番外編③ 少年『達』の庭 -Boyz n the Hood- SS[2]
000
彼だって、夢を見る。
見ることがあるのだ。
「………」
薄暗い室内。
机の上には大量に詰まれた資料、報告書、重要書類の山々。背後にはこれまた膨大な書籍が棚の中に詰まっている。
「………」
部屋のわきにはロッカーが一つ置かれている。
その隣には上着かけ。
「……んぅ」
彼の名前は、二狗。
三番街を代表する族、『V』のリーダーであり、ナンバーズで最年長のまとめ役であり、五人で一番の功労者でもある。
「……っ」
――おっかねぇな。
――これやったの、まだ子供かよ?
――聞いたか、奴らは。
――そんなの分かるよ、ここに描いてあるだろ!
――こいつら、狂ってやがるよ!
――狂ってる……人殺し……殺人鬼……。
「……あぁ」
起きた。
細身の黒髪の青年。
上は白いシャツ、下は黒のスウェット。
族の制服であるジャケットは椅子にかけてある。
右目だけ何故か髪で隠れていて、左目は露出している。
「……思い出したくなかった」
左目は、誰もいない自分だけの執務室を見る。
「………」
余計に、悪夢が甦った。
001
・数年前
七番街。
円環状の立体道路――表通りのはるか下にある、裏通り。
そこのとある一角。
今じゃ何の効果もなさい信号機に、飾られた死体があった。
ロープで両足を縛られ、真っ逆さまに吊されてた。
死体は逆Yの字。
無数の切り傷と、火傷を負い、打撲もあって、もちろん死んでいた。
眼球はなく、鼻もそぎ落とされ骨が露出、液体が流れている。
――血、血が、筆につけた墨汁のように垂れた。
死体の下には、一つの文字が。
V。
それが、デカデカと描かれていた。
(服にも細々と何か描いていたが)
「おっかねぇな」
「これやったの、誰だよ?」
「まだ、子供だって!?」
「こえー」
「子供だから油断したのか」
「ばっかでぇ」
「にしても、やりすぎだろ」
「まぁ、こいつ子供狩りしてた輩だがな」
「でもなぁ……」
死体の周りを通り過ぎる者や、うろうろしてささやき合う者。もしくは、仲間内で観衆も含めて観察する者など。にぎやかであった。かすかだが、声も聞こえていた。
「はっ、いい気なもんだぜ。オレらはむしろ感謝してほしいのによ」
この声は、誰にも聞こえてないだろ。
彼らはこの犯行を誰がしたのか、子供がやったのだけは知っているらしい。
だが、それがどういう子供か。
どんな姿か。
というか、誰がやったのか。
細かくは知らなかった。
ただ、Vという文字だけが鮮麗に記憶に刻まれたようだ。
(――静かにしてろ)
(そうよ五狼、この馬鹿)
(さっさと行くよ)
(……知られない方がいいよ)
四人の声も観衆の中にあったが、誰も気付かない。
汚い身なりをした五人の少年少女が、観衆を通り過ぎていく。
(――中々、勉強になるな)
(心を読んだの? 誰か、気になる奴はいた?)
