Ⅱ:作られたもの

 ――ノインという、家族が出来た。


 彼女はスチムロイドで、明くるて元気な子。

 彼女の笑顔はとても明るくて、まるでこの常闇の空の向こうにある太陽のようだ。小さな体で頑張る姿は微笑ましくも心配であり、まるで子供を気に掛ける母親のような気分。

 出会ってまだ数日だというのに、私たちは仲が良い。きっと、ノインがとても懐っこい性格だからだろう。こうしていると、スチムロイド……作られたものであることを忘れてしまいそうだ。

 今更ながら現在の蒸気機関技術に驚いた私であるけれど、これでも勉強は得意だ。スチムロイドについて学ぶ機会を得た、と考えて良いだろう。

 しかし、忘れてはいけない。私は前の《焦げタグ》である《彼》を捜しており、ノインはその手がかりなのだ。《鉄靴てっか》を追うのも《彼》を捜すため。


 私を助けてくれた、命の恩人。

 そして行方不明になった、名も知らぬ《彼》。


 この機関都市ロンドンで、光と闇の混在する町で、私が前の《焦げタグ》に会えるのはいつになるのだろうか……。


 ◇◆◇◆


 アパルトメントの窓から見えるのは細い路地。大通りに刺さるその道を歩くのは、大体は格安の集合住宅に住む平民。なかには私のような訳ありもいるだろう。

 ――ロンドンという大都市には、様々な人がいる。その大半はロンドンの生まれではなく、この産業革命の波に乗ろうと訪れた外の人間だ。しかし、そういった人々がなだれ込んだ結果、この町は繁栄と困窮を、民衆の格差を生んだ。人の数は食料や医療、それらを含めたどんな数字にも釣り合わないくらい膨れている。故に、貧困の果てに犯罪に生きる者もいる。

「マスター、このシューヘンのチズとおヘヤのマドりはキロクしました!」

 確かに裕福な町になっただろう。技術発展は、大きな生活改善をもたらしただろう。……しかし、成長したのは技術だけだった。私たち人間は、まだ成長しきれていない。

「マスター?」

「あ、うん、なに?」

「マスターのこと、もっとシりたいです!」

 スチムロイド、ノインが私の眼前まで迫ってきた。私は片手に開いていた本を閉じて、どうしたらいいのかと悩んだ。

 ――スチムロイドには、記憶するための《回路》というものがある。それを《記憶回路メモリー》と言うのだけど、それは特殊な鋼板に書き込むように記録される。それとは別に《技術回路スキル》というものがあり、これはあらかじめ必要な情報が備わっている回路だ。この他に感情を表現する《感情回路》というものがあり、それらはスチムロイドに搭載されることが多い回路である。……と、オブリアさんに借りたスチムロイド入門書に書いてある。

「ハずかしながら、ナニひとつスキルがなくて……。たぶん、カイロをコーカンしたんじゃないかと……えぅ」

 新品のスチムロイドではないので、単純に考えるなら前のノインの記憶を記録していた回路が容量いっぱいになったのではないかと思う。

「あ、ひとつだけ、キロクされているものがあります」

「ひとつ?」

「はい。ワタシのナマエのホカに――」

 ノインが口にしたのは、英数の羅列だった。良く分からない。住所だろうか。

「住所だとしたら……サザークの川沿い……造船所?」

 サザークはロンドンを蛇行するテムズ川の南岸にある区。川沿いには造船所が複数あり、造られた船はそこから川を下っていく。地理的には、シティからタワーブリッジを左手にロンドン橋を渡った先にある町だ。

 サザークには造船所以外にもスチムロイド工場もいくつかあるけど、川沿いの住所だからたぶん造船所。スチムロイドと造船所の繋がりが良く分からないけれど、とりあえず行ってみるだけ行ってみよう。


 騒音に近いその駆動音は決してメンテナンスが行き届いていないというわけではなく、年季によるものなのだろう。大きな音を立てて、工業用スチムロイドや大型重機、大機関メガエンジンが忙しなく動いていた。しかし、そんな大きな機械音に負けず、男達が雄々しく戦っている。

