思わせぶりなサンドイッチ①
「雪輝、走れー!」
「待て千鶴、そんなに急ぐことないだろ!」
櫻林館の休日。
アクロバットの合同練習を終えて、千鶴と雪輝は櫻林館を含む航空宇宙防衛本部の敷地の裏にある広大な緑地を走っていた。
「急ぐ必要はある! 莉々亜と陽介を待たせてるんだからな!」
「歩いても約束の時間には充分間に合うだろ!」
「俺は早く莉々亜のサンドイッチが食べたい!」
「腹が減ってるだけかよ! 俺まで走らせるな!」
文句ばかりの雪輝を走らせていると、野原の丘の上で莉々亜と陽介が手を振っているのが見えた。
白いカーディガンを羽織った莉々亜の桜色のロングスカートが風になびいている。つばの広い帽子が飛んでいかないように片手で抑える姿がいかにも女の子らしい。
その可憐な姿が千鶴にラストスパートの力を授けた。
最後の上り坂を一気に駆け上がってゴールすると、千鶴は両膝に手をついて上がっている呼吸を整えた。
「櫻林館から結構な距離があるけど、もしかしてここまでずっと走ってきたの?」
緑のTシャツに薄手のパーカーを羽織った私服の陽介が、驚いた様子で尋ねてくる。
「おう! あたり前よ!」
肩で息をしながら、千鶴は爽やかに親指を立ててみせた。
「この野郎、俺まで走らせやがって……」
遅れてやっとゴールした雪輝が、ふらふらな様子で言う。
「二人とも、これ飲んで落ち着いて」
莉々亜が差し出してくれた水筒の冷たいお茶を、千鶴と雪輝は一気に飲み干した。それで一息つくと、千鶴はすでに敷かれていたシートに腰を下ろした。
なだらかな丘の続く野原には、白やピンクの野花が咲いていた。
丘から見下せるところに白い航空宇宙防衛本部と櫻林館が見えるが、休日の今日は訓練機の離着陸が極端に少なく、今は一機も見られなかった。
防衛本部と櫻林館のさらに向こう側には海が広がり、海面は日光を受けて水面をきらめかせている。
そこから吹き抜けてきた爽やかな風が、野原の草花と千鶴の赤い髪を揺らした。
「雪輝君までその格好ってことは、かなり急いで来てくれたのね」
莉々亜がシートの中央に置かれたバスケットを開けながら笑った。
千鶴は普段と変わりないが、今日は珍しく雪輝も白のつなぎを着たままだった。
「千鶴に急かされてろくに着替える暇もなかったからな」
雪輝は恨めしそうに千鶴を一瞥してつなぎの上の部分を脱ぐと、袖を腰に結んでシートに腰を下ろした。
濃い紫色のTシャツの上に首から提げた学生証代わりの銀色のIDタグが日光を反射させる。
「じゃあ、そろそろ始める?」
陽介が大きな箱をひとつ両手に乗せてやってきた。
「始めましょ、始めましょ!」
サンドイッチを皿に盛り付け終えた莉々亜が、陽介の持っている箱の蓋に手をかけた。
何が始まるのか唯一知らされていない雪輝だけがきょとんとしている横で、千鶴はつなぎのポケットに隠しておいたクラッカーをそっと取り出した。
「雪輝君、……せーのっ」
「誕生日おめでとう!」
莉々亜の掛け声に合わせて、千鶴と陽介も声をそろえた。
莉々亜が箱の蓋を開けるとバースデーケーキが姿を現し、そのタイミングに合わせて千鶴がクラッカーを鳴らした。
雪輝は目をぱちくりとさせて言葉を失っている。三人が雪輝の反応を待っても、雪輝はそのまま固まってしまっていた。
「驚きすぎだぞ、雪輝!」
千鶴は雪輝の背を大きく叩いた。その勢いで前のめりによろめいた雪輝は、差し出されたケーキを困惑しつつ覗き込んだ。
バースデーケーキには『ゆきくん おたんじょうびおめでとう』と書かれたチョコレートが中央にトッピングされており、瑞々しいイチゴが並べられている。それを「これ持って!」と陽介が雪輝に押し付けた。
されるがままケーキを持たされた雪輝の隣に千鶴は座り、その後ろに莉々亜と陽介が屈んだ。
莉々亜の手から飛び立った目玉にプロペラがついたようなカメラが宙を飛び、前方の適度な位置で静止する。
「それでは記念撮影しまーす! みんな笑ってね! ハイ、チーズ!」
カシャリとシャッターが切られると、カメラは莉々亜の手元に戻った。
「い、一体どうしたんだ……?」
雪輝は驚きすぎて混乱しているようなので、千鶴は言ってやった。
「どうしたって、今日はお前の誕生日だろ? だからバースデーパーティー! 莉々亜が企画してくれたんだ」
雪輝は「そうか、誕生日だったのか」と漏らしてから「わざわざすまない」と呟いた。
「まさか自分の誕生日を忘れてたのかよ!」
「じゃあ今日を素敵な日にして、忘れられないようにしましょ」
千鶴の後に莉々亜がそうまとめると、雪輝が抱えていたケーキを手早く切り分けた。
陽介が手伝ってそれぞれにケーキと飲み物が行き渡ると、「それでは改めて、雪輝君おめでとう!」という莉々亜の言葉の後に、「いっただっきまーす!」と千鶴と陽介が続いて、ようやくランチタイムが始まった。
一目散に千鶴はサンドイッチにかぶりついた。
少し焼き色のついたパンに新鮮なレタスとトマト、そして厚めのハムが挟まっている。マスタードの効いた手作りの味だった。
そんなサンドイッチを食べながら、春の野原で友人たちとこうしていられることが千鶴は嬉しかった。
幼少の頃から赤色人種というだけで偏見の眼差しにさらされ続けた千鶴にとって、友人の誕生日パーティーをサプライズで企画したり、女の子の手作りサンドイッチを食べながら談笑したり、みんなでケーキを分けたり、櫻林館に来るまでは考えられなかったことばかりなのだ。
サンドイッチを頬張りながら莉々亜と雪輝の会話に笑っていた陽介が、不意にこちらを見た。
「千鶴、どうしたの!」
陽介だけでなく、雪輝も莉々亜も千鶴を見てぎょっとしている。
「へ?」
千鶴は小首を傾げたが、頬がくすぐったいのに気づいて手で拭った。
手についたものは、いつの間にか溢れていた涙だった。
「あれ? か、花粉症かな?」
苦笑いでごまかそうとした千鶴に、莉々亜が心配そうに聞いてくる。
「もしかして楽しくない? サンドイッチまずかったかな?」
「違う違う違う!」
千鶴は首と両手を必死に振って全力で否定した。
「そうじゃなくて……。サンドイッチはものすごく美味しいし、なんていうか、みんなでこうしていられるのが嬉しすぎて……」
涙は拭ったが、恥ずかしくて語尾はすぼんでしまった。
雪輝の短い嘆息が聞こえる。
「どうして俺の誕生日にお前が感動して泣くんだよ。おかしいだろ」
それに陽介が面白そうに言う。
「雪輝も泣いていいんだよ。さっき照れてたの知ってるもんね! 嬉しかったんでしょ? 素直になりなよ」
「馬鹿、そんなんで泣くかよ!」
けしかける陽介に雪輝が赤面して言い返す。
莉々亜が笑うので、千鶴も笑った。
楽しければ楽しいほど、今は涙が溢れて仕方がない。
「あーっ! 俺、今日はダメみたい!」
千鶴は溢れてくる涙をこらえることなく流しながら、友人らと共にたくさん笑った。
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