自分らしく③

 アクロバット専用戦闘機青鷹あおたかのコックピットで千鶴は待機していた。すでに機体は滑走路にある。あと数分もすれば離陸を促す合図がモニターに表示されるはずだ。


 この滑走路はトンネル状になっている。地下格納庫から繋がっており、数キロメートル先の出口は海にせり出していた。数キロメートルにわたる長いトンネルなのでここまで外の光は届かない。トンネルの予備灯やデジタル計器の光がコックピット内をぼんやりと照らしており、それが薄暗い落ち着く空間を作っていた。


 ヘルメットを装着済みの千鶴は、眠るように目を閉じていた。すると、不意にモニターに通信画面が開いたのが明るさの変化でわかった。目を開けると、雪輝がモニター越しにこちらを見ていた。雪輝も隣のトンネル状滑走路で待機している。


「千鶴」


 呼ばれたので「おう」と答えると、雪輝はヘルメットの奥にある視線を斜め下に移して、何かを言いたげに口を歪めた。


「どうした?」


 千鶴が促すと、少し間を空けてから雪輝はぶっきらぼうに小さく言った。


「さっきは……悪かったな」


 予想通りの展開に、千鶴はこらえようとしたものの、思わず吹き出してしまった。


「な、なんなんだ! 人が真剣に謝ってるときに!」


 千鶴は我慢が出来なくなって、「やっぱりな!」と声を上げて笑った。


「わかってたって! 雪輝はツンデレだからなぁ」


 雪輝は「なんだと!」と反論しようとしたが、結局何も言い返さず、恥ずかしさを隠すためか不機嫌に嘆息してみせた。


「どうとでも言え」

「怒るなよ。俺は雪輝のそういう素直なところが好きなんだからさ!」

「気持ち悪いことを言うな!」

「本当は嬉しいくせに~」

「ふざけるな!」


 顔を赤くして怒るので、そろそろ雪輝が可哀想になって「ごめんごめん」とひとまず謝った。雪輝の方も小さく咳払いをして切りかえた。


「勘違いするなよ。言い過ぎたと思ってるわけじゃない。ただ……、訂正はする」


 千鶴が小首を傾げると、雪輝はヘルメットの奥の視線を落として言った。


「お前は弱くなんかない。そうでなきゃ、あんな風に笑っていられないだろうからな」


 しばらく間をおいてから、雪輝は顔を上げて続けた。


「でもな、頭にきたときくらいは怒れよな。罵詈雑言並べたっていい。そんなんで俺も陽介も幻滅するほど潔癖な人間じゃない。俺はむしろ清々しく思える」


 ぶっきらぼうな言い方だが、それがとても雪輝らしかった。千鶴は嬉しくなって、元気よく「了解!」と返した。「罵詈雑言は難しいけど」と苦笑をつけ加えて。


 雪輝が肩を落として「だからなめられるんだろうが」と呆れる。千鶴は笑った。

 雪輝の嘆息の後、静寂が再びコックピットを満たした。


「なあ、雪輝。やっぱり髪も染めて目もカラーコンタクトで隠した方がいいのかな? その方が雪輝が言ったように、今よりもチャンスをつかみやすくなるのかな?」

「さあな。好きなようにしたらいいんじゃないか? まあ、隠せばさっきみたいな嫌な思いをすることも少なくなるだろうが、陽介は幻滅するだろうな」

「おお! 雪輝もそう思う?」


 千鶴は嬉しくなって前のめりになった。


「そりゃそうだろ、あんなに意気揚々とお前の味方してるんだから」


 半ば呆れながらの肯定に、千鶴はほっとしてシートに背を預けた。


 雪輝は「それに」と付け加える。


「そんな風にチャンスをつかんだところで、お前自身がしっくりこなくて不満が残るんじゃないか?」

「俺が?」

「本当の自分を認めてもらえたわけじゃない、ってな。違うか?」

「そうか……。なるほど、そうだな!」


 格納庫とロッカーの出来事で萎えていた心に熱が戻った。


「雪輝。俺は誰に何を言われようと、やっぱり自分らしくいたい! この珍しい色の髪や目も俺らしさだって教えてくれた人がいたから」


 時刻はそろそろ離陸予定時刻。千鶴は青鷹の主電源の出力を上げた。


「その人は容姿を人と比べることが無意味だってことも教えてくれた。誰かと比べて意味があるのは、努力して変われる部分だけだ。あの貼り紙を書いたのがパイロット科の連中なら、俺はもう操縦技術でそいつらには勝ってる。それで充分だ」


 通信画面の中の雪輝がやれやれというように笑った。


 モニターに『離陸準備』という文字が映し出され、「離陸カウントダウン開始」と管制棟からアナウンスが入る。その真下に一八〇秒のカウントダウンも表示された。百分の一秒まで表示されているので、数字はめまぐるしく変わっていく。


「だから俺は飛ぶんだ。自分らしくあるために! 絶対にそれだけはあきらめない!」

「まったく、呆れたくなるくらいのプラス思考だな。確かにそれがお前らしいよ」


 何かを諦めたようにうなだれつつも、雪輝は笑ってそう言った。


 千鶴はいくつもある計器を指差しして異常がないのを確認し、頭上にある複数のスイッチを切り替えた。左手のスロットルレバーでエンジンの出力を上げると、コックピット内に響く唸りが大きくなってゆく。


「雪輝、行くぞ」

「ああ」


 モニターのカウントダウンが三十秒を切った。今まで予備灯しか灯っていなかった滑走路に、手前から遠くの出口に向かって瞬時にLEDのラインが何本も点灯してゆく。滑走路に五本、左右の壁に二本ずつ、そして天井にある三本の光のラインが千鶴の進むべき道を彼方まで示した。


 遠近がわかるように、トンネルの壁面を一周するリング状のLEDも手前から奥へ等間隔に点灯する。滑走路内の複数の信号機は青色に点滅し始めたが、千鶴の目の前にある信号機だけはまだ赤色だった。


 コックピット内に、残り十秒のカウントダウンのアナウンスが響き始める。


「3……2……1」


 手前の信号機が青色に変わり、モニターには『離陸』の文字が表示された。


「利賀千鶴、青鷹四番機、テイクオフ!」


 エンジンを解放した瞬間、青鷹は驚異的な加速で滑走路を突き進んだ。加速と共に機体はわずかに浮きはじめると、前脚のタイヤが滑走路を離れ、続いて主脚が浮いてタイヤは格納される。


 トンネルの中を安定した低空飛行で突き進み、青鷹はトンネルの終焉、迫りくる光の中へ飛び出した。


 日光にきらめく海面の上、鮮やかな青と白のカラーリングの戦闘機二機が別々のトンネルから同時に飛び出し、真っ青な空に吸い込まれていった。

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