番外編① 観客席 -Auditorium- 1-3

 PM 22:13


 長居したかに思えたが、案外そうでもなかった。

 俺としては一年か二年、それくらいの体感時間がこの館で起きたのだが。

「それじゃ、おやすみなさい」

 正面玄関まで、偽物の少女は俺を送ってくれた。

「ありがとう。わざわざ、この家の秘密を見せてもらって」

 バレたら、拷問されて処刑されるかもしれないのに。

「別に、アタシの秘密じゃないしね」

 あまりにも、他人事で俺は笑ってしまった。

 俺は背中を向けて去ろうとする――が、誰かにぶつかってしまう。

「え? あぁ、ごめんよ――って」

 機械族きかいぞく

 俺がぶつかったのは、ナタネ達と同じくらいの背丈の機械族だった。

 顔に緑色のガスマスクを被り、緑色のフード付きロングコートを着ていた。

 これも族の一つだが、Vや牙とは違い、街を代表とする族ではない。こいつらは、環境など関係なく、違う理由で徒党を組んでいるらしい。

 謎多き、機械の技術や知識にくわしい者達だ。ゆえに、機械族。

「……だ、大丈夫?」

 小柄な機械族は俺にぶつかっただけなのに、盛大に尻餅をついていた。

 痛そうにお尻をさすり、ガスマスクからじゃ分からないが涙目になっていそうだ。

「あの……」

 蹴られた。

「え、いや、ちょっと、痛いって」

 ボコスカ、とスネや足の甲を狙って蹴られた。いや、足の甲はやめろよ。ホント、簡単に折れる箇所なんだから。危ない奴だ。文句の一つでも言おうとしたが、機械族はさっさと館の中へ入っていった。

「………」

 また、うしろから大柄の男らしい機械族もあらわれ、館に入っていく。ご丁寧にこちらを見向きもしないでだ。

「何だ、あいつらは」

「あれはこの館の整備をしてくれる人達で。……無愛想だけど、仕事は丁寧なのよ? 来るときも出るときも無言で挨拶すらないけど」

 駄目じゃないか、それって。いいのだろうか……。

「まぁ、ともかく、そのっ――じゃあな」

「えぇ」

 俺は館を離れようとした。

 だが、思い直してふりむき少女に問いかける。

「きみの――名前は」

 せめてもの、つながりを求めたのか。

 別に何かを期待したわけじゃない。だが、同じ三番街……だからか。かすかな記憶しかないものだが、少しでも知ってる人と関係を持ちたいと思ったのだ。

「……ごめんなさい」だが、彼女はかぶりを振った。

 それは、教えられない?

 いや、違うか。

 名前がないのだ。

「ごめん」

「あやまらないで」

 今度は、本当に館を去った。

 うしろをふり向かず、足早に。

「………」


 背後から、遠雷のような音が鳴った。


「なっ――」

 ツルギ家の方角だ。

 俺は慌てて来た道をもどる。能力を使っても、大分遅く感じた。

「おい! くそっ――あれは」

 ほとばしる電流が、バチバチッと音を上げていた。

 館の前にいるのは、偽物のナタネだ。そして、もう一人はこの家の当主。

「……ミハエ・ツルギ」

 奴は少女の頭を踏みしめて、吐き捨てるように言った。

「あぁ、苛つく。何故私は貴様のようなクズを家に上げなければならないんだ」

 ミハエの能力は放電能力のようだ。

 ほとばしる電流はそれだけで感電死してしまいそうなほど激しい。だが、少女にはあえて一発で死なないように威力を抑えている。

「分かるか? 貴様のようなのは私は大嫌いなんだよ。本当は家に絶対に入れたくない。……それが分かるか。貴様に」

 少女はミハエを見ることもできず、恐怖に震えていた。

 ミハエは電流を帯びた左手で彼女の首をつかんだ。

「――っ!?」

 少女の体がガクガクッと震えだし、舌を垂らし、目が飛び出そうになっていた。


 俺は、それを物陰から見ていた。

「……おい、……足。……動けよ」

 助けなきゃ。

 助けなきゃ、駄目だろ。


「貴様に分かるか」ミハエは言う。「貴様みたいな、汚れたゴミを家に入れなきゃいけない気持ちが」

 私の家は代々、楽園教に貢献してきた名門なのだ。

 ミハエは言う。

「それなのに――それなのに貴様は……」ミハエは恫喝するように言った。「この、売春婦が!」

 少女に電撃を浴びせていく。

 ――俺は駆け出した。もはや後先どうなるか考えてられない。

「ああああああああああっ――あ?」

 ミハエは疑問符を浮かべる。放電を喰らった。

 全身を何ボルトか分からない――痛みが、走った。

 血液が沸騰したかのような痛みだった。俺の体は石畳を転がっていき、力尽きた。

「……何だ、貴様は」

 こっちは忙しいのに、と虫けらを相手するようにため息をついた。

 ミハエは昼間の仕事で俺を何度か見たはずなのに、覚えていないらしい。

 奴は少女の拷問をやめて、俺に近づき――腹を蹴った。

「ぐっ――」

「何だ、と聞いているのだ」

 高そうな革靴で、障害物をどかすようにつま先で蹴られる。

 その度に俺はくの字に曲がり、ただでさえ電流で麻痺してる体に痛みが回る。

 だが、俺はミハエの足にしがみついた。

「おい、離せっ」

 離さない。

 俺は、泣きながら両手に力をこめた。

「おまえに……」喉はふるえ、ボロボロになっても俺は言う。「おまえに、何が分かる!」

 どんなことしても生きたいって気持ちが、あんたに分かるのかよ。

 俺はそれが言いたくて、負けたくなくて――

「貴様っ。下等団員が、教団の居住権を剥奪してもいいんだぞ!?」ミハエは足にしがみつく俺を邪魔くさそうに殴る。「このっ、どうせ貴様等は外で人殺しをしてきたんだろ。……はっ、人の死体を町中でばらまくような奴らだ。さぞかし、楽しい思いだったろうな」

