焦げタグの狙撃手と歯車の妖精

時刻碧羅

Ⅰ:銀の箱

 ――歯車が軋みながら働いている。


 常に薄暗く、光を失った世界。

 空は今日も排煙の雲に包まれていて、この鉄屑だらけの町を灰色に染めていた。


 ――どこかから、鉄靴てっかの音が聞こえる。重く、規則正しく、その鉄を鳴らす足音は、町の腹の中から響いていた。


 人々はその音に畏怖を抱き、そして死を連想する。

 響く鉄靴の音は死神の訪れ。それはどこからともなく現れ、人を攫っていく集団の総称。

 彼らの目的は分からない。奴隷、異国への人身売買、はたまた資源化という噂もある。


 ――悲鳴が聞こえた。その人の人生が終わる、悲鳴が聞こえた。


 それでもこの町は変わらない。この軋む歯車も変わらず刻み続け、あの厚い雲は太陽を隠し続け、煤汚れたオイルランプは灯りを忘れることなく働き続けている。

 私を取り巻くのは、乾いた銃声と、硝煙と排煙の匂い。微かに降る煤。

 灰色の空の下、排煙と鉄屑の機関都市、ロンドン……それが、私の住む世界の全てだった……。


 ◇◆◇◆


 ――今日のご飯はどうしようかな。


 そんなことを考えながら、私はスコープを覗いていた。視線の先には一人の男性。

「……」

 不思議な気分だ。相手は私を知らない。でも、私は知っている。そして恋にも似た想いを秘めている。

 あなたが何をしていたのか、これから何をするのか、どこへ行くのか、誰と話すのか……。色々なことを考えながら、あなたという人物に想いを馳せている。

 ただ残念なのは、相手が私を知ることはないし、私が届けるのは恋の歌ではないこと。

 そしてこの一瞬が、最後のひとときなのだということ。

「――おやすみなさい。良い夢を」

 そう小さく呟いて引いた指に躊躇いはない。響く銃声は排煙と共に上り、一瞬の間を置いて、スコープの先の男性が石の敷かれた通路に崩れ落ちた。

 その周りで騒ぐ声は、私には遠すぎる。

「……」

 身体を起こすと、首に掛けたドッグタグが引きずられて音を立てた。タグには何かが掘られているが、酷い歪みと黒い焦げで読み取れない。

 鉄柵に寄りかかって空を見上げると、空は相変わらずの厚い雲で太陽を隠し続けている。

「……」

 私はしばらく見上げ、やがて銃を片付けるとその屋上を後にした。ケースを肩に掛け、ゴーグルを頭に上げて、靴を鳴らしながら階段を下りていくと、何事もなかったかのように町のなかへ歩を進める。

 町中は煤よけに傘を差した貴婦人や紳士、道路は蒸気自動車が煙を上げながら走っていて、銃声に慌ただしく走る警察やカメラ片手に追いかける記者など……この町の日常は変わらずである。


 上がる排煙、微かに降る煤、暗い空。文明の発展と引き替えに光を失った灰色の機関都市、ロンドン……。

 私の心も晴れることはない。


「よう、嬢ちゃん。今日も良い太ももしてんなぁ!」

 バーに立ち寄れば、相変わらず元気そうに絡んでくるお爺さん。毎度フラフラになりながら触ろうとしてくるので正直苦手だ。

「なあ、いつになったら触らせてくれるんだぁ?」

「ひっ、あ、えっと、それは困るというか……ごめんなさいっ」

 慌てるように床を鳴らし、カウンターに辿り着いた私にマスター、アインスさんは微笑んだ。アインスさんは中年の渋い男性。左腕は蒸気機関が組み込まれた義肢、スチムメイルである。

「やあ、いらっしゃい」

「ハァイ、《焦げタグ》」

 見るとカウンターに赤髪の溌剌としたお姉さんがいた。スチムメイルの女機巧技師、オブリアさんだ。彼女はアインスさんのスチムメイルの調整を担当している技師であり、そうでなくてもこうして店に顔を出すことがある。

