番外編① 観客席 -Auditorium- 1-2
PM 15:23
七番街。
別名、中心路とも呼ばれるここは人の往来が激しく、実は争いも多い。大抵、族間の抗争はここで始まる。その上、ここで商売しようとする者も多く、それがまた強盗ビジネスや詐欺ビジネスに結びつき、争いの坩堝といえた。(それでも、この街には二つの道があり、表通りは比較的安全なのだが)
俺が向かうのは、裏通りだった。
耳がつんざくほどの雄叫びが上がった。
俺なんか蟻にしか見えない、馬鹿でかい図体。
それこそ二階建ての建物と同じくらいの高さの大男が、鎧のような筋肉をたぎらせて、全身で周りを圧倒していた。
「……あれが」
七番街の裏通り。
高層と低層の建物が乱立する中、中央から外れたさびれた区画に俺達はいた。
そこで、大男――オレンジ色の布きれを腰に巻いただけの男が暴れていると、知らせを聞き、俺達は駆けつけたのだ。
楽園教の楽園は、この地下都市のこと。
ここは楽園。
楽園教はそれを知らしめるために存在し、同時に楽園を守るためにも存在する。
――というのは表向きの話で、大規模な抗争に発展したらこっちにも影響が出るかもしれないし、今回は偵察という意味合いが強い。
そして、いくら偵察で死んでも五等や四等ならかまわないのだ。
「……ふんっ、六番街の馬鹿か。孤高を気どるとはいえ、十数人相手に一人とはな」
双眼鏡を見ながらカワイはつぶやく。
ついてない日のようで、今回はカワイがリーダーの小隊に組み込まれた。
カワイ、四等団員が一人に、俺を含めた五等団員が四名の小隊。大隊から切り離されるように先陣し、そしてさらに哨戒として俺らが先に行くようだ。
「――『こちら、α1199。ポイント到着。異常なし。つづき、哨戒出す。以上』」
というと、カワイはアゴでくいっと指し示す。
はいはい、分かりましたよと俺ら四名の五等団員は二人一組になり、二手に分かれて進むことになった。
「まじ、大丈夫っすかね。あれ、もはや人じゃなくて化け物でしょ」
二手に分かれた内、俺がいない方には早朝の集会に隣同士だった少年がいた。
彼は能なし――いや、能力者じゃないから余計に不安なのだろう。手ぶらで大自然に立ち向かうようなものだ。あんなの、人が相手にするものではない。能力者の俺でも嫌なんだから。
ぎゃああああああああああっ――
黄色い首巻きをした人間が、弾丸のように吹き飛んでいった。
人ってあんなふうに飛べるのか――嫌なものを見てしまい、後悔。吹っ飛んだそいつは建物に激突して破裂し、砕けたコンクリートと共に地面に落ちる。人の体には骨とかその他、固そうな部位があるはずなのに、トマトのように潰れていた。骨さえも、トマトの種のようにグチャグチャだ。
「……あれって人の仕業かよ」
俺の相方となった男がつぶやく。
六番街は孤高を気どる奴らで、他のように街を代表する族は存在しない。
その代わり、奴らは一人一人が強い。それぞれ人外じみた体格をしてるだけでなく、能力者としても桁外れの力を有している。何でも、全員が戦士としての掟に従い、厳しい修行をしているからこそ強いんだとか。六番街は山だらけで、暮らすだけで鍛えられるからだとか、色々と噂されているが。
「……でも、牙のメンバーをなぶり殺しって」
「襲われてるのは大男の方なんだけどな。あいつの方が悪人に見える」俺は冷や汗垂らして言う。
戦闘が行われてる中心に俺達二人は近づいていた。瓦礫でできた物陰に隠れながら、身を乗り出して双眼鏡を使い、観察。
六番街の男は何らかの能力を使っているのか、ただ殴る蹴るでコンクリートの建物を粉砕し、人間を吹き飛ばしていた。いや、ガタイも相当良いけどさ。明らかに、これは異常だろう。火薬を使わない爆発とでも言えばいいのか。存在自体が兵器のような男だ。
「撤退しよう……」
相方の男はつぶやく。俺もすぐに首肯した。
「撤退だな」こんなの無理だ。視界に入れたくもない。俺達は自殺志願者じゃないんだぞ。
「カワイには適当に誤魔化せばいい。今はとりあえずここから逃げ――」
相方の男の頭が消えた。
「……え?」
俺はあんぐりとクチを開いたままだ。彼は気がついたら死んでしまっていた。
――本当に偶然だった。
偶然、大男が投げた鉄骨が彼の頭を削いだのだ。
「何だよ、これ」
別に殺意があってやったわけじゃないらしい。大男を見ると、別にこちらに気付いたわけじゃなく、軌道上に敵がいたので、それのついでで当たっただけのようだ。
「………」
そんなもので、こいつは死んだのだ。何だコレ、俺は頭がおかしくなる。こいつは自殺志願者じゃない、必死に生きようとして、今も逃げる寸前だったのに。
「なのに、何でこんな」
あっけない。
あまりにもあっけなく、彼は死んでしまった。
「………」
こんなにあっけなく、人は死ぬんだ。
楽園教の中にいたから、忘れかけていた。
そうだ、ここは地下都市だ。ここは、あまりにもあっけなく人が死ぬのだ。
