忍び寄る陰謀①
千鶴は廊下を歩きながらポケットのピルケースから錠剤を一つ手のひらに出し、口に放り込んだ。毎日のことで慣れているので、水がなくとも飲み込める。歩きながらのさりげない動作なので、周囲にはタブレット型の清涼菓子を食べているようにしか見えなかった。
カフェテリアのある座学棟を出ると、真上には晴天の青空が広がっていた。太陽と潮の香りのする風が頬を優しく撫でゆく。
「今日は飛行訓練日和だな」
そう空に呟くと「よし、まだまだ飛ぶぞ!」と気合いを入れて飛行訓練棟へ向かった。雪輝とアクロバット飛行の自主練習をする約束をしているのだ。
飛行訓練棟は本部の敷地にある。本部と共有の広大な滑走路の、櫻林館寄りにある建物だ。まだ自主練の滑走路予約時刻まで余裕があるので、千鶴はのんびりと歩いた。
滑走路方面に進むにつれ桜を含めた華やかな植木は減り、代わりに簡素な建物や舗装された道ばかりとなって無機質な景観へと変わってゆく。
コンクリートで固められた土地に白い箱が敷き詰められたような建物郡を抜けると、一気に視界が開け、海を埋め立てて作られた滑走路が長い水平線と共に遠くまで伸びていた。
吹き抜ける潮風に心地よさを感じて歩いていたが、千鶴はふと立ち止まった。
「あれは……」
遠くに知った人物を見かけたのだ。
年配の男性と若い女性が向かい合って話し込んでいる。仕草や表情から察するに、とても難しい話をしているようだった。だがどちらかというと女性の方が切羽詰まった様子で、男性は顎に手を当てながら相槌を打っているだけだった。
男性は目じりが下がっていながらも厳格そうな面立ちだった。上等なスーツに身を包んだその姿、そして周囲を固めるSPの存在が、その男が誰であるかを確信させた。
しかし千鶴が足を止めたのは永野が理由ではない。防衛省のトップである永野と話している白衣の女性が、よく知る者に似ていたからである。
「
よくよく見ると、似てはいるが雰囲気が全く違う。そもそも同い年の友人がスーツの上に白衣をまとって防衛大臣と話し込んでいるわけがなかった。
それでも顔はあまりに似ているので首をかしげていると、不意に彼女がこちらに向いた。
くるりと大きな茶色の瞳と視線が合う。
もしかしてと思い呼びかけようとしたが、彼女は微笑むどころか、冷たい素振りですぐに視線を反らしてしまった。そして千鶴に背を向けて永野と話し込みながら去ってしまった。
「やっぱり、人違いか」
そう納得すると、千鶴は訓練棟へ歩みを戻した。
訓練棟の目の前には格納庫が建ち並んでいる。すぐ目の前の格納庫群は今も整備科の試験が続いているようで騒がしいが、もっと奥の方の格納庫群は静まり返っていた。
「そう言えば、この春配備予定の機体はこの辺に格納されてるのかな?」
不意にそんな疑問が湧いて出た。
この春、新型戦闘機が櫻林館に配備されることになっているのは有名な話だった。なんでも、革新的な機体なのでフェスティバルを開催して大々的に配備を発表するという。
重要な軍事情報をどうして自ら明かすようなことをするのか不思議だったが、不戦を憲法に掲げる麗櫻国への攻撃の抑止力とするためだそうだ。高性能な機体を保有していることを国内外に知らしめるのがフェスティバルの目的だという。
ちなみに千鶴はそのフェスティバルで行われる学生アクロバットショーのパイロットに、雪輝と共に選ばれていた。
「抑止力になるほどの革新的な機体ってことは、やっぱりカッコイイのかな!」
胸を躍らせながら近場の格納庫を覗いた。雪輝と約束しているアクロバットの自主練習までにはまだ時間があるので、手前から奥の方へと順に、整備科の実習に使われていない格納庫を覗いて最新の機体を探した。
「さすがにシャッターは開いてないかな。櫻林館への配備ってことになってるから、この辺に格納されてると思うんだけど……」
小走りに格納庫群を駆け抜けてもそれらしいものは見当たらず、あきらめかけたときだった。シャッターは閉じているが、人の出入り専用の扉が半開きになっている格納庫を見つけたのだ。
千鶴はまさかと思いつつ息をひそめてそっと扉に近づき、半開きの隙間から顔を覗かせた。空気の振動の反響が耳に突き刺さりそうなほど、中は静まり返っている。
その静寂の中に、あるものが鎮座していた。普通の戦闘機の三倍以上の大きさがありそうな、超巨大な戦闘機だった。
「うわっ、でかっ!」
思わず叫んでから、千鶴は慌てて口を抑えた。