「もう高齢なのですから、あまり無理なされると……」

「やれやれ、年寄り扱いは止しておくれ」

 造船所の一画。そこに、二人の影があった。一人はおじさん。もう一人の腰掛けているお婆さんは……。

「……おや、こんなところで会うとは珍しい」

 お婆さんが私に気付く。私は咄嗟に気付かぬふりで進行方向を変えようとしたけど、自分でも怪しすぎることに気付き、足を止めた。お婆さんがにっこり笑い、私は困ったように目線を逸らす。

「こ、こんにちは……」

「こんにちは。学校はどうしたんだい?」

「……」

 私が答えに困っていると、ため息が聞こえる。

 怒られる。そう思ったが、目線を合わせるとそこには苦笑を浮かべた顔。

「ここには、何か用があって来たのかい?」

「あ……はい。探し物を……」

「ふむ、探し物、ねぇ」

 この人の名前は、フローレンスという。去年たまたま会ったことがある看護師で、厳しくて、優しい人。高齢になるにも関わらず、かなり行動的で周りを驚かしている。

「初めまして、お嬢さん」

 タイミングを図っていたのか、おじさんがお辞儀してきた。そこに割り込んできたフローレンスさんが「こっちはアーサー坊や」と紹介してきたので、おじさん……アーサーさんが呆れてため息を吐いた。

「私は……えっと、その……」

「……ああ、こっちはフローラ。私の教え子だよ」

 身に覚えのない名前が聞こえた。顔を向けると、ニコッとシワのある顔を崩している。機転を利かせてくれたのだろう。

「フローラ? フローレンスさんと似た名前ですな」

「でしょう? だから運命を感じてねぇ。私たちは仲が良いのよ。はっはっは。羨ましいかアーサー坊や」

「だから、四十にもなる男に坊やは止めてください」

 アーサーさんが呆れている。やり取りを見るからに、二人とも仲が良さそうだ。元々フローレンスさんは誰であろうと積極的に関わってくる人なので、そのせいかもしれない。

「ワタシ、ノインっていいます! マスターのスチムロイドです!」

「おやおや、可愛らしいスチムロイドですこと」

「フェアリータイプとは、また珍しい」

 アーサーさん曰く、宙に浮き続けたり飛び回ったりするフェアリータイプのスチムロイドは、メンテナンスや回路設定が難しいらしい。その扱い難さもあってか、もう生産されないそうだ。

「――お待たせしましたフローレンスさん! やっぱりダメみたいです!」

 遠くから、場に似つかわしくない数人の女性がフローレンスさんを呼んでいた。そして彼女たちの言葉を聞くなり、おもむろに立ち上がるフローレンスさん。

「なにぃ? まったく、あの頑固者め……。私が話を付けてやる! あとは頼んだよ、アーサー坊や」

「フローレンスさん、坊やは止してください。ご武運を」

 フローレンスさんは、アーサーさんのお辞儀を笑顔で返すと、瞬時に恐ろしい形相に変貌して造船所の事務室へ駆けていった。相変わらずの行動力である。

「やれやれ、クリミアの天使、と言うには些か暴力的で困るな……」

「アーサーさんは、行かなくて良いんですか?」

「僕はたまたま、ここで会っただけだからね。お互いに医療の世界に生きている、くらいしか繋がりはないさ」

 なるほど、アーサーさんもフローレンスさんと同じ世界の方だったのか。

「それで、探し物だったか。僕で良ければ、力になるが」

「え、でも……」

「なに、かの名高きナイチンゲール様に『頼んだよ』と言われてしまったからな。それに、小説のネタに詰まってほっつき歩いているだけなのでね」

 小説? 医者なのかと思ったけれど……兼業か何かなのだろうか。

「えーとですね、ワタシのカイロにキザまれているエージとスージのレツをトきたいのです! サイショのレツはこのコージョーのジューショでした!」

「ふむ。聞こうか」

 アーサーさんが手帳とペンを取り出すと、ノインが英数の羅列を話す。それをメモに取ったアーサーさんはしばらく考え、ページをペラペラとめくり始める。そして再度元のページに戻ると、その辺の台に腰掛けた。

「それは……恐らく《機密情報ロックメモリー》ではないかと思うんだ」

 機密情報?

