Ⅲ:命の石

 ――それは霧の深い夜、ロンドンのとある路地。


 あの有名な都市伝説が聞こえる。石畳を鳴らし、ロンドンの夜に奏でられた鉄靴の音が。逃げる女性を追って、たくさんの《鉄靴てっか》の音が歩を乱すことなく刻んでいる。

「どうして、どうして私が……!」

 周りが聞こえなくなるくらい荒々しい呼吸。

「私は、私はただ、お金が欲しかっただけなのに……!」

 胸を突き破るかのごとく脈動する心臓。

「この石が、いったいこの石が、なんなのよ!」

 足は泥沼にはまったかのように動かなくなってきており、もはや逃げるにも限界が来ていた。

 ――女性は石畳に足を取られ、思い切り転倒した。

 それにすぐに追いついた人物は、《鉄靴》を鳴らして近付いてくる。


 そして、女性はロンドンの霧に消えていく。月をも隠す、霧の闇に紛れて……。


  ◆◇◆◇


「《鉄靴てっか》が、出た……?」

 アインスさんの言葉を復唱し、つい焦げタグを握った。ついに《鉄靴》が出たのだ。

「さっそく調べたが、行方不明者は一人。娼婦のアーシアさんのようだ。近辺では名前が通っているみたいだからすぐ分かった」

「《テッカ》って、なんですか?」

 ノインが水の入ったグラスにストローを差しながら首を傾げている。《鉄靴》について説明すると、水を吸いながらふむふむと唸った。私にとって、この謎の集団はどうしても追わなければならない存在だ。私を追い、そしてあの人を……。

 いや、まだそうとは決まっていない。今は、あの人に繋がる手がかりである、この集団を追わなければ。

「霧がまだ濃いから気を付けて」

「分かりました」


 この辺りの霧が濃いのは、昨晩の影響だろう。大通りから外れたこの路地は、別に人通りがないわけではない。ただ、夜であり、霧もあって人目に付かなかったのだろう。

「この辺ね……」

「サガしモノですか? わたしガンバりますよ! ナニをサガでばいいですか!?」

「し、静かに……ね?」

「あぅ、ご、ゴメンなさいです……」

 元気な子なのは出会ったときから見ていて分かっていた。スチムロイドについてはよく分からないけど、この子の元気っぷりは確かに水が多く必要になりそうな性格である。出力増幅器の必要性も、あながち間違っていなそうだ。

 ――とりあえず、アーシアさんについて知っている人を訪ねてみることにした。

 アーシアさんはアインスさんの言っていた通り、この辺では顔の利く人だったらしい。娼婦であれど貧乏人にも優しく接してくれる、人当たりの良い性格のようだ。最近では物品の交換や売買をしているようで、聞くところによると、つい最近は綺麗な石を売っていた。指輪ほどの小さな石のようだが、もしかしたらそれ目的で襲われたのではないかと噂になっている。

 あの《鉄靴》が、強盗目的でアーシアさんを拉致するというのは考えにくい。偶然だろうか……。

「石……たしか、以前も……」

 以前、同じような事件がロンドンで起きていた。そのときも確か、被害者は失踪する直前に石をどこかで買ったと聞いている。そしてその夜も、あの《鉄靴》の足音が響く夜だった。

 被害者が持っていた、謎の石。奴らに近付く手がかりになるだろうか……。

「イシですか……。ホーセキみたいなキラキラしたイシですかね? すると、その《テッカ》はホーセキホシしさにゴートーを! なんてドンヨクなヒトたちでしょう!」

「し、静かに……静かにしてねっ?」

「う、うぅ……」

 再三注意されて落ち込んだのか、俯いてしまった。そして天を見上げたと思った、次の瞬間。

「びえええぇぇぇぇぇん!」

「な、泣いたっ?」

 ノインが大泣きしてしまった。涙を滝のように流し……滝のように?