少年が、少年に聞いた。
(この七番街の勢力図を、どう描こうとしてるかとかな。まさか、俺達が強い影響を与えるとは思ってないが)
(……上等じゃない)
少女の一人の口角がつり上がる。
(へへっ、ブッ殺そうぜ)
(お前は少し落ち着け)
(落ち着こう)
(ひでーよ、二狗兄ぃ、九鴉兄ぃ)
002
二狗は目が覚めてまた仕事にもどる。
仲間であるナンバーズに与えていた仕事を記した書類の確認や、これから依頼しないといけない職人やら技術者の情報や関係書類などの確認、確認確認、ともかく確認の数々をこなしていた。左目は次から次へと活字を追っていく。
「……ふぅー」
一息つこうと、活字から目を離し現実世界に帰還する。
「……声ぐらいかけろ、九鴉」
執務室のソファーには、いつのまにか九鴉が座っていた。
「いや、邪魔しちゃ悪いかなと思って」
彼はタクティカルベストを上着かけにかけて、靴や靴下もぬいでテーブルに足を乗っけていた。行儀が悪いだろと何回も注意したがやめるつもりはない九鴉。まあ、仲間内なら素足を乗っけても文句はないだろと二狗自身も何だかんだで許しているところはある。
九鴉。
黒い短髪で、長身痩躯の少年だ。
背丈はそれなりにあるが、顔立ちは女性のようですらりとした鼻梁、肌が白く、仲間内でなければ男と信じ切れない容姿をしている。シルエットだけを見るなら、頼りのない細身にも見えるが、実際はナンバーズ屈指の近接戦闘のプロフェッショナルで、中身も筋肉がしっかりとできている。
「………」
「読めない本を見てどうする」
「……読めるし」
彼はソファーで本を読んでいた。
読んでる本の題名は、『嘔吐』。よりによって原書版を読んでいて――いや、眺めている。多分、欠片も何が書いてあるか分からないだろう。
「そもそも、日本語だってお前」
「……読めるし」
彼なりに背伸びしたいのか、九鴉はたまに二狗のうしろにある本棚から本を取って何か読もうとする。で、いつも少しも頭に入らなかったりする。それは、彼が読める言語の本であってもだ。
「英語ぐらい僕だって多少は使えるんだよ? 甘く見ないでくれよ、二狗」
「………」
二狗は言ってやろうか迷うが、やめにした。
再び、仕事にもどろうと。
「おっす! おっす!!」
と、今度は四鹿が乱入してきた。
「……っ」
いきなりドアを蹴破るように現れた仲間に、憤る。
彼女も二狗の所属する族の一員で、九鴉や二狗とずっと最初からいる仲間だ。
彼女は風呂上がりなのか、黒のタンクトップにホットパンツというラフな格好だ。
「おっす――」「お前な、またそんな格好――うわっ!?」
槍のような電撃が、二狗の前で舞った。
脅し程度なんだろうが、それにしてもやりすぎな所業。書類に燃えたらどうする。と、余計に二狗を怒らせる。
「おっす!」「こら、四鹿。お前」「おっすってば!!」
四鹿は頬をふくらませて、机を蹴ってくる。
二狗は始終怒鳴りつけるが。
「二狗、四鹿はあいさつを返さないと会話をはじめようとしないよ」
「……おっす」
「おっす! ごめんごめん、大丈夫。四鹿の能力は精度抜群だから!」
と、彼女は急に上機嫌になって暴行をやめた。
二狗に向かっていた足を反転させ、今度は九鴉の横にすわる。そして、彼が読んでいるページをのぞき見る。
「……絶対、読めてないよね」
「読めてるし」
イラッ、と九鴉のこめかみも刺激する。
「……はぁ」
それよりもまず、四鹿はいくら身内とはいえその簡素な格好をどうにかしてほしいものなんだが。
いや、何もそれは彼女だけじゃなく他の面々にだって言えることだが。(九鴉に至っては男だからってのもあって余計に注意しがたい。彼の顔立ちからしたら、いくら男と分かっていてもやめてほしいものだと二狗は思う)
九鴉といい、四鹿といい、ナンバーズの面々はよく二狗の部屋に立ち寄り、各々自由な時間を過ごす。ロッカーは一つだけしかないが、一つで全員使用している。九鴉の武器さえここに入ってるし、四鹿の洋服やら、三鹿のぬいぐるみまでごっちゃまぜだ。
「ねー、九鴉。遊ぼうよー」
「……これ読んだら、子供達の稽古しなきゃいけないし」
「読めてないじゃんってば」
「……よ、読めてるし」
二狗は仕事で缶詰になることが多く、彼の能力からしても、ここにいた方が安全だ。
だから、彼らから遊びに来てくれると二狗の方がありがたかったりはする。
もしかして、そこまで考えて……はないか。
「九鴉って馬鹿なのに馬鹿じゃないって言うよね」
「ば、馬鹿じゃないってば!」
二狗は、二人のじゃれ合いを見ながら苦笑した。
