Ⅴ:光と影

 この町にいる鳥は、次第に数を減らしていった。

 華やかな繁栄の代償である環境汚染は、私たちが気付いた頃には空と海を汚し、鳥たちも減り、そして町は陰りの世界へと変わっていった。

 霧の町は、蒸気と霧の町と変わり、灰色の町へと変わった。

 かつての美しい空を知る若者はいない。少なくとも五十年は昔の話なのだから。たまに見掛ける小鳥たちも、空が青いことを知らない。

「……」

 数ヶ月前、この町では不思議な鳥が目撃されていた。霧の夜、石畳を鉄打つ音が響く時、その鳥は現れる。その翼は刃。すれ違うように切り付けてくるのだという。一説によると、この《刃鳥ブレイドバード》は《鉄靴》が飼育しているらしい。

 噂ではチェルシー付近でよく見掛けたらしいが、今となっては確かめようがない。数ヶ月前に突然、姿を消したのだから。

 伝説の『切り裂きジャック』の再来とも言われていたけど、あちらとは違って男性も狙うし、なにしろ《鉄靴》と協力している時点で同一ではないようだ。ジャックの模倣犯というヤードの憶測はタイムズでも取り上げられており、そうでなくとも、同じように見ている人は恐らく少ないのではないかと思う。


 霧の中を飛ぶ鳥、《刃鳥》……。

 今もチェルシーのどこかに、潜んでいるのだろうか……。


 ◇◆◇◆


 ――食事会、か……。


 私は今夜の予定について考えを巡らしながら、スコープを覗いていた。スコープの先の路地では、数人の男が一人の青年を囲んで暴行を繰り返している。私の恋する相手はそのうちのひとり、それらを指示するリーダー。たくましい身体だけど、私は特に興味が沸かない。どちらかというと、魅せる筋肉より実用的な筋肉の方が……何を考えているのだろう。

 今夜は食事会。オブリアさんの紹介だ。そうでなければ、私のような人間がお呼ばれするわけない。先日、オブリアさんにスチムメイルについて知りたいと尋ねたら、ちょうど近々行うスチムメイル愛好会の食事会があるから参加してみないかと誘われたのだった。

 でも、何を着て行ったらいいのかさっぱりだ。ワンピースなら私生活で着るものがあるけれど、それで行くのも……。

「う~ん……」

 スコープの向こうを眺めながら、私の悩みがとぐろを巻いている。とりあえず、あとでオブリアさんと合流するのでそのとき考えよう。今はあの人に恋していたい。

「……」

 改めて見るけれど……たくましいのは良いかもしれない。筋肉の付け方を間違えているだけで、あれだけの筋肉を付けられるのだから、案外努力家なのかも。自分が美しくなれるという自信がなければ為し得ない賜だ。

 ――そんな自信が自分にもあったらいいのに……。

「輝いているひと……羨ましい」

 私はこの街と同じような影のひと。人脈の多いアインスさんも、気さくで人当たりの良いオブリアさんも、一見曲者だけど評価されているヴァーツ卿も……愛らしいノインだって、みんな輝いている光のひと。影の私には、眩しすぎる。

 それは私が人殺しだからではない。あの男性も裏で生きるひと。犯罪者だから影、というわけではない。これは私個人の問題……。

「教えてくれてありがとうございます。お礼に、子守歌を歌ってあげますね。あなたが、もう悪い夢を見なくて良いように……」

 私の右手人差し指が動く。子守歌の代わりに響いた銃声は、蒸気に乾きを潤して消えていった。

「……」

 硝煙の香りは恋の終わり。オブリアさんと会う前にシャワーでも浴びよう。アインスさんに預けたノインを引き取って、一旦帰宅してからオブリアさんとの待ち合わせに向かうには……大丈夫だ、時間はある。

 妙な気分だ。時間の計算を急いで行うなんて、以前の私ならありえなかった。ノインが生活に加わった、その影響はかなり大きいのかも知れない。


「……?」

 待ち合わせ場所に行くと、そこには馬車が止まっていた。そしてその前には、部下に傘を差された男爵の姿。

「ば、ヴァーツ卿?」

「どうしてヴァーツキョウがここにいるんですか?」

「やあレディた――」

「ハァイ、二人とも!」

 私に気付いたか、馬車の中にいたオブリアさんが小窓を開け放ち、挨拶してくる。小窓をぶつけられても澄まし顔のヴァーツ卿がなんだか凄いと思った。

 どうやらオブリアさんが呼んだらしい。有料馬車の代わりだろうか。

「あなた、パーティ用のドレスとか持ってないでしょう? だからヴァーツ卿に頼んでおいたわ」

「期待してくれたまえ。パリクチュール加盟店の一級ドレスメイカーによるオートクチュールを用意した! 君の魅力を引き立てる、君のための、君だけのドレスだっ。さあ、さっそく着替えるといい」

