忍び寄る陰謀②

 千鶴はカフェテリアでの会話を思い出していた。


 早乙女常影は現航空宇宙幕僚長である早乙女剛柳ごうりゅうの息子として櫻林館でも誰もが知る存在だった。


 しかし親子とは言え、その容姿は似ても似つかない。岩のような体躯に燃えるように逆立った剛毛の黒い眉と頭髪を持つ剛柳に、すらりと背の高いモデルのような金髪碧眼の息子とくれば、常影が養子なのは一目瞭然である。


 ただし性格は似ているようで、どちらも『鬼』と形容される親子で有名であった。


 その早乙女家の鬼息子が、今目の前に立ちはだかっている。千鶴は蛙の気持ちのまま、こちらを悠然と見下ろしてくる常影の次の言動を待つしかなかった。


 常影はふと今まで乗っていた巨大なロボットを見上げた。


「貴様が推測した通り、これが次世代戦闘機――ヒト型可変式戦闘機ファルコンだ」

「ヒト型可変式……!」


「今貴様が見た通りの意味だ。戦闘機型で俊敏な移動を可能とし、ヒト型変形後はその四肢によって複雑な任務をこなすことができる。もちろん宇宙空間にも対応している。しかし次世代戦闘機と言わしめる機能はそれではない。搭載されている特殊なシステムが革新的なのだ」


「特殊なシステム?」

「そうだ。それに関しては極秘事項なので教えられんがな」


 大目玉を食らうと思いきや意外にも解説が返ってきたので、鶴も目の前にそびえ立つ紫のロボットを見上げた。


 無機質だが滑らかで光沢のある装甲には傷ひとつない。光の消えた目で沈黙を守るその巨人は、どこか遠いところを見ているようで、眠っているようでもあった。


「早乙女六花二尉がこの機体の専属パイロットなんですか?」

「専属ではないが、ひとまずフェスティバルでの操縦は私がすることになっている」


 とてもうらやましく思った。

 これを自分の意思で動かすことができたら、どんな飛行ができるのだろう。千鶴は想像しようとしたが、うまくできなかった。ヒト型に変形可能な戦闘機など今まで乗ったこともなければ見たこともない。


「乗ってみたいな……」

「ほう、乗ってみたいか」


 常影の反応で、千鶴はうっかり本音をこぼしていたことに焦った。


「そ、そりゃあ乗ってみたいですよ! 戦闘機で飛ぶのが好きで櫻林館に入ったんですから!」


 常影は面白そうに腕組みをした。


「レッドヘッドとブラックテイルの噂なら私も耳にしている。特にレッドヘッドの技術レベルの高さはな。櫻林館史上でもトップクラスの技術成績を誇る貴様なら、乗れる可能性はなくはないだろう」

「ほ、本当ですか!」


「ここに配備される機体だからな。表向きは櫻林館への配備となっているが、実質運用するのは本部だ。ここで学び防衛隊のパイロットとして生きるのならば、その過程のどこかにチャンスはあるはずだ」


 前向きな答えに嬉しくなり、千鶴はもう一度機体を見上げた。これで空を、宇宙を飛びまわる感覚はどんなものだろう。想像を巡らせるだけでワクワクしてくる。


「この機体の操縦方法は特殊だ。戦闘機型とヒト型で操縦方法は異なる。搭載された新システムの理解も必要だ。よって必然的に高い操縦技術を持ったパイロットが必要とされる。その点では貴様もこの機体のパイロットとして候補にはあがるだろう」


 そこまで言って、常影は「だがな」と笑みを浮かべながら目を細めた。


「貴様は赤色人種だろう。赤色人種は幻覚の発作を起こすと聞いている。そのようなパイロットとして致命的なものを抱えて、本当に貴様は戦闘機パイロットになれるとでも思っているのか?」


 まるで挑発するような物言いに、千鶴はむっとして言いかえした。


「長期間発作がなく今後も起きうる可能性が低いという診断書を提出して認められました。この五年以上一切出ていません。万が一も考えて、ずっと薬は飲み続けています。幻覚症状はもうずっと前に乗り越えました」

「なるほど。ならばもう幻覚の苦しみからも解放されたと?」

「はい。その通りです」


 千鶴は試すような笑みの常影を睨みつけながら、不快であるのを主張するよう語気を強めた。それでも常影は舐めた様子の笑みを崩さない。

 いくら目上の人間とはいえ、この態度にはいくらなんでも腹が立った。


「いい目をするではないか。幻覚から逃れられたことに自信があるようだな」


 そう鼻で笑うと、常影は千鶴の目をじっと覗いて言った。


「では、目を瞑ってみろ」

「目を……?」


 意図がわからず躊躇していると、「さっさとしろ」と言われたので、千鶴は不本意にも目を瞑った。


「……一体何なんですか」

「その方が思い出しやすいだろうからな」


 意味の分からない返答だったが、その後に常影は恐ろしい言葉を続けてきた。


「赤い鳥は、どのような姿をしていた?」


 血の気が引くと同時に、千鶴は目を見開いていた。常影は「目を閉じろと言っただろう。これはテストだ」と笑う。


「そんな風に追い詰めて楽しいですか! ここまでくるのにどれだけ大変だったかも知らないくせに!」

「威勢が良いのは私としては好印象だが、これくらいのことで動揺するようなパイロットなどいらんのだ。赤い鳥をイメージしただけで発作を起こすようなものに操縦桿など握らせられるわけがない」


