第一章 ニワトリ
赤色人種①
広大な緑地の海沿いに、
大地の緑と海の青を臨める土地に白い校舎が建ち並び、春の今は桜でさらに彩られる。景観も環境も良いので、入学志願者数は陸、海、空、宙の防衛官学校の中でもひときわ多く、倍率も高い。
数ある学科の中でも、パイロット科は毎年とび抜けて高倍率だ。そのパイロット科に実技推薦で入学し技術優等生として在籍しているのが、この春で二年生になった
千鶴は操縦技術のレベルの高さから学舎内でも有名ではあるのだが、もっと別の理由でも目立つ存在であった。
櫻林館学舎のカフェテリアは、合同試験を終えた二年生たちが群がり、いつもより混雑していた。広いカフェテリアはテラス席までも満席であったが、その混雑の中でも真っ赤な髪は遠くからでも目立つ。
春の日差しが明るいガラス張りの壁側の席。赤い髪へ向けられる好奇の視線などものともせず、白いつなぎを着た千鶴は、黒いフィンガーレスグローブをしたままの手で勢いよくホットドッグにかぶりついた。
「うーん、うまいっ! テストの後のホットドッグは最高だな!」
「千鶴、鼻のてっぺんにケチャップついてる」
千鶴の隣で言ったのは、天丼の海老天を頬張る通信管制科の
童顔で小柄だが、千鶴の初等学校からの幼馴染で同級生であった。学科は違うが、全寮制の櫻林館において陽介は千鶴のルームメイトでもある。
「あ、ホントだ」
ケチャップを拭った指を紙ナプキンでふいていると、向かいに座っている
「お前は子供か」
「腹ペコな時に全力でホットドッグにかぶりついたら、鼻にケチャップくらいつくって」
笑って言った千鶴に、雪輝は「もっと落ち着いて食べろよ」とため息をついてピザをかじった。
千鶴と同じくパイロット科の雪輝ではあるが、雪輝はすでに陽介と同じ制服に着替えていた。ただしブレザーは椅子にかけ、シャツの袖をまくっている。ウエーブのかかった長い黒髪をうなじで束ね、すっと通った鼻筋と白い肌に黒い瞳と長いまつ毛がよく映えている、いわゆる美形であった。
千鶴と同じく技術優等生でありながら座学でも優等生の肩書をもつオールマイティーなので、ただでさえ少ない学舎中の女子の視線を集めないはずはなかった。
そんな女子の視線も気にしないで、雪輝は整った面立ちをいつものように呆れ顔に歪めた。
「食事のときくらいそのグローブ外せよな」
「いいの。これは外したくないから」
「いつまでそんな傷跡隠してるんだよ。女々しいな」
「嫌なものは嫌なんだって。それにこのグローブかっこいいし」
千鶴がホットドッグを頬張りながら答えると、陽介が笑った。
「千鶴と雪輝って面白いよね。普段はこんなんなのに、空だとピタッと息が合うんだから。今日も管制塔から見てたよ。綺麗に決まってたね、二機同時のスパイラルダイブ!」
「だろー! あんなの雪輝とじゃなきゃできないぜ!」
「まあ、教官には注意されたがな」
雪輝が水を差す。「どうして?」と尋ねる陽介に、千鶴は苦笑いで答えた。
「普通は一対一でやるスパイラルダイブを二対二でやったからな。ただの試験でやるには危険すぎるからやめとけって言われたんだ」
「合計四機が絡まるように急降下したから、そのまま墜落する可能性もあったんだとさ」
雪輝が肩をすくめた。
「なるほど。でも注意されるほど難しい技をさらっとやってのけちゃうなんて、さすが技術優等生コンビの『レッドヘッドとブラックテイル』だね! 友達の僕も鼻が高いよ」
腕を組んで得意気に陽介は頷いた。
レッドヘッドとブラックテイルというのは、千鶴と雪輝のコンビに与えられた俗称だった。もちろんレッドヘッドは赤髪の千鶴を指し、ブラックテイルは長い黒髪を束ねた雪輝を指す。
共に技術優等生で、学内史上でも突出した操縦技術を持つ千鶴と、座学でも学内トップ5に入る成績を修める頭脳派の雪輝のコンビは、同学年のパイロット科の学生たちからは脅威と見なされ、いつの間にかこの俗称が生まれていた。
