彼女の問い①
木漏れ日の落ちる芝生の庭で、千鶴は空を見上げていた。
十歳の千鶴はその日、国に課せられている赤色人種の定期健康診断のため、櫻ヶ原大学病院に来ていた。この時は丁度検査の待ち時間で、あまりに天気がよかったから病院の中庭に出ていたのだ。
淡いピンクの花を満開にした桜の木陰。白い雲がふわふわと浮かぶ青い空を見上げていると、唐突に背後から可愛らしい声が聞こえてきた。
「なにしてるの?」
振り返ると、おさげの少女が微笑んでいた。
同年代の女の子に優しく話しかけられるのが初めてだった千鶴は、どぎまぎしながら慌てて答えた。
「そ、空を見てたんだ!」
すると少女は二言目にこう言った。
「あなた、赤色人種でしょ」
千鶴は半歩後ずさった。どうせこの少女もこの容姿を嘲笑いに来たに違いない。
裏切られたような気持ちになって身構えたが、少女は屈託のない笑顔のままこう続けた。
「真っ赤な髪、すごくかっこいいわね!」
千鶴は驚いたが、すぐに少女から目を反らしてうつむいた。
「そうかな。俺はあんまり好きじゃないよ」
「どうして? もったいないわ! 生まれながらにその赤色を持っている人はとても少ないのに」
「だって……みんな変な色だから気持ち悪いって言うんだ」
「そうなの? そんなのおかしい!」
少女はそう反論してくれたが、千鶴は首を横に振った。
「おかしくないよ。おかしいのは俺の方だ。髪の色も目の色もみんなと全然違う」
うなだれる千鶴に、少女はくすりと笑った。
「変なの! そもそもみんな違うところだらけなのに、そんなことを比べてどうするの?」
その言葉に、千鶴は思わず顔を上げていた。少女は笑って続ける。
「全く同じ人ばかりの世界なんて気持ち悪いじゃない。人と違うところがないと、自分と他人を区別できなくて自分を見失っちゃうんじゃないかしら」
千鶴にとってそれは衝撃的な価値観だった。
この少女の言葉は強烈に印象に残り、今の千鶴の考え方の根幹を形成している。
「あなたのその赤色は特別な色なのよ。私はとっても素敵な色だと思う!」
人と違うことは欠点ではない。むしろそれこそが自分らしさであり、長所にもなりうる。そう信じることで千鶴は偏見に満ちた者たちの目に立ち向かえるようになった。
そんな大切なことを教えてくれた少女の名前を千鶴は知らない。ただ、名字だけは耳に残っている。
「本田さん、お待たせしました」
もうしばらく喋った後で、堅苦しいスーツ姿の男がそのように少女を呼びに来たのだ。
いつの間にか指切りをしていた小指を解いて、少女は手を振った。
「絶対約束よ! またね!」
春の風が、桜の花弁を巻き上げる。
その約束が何だったのか思い出せないでいるうちに、少女は木漏れ日の香りのする光の中へ走り去る。
桜の花弁が無数に舞い、少女の姿をかき消していった。
「待って! 約束が何だったか思い出せないんだ!」
包帯で巻かれた手を伸ばしたが、風も光もどんどん強くなって、千鶴は目を閉じて立ち止まるしかなかった。
◆ ◇ ◆
息が詰まるような暑苦しさで千鶴は目を覚ました。
位置を変えた太陽の光が、カーテンの隙間から注いでいる。
「夢……? 約束?」
体を起こすと、パーカーが落ちた。パーカーをかけて寝た記憶がなかった千鶴は、寝ぼけまなこで首を傾げた。
「何してたんだっけ……?」
しばらくぼんやりとしてから、千鶴は「あああっ!」と叫んでベッドから飛び降りた。
「そうだ! 莉々亜!」
放ったらかしにて自分だけ昼寝をしていたことに気付いた千鶴は、部屋を飛び出て保育園へ向かった。
保育園の中庭では園児たちが元気に遊んでいる。莉々亜を探すと、砂場で園児たちと遊んでいた。
「莉々亜、ごめん!」
「千鶴君、起きたのね」
急いで駆け寄ろうとした千鶴であったが、それをせき止めたのは園児たちであった。
「飛行機の兄ちゃんだー!」
「千鶴兄ちゃんが起きたー!」
甲高い歓声と共に集団の突進を受け、千鶴は園児たちに揉みくちゃにされてしまった。園児たちの度重なる突進を受けながら、千鶴はなんとか手を合わせて言った。
「莉々亜、ホントごめん! まさかあのまま寝るとは思ってなかったんだ!」
「怒ってないよ。中間考査明けなのにずっと運転してくれてたし、疲れてたんでしょ?」
笑顔でそう言ってくれるので、千鶴にはまるで莉々亜が天使のように思えた。寛大なその優しさに感動していると、突然「千鶴兄ちゃん!」と男の子が腰に飛びついてくる。
「千鶴兄ちゃん、赤い髪かっこいい!」
「おお、ホントか!」
その矢先、今度は別の園児が大泣きを始める。
「髪の毛赤いいいぃぃ! 目ぇ変な色おぉぉ! 怖いいいぃぃぃ!」
「おおぉぉ! ごめんよおおぉぉ!」
千鶴はその園児を必死で高い高いしてやるが、全く泣き止まないどころか激しさは増してゆく。
それに気づいて花江がやってきた。
「千鶴君、その子たちは私が見るから、莉々亜ちゃんと遅めの昼食でも食べてらっしゃい。テーブルにおにぎりがあるから」
「莉々亜、もしかして食べずに待っててくれたのか!」
「だって、一緒に食べたかったから」
そんなことを言ってくれる莉々亜の笑顔は千鶴には輝いて見えていた。
しかし浮かれすぎてもいられないのだと、千鶴は自分を律することにした。どうせ報われない想いなのだから、調子に乗っていると後が辛いだけだ。
「そっか、ごめんな。おなか減っただろ? せっかくおにぎりにしてもらったし、外で食べるか」
千鶴は明るく言ったが、心の中は曇天だった。
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