 おいおい。そりゃ、たった一つの族だけだっつーの。

 そんなものといっしょに……俺らだって、あいつらは怖いってのに、ひでぇよ。ちきしょう……いや、憧れはしたけどさ。

 顔を殴られ、鼻が折られて、血が出てしまった。

 それでも俺はしがみついていたかったが、今度は威力を上げた電撃を喰らってしまい、全身が小刻みに震え、体は反り返り、痙攣した。

「……はぁっ……馬鹿が、下等団員ごときが」

 ミハエは、両手で電撃をため込む。


 ――爆発した。


「なっ――」ミハエは突如のことに、目を点にしてうしろをふり向いた。

 爆発。

 館の玄関が吹っ飛び、濛々とした煙が出ている。

 その中から、二人の機械族が館から出てきた。


 スマナイ


 と、空間に文字を表示させた。

 機械族は、言葉をしゃべらずこのように空間に文字を表示させる。


 ガスかんカ ナニカヲ ヤラカシテシマッタラシイ

 アトデべんしょうスルカラ


 大柄の男は両手を合わせて、ごめんね、まで付け加える。

「何を、言って」だが、ミハエにそんなもの通じるはずがない。「この、ツルギ家に向かって、何だそれはっ――」

 ミハエの額に、赤い点が灯る。

 それは一つだけじゃなく、二つ、三つ――全部で九つの赤い点が、ミハエの体に灯っていた。

 それぞれ、肘や膝などの関節、および急所を狙っていた。

「……き、きさまらぁ……」


 われわれニこうげきスルナ シタラ、ドウナルカ わカラナイワケデモナイダロ?


 大柄の男は、試しに指をくいっと動かして赤く灯る点を石畳にずらす。

 ――銃声っ。

 石畳が削られ、銃痕が残る。

 俺は、辺りを見回した。一体、どこから狙ってるのか。そもそも、これは一体……近くに誰かいるのか?

 こいつらは二人だけで来てたように見えた。だが、隠れて仲間がいるのか。それって、こうなることを想定していたのか。いや、そんなはずはないだろ。

 大柄の機械族は俺の首根っこを掴み、起こしてくれた。

「え、あっ――あ、ああ、あの」

 まだ電撃で痛み、クチが震える。

 大柄は何も言わない。

 気にするな、と少しかぶりを振っただけだ。

「……貴様ら……」ミハエは憤激丸出しだが。


 おマエだって きかいぞくノおきてハしッテルダロ?


 機械族。俺達が日常で使う機械の提供や整備は全部機械族が行っている。

 そのため、機械族は全ての族と同盟を結んでおり、地下都市で唯一、中立派を保っていられる。だから、逆を言えば誰も彼らに手を出せない。


 FUCK。


 バシッ、ともう一人いた小柄の機械族が、大柄のに叩かれた。

 小柄のが表示した文字は――アルファベットか。

 人類史で、遠い異国の者が使ってたらしい。しかし、今となっては一部の言葉しか残ってないが。

「何だ、その言葉は。どういう意味で使った」

 ミハエは訝しげにたずねるが。


 イヤ、ゆるシテクレトイウいみダ おれカラモあやまル


 大柄のは悪い意味で言ったわけじゃないと言い、さらにもっかいあやまった。

 小柄のは、中指を何回も突き立てて、FUCK、FUCKというが、その度に頭を叩かれた。

 ……本当に許してくれって意味なのか?

 ようやく落ち着いた頃には、小柄のは俺を見て「ぐっ」と親指を突き立てた。

 バシッ、とまた頭を叩かれた。今度は意外だったらしく、「何で?」と大柄を無言で見上げた。

 大柄のは、静かにかぶりを振る。

 ……何となくだが、分かった。この大柄のは、俺に気を遣っているのだ。


 ――VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON――


 サイレンが鳴った。

 今度のはレベルB。下等団員だけじゃなく、三等団員や二等団員も黙ってはいられない事態だ。

「……今日のとこは見逃してやる。だが、貴様の顔は覚えたぞ」

 ミハエは居住まいを正すと、足早に館へもどっていった。

 途中、金髪の少女を叩くという余計なことまでして。

 機械族はいつのまにか離れていて、うしろ姿が遠くに見えた。感謝する暇もないか、ならばと俺は少女を気にしたが。

「……だ、だいじょう」少女は、手で俺を止めた。「……ごめん」

 来るな、さっさと行け、と少女は言っていた。手だけで、それが分かった。

 結局、俺は何もできなかった。

 挑んでみても、あっさりと負けた。

 最後だって、本当に助けたのはあの機械族だったじゃないか。


 PM 23:36


 サイレンが鳴り響く。

 教団内は数時間前にもバタバタと慌ただしかったのに、再び人の群れが集会場や出口へ殺到し、暴動のような有様だ。各員、道の途中で案内が指示しているが聞いてるかも怪しい。