「わだじ、わだじ、まずだーの、ヤクに、だぢだぐで! ヨロコんでほじぐで……ふあ……ミズがぁ……」

「……え、水?」

 スチムロイドは機械だ。涙なんて流すはずがない。体内から流れる水と言ったら……。

 ――ノインはフラフラと降下し、やがて石畳の上に転がった。

 私は困ったように拾い上げてドレスに付いた煤を叩くと、水燃料が無くなっているのを確認した。

「……」

 なんだか、大変なものを手に入れてしまった気がする。今更ではあるけれど。

 とりあえず今は鞄の中にしまっておき、捜査を再開……いや、ここは一旦退いた方が良さそうだ。

「大佐がお見えになるまで、ここで待機してくれ。くれぐれも、粗相の無いようにな。この件は、国に関わることなのだから」

「了解しました、警部殿」

 馬車から降りた警察ヤードの姿が見える。これから誰か来るらしい。

 話の内容からして、来るのはおそらく軍の関係者。軍と警察が協力するということは、何か大きなモノがありそうだ。この辺りはアインスさんから買うとしよう。

 私は鞄をかけ直し、警察に気付かれないように霧に紛れてその場を後にした。


「……ハッ。ここは……?」

「おお、起きた起きた」

 水を飲ませると本当にすぐ起きたので、つい面白くなってしまった。

 ペットにご飯をあげる感じに似ていそうである。生憎、ペットなんて飼ったことないけれど。

「マスター……」

「ノイン、大丈夫?」

 私が撫でると、ノインはまた泣きそうな目で見上げた。

「わたし、マスターにメーワクかけてしまいましたぁ! うっ、ふえっ」

「泣かないで、泣かないでっ。ほら、水よ」

 細い口が付いている、本来は油を差すための容器なのだが、ちょうど良いので水を入れるためにさっき買ってきた水ボトル。小さいのでノインにはぴったりだ。

 しかし、まさかスチムロイドなのに大泣きすることがあるなんて……。これは、水ボトルを複数所持していた方が良さそうかもしれない。……ますます出力増幅器の必要性が現実的になってきた。いや、そもそも大泣きする機能ってスチムロイドに必要なのだろうか。

「おや、起きたようだね」

 アインスさんがカウンターに戻ってきた。ノインを物珍しそうに眺め、躊躇いがちに撫でたりしているが、ノインは特に抵抗しなかった。

「調べてみたけど、ここ数ヶ月の《鉄靴》が関連している誘拐事件は、やはり《石》が共通しているようだな」

「何の石か分かりますか?」

「噂では加熱クォーツじゃないかと言われている。実際に見てみないことには分からないが、証言から察するに、おそらく」

 加熱クォーツ……。しかし、そんなものは小型スチムロイドを作っている工場にでも行けばいいし、採掘場に行けばたくさんある。なぜ、そんなものを……。

「特別な加熱クォーツでもあるんでしょうか……」

「その辺は専門家に訊くのが良いだろう。オブリアさんなら、その辺り詳しいはずだ」

 出力増幅器の件についても訊いてみたかったし、ちょうど良いかもしれない。あとで寄ってみよう。

 私はさっそくオブリアさんの店に行こうとバーの扉を――

「やぁ焦げタグのレディ! ここで会うなんて奇跡のようじゃないかっ?」

「ひっ、ヴァーツ卿!?」

 バーの扉を開けたとたんに見覚えのある男爵が入ってきて、思わず後ずさった。その登場にノインも驚いて跳び上がっている。

「フッ、そんな目で見ないでくれたまえ。君の瞳は美しすぎる。君に見つめられると、嗚呼、僕は立てなくなりそう、だっ」

「これはこれはヴァーツ卿。いらっしゃいませ」

「やぁアインス君。なかなか来られなくてすまないね。だが、こうして麗しきレディに会えるのなら、仕事も放棄してここに来たい気分さ。……ふぅ、この店は素晴らしい。新しくも年期を感じる内装は新旧のシンフォニー、灯りの薄暗さは憂いを謳い、僕はまさに、独りでに語り出してしまいそうだ……フッ」

