思わせぶりなサンドイッチ②
夕暮れにもなれば、春先のこの時期はまだ肌寒い。野原での誕生日パーティーは切り上げて、千鶴たちは櫻林館の敷地に戻っていた。
「莉々亜ちゃん、今日はありがとう! サンドイッチ美味しかったよ!」
「そっちも大学で忙しいのに悪かったな。でもうまかったから、ぜひまた作ってくれ」
陽介と雪輝が校舎の前で立ち止まって言った。
「うん、またみんなでピクニックしようね!」
莉々亜が太陽のように笑うので、千鶴も嬉しくなって「もちろんだ!」と頷いた。
そこへ、陽介が申し訳なさそうな顔で切り出した。
「せっかくだからバス停まで送りたいんだけど、僕らこれからちょっと用事があるんだ。ここまでしか送れないけど、あとは千鶴が荷物係してくれるから」
そう言いつつ陽介は千鶴にバスケットを渡した。雪輝まで水筒を押し付けてくる。
「ちょっ、おいっ!」
千鶴は持っていたゴミ袋に加えて一気に二つ荷物を渡されてよろめいた。
「用事ってなんだよ!」
「僕は通信管制科のグループワークのミーティング」
「俺は青鷹の整備士から呼び出し。ちょっとした確認事項だと」
正当な理由に文句を言えるわけもなく、千鶴は「しかたないなぁ」と口を尖らせたが、次にはからっと笑って「任せとけ!」と胸を叩いた。
「安全に莉々亜嬢をバス停まで送り届けてみせるであります、葉山一佐、日高曹長!」
「陽介が一佐で俺は曹長かよ」
期待通りの返しに皆で笑ってから、千鶴は言った。
「じゃあ送ってくる。莉々亜、そろそろバスが来る頃だから行こう」
頷く莉々亜と共に、千鶴はバス停に向かった。
莉々亜は振り返って陽介と雪輝に手を振ると、バスケットと水筒とゴミ袋を抱えた千鶴を覗き込んだ。
「私も持つよ」
「いいのいいの。サンドイッチ作ってくれたんだし、このくらいさせてって。とは言ってもバス停までだけどさ」
千鶴が肩をすくめると、莉々亜は「じゃあ持ってもらっちゃお」と微笑んだ。
学生や休暇中の防衛官らで賑わう桜並木を、莉々亜と並んで歩く。
満開の桜が道の両側に立ち並ぶ圧巻の光景を楽しめばいいものの、千鶴は桜に目を向けることなく前を見据え、押し黙って歩いた。
思わぬところで二人きりになってしまった。
こうして二人きりで歩くことは滅多にないので、千鶴は緊張で必死に何か喋らなくてはと思考をフル回転させていた。
そこへ、莉々亜の透き通った声が問いかける。
「ねえ、千鶴君。今日は楽しかった?」
「そ、そりゃあもちろん! 手作りサンドイッチが最高だった!」
慌てて即答すると、莉々亜は「よかった」と嬉しそうに言った。
「突然泣き出しちゃうんだもん。マスタード入れすぎちゃったかと思った」
「あはは……」
苦笑する千鶴に、莉々亜はくすりと笑った。
「千鶴君って、本当に感情が豊かなのね。特にプラスの感情表現がすごく上手だから、一緒にいると私も楽しくなっちゃう」
莉々亜のその言葉に、千鶴は目をぱちくりとまたたかせた。
「そう言われるのは初めてだな。雪輝にはいつも能天気だって怒られるから」
「私は素敵なことだと思うな。周りまで楽しくさせちゃうなんて、すごい才能よ」
その言葉に、千鶴はむず痒くも嬉しくなった。笑顔でいることは千鶴が常に心がけていることだったので、その努力を認められたような気がしたのだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
千鶴は照れながら言ったが、莉々亜は少し顔を曇らせた。
「私はすぐに落ち込んじゃうから、いつも明るい千鶴君を尊敬してるんだ」
曇ったのも束の間、すぐに太陽のような笑顔で莉々亜は顔を上げた。
「だからそうしてそばで笑っていてくれると、私も頑張ろうって思えるの」
まるで春の木漏れ日のように温かい笑顔だった。満開の桜がとてもよく似合う。
二人きりのときにそのように笑ってくれると、緊張で胸の奥と頬が熱くなる。