「アカリ!」

 俺は、まず家にもどりアカリと合流しようとしたが、途中で彼女と再会した。

「スーちゃん……」アカリは俺を見つけると、駈け寄って抱きついてきた。「よかった……」

「アカリ?」

「スーちゃん、無茶でもしたんじゃないかって。あのあと……スーちゃんがいなくて、心配で心配で」

 俺は息を詰まらせる。実際、無茶をしていた。

 アカリも気づいたのか。顔を上げて、俺の顔を見つめた。

「いや、そのっ」

「……スーちゃん」アカリは俺の顔に手を触れる。血が固まった鼻や、腫れた頬などを。「ごめん、ね」

「お前があやまるなよ」悪いのは俺だ。俺が、無鉄砲だったんだ。

 そして、弱かったんだ。

 人の往来が激しく、足音が騒音のように聞こえる。

「そこ、早くしろ! 緊急事態だぞ!」


 PM 23:47


 遅れて知ったことだが、何でも楽園教は四番街の族に宣戦布告したらしい。

「テレビで?」

「そう、テレビで」

 編成された部隊で中心路に向かい、避難民を確認しながら俺はアカリに聞く。

「教祖様が直接言ったのか」

「そう、悪魔だってね。三番街と何か企んでると思ってたけど……これだったのかもね」

 アカリは悲しそうに目を背ける。

 俺だって背けたい。そんな、事実。


 俺達は中心路の各地で、四番街からの避難民をチェックしていく。

 ときおり、声をかけて厳しく注意をうながした。

 表向きは信者がいたら危険にさらされないよう保護――実際は、避難民を捕らえて、スパイとして使えないかどうか調べたり、もしくは情報を聞き出すためだ。

「離してください、やめてウチの子は――」

 赤ん坊を奪われた母親が、雑踏の中に紛れた。

 俺は、アカリと二人一組で裏通りの一角から避難民のチェックにあたった。

 裏通りなら誰にも見つからない、と考えた者を狙う。

『いいか、なるべくカモにしやすいのを連れて来いよ』

 四等団員の先輩から言われた。

 俺達は、子供連れもしくは子供だけを狙い、声を掛けた。

「すいません、そこのお母さん。ちょっと聞きたいことがあるんですが」アカリは明るい笑顔で中年の女性に声をかける。そばには幼い少年がついている。「実は、楽園教なら誰でも保護してもらえてですね」

 そして、親子連れを教団のテントに連れて行く。それを延々と繰り返す。

「……なあ、俺達がやってることって」

「だまって」

 アカリは言う。

「今は……今は、しょうがないじゃない。私達がやらなかったら、誰かがもっとひどいことをするかもしれない」

「それは」偽善と何が違う。

「私だって、あそこから離れたくない」

「……アカリ」

「ごめんね、ススム。昼に変なこと言って。これを見て、考えを改めた」

 四番街からの避難民は予想以上に多く、数少ない荷物を抱え、子供を大事そうに抱え、戦闘能力のない能なしや戦えない者達が殺到していた。

 彼らのほとんどは楽園教の宣伝に惑わされ、連れてかれる。

「ねー、お兄ちゃん。楽園教って、本当にしあわせにしてくれるの?」

 俺は、騙してる最中に少年に聞かれた。

 アカリが心配そうな目つきで見る。

「……そうだよ」俺は笑って少年に語る。「楽園教はね。この地下都市で比べたら、どこよりも公平で優しいよ」


 かえして、その子をかえして。やめろよ、おれらがなにをしたって言うんだ。やああああああああああああああああああああああっ――。かえせ、おい、ふざけるな


 悲鳴と罵声が響き合い、どれがどれだか分からない。次第に甘言じゃ騙しきれず、力尽くで連行することもあった。

「やめて、かえして!」

 母親の女性が、子供を抱きしめながらうずくまる。俺は両手を無理矢理引きはがし、アカリは子供をつかんで、無理矢理に運ぶ。


「………」


 中心路にいたその他の人達は、黙ってその光景を眺めていた。

 助けるはずなんてない。彼らだって明日は我が身かもしれないのだ。

 それなのに、目の前の人を助ける余裕なんてあるだろうか。

「仕方のないことなんだよな」俺はアカリに同意を求めるようにいう。

「………」

 だが、アカリもクチを閉ざすようになった。母親から子供を奪ったときは、俺以上に思うとこがあったようだ。


 突然、粉塵が灰色の空に向かって昇った。


 俺は目を見開き、アカリは口元をおさえて眺めていた。

 辺りに爆裂音が鳴り、若者の雄叫びと暴力の音が大合唱される。

 ウオオオオオォォォォォンっ――と誰かが叫んだ。

 四番街の族、牙だった。

 彼らはいつも恐怖感を抱かせる風貌で、街中も自由気ままに横行する。今回は、それよりもさらに抑制がきかず狼のような雄叫びを上げていた。

 彼らは、楽園教を襲いだした。

 楽園教も負けてられない。

「へんせぇぇぇぇぇい! へんせえええぃ!」

 即座に、編成が組まれた。

 俺達、下等団員は一箇所に集まり、三等団員の手で指示を出される。

「……ミハエ・ツルギだ」奴は俺の顔を見つけ、愉快そうに笑った。二等団員のくせに、三等団員の役目を果たす。「私が、今回の指揮を執る。貴様ら、しっかりとあとに続け」

 そして、即座に簡易的な部隊を作り上げた。

 肉体強化や武器との相性が良い前線に出やすい能力者は前へ、逆に炎や雷など遠距離型の能力者は後方に下がりサポート支援にまわる。

 俺は肩を叩かれた。

「また、会ったな」ミハエは楽しそうに笑う。二等団員が五等団員にふれるなど珍しいことだ。ずっと、さわらないでいてほしかった。「お前――いや、お前達には特別任務を与える」

