Ep.12 少女~Little Girl~
「それで、この子を連れてきた結果、身元が不明なことが発覚した、と」
「面目ないです……」
雪が顔を真っ赤にしながら下を向く。肩が震えて、今にも泣き出しそうだ。
「いやいや、別に君のせいじゃないから。それに身元不明はよくある事だよ」
ウィルは落ち込んでいる雪を慌ててフォローした。
確かに、誰も住んでいない旧市街で見つかったような人間が普通に生きてきた可能性などほぼゼロだ。実際、身元不明の人間などアメリカだけでも二千人はいるだろう。
そんなことを言いながら雪が先ほど保護した少女__イリスの方を見ると、何やら様子を見ていたはずのノエルと意気投合している。
「ほーむすてい」
「イエスタデイ」
「いえす」
「スコットランド」
「どっく」
「クウェート」
ものすごい速さでの言い合いが続く。前の言葉の最後と後の言葉の一文字目が同じなので、大方しりとりでもやっているのだろう。
そんな二人をじっと見ていると、不意にウィルが口を開いた。
「あの子、すごいね。あのノエルとまともにやり合ってる」
「え? あのくらいのスピードで言い返すのくらい私でも余裕ですよ。まあ年の差はありますけど」
「いや、それだけじゃない。気づかないかい?」
雪は耳を澄ましてみる。が、特に何も変わった様子はない。
強いて言えば、妙に簡単な単語ばかりで返しているくらいか。
「分かりません。で、何なんですか、早く教えてください」
「少しは自分で考えなよ……っと、そういえば、アーリーは? 一緒に探索に行ったんじゃなかった?」
話をそらされた。どうやら自分で気づけということなのだろう。
アーリーは先ほどからいない。帰ってきてすぐに部屋の方にこもってしまったのだ。実際、分隊長の書類仕事は多いので仕方ないと言えば仕方ないのだが。
「アーリーさんならたぶん部屋にいると思いますよ。報告書を書かないといけないとか」
「あー、やっぱりそうか。ごめん、あの二人のこと頼むよ」
ウィルがおもむろに立ち上がった。焦った雪が急いで止めようとする。
「えっ!? ちょっと、あの二人をどうにかしろなんて無茶ですよ!」
「別に絡まなくても、見てればいいから。すぐ戻るよ」
そう言い残すと、ウィルは廊下の方に走って行った。アーリーに何か用でもあったのだろうか。
あっ、と雪が気付いた。やることがない。確かに二人を見ていろとは言われたが、せめて何かしながらでないとすぐに飽きてしまう気がする。
雪は、近くに置いてあったルービックキューブを見つけた。珍しいもので、普通よりもマスの数が多い。おそらくノエルの私物だが、彼女のものなら勝手に使っても構わないだろう。
雪がそれを取ろうと身を乗り出して手を伸ばしていると、ノエルの方から「おーい」という声が聞こえた。
あわてて姿勢を戻そうとして前のめりに倒れる雪。どうやらノエルはこちらを見ていたらしく、大きな笑い声が聞こえる。
「痛たた……ちょっと、そこまで笑わなくてもいいじゃないですか」
「あんなもの見せられて笑わないほうがおかしいと思うけどねぇ。まあそれより、一つ決まったことがあるから報告してもいいかい?」
ノエルが話題を変える。口調はいつもの調子に戻ったが、顔はいまだニヤニヤと笑っている。いや、これがいつも通りの顔なのか。
「さっきまでずっとしりとりしてたのに急に報告ですか。文三つ以内でお願いします」
「三つか、結構少ないねぇ。おっと、もう一文使っちゃったし、とりあえずだけ伝えるとしようか。えーっと、まずこの子は私たちの部屋で暮らさせます、そして世話はユキがします」
しっかり三文に収めてきたが、今はそんなことをつっこんでいる場合ではない。三文目のラストにものすごく悪意を感じる。
「一個目は許可次第ですけど二個目はお断りです。そもそもそんなに仲良いならノエルさんがやればいいじゃないですか」
「私は仲良いけど世話は出来ないからねぇ。子どもは苦手だし」
嘘つけ。雪は直感的にそう思った。そもそもさっきまであれだけ意気投合していたのに子どもが苦手なわけがない。そもそもノエル自身が子供っぽい。
雪の冷ややかな目に気が付いたのか、ノエルがイリスをこちらに呼んだ。一人でぼうっとしていたところに急に呼ばれて驚いているようだ。
「なに?」
「ほら、これがさっき言ってた保護役のユキ。根はいいヤツだから安心してね」
