13日目-オークン・秘湯-

 オークン周辺の岩場には窪みにひとりでに湧いた温泉が溜まって露天風呂のようになっていることがある。

 硫黄泉ではないためガス溜まりによる事故の心配はなく、あえて整備された既存の浴場に入らず森を探検して自分だけの秘境を見つけるのを楽しみにしている物好きも少なからず存在していた。

「はー、ひどい目にあった」

「こんな形で来たくなかったわ……、なかなか良さそうなお風呂なだけに」

 その中の1つに新本達は墜落していた。

 下着姿でお湯に浸かった防具を拭いたりその下に着ていた服を絞る女性陣の後ろの木には着替えの様子を覗こうとしてボコボコにされた後、逆さ吊りの刑に処されていた一岡の姿があった。

 その傍らで最初から女性陣から目を背け続けていた新本は人工呼吸の要領で目を回して倒れているスライムの体を何度も押していた。スライムの全身からは押される度にまるで水につけていたスポンジのようにお湯が出ていた。

「そういえば……もう1人の方は大丈夫ですか? あの、剣使いの方」

「大丈夫よ、あの子も私達みたいにどっかの源泉に落ちてるだろうし」

 新本が気を回すとアリエルはアッケラカンとした反応を見せた。

「そんなことよりも……あんた人をスライムに飲み込ますなんてどういう気? 18禁の映像とか本でも作る気なの?」

「誰が作るか。野生のスライムが敵を気絶させる時にやる技じゃないんですか?」

「んなわけないでしょう! 最初からやるとしたらどんなスライムなのよ!」

 カーラは顔を真っ赤にして抗議していたが、当の新本がそっぽを向き続けしらばくれているため追及を諦めてため息をついた。

「……で、あんた何者? 一岡はプレイヤーとかなんとか言ってたけど」

「新本卓矢。調教士だ」

 カーラからの問いに新本はジョブ名だけで返した。今テストプレイヤーの話をし始めたら非常にややこしいことになるのが明白だったからだ。

「……じゃあニイモト、あなたは何をしにあそこに来たの?」

「オンセンゼンマイを刈りに。その帰りにあなた達が派手に岩を破壊しているのを見かけて、それで中を覗いたら……」

 本当はそれだけが目的ではなかったが口に出さなければバレることはない。それにそれを裏付ける証拠も新本の手の内にあった。

 その証拠である依頼のページとゼンマイをそれぞれ見せられたカーラは何も言え返せなくなった。

「ニイモト、あの竜のことについては色々知っていそうだったが……君の最終的な目的はなんだ? あともう着替え終わったからこっち向いていいぞ」

「目的ですか? それは当然あの竜のテイムですよ」

「本当か?」

「ええ。ただ違う点を上げるならあなた達みたいにあれを殺す気なんて更々ないですし、依頼も請けてないです」

「じゃあ何であれを狙っている? あれじゃなくても戦力になるモンスターは何匹もいるじゃないか」

 訝しむアリエルに新本はショルダーバッグの中から記念にもらっていたオークションの目録を取り出し、あるページを開いて差し出した。

「これは……あの竜の鱗じゃないか?」

 そのページには白竜の物とされている鱗が見開き2ページを使って紹介されていた。

「ほんとね……。オークションの目玉商品になってる。ちなみにいくらで落とされたのか分かる?」

「60万で」

「……え?」

「60万。銀貨6枚と言い直した方がわか」

「私達の報酬よりも高いじゃない!」

「へー、そうなんですか」

 新本が白々しく相槌をうっているとカーラは頭を抱えながらその辺の岩に寄りかかるように腰掛けた。

「あー、あれの素材そんな高値で取引されてるんだったらもう少しふっかければ良かった」

 そう言ってカーラは苛々しげにポケットからタバコとライターを取り出すと迷わず火をつけた。アリエルは目録から顔を上げると物欲しそうな目で新本を見つめた。

「で、ニイモト。他にはないのか?」

「ん? それだけですよ。私が知ってるのはあの白竜がとんでもない金を稼ぎ出せるモンスターであること、18年前にここオークンで大暴れしたこと。そしてオークンの人々が竜のことを禁忌としていることだけ。私からしてみればオークンのギルドで質問料として請けた依頼をこなしていたら探していた物が突然出てきましたー、な状況なんです。むしろ私の方があなた方に色々と教えてもらいたいところなんですが」

