Ⅳ:戦場帰り

 錆びだらけの古い工房は鉄臭く、旧式のスチムロイドが音を立てながら稼働する。持ち込まれるものはどれも旧式のものであり、油や煤に汚れた自分も老年の域に達していることは、シワだらけの手を見れば分かった。

「アインス。無理に俺を頼る必要は無いんだぞ。お前の腕は、一週間前にオブリア嬢ちゃんが新しく作った新品のスチムメイルだろう。嬢ちゃんを頼ったらどうだ」

「それなんですけど、オブリアさんは店を構えたばかりというのもあって人気でしてね。連日お客に恵まれて忙しいというのに、チューニングだけをお願いするのはなんとも心苦しいもので」

「この工房が廃れていることを良いことに……」

 まったく、この優男は相変わらずだ。

「また一杯奢りますのでお願いしますよ。良い酒、探しますよ」

 俺は良く、この男のバーに呑みに行く。酒には弱くないが、それ故につい呑みすぎてしまう。店では常連ということもあり周りの客も慣れたもので、嫌がられないのもあってセクハラをする癖が抜けない。こちらとしては、ただのちょっかいなのだが……。

「それ以上に呑むから元は取れるってのう。やれやれ。……そういえば、気になっていることがあるんだが」

 最近、行くと良く見るようになった娘がいる。娘はまだまだ青臭い子供で、セクハラしようとすると律儀に謝って逃げるのだ。いままで見たことがない、というか、普通そんな子供がバーに通うことはないので、なんとなく気に掛けている。

「最近よく見る、あの、娼婦みたいに足を出しているけど娼婦らしくない、あの嬢さんは誰なんだ?」

「ああ……ロイさんが気に入ってる子ですか。彼女の足、綺麗ですよね」

「茶化すんじゃない。訳ありなのか?」

「……なるほど、ロイさんが良く絡むのは、彼女が心配だからなんですね。彼女、実はうちの店のファンですよ。僕が丹精込めて作り上げたあのバーに、惚れてくれる人が現れたんです」

 確かに小洒落た店だが、本当だろうか。

「ほう、負傷兵もようやく一人でやっていけそうだな」

「他の帰還兵はともかく、僕は元々戦いに不慣れですからね。銃握って人を殺すよりも、シェイカーを持って人を喜ばせる方が向いてますよ。……だから、そのためにもお願いします。僕の今は、ロイさんの職人技が支えているんです」

 良いようにまとめたなこの青二才。まぁ、この老いぼれの時代遅れな技術が役に立つのなら、まだやってやらんでもないか。

「俺ももう歳だ。出来る内は面倒を見てやるが、それももう短い。俺の代わりを考えておけ」

「ふむ、ならあと二十年は大丈夫そうですね」


  ◇◆◇◆


 道を走る蒸気機関式自動車が黒煙を上げる。視界に業務用スチムロイドが増えてきたのは、イーストエンドの中まで入ってきたからだろう。私は行き交う人々に混じり、一抱えの紙袋を抱えて歩いていた。

「ツヨそうなカタガタがいっぱいいますねっ」

「そうだね。この辺りから工業地区になるし、仕事人が多くなってくるよ。中には外から来てる人もいるし、わざわざ仕事のためにスチムメイルを着ける人もいるみたい」

「ソト?」

「英国全土や外国から出稼ぎで来てる人もいるってこと」

 正直に言うと、工業地区であるイーストエンドは治安が悪い。色々なところから人々が集まり生活しているので、異文化が混在しているのだ。事件も多く、犯罪区と呼ばれる箇所も多々存在する。やはり仕事柄気質が荒かったり、腕っ節の強い人がいたりするのだろう。元軍人の誰々さん、というのも珍しくはない。

 仕事人が多いからといって男性だらけではなく、女性ももちろんいる。こういうところで生活する以上、女性も色々強くなければならなかったりして……「イーストエンドの女は強い」という言葉があったりするのはそのせいかもしれない。