ノエルはイリスの方を見ながら雪に指をさした。これ、と呼ばれたのは少し癪に触るが、流石に小さい子の前なので怒るのはやめておいた。
「改めてこんにちは、イリスちゃん。雪、って呼んでもらえると嬉しいな」
「ゆき……?」
イリスが怪訝そうな顔して首をかしげる。確かに日本人の名前は、慣れていない英語圏の人間には言いづらいだろう。
「あ、ごめん。言いにくかったかな」
「だいじょうぶ。ユキ、よろしく」
イリスが右手を差し出す。握手をしてくれということなのだろう。雪はその手をがっしりと掴み、目を合わせた。
「いたい」
「おっと、ごめんね。つい力を入れちゃった」
雪が慌てて手を離す。痛いと口では言っていたが、その顔は笑顔を取り戻し始めている。少しの時間ではあったが、ここに慣れてきた証拠だろう。やはり、小さい子供は大人と比べて適応力が高いのか。
そんなことを考えていると、イリスが雪の服の裾を引っ張った。
「ん? どうしたの?」
「……トイレ」
なんだトイレか。まあ、確かにここは来たばかりでは難解な造りになっている。ここに住ませるのなら一度案内しておかねばならないかもしれない。
雪がノエルの方を見る。が、流石に彼女に頼るわけにもいかないと思い直し、もう一度イリスの方に向き直った。
「私の力が必要かい? 頼まれればやってあげても構わないけどねぇ」
「いえ、トイレ覗きそうなんでいいです」
「何で私がそんなことしなきゃならないのさ……まあ覗いたことあるけど」
あるのか。いや、今はそんなところに反応している場合じゃない。
雪は無理やりついてこようとするノエルを振り切り、イリスの手をつかんで歩き出した。
トイレは、共同リビングのすぐ隣にある。確かアーリーが「誰の部屋からも同じくらいの距離で、なおかつ個人の部屋以外から行く時一つのルートで行けるように設計してある」ということを言っていたはずだ。
「はい、ここが共用の御手洗……っていうか化粧室。一つしかないから私はドアの前で待ってるね」
「……ありがとう」
イリスがぺこり、と頭を下げる。よほど我慢していたのか、雪も驚くほどの物凄いスピードでドアを開けて中に入っていった。
少しすると、中から水の流れる音が聞こえてきた。まるでスピーカーから流れているような音。おそらく、『流水』のボタンでも押したのだろう。
機械っぽい上に綺麗な音じゃないから好きじゃないな、と雪が呟く。だが、さすがに中には聞こえるはずもなくその音は延々と流れ続けている。
しばらく待っていると、ガチャリ、という音がしてドアが開いた。
「……おわった」
「了解、じゃあ戻ろうか」
雪がイリスの手を取る。冷たい手だ。少し濡れている。
「ユキ、あの階段、なに?」
イリスが唐突に前の方を指差した。確かに、階段がある。だが、雪はそれを使ったことがなかった。
「ここよりさらに地下に行く階段……? でも、これ以上下の階には何もないはずだけど……」
雪はイリスの手を握ったまま階段の方へと近づく。下の方を覗き込むと、明かりは付いておらず、奥の方まではよく見えない。
「うーん、よく見えないな。もうちょっと奥まで……」
「駄目だ」
後ろから言い咎めるような声がした。雪が振り向いてみると、腕を組んだアーリーが立っている。
「そこは私でも立ち入り禁止だ。軍の極秘事項だから詳しくは言えんが……まあ、どちらにせよその先には鍵のかかった扉があるから入れるわけはないんだがな」
「じゃあ間違えて何かの拍子で入っちゃったら……」
「首が飛ぶだろうな。物理的に。」
ひえっ、と雪が震え上がる。アーリーの顔には少しも笑顔はうかがえない。どうやら、首が飛ぶというのは本当のようだ。
イリスは先ほどの一言で驚いてがたがたと震えている。雪があわてて落ち着かせていると、それに気が付いたのか、アーリーが話題を変えた。
「それより、報告があるから共同居間に集まってくれないか。ウィルとディーナには連絡済みだから……ノエルはどこにいる?」
「ノエルさんならたぶんまだ居間ですよ。それより、報告って?」
雪が尋ねる。イリスの前で堂々と言えるということは、特に隠すことではないということか。
頭の上にハテナマークを浮かべながら首をかしげている雪に、アーリーは笑顔で言い放った。
「我々第二分隊は、次の大規模公開演習に参加する。以上だ」
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