「こんにちは、オブリアさん」

「なに、またあんた煤だらけよ。少しだからって言っても、いい歳の女なんだから傘ぐらいさしなさいよ」

「ご、ごめんなさい……」

 お札をカウンターに投げたオブリアさんに引きずられて外に出され、「まったく、あんたって子はもー」なんてぼやきながら身体中を叩かれた。相変わらず、面倒見の良いお姉さんである。

 オブリアさんは軽く「んじゃ」と手を振ると傘を差して去っていった。――私も、ああいう明るいところがあったらなと、尊敬している。

「お帰り。今日のお仕事は済んだのかい?」

「はい。また、仲介よろしくお願いします。……それで、その……アインスさん、あの件、新しい情報あります?」

「ああ……《鉄靴てっか》か。ん~……」

 困ったような表情だ。無理もない。ここで言う《鉄靴》とは、鉄の靴を履いた謎の集団のことである。いきなり現れ、人を捕まえ、どこかへ帰って行く。そのときに鉄靴を鳴らして現れることから、彼らをテッカと呼んでいるのだ。

 当然、死神のような彼らのことを良く思う人間はいない。口にすることすら躊躇われる集団だった。

「今のところは、何も入ってないな」

「そう、ですか……ありがとうございます」

「引き続き、調べてみよう。――ああ、そうだ、君に渡しておきたい物がある。前の《焦げタグ》が残していった物なんだが……」

 アインスさんはそう言って脇に抱えるほどの鉄の箱を差し出した。その無骨な表面に鍵穴を備えて、まるで棺のような銀の箱は危険なものを封印しているかのように、厳重に拘束されている。

「これは……?」

「最近、倉庫を整理していたら発見してね。確か、酒のツケにともらったんだが、鍵は見つけられなかったんで後日という約束だったんだ。まぁ、私としてはそこまでしてくれとは思っていないので、これを返そうと思っていてね」

 前の《焦げタグ》が残した、謎の箱……。私も聞き覚えがない。

「《鉄靴》の情報が思うほどなかなか手に入らない。その詫びというわけじゃないが、持っていってくれ」

「そ、そんな、私はその……えっと、ありがとう……ございます」

 アインスさんは大丈夫だとにこやかに笑う。申し訳ないので一杯頼もうとしたが、子供のうちから日が落ちていないうちにお酒を飲む習慣を付けるなと怒られてしまったので、仕方なく去ることにした。


 ロンドン郊外、狭く入り組んだ路地にアパルトメントがある。

「おかえりこげたぐ。きょうもげんきだね」

 アパルトメントへ向かう路地の途中、猫の壊れた自立機械、スチムロイドがくぐもった機械音声でそう言ってきた。スチムロイド自体は特に珍しいものでもない。町を歩けば一緒に仕事している大型の物や、小型のペットのようなスチムロイドもいる。とはいえそれなりに値が張るので、そのようなものに手を出すのは大体懐に余裕がある人くらい。

 この猫は誰の物かは知らないが、ずっと前から壊れて放置されている。私が通るといつもそこにいて、いつも同じ言葉で挨拶してくるのだ。

 たぶん、前の《焦げタグ》と間違えているのだろう。

「きょうはじょうきがひどくて、からだがさびちゃったよ」

 身体が錆だらけで動けないのはずっと前からである。夕方はいつもこの台詞。

 ――前の《焦げタグ》は、私の命の恩人だ。

 私が《鉄靴》に追われていたとき、私を助けてくれた。そのときにその人が掛けていたドッグタグと今の部屋を借りたのだけど、助けてくれたときにはぐれて以来、数ヶ月経った今も会えないでいる。恩人を捜すために手がかりを追い、恩人の生業としていた殺し屋の世界に入り、私は狙撃手となった。初めは人を殺すなんて怖かったけど、相手は悪党だけなので少し気持ちは楽だった。たぶん、狙撃というこの薄暗いロンドンに似合わない手段も影響しているのだと思う。

 ――そして今回、またひとつ手がかりになりそうなものを手に入れた。

 厳重に封印された鉄の箱……前の《焦げタグ》が残したもの……。

 さっそく、鍵を探してみよう。


「……これじゃない……」

 私の手元には鍵束。以前、このなかから鍵を探したことがあったのだけど、あの苦労をもう一度となると抵抗もある。しかしそんなことは言ってられないので探し続けて、小一時間。もはや何本試したのか分からなくなった頃、ようやく箱の鍵が手応えを示した。