自分たちの知らないところで生まれた俗称ではあるが自分と友人の腕が認められたようで嬉しく、千鶴は誇らしげに胸を叩いた。
「まかせろ! 今年の宇宙訓練合宿でも思いっきり飛んでみせるからな!」
その勢いを挫くように雪輝が淡々と口を開いた。
「知ってるか? 今年の合宿の訓練教官長、
「さ……早乙女!」
一気に血の気が引いて、千鶴は咄嗟に聞き返した。
「早乙女って、あの航空宇宙幕僚長の息子の早乙女
雪輝は「そうだ」とあっさり頷く。
「早乙女二尉って……
陽介まで青くなって震えている。
幕僚長の息子でありつつ、自らの階級より二階級上の発言権を与えられる六花特別隊員に選ばれた実力の持ち主の名を、櫻林館の者が知らないはずはない。
早乙女常影は早乙女航空宇宙幕僚長の子息でありながら、父親と全く似ても似つかない容貌をしていることでも有名だが、鬼の厳しさで部隊を統率しているという噂の方が学生の千鶴らにとっては重要だった。
「燃料の無駄遣いなんてしたら殺される!」
千鶴が愕然と頭を抱えるのを横目にした雪輝が「合宿の時くらい無駄な飛行はやめとけよ」としれっと言った。
「訓練の合間に宇宙空間でアクロバット飛行を試してみようと思ってたのに!」
喚く千鶴に嘆息をもらし、雪輝はピザ一切れを食べ終えた。そしてアイスコーヒーを一口飲むと、ため息交じりに言った。
「お前、いい加減そうやって目立つのやめとけよな」
「目立ちたいとかそんなんじゃないって! だって滅多にない宇宙空間でのチャンスなんだぞ! 宇宙で飛び回りたいから櫻林館に入ったのに――」
「そんな理由を並べる前に、自分の立場を考えろよ」
雪輝は語気を強めて続けた。
「忠告してんだよ。お前は赤色人種だろ」
その言葉に、千鶴は一瞬凍り付いた。だがそれを表に出すことなく千鶴は目をしばたたいただけで、苦笑でごまかした。
「そりゃそうだけど、飛ぶのに人種は関係ないし、やっぱり宇宙は憧れるしなぁ」
「そんな風に能天気だからなめられるんだ。国が赤色人種の人権を認めても社会的にはあからさまな差別がある。それを一番わかっているのはお前だろ? いつまでもニワトリだとか言われてないで、もっと賢く生きろよ。俺たちにまでとばっちりがきたらどうしてくれるんだ」
「なんてこと言うんだよ、雪輝!」
テーブルに両手を叩きつけて反論したのは陽介だった。
「千鶴が千鶴のままでいて何が悪いんだ! 千鶴が自分を変える必要はないだろ!」
雪輝は冷静に肩をすくめて言葉を返す。
「正論を訴えたところで誰もが改心できるほど世界は純粋じゃない。赤色人種ってだけでいろんなチャンス逃してたらそれこそ馬鹿らしいだろ。容姿をごまかすのも戦略の一つだって言ってんだよ」
「千鶴はそれをわかってて、それでも自分のままでいたいと思って、髪も目も隠さずに生きてるんだ! そんな千鶴を応援しなくちゃいけないのは親友の僕らなのに、雪輝は千鶴を裏切るのか!」
雪輝に掴みかからんばかりに身を乗り出す陽介を、千鶴は「まあまあ」と抑えた。
「どうして千鶴が僕を止めるんだ! 僕は千鶴の味方をしてるのに!」
陽介の剣幕に千鶴が気おされていると、雪輝がため息と共に席を立った。
「じゃ、俺は先に自主練の準備してるから」
「雪輝、まだピザ残ってるぞ」
プレートにはサラダが半分とピザが丸々一切れ残っているが、雪輝はそれらを置き去りにして軽く片手を上げた。
「やるよ。いらなかったら一緒に片付けといてくれ」
そうして行ってしまう雪輝の背を見送っていると、鼻息荒い陽介はそっぽを向いて頬を膨らませてしまった。
そんな陽介や、あんな言い方でも実際は味方でいてくれる雪輝の存在に、千鶴は助けられている。だからこそ二人がこのように対立するのは心苦しかった。
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