「に、逃げ――逃げなきゃ」
俺は慌てふためく、みっともなく目尻を涙で濡らし「ア、アカリ……」恋人の名前までつぶやいていた。
だが、腰につけた通信機器が鳴り出す。
『こちら、カワイ。あー、ααか。おい、応答しろ』
カワイから連絡だ。監視地点での定時連絡を怠ったからだろう。俺は舌打ちをする。こんなときに、わざわざ連絡をよこしやがって。
『おい! この便所掃除がさっさと連絡しろ! 死んだのか、あぁ!?』
通信機器はカワイの馬鹿でかい声をそのまま垂れ流す。
ふざけるな、これじゃ誰かに聞かれたらどうすんだ。牙か――大男にでも聞かれたら、どうしろってんだ。
「こちら、αα」俺は震えながら通信機器を取った。通信はこちらから切断できないから、応答するしかない。
『何だ、いるじゃねーか。さぼりか、あ? 殺されてたいなら別にいーがな。何なら直接』
「あ、あの――」俺はカワイの言葉に割り込む。「すいません、話したいことが」
『てめぇ! 誰に指図してんだ。黙って話を聞いてりゃいいんだよ!」
「相方が!」俺は無視して叫ぶ。「いっしょにいた相方が、死にました……」
俺は、重く暗澹とした気持ちを込めて言った。
『それが?』
だが、カワイはあっけらかんと聞き返した。
『それが、どうしたってんだよ』
「……は?」
『まさか、貴様らの命が心配されるとでも思ったのか』
俺は、初めてカワイを殺したいと思った。
歯を強く噛みしめ、怒りが沸き起こる。
初めて……ようやく、こいつに殺意が芽生えた。
今まで、どんな屈辱もあきらめられた。だから、殺意なんて感じたこともなかった。だが、これだけは違う。
『あははははははははっ』なのに、カワイは俺とは逆に大笑いした。『怒ってるのか、便所掃除のくせに。いいぜ、怒っても』カワイは言う。
『何なら、決闘でもするか。その怒りをぶつけてみろよ』
絶対にお前は勝てないけどな、と。
「……お、俺は」
何も言い返せなかった。
五等団員が四等団員に楯突く。反逆するってことが楽園教のシステムに喧嘩を売るという――ことだけじゃない。
俺は、こいつには勝てない。
『貴様は子供の頃に教団に拾われた。よかったな、だから他より真っ当な暮らしができたろ。知識だって、貴族だって全員が全員ゴミじゃないから中には教えてくれる人もいたろう。いいじゃないか、よかったな。幸福だ。……オレとは、大違いだ』
カワイは言う。
『オレは、たーんと地下都市の地獄を味わってきた』
こいつは、俺より大分年上で三十半ばだ。そして、俺よりも遅くに教団に入った。だから、教団内の経歴だけならこいつは後輩なのだ。
だが、こいつは俺よりも数倍早く出世した。
『楽園でのほほんとしてた坊ちゃんとはワケが違うんだよ、アハハハハハッ!』
通信機器を壊そうと腕を振り上げたが――やめた。
楽園教には、望めば厳しいコースを選ぶことができる。
他の奴らとは違い、一分一秒どころか、わずかな安らぎの欠片もない特訓を受ける。そして、何度も戦場に駆り出される。
そんな、特別コースがあるのだ。
奴は、わざわざそのコースを選んだ。
そのおかげで、こいつはすぐに四等団員になれた。
「………」
辺りを無駄にさまよっていると、ふとどこかで見たことがある顔をみかけた。
「お前……」
二手に分かれて、俺がいない方に行った少年。
早朝の集会で、俺の隣にいた少年だ。言うことは生意気も多かったが、気さくな奴で笑った顔もかわいらしく、嫌いじゃなかった。俺やアカリ以上に辛い目にも合ったことがあり、それでも懸命に生きようとしていた。
彼は、瓦礫が当たって死んでいた。
ビルの壁の一部だろう。千切れた鉄骨も瓦礫からのぞける。大きさ自体は少年よりもあるが、しかし、こんなのが落ちてきても――いや、こいつは能力者じゃないか。
世間の蔑称を使うなら、能なし。能力なし、だ。
こいつは、こんなものを壊すこともかわすこともできなかった。
「……ちきしょうっ」能力を持ってる俺も、じたばたしてるのに能力のないこいつが……でも、でもよ、悪い奴じゃなかったんだ。悪い奴じゃなかったんだ、こいつは。俺なんか、教団に入るまで散々悪さしてきて目も廃れたけど……こいつは……。
しばし呆然としていると、拡声器で誰かが歌ってるのに気がついた。
争いを止めよう、今すぐやめよう
そんなことよりも、お空を見よう
こんな灰色じゃなくてさ
上手な歌とはいえなかった。
俺は本来なら歌が聴ける身分じゃないが、教会の外で壁越しにだが合唱団の歌を聞いたことある。貴族の子供達が暇つぶしにやるようなものだったが――あのときは、こんなものがあるのかと戦慄した。
それと比べるとこれは、暇つぶしにすら勝てない。いや、比べるのもおこがましい。
とても稚拙で幼稚な歌だった。
「……これは」
声自体も子供らしく甘ったるい。
女の子が歌ってるのだろうが、それでも声質がムダに高く、こんなんで争いを止めようと言われても冗談にしか聞こえない。