 あまりに唐突なので驚き、高鳴る心音を堪えて恐る恐る蓋を開ける。なかには……。

「……人形?」

 手のひらサイズの小さな人形は眠るように目を閉じていた。青いドレスのスカートの中から大小の歯車が見えており、足がない構造なのは見て分かった。

 これは、スチムロイドだろうか。なかなか精巧な作りである。

 ――カリカリと、軽い歯車の駆動音が聞こえ始めた。

 すると人形はゆっくりと、その双眸を開き、目の前にいる私をアイスブルーの綺麗な瞳に映した。

「……、」

「――、」

 人形はしなやかな動きで身体を起こすと、歯車を鳴らしながら回り……なんと、宙に浮いた。私は開いた口がふさがらない。

「キドー、しました。わたしのマスターは、あなたですか?」

「……え、マスター?」

 ――人形はノインと名乗った。水燃料が欲しいというので水を入れたグラスにストローを差して飲ませてあげると、今度は驚いたように騒ぎ出す。訊けば内部の機関に異常が発生しているらしい。

 ノインはフェアリータイプのスチムロイドだと言うが、生憎、私はスチムロイドについて詳しくない。

「マスター! それでもわたし、ガンバります!」

「は、はぁ……」

 予想を遥かに覆したこの展開に、私は戸惑うしかなかった。


 内部機関の故障とはいえ、稼働している分には問題はないらしい。ノインの説明によると、内部の蒸気機関に働きかけている《出力増幅器ブースター》というものが故障しているだけらしく、それは本来、小型のスチムロイドには無縁の物らしい。しかしノインにとっては誇るべき長所のようで、これが死んでいては普通のスチムロイドと変わらないようだ。

 らしい、ようだ、ばかり出てくる辺り、私の知識不足は言うまでもない。

「へぇ、あんたがスチムロイドをねぇ」

 なので、ここを訪ねるのは必然的とも言える。スチムメイル専門である、機巧技師、オブリアさんの店だ。

「可愛いじゃない、この子」

「えへへへへ」

 オブリアさんに聴いた話、小型スチムロイドは時代の最先端技術らしい。本来大きな蒸気機関を詰まなければならないのだけど、小型スチムロイドはそれの軽量、小型化に成功した結果、生まれた物のようだ。その技術を支えているのが加熱クォーツと呼ばれる石の発見。水に入れると加熱し、その熱は石炭を使うのと同等とのこと。なので本来の石炭やオイル、熱源機器を必要とせず蒸気を発生させることが可能になった。ただし、加熱クォーツは小さいものしか見つからないので、大きなスチムメイルには使えないようだ。

「ん~、出力増幅器ね……。困ったなぁ……」

「?」

「いやね、小型スチムロイドに出力増幅器が搭載されているのって珍しいのよね。もともと水燃料も大して必要としないし、小型に力仕事させるなんて常識的にあり得ないし。だから小型スチムロイド用の出力増幅器のパーツって、あまり出回ってないの。というか、小型スチムロイド用出力増幅器なんて、珍品もいいところだわ。出回っているのは、ほとんど業務用スチムロイドのだし」

 そうなんだ……。これはもしかすると、普通に修理を依頼すると高額になるかも知れない。

 前の《焦げタグ》が残したスチムロイドだし、このままというのも申し訳ない気が……。

 ――ところで、どうして出力増幅器が壊れているのだろう。

「故障は、何が原因なんですか?」

「ん? そうねぇ……部品が欠落しているのよ。人為的に取り除かれたか、最初から不良品だったのか……。そもそも、箱はこのスチムロイドのパッケージじゃなかったんでしょう? 謎すぎるわね……」

「セーゾーモトにレンラクです! もしかしたら、ブヒンがあるかもしれません!」

 ノインの意見に一理あったのだが、オブリアさんは首を振った。どうやら、ノインがどこのブランドなのか分からないらしい。しかもノインも分からないという。もしかしたら、個人的に制作されたオリジナルのスチムロイドなのかも知れない。

 結局、今のところは部品を探すくらいしかできないので、オブリアさんにお願いするとしよう。

 私はぶーぶー言っているノインを連れて、買い出しを済ませて帰宅することにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る