「今、ちょうど書いている小説でネタにしようと思っていたものでね。以前聴き取りしたことがある。スチムロイドの回路には、暗号化された記録があるんだ。それを再生するには《キーコード》が必要で、十桁まで入れることができる。ノインさんの回路に刻まれている羅列は十五桁。頭の『ANSRN』があるのだが、これはアンスチムロイドナンバー。つまり、その羅列はスチムロイドの機密情報であることと、そしてナンバーがない、個人的に作られたスチムロイドということが分かる」

 そういえば、ノインは製造元不明のスチムロイドで、もしかしたら個人的に作られたものかもしれないとオブリアさんが言っていた。スチムロイドナンバーで判断したのだろうか。

「この造船所と、機密情報……そうだ、ノインの回路は今、新品なんです」

「……なるほど。もしかしたら、これはノインさんの前の回路に刻まれている機密情報のキーコードかもしれない。そして、」

「……その回路が、ここにある……!」

「なんと! ホントですかマスター!」

 さっそく探してみよう。まずは所長に話を聞くのが良いのだろうか。……そうだ。あの事を、訊いてみるのも有りかもしれない。

 アーサーさんが手帳を畳み、スッと立ち上がった。顎に指を当てて、何かを考えている。なんだろう、この雰囲気、まるで……。

「ホームズみたい……」

「む……。フローラさん、それは僕には禁句だよ。僕はホームズが大嫌いでね。ほとほと困っているんだ」

「な、なぜですか?」

「僕はアーサー・コナン・ドイルであり、シャーロック・ホームズではないからだ」

 コナン・ドイル! あの、今をときめく有名な小説家!

「それなのにみんなして僕を同一視して……。僕はね、生きていくために彼を書いているが、本分は歴史小説であり推理小説じゃないんだ」

 それは初耳である。コナン・ドイルと言えば『シャーロックホームズ』と言われるほど有名なのだ。その作者が、実はホームズ嫌いだったとは……。

「でも、ホームズってヒトは、きっとアーサーさんのことダイスきだとオモうです!」

「なぜだい、ノインさん」

「だって、ツクってくれたヒトなんですよ。ジブンをこのセカイにツクってくれて、たくさんのヒトとデアえたんです。それがウレしいはずですし、タノしいはずですし、ナニよりそのケーケンをくれたメーカーさんにカンシャしてるはずです! ワタシはカンシャしてますよぉ! そして、ワタシをキドーしてくれたマスターにもぉー!」

 ギュンギュンと飛び回って喜びを示しているけれど周りの作業員方々がビックリしている。楽しそうではあるけれど、迷惑になるのでキャッチしようと私も跳び回った。その飛ぶ鳥を捕まえる難題に挑んだ挙げ句、捕まえたものの尻餅をついた私だったけれど、ノインの屈託のない笑顔には苦笑いしか出てこなかった。

「……ふむ、作られた者の気持ち、か……」

 きっと、ホームズさんもアーサーさんに感謝していることだろう。確か、ホームズさんは『最後の事件』で亡くなっている。そのことをたくさんのファンが嘆いて一時期社会問題になっていたのを覚えている。それだけたくさんの人に愛され、たくさんの人に想ってくれたのだ。それはすべて、アーサーさんのおかげ。アーサーさんがそれを生きるために書いていたと言っても、そのおかげでホームズさんは愛される存在になれたのだ。

「誤解させてしまったのなら、謝らせてほしい。僕は、確かにホームズが嫌いだ。僕の書きたいものが評価されず、そのつもりでなかったホームズが評価されてしまう。現実はなんとも数奇なものだと思ったよ。……でもね、彼がいたから、今の僕がこうして生活している。だから、僕はホームズに感謝している。嫌い、とはただの嫉妬だよ」

