレは心の中で、巻き込んでしまった、と罪悪感が芽生えた。

「どうだよ、能力者! 殺せるものなら殺してみろよ」

 男は、満面の笑みだった。


 こロセ。


 また空間に文字が表示される。

「そのための武器を与える」

 いつのまにか、クモがスミレの肩に乗っていた。

 クモは何をしたのか、突如床に穴が空いて、そこから一丁の拳銃が出してきた。

「……これは」

「我々は用心のために無数に隠しモノをしてるんだ。それこそ、地下都市の至る所にな。七番街だけじゃなく、他の街も例外じゃないぞ」

 スミレは拳銃を手に取る。

 音を立てないように気をつけながら、クモの教えを聞く。

 これは、オートマチックの拳銃。

(元々これは、人類が人類らしい生活を地下都市で行ってた頃の遺産だ。彼らは互いに疑心暗鬼になって狂うと、万が一のためにあらゆるとこに武器を隠した。用心のためだ。皮肉にもそれは、世界遺産のように発掘されることはなく、ある集団によって力として受け継がれる)

 スミレは、一旦その場から離れた。

 マガジンを出して弾を確認し、装填。そして、スライドを引く。

 そして、また瓦礫の裏にもどった。

「ちゃんとグリップにぎれよ。よーく狙いを定めて。これなら子供でも撃てる。心配するな。そう、リアサイト。それをよーく見て」

 弾丸を発射した。

 男の悲鳴が聞こえる。

「何だ!?」

 仲間が動揺し、辺りを見回した。

 そして、自分にすぐに気づいたようだ。まぁ、マズルフラッシュはまぬけにも丸見えだったし、そんな近くで銃声が鳴れば誰だって気付く。

「てめぇ、何を……」

 排莢された弾丸はコロコロ転がる。

 敵が近づいてくる。


「あきらめるな、死ぬぞ」


 スミレは近づいてくる男達の顔を見る。

 彼らは自分が子供だってことに気がつくと、ニヤニヤと笑みを浮かべた。

「……違う」こんなものは、違う。

 スミレは冷静に拳銃を撃つ。

 一人――二人――と、的確に仕留めた。

「――ちっ、糞が」最後の一人がスミレに向かってきた。

 何らかの能力者だったのか。こいつは、ただ撃つじゃ当たらない。

 弾丸は見当違いの方向にそれて、男は無傷で近づいてくる。

 スミレは咄嗟に判断した。クモに指示する。

「……別にいいよ」スミレは銃弾を全部撃ち尽くすと、拳銃を丸ごと男に投げつけた。

 男は手でそれを払う。


「こっちだ」


「――何っ!?」

 男は困惑する。

 少女とは逆の方から声がした。慌てて体を反転させて、彼は構えを取った。

 その間にスミレは背中を刺してきた。

「がっ――」男は野太い悲鳴を上げる。

 刺さったのは、さっき部屋で拾ったビンの欠片。

 スミレはもう一つビンの欠片を取り出して、それで今度は膝の裏を裂いた。

 男は腱が切れて――仰向けに倒れると、今度は顔にのしかかり、最後の一個で男を刺して刺して刺して――殺した。

「……はぁっ……はぁっ……」


 パーフェクト。


 クモは拍手したい気分になる。

 スミレも、憎き相手を殺せたことで満足した。

 彼女はクモに命令し、自分とは反対側から声をかけて攪乱させたのだ。

 咄嗟に彼女は作戦を考え、実行に移せた。

 知識はがんばれば自然と身につくものだが、この頭の回転の速さは違う。並大抵の努力で身につくものじゃない。偶然ではあるが、スミレはこの戦いによって覚醒したようだ。

 スミレは、先ほどまで殴られていた少年を見る。

 少年は、ゾッと背筋を凍らせて「う、う、あぁぁぁっ……」とたじろぎながら、逃げて行った。

「えっ?」

 スミレは、それが何でなのか全然分からなかった。


 ヤッテミテヨカッタロ。

 オまえモ、たのシソウデヨカッタ。


 ……たのしい?

 スミレは自分の頬に手をふれてみる。

 ゆっくり、ゆっくりと、その形状が何かを悟る。

「……えっ」

 口角。

 つり上がっている。

 この形は、笑っている顔だ。

 笑っていたのだ、スミレは。

 そして、レモンイエローの髪も、愛くるしい顔も、服も、両手も、血で濡れていた。

 べっとりと。

 スミレは両手を見る。顔や服や髪にもついてるのを、手で確認する。

(わ、わたしは……)


 オまえ、きかいぞくニナラナイカ?


 これが、スミレが機械族になった経緯。

 そして、理由。


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