 ミハエはアカリもいっしょに見て言った。

「そんな、アカリは何も――」クチをふさがれる。

「はい、分かりました」

 アカリが、俺のクチをおさえていた。

「ちょっ、アカリ――」

「今は仕方ないよ。大丈夫、私達は共鳴者でしょ」

 と、根拠のないことを言う。

「……これが、お前達の仕事だ」

 渡されたのは一枚の写真だけだった。

「これから、貴様等にはある二人を探し出し、見つけてもらう」

 ミハエは、懐から写真を二枚取り出して、俺達に見せてきた。

「これは――」

 そのとき、狙い澄ましたかのようなタイミングで声が聞こえてきた。


 止めてくださーい――


 彼女なりに精一杯声を出してるのだろうが、それは周りの衝撃音や悲鳴でほとんどが掻き消されていた。俺のような、肉体強化の能力者。聴覚も研ぎ澄ませる者じゃなかったら、とてもじゃないが拾えない。

 写真に写っている少女と少年。

 俺達が任された仕事は、ツバサちゃんとダイチくんを助けることだ。


 PM 23:59


「声がした方は、ここから二~三キロ?」

 アカリは関節を伸ばしながら俺にいう。

「そうだね。大体、それくらいだ」

 現状、楽園教が四番街の牙に押されていた。

 予想外の事態だった。楽園教はトラブルに対しても、普段から訓練慣れしている部隊が多く、今も編成をスムーズに行えていたはずだ。

 だが、四番街は奇妙奇天烈な戦法でいどんできた。

 奴らはチームを小単位にわけるどころか、全員がバラバラに動いて攻撃してきたのだ。

 本来なら、それは戦術も戦略もないデタラメな戦法に見える。そんなことじゃ、効果的に攻撃を行えないし、何より統率が取れず、うまい連携が取れるはずがなかった――はずなんだ。

「驚いたな……」

 敵は、個別で動きながらも見事な連携を取り、楽園教を翻弄している。

 先陣を切った肉体強化や武器を使う能力者は、遠距離系の能力者に攻撃され、次に近接戦闘が得意の能力者が――横から能力者が襲いかかったりと、獲物を喰らう獣のように殺された。

「こんな……戦い方があるなんてね」アカリは言う。

 人類史なら、このような戦法もあったのかもしれない。それにしても、見事に楽園教の予想していない部分をつき、かつ効果的に戦果を上げていった。奇襲や挟撃もうまい具合に行ってるし、これ、ホントに個別で動いてるのか。そもそも、これって突発的に起きたことじゃないのか。避難民に対してブチギレた四番街の奴らが起こしたものだとばかりに――

「そろそろ、行こうか」

 アカリは言った。

 俺も意を決して挑まねばならない。

 七番街の道はどこも爆発が起こり、地面は大分抉られ、死体は散乱し、耳から入る音も衝撃や悲鳴が折り重なり、ツバサちゃんの歌もいつまで聞こえるか。

「行こう――」


 AM 0:13


 俺が先行し、アカリがそのあとをついていく。なるべく、後方から能力を使って俺のサポートをしてくれるように頼んだ。

「よしっ――」共鳴者特有の高揚感。そばにアカリがいるだけで、俺の力がみなぎってくる。

 勢いよく地面を蹴り――疾走する。

 荒れ狂う戦場の中をあっという間に駆けていった。

 目や耳に入る情報はどれもこれも邪魔くさいものばかりで、壊されるものばかりで、キレイなものは何一つない。

(バードスター……)

 脳裏にヒーローコミックの主人公が思い浮かぶ。どうでもいいときに、どうでもいいのが浮かんで来た。うんざりだ。

 へっ、あんたはかっこいいけど、でも本当にこんな戦場を駆けたことがあるのかよ。

 妄想の中で妄想に苦言を呈す。

 俺は、今戦場を駆けてるぜ。

 頭上から、若者がこちらに迫ってきた。


「――っ!!」

 黄色い首巻きをした若者、四番街の牙。

 俺は咄嗟に先手を打った。地面にある小石を蹴って、さらに俺も続いて拳を繰り出す。だが相手は小石をさらっ避けて、拳も受け流して腕をからめて、両足を体にかけ、俺を倒した。