「俺も、莉々亜のおかげで頑張ろうって思えるよ。いつも明るい笑顔を向けてくれるし、コースターに書いてくれたメッセージも本当に嬉しかった」
莉々亜の視線にさえドキドキしてしまうので、千鶴は歩く足元を見ながら続けた。桜の花弁が、風に乗ってふわりと落ちる。
「アクロバットショーに出るのは夢だったんだ。空を飛んでみたくてうずうずしてた小さい頃、アクロバットショーを見てさ。あれに乗りたいって、ずいぶん駄々こねたよ」
千鶴は空を見上げた。青空の半分が橙色に染まり始めているが、戦闘機のアクロバットを偶然見たのは丁度今頃の季節だった。
「あれを見るまで、あんなに自由に人が空を飛べるだなんて思ってもいなかったんだ。俺にとってアクロバットショーは夢や目標をくれた特別なものだから、それを応援してくれるのはすごく嬉しいよ。だから莉々亜、ありがとうな」
そこまで話してから、千鶴はようやく莉々亜に振り向いた。
それと同時に莉々亜は立ち止まる。
うつむいているので、つばの広い帽子が顔を隠していた。
「……莉々亜?」
そっと顔を覗くと、莉々亜は大きな目にたっぷりと涙をためていた。
「え! ど、どうしたの! 俺、変なこと言ったっけ!」
千鶴が慌てると、莉々亜は首を大きく横に振って目を拭った。
顔を上げた莉々亜にはもう明るい笑顔が戻っていたが、長いまつ毛には涙の痕跡がきらきらと光っていた。
「なんでもないの。大丈夫!」
「なんでもないことないって!」
「本当に大丈夫。私も、小さい頃のこと思い出しちゃっただけだから」
そう言った莉々亜の顔は笑ってはいたが、とても悲しそうだった。
「私ね、ずっと千鶴君に伝えたかったことがあるんだ」
「……え?」
莉々亜は涙の光る大きい瞳を上目づかいにして、千鶴を見つめていた。
そんな風に見つめられて、千鶴は自分の心臓の音が莉々亜に聞こえてしまわないか心配になった。
「つ、伝えたかったことって……?」
「私ね、本当は千鶴君のこと……」
しかし莉々亜は視線を落として口ごもってしまう。
「お、俺のことが! な、なに……?」
声が今にも裏返りそうなほど何故だか動揺してしまったが、莉々亜は結局首を横に振った。
「やっぱりまた今度にするね。ちゃんと話したいから、もっとしっかり時間のあるときに、改めて。それまで待っててほしいの。……いいかな?」
申し訳なさそうにうつむき加減で微笑みながら、莉々亜は上目づかいでほんの少し首を傾けた。
「よ、よくわからないけど……莉々亜がそれでいいなら……」
そう言うしかない千鶴に、莉々亜は「ありがとう」と微笑んだ。
「あ! バスが来ちゃう!」
はっと気づいて腕時計を見た莉々亜は、校門前のバス停に走りだした。
千鶴も慌てて追いかけてバス停に着くと、丁度バスが来て扉が開いたところだった。
「莉々亜、バスケットと水筒!」
「ありがとう! またブルーバードで待ってるね!」
バスケットと水筒を受け取った莉々亜はバスに飛び乗った。莉々亜が手を振ると、扉が閉まる。バスが遠ざかっていくのを見送りながら、千鶴は呟いた。
「伝えたいことって……一体何なんだ……?」
腕を組んで考えても、わかるはずもない。
ただ上目づかいの莉々亜があまりに可愛かったので、それを思い出すだけで顔が熱くなってくる。
「あーもう! 俺って最低だな! 莉々亜は真剣な話をしようとしてたってのに!」
両手で頭を抱えて自分を大声で戒めた。
風に乗る桜の花弁の舞が目に留まる。その可憐な様子が莉々亜と重なり、千鶴は深く長いため息をついた。
「ゴミ捨てたらシミュレーター訓練でもやって頭冷やすかな……」
千鶴はゴミ袋を肩に背負って踵を返すと、もう一度深いため息をついて学舎裏へ向かった。
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