 新本が真っ向から見つめ返しながらたたみかけるとアリエルは居心地悪そうに目を逸らした。

「……分かったわ。でも話すには条件がある」

 タジタジになっているアリエルを見かねたのか、カーラは灰色の煙を吐くと再びタバコを咥えた。

「どうぞ?」

「もしあなたが私達が討伐するよりも早くあの竜をテイムしたら銀貨4枚こちらに渡しなさい。あれだけの鱗が手に入るならそれくらい端金になるでしょう?」

 カーラは依頼主の提示額よりも高い値を吹っかけたが新本は全く引かなかった。

「それだとこっちに得がないですよね? あなた方は成功しても失敗しても銀貨を4枚手に入れられるんですから。頼むのであればもう少し値引きされては?」

 シノレスの発言を聞いていた新本が悠然と言い返すとカーラは苦々しい表情を見せた。

「銀貨2枚」

「まだ高すぎですね、銅貨100でどうです?」

「銀貨1枚」

「銅貨250」

「なら間とって銅貨500枚。それでどう?」

 しびれを切らしたカーラが大幅に値を落とすと新本はカーラから目を離すと唸りながら宙を見つめ始めたが、その右人差し指はそろばんを弾くように動いていた。

 そしてその指が止まると新本は再び視線をカーラの方へ向けた。

「……情報によります。こっちが知っている情報ばかり聞かされて銅貨500枚なんて大金ポンとあげる訳には行きませんから」

「あら、知ったかぶりで乗り切る気?」

 挑発するカーラに新本は平然と言い返した。

「乗り切りませんよ、先回りして潰していきますから」

「そう。ならあなたが一切口出しして来なかったら銅貨500枚確定、ってことね」

「そう思ってもらって構いませんよ」

 新本がそう言い置くとカーラは足を組んだ。

「あの竜は今から18年前」

「オークンにあったタリスマン商会の建物を破壊。それによりタリスマン商会は破産、従業員は離散した」

 年数を聞いただけで自分の持つ情報を一気に述べ上げた新本にカーラは乾いた笑いを浮かべた。

「……いきなり潰してくるわね」

「そりゃあ大金がかかってますから? さぁ、続きをどうぞ?」

 挑発するようにニヤニヤと笑みを浮かべる新本に苛つきながらカーラは話を再開した。

「竜のあぎとという名称は竜の口に見えるからじゃなくて白竜が住んでいた場所だからそう名付けられたの。オークンが温泉街として売り出したのはつい最近の話で、かつては白竜を信仰している人達が巡礼するために立ち寄る宿場町として発展していて温泉は二の次だった」

「しかし白竜は商会を1つ潰した後失踪してしまう。白竜目当てだった客は当然街には来なくなり、街は落ちぶれる」

 自分の知っている情報と予想を繋ぎ合わせて新本が相槌を打つとカーラは苦々しい表情を浮かべながら灰色の煙を吐いた。

「何よ、ほとんど知ってるじゃない」

「……逆にそれだけの情報でよく攻め入る気になりましたね」

 新本が呆れたように言うとアリエルは頬を掻きながらトーンの低い笑い声を出した。

「いや、建物を2、3個ぶち壊したとは聞きましたがあんなに強いとは思わなくて……」

「……ちなみにどこのギルドで請けた依頼ですか?」

「いや、エスバイエルの酒場で飲んでいた時に持ちかけられたの。色々と大事になるからギルドに持って行くのは面倒くさい、って」

「ふーん」

 カーラから説明を受けた新本は興味なさげな声を発したが、その目の光は増していた。

「ちなみにその依頼人の身元とか住所とかって分かります?」

「わかるけど守秘義務があるから話せないわ。正規の依頼じゃないとしてもね」

 聞けたら銅貨どころか銀貨1枚出しても良いと思っていた新本は残念そうに口を尖らせた。

「……今話せることは以上かしらね? それじゃあお金は」

「情報料は現時点で銅貨5枚です。もっとむしりとりたかったら隠している情報を出すか新しいのをもって来てください」

 そして見せられた新本の期待外れと言わんばかりの表情をカーラは悔しそうににらみ返し、短くなったタバコを携帯灰皿の中に押し付けた。

「……分かったわよ、どうせ今日はもう帰るつもりだし。いいでしょアリエル?」

「ええ。今のままじゃ討伐が不可能だって分かったし、シノレスと早く合流したいしね。とりあえず宿屋で待つ?」

 アリエルの提案にカーラは頷きながら一岡を吊るすロープの先を解いた。意識のない一岡の体は重力に従って痛そうな音を立てて落ちた。

 アリエルはその様子に苦笑しながら何かが印字された小さな厚紙を差し出した。

「これ、私達の泊まっている宿屋の名前と住所です。いらないとは思いますが念のため」

「じゃあまたね。逃げるんじゃないわよ」

 カーラ達が温泉から去るとほぼ同時にスライムは目を覚ましてゆっくりと体を起こした。

「……おそよう」

「まさか殺しにかかってる勢力がいるとは……こりゃ本格的に急がないとまずいな……」

 1人残った新本はスライムからの挨拶を無視して、カーラからの情報を元に一岡達へと依頼して来た者について色々と推察していた。

 タリスマン商会が白竜に何をしでかしたのか分からないオークンの住民からしてみればとばっちりで死活問題を食らった形になる。タリスマン商会と白竜に対して怨めしい、殺したいと思うのは当然であろう。