「いっ」短い悲鳴。アカリは攻撃しようにも敵が俺にしがみついてて攻撃できず、――しかし、敵はすぐさま離れた。離れた瞬間にアカリは攻撃するが、敵は難なく避けた。

「……くそっ、体術か」

 体術。人類史で浸透していた、能力も何も使わず、肉体のみで戦う技術。

 まさか、爆発なんて起こせる能力者がいる中で、そんなものを使うなんて――俺は片腕を押さえながら立ち上がる。左腕はもう駄目だ。

「ははっ」敵の男は軽快に笑う。「弱いな、お前」

 狩りどきだ――と言ってるかのようだ。

 俺は地面を蹴って肉迫し、ジャブを繰り出した。だが敵はまたしても拳をかわしいき、狙った拳を両手のささいな動きでからめ取り、俺を投げ飛ばした。

「がはっ――」投げられた衝撃と地面の固さが、ダイレクトに体に伝わる。

「ススム!」

 即座にアカリの電撃――しかし、男は俺を引っ張り、盾にした。「くっ――」電撃はわきにそれる。アカリが場所をずらしたのだ。

 男は、にんやりと笑う。

「ざけん、なっ――」俺は憤る。

 小物を見るような目――自分より格下で、劣っていて……いつでも狩れるっていうような。

「舐めるなよ」

 俺は、右腕に力を込めて、思いっきり地面を殴った。

 敵は俺を離し、離散する。

 地面が大きく破裂し、粉塵がいくつも飛んだ。威力だけなら、俺だってこのくらいはできる。もちろん、アカリがそばにいることが前提だが。

「スーちゃん!」

 アカリは電撃を放つが、敵はもう姿を消していた。逃げ足の――いや、先ほど俯瞰して見ていたら連中はこのような攻防を何回も繰り広げていた。

 俺はよろよろと立ち上がり、辺りを見回す。

 獲物だ、とヨダレを垂らして待ちかまえている能力者が数名いた。

 たった数分の戦いで、俺達の値札は半額以下になってしまったようだ。

「……逃げるぞ」「あっ――」

 俺はアカリの手を引っ張り、路地裏へと走る。

 直後、爆発が俺達の背後で起きた。


 AM 0:18


 俺とアカリは手を離し、しかし共に路地裏を走って敵から逃走する。

 ここへは何度も仕事で通ったことがあるので地理にはくわしい。そのため、曲がり角やわずかな段差などでつまづくことがなく、むしろ敵が攻撃を仕掛けそうなとこを先読みし、逃走に貢献した。

 しかし、それも長くは続かない。

 ――敵は、正面からも迫ってきていた。

 奇襲、そして挟撃を効果的に使う奴ら。

 本当にこいつらはどうやって連携を取ってるのか。俺たちは死を覚悟して、正面を突っ切ろうと。

「それは少々早いですよ」若い男性の声がした。

 知的あふれる、落ち着いた声。

 一筋の光が、正面の男達に走った。

 レーザー。敵は一瞬にして撃ち抜かれる。

「わしゃぁ、そんな奴に育てた覚えはないがな」ガハハハハハハッ、とうしろでは筋肉質の男が笑っていた。

 彼は衝撃波を繰り出し、追っ手を殲滅していった。

 クレハさんとゴンゾウさん――二人は黄色い首巻きをして戦っていた。

「クレハさん! ゴンゾウさん!」

「大きな声を出さない」

 クレハさんは俺を抱え、建物に穴を空けて中に侵入。ゴンゾウさんもアカリを連れて中に入ってきた。

「ちょ、あ、どうもありがとうございます。――じゃなくて、何で黄色い首巻きなんて」

「潜入ですよ」

 クレハさんは言う。

「牙に潜り込んで戦っているのです」

 あっさりと、何事もないかのように語る。

「そんな……」

「危険な任務です。でも、だからこそ自分達じゃないと無理なのです」

「ガハハハハハッ」

 ゴンゾウさんはアカリの背中を叩いて、豪快に笑う。

「あなた達こそどうしたんですか。やたらと敵に追われてましたが」

「……それは」俺は言いにくそうに顔をゆがめる。

 雑魚だと侮られ、狙われていたなんて言えるかよ。

 怪我した左腕も、バレないように誤魔化した。いや、今もズキズキと痛み、隠せるどころじゃないのだが。

「まあ、どうせ上からめんどうごとを頼まれたのでしょうね」

 正解。

 やはり、楽園教の常識らしい。そして、その常識がほぼ一〇〇%はまる。

 皮肉にも、おかげで誤魔化せた。

「自分達はまた牙にもどります。あなた達を助けましたが――まあ、見てる者は全員仕留めたでしょう。あ、次に自分達を見ても知らぬフリですよ?」

「わしらも、なるべくは関わらないようにするからよ。ガハハハハハッ、潜り込んだはいいが敵に若干好感も持っちまってな。だから、早くいっしょに戦わなきゃならんのだ」

 そう言って、二人は建物から出て行く。

 ……楽園教の情報部なのに牙に潜入して、楽園教と戦う。

 しかも、少し好感も抱いたから牙の中にいるのは悪くない――すごい心理状態だが、これでも情報部では普通の方だからおかしなものだ。

「あなた達は――なるべく命を大事にね。任務も上がうるさいでしょうけど、それよりもお互いの命を優先してください」

「わしらも奴らに好意を持ったとはいえ、自分らの命を優先するわい」

 何せ、大将に未来をあずけた命だからな、と言い残して。

 俺とアカリは頭を下げて、二人が出て行くのを見送った。


 AM 0:47


 建物から出て路地裏を走ると、ツバサちゃんがどこにいたのか分からなくなり、迷ってしまったが。

「――え?」

 視界に、ふと黒い影が見えた。それは遠くで、屋上から屋上へと移動し、両手で抱えていた何かを下ろした。

「まさかっ」

「え、スーちゃん!?」


 AM 0:58


 低層の建物の屋上に行くと、予想どおりにダイチくんとツバサちゃんがいた。

「っ――ススムさん」

 ダイチくんは破顔して、泣き面で俺に頭を下げた。

「すんません……また、迷惑を」俺は苦笑し、彼の肩を叩いた。下等団員が失礼かもしれないが、ドタバタしてる今ならかまわないだろう。

「ススムさん!」と、俺の左腕をツバサちゃんがにぎってきた。苦痛で顔が歪んでしまう。

「お願いです。あの人を止めてください――きっと、あの人はまた誰かを殺そうとしてるんです」

 血相を変えた顔に、俺は目が点になる。

 あの人って――誰のことだ。

「黒ずくめの、人です」

 黒ずくめ?