だが、気のせいだろうか。どこかで聞いたことある声に聞こえ――
粉塵が舞った。
ビルに風穴が空き、いくつかの建物が瓦解していく。
人々の絶叫と悲鳴も激しい。――俺は、意を決して足を運んだ。
「行ってやるさ」
カワイに刃向かえないからって、まるで逃げてるようだが――それでも、挑んでやる。
俺は、わざわざ自ら戦いの場に近づいて行った。
PM 15:56
俺の能力は肉体強化である。
肉体強化といっても細かく種類があり、本来は十把一絡げにできないものだ。全身を強化する者もいれば、五感だけ研ぎ澄ます者――皮膚だけを鋼のようにしたり、爪を刃物に変えたりなど肉体の一部だけを変える者も多い。俺は、一部だけを変える――強化する能力者だ。
運動能力を高める能力。
全身の筋肉に血液を回し、通常よりも早くカロリーを消費、エネルギーに費やす。俺の視界は瞬く間に変わる。何もない人間から見れば、俺の能力は超人的に見えるかもしれない。目や耳も研ぎ澄まされるから、応用性もあるように思えるだろう。
ぎゃああああああああああああああああっ――
だが、俺はあの中には入れない。
あの大男も肉体強化か。いや、それにしちゃ異常すぎないか。普通、人の拳って殴っただけでビルを倒壊させるか。人を鳥のように羽ばたかせるか。
「本当に、逃げてるみたいだな」
懸命に争いの輪に近づいているのに、逃げてるかのようだ。目尻には涙がこもり、非常に情けない。だってしょうがないだろ。俺の両耳にはさっきから爆音と悲鳴がこだましてるんだ。
「くそっ――くそっ! こんなとこ、さっさと抜け出してやる! ちきしょう! ああああああああっ、アカリィィィッ!」半ばヤケになって疾走すると。視界のすみに見慣れた少年を見かけた気がして、ブレーキをかけ、細い道に進んでいく。
「――ダイチくん!?」
俺は驚いたと同時にしまったと思い、「ダイチ様!」と言い直した。
まだ貴族院で授業を受けているはずのダイチくんが、路地裏にいた。そばには、これまた見慣れた少女もいる。
「あ、ススムさん! こんにちわ!」
「こんにちわって、ツバサ――あ、すんません、ススムさん。ども」
ダイチくんは申しわけなさそうに頭を下げる。逆に、少女の方は明るく手を振って挨拶してくれた。
そばには通用口があり、さっきまでそこから建物に入っていたのだろうか。
俺は二人に歩み寄り、見つめて疑問符を浮かべる。
そばにいた少女は、ツバサという名の貴族だった。
位は二等団員。教祖とは親戚らしく、彼女の父親も教団の布教に大きく関わったヒーローコミック『バードスター』の作者である。本来なら、俺が対面することすらありあえないエリートだ。だが彼女は、ダイチくん以上に俺のような下等団員とも気さくに接してくれる。
「一体全体……あぁ、自分は治安維持のために派遣されたんですが」まずは自分のことを語る。「二人はどうして? まだ学院だってあるでしょうに」
「あ、あそこは辞めました」
ツバサちゃんは、平然と言った。
「はい!?」
俺は思わず敬語も忘れ、声を上げる。
「な、な、何を言って」
この少女はダイチくんとは違い、正真正銘のエリートだ。
だが、いつも行動はデタラメで毎度みんなが驚くような行動をしでかすが……まさか、学院を辞めるとは。しかし何故、あんな良いところを辞めたのか。
一応、学院は生徒の自主性を尊重し辞める辞めないも自由だが、あそこにいれば必要な知識や技術は全部身につくというのに。
「それよりも、アタシにはやることがあるからです!」えっへんと、ツバサちゃんは胸を張って言った。
……俺は、ダイチくんに視線を向ける。
「こいつ、授業中に突然『はあっ!?』って立ち上がったんですよ。いや、奇怪な行動はいつも通りなんで、逆にみんな普通にしてたんですけど、急に学院を辞めるって言いだして」
「正式な書類とかは?」
「それは、まだ。でも、急に抜け出しちゃったんで、オレが止めようと追いかけてたら」
ここまで、来てしまったらしい。
ダイチくんなりに必死に止めようとしたらしいが、ツバサちゃんの猪突猛進っぷりは半端ではなくとても自分じゃ……と力説した。
いや、そんなことを力強く語らないでくれ。
流石に、徒歩でこんなとこには来られないから、途中バイクか何かを使ったのだろうが。そんなものを使ってここに来たら、余計に目につきやすい。さらにそれが、楽園教の子供だとしたらなおさらだ。
……馬鹿じゃないのか。
「急に、頭の中でパァッーと浮かんできたんですよ。青い空が」ツバサちゃんは言う。
「……青い空?」
俺は呆れ顔で返す。
青い空って……いや、人類史では、確かにそうだったらしい。
見たことはないが、教団の文献には載っていた。
「………」俺はつい、空を仰ぎ見る。
空はコンクリートで覆われ、灰色だ。
「ホントですよ? もう、誰も信じてくれないんです。アタシ、青い空を見たのに」
