4/鼎立の成立 == Lethe

 どうしたもんか。


 人を殺したくなってきてる。


 右目の影響だろうか。あの時から、何だか俺の頭ん中は怪訝しくなってきてる。自活する為にちゃんとバイトに出なくちゃならねぇのに、そんな事どうでもよくなって、優先順位が変わっちまってる。


 嬲り殺したい。

 誰でもいいから殺したい。


 これが最近の世間を騒がす奴等の心境なんだろうか、『ただ殺したかった』とはよく言ったもんだ。成る程、殺意に動機は要らねぇ。よく判んねぇけど理由も無く誰か縊りたい。いやいや、殺し方は関係無ぇか。いっそ、ありとあらゆる方法をコンプリートしたいぐらいだ。ジャック・ザ・リッパー、偉大過ぎるぜ。


 街中を歩いているだけで、あんなにも殺し甲斐のありそうなモノが転がっているだなんてこれは拷問か。何でっちゃいけないの? それはイケナイ事だからです。笑わせるぜ。犯りたくて殺りたくてヤりまくりたい癖に、無理に隠した模範解答、本当に有り難うございました。ネットだったら芝生が出来る。


 全く、こんな感情は今までに無い。


 この眼のせいで色んな事に遭遇してきたが、流石に今回はヤバい。まさか、殺人を躊躇わねぇってのは、頭がお釈迦になっちまったんじゃねぇだろうか。二重人格になったと言われた方がまだ助かるが、残念。俺の意識は乖離しているだけで解離はしてない。笑える笑える。言葉遊びに留まる人殺しがここに居るよ。


「――はぁ」


 虚しくなって溜め息を吐いた。


 そんな事したって、意味は無ぇんだが。


 何か解決策を思い付ければいいのに、全く浮かばん。働け俺の脳細胞。十数年間真面目に使った事が無かったツケかね、錆びて軋んじゃいないだろうか。


 まぁ当然、一番簡単で答えは、殺す事だ。


 だが現状それは却下だろう。


 それを今、らしくもない懊悩の真っ最中なんだから。


 だからまぁ、俺に出来る事と言えば――先延ばし。つまり街をぶらぶらするしかない。フリーター根性万歳って感じである。やっぱり虚しい。


 特にやる事も無いし、眼帯をしっかりと右目に着けた俺は、商店街のアーケードを歩くしかなかった。


 こう暇を持て余す時間が一番厄介だ。生活サイクルの中のエア・スポットなんて笑えやしない。目先に問題があっても無くても、この何とも言えない倦怠感に塗れたところは消えちゃくれないんだから。

 定職に就ければいいんだろうが、生憎俺は一つどころで働ける様な人間じゃない。だからバイト先も転々とするしかないし、社会復帰してから掛け持ちしているバイトの総計からも考えて、そろそろ地元でのバイトは無くなってきそうだ。


 そりゃ、同じ所にまた勤めればいいんだろうけどよ、何回も何回も辞めたり入ったりしてたら採ってもらえなくなる。


 ――あぁ、そっか。


 つまり、街をうろつく俺は目下、仕事先を探すべきなのか。それも俺がずっと働ける様な場所。

 けどそれ以前に殺人の件があるから、あんまり仕事を探したりこなしたりする事に身が入らないのだがねぇ。お客さんとか同僚とか、殺したら無茶苦茶旨そうなんだもん。そりゃあ、集中も出来ん。


「あー……路地裏にでも行ってみるか……」


 どうせ何も無いからと、まだ一度も行った事が無いし。それに、暇とバイトまでの時間もある。このまま行ってみるか。


 我ながら短絡的思考だとは思うが、散歩で街を散策するのは割といい暇潰しになる。何か、やってる事がナルシシズムのロマンチストみたいだが。


 ひょい、と喧騒の減る路地に顔を出すといい感じな具合に人は居ない。正直、夜には何か出てきそうな雰囲気だが、大丈夫。視えない視えない。つーか何も視たくねぇ。夜にここを訪れるのは止めよう。