003
四番街の襲撃を受けて、ノザキ邸を脱出した当初は――どうすればいいか、どうやって生きてけばいいか分からなかった。
「……寒いよ」
少女が泣く。
はじめ、三鹿の能力で炎を燃やし、暖を取ろうとしたのだが彼らは焚き火の仕方もロクに知らず、近くにあった燃えやすそうな木片を見つけて、それでやろうとした。もちろん、あっけなく失敗。それ以降は炎を宙に浮かせるのを長時間やったが……三鹿が疲れて消えた。
「さみーよ」
「五狼、文句言わない」
「そうだよ。みんな、体合わせてれば温かくなるよ」
「……えっち」
「何でだよ!?」
「そりゃ、お前がわりーよ」
何気ない会話のつもりだったが、その言葉がある光景――いや、声を思い出して途端、会話が途切れた。
「………」
二狗は、みんなの中でも歳が高い方だった。
だから自然と、他の面々を元気づけようと努力した。
「七番街で、力をつけよう」
不思議と、彼がいうと夢物語のような話も現実味を帯びていた。
「懸命に、少しずつでも力をつけて――そして、ときが経ったらもう一度あそこに行くんだ」
ノザキ邸へ、と。
みんなは怯えを消した目で二狗を見ている。
「……大丈夫、寒いって言ったって死ぬほどじゃないよ」
実際は、かなりの苦労があった。
みんなはずっとノザキ邸にいた子供達で、だから外の世界がどうなってるのかほとんど知らなかった。(一回だけ出たことあるが、それは別)
だから、人の悪意にここまでふれるとは思わなかった。
はじめ、彼らを捕まえようと子供狩りが追ってきた。
暖を取って、眠りに就いた頃だ。
「……起きて、みんな」
九鴉が、敏感に敵の接近に気付いた。
彼らが寝ていたのは、中心路の裏通りのとある建物の一室。
窓ガラスは割れ、ベッドはズタズタ。元は病院だったらしい、そこの三階にいた。
で、敵は階段をのぼって近づいているらしい。
かすかにだが聞こえる。
(……ありがとう、九鴉。お前が起きなかったらやられていた)
二狗は、即座に周囲に近づいてる敵の心を読んだ。
『念のためとはいえ子供になぁ』
『能力者相手ならいくら警戒しても足りない』
『しかし、わざわざ時間をおいて監視して奇襲なんて』
『ま、ノザキ邸の奴らなら警戒した方が』
『悪く思わないでくれよ』
『あぁ、早く終わらせてぇ』
『かわいい子、いねぇかな』
心が乱雑している。
敵の統率は大したことない、おそらくちゃんとした訓練は皆無だろう。
その代わり、実戦は豊富なようだ。彼らはいくら子供とはいえ、能力者だから警戒したらしい。子供達を見つけると追跡し、ここで休んでいるのを確認すると監視、そして寝静まったのを奇襲――と、随分用意周到である。
だが、子供達の中に九鴉がいたこと。これにより、奇襲はできず気付かれてしまう。
そして、子供達の中には二狗もいた。おかげで、全ての情報が丸わかりだ。
(三鹿はまだ疲れてるかな。……ま、大丈夫だよね。四鹿、これから言うとこに雷をやって)
二狗は命令を与える。
三鹿は疲労がまだあるので、休ませることにした。彼女は大丈夫だよ、と言っていたが四鹿も止めに入ったのでどうにかなった。
(その代わり、九鴉、五狼――。働いてもらうよ……)
二狗は、目を鋭くさせた。
◆
敵は階段をのぼっていた。
これから推測するに、敵にはワイヤー噴出装置(のちのち九鴉が使うことになるもの)はないし、三階に突入するような能力も力もないことが分かる。それさえできれば、こんなめんどくさいことは起きなかった。適うなら、階段からも、窓からも攻撃できるなら一番なのだが、敵にはそれができない。子供達が寝ているという、絶好のチャンスがあったのにだ。
(だったら、階段で攻撃すればいい)
三鹿と四鹿の能力は、かなり広範囲に使える。
一度、場所を覚えた場所なら数キロぐらいなら任意で炎や雷を起こすことができる。
だから、部屋から一歩も離れないで四鹿は、階段をのぼる敵達に放電させた。
――ぎゃああああああああああああっ――と悲鳴が鳴り響く。九鴉と五狼が丁度良いタイミング、放電した直後に現れた。「ジグザグ」「OK」九鴉と五狼は階段に躍り出ると壁に跳躍して立体的に移動し、敵の死角に軽々と移動して攻撃、撃破していく。「やめっ」「ぐぎゃっ!」九鴉はガラスの破片、五狼は素手で攻撃していく。はじめてなのに、二人はうまくやった。階段だから足場となる場所が豊富だったのもあるが、何より二人は少しも躊躇うことなく敵の動脈を切ったり、殴って骨折させたり――殺したり、ちゃんとできた。「ぎゃぁぁっ!」「うわぁぁっ!」