そんなこと言われても困る。一度も見たことがないはずの光景を見るなんてどういう現象だ。
それこそ、誰かが電波でも送らない限り無理じゃないか。
「アタシ達は、あの空を目指すべきなんですよ。だから、こんなことしてちゃ駄目なんです」
ツバサは両手の拳を力強くにぎって、言った。
「……で、その、ツバサがこれ持って戦いを止めようとして」
ダイチくんは言う。彼の手には証拠物品になる拡声器がにぎられていた。
「そんな、じゃあ、あの歌はツバサ様だったのですか」
ホント、無茶ばかりする少女だ。
バイクで制服で来るだけじゃ飽きたらず、歌までうたったのか。それでよく殺されなかったものだ。
「どうでした、アタシの歌?」
しかも、感想を聞いてきた。……俺はしばし、悩む。
「……個性ある歌でよかったと思います」
「でしょ! それなのに、みんな聴いてもくれないんです!」
戦いの場なら、合唱団が歌っても聴いちゃくれないだろうよ。
この子は、悪い子ではないんだが、どこか頭のネジがぶっ飛びすぎている。
ダイチくんもダイチくんで、幼なじみだから心配して彼女を止めようとするんだが、一度も成功した試しがない。このままでいいんだろうか、この二人は。
「………」
幼なじみか。
「ともかく、ここから早く立ち去りましょう。こんなとこにいたら、命がいくつあっても足りませんよ」
また、人の悲鳴が聞こえた。耳に残る壮絶なもので、夢に出てきそうだ。
「人が……」ダイチくんは露骨におびえる。
だが、ツバサちゃんは違った。
「……っ」
悲鳴がした方向へ、憤りを帯びた瞳で見据えていた。まるで、正しい方向に研ぎ澄まされた剣のようだ。
「……それじゃ、行きましょうか」
皮肉かな。俺はこのとき、彼女のその目はバードスターのようだと思ってしまった。
いや、彼女の父親が作者なのだから当然かもしれないが――
ドクンッ
このとき俺が感じた感情は、何だろうか。
「さ、早く移動しましょう。今、カワイという小隊のリーダーにも連絡しますんで」
PM 16:34
その後、カワイに連絡しても応答がなく、仕方なく俺達は自力で大隊にもどった。
彼らは小隊を裏通りに送り込ませて、自分らは表通りの立体道路でテント立てて休憩していた。
ツバサちゃんとダイチくんは念のために、そのテントに入って診察を受けることにした。
「カワイが死んだ?」
「えぇ、そうらしいですよ」
テント近くにいた五等団員の者から、カワイの死を聞いた。
あんまりにも突然で、俺は愕然とする。いや、正直な話、嫌なわけじゃないんだが。
……何だろうな、あいつが死ぬなんて考えたことなかった。
「あの人は、結構腕が立つのに」
「どんなに強くても死ぬときは死ぬでしょ。騎士団だって、教団警察だって、みんな死ぬじゃないですか」
五等団員は言う。
「死体は回収する暇がないんでね。放置しますが、とりあえず貴族さんが助かったのはよかったです。お疲れ様です」
俺は教団のテントから離れる。
「はぁっ」戦場で鼻水垂らして、傷は何一つ負ってないのにひどく疲れた。死んだのは俺じゃないのに……あの少年やカワイなのに、俺の中で何かが死んだかのようだ。「……情けないな」
立ち去ろうとする――と、うしろから声を掛けられた。
「ススムさん!」ツバサちゃんだ。彼女は見てる方がハラハラする勢いで駈け寄ってきた。「あ、あの、お礼もまだでしたので、ごめんなさい。ホントに、助けてくれてありがとうございました」
「えっ――いや」それが当たり前だと思っていたから、俺は何も言えずにいた。だって、そうだろ。ダイチくんでさえ、貴族とそれ以外の線引きはしている。それなのに、まさかその貴族からお礼を受けるなんて。
「いや、実はさっきもある人に助けてもらったのにお礼はなしかって怒られまして。だから、注意されたことはちゃんとしようって思ったんです」
だからって下等団員にそこまで――下等団員の俺でさえ疑問に思ってしまう。
だが、これがこの子の魅力なのか。
「ちょ、おいっツバサ! もう、何してんだよ」
「あ、ダイちゃん。ダイちゃんもお礼は言った? ススムさんが助けてくれたのに『ありがとう』の一つもないなんて駄目だよ」
小言を言おうとした瞬間に叱り返され、ダイチくんはうっと言葉をつまらせる。
しかしそれでも、指摘されたことに納得したのか。「すんません、ススムさん。ありがとうございました」と頭を下げた。
「いえ、そんな、とんでもない。お礼なんて」
申し訳ない気持ちになる。
お礼を言われたのに、だ。
下等団員に軽々しく頭を下げないでくれ。
……貴族を恨んでいた俺が、馬鹿らしく思えてくる。
「ほんと、あのとき助けてくれた人には感謝しないとね。あの人がいなかったら、アタシ達はあの大男さんに殺されてたし。ススムさんにお礼を言うこともできなかったよ」
命を助けてくれたことと、間違いに気づかせてくれたことの二つ、と彼女は言った。
彼には助けてもらい、教えてもらったと。
……ん、彼?