静寂の格納庫にまだ自分の声の残響がかすかに聞こえる。もちろん身を隠すことも忘れなかったが、残響が消えても人の気配はなかった。
「誰もいないのか……?」
恐る恐る格納庫に立ち入って誰もいないことを確認すると、千鶴は改めて目の前にある機体を見上げた。
機動性を重視する戦闘機にしては目を疑うほどの巨大な戦闘機だった。
メインカラーを紫とするカラーリングで黄色や黒のパーツがいくつかあり、白いラインがいたるところに見られる。
「派手なカラーリングだけど……、かっこいいなぁ……」
その大きさと独特な色遣いに目を奪われていると、突然その機体のエンジンが大きな呻り声をあげ、静寂をひっかきまわすような風を巻き起こし始めた。
「え! ま、まさか起動した! ちょ、ちょっと待ってっ――!」
慌てて物陰に隠れるも、機体が放出する風圧は強さを増し、千鶴は両腕で頭を覆った。
渦巻く風の中なんとか目を凝らすと、巨大な機体はわずかに宙に浮いていた。そして突如戦闘機の形を無くしたかと思ったら、いつの間にか目の前の機体は巨大な二足歩行ロボットへと変貌していた。
「は……?」
風圧を徐々に落としながらロボットは地に足を付け、静かに着地した。エンジンの呻りがおさまると同時に風も消えてゆく。
静けさが戻った格納庫。今の強風が嘘のようだった。
しかし目の前の紫の機体は、戦闘機ではなく巨大なロボットになっている。
「ええええええぇぇぇっ! うそだろおおぉぉぉ!」
千鶴は機体に誰かが乗っていることも忘れ、全力で叫んだ。そしてぽかんと機体を見上げながら「なにこれ、超カッコイイ……!」と無意識に呟いていた。
ロボットは足先が黄色く、頭部はどことなく猛禽を思わせるフォルム。目には緑色の光が灯っている。そんなものを見て、胸が高鳴らないはずはなかった。
「こんな機体があるなんて知らなかった……」
ロボットの胸には『FALCON』と刻まれている。
「FAL……ファルコン。まさかこれが次世代戦闘機……?」
不意にロボットの目の光と機械音が同時に消えた。しばらくするとロボットの胸の装甲が音を立てて倒れ、大きな穴がぽっかりと開いた。その中から姿を現したのは、航空宇宙防衛官の白い制服を纏った男だった。
「その通りだ」
律儀に制帽を被ったその男はそう言い放つと、ケーブルに足をかけて機体から降りてきた。そして降り立つなり、千鶴の方へ一直線に歩み寄ってきた。
制帽を目深にかぶっているので顔はわからないが、口元は笑みを湛えているように見える。しかし背筋を伸ばしすらりと長い脚で悠然と歩いてくるさまは、妙な威圧感を感じさせた。
胸元にはいくつもの勲章が輝き、その一つに六枚花弁の桜紋が光っている。そして、腰には一振りの日本刀が提げられていた。
「あれは……! ままま、まさか!」
男がやや顔を上げると、制帽の下からブルーの瞳が覗いた。その目は笑っているようで笑っていなかった。
「ひっ――!」
千鶴は真っ青になって硬直するしかなかった。蛇に睨まれた蛙の心地だ。
そんな千鶴の前で男は立ち止まると、あごを上げて千鶴を見下すように言った。
「ここへ来たのは誰かの命令か? 利賀千鶴二等宙士」
「いえ! 立入禁止とは知らず勝手に入ってしまいました! 申し訳ありませんでした!」
全力で頭を下げたが、男の答えは意外だった。
「立入禁止の表示はなかったはずだ。扉を開けたままにしていたのならこちらの不注意でもある。そこまで謝る必要はない。まったく、誰の不注意だか」
恐る恐る顔を上げると、男は笑っていた。ただし、それはこちらを試すような挑発的な笑みともとれる。
「あのう……。どうして俺の名前を知ってるんですか……?」
千鶴の怖々な問いかけに、男は鼻で笑った。
「本部と櫻林館を合わせても、赤色人種は貴様一人しかおらんだろう。その派手な容姿が目立たんとでも思っているのか? 能天気なやつめ」
カチンとくる物言いだったが、千鶴はぐっと堪えた。お前も目立つ容姿で有名なくせにと反論したい気持ちは山々だったが、それも必死に押し殺した。
男は帯刀した腰に手を当てたまま、片手で制帽を取った。男の真っ青な瞳と耳の高さで後頭部に結われた長い金髪が目に飛び込んでくる。
「私は早乙女常影六花二尉だ。まあ、知っているとは思うがな」
常影は見下すように鼻で笑った後で、制帽を被り直した。
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