「――駄目だ、まだ遠くに敵がいるな」
一人が、廃病院から離れていく。
それは迷うことなく一直線に逃げた。
ようするに、まだ敵がいるという証拠だろう。彼らには、逃げる場所があるのだ。
「九鴉、五狼! 追うな!」
通信機器を持っていなかったことに焦る。
まずは、それが大事だと襲われてやっと分かった。
でなきゃ、廊下からわざわざ敵にも知られそうな通信手段を取ったりしない。
「……逃げろ、そうだ族のみんなが待ってるとこに行け」
そして、二狗は敵が完全に逃走したのを確認すると四鹿に命令した。
「あの建物のあの部分を放電してくれ」
「どれぐらい?」
二狗は答える。
「確実に死ぬほどに」
004
九鴉は子供達の稽古へ。四鹿は休憩のため、仮眠しに行った。
また、二狗は一人の時間を味わう。
「………」
二人には仕事を多く与えているから、申し訳ない気持ちを抱きながら、より自分の仕事に励んだ。ひたすら確認の作業ばかりで気が滅入るが、文句を言ってもられない。
(それに、今後のためにやらなきゃいけないこともある)
彼は過去の人類史の記録も少しは知っているので、そこから得た知識を生かし、街の運営を考えていた。
まず、重要だと彼が考えたのは病気やケガなどの治療であり、その他に衛生面の配慮である。そのため、下っ端には清掃させ、今後は拠点以外の場所も厳しくあたらせる。また、治療に関しては技術を持っている者を集め、彼らに後継者育成をしてもらおうと考えていた。
(そう、知識や技術は教育で受け継がなければ続かないんだ。大事なのは続けることだ)
そして、生き残ることだ。
だから、二狗は教育を徹底させようと考えていた。
とくに、下っ端である――年端もいかない子供達を中心に、文字の読み書きや、数字の計算などを覚えさせようと計画していた。
(過去の人類史を見ても分かることだ。発展途上国など、目先の欲よりもまず徹底して取り組んだことがある。そう、教育だ)
もちろん、医療も大切だが。それさえも、教育がなければ広まることはないし、受け継ぐこともできない。
そのために、やらなきゃいけないこと。用意するべきことはたくさんあり、その作業も二狗は追われていた。(他にも三番街には森の奥に行けば行くほど、ずっと住んでいる族もいるため、そこの外交も考えるとてんてこまい)
「……ふぅ、だから三鹿。お前も一言いってから入れ」
「は?」
三鹿は無言で執務室に入り、ソファーに座った。
彼女も九鴉のように本を読んでいるが、彼女が選んだのは日本語で書かれたものだ。(いや、読める言語の本とはいえ。地上にいた頃の小説を地下都市にいる人間が読むのはかなり苦労する。空や海など、地下都市では味わえないものがたくさんありすぎるからだ)だが、彼女にとってはそれを想像するのも楽しみの一つなのだろう。軽快に読み進んでいく。
「……たるいし」
「お前な、そうやって言葉足らずなのが悪いとこだぞ」
「……ちっ」
軽い舌打ち。
どうせ、今思ったことも読まれてると三鹿は不機嫌そうに眉をしかめる。
いや、実際は悪態をついてるだけ。おふざけ程度だ。
付き合いが長すぎるため、外の者が見たら仲悪いと勘違いするかもしれないが、二狗も三鹿も嫌い合ってるわけじゃない。それは、他のナンバーズも同じである。
(こいつは九鴉に対しても言葉足らずで……この前、タクティカルベストを誰からもらったでモメてたな)
あ、それは四鹿もだったか。
(……あのときはお前をそんな子に育てた覚えはと、半泣きしてたな。あいつのあの顔、初めて見た)
出来れば、見たくはなかった。
と、二狗は思い出を排除。
「……そういえば、さっきまで九鴉も本読んでたぞ」
「どうせ、読めない言語のだろ?」
苦笑する三鹿。
このような顔をあいつの前でも見せればいいのに、と二狗は思ってしまう。
三鹿は九鴉だけじゃなく二狗や五狼、いやいや四鹿にも似たような態度である。
今じゃ、これが彼女の素なのか。
◆
殺し方にも段々と慣れてきた。
連絡の伝達に関しても、最初は道端で売られている通信機器を使っていたが、中にはその通信機器の中に盗聴器やら発信器を隠してるのがあると分かって、二狗は止めた。
(能力ばかりに頼りすぎたオチか。中にはそのことを知らないで売っていた者もいたため、タチの悪いことに仲間達の居場所が知られ、襲撃された……)
そのときは、みんな堰を切ってリーダーに罵詈雑言を吐いた。
だが、九鴉はそれを言わなかった。
「じゃあ、僕らは何かしたの?」