 少しばかり歩いてみると、店舗の類は殆ど――いや、全く無い。

 思った通りだが、こんなところに店を構えようとする人は居ねぇだろう。殆どが表札付きの家。商店街に近いから、立地条件のいい土地って事で皆家を建ててんのかね。


 やっぱり何も無さそうだなぁ、おい。


 そう思い、踵(きびす)を返そうとした時。


『お前がアリスか』


 ――声。


 若い女の。


 思わず後ろを振り向いたが、誰も居ない。何処かに人が居るのかと家の敷地にも目を遣ったが人気は無い。代わりに垣根に赤い石の付いた首輪をした――黒猫が居た。


 ちょっと待て。

 誰が俺を呼んだんだ。


 ありってのは俺の名前だが、俺はこの女みたいな名前が嫌いだから普通は苗字しか教えない。なのに、誰とも知らねぇ奴が何でいきなり俺の名前を呼ぶんだよ。


『お前悩んでるだろう。殺人に関して』

「なっ」

『あたしは知ってる。だから解決出来る方法をあげられるぞ』


 待て待て待て待て。


 何だこいつは、というか何者だこの野郎――じゃなくてこのアマ

 何で俺しか知らない事をと宣える。何者だ手前。


 そう訊くと、返答が返ってきた。


『あたしなら目の前に居るぞ』


 目の前って誰も居ないじゃ、


『頭の悪い奴だな。


 ばっと先刻の方に向き直ると、俺を馬鹿にする様に、にゃあ、と黒猫が鳴いていた。


『あたしはざく。付いてきなよ、問題を解決してやるから』


 化け猫。


 ……どうしようお母さん、化け猫が居るよ。俺はとうとう狂ったか、それともこれは夢でしょうか。あぁしかも、俺には選択肢が無い。差し出された誘いを、断れる理由が見付からねぇ。追い詰められた俺は、藁にでも縋らなくちゃ、やっていけない。だから、夢現なんか問わねぇでも、ここは、


 顔を引き攣らせる俺に対して、その化け猫はにやりと笑って見せた様に見えた。




 垣根をとてとてと歩いていく猫に先導にされるという、意味不明な状況で十分程歩いていると、猫はぴたりと止まった。


『あそこだ』


 化け猫の柘榴ちゃん(現実逃避したいから親近感の湧く呼び方をしてみている)が言った方には、一軒だけ明らかに浮いている感じの家が見えた。

 屋号なんだろうか、『らんの堂』と達筆なんだか下手糞なんだかよく判らない字で書かれた看板を掲げた家があった。いや、字の良し悪しなんか知らないがね、仮にアレが達筆だったとしても、破滅的に浮いている事だけは確かだ。


 和風な洋館。そのセンスが何とも刹那的な気分にさせる。


 小さな、だがそれでいてしっかりとした館という様な印象の家。現代的な造りじゃなく、飽くまで英国紳士を感じさせる様な――というか俺の表現センスも破滅的だな――家だ。アンティークな感じ。和洋折衷を通り越して意図的にバランスを崩そうとしているんじゃないかってぐらいに、似合わない大きく漢字が書かれた看板。


 俺が館の概観をぼんやりと眺めている内に、柘榴ちゃんはさっさと中に入っていってしまった。


 ……えー。いいのか、勝手に入って?


 ここに柘榴ちゃんの飼い主が居るのか、それとも『解決法』自体があんのか。あぁ、糞っ。悩んでも仕様が無ぇんだ。先刻俺はそう決めたんだ。

 意を決してドアの前に立ち、インターホン代わりのドアノッカーを鳴らした。


「…………」


 返事は無い。

 もう一度、ドアノッカーを鳴らした。


〝――どうぞ〟


 ドア越しの、くぐもった声。遠くに居んのか、性別も不明瞭な声の主は客を出迎えには来なかった。

 戸惑いながらも、俺はドアを開いた。




「……趣味悪い」


 もしくは節操が無い。それが中に入って一番の感想。


「これとか何だ……火鉢?」


 玄関先にあったのは、三本足で金属製の釜みたいなもんだった。見た感じでは、中国的な装飾があって、火鉢っぽい。他にもやたらとエキゾチックな物が大量に置いてある。これがインテリアなんだとしたら、そもそもセンスが欠落してるとしか思えん。


「いらっしゃい」


 声のした方を向くと、廊下の奥に一人の女が立っていた。何故か男物のスーツを着てて、長い髪を後で束ねるという恰好。だがそんなズレた事よりも特徴的で印象的なのが――眼。