 だが知っていても逆恨みしたパターンもあれば、白竜を信仰しているという宗教の狂信者からの要望という線もある。選択肢は多い。

 ただどの理由にしても共通するのはギルドに持っていける案件ではないということだった。

「あるじ、聞いてる?」

 そこまでまとまった頃、スライムは新本の正面に立ち、両手で新本のこめかみをぐりぐりと擦った。半固体なため痛みはなかったが新本の意識はようやく内から外に向けられた。

「んああ⁉︎ な、何?」

「あるじ、これから、どうする」

「これから? ……んー」

 スライムから半目で見つめられた新本は何となく空を眺めた。日はまだ傾いておらず、あぎともそこまで離れていなかった。

「……もう一度竜のあぎとに行ってみよう。俺らは暴れはしたが襲ってはないからまだ話す余地があるかも」

「分かった」

 そうは言いながらも新本は振り出しに戻ることを覚悟していた。

 いくら自分と白竜の身を守るためだったとはいえ自分の住処で大暴れした相手を白竜が快く通してくれるかどうか、そもそもあの場所にまだいるかどうか……どちらも非常に微妙なところだったからだ。

 渋い表情を浮かべながら新本が例の洞穴の前にたどり着くと、中から女性の叫び声が聞こえてきた。

「ここにいたら私達みたいに依頼を受けた人達に襲われるかもしれないんですよ!」

「別によい。それだけ恨まれるようなことを妾はしたん……お、さっきの調教士。水も滴るいい男になって帰ってきたか」

「……どうも」

 金髪の美女は入ってきた新本に気づくと賞賛か皮肉か判断しかねる言葉をかけた。新本は軽く頭を下げると正座しているシノレスと平らな岩に腰掛ける美女両方見える所であぐらをかいた。

「調教士、ということは妾をテイムする気で来たのかの? じゃが、申し訳ないが妾はここを出る気はないのでな。諦めとくれ」

「調教士、さっき襲いかかったことは謝るからお願い! この人をここから逃げるように説得して!」

 シノレスが涙目になりながら土下座して新本に頼みかける。新本はその様に目をパチクリさせながら2人を交互に見た。

「えーっと、あなたは白竜の人間の姿に変化へんげした状態でよろしいですか?」

「うむ、そうじゃな」

「で、あなたはその白竜を殺す依頼を請けたパーティの1人のシノレスさん」

「うん」

 2人の身元を確認した新本はどうしてこうなった、という感想を抱いた。そしてまだ湿っている髪を掻きながら新しい質問を投じた。

「……とりあえずシノレスさんが方針を転換させた経緯を教えていただけますかね?」

「ん? 妾がなんでタリスマン商会を壊したのか、なんでこの町を一度旅立ったのかを簡単に説明しただけじゃ」

 白竜は大あくびを挟むとシノレスに視線を向けた。

「そうしたらこやつが酷いやら考え過ぎだやらうるさくなってな……調教士よ、どうかこやつを引きずり出してもらえんかね?」

「あ、分かりました」

「え、そんな私はまだ」

 頭を上げて何かを話し出そうとしたシノレスだったがスライムが上からその頭を自分の体内に取り込んだ。

 シノレスがガバゴボ音を立てながら暴れる様子を何とも言えない表情で眺めた新本はそれから目を逸らして白竜に尋ねた。

「念のためもう一度確認しますが、タリスマン商会、はてはオークンの人々との因縁について簡単な説明はこの人にされたんですよね?」

「ああ、妾がしたことは全部話した。……こんなにうるさくなると分かってたらしなかったがな」

 白竜がうんざりした様子で首を振る中、スライムはシノレスが気絶したのを確認すると体の外に出した。

「じゃあ詳しいことはこいつに聞きます。多分沢山脚色が入るでしょうから……おかしな点を感じたらまた来ます。なので」

「別に心配せんでもどこにも行かんよ。行きたい場所はもうないのでな、死ぬのを待つだけの竜生よ」

 そう言うと白竜は腰掛けていた岩に寝転がり、後ろを向いた。

「あるじ、この人、私、運ぶ」

「分かった。……俺の細腕じゃ厳しいからな」

 スライムが軽々とシノレスの体を担ぎ上げているのを見て、新本は他の人には聞こえないほど小さな声で呟いた。

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