「えーと、ホワイトチャペルの……」

 小道を入って少し人の少なくなった場所。油の混じる汚水が鉄を腐らせ、鉄錆の匂いがする。


 ――一時間前の話。

「ひとつ、お使いを頼んでも良いかな」

 いつも通りに仕事を終えて、報告を済ませて帰ろうとした私に、そうコインを弾いてきたのはアインスさん。

「ロイさんを覚えているかな? 良く君に声をかけてくるお爺さんなんだけど」

 そう言われて記憶を巡れば、一人しか思い当たらない。ああ……あの、太ももを触ろうとしてくる酔っぱらいのお爺さん。

「ロイさんはホワイトチャペルの辺りに住んでいてね。そこの机の上にある袋を、彼に渡して欲しいんだ。住所は袋に書いてあるよ」

 一抱え程度の袋を持つと、なかから金属音。これは……スチムメイル? アインスさんを良く見ると、左袖の中身がない。

「どうしたんですか、いったい……」

「いやあ、ちょっと躓いちゃってね。無理に手をついたのだけど、そのときに何か外れたみたいで動きが鈍くなってしまって」

 珍しいこともあるものだ。

「でも、だったらオブリアさんに……」

「確かに、今のスチムメイルはオブリアさんにメンテナンスしてもらっているんだけど、昔はロイさんにやってもらっていてね。彼の繊細な職人技は僕のシェイクテクニックを支えてくれているんだ。オブリアさんも、ロイさんのチューニングには敵わないって言っていたよ」

 そうなんだ……というか、あのお爺さん、機巧技師だったんだ……。

「最近、スチムロイドについて勉強しているみたいだしね、今となっては古い技術だけど、話を聞くだけでも為になるんじゃないかな。……ついでに言えば、彼は素面しらふだと頑固親父だったりする」

「それは意外!」

 とてもそうには見えない。でも、職人なら、やっぱり頑固一徹なのだろうか。

 ――とにかく私は向かうことにした。せっかくの機会だ。ホワイトチャペルのロイさんを訪ねて、見学させてもらおう。ノインのメンテナンスくらいは自分で出来るようにしないと。


「まったく、あの優男は……。ジジイに気を使いすぎだ。まったく」

「あ、あはははは……」

 アインスさんの腕を抱えて訪れたその老舗は、廃棄品ジャンクが積まれた鉄臭いお店。昔ながらの古い竈や使い古された機材が、その歴史を物語っていた。

「マスター! なんだかよくワかりませんけどイロイロありますよ!」

「オブリア嬢ちゃんがシティに店を構えてから、俺の仕事は減ってのう。いい加減店を畳みたいのだが、アインスのようにわざわざ頼ってくる奴がいて、なかなか畳めん。負傷兵がいい気になりおって」

「フショーヘー?」

 アインスさんが出兵していた話は知っている。そもそも私に狙撃のすべを教えてくれたのはアインスさんだ。

「アインスは負傷して帰国した兵士でな。俺は当時、東の戦場で兵器の機関士をしていて、そのときから知り合いだよ」

 東の戦場と言えば、ベラルーシ戦線。機関大国として超高度な技術革新を迎えたイギリスは、これまで海上覇権問題で不仲であったドイツと「お互いの利害の一致」という危ういかたちで条約を結び、イギリス同様に謎の技術革新を迎えて危険視されていたロシアと対立。僅かに上回る兵力で対抗して、お互いに均衡を保っている。

 アインスさんから聞いた話では、非常に危険な戦場らしい。お互いの戦争兵器がぶつかり合い、兵士は虫のように殺されていく。兵器戦でこちらの分が悪いと、兵士がそんな状況であっても壊しに向かうという。機械同士が壊し合い、人間同士が殺し合う……それが東の戦場、ベラルーシ戦線。

「あいつは根性なしではあったが決めたことを貫く意固地なところがあってなぁ。責任には必ず応える、そのためなら腕一本失っても戦う男だった」

 話しながらも作業の手は止めず。ロイさんの手慣れた手付きは目を見張るものがある。長年培ってきた職人技、というやつだろう。歴戦の腕は、そう簡単に真似できるものではない。

「戦争に行った奴は、かならずどこかに傷を抱えているものだ」

「傷、ですか」

「もちろん、それは腕を失ったとか、そういうものじゃない。ここだよ」

 こちらに目を向けて、自分の胸に親指を立てる。その表情は、なんというか悲しいものだった。きっとロイさんも何かを失ったのだろう。

「退役してからも、ここにいるとそういう奴らに会うことは少くない。なかにはピンピンしている奴もいるが、そういう奴こそ傷が多かったり深かったりするもんだ。……ああ、そうか、思い出したぞ」

 見ていた古い時計が、ガコンと鳴きながら時刻を動かした。

「前に一度、アインスが連れてきた男がいたな。そいつも嬢ちゃんみたいに俺の技術わざを見たいと言っていた。こんな古いものを見たいとは、物好きな奴だなと思ったが……なんだか、嬢ちゃんがそいつに似ていてな。どうもさっきから懐かしかったんだ」