「ツバサ様。あのとき、誰かに助けてもらったのですか」
誰だ、それは。あの場に他にもう一人いたのか。
「全体的に黒い格好の人ですよ。いや、助けてくれて悪い奴じゃないんでしょうけど。どこか殺気立ってて怖かった」
「何言ってるの、優しかったじゃない。ダイちゃんは外見だけ見過ぎ。あの人、ダイちゃんが不安でそわそわしてるから随分気を遣ってたと思うよ」
黒い格好の、男?
そして、あの場にいて、子供とはいえ二人も助けることができる実力。
俺は、涙ながらにたまたま二人を発見したというのに。
「……そんな人物が、いたんですか」
しかも、おそらくは楽園教とは関係がないのだろう。
関係があるならば、ダイチくんは情勢にもくわしいし、有名ならすぐ分かるはずだ。それこそ、四番街の実力者ならすぐだし、楽園教にいる情報部の者さえ少しは知っている。
「そうです。お父さんのコミックのことも知っていたようでしたし」
ツバサちゃんは、満開の笑顔で言う。
「助けてくれたときもサァッー! って助けてくれたんですよ。まるで、鳥のように」両手を広げ言う。「バードスターのように!」
PM 17:56
今日一日の仕事はどうにか終了し、カードでポイントを計算、獲得し、俺は家に帰宅した。
地下都市では通貨なんてものは消失し、現在は物々交換が主流である……楽園教以外では、だ。
「……ふぅー」
といっても、団員のIDカードにポイントが記載されるんで物体とは違うんだが。
しかし、それでも物々交換しかできない他よりかはマシだ。
抗争に巻き込まれ、それが終わっても雑務をやらされて……大分疲れて、泥が溶けるように床に寝っ転がった。
できれば、もどったらすぐにアカリと会いたかったがそんな暇はなく、雑務に回された。コキ使うにも程があるだろ……死なないでって言ってくれたから、もどったって言いたかったのにさ。
教団に所属する団員には専用の寮が用意されるが、それも位ごとに分けられる――といっても、寮なんて使用するのは五等か四等くらいで、たったの二棟だけだ。
五等団員のは百名以上が住居できる大型で、部屋は大体五人くらいが寝っ転がれる広さ。俺とアカリの二人なら、随分と余裕がある。
床は五等団員にはもったいないほど柔らかい。何でも、人類史で使われてた畳というものを元にした素材なんだとか。
「はぁ……」
畳まれた布団を枕にし、しばし休憩。
教団にもどったあと、こう言っちゃアレだがカワイが死んで最初はみんなで雄叫び歓声を上げた。やったぜ、あのハゲ頭が、と有頂天だった。だが、次に雑務の担当を務めることになった男がカワイほどではないが、別の意味で嫌な奴だった。
『今日からここの担当になった。……ミハエ・ツルギだ』
あのツルギ家の長男だとか。
父親は族間の戦いで死亡。長男である彼が家を継いだが悲しいかな。能力者としては平凡で、戦いも輝かしい栄光は一切ないらしい。
ツルギ家の者は生まれた瞬間に二等団員の位が約束されるが、いくら貴族でも失敗し続ければ、俺等の雑務の担当にもなる。彼の場合は他の二等団員から徹底的にいじられたのもあるらしいが。
「……はぁ」性格は最悪で、何度もこっちの仕事場に来ては嫌味を言って叱りつけてきた。いや、俺らも注意不足なとこはあるが、十分ごとに何か言われたらこちらの身がもたない。他の奴から話を聞くと、それを全部の現場でやってたらしい。
さらに言えば、奴は露骨に俺等を見下してきた。
『外では散々人を騙し、陥れ、殺してきたのだろうな。薄汚い虫けらが』
あまりにも自然に言われたので、最初は侮蔑だとすら気がつかなかった。
だが、俺が今まで味わった侮蔑でもトップクラスの侮蔑だ。完全に同じ人間と思っちゃいない発言だった。
「最悪だ」
戦場に出て、もどってきても雑務に回されて……で、これかよ。
まさか、あそこまで徹底的に見下されるとはな。
同僚から遊びにさそわれたが、俺は一人で帰宅した。実は教団には酒場もあり、娼婦も大勢いるのだが……独り身じゃないしな。給料としてもらったポイントだって、無限じゃなく有限だ。
俺はむくっと半身を起こし、夕食の支度でもするかと立ち上がった。
棚にしまっておいた野菜スープの袋を出して――
「あぁっ!」俺は料理に集中しようとするが、つい気になってしまう。
料理を一旦やめて、棚の奥に隠して置いたヒーローコミックを取り出した。
『バードスター』、いや正確には『BIRD STAR』か。
ツバサちゃんの父親が描いたヒーローコミック。