その一言にみんな何も言えなくなり、みんな黙った。口火を切って四鹿だけはあやまったが、他はみんな沈黙したままだった。
三鹿は、後日、個別であやまりにきた。(素直じゃないのだろう。他も似たような反応であやまった)
それ以降、リーダーだけに任せるのではなく、よりみんなが一致団結して考えるようになり、動くようになった。
だが、それは何も良いことばかりじゃない。
「もうやだよ!」四鹿が暴れ出した。
明るくてほがらかな笑みを浮かべる彼女が突如狂いだし、能力まで使って暴走して――最終的に、三鹿が彼女を止めたが、目覚めてからもしばらく鬱状態が続いた。
仕方ない。
人を殺すということはこういうことであり、襲われるとはこういうことだ。
人を殺せば殺すほど、殴れば殴るほど、いつかは自分も味わうのではという恐怖が埋めこまれる。それは地中深く埋めこまれたかのように見えるが、案外、簡単にぱっくりと浮上する。そう、恐怖とはミサイルのようなものだ。どこにあるか分からないスイッチで、簡単にこっちの何もかもを粉砕する。
――だい――じょ――俺が――のう――。
しばらくすると、四鹿は回復し、また日常にもどっていった。
その後、三鹿、五狼――と続き、みんな狂うようになっていった。
二狗は、それを一人ずつ解消していく。
……一人だけ、何故か狂わない人物がいた。
九鴉だ。
「二狗、どうしたの?」
抗争のあと、頬を血に染めた九鴉を見たことがある。
すらりとした鼻梁に、白い肌、女性のような顔立ちの清廉潔白にも見える顔が――頬を血に染めて、とても怖かった。まるで、ぬいぐるみが包丁を持ったかのような異常さだ。誰もが好ましいと思うものに、誰もが嫌だとするものを掛け合わせたかのような感覚。
とくに、あの時期不幸が連続したため辛かった。
「……傷は、ないのか」
「ないよ」
九鴉は、あっけらかんと言った。
「それより、他のみんなは大丈夫? 二狗も、怪我は――」
やめてくれ。
二狗は叫びたくなった。
彼が何よりも恐れているのは、九鴉の崩壊であった。
いつも平然と、しているから。
こんな狂気な世界でただ一人、人類史にあったとされる平和な社会にいたかのような――価値観でいられる人間。それが、誰よりも狂気じゃないと誰が言えよう。
正直いって、二狗は――
005
ノザキ邸。
ここは四つの校舎が東西南北の端に、十字を描くように建てられている。
それぞれの校舎に専門的な設備やら、機材が存在し、現在でも死んでない箇所が多い場所だ。
おそらく、四番街の者もどれがどうなのか何なのか全容がつかめなかったのだ。
だから、壊すのは惜しいと放置することしかできなかった。
「……壊せばよかったのに」
第二校舎。
二狗がいる第一校舎の右ななめ上にあるとこだ。
彼はそこにある研究室の一つにいた。椅子に座り、放置されたままのノートやら、パソコンを操作して過去の記録を閲覧していた。
「データは消されてるか。……だがまぁ、機械をバラせば」
しかし、どうする。
そうなるとできるのは機械族ぐらいだが、それを頼めば奴らにも情報が漏れてしまう。誰か、口の固い機械族はいないか。
「……いや」
やっぱり、やめよう。
彼はいくつかの機材を捨てることを決めた。もったいないかもしれないが、それでも消したいものがある。
(一、二、三、四、五、六……)
考えるのも、本当は嫌だ。
◆
「何をしてる」
二狗は、子供達を稽古してる九鴉を見つけた。
二狗の表情はこれまでのとは違う。唇を強く噛みしめ、怒りのようなものを感じさせる。
「……二狗? いや、何って」
「こんなとこで!」
二狗が九鴉を見つけたのは、第二校舎にある地下施設だ。
地下都市でさらに地下施設とは滑稽なものだが、それはどういうものかといえば、寂れたリング。闘技場のように円を描いた場所である。二階建てぐらいの高さで、ドーナツのように真ん中のふきぬけを二階から大勢の人々が観覧できる。その部屋はいくつもの機材が並べられている。
二狗は一階に下りて、九鴉に歩み寄った。
普段、九鴉以上に怒ることのない二狗が怒っている。
いや、はじめは子供達も何事かと思った。何をしてるって、稽古してるに決まってるだろ。子供数名を前に九鴉が柔術のようなものや、ナイフの使い方を教えていたのだ。一目で分かる光景なのに、何をしてるって。
「お前は!」
九鴉の胸ぐらをつかみ、二狗は怒号を放った。
九鴉は何で怒られているのか、ちんぷんかんぷんのようで、いつもなら胸ぐらをつかんだ瞬間に技を決めるのだが――。
「……二狗?」
泣いてるの?