 目隠しをしている。


 アイマスクで昼寝中って訳でも無さそうだし、どうやら視界を閉じちまう事に意味があるらしい。


「え、と。その、どうも、アンタは――」

かなえだよ。私の名前はとうどう鼎」


 目隠しをしながらカナエと名乗ったそいつは、まるで周りが見えているかの様にこっちに歩いてきた。


「待ってたよ有栖君」

「待って、た……?」


 そうだよ――何かやけに気安い調子で言ってくる。


「君を連れて来る様に柘榴君に頼んで待ってたんだ」

「柘榴って……あの化け猫ですか」


 化け猫とは酷いな、とカナエさんは肩を竦めた。


「彼女は〝言語活動ランガージユ〟する猫。化けても何でもない、ただの会話が出来る猫さ。君だって同じ様に……おや?」


 意味の解らない事を一方的に話していたと思ったら、カナエさんは急に黙り込んだ。

 そして、君は……、と考え込む様にする。


「あぁ――成る程、


 また。

 まただ。


「うん。まぁ、不思議だろうね。驚くのも無理もない」


 しかしどうしたものだろう――カナエさんは呟く。


となると、説明が……そうだ。柘榴君!」


 頭の処理が追っつかないで俺が茫然自失としていると、呼ばれた柘榴ちゃんが、奥の部屋から現れた。


『呼んだ、カナエ?』

「うん。どうやら有栖君はね、右目に問題があるみたいなんだけど、それの元々の持ち主じゃないみたいなんだ。だから一から教えようと思って」


 柘榴ちゃんは、少し面白く無さそうに――そう見えただけだが――してから、部屋の方に戻っていった。そこには、机と椅子。その上に黒猫さんは鎮座ましました。


「ちょっと、話をするのに上がってもらっていいかな?」


 何か、一方的に巻き込まれているだけの気がしてきた。

 俺は何処か釈然と出来なかったが、渋々としながらも奥へと一歩を踏み出した。




 洋館と合わせたものなのか、机と椅子もアンティーク調だ。俺は柘榴ちゃんを間に挟み、カナエさんの対面に座った。


 さて、とカナエさんは言った。


「君の眼だけれども、それには名前がある」

「名前……ですか」


 はぁ、と答える以外に無い。何のこっちゃ。


「先刻、言っただろう? 柘榴君は〝言語活動ランガージユ〟する猫だって。同じ様に私は〝天啓の万象グノーシス〟を持ってる」

「…………」


 いや、だから何の事だよ。


「簡単に言えば超能力だよ。細かい事は省くけど――まぁ、そういうのを持っている存在が居るという程度の認識でいいや」


 まさか、自分が特別だと思っていた訳じゃないだろう? と、カナエさんは見透かす様に微笑った。


 確かにそうだ。


 俺は事故ってから右目が視える様になった訳だが、それにゃあ原因が無かった訳じゃねぇだろう。だから、今まで出会わなかったってだけで、他に似た様な奴が居たって不思議じゃなかったんだ。


 初めて遇ったのが、こんなんだったってだけで。


「また随分な言い種だね」

「うぇっ?」

『カナエ、こいつはまだカナエの能力が解ってないんだから付いてけないよ』


 あぁ、ごめん――カナエさんは、あはは、と苦笑した。


「柘榴君の能力は判っているだろうけど、『話す』事だ。それで私の〝天啓の万象グノーシス〟は『識る』事が出来る」


 識る。


 文字通り、言葉通りだろうか。

 だとしたら今までの事に、納得は――いく。


「うん、助かるよ。どうも私は能力のせいか説明が下手で」

『関係無いよ。カナエの自己完結は性格だ』


 ぺろぺろと自分の前足を舐めながら柘榴ちゃんが呟いた。


「あ、そういう事を言うか君は。もう遊んであげないぞ」

『…………』


 にゃー、と寂しそうに柘榴ちゃんは鳴いた。反省したらしい。


「嘘だよ。私だって君が居ないと寂しいんだから」


 笑いながらカナエさんは柘榴ちゃんの喉を撫でた。柘榴ちゃんはごろごろと気持ち良さそうな声を上げる。


「さて、君の能力だけれども」


 カナエさんは柘榴ちゃんと手で遊びながら、言った。


「それの名前は――〝忘却の澪レテ〟」


 静かに、けれどもはっきりと言う。


「それは『過去に触れる』事が出来るんだ」


 過去に触れる。

 その一言で、俺は本能的な理解を得る。


 だからか。

 


 俺が理解する事が解っていたのか様な態度でカナエさんは続けた。


「そうだよ。そしてそれを私は解決出来る」


 さぁ、どうする有栖君――カナエさんは試す様に微笑う。


 何度も考えないでも解っている。

 俺は、


「――判りました。殺人について、聞いて下さい」

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