 もしかして、昼間に二人を助けたと言われる――バードスターのような、人物だろうか。

「それは、一体――」

「お願いです。早くしないと、あの人は!」


 パチィーン――と、音が鳴った。


 アカリが、ツバサちゃんの頬を引っぱたいたのだ。

「なっ」俺は仰天する。

 ダイチくんも、ツバサちゃんも、全く予想していなかった攻撃に目を見開いていた。

「いい加減にして!」アカリは、声を張り上げて言う。「あなたの無責任な行動で、誰かが傷つくの! あなたが行動すると、誰かが傷ついてるの。分からないの!? スーちゃんは……ススムは、ここに来るまでに腕を折られ、叩きつけられ――死にそうだったのよ!」

 目元をうるわし、涙ながらに語るアカリ。

「あなたは……この戦いを止めたい。気持ちは分かる。……でもね、だからって、私達を巻き込まないで」

 本来なら、これは処刑ものの事態だったが、俺は止める気がしなかった。

「私達は……弱いのよ……」

 アカリはツバサちゃんの前で涙を流した。

 俺は、まだかろうじて動かせる右手でアカリの肩を抱き、なぐさめた。

「………」ツバサちゃんを見ると呆然としていた。下等団員に説教されるなんて、予想もつかなかったのか。いや、そもそも自分の浅はかさに気づいたのか。

 死人のように、血の気を失っていた。


 AM 1:24


 俺とアカリ、そしてダイチくんとツバサちゃんは気まずい雰囲気だったが、しばらくその場で待機した。

 戦いは、時間が経つと段々落ち着いていく。

 どんなに戦い方が上手いといっても、楽園教と牙の人数が違いすぎた。現在、敵が出しているのはせいぜい数十名だろう。楽園教は何百名もいる。いくら俺みたいな雑魚でも、百人以上もいれば手強いさ。

「……そろそろ行こうか」

 いつのまにか敬語も忘れ、俺は先導してみんなを連れて表通りにあるテントへと移動した。


 AM 1:37


「ススムさん、あの――ありがとうございました」

 テントに着いたあと、アカリはツバサちゃんを女性用の仮診察所に連れて行く。

 で、残された俺とダイチくんは――て何故か、俺が感謝されていた。

「ツバサも、ホント突っ走るところが強くて。一つのことに夢中になると、どうしても止まらない奴だったんです。……オレも、あいつのことになると放っておけなくて、でもだからって何ができるわけでもなくて。……どうも、すいませんでした」