とでも言いたいかのような、九鴉の声。
二狗は、しばし硬直したあと、胸ぐらを外した。
「悪かったな」そして、踵を返した。「だが、ここは過去に何をやったのか得たいのしれない場所だ。危ないかもしれない……ここで稽古はやめろ」
そのうしろ背中は、ある意味雄弁であった。
Vと描かれた、彼らの制服。黒いジャケット。
006
二狗は、いつも一人だったといえる。
彼は仲間がいなくなるのを恐れた。
そして、仲間が崩れていくのを恐れた。
だから彼は、自分にできる精一杯の手段でそれをフォローしていった。
もう、絶対に失いたくないと。
必死に、彼なりに、砂の城を守ってきたのだ。
それが、彼の庭だ。
彼の庭はいつも波が押し寄せて城が崩れそうなのに、無茶な方法でそれを守ってきた。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九……」
二狗は覚えている。
彼は覚えている。
これまでのこと。
ここまでのこと。
全部。
何もかも……。
◆
ときは経ち、九鴉を二番街の偵察に向かわせた頃。
二狗は、第三校舎に向かった。
ここには第二校舎以上に強固な部屋がある。何らかの実験室だったのだろう、コンクリート造りの、三階建て分はある――井戸のような地下牢。
「……二狗ぅぅぅ……」
五狼が、けわしい目で二狗をにらんだ。
地下牢は暗闇につつまれており、五狼の姿は見えないがしっかりとそこに存在しているようだ。
「流石のお前も、鎖につながれてこんなとこにいたら疲労もするか。どうだ、少しは反省したか?」
「死ね、くそ野郎!」
だが、返ってきたのは真逆の答え。
年端もいかない少年に暴行した五狼に対する罰なのだが、まだまだ元気なようだ。
「……五狼、頼むよ。あまり俺を困らせないでくれ。俺だって本当はこんなことしたくないんだ」
「へっ、よく言うぜ。自分だけ良い子ちゃんのつもりかよ。虫酸が走る。本当は、お前が一番嫌なんじゃねーのか!?」
「何が言いたいんだ」
二狗は眉をひそめる。
「集団なんて気持ち悪い! 何が族だ、何が絆だ。仲間だ、結束だ!? 胸くそ悪くなるぜ」
「……そうか」
寝ているとこに麻酔をかがせ、ここに連れ込んだのだが。まだまだ元気な五狼。
人は暗いとこに長くいると厳しいらしいが、こいつはまだまだ平気なようだ。
「俺は違うよ、お前とは違う」二狗は言う。「仲間が大切だよ。それしかなかったからな。それしか、俺は自分を許す手段がなかったんだ。許さなきゃ、俺はこの世にいることを認められなかったんだよ。なるほど、そういう意味ではお前が正しいな。俺は、ある意味で一番仲間だとか集団に吐き気してる……だがな、これしか方法がないんだよ」
「はっ、そうやって詩人でも気どるつもりかよ、偽善野郎」
五狼は、言うことは稚拙で馬鹿馬鹿しくも感じるが、言ってることは割と二狗の痛いとこをついていた。
「本当は、ただ怖かっただけだろ」
「………」
否定はしない。
二狗はバケツに入った水を地下牢に放り込み、踵を返して出て行った。
「てめぇ! この野郎、くそがっ!」
007
長い廊下を、二狗は歩いていく。
(一、二、三、四、五、六……)
覚えてるよ。
何度も呟きながら、彼は歩いて行く。
ときおり、思考麻薬を摂取しながら、彼は廊下を歩いていく。
(一、二、三、四、五、六、七、八、九……)
END
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