それぞれの飛翔③

 執務室のデスクに腰掛けた常影は、椅子に背を預けてコーヒーを一口飲んでから言った。


「それにしても、大げさだった割にはなかなか個人的な動機だったな」


 デスクを挟んで立っている雉早が、持っている資料をめくりながら答えた。


「そういうものだろう。どんなに大きな事件を起こしたテロリストも、どれだけ大義名分を掲げようと、根幹にあるのは個人的な感情なのだからな」


 そしてちらりと常影を一瞥して付け加えた。


「私の目の前にいる男も、防衛省という国の重要機関を舞台に大掛かりな出世争いをしているようだが、冷静に見ればただの親子喧嘩だ」


 真顔で発せられた皮肉に、常影は声をあげて笑った。


「なるほど、親子というのは噛み合わせが悪いと国の脅威にもなりうるものだったか」

「笑い事ではない。月の国際規約も破り、この国が日本から受け継いだ非核三原則も無視した大事件だ。世論が納得する情報を流しながら部分的に揉み消すのは骨が折れる……と、永野さんが言っていた」

「上に行くほど尻拭いばかりで辛いものだな。こちらも申し訳なくなる」


 デスクに広げていた資料を一瞥して、常影は悪びれた様子もなく肩をすくめた。資料はクレインとファルコンの比較データであり、今回の事件におけるいわば戦利品だ。これに狂喜するやからがいると思うと、呆れて笑いたくもなる。例えば、父である早乙女航空宇宙幕僚長など。


 常影はコーヒーの苦みを助けに気分と話題を変えた。


「月と核の件も大変だろうが、コズミックアークが事件の中核にあったことの方が世界的に大打撃だろう。あの企業に星間輸送を任せていた企業や国は数えきれん」

「確かに今回の件でコズミックアークがテロリスト集団であれば、経済的にも宇宙開発の分野でもとんでもないことになっていただろうな」


 そう言いながら雉早がとある資料を渡してきた。常影が目を通している間に雉早は続けた。


「雨宮景と佐古臣吾を含める今回の事件に加担した社員たちは、ずいぶんと前にコズミックアークを退社したことになっている。その代り、プロメテウス運送という別会社を立ち上げ、そちらに全員籍を移している。佐古臣吾だけがそれを知らなかったようだがな」


 常影は鼻で笑って、資料を机に放り投げた。


「最初から結末は予想済みだったということか。それでも実行に移すとは迷惑な話だ」

「全くだ」


 雉早は心底迷惑そうに大きなため息をつきながら、腕時計を確認して常影に背を向けた。


「今回手に入った資料はその二つだけだ。また来る」

「頼んだ」


 執務室を出ていく友人の疲れた背中を見て、常影は「こちらの方がまだましなのかもな」と小さく笑った。


 机の上に広がった資料に目を落とす。次世代戦闘機の比較データに記されたパイロットの項目に、赤色人種の少年二人の写真が並んでいる。レッドヘッドとブラックテイルと称された対照的な容姿の二人だ。火星研究所事件当時のことを思い出して、少し心が重たくなった。


 不意にID端末が鳴りだした。


「はい、私です。そちらからお電話を下さるなんて珍しいですね」


 電話口の声は、事件当時と比べてとても明るく穏やかになっている。それがとても嬉しかった。


「ええ、大丈夫ですよ。私の方はいつものことですから。それより、心配なのは私ではなく彼の方でしょう?」


 図星を突くと、端末ごしにふんわりとした笑い声が聞こえる。その声が懐かしくて、常影も笑った。


「彼も大丈夫ですよ。発作に苦しんでいたあの時期が霞んでしまうほど、救助した当時と比べたら彼は見違えるほど成長しました。あなたの苦労の賜物ですよ、花江さん」


 野風のように、彼女は「私は何もしていないんだから、いちいち褒めないで」と笑う。


「ところで花江さん。以前の約束、覚えていただけていますよね?」


 ふんわりした声で「私は言ってもいいと思うわよ」と面白そうに言う。

 

「言わない方がいいですよ。初めて見た戦闘機のパイロットが私だったなんて、彼にはショックが大きすぎます。彼の希望に満ちた夢と目標が無残に散り果ててしまいます」


 明るい笑い声が端末越しに響いた。

 その笑い声の後、常影は言った。


「彼はまだまだ強くなれるでしょう。私が鍛える役目に回りますので、ご安心を」


 端末を切り、窓越しの空を見上げた。太陽が傾き始め、遠くの方がピンクや橙に染まりかかった穏やかなグラデーションだった。

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