Ep.20 蹴破〜Kick a door Open〜

「あー、やっぱり降ってきたね、雨」


 ウィルが、窓の外を見て言った。すでに空は完全に雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨粒が窓ガラスに打ちつけられている。


「……ああ、そうだな」


 アーリーがぼんやりと顔をあげて言葉を返す。

 静かだ。雨の音と、時計の針の音、まれに本のページをめくる音だけが部屋に響く。


「……あのさ」

「何だ?」

「……いや、ごめん。なんでもない」

「そうか」


 何度目かの静寂。もう二人とも、回数など覚えていなかった。

 そこから何分か経った時、ふと廊下の方で喋り声と足音が鳴り始めた。


「あれ、誰か来たかな?」

「どうせユキかディーナ、百歩譲ってノエルだろう。第一分隊は今いないんだからな」

「もしかしたら、幽霊かもよ?」


 ウィルが笑いながら、ふざけ半分で言った。


「あのな、幽霊が足音を立てるはずがないだろう。足が無いんだからな」

「……ちょっとは乗ってくれたっていいのに。ちぇっ」


 足音がさらに大きくなる。

 そして、その足音が――止まった。


「あれ、止まった。何かあったのかな」

「別の部屋にでも入ったんじゃないか?」

「いや、でも他の部屋に用事がある人なんて……」


 ウィルが口を開いた次の瞬間。

 ――医務室のドアが、蹴り破られた。


「おぉ、邪魔するぜ、お二人さんよ」


 扉を蹴破った本人が、半笑いの表情を浮かべる。

 その人物を見たウィルとアーリーの顔がぴきりと引き攣った。

 ――幽霊だったからではない。もっと嫌な人間が来た。


「アルバート……」

「よお、ウィリアム・スチュアートさんよ。……いや、今はウィルって呼んだ方が良いんだったかな」


 ウィルが顔を下に向ける。目を合わせたくないのだろうか、そこから顔を上げる気配はない。


「んで、そっちはここの分隊長か。こりゃあ面倒くさくなくてラッキーだな」

「ディリス・アルバート……第一機械化歩兵の隊長ともあろう人物が、一体ここに何の用だ」


 それを聞いた途端、男――アルバートは、けらけらと声を出して笑いだした。


「おいおい、その肩書きで呼ぶのはやめようぜ。今日は地位とか階級とか無しで話をしに来たんだからよ」

「お前と話すことなどない。とっとと帰れ」

「帰れ、って言われて帰る奴なんかいると思うか? まあ、少なくとも、俺は違う」


 只ならぬ緊張感が二人の間に張り詰める。アーリーが負傷してさえいなければ、殴り合いが始まっていたかもしれないほどだ。


「……ここに来る許可は出ていないはずだ。どうやってここまで来た」

「見な。あいつらが此処まで連れて来たんだ。――嘘じゃないぜ?」


 アルバートが親指で扉の方を指差す。そこには、扉に隠れるようにして部屋を覗き込む雪と、堂々と隠れもせずに中を見ているノエルがいた。

 あの二人め、面倒な奴を連れてきたものだ。そう思うと、アーリーは二人の方を睨みつけた。

 雪はびくりとして扉の陰に身を隠し、ノエルは雪に引っ張られて扉の陰に倒れこむ。

 彼女たちに悪意はなかったとはいえ、タチが悪い奴を連れてきたものだ。そこらの詐欺師や強盗の方がまだマシかもしれない。連れてきたのは、それほどの人間なのである。


「分かった……それで、要件は何だ。まさか用もないのに来たわけではあるまい」

「おお、こりゃあ話が早い。そっちから聞いてもらえるとはな」

「いいから早く言え。少なくとも、我々にとって良い話をお前が持ってくる筈がないんだからな」


 アーリーがアルバートを睨みつけ、負けじとアルバートもアーリーを見つめる。

 これだからこいつは嫌いだ。アーリーは彼の眼を見ながら思った。

 一見純粋そうに見えて、奥にとてつもない闇を抱えたような眼。しかも、その闇を自らの意識でコントロールしているかのような雰囲気すらある。まさに、このような人間を「魔性」と言うのだろう。


「じゃ、本題を言おう。……ウィルを、俺達の部隊に再属させてくれ」

「断る」

「……だろうな。まあ、言って聞いてくれるような奴だとはこっちも思っちゃいないんだ」


 アルバートが後ろを振り向く。そして、近くにあった電卓を弄りだした。


「……幾ら金を出しても無駄だぞ」

「金なんか出すかよ。今計算してんのは勝率だよ、勝率」

「勝率だと?」

「ああ。もし俺がここの部隊を潰す事になったとしたら、って時の勝率だ」


 「よし、出たな」と呟くアルバート。そのまま彼はくるりと反転し、アーリーの目の前に電卓を突きつけた。


「勝率、約九十九パーセント。つまり、お前たちは俺一人で簡単に潰せるってこった」

「……ほう。話が通じないなら実力行使、ということか。野蛮な奴め」

「部隊一の好戦家がよく言うぜ。まあ、この結果を見てそれしか言えないのも、わからなくは無えけどなぁ?」


 露骨な挑発。誰が聞いたとしても、完全にやる気である。おそらく、もう戦闘用のパワードスーツも、近くまで持ってきているのだろう。まさかここまで手ぶらで歩いて来たわけではあるまい。


「……分かった。相手をしよう」

「ハハッ、ようやくやる気になったか。じゃあ、俺が勝ったらウィルはうちが貰ってくぜ。いいな?」

「ああ。……ただし、相手をするのは私じゃない。ウィル本人だ」


 えっ、とウィルが小さく声をあげる。話の内容が自分についてだったとはいえ、突然の名指しに反応できなかったのだろう。そのままの姿勢で固まってしまった。


「成る程、本人が相手か。ますます面白い」

「そっちに行くかどうか、本人が決めるのがもっとも大事だろう。であれば、私ではなく彼が、というのは当然だと思うが」

「理由なんてどっちだって良いさ。じゃあ、十分後に、下の庭みたいな場所で待ってるぜ。あばよ」


 アルバートはそう言い捨てると、また首を覗かせていた雪とノエルを無理やり押しのけ、部屋の外へ歩いて行った。

 ――そして、静寂。再び、時計の音と雨の音だけが部屋の中に響いている。

 最初にその静寂を破ったのは、アーリーでもウィルでもなく、雪だった。


「……ごめんなさい、私たちのせいで」


 扉の陰から顔を出して、申し訳なさそうにうなだれる雪。先ほどの話を完全に理解していたとは到底思えないが、語調で面倒なことになったとは分かっているのだろう。


「お前のせいじゃない。私とウィル、二人の責任だ」


 目線を落としたまま、アーリーが呟く。


「でも私が……」

「良いんだ。ウィルにも言われていた。いつか、居なくなる日がくるかもしれない、とな」

「……えっ?」


 衝撃の言葉だった。不意の衝撃に言葉が紡げなくなり、呻き声のようなものが口から零れた。

 

「知らないのは無理もない。お前が来る前の話だからな。どうせなら、今その話をしても良いんだが」


 ちらり、とアーリーがウィルの方を見る。本人に無許可で話すのは、やはり気が引けるのだろう。


「……分かった。僕から話すよ。時間はまだあるからね」


 ウィルは諦めたようにため息をつき、ゆっくりと話し始めた。

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