 その正論に、咄嗟に何も言い返せなかった。


 常影は追い打ちをかけるように続ける。


「今は私と貴様に接点はあまりないだろう。しかし今後はどうだ? 私はこれでも作戦指揮を執ることも多いし、パイロットの経歴もあるので一応貴様の先輩だ。同じ任務に就く可能性も高いだろう。何より今年は実習教官長として貴様らガキどものお守りもせねばならん。上に立つ者として、下につく者どもの能力をきっちりと把握することはとても重要なのだ。無駄死にさせると私の評価にも響くのでな」


 理屈は通っているものの、いちいち言い方が頭にくる。


「百聞は一見に如かずだ。喚くくらいなら発作を起こさぬ証拠を見せてみろ。今ここでできぬなら、将来の部下の命を預かるものとして医学書類による判断を覆さねばならん」


 嫌味だが的を射てくるので、千鶴は反論しようと思考を巡らせたものの、結局は仕方なく目を瞑った。


「結構。ではもう一度同じ質問だ。赤い鳥はどのような姿をしていた?」


 千鶴は記憶の奥底に押し込めてきた、決して忘れることのできないイメージを呼び起こした。


「赤い……炎みたいなゆらめく姿です。炎みたいにそこにあるようで、ないような……」

「触れられない、光のようなものか?」

「そうです。でも鳥の形をしています」

「炎のように熱いのか?」

「いえ……、すごく冷たいです。体の奥が、心臓が冷やされるような……」


 思い出すだけで胸の奥が凍り付くような悪寒が襲ってくる。背筋がぞくぞくし始め、まるで身体中の毛が逆立つようだった。


「それはどんなふうに襲ってきた?」


 千鶴は冷えてゆく手を強く握り直した。


「真っ赤にゆらめく翼を広げて、……飛びかかってきます」

「それで、どうなる?」

「冷たい炎が自分の体に移って……自分も燃えてしまうみたいに……真っ赤になって……」


 呼吸が乱れてくるのが自覚できた。千鶴は歯を食いしばって冷静さを繋ぎ止めた。


「真っ赤になって、どうなる?」


 容赦ない常影の問いが続く。


「頭の中まで真っ赤になって……真っ赤になって――っ」


「そこまでだ、常影!」


 突然知らぬ男の声が割って入って、千鶴ははっと顔を上げた。


「ふざけるにも程がある。度が過ぎるぞ!」


 振り返ると、千鶴が入ってきた格納庫の扉の方からスーツ姿の男が速足で歩いてくるところだった。黒の短髪から覗く凛々しい眉を吊り上げ、険しい顔で常影を睨んでいる。


 近くまでくると千鶴の背にそっと手を当て、心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。


「震えているじゃないか。大丈夫か?」


 そう言われ、千鶴はやっと体が小刻みに震えていることに気が付いた。


「だ、大丈夫です……! このくらい平気ですから!」


 試すと言う常影の手前、千鶴は慌てて笑顔を取り繕った。スーツの男の顔が安堵で少し緩んだように思えたが、再び男は眉間を寄せて常影に向いた。


「どういうつもりだ、常影。説明してもらおう」


 常影は笑みを崩さぬまま小さく肩をすくめると、千鶴に視線を移した。


「極限の状況を思い出しても発作を起こさなかったのは上出来だ。だが、結局はそれだけだ」

「それだけ……?」


 常影は挑発するような笑みで千鶴の反芻に答えた。


「その先が、まだあるとは思わんか?」


 意味がわからず、千鶴は怪訝に眉をひそめることしかできなかった。それを嘲笑うように常影は目を細める。


「それにすら気づけないのは、貴様がそれまでの人間だということだ」


 そして具体的な説明をしないまま、「さあ、出ていけ」と促してくる。


「ここは立入禁止の文言がなくとも、そもそも貴様が無断で立ち入るべきところではない。ここで見て聴いたことは忘れろ」


 千鶴は理不尽な扱いにしばし常影を睨んでやったが、もう常影は何も言わなかった。

 言ってやりたいことはたくさんあるが、もう関わらないためにも千鶴は引くことに決めた。


「……失礼します」


 千鶴は踵を返し、常影に背を向けた。


 一度も振り返ることなく格納庫を出ると、真っ青な晴天からそそぐ日光が眩しくて千鶴は目を細めた。格納庫の扉を閉めると同時にもたれかかって、千鶴はそのまま膝を折った。


 肩を大きく動かさないとうまく呼吸ができなくなっていた。それでもなんとか必死に呼吸を繰り返していると手の震えも少しは治まったが、芯から体を蝕む悪寒はなかなか消えなかった。


 ポケットからピルケースを取り出し、急いで薬を飲み込んだ。あの幻覚症状が起こる前に、絶対に食い止めなければならないのだ。


「もう幻覚なんてたくさんだ……!」


 千鶴は激しく鼓動する心臓を抑えるようにうずくまった。

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