 ヴァーツ卿が指を鳴らすとメイドがすぐそこの高級洋服店に誘導してくる。洋服店なのにそこに行く洋服を選ばなくてはならないような、私には世界が違いすぎる高級店だ。私には、不釣り合いすぎて入ることなどできない。

「もぅ、あなたって子は……」

 結局、入口で尻込みしている私をオブリアさんが強引に運ぶ形で、私はヴァーツ卿の用意したドレスに着替えることになった。


「ああああああの!」

「すっばっらっしい! 嗚呼、よく似合っているよレディ! やはり僕の目に狂いはなかった。フッ」

 何故サイズがぴったりなのか訊きたかったけど今の一言がすべてだろう。私は赤面のあまりその場にしゃがみ込んだ。

「マスター! だ、ダイジョウブですか!?」

「そんな所でしゃがみ込んだら汚れるわよ」

「さぁ乗りたまえ。会場までお送りしよう」

 し、死にたい気分だ。きめ細かな出来は確実に職人の技。最近の流行を取り入れた足を見せるスタイルは、若者向けの最先端。なのに大人っぽい仕立てで上品に出来上がっている。

「き、綺麗過ぎません? もっと、こう、地味なものとか、」

「何を言っているんだっ。君の美を殺すなんて、そんな真似が出来ると思うかっ? ドレスは女性を美しくするもの。君はもっと、自分の美しさに気付くべきだよ。証拠に、この僕なんて、君が近くにいるだけで嗚呼、クラックラッするのだ。この胸の高鳴りはっ、そう! まさに――」

「まぁ、娼婦でもないのに、いつものように足を出してるとおじさんに勘違いされるから注意した方が良いわよ。あなたは可愛いのだから余計にね。これからの時代、女性だって表に出て行けるんだから、もっと自信を持って行きなさい。可愛いんだから!」

 ヴァーツ卿の大ぶりな動きを遮ったオブリアさんが誇らしげに言う。恥ずかしいので、そんな大声で言わないで欲しい。

 オブリアさんのドレスは、上流階級で今人気のデザインに手を加えた物。元々、年頃の女性らしいドレスを着こなす美しいプロポーションなのだ。似合うのも当然か。というか、その気合いの入った格好と、いかにも行く気満々な態度を見れば、何を考えているのか分かる。

「わ、わたしは、オブリアさんと同じ目的では……」

「何言ってんの! こういう機会は逃しちゃダメよ! 今度こそ、いい男を見付けてみせるんだから!」

 これから行く食事会が本当にスチムメイル愛好会のものなのか不安になってきた。


 ――あれから暫しの時を経て、私たちは会場となる屋敷に着いた。ヴァーツ卿とはここでお別れ。本当に有料馬車よろしくオブリアさんに使われただけだった。

 場所は高級住宅が並ぶチェルシー。空は灰色を黒く染め、夜の訪れを表している。町に聞こえるエンジン音も幾ばくか落ち着いてきているようだ。私たちは入口に立つ警備員をパスし、広い部屋に通された。部屋には紳士淑女の方々がすでにたくさんいた。よく見ればスチムロイドも何体か窺える。小型から人の大きさのものまで、総じて手の加えられた高価なスチムロイドなのは何となく察しがつく。中には人間そっくりなものもあり、ここまで来ると一体どれくらいのお金が掛かっているのだろうと気になってくる。

 椅子は壁際に置いてあるけれど、立ちながら食事と談笑をする、という感じなのだろうか。

「ハーイ、皆さん」

 オブリアさんが挨拶すると、みんなフランクに返してくる。みんな知ってる、といった感じか。

「今日は連れがいるの。よろしくしてあげて」

「おお、珍しいスチムロイドを連れたお嬢さん。よろしく」

 男性はディランと名乗った。この屋敷の主人らしい。見るからに高そうなスーツ。笑顔が柔和な初老の男性だ。私は自分でも分かるくらい、かなりぎこちなく挨拶した。着慣れないドレスを着ているのもだけど、ノインがいるせいだろう。珍しいスチムロイドを連れている、というだけで周りから視線がたくさん集まっている。

「――?」

 ……何だろう、今、視線のなかに、妙なものを感じたような……。

「さあ、いい男はいるかなぁ~♪」

「オブリアさん……」


「ほう、なかなか勉強熱心なことだ」

「い、いえ、そんな……」

 そんなこんなで始まった食事会。私の素人っぷりにみんなして色々教えてくる。蒸気機関の歴史とか、スチムメイルの構造とか、映画に出てくる架空構造を現実にするにはとか……。為にはなったが、少し疲れてきた。

「……おや、鴨はお口に合わなかったかな?」

 ディランさんが私の皿を見て尋ねてきた。私の皿には、綺麗に調理された鴨肉があるけど一口も手を付けていない。私は慌てて取り繕うように言葉を探したが、特に良い言葉が浮かばなかった。