 その回想する声に、ハッとして振り向いた。胸元のタグが鈍い音を立て、私の鼓動も少し騒がしくなった。

「その人って……名前は……」

「知らんよ。俺は名前を覚えるのが苦手でな。嬢ちゃんにだって名前を訊ねんだろう?」

 確かに、今まで一度も訊ねられていない。

「戦場じゃあ昨日聞いた名前のタグが墓碑に吊るされることはよくあるものだ。味方かどうかだけ分かればそれでいい」

 そんなに過酷な戦場を生き抜いてきた彼らは、きっとロイさんの言う傷が代償なのだろう。遠く離れたロンドンで何不便なく生きている私には想像できないほどに……。

「あの男は名前こそ聞いてはいないが、俺やアインスと同じ匂いがした。戦場で油と泥と血にまみれて生きてきた男だ」

「ロイさんやアインスさんのように、兵士だった……」

 焦げタグは人殺しだ。彼も、私も。彼には兵士としての技術があった。狙撃手として戦場に出ていたのかもしれない。私は……違うけど。

 アインスさんは評価してくれているけれど、たぶん、彼には遠く及ばない。少し前まで一般的な女子だったから、それと比べたら……というだけ。けど、それでも……彼を捜さなければ。私の手が届かない場所にいるとしても……私は、手を伸ばさないわけにはいかない。

「マスター?」

 気付いたらノインが私を覗き込んでいた。

「なんだかフアンそうなカオをしてます……」

「え、そうかな? あはは、ごめん」

 不安なのかな。確かにそうかもしれない。彼を追いかけるということは、あの《鉄靴》を追うことになるから……。

「……嬢ちゃん。これは老兵の戯言だと思ってくれていいが、」

 ロイさんが、手を止めてこちらに語り掛けてきた。

「戦場で生き抜くのは強い奴じゃない。臆病で、だけど芯の通った心を持った……弱さを知っている奴だ」

 弱さを知っている……。

「最初に言ったように、嬢ちゃんはあの男に似ている。それはきっと、あの男も嬢ちゃんも……自分の弱さを知っているからなんだろう」

 私は生き抜くのだろうか。彼は生きているのだろうか。

 ……分からない。分からない、けど――

「私は、彼に辿り着けるでしょうか……」

「それは嬢ちゃん次第だ。俺には勝手なことしか言えん」

 そう言われて目を細めた私は、鼻を鳴らして作業に戻る背中をただ見詰めることしかできなかった。

 ――私は、私を助けてくれた彼を捜す。そのために、彼の軌跡を辿る。足跡を辿って鉄靴を追った先に彼がいるかは……辿り着かないと分からない。だから――

「ロイさん、私も……ロイさんの技術を見させてください。彼が学んだように……私も学びたい」

「……ふん、嬢ちゃんも物好きだな」


 ――ロイさんの技術は戦場で磨かれたものだという。

 そこにあるもので応用する技術は戦場ならではなのだろう。簡単なものならすぐに原因を特定し直すことができる技術だ。

 ノインは工場で作られたものではないらしいし、メーカーに頼ることができない以上、自分でどうにかする必要がある。ロイさんの技術はまさにそれにうってつけだった。

「アインスに言っておけ。嬢ちゃんの授業料ももらうからなと」

「え、その、それは……」

「良い酒を用意しておけという意味だ。嬢ちゃんは素直で羨ましいな」

 今言われたのは、さては嫌味ですか。あぅ……。

「ふごいはたふぇひたへ」

 ノインがボトルから水を吸いながら何かを言っている。良く分からない。

 ロイさんからアインスさんの左腕……修理されたスチムメイルを受け取り、お礼を言って工房を出発。アインスさんのおかげで色々なことを知ることができた。何かお礼したいけど、いつもアインスさんは受け取ろうとしない。果てには「依頼を無事に終えてくれたらそれでいい」と言い出す始末。英国紳士らしさはあるけれど。

「……アインスさんも、彼を見付けたいのは同じ。見付けるのが、私にできる一番のお礼、かな……」

 彼を見付けるために、私だけでなくアインスさんも、ヴァーツ卿も動いている。相変わらず《鉄靴》の足取りは掴めていないけれど、それでも何も進展していないとは思えない。

 確実に、少しずつ……。彼の背中を追って進んでいることは実感している。ロイさんの言う通り、私次第で辿り着けるかもしれない。

「無事でいる。今はそう信じて進むしかない、よね……」

 私は一抱えの紙袋を抱きしめて、黒煙と煤の空を見上げるのだった。

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