まず表紙からして、バードスターのうしろ姿だ。
おそらく人類史に載ってる作品から真似したのだろうが、体型だけなら成人男性に見えるが、肩から背中の先まで青い翼のようなマントが伸びていた。
それ以外にも全員、タイツのような青い服で覆われている。
ページを開くと、顔も鳥のような格好で、バードスターの顔面がアップで映っている。
「……こんなの、何で未だに持ってるんだろ」
話はいつも単純明快だ。地下都市に蔓延る悪党を倒し、地下都市の平和を守るっていう……いや、問題はそこなのかな。もっとやるべきことがあると思うんだが、主人公は地下都市で唯一の平和な場所である楽園教に住み、みんなに教えを――広めたりはしないが、ともかく自分が住んでる楽園教と同じように、みんなも平和にしたいと戦う。
「そんな簡単にいくかよ」
第四話は、おっさん達にリンチされてる少年を助けるが、実は少年が泥棒したからリンチされたのだと知るとバードスターは少年の頬を殴り、「盗みはいけないことだ!」と延々と説教する。
「最悪な話だ」
確かに人のものを盗むのはよくない。正しいな。それが間違いになったら、みんな人のものを盗んで収拾がつかなくなる。
だが、盗んだ方にも理由があるとは思わないのか。事情があったのでは、と思わないのか。
『ありがとう! おかげで盗みがよくないのが分かったよ!』
少年はラストで、バードスターにそんなことを言う。
馬鹿か、お前、何で盗んだんだよ。その理由を聞いてもらうこともできずに、何言ってるんだよ。
――わたしは、天空から現る正義のヒーロー!
俺はコミックを閉じて、また棚の奥に隠した。
水道水を鍋に入れて、プレートの上に載せて空間液晶のパネルを操作、温める。沸騰すると、野菜スープの粉を入れた。肉食いてー、と思いながらもここじゃ叶わぬとあきらめて、沸騰する緑色のスープを眺める。
しばらくして、お玉でかき混ぜながら口笛をふいていると、アカリが帰ってきた。
「おう、おかえり! どうしたんだよ、こんな遅くなってさ。最近多いけど……」
アカリは、血の気が完全に失せていて死人のようだった。
「アカリ?」
アカリは俺に視線を向ける。
途端、破顔して俺の胸にしがみついてきた。
「ちょ、――おい、どうしたんだよ」
アカリは声にならない悲鳴を上げて、泣き崩れた。
「アカリ……」
PM 19:47
アカリは何も答えずに眠りについた。余程、心労がたたったのか。泣き崩れるとそのまま床にへたり込み眠ってしまった。
……で俺は、気が焦ってあるとこに着いてしまった。
「来ちゃった……」
アカリを布団に寝かせ、一応夕食を器に入れて置いて、次に俺はどうしたかというと、ここだ。
ツルギ家の館に来てしまった。
楽園教は長方形のような形をしていて、ここはその周りにある長方形外の貴族専用の住宅地。いや、貴族専用といっても俺のような五等団員が出歩けるぐらいだから、まだここは貴族達の住居としては、しょっぱい方だ。建物も俺からしたら豪華だが、もっと奥にある大神殿とか、過去の人類史の世界遺産レベルではない。
ツルギ家の館も、俺からしたら途方もない豪奢さなんだが、まだ人の家という佇まいは残している家だった。
人類史でいう、――洋館だろうか。
セキュリティとしては細い柵しかない、不用心な白い館。
ダイチくんから借りた書物では~様式というように洋館にも時代毎に種類があるらしいが、俺には違いが分からない。この洋館もなんとか様式と名前があるのだろうか。左右対照で、均一された館だ。さっきから、ぐるっと回って鑑賞したが、正面と背面、一階と二階両方にテラスがあるんだな。来客が来たときには、心地よく談笑できそうだ――いや、そうじゃなくて。
「ア、アカリのためだ――」
あの様子はただ事ではなかった。そして、おそらくは原因はあの少女にあるに違いない。
クレハさんが言った、ナタネという少女。やばいやばい、能力者。
「ダイチくんから少しは話は聞いた」
あの戦場のとき、チラッとだが聞き出した。
容姿は、白皙のような肌に端正な目鼻立ちで金髪だとか。
貴族院にも通っていて、噂とは違い品行方正でダイチくんにも優しいらしい。
クレハさんの情報や、アカリの反応から考えるとありえない情報だ。
直接、確かめねばなるまい。
「お、俺ががんばらなきゃ」
そうだ。俺ががんばらなきゃいけない。
本当に危ない奴なのか、それともダイチくんが言うような深慮あふれる人物なのか。