 ヴァーツ卿は腕を広げて深呼吸している。相変わらず、まるで舞台劇でもやっているかのようなオーバーリアクションと言葉遣いだ。正直苦手である。

「……おや、これはスチムロイドかい? ふむ、君にしてはまた斬新なタイプだね」

 ノインをまじまじと見て、ふむ、と頷いている。私はノインを抱えてまた後ずさりした。

「まままままマスター、わたし、ヘンなヒトにネラわれてます!」

「ははは、これは失敬、リトルレディ。……ふむ、どうも僕は神に見定められた人間のようだ。この運命の店で、運命の人に、そして今! 会いたいと願ったときに、出会ってしまうとはっ。ここまで恵まれていると、嗚呼、自分に溺れてしまいそうで怖い……」

「……ど、どういう意味ですか、ヴァーツ卿」

 何か理由があって来たのだろうか。たぶん、ヴァーツ卿が言っているのは私のことなのだと思うけど……。

「フフ、聞きたいのかい? 大歓迎だ! 君に僕の話を聞いてくれるとは、なんて僕は幸せなのだろうか! さあ、椅子に掛けたまえ、レディ」

 ヴァーツ卿が椅子を引いて諭してきた。もはや話を聞くしかなさそうだ。

「飲み物は?」

「なに、仕事中でね。お酒は今夜頂くとするよ。今は紅茶をいただけるかな?」

「仕事行け仕事」

 ――ヴァーツ卿はこう見えて実は考え深い人だ。彼が昼過ぎのこの時間にバーに来店したのも、人がいないからだろう。彼はその高貴な身分を利用して情報を集め、アインスさんに流している。アインスさんとヴァーツ卿は古い仲だと聞くけど、アインスさんからしてみれば腐れ縁のようだ。

「では、さっそく君たちに訊くのだが、これを知っているかね?」

 そう言って机に出したのは、一枚の硬貨だった。一見なんでもない硬貨だけど、よく見ると柄がずれていた。

「えーと、エラーコイン、ですか? 作る過程で異常が発生した硬貨、ですよね?」

「その通り! とある哲学者は言った。この世に完璧なものなどないと。これはまさに、それを裏付ける物と言うことだ」

 それがどうかしたのだろうか。

「これと同じようにね、様々な物に特異が発生する可能性がある。例えば……スチムメイル、とか」

「スチムメイルに?」

「正確には、スチムメイルの核となる、加熱クォーツさ、レディ。あれは採掘された原石を加工するのだが、原石のなかには一際強い力を発揮するものもあるらしくてね。あまりに熱くなりすぎるので、普通は破棄されてしまうんだ。つまり、熱くなるのは愛だけにしておけと言うことだな。フッ」

 使い物にはならない加熱クォーツ、か……。

「アイってアツいんですかマスター」

 ノインが首を傾げる。私が一瞬戸惑っていると、ヴァーツ卿が得意げな顔で両腕を広げた。

「ふむ、愛について知らないみたいだね、リトルレディ。そもそも愛というのは、」

「そ、それで、その特殊な加熱クォーツがどうしたんですかっ?」

「おっと、つい話が逸れるところだったよ、すまない。フッ、この特別な加熱クォーツなんだが、最近市場で出回っているらしいんだ。しかも流しているのは、なんとあの《鉄靴》だという」

 店内に私たちしかいないのに、後半は小声で言うヴァーツ卿。あの《鉄靴》が出品なんて、おかしな話だ。

「まあ人間、誰だって理解しがたいもの、謎のものに意味を付けたがる生き物だ。謎の人物の出品に噂が絡まり、結果《鉄靴》だと思われたのだろう。実際に調べてみたが、巡り巡った果てに辿り着いたのは、なんでもないただの工場関係者だったよ。つまりは横流し。それは素性を隠したくなるものだ」

