Ep.24 幻〜Vision〜

「もうこんな時間ですか……お腹減ったなぁー」

「元はと言えば君のせいだと思うけどねぇ。転んで部品の山に頭から突っ込んだりしてさ」

「それは、まあ。そうですけど」


 雪が痛む頭をさすりながら言う。血こそ出ていないものの、大きな痣が出来ている。簡単に言えば、物凄く痛いのだ。


「ぶつかったのが鋭い刃物じゃなくて良かったと思うことだね。死んでてもおかしくないんだから」

「はい……反省してます……」


 しゅん、とこうべを垂れる雪。確かに、部品の山にはドリルやらナイフの刃やら危険物もたくさん混じっていた。そう考えれば、むしろ今生きていることの方が不思議なくらいである。

 と、不意に雪が足を止めて首を傾げ、身体の周りを見回し始めた。


「……あれ? あれれ?」

「んー? なんか忘れ物?」

「ちょっと鞄を。すみません、ちょっと先に戻っててもらっていいですか」

「成る程ねぇ。分かった、先戻ってるよ」


 ふふーん、と鼻歌を歌いながらノエルが階段を降りていく。

 ――確か、先ほどまで怒っていたはずだが。全くもって、何を考えているのかさっぱりな人である。


 * * * * *


 雪が武装庫に戻ると、そこには何故か、一人で座り込んでいるイリスがいた。


「ユキ……なにか、用?」


 あっけにとられる雪に、イリスが普段通りに話しかけてくる。回収した頃と比べ、若干表情が明るくなってはいるものの、まだ言葉はたどたどしいままだ。まあ、外見を見る限りはどう見ても年齢は一桁、良くて十代前半とも思えるほど幼いので、年齢的に仕方ないとも言えるが。


「あ、うん。鞄をね。イリスちゃんこそ、どうしたの? さっきは居なかったけど」

「……ふつうに、迷っただけ」


 ということは、一人でここへ来たらしい。しかし、エアコンもストーブもない武装庫に好んで来るような人間はほとんどいない。迷って、というのは恐らく本当だろう。ノエルほどの例外でもなければだが。


「そっか。じゃあ一緒に戻る? 私も暇だから、部屋までなら案内しようか」


 雪がそう提案すると、イリスは無言で頷く。一応、懐いてくれてはいるようだ。


 二人は、無言のまま武装庫から出た。

 ちなみに現在、このペンタゴン内、居住棟にいるのは彼女たちと第十七迎歩隊のメンバーのみである。当然と言うべきか、とにかく静かだ。特に上の階には誰もいない(二階の医務室で休養中のアーリーを除いてではあるが)ので、嫌が応にも足音が響く。


「静かだね。もうすぐ夜だからかな」

「……たぶん」


 何も考えていない会話がお互いの間で交わされる。むしろ、そんな会話くらいしか出来ないのだ。

 階段を降り、地下一階――自分達の階へと着くと、イリスが不意に立ち止まり、前を指差した。


「あれ……」


 指差した方を見てみるが、雪には何も見えない。

 時折、こんなことが起こるのだ。イリスにしか見えないような「何か」がいるのか、それともイリスがふざけているのか、はたまたイリスに幻覚が見えているのかは分からない。だが、あの黒い球体が見える、といったあの日から、こんな事が二日に一回くらいで起こるのである。


「……今度は、何が見えた?」


 雪が、恐る恐る尋ねてみる。大概の場合、この兆候は悪いことが起こる前触れであった。黒い球体――スフィアタイプの出現を予言した時のように、これが起こった際に見たことはなんらかの形で現実となってきた。「何もないところに水流が流れている」といった次の日にトイレが壊れた、という事もあったので、必ずしも同じ形で、同じレベルのことが起こるわけでは無いともいえるが。


「…………人、みたいだった」

「『みたいだった』――って?」

「人にみえた、けど、絶対そうかはわからない……ってこと」


 つまりは、人型ではあったが人かは分からない、という事だろうか。幽霊やモンスターなどにも人型の物は存在するし、またマネキンなどの人形であった可能性も否定できない。まあ、見た本人すら分からないならば、想像しても無駄ではあるのだが。


「そっか……男の人だった? それとも女の人?」

「髪の毛が長かったから……たぶん、女の人」

「髪は何色だった? 身長は?」

「そんなには、おぼえてない。でも、黒い髪の毛だった」


 イリスが言うには、長い黒髪の女性。おそらくはそんなイメージであろうか。だが、この部隊には、そんな人間はいない。髪色が一番近いのは雪だが、彼女の髪型はミディアムである。ロングというには少し短すぎるだろう。逆に、髪型で言えばアーリーやディーナ辺りが当てはまるが、彼女たちでは髪色が違いすぎる。候補としては決め手に欠けているだろう。