「……アカリは、俺が守らなきゃ」
と、正面玄関から誰かが出てきた。
くいっ、くいっと、手招きをしてくる。
あでやかな金髪に、端正な顔。体格はまだ小柄で、ダイチくんよりも年下の女の子だ。
「ん?」
そして、教団にふさわしい白皙の肌。おそらく、あれがナタネ・ツルギか。
「………」
くいっ、くいっと、少女は手招きをする。
……何やってんだろう。
俺は頭を抱えて後悔した。初っぱなから、危険人物に見つかってしまった。
さらに、ワナだよと宣言するかのように招かれていた。
PM 20:21
「ようこそ、おいでました。アタシは、いつもアカリさんにはよくしてもらっていまして」
俺は館の中へ案内された。
客間らしい部屋は、床一面に豪奢な絨毯が敷かれている。壁紙は白と青の縦縞で、天井には温白色のランプがぶら下がっている。
俺が座る椅子も心地よく、本来なら五等団員の俺が一生座れない一品だ。
「あら、紅茶はおクチに合わなかったかしら?」
「い、いえ……別に……」
テーブルクロスの敷かれたテーブルを間にして、向かい合って危険人物とお茶をしていた。
紅茶なんて高いものは初めて飲むが、恐怖と緊張で味がしない。砂糖も出されたのを入れてみるが味は変わらない。
「それで、ススムさんは何故ここにいらっしゃったのかしら?」
直球の質問がきた。
紅茶を持つ手が震える。ガクガクガクッ――と。
「あ、ああああああっあの――お、おおおお俺は――」
死を間近にした恐怖で、もう動揺は隠せなくなり。
「アハハハハハッ!」
突如、ナタネは笑い出した。
「そんな、分かりやすく怯えなくたっていいじゃない」
けらけらと、まるで上品じゃない笑い方で俺は呆然としてしまった。
「――アタシは偽物よ」
え、と俺が問い返す暇もない。彼女は椅子から立ち上がると、部屋を出て行こうとする。
「何してるの。あなたはナタネさんに会いに来たんでしょ。アカリさんの恋人さん」
「そ、そうだけど」
俺は突然のことで頭が回らず混乱していた。
この子は自分を偽物と言った。
……本物のナタネ・ツルギじゃない?
確かに、クレハさんの情報が確かならこんなにマトモに話せる相手ではないはずだ。
「アタシは代用品よ。本物はトチ狂っていてね。だから、アタシが代わりに連れて来られたの。顔が似てるからね」
世間体を守るためには必要なんだって、と彼女は言う。
俺は彼女のあとをついていく。一階の広間からわきにそれたトビラに入り、廊下の床下を探って蓋を開けた。
隠し階段だった。
「しかし、何故きみは――」
偽物だというのを俺に教えたのか。
「……それは」偽物の少女は言いにくそうにしながらも、間をおいてはっきりと言った。「アタシも、三番街だから」
と。
俺は、一瞬で事情が呑み込める。
「そうか」
虐げられたからこそ、同じ立場の者には優しくなれる。
彼女もそうなのだろう。三番街から逃げた人々は、避難民として各地を放浪した。
どこもかしこも避難民を世話できるほどの余裕はなく、厄介者扱い。
だから、俺達は嫌われた。
そして、占領されたことを嘲笑われた。弱者だ、と馬鹿にされてきた。
「あなたも、随分な道のりだったでしょ」
少女はペンライトを使い、灯りを照らして階段を下りていく。
俺も、そのあとをついていく。
「いや、俺にはアカリがいたから」
だから、幾分マシだったと伝えた。
……ほんとに、アカリがいなかったら俺は発狂していたかもしれない。
俺が三番街だってことで、アカリにも迷惑をかけたが。
……だから。
「そう、うらやましいわ」
階段を下りると、細長い通路に続く。壁や床は全部石造りで、空気もどんよりと冷たく、気分は奈落へ真っ逆さまだ。
「あそこよ」
深淵の闇の向こう――鋼鉄製のトビラが、奥にあった。
――ドーンッ――ドーンッ、と音がする。
何十トンもあるハンマーで叩いたかのような――トビラは頑丈そうに見えるが、所々沸騰したお湯の泡のようにデコボコしている。
「あそこにいるのが、本物のアカリさん。彼女は能力者としては優れてるけどね。幼い頃から精神に異常があったの。いつも不安で仕方なくて、それが能力に影響したのかしらね。強さ以上に危険で、周りにいる者をみんな殺すの」
少女は、小型のディスプレイを俺に渡す。
そこには、部屋の中でうずくまっている少女が映っていた。
この、金髪の子と瓜二つのだ。
石造りのこの廊下とは違い、ピンクと白を基調にしたかわいらしい部屋で、ベッドの上にいた。
