彼女の問い②
千鶴と莉々亜が腰を下ろしたのは、ことりのいえが建つ山をもう少し登ったところだった。のどかな山の景色を臨める場所に、丁度大きな岩がある。二人で腰掛けるには充分な大きさだった。
初夏の日差しに、涼しい山の風が吹き抜けた。野山の青は濃さを増し始め、アゲハチョウも大きな翅を羽ばたかせて飛んでいる。
「とっても気持ちいいわね。山なんて久しぶり」
「ど田舎だろ。びっくりした?」
莉々亜は首を振った。
「私こういうところ大好きよ。都市は確かに便利だけど、その分窮屈だもの」
麗櫻国が日本という国であった頃、人口が爆発的に増加してひしめくように建造物が乱立したという。
現在の自然豊かな麗櫻国にそういったことはなく、住宅やビルは都市という決められたエリアに集中して建てられ、そういう都市が広大な緑地や田畑の国土に点在していた。その点在する都市をリニアが結ぶ。そのようにして住居区域となる都市と緑溢れる土地は区別されていた。
しかし田舎となると別で、この近辺のように、自然と共存するように住居や店舗を構える形式が残っているところもわずかにあった。
「確かにここはのびのびできるけど、住むには大変だよ。リニアの駅は遠いし、猿も出るし」
千鶴はそう笑っておにぎりを頬張った。
「千鶴君、その手袋はずっと外さないの?」
「ああ、これ?」
口の中のものを飲み込んでから千鶴は頷いた。
「なるべく外さないんだ」
「どうして?」
「両手の甲と小指の下に手術の跡があるんだ。小さい頃に複雑骨折したらしくて」
「骨折したこと覚えてないの?」
「それが全然覚えてないんだよな。でもなんでか見てるとすごく嫌な気分になるから、見なくて済むようにグローブで隠してるんだ」
「そ、そうだったのね! 聞いちゃってごめんなさい」
ばつの悪そうな莉々亜に、千鶴は「そのくらい平気だから気にしなくていいよ」と笑い飛ばしてみせた。
「そういえば、莉々亜って大学に入るために桜ヶ原に来たんだよな? 桜ヶ原に来る前も都市部だったの?」
莉々亜はこくりと頷いた。
「昔はもっと大きな都市に住んでたの。桜ヶ原は小さな都市だし周りの緑地も広いから好きだけど、やっぱりビルだらけの都市部は息が詰まっちゃう」
「桜ヶ原より大きな都市か。東海じゃ桜ヶ原が一番大きいけど、それよりも大きいってことは関東?」
「そうよ。実家は麗明なの」
「首都じゃんか! 生粋の都会っ子だな」
しかしふと疑問が浮かんだ。
「じゃあなんでわざわざこっちに来たんだ? 麗明の方が大学も多いのに。櫻ヶ原大学は防衛省付属だから、防衛省に入るような人たちが選ぶ大学だけど……」
「その辺はあんまり考えてなかったの。入れる大学に入ったって感じ。高等学校で櫻ヶ原大学を薦められたのよ。ひとり暮らしにも憧れてたし」
そう言って莉々亜は苦笑した。
「……そうなんだ」
あまり莉々亜らしくない答えに思えたが、なんとなく触れられたくない話題のように思えたので、千鶴はその相槌で終わらせることにした。
「千鶴君はどうして櫻林館に?」
莉々亜はかじったおにぎりを飲み込むと尋ねてきた。
「俺? そりゃあ飛ぶのが好きだからだよ」
「それだけ?」
「そう、それだけ!」
目をぱちくりとさせる莉々亜に、千鶴は笑った。
「単純に、それだけ。そらが大好きなんだ」
千鶴は空を見上げた。突き抜ける青色がどこまでも高く広く続いている。大きく息を吸い込んで目を閉じると、山の澄んだ風が胸の中に広がった。
「こうすると蘇ってくるんだ。青い空を自由自在に飛び回る戦闘機、突き抜けるように響く風を切る音。あの時の自分の心臓の音まで聞こえてくる気がするんだ」
「心臓の音?」
千鶴は目を開けて莉々亜に向き直った。
「初めて戦闘機が飛んでるのを見た時にさ、息が止まるくらいびっくりしたんだ。終わりのない広い空を縦横無尽に飛べる乗り物がこの世にあるんだって知ったら、心臓がドキドキして治まらなくて」
幼い頃のことだが、言葉にして打ち明けるとほんの少し恥ずかしくなる。
「その時、俺もあれに乗れば大好きな空を自由に飛べるのかなって思えたんだ。初めてだったんだ、どうしようもなくやってみたいことができて、それを絶対にやってみせるんだって思えたことが」
「それが……戦闘機だったのね」
千鶴は「そう」と明るく頷いて見せた。
「戦闘機に乗ってアクロバット飛行をすること。それが俺の夢。もうフェスティバルで叶っちゃったけど、やっぱりあれじゃ足りない。まだまだ飛んでいたいんだ。……単純すぎる理由で呆れちゃった?」
先ほどから顔を曇らせている莉々亜は、慌てて「違うの!」と首を振った。けれども何かを言いにくそうに視線を落とした。
「千鶴君は、本当に防衛官になってもいいって思ってるの?」
「え?」
千鶴は思わず聞き返したが、莉々亜は質問を重ねた。
「防衛官は何かあった時に命を懸けて戦わなきゃいけないのよ。そんなリスクを背負ってまで、好きだからっていう気持ちだけでいいの? それだけでどうして戦闘のための機体に乗れるの? 戦闘機が存在する本当の理由は戦うためだってこと、千鶴君はわかってるの?」
おもむろに問い詰めてくる莉々亜に、千鶴は言葉を詰まらせた。
「り、莉々亜、急にどうしたの?」
「だって……だって、心配なのよ。突然戦争が始まらない保証なんて、どこにもないじゃない」
そう言いつつさらに顔を曇らせるので、千鶴は困って頭をかいた。
「飛ぶ理由じゃなくて、防衛官になる理由か……」
正直、今までその点は真剣に考えてこなかった。飛びたいという気持ちが先立って櫻林館に入ったが、それ以外の理由がないわけでもない。櫻林館ではならない理由は確かにある。だがそれは、きっと莉々亜が求める答えではないだろう。
「ちょっと時間をもらってもいいかな?」
莉々亜が小首を傾げて大きな目をまたたかせた。
「ちゃんと答えるから、少し待ってほしいんだ」
莉々亜は「待つわ」と頷いて、ようやく少し微笑んだ。
だがそれは、いつもの朗らかなものではなく、強張りを残した笑みであった。
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