火星の記憶①

 莉々亜は涙を拭い、すぐそばの壁に埋め込まれた通信機をメイン管制デスクに繋げた。


「陽介君、私よ」


 通信画面に出た陽介に莉々亜は告げる。


「初期起動も千鶴君の搭乗も完了したわ。千鶴君はすぐにセットアップに入ると思うからサポートお願い。私もすぐにそっちへ向かうから」


 手短な陽介の返事の後に莉々亜は通信を切った。

 莉々亜はまだじわじわと溢れてくる涙を拭うと、前を見据えて第三格納庫を飛び出した。


「私もしっかりしなくちゃ――!」


 自分にそう言い聞かせながら廊下を駆け抜け、松波操縦室へ向かった。



 莉々亜が操縦室に戻ると、今まさに陽介がセットアップを実行しているところだった。


「クレインとの通信系統異常なし。これからパイロットデータの統合に入ります」

「よし、順調だ」


 腕を組んで陽介のモニターを覗き込む常影が頷いた。


「千鶴君、聞こえる?」


 莉々亜が問いかけると、操縦室のメインモニターにコックピットの千鶴が映った。


「聞こえてる。こちらからの通信は届いてるか?」

「問題ないよ」


 莉々亜の代わりに陽介が答える。

 莉々亜が常影を一瞥すると、常影は頷いた。


「千鶴君、これから簡単にクレインの操縦原理について説明するわ」

「頼む」


 千鶴は様々なデータがめまぐるしく映し出されるコックピットのモニターに通信画面を拡大させた。真剣な表情の莉々亜が映る。


「クレインやファルコンに搭載されている人工ROPシステムは、燃料なしにエネルギーを作り出す強大な自己エネルギー生産システムであると同時に、もう一つ別の機能も備えているの」

「もう一つ?」


 莉々亜は「そうよ」と頷いた。


「次世代戦闘機の取り柄は、知っての通り戦闘機型とヒト型の変形が自在にできることよ。でもヒト型になった時、その操縦は驚くほど複雑になるわ。私たちは自分の体全体を無意識に動かせるけど、ロボットはそうはいかない。一つ一つの関節に指示を与えないと思うように動いてくれないわ」


 しかし操縦手順書には莉々亜が言うほど複雑には書かれていなかったので、その対策はあるはずだった。

 千鶴は頷くだけにして先を促した。


「そこで直感的な操縦を可能にするのが人工ROPシステムの操縦アシスト機能よ」

「直感的な操縦?」


 不意に短い電子音が鳴り、モニターに『Artificial ROP Particle』という項目が現れた。そこには『Normal』と表示されている。


「人工ROP……粒子?」


「そう。それが人工ROP粒子、人工ROPシステムのかなめとなる物質。赤色人種の体内にのみ存在するRopwタンパク質を人工的に再現したものよ。それが次世代戦闘機のあらゆるパーツに含まれているの」


 莉々亜は続ける。


「不思議なことに、Ropwタンパク質もそれを模した人工ROP粒子も、まるで神経のような伝達機能を持っているの。ただ、人工ROP粒子という神経を張り巡らせた機体であっても、その神経系統に命令できるのは同種の神経系統を持つ者だけ。つまり、人工ROPシステムを動かせるのは、Ropwタンパク質を体内に持つ赤色人種だけなの」


「赤色人種にしか乗れないってのは、そういうことか。でも機体の神経に命令するって言われても、どうしたらいいんだ?」


「神経と言ったのは例えにすぎないわ。痛覚まで再現されるわけじゃないから安心して」


 そう付け加えてから、莉々亜は続けた。


「もしかすると、共鳴と言った方が近いのかもしれない。千鶴君の機体を動かすイメージが、Ropwタンパク質や人工ROP粒子を介して機体に伝わると考えて。機体のエネルギー生産はパイロットのRopwタンパク質が大量に活性化しないと起動できないけど、操縦アシストはわずかな活性でも作動するの。赤色人種は無意識下で常に少量のRopwタンパク質を活性化させてるわ。だから特別に何かしなくても、赤色人種であれば思い描く動作を複雑な指示なしに実現できるはずよ」


「まさか、考えただけで勝手に動くのか!」


 思わず身を乗り出したが、莉々亜は首を横に振った。


「残念ながらそこまで高性能ではないわ。あくまで補助的なものよ。ヒト型になった場合、本来なら戦闘機にはない各関節の動作指示が必要になるけど、人工ROPシステムは主要な部位を操作するだけでその他の部位の動きもうまく調節すという程度よ。例えば右手を思い切り振り上げるという指示一つで、勝手に腰もひねったり、同時に左手でバランスをとったり、足を踏ん張ったりしてくれるわ」


「すごいな。それだけでも充分助かる!」


 莉々亜はその程度と言うが、それがどれだけ画期的なものか日々操縦の訓練に勤しむ千鶴にはよくわかった。


 莉々亜は少し嬉しそうに笑ったが、すぐに真顔に戻って続けた。


「そういう機体だから、指示が必要とは言えイメージも大切になってくるの。どんな風に動きたいか、どんな風に飛びたいかを思い描いて操縦桿を握れば、それが実現される。……パイロットの願いを叶える機体よ」


 最後の一言が胸に響いた。莉々亜がしきりに戦闘機に乗る理由を求めていた意味が理解できた気がした。


「わかった」


 千鶴は力強く頷いてみせた。


「千鶴君、出撃はヒト型のままカタパルト発進でいくわ。でも移動は戦闘機型の方が速いから、発進後は戦闘機型に変形してから加速して」

「了解」


 そして莉々亜は静かに常影に振り返った。


「こちらは以上です」


 頷いた常影は、普段と打って変わった真剣な眼差しで顔を上げた。


「これより第三格納庫から第一カタパルトへ移動する。移動はこちらで操作するので合図があるまで利賀二等宙士は待機。射出後の針路は今転送するので確認するように」

「了解」


「それでは、クレイン発進準備開始!」


 その号令と共に、千鶴は操縦桿を強く握り直した。

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