「ふむ、市場に出回っている特殊加熱クォーツの真実、か……。なるほど、いくらかな?」

「おいおい、僕はこの店に来たくてこの情報を持ってきたのだ。金が欲しいわけじゃない。そんな品格も疑われるような男ではないよ僕は」

 ふふと笑うヴァーツ卿にアインスさんは容赦なくお金を差し出した。ヴァーツ卿はそれを返すが、またすぐに差し出すアインスさんに苦笑いを浮かべた。

「君は相変わらずだね。まったく……」

「報酬は信頼であり、責任でもある。報酬のない仕事に責任なし。これは俺の信条だ」

 呆れながらも受け取り懐にしまうヴァーツ卿。

「……ところで、何故、君に会いたかったかというとだね。いや、君に会いたいのは毎日のことなんだが」

「え、あ、はい」

 すっかり忘れていたが、私に会いたかったらしい。

「実は、先ほど話した工場関係者なのだが、どうやら行方不明らしいんだ」

 行方不明?

「その人が最後にいた付近では《鉄靴》の音がしたというし、恐らく、連れ去られたのだろう」

 連れ去られた……やはり、石が関わってくるのだろうか。特殊な加熱クォーツ……一体、何故、何の目的で……。

 ヴァーツ卿は本をペラペタとめくり、私に見せてくる。そこには、様々な加熱クォーツの写真と共に、その情報について書かれていた。

「そこから《鉄靴》の目的を調べられないかと考えたところ、最近の被害者は、この加熱クォーツを持っている人間だと言うではないか。……だが、宝石でもないこの石を何故欲しがるのか……。麗しき淑女のレディ、君ならどう思うかね? この石、欲しいかい?」

「え、えーと……よく分からない、というか……その……」

 宝石というよりもただの石に見える。そもそも宝石には興味がないため宝石も同じようにしか見えないのだけど、水晶クォーツと言うには煌びやかではないというか、装飾品としては使えなさそうである。

「たしかに、身を飾るような宝石ではないと思います。でも、このクォーツはスチムロイドにとって命のような物。命の輝きは、とても美しいと思います」

 しどろもどろに答えると、ヴァーツ卿は嬉しそうな顔をした。

「……素晴らしい。どうやら僕の心は煤に汚れてしまっていたようだ。君のような美しい言葉が出てこないとは、紳士として情けない……。君の心は、この灰色の空すら晴天に変えてしまいそうなほど綺麗に澄み渡り、カリブの瑠璃色の海の如く透き通る青い瞳は、まさに美しい魂の証っ。……嗚呼、見つめてくれ、僕の心が、浄化されるかのようだ……」

「ヴァーツキョウって、ヘンなヒトですね……」

「フッ、」

 ノインは褒めていないのだけど、今のヴァーツ卿は何を言っても無駄な気がする。

「しかし、数ヶ月前までは《鳥》が飛んでいたというのに、今度は《石》か……」

 アインスさんが言う《鳥》は、数ヶ月前、《鉄靴》と一緒に現れていたという都市伝説である。俗称は《刃鳥ブレイドバード》で、《鉄靴》が連れている。霧の中を飛び、翼は刃のようになっているらしい。すれ違うように切り付け続けて弱らせると言われている。

 私が《鉄靴》に狙われる半年前までは飛んでいたらしく、私も噂ではあるけど耳にしていた。あれは確か……ロンドンの西、チェルシーだったと思う。

「これだけ堂々と行動しているのに何も掴めない。まったく、恐ろしい連中だな、《鉄靴》は。まるで霧を掴むようだ」

「一体、彼らは何を目的としているのだろうね。ま、それと分かって挑んでいるのだから、こちらもこの程度でへこたれはしないさ。……さて、レディ」

「ひゃ、はいっ?」

「ここで会ったのも運命。そう、我々はお互いに惹かれ合うに相応しいことを、神に約束されているに違いないっ。麗しきあなたの名前、そろそろお聞かせ願えるだろうかっ」

 片膝を付いて私の手を取り見上げてくる。物欲しそうな目で、でも紳士的に。

 私は苦笑いを浮かべて、いつも通りに答えた。


「――秘密です。ごめんなさい……」

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