「ん、そっか。ごめんね質問攻めで」

「……慣れてる、から。大丈夫」


 イリスが再び歩き出す。気にしているのかいないのか、いまいちよく分からないのはやはり少し不便かも知れない。相手に謝ったりした際などは、特に。


 * * * * *


「おやおや、これは珍しい組み合わせだねぇ。っていうか忘れ物を取りに行ったはずじゃなかったかい?」


 雪がイリスを連れたまま部屋に戻ると、いの一番にその言葉が飛んできた。無論、その言葉を発したのは先に戻っていたノエルである。


「途中で偶然会ったんですよ。まさか私が攫ってくるとでも思ったんですか」

「うん、勿論。だってどう考えたって今の状況じゃ、それしかないじゃない」


 確かに、それもそうである。まあ、忘れ物を取りに行った人間が童女を連れて来るというような奇妙な状況がそうそうあるわけもないが。


「……で、連れてきてどうするつもりなんだい。ディーナのとこに返してこないのかい?」

「それが、居なかったんですよね。ディーナさん。何かあったんでしょうか」


 そう。ディーナの部屋は先ほど雪が訪ねた時には、もぬけの殻だった。置手紙なども無かった(そもそもディーナ自身そんな物を残すような人間ではないが)ので、預けに行くこともできなかったのである。


「あー、なるほどねぇ。まあ、何考えてるか分かんない子だし、ほっときゃ戻って来るでしょ」

「……まあ確かにそうですけど、それをノエルさんが言いますか」

「まあまあ、いいじゃないの。なかなか的を得た発言だったと思うけどな」


 確かに、的は得ている。とはいえ、それとこれとは別の話なのだが。


「――で、問題は君のその浮かない顔なんだけど。何かあったのかい?」

「はい、実は――」


 .雪は、先程の話をノエルに話した。多少は驚いていたものの、それでも少し慣れたということもあってか、やはり表情を少し崩したくらいだった。


「……イメージとしては、やっぱり雪なんだけどねぇ。多分髪型的に違うのかな」

「はい。ロングヘアーだ、って言ってました。――そうだったよね?」


 こくり、と雪の隣で半分寝かけているイリスが頷く。やはり来た頃と変わらず夜には弱いらしい。


「うーん、となると私には一個しか予想がないんだけど……さすがにそれはないかな……」


 ノエルが顎に手を当て、首を捻る。いつもほぼ無いであろう可能性ばかりを示唆することの多い彼女にしては一つしか予想がないというのはいささか不自然だが、それでも予想がないよりもマシだ。


「少しでも可能性があるなら、その予想、言ってもらってもいいですか?」

「……出来れば、言いたくないかな。別にユキに話すのが嫌ってわけじゃないけど」

「つまり、可能性がない、あるいはかなり低い、と?」

「いいや、可能性自体は少なくともあるんだけれどね……問題はそれが真実になった時、私がそれを見て正気でいられるか怪しいから」


 あはは、とノエルが苦笑を浮かべる。別に話したからといってそれが真実になるかどうかは別問題なのだが、それでも言いたくないということなのだろう。


「そうですか……まあ、深追いはしませんから、安心してください」

「そう言ってもらえればありがたいねぇ。まあ、言わなきゃならなくなったら言うから」

「そんなタイミング、ないと良いんですけどね」

「それもそうだねぇ。期待しておこうか」


 期待しておこう、と言っている以上それが起こる可能性は彼女の中ではかなり高いのだろう。

 ――本当に、起こらないと良いのだが。

 雪が目を伏せると、急に部屋の扉が開いた。


「あ、ディーナだ」


 ノエルが驚いたように言った。――いや、思い出したように、といったほうがいいかもしれないが。

 雪が振り向くと、ノエルの言葉通りそこに居たのはディーナであった。別にノエルが嘘を言っているとは思っていなかったが、ごく稀にそういうこともあうので、若干警戒はしているのだ。


「ヤッパリ此処ダッタカ。済マナイナ、世話ハ私ノ仕事ナノダガ」

「いやいや、別に私は何もしてないからねぇ。礼なら雪に言いな」

「へ? 私ですか?」

「だって、ユキでしょ? 連れてきたの。」


 確かに、もっともである。それでも一緒にいた時間は三十分も経っていたわけではないが。


「ソウダッタカ。有難ウナ、ユキ」

「いえいえ。当然のことですから」


 笑顔で応対する雪。実際、あのままにしておくわけにもいかなかったので『当然のこと』という言葉に嘘はないのだ。雪自身も別にイリスが嫌いなわけではないので、あの状態に置かれている人がいれば誰だって当然連れてくるだろう。


「トコロデ、連レ帰ッテモ構ワンカ? モウカナリ眠気ガ来テイルヨウニ見エルカラナ」


 ディーナに言われて見てみると、成る程、確かにイリスの目はもうほぼ開いていない。というか半分くらい意識が飛んでいるようだ。


「確かにね。じゃあ、後は頼んだよ。それとも私も一緒に連れて行こうか?」

「……必要無イ。一人デ構ワンダロウ」


 ディーナが半寝状態になっているイリスの手を引き、部屋を出て行く。イリスはもはや千鳥足というレベルではなくなっているが、なんとか立っていることだけで十分だろう。どちらにせよ体重が軽いので、完全に立てなかったら背負えばいいのだが。


「……さて、こんな時間だけどどうする?」

「どういう意味ですか?」

「いや、さっきお腹空いたって言ってたじゃない。どうせなら何か作ろうと思ってさ」

「別にいいですよ、自分で作れますし」


 そう言い残し、部屋のキッチンに歩いていく雪。ちなみに言っておくと、彼女の料理スキルは並程度だ。


「えー、じゃあ手伝うから」

「いいですけど、自分の分は自分でお願いしますよ」


 どつくぞこんにゃろー、とノエルが文句を言いながら雪についていく。

 現在の時刻は、夜の九時過ぎ。結局、食事が完成したのは十時を過ぎた頃のことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る