5/『殺人』 == Murderer && 講釈 == Gnosis
「例えば、私は太宰が大嫌いだ」
二度目の訪問で、鼎さんはそう言った。
鼎さんは前とは違って、アオザイを着ていた。ただ、目隠しだけは変わらずに付けている。視界を閉じていても関係無い様子の鼎さんが、何故そんな事をしているのかはちっとも判らない。
「世にも有名な死にたがりの彼だけど、『生まれてきて済みません』と言う割には、作家として大成している」
殺人の話を聞きに来たのに、鼎さんは関係無い事を倩々と語る。
俺が、何故人を殺したくなるのか。その原因を話してくれる筈だったんだけど、どうでもいい事を語り出す。
初対面での第一印象から変人だったけど、更に意味が解らない。けれどもこの人が俺の事を、問題を解決出来るという事は、その独特の雰囲気――妖しげ、とでもいうのか――から期待出来てしまう。今の俺が、初対面で少しでも殺してみたいと思わなかったのは、そこに起因するんだろうか。何にしろ、気分が勃ちそうにない。
そんな劣情について考えている俺の心中も、判っているだろうに、鼎さんは素知らぬ風に話を続ける。
「彼は何をしたかったのだろう。それを考えると、とても面白い。例えば『走れメロス』は太宰の作品の中でも、希望や明るさがあると言われているけれども、私の裡ではアレは彼一流の皮肉と自虐に見える」
はぁ、と俺は適当に相槌を打つ。
「自分に出来ない事、そして有り得ない事を描く事で、自分の人格を何処かで正当化しようとしている様に見えるんだ。『見ろよお前等、世界はこんなもんだ』ってね。けど彼は挫折する、何故なら自分が大好きの癖に、それを否定して嫌悪しているからね」
この話に、意味はあるのだろうか。
何を語って、俺に繋がるのだろうか。
「最終的に彼は自殺を試みた。自分を殺そうとした。けれど失敗した挙句に、心中相手だけを殺したんだ」
ざまぁみろだね、と鼎さんは、あっはっはっはっ、と笑う。
笑えない。
何を笑うべきだったのか、よく解らない。
「まぁ、最終的に自殺は成功したんだけどね。まぁ、繰り返していれば死ねるだろうさ」
鼎さんの眼は、目隠しの下で少し面白くなさそうにした様に見えた。
「ここで簡単に判るだろうけれども、殺意と悪意は違うモノだ」
「殺意と悪意……ですか?」
そう、と鼎さんは頷く。
「彼は殺意で自らを殺した。けれども君は悪意で人を殺したんだ」
唐突。
いきなり、繋がった。
茫洋とした断定に、心中を曇らせていると鼎さんは話を続ける。
「人を殺すという行為は、実は特に理由は要らない。社会とか人間関係に無理矢理に動機を見出す事は無意味だ。何故なら、どんな状況であれ殺す時は殺すからだ」
確かに。俺は突発的に殺した。アイツを、気に入らないからと、ウザかったからと。
それは殺意とは呼ばないよ――鼎さんは微笑いながら言う。
「確かに、世の中に殺意というものは存在するだろうけど、それは殺人という行為に関して、二つの内の一つを選択しているだけに過ぎない」
「それは」
何を、選択するんだろう。
「明快な事さ。人殺しというのは、『人』を『殺す』んだ。殺意は『人』を、悪意は『殺す』事を選んでいる。境界線が余りにも曖昧だから、時に殺人は単純不可分なものと錯覚される行為なんだ」
鼎さんは少し間を置いて、俺を、その隠した目線で――見据える。
理解出来るだろう、と鼎さんは言う。
出来る。何と無くだけど、解る。
俺はアイツを殺したけれども、その時に感じていたものは、一つの人間性を消した事じゃなくて、生命を奪った事に関してだ。
悦び。
いっそ快楽。
背徳的な、禁忌。
侵した事を犯した喜び。
「君は人を殺す事を止められない」
「止めるつもりが無い、ですね」
当然だ。
当然だね、と鼎さんは嬉しそうに言う。
「人殺し、殺人鬼に
だったら、どうすればいい。
俺は止められないと自覚してしまった。視えなかったモノを直視出来る様になってしまった。暴き出した秘所を放っておける程、
止まらなくなる。
振ってしまう。
求めて求めて。肉の感触を、温かさを、狂喜して凶器で貫きたい。
反芻に、思わず俺は生唾を飲み込んだ。
あぁ、目の前に居る女でもいいじゃないか――
「それでいいんだよ」
予想外に、鼎さんは微笑んだ。その笑みに引き戻される。
「私は世界が好きだ。色々なものがある、この面白い世界が好きだ。だから私は否定しない。けれども社会はそれを許容はしてくれないだろうね」
そうだ。そうに決まっている。一番の問題はそこなんだろう。定義された罪には罰が加わる。仮令、俺がそれを罪とも思っていなくても、多くにとってそれが害であるとして逃げるのなら、俺は弾き者だ。そして生きるには社会が必要で、俺はどうしようもなくてどうしようもなく扱われる。
それに鼎さんは、いやいや、と肩を竦めた。
「折り合いを付ければいいんだ、
「…………」
あぁ、だったら話は早い。
俺が求めていた平穏は、飽くまで俺が今まで属させられていた社会の平穏だ。けれども、俺にとっての平穏は、違うモノだった。俺の信仰を新興する宗教殺人。いつだって、崇拝の始まりは誰か一人から始まる。俺がそれをしたって別に構わない筈だ。
自由に生きる事を人殺しで表現しよう。
何て単純明快な答え。実のところ、俺がしたい事とするべき事は、文明に帰属する立派な思想じゃないか。
だから俺は、人を殺し続けてもいいんだ。
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