「シット……シットって、キラい、なんですかマスター?」

 え、えーと……。

「ふふ。まったく、僕という人間が、まさかこんなに小さなスチムロイドに説かれるとは。ははははっ。いや実にいいネタだ」

 目を押さえて、楽しそうに笑っている。周囲の騒音に紛れることなく、アーサーさんの声が私に届いている。

「方向性が定まった。さっそくその方向でネタを漁らねば。とにかく、今は所長に話を聞くとしよう」

「は、はぁ」


「――ギブ! ギブギブギブギブ! 背骨逝く! 腰死ぬ!」

 私たちが所長室に行くと、そこは恐喝現場だった。お婆さんが、おじさんを羽交い締めして背中から膝を立てている。

 そう、フローレンスさんが、所長を羽交い締めしているっ。

「なにをやっているんですか……」

 アーサーさんが止めに入り、所長は解放された。聞けばフローレンスさんはここに商談をしに来ていたらしく、戦場でも役に立つ医療専門の船を造って欲しいということだ。しかしそんな代物を造るには色々と問題があり、所長はなかなか頷けないでいる。そうこうしているうちに、一方的な物理的交渉に至ったと。そういうことらしい。

 こういうのは、事前の連絡とかが必要なのだと思うのだけど、フローレンスさんはいつも「まずは突撃」する人で、端からしてみれば嵐のような人である。

「だいたい、そういうものはうちじゃ造っていないんですって! それにうちの本業は船や車の修理ですから!」

「スチムロイドの修理は行っているかね」

 本業を聞いたアーサーさんが唐突に訊いた。回路について訊ねるのだろう。

「いや、それはやっていないですね。パーツの買取はしていますが、修理はうちよりも専門家である機巧技師の方が、技術的にも信頼できるでしょう」

「なるほど。では、ここに持ち込まれる回路は売られている、と」

「そうですね」

「修理を依頼されて預かっているものを見せてくれても良いかな?」

 どういうことだろう。ここにあるのは乗り物ばかり。乗り物に回路はない。

 そんな顔をしていると、アーサーさんが説明してくれた。――わざわざ手の込んだ伝え方でここにあるものを受け取らせようとしているということは、ここに長い間置いておけるものである。そうなると、乗り物と一緒に保管されている可能性がある。問題は、どの乗り物なのか分からないというところか。

「そうだ、所長さん、お訊きしたいことが……あるのですけれど……」

「なんだい?」

「男の人、なんですけれど、このくらいの身長で、二十から三十くらいの歳の人で……この、焦げたタグを首に掛けていた人、覚えありませんか?」

 私は自分の首にある焦げタグを見せる。それをまじまじと見ている所長は、やがて「あ、」と小さく声を漏らした。

「ああ、そういえば来たことがあるよ。半年くらい前だけどね。うちに、バイクを預けに来たのだが、未だに受け取りに来てくれなくてね」

「それを、見せてくれますかっ?」

 きっとそれだ。それが《彼》の残したものだ。所長は私たちを案内しようとしたけれど、逃げようとしているのがばれたか、再びフローレンスさん達に捕まってしまった。

 私たちは近くにいた作業員に声を掛けて案内してもらって、一台の《蒸気機関式自動二輪車スチームバイク》と出会った。年季が入っているのは良く分かる。

 それから三人がかりでバイクを調べていると、一枚の鋼板が出て来た。幾何学模様がびっしりと刻まれているけれど、これは……。

「これほど記録が刻まれた回路は珍しいな。しかし……」

「マスター、これ、ワタシのじゃ、ないです」

 がっかりしているノイン。誰のものか分からない《記憶回路メモリー》の登場に、私は戸惑うしかできなかった。

 まさか謎の先にまた謎が残っているとは思いもしなかった。いったい、この記憶回路は誰のものだろう。ノインを残した《彼》は、これをどうして残したのだろう。ノインと、記憶回路と、バイク……。これらが結び付ける先に、はたして《彼》はいるのだろうか。

 後ほどアーサーさんが手続きしてくれて、私は《彼》のバイクを手に入れた。しかし、まだ《彼》の居場所も、《鉄靴てっか》を追う目的も、その方法も分からない。最近になって《彼》の軌跡が見えてきたけれど、まだ追い付くには遠すぎるようである。

「……だからこそ、諦めるわけにはいかない」

 私は首の焦げタグを握って、ひとり頷くのだった。

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