 彼は、下等団員である俺に頭を下げたのだ。

「そ、そんな、頭を上げてください。ちょっと、他の人も観てますから」

「あ、あぁ――すいません」

 ダイチくんは、本当に申し訳なさそうにしていた。

 俺は、どんなに彼が礼儀正しくしていても内心はどう思ってるか分からないと――それは失礼だったか。彼は本当に、分け隔てなく接していたのだ。

「俺の方こそ、すいません」

「え?」

 ダイチくんは疑問符を浮かべる。

 俺は突発的にちゃんとあやまろうにも、随分失礼なことを暴露しなければならず、咄嗟に誤魔化した。

「いえ、何でも。それじゃ、ダイチ様も診療を」

 ――悲鳴が聞こえた。

 アカリがツバサちゃんを連れてった診療所で、だ。

 複数の団員がツバサちゃんを囲み、引っ張って連行していく。

「何するんですか、離して!」

 アカリは彼らを引き離そうとするが、殴られて道路を転がった。

「アカリ!」俺は真っ先にアカリに駈け寄り、ダイチくんはツバサちゃんを助けようとするが、あろうことか彼も奴らに連行されてしまった。

「……スーちゃん……」

 アカリは、頬が腫れた顔で俺を見る。

「……た」すけなきゃ――と言おうとしたのか

 彼女を叩いたが、別にアカリはツバサちゃんのことが嫌いなわけではない。下等団員でも笑顔を向けてくれる子を、どうして嫌いになれるのか。

 俺は、連れてかれたツバサちゃんとダイチくんのうしろ姿を見つめる。

 ……どうやって、助ければいいんだ。

 俺には力がない。助け出す腕力も、奴らに対抗できる権力も何もない。

「――俺は」

 バードスター。

 俺が大嫌いなヒーロー。

 正義のヒーローといいながら、実際は本当の弱者を救おうとはしない。

 だから、共感できないんだ。それでも……俺は……

「俺は……」

 連行していった男達の中には、俺達に目を向ける者もいた。「………」奴は、俺が何もせずに打ちひしがれてるのを見ると、あっさりと背を向けて去って行った。

「……そうだよ」

 俺には何も出来ないよ。

 少女を助け出すことも、目の前にいた子供達さえも助けられず……本当に愛した、女性の前でかっこつけることもできない。憎む奴らにさえ、相手にされない。

 何もない……何もない奴なんだよ……。

 バードスターは、どんなにむかついても誰かを助けることができるのに。

 俺には、何もできやしない。



「……生きて帰ってくるとはな」

 気がつくと、目の前に俺の視界をさえぎるように人が立っていた。

 ミハエ・ツルギだ。俺達が生きて帰ってくるなど予想もしていなかったのか、険悪な表情で俺達を見下げていた。

「貴様のようなゲスが……まだ生きてるなんて。貴様など」

「………」

 俺は誰にも勝てない。弱いからだ。だから、大抵のことは従わなきゃいけない。でもさ、「あの少女のこと――」あんたにだけは勝てるよ。

 ミハエの表情がグッと凍る。

「な、何のことだ」。

「世間に公表しましょうか?」

 何を言って――と、彼は慌てふためくが。

「はっ、誰が貴様のような下等団員の言うことを」

 と、開き直ろうとしていた。

 俺は立ち上がってミハエの耳元でささやく。

「あの機械族、実は俺と親しい関係でしてね」

 嘘だ。あんな機械族、何の関係もないし会話もしなかった。

「――っ!! き、きぃさぁまあぁぁぁぁ……」

 機械族がもし公表したらどうなる。

 みんな、機械族のことを良く思ってるかは怪しい。だが、彼らの発言を疑うかは別だ。彼らは特別な族で、だからこそこの地下都市で唯一中立でいられる。そんな族だからこそ、誰かを責める発言をしたらどうなるか。

 場合によっては、掟に従い全ての族が敵に回るのではないか。

「……ゴミクズをなめんなよ?」

 あんた程度なら、ゴミクズだって勝てるんだよ。

 俺は、アカリの肩を抱いてその場を離れた。

「………」

 空しい。


 AM 1:54


 その後、俺とアカリは中心路で大量に出た死体の回収をさせられた。

 アカリには無理させられないと俺が作業するといったが、彼女は聞き入れない。

 あの戦いで下っ端の五等団員はほとんど死に、手伝える仲間は少なくなった。

 死体を探していく内に、昔便所掃除でいっしょだった男も、ダイチくんの護衛でいっしょだった男も、死んでしまったのが分かった。


「クレハさん……ゴンゾウさん……」


 そして、あの二人の死体もあった。

 黄色い首巻きをして、四番街の族『牙』として、二人は死んでいた。

 ナイフを突き刺されていた。的確に、急所を狙ってだ。

「何でも、あの戦いで三番街の奴らが活躍したってよ」

「電撃使いの少女と、肉体強化の少年らしいぜ」

 組み合わせは俺とアカリと同じだったが、あきらかに才能と実力が違いすぎる二人だったようだ。

 電撃使いの少女は、たった一人で何十人もの牙を相手取り、倒した。

 彼女の電撃は金属や鉄骨さえも動かし、それを操作することで様々な用途に使用したんだとか。――随分と、デタラメな能力だ。

 もう一人は目撃情報は少ないものの、彼が通ったあとは必ず多くの死体を発見したとか。

「それも、ナイフや素手でやったらしいってよ」

 肉体強化を使っているとはいえ、おそろしい奴だ。能力者の中には先ほどの電撃使いのような規格外も多いのに……武器が、ナイフや素手なんて。


「その少女や少年の、名前とか誰かって分かりますか?」


 俺は、死体回収をしながら同僚にたずねた。

「あぁ……それは、女は有名人だからな。男の方も、おそらくはあいつじゃないかな。敵であいつを知る者は少ないんだ。あの黒い影を目撃するときは、奴が仕事を終えたときか、こちらが殺されるときだからな」