「壁に埋めこまれたカメラで随時チェックしてるわ。一応、本物だからね。ここの領主様も気がかりではあるみたいね」
でも、それだけだ。彼女を助けようとはしない。
ディスプレイに映っている少女は、何かを見ながらブツブツと呟いている。
「これは――」
男だ。
まだ生きたままの男が二人ほど、宙に浮かんでいた。二人は悲鳴を上げるが、ナタネは笑っていた。ククククッ、と。
片方の男が、分解される。
「……な、何だこれは」
一切の躊躇もなく、皮膚から分解された。皮膚をペロンッと剥がすのではない、細胞の一つ一つを丁寧に一枚ずつ剥がしたのだ。それも一斉に――まるで花が散るように、男の皮膚は奪われ、赤とピンクの血肉があらわになった。男はそこで悲鳴を上げるが少女は淡々と作業に集中する。筋肉は糸を解きほぐすように一本一本解かれて、血は果物を搾り取るように流され、骨は細かく粉砕され、最終的に男は脳みそまで分解された。
「彼女の能力はサイコキネシス。知ってるかしら。人類史では超能力者は決まって、これが使えると言われてたの。ようするに、王道よ」
念じただけで、物が動かせたりする能力。
ナタネの場合は、それが精密機械のように行えるってことだろう。
生きた男二人を容易く分解できるほどの。
……ちなみに、残ったもう一人の男は子供が人形を振り回すように部屋中の壁や床に叩きつけられて死んだ。
「彼女にとっては人間はおもちゃなのね。ほら、笑って喜んでいるわ。男は女性より大きいから、解体し甲斐があるのかしら。いえ、それとも――」
俺はよどみなく説明する少女に疑問を抱く。
部屋の床には、先ほどの二人よりももっと多くの臓器や肉片が散らばっている。
「これを見て何とも思わないのか」
「三日で慣れたわ。最初は死体の掃除もしてたのよ。今は、アカリさんも手伝ってくれるけど」
「……アカリが?」
あぁ、と俺は得心がいった。
そうか、だからあいつはあんなに血の気をなくして。
七番街でさまよっていた頃も死体を見てきたが、あれは、何度見ても慣れるものではない。
自分がいつそうなるかと恐れると、慣れようがない。
「何なら、彼女を殺してみる?」
少女はニヤリと笑っていう。
その表情はふざけてるのか、それとも、半ば本気で言っているのか。
「……きみは」
「だってそうでしょ。あなたはアカリさんが心配になったから様子見にきたんでしょ」
その通りだ。願わくば、アカリが悩む理由を解決してやりたかった。
「だったら、殺す方が手っ取り早いわよ。何なら、拳銃を貸しましょうか。ある機械族にもらってね。それだけじゃなく、薬も貸すわよ。いくら彼女でも寝てるときに銃で撃たれたら、抵抗しようがないでしょ」
……俺は、しばし考えた。
殺す相手は小さな女の子だ。だが、相手は強力な能力者だ。だったら、躊躇なんてしてられない。アカリの命が掛かってるのだ。例え、殺したことがバレて俺が捕まってもアカリを助けるためなら――
『おかあさん……』
ディスプレイの向こうで、ナタネが泣いていた。
『さびしいよぉ』
ナタネがつぶやく。
「彼女は、幼い頃から母親がいなかったの。ツルギ家は代々問題がある家柄でね。優秀な能力者を輩出してきたけど、そういうのはきまって心に問題がある子が多かったの」
母親は父親に殺されたんだとか。
「そんなっ」
「本当らしいわよ。あの子はそれを直に見ちゃったんだって。父親が、能力で母親を殺すところを」
その結果が、これか。
いくつもの命をバラバラに分解して、その原因がこれだ。本物のナタネは血の海で泣き叫んでいた。長い金髪が、白い肌が、彼女が暴れることで血を飛び散らせ、付着し、染まっていく。
「……殺せないよ」
俺は言った。
「アカリさんが死ぬかもしれないわよ」
「でも、殺せない」
俺は言う。
「母親がいなくて泣く子供を……殺せるかよ……」
その悲しみが分かるからこそ、俺は殺せない。
「そう、あんな化け物に共感しちゃったのね。幼い頃に母親を殺されたのかしら。……馬鹿ね、あなた」
「どうとでも言えよ」
「じゃあ、死になさいよ」
「絶対に嫌だ」
俺はディスプレイを少女に返す。
「アカリがいるから、俺は絶対に死ねない」
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観客席 -Auditorium- 1-3
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