「あの、すみません。お肉は、ちょっと苦手で……」

「ベジタリアンだったのかい? それは申し訳ない。――おい、彼女にサラダを」

 ディランさんが指示すると、メイドスチムロイドがサラダを持ってきた。なんだか申し訳ない。

「メイドスチムロイドさん、こんにちはです! わたし、ノインっていいます!」

「……」

「メイドってことは、カジスキルをモっているんですか? わたし、スキルひとつもモっていないのでウラヤましいです!」

「……」

 ノインの元気っぷりにみんなして笑う。

「彼女はまだ仕入れたばかりでね。まだ感情回路を入れていないんだ。今回、人が足らなくて動員しただけだからそこまで手が回せなくてね」

 先ほど聴いた話だけど、スチムロイドに感情回路というものがあって、それが存在するもの、しないものがあるらしい。大体の搭載機体はペットタイプのスチムロイドだけで、仕事を行うタイプのスチムロイドには基本、搭載されていない。つまり、ノインはペットタイプ、ということだろう。もし何か機能を付けるなら……観測機能があれば、狙撃も楽かもしれない。でも、ノインは今のままで十分。人を殺す手伝いなんてさせられない。

「わ、わたしもテツダうです! テツダってカジスキルをエるのです! マスター! サラダいかがですか!?」

「えーと……もう、いいかな」

「えぅ……」


 カリカリ音を立てながら飛んでいるノインはすっかり周りに溶け込んで人気者になってしまった。でもはしゃぎ過ぎてすぐ水燃料がなくなるのか、何度も私のところに戻ってきては私のグラスの水を吸っている。

「新しいと言えば、最近は護衛型のスチムロイドを増やしたいっていう顧客が減りましたねぇ」

「ああ、一時期は《刃鳥ブレイドバード》対策に売れていたと言っていたね」

 誰かが言い、ディランさんが答えた。《刃鳥》は霧に紛れて飛ぶ鳥だ。翼が刃になっていて、すれ違うように切り付けて獲物を弱らせていくらしい。もちろん噂。《鉄靴テッカ》と同じ都市伝説だ。数ヶ月前までは、この辺りで目撃されていたらしい。

「数ヶ月前の『虚空の夜』以来、目立った事件と言えば《鉄靴》の誘拐事件と夕方に起こる『罪人狙撃事件』くらい。平和とは言い難いですが、少々在庫が掃けなくて困ってますよ」

 彼の言う『罪人狙撃事件』は私のことだ。そして『虚空の夜』というのは……。

「戦争も下火になってしまったからね。マフィア相手に売るしかなさそうだ」

「それはちょっと……」

「たしか『虚空の夜』って……」

「……ん? ああ、《鉄靴》が出たのに関わらず、誰も行方不明にならなかった夜だね。いや、噂では、別の事件の犯人である女学生が連れて行かれたのではないかと言われているが」

 別の事件……。

「それってあれでしょう? 『女学生焼殺事件』の。たしか、重要参考人のファイナっていう女学生がまだ逃走中で、なかなか出てこないことから、あの夜に連れて行かれたのはファイナじゃないかっていう」

「被害者の女の子はフィーネって言うんでしたっけ。最近の若い子って怖いわねぇ」

 二人の女学生は仲が良かったが、どうしてこうなったのか学校側は動揺していると、タイムズで読んだ記憶がある。その犯人と思われるファイナはまだ逃走中。国外に逃げたか、本当に《鉄靴》にさらわれたのか、まだこのイギリスに、ロンドンにいるのか……。様々な噂が、噂の領域を出ないでいた。

「……」

「マスター? カオイロが、スグれないみたいですけど……」

 そうなのだろうか。そうかもしれない。蒸気機関技術についていきなり詰め込みすぎたのもあるし、事件のことを考えていたら気分が悪くなったというのもある。あと、一度にたくさんの人と話をしたのも原因のひとつだろう。これだけの人と同じ空間にいるなんて、あまりに久しぶりすぎて……。

 私はみんなに断って机を離れた。ディランさんに薦められたので、少し夜風に当たってこよう。


「……」

 窓から見えるチェルシーの夜景はとても静かなものだった。灯りも落ち着いていて、すっかり夜らしい光景である。

 ……黒い。

 黒い。

 夜空は黒い。

 夜空が、黒い。

「……マスター?」

 膝の上のノインを撫でながらも、私の瞳は夜の町から離せなくなっていた。


〝違う! 私じゃない!〟


 瞳を閉じれば、声が聞こえる。馴染みのある、あの声が。


〝私は、ファイナじゃないの!〟


 私の脳裏に思い浮かぶ情景。そのチェルシーの夜空は、赤い――。

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