 三番街じゃ彼らは有名らしい。

 ナンバーズの四鹿と、九鴉。


「……九鴉っ……」


 俺は、それを忌々しげにつぶやく。


 AM 2:23


 楽園教の大きな広場は、突然の処刑というイベントに大勢の客が押し寄せていた。

 道はほとんど満員で身動きがとれず、警備としてそこら辺に立哨している俺達も、狭くてやってられなかった。

「……ツバサちゃんの処刑、異常に早すぎると思わない?」

 隣りにアカリがいたが、俺はそんなことに疑問を抱くことすらなかった。

「……分からない。俺には、何も」

 俺の外で、状況は刻一刻と変化していく。しかも、あからさまに俺達が生きずらくなって、だ。

 それなのに、俺には抗う術がない。

 ふいに、やられたままの左腕を見る。

 戦う力もないし、生まれ持った権力さえない。何もない――俺には。

 処刑台は大きな二階建て以上のもので、その上にはダイチくんと、ツバサちゃんがいた。

 そばには教祖もおり、二人の兵士がツバサちゃんに乱暴している。

「……弱いって、そんなにいけないことなのかな」

 アカリは弱々しくつぶやく。

「少なくても、目の前の何かを理不尽に奪われるほど……じゃないと、私は思う」

「俺もだよ」

 だが、この地下都市は違う。

 奪い奪われ、憎み憎まれ、殺し殺される。それだけの世界だ。それだけだから戦わないと生き残れない。人はどうしても道徳や尊厳をドブに捨てる。

 キレイなものなんて何一つない。

 あのヒーローコミックに描かれたことなんて、何もかも嘘だ。


 ――この地下都市は狂ってる


 辺りが熱狂していた。

 何事かと思い、処刑台を見るとツバサちゃんが必死に抵抗し、戦っていたのだ。

 彼女は両手を手錠で拘束され、ロクに動けはしない。それなのに、彼女は己の信念を曲げず、拡声器で全否定する教祖と戦っていた。

 俺には、できない行為だ。

「……私は、あんな子を引っぱたいた」

「よせ。あのときは、俺も叩いてやりたかったよ」

 嘘だ。そんな勇気もないくせに。


 ――人が人らしく生きられない、人らしく死ぬことすら許されない世界。みじめに死に、生きていたことすら知られず、ただゴミのように生きて……死んで……こんなの、こんなの間違ってるよ。人は、人は! もっとちゃんと生きなきゃいけないの! こんな、何もない世界なんか、住んじゃだめなんだよ!


 ツバサちゃんは何か言っている。

 能力で耳を澄ましているはずなのに、俺の頭には入りにくい。

 ……だってそうだろ。彼女が語るのは、あんまりにもキレイすぎる。そんなの砂でできた理想論だ。そんなもの、どうやって信じろっていうんだ。いつ、壊れるかもしれない危ういものを。

 兵士が、サーベルの柄で殴った。

『この小娘がぁ』

 教祖が叫ぶ。

『やってしまえ! もうかまわん。その小娘を、処刑しろ!』

 きっと、あの子の訴えも無駄に終わり、死んでいく。こんなこと――こんなことに、一体何の意味がある。どんなキレイな願いも崩れ去り、汚れて……それでも、立ち上がる意味なんてあるのか。彼女は、懸命に立ち上がる。


 ――この上には、空がある!


 俺の脳裏に、ある映像が浮かんだ。

 空だった。

 今じゃ見ることができないはずの空。広大で、青い、空だった。

「……え?」

 いつのまにか、俺は両目から涙をこぼしていた。

「何、これ」

 いや、俺だけじゃなくアカリも泣いていた。


 周りがざわつき出す。


 どうやら、俺達だけじゃなくここにいる観衆も涙を流していたようだ。

 俺は、ふいに空を仰ぎ見る。

 灰色の、コンクリート造りの空。

 ライトはまばやく輝いているが、ちっともキレイじゃない。

「……空」空ってのは、あんなに青かったのか。こんなゴミクズの空とは、比べほどにならないくらい。

「スーちゃん」アカリは、俺の右手をつかんできた。「キレイだね」

 こんな、今まで見たことない。存在すら、知らなかった。

「あぁ、キレイだな」


 ――キレイなものを、守りたいだけ


 ツバサちゃんの声らしいものが頭を支配した。

 俺は、処刑場の方に目を向ける。

「――っ」俺は……俺は……つないでいるアカリの感触。アカリも、足を動かしてるようだが。


 AM 2:45


 喧噪は、一瞬にして静まった。


 大勢の視点はただ一点、処刑台の上にのみ注がれる。

『貴様等っ……』忌々しげに教祖がつぶやく。

 処刑台の上には、倒された兵士二名。そして、処刑されるツバサちゃんとダイチくんだけだったはずだ。

 そこに、五人の乱入者が現れた。

 一人は、小柄で頼りなさそうな金髪の少年。

 一人は、六番街の、あの大男の戦士。昼間に四番街と戦っていたあいつだ。

 一人は、四番街を代表する族、牙の副リーダーにして参謀役、DORAGON。

 一人は、館で会ったのと似ている小柄の機械族。

 そして――


 ――他はどうか知らないけど、僕は守るために来た


 黒ずくめの、すらりとした長身痩躯の男。

 見た目は、俺よりも大分若く見える。下手したら、ダイチくんとそんなに変わらないかもしれない。

 その顔は女のようで、しかし戦い慣れした戦士特有の雰囲気を漂わせていた。

「……くろうっ……」

 奴が、二度もツバサちゃんとダイチくんを助けた。

 奴が、四番街と楽園教の戦いに貢献した。

 あのナイフは……ナイフは……クレハさんやゴンゾウさんを殺したのは、あいつなんだろう。

「九鴉っ……」

 俺は、憤りを覚えた。

「スーちゃん」

 アカリを胸に抱き寄せて、俺は感情を抑える。

 辺りは騒然となり、処刑台を中心に活気づいていた。

 爆発音のようなものまで聞こえる。

「……スーちゃん、スーちゃんは」アカリは耳元でささやく。「あそこに……」だが、聞くのを途中でやめた。

 いいんだよ。余計な心配はしないでくれ。

「俺は、あそこにはいなかった」

 もう一度言う。

「俺は……あそこには、いなかったんだ」

 それだけだ。


 後悔はしていない。アカリを守る。それがこの楽園教に入団したきっかけで、最後の刻になってもそれは変わらないだろう。だから、後悔なんて何一つしていないんだ。アカリと共に生きることだけが、俺の望みなんだよ。

 ……だが一つだけ、あの九鴉って男には言いたいことがある。

 俺は、ちらりと奴らの方を見る。

 これまたヒーローコミックのように、奴らは戦っていた。


 奴らに向かって、中指を突き立てた。


「ファック……」


 嫉妬だってするさ。だって、俺はあそこにいなかったんだから。


  To be continued

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