レッドヘッドとブラックテイル②

 人工ROPシステムを用いた二機の推力はミサイルのスピードを上回り、ミサイルの進行を止めた。

 上回った分のわずかな力でミサイルは押し返され、クレインとファルコンは、ミサイルと共に再びワープゲートの中にゆっくりと吸い込まれた。


 ともかくこれで一安心だった。ワープの中は超高速移動をしているが、ゲートを通過した瞬間の速度がゲートを抜け出るときの速度になる。だから今回は火星側のゲートに出ても、ほとんど止まっている状態でに放り出されるだけなのだ。


 いつしかかなり前のめりになっていた体を、千鶴は操縦席に預けた。気づけば息も驚くほど上がっている。何度か深呼吸をして体を落ち着けたが、頭は高熱が出た時のように重たく、少し首を動かしただけでも吐き気がするほどだった。痛みに細めた目は、すでにエメラルドに戻っていた。


 ワープ中はワープ中の者同士でしか通信ができない。松波との通信回線は不通になっている。千鶴はぼんやりする思考の中で、ファルコンの回線に目を移した。


 そこに映るコックピット内は予備灯で薄暗いオレンジ色に照らされていた。フェニックスモードを解除したファルコンは、千鶴がメインエンジンを壊してしまったので予備電源に切り替わっている。


「雪輝、大丈夫か?」


 問いかけたが、待っても返答はない。


「雪輝……? おい、雪輝!」


 千鶴は通信モニターに目を凝らした。薄暗いコックピットの中、操縦席に体を預ける雪輝は全く動かなかった。


「どうした! 返事しろよ! 雪輝!」


 何度呼びかけても雪輝はぴくりとも動かなかった。


 ワープ特有の光の中、ファルコンの手が力なくミサイルから離れた。千鶴は咄嗟にワイヤーでクレインを爆弾に繋ぎとめ、身を乗り出して漂うように離れゆくファルコンの手を掴んだ。


 ワープが終わる。あらゆる色の光は闇にかき消され、流星の雨が降る。流星の速度が落ちて星たちが制止する頃、ゆっくりとワープゲートを抜けた。


 千鶴は片手でファルコンを繋ぎ止めながら、もう片手でミサイルにつかまったまま、ほんの少しの推力で運動量を相殺し、爆弾と共にそこへ静止した。


「千鶴!」

「千鶴君、大丈夫!」


 通信回線が回復するや否や、陽介と莉々亜の声が響いた。


「俺は大丈夫だ! でも雪輝が! 応答がないんだ!」


 千鶴はクレインをファルコンのすぐそばにつけ、急いで操縦席のベルトを外した。


「ファルコンのコックピットを見てくる! すぐに医療部隊を送ってくれ!」

「了解!」


 陽介の返事を聞いた後、千鶴はすぐにコックピットを出た。


 宇宙空間を浮遊し、ファルコンのハッチに降り立つ。ハッチのロックを緊急強制解除すると、中の空気が勢いよく流れ出たが、それはまるで熱風のようだった。


 千鶴はその熱風に一瞬目を閉じた。全身をパイロットスーツで覆っていてもわかるほどの熱だったのだ。

 コックピットの中に急ぐと、千鶴は操縦席でぐったりしている雪輝を揺さぶった。


「起きろ! 意識があったら目を開けるんだ! 雪輝!」


 しかしシールドの奥の瞼は、全く動く気配がはない。


「嘘だろ……!」


 千鶴は急いでハッチを閉め、コックピット内の空気の充填を開始した。その間にも予備電源の薄暗い中で、雪輝がかけていたロックを解除して松波への通信回線を開いた。


「こちらファルコン! 松波、応答してくれ!」

「こちら松波。状況は?」


 すぐに陽介が応答した。


「雪輝の意識がない! 呼びかけても揺さぶっても反応がないんだ。今こっちは空気充填中だ。できる範囲で救命措置に入る。指示をくれ!」

「了解。こちらも今雪輝のパイロットデータを受信中だ」


 その矢先、陽介の顔色が変わった。


「だめだ、心肺停止だ! すぐに蘇生に移って!」

「千鶴君! 操縦席の後ろに救急セットが入ってるわ!」


 陽介の後ろで莉々亜が叫んだ。


「そこにバッグマスクがある! バッグマスクを取り出したら、操縦席を限界まで倒して! その方がうまく気道確保できるわ!」


 千鶴は指示通りに動いた。座席を倒して雪輝を寝かせたら、雪輝の胸の中心に両手を重ねて置いた。


「1、2、3、4――」


 胸骨圧迫の間に空気の充填が終わった。三十回の圧迫を終えると、千鶴はすぐに雪輝のヘルメットを外した。大量の汗で雪輝の首筋はぐっしょり濡れていた。


 バッグマスクを雪輝の口元に押し当て、次いでゆっくりと袋部分を押して二回空気を送り込んだ。胸が動いたので、空気はうまく肺に行き渡っているようだった。


「千鶴君、天井のオレンジのボタンを押して!」


 指示通りに押すと、天井の一部が開いて酸素マスクとコードが二本降ってきた。


「AED装置のコードが出てくるはずよ! 急いで雪輝君に繋いで!」


 千鶴はぶら下がっているコードを手繰り寄せ、パイロットスーツの右鎖骨下と左脇下の接続部に手早く繋いだ。


「繋いだぞ!」

「雪輝君から離れて! 陽介君、ショックボタン!」


 ピーピーピーと音が鳴って、それから電気ショックが流れた。


「どうだ!」


 千鶴が通信画面に向かって問うと、モニターを見ていた陽介が安堵の顔を上げた。


「心拍が戻ったよ!」

「千鶴君、呼吸の確認をお願い!」


 千鶴は自分のヘルメットを外し、雪輝の口元に耳を近づけた。うっすらと呼吸音は聞こえるし、かすかな呼気が頬に触れる。胸も緩やかに上下に動いていた。


「呼吸が戻ってる……」


 千鶴は安堵の吐息をついた。念のために上にぶらさがっている酸素マスクを引っ張り、雪輝に装着した。

 それで気が抜けたのか、千鶴はめまいを覚えて膝をついてしまった。


「千鶴君……! 大丈夫!」


 大丈夫。そう言おうと思ったところで、